表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/38

Episode.35

【場所】ログリア町 中心部 避難所



「まだかしら……」


 アインとジュリが避難所に駆け込んできてから、すでに三時間が経過していた。

 彼らはガンサイとゴイルに囚われ、魔物に喰われかけたが、ニトの働きにより隙を突いて脱出できたらしい。

 その途中で三人の奴隷と出会い、この場所へ向かうよう言われたという。

 その話を聞いた瞬間から、ミラの母は気が気でなくなった。


 兵士も救援に向かったが、すぐに戻ってきた。

 ミラも、ニトも、そしてクズたちも戻らず、何があったのかを尋ねても答えは得られなかった。


 祈りは虚しく、諦念がじわじわと心を蝕んでいく。


「こんなに帰ってこねえなんて……」

「ミラは……もしかしたら……もう魔物に──」

「大丈夫!!」


 アホが母の言葉を遮る。


「アイツらはな、俺たちの中でも、特に地獄を味わった三人や。死んでてもおかしくなかった」


 アホの言葉に、周囲の人々は一様に視線を逸らす。


「でも、最後まで諦めんかった。希望を捨てへんかったんや」


 アホの表情は、誇りと信念に満ちていた。


「そんな彼らが、そう簡単に死ぬわけあらへん。信じて、黙って待っとけばええ」


 その言葉に、母は堰き止めていたものが溢れるように、嗚咽を漏らした。


「本当になんで……なんで私たちは──」

「もう、後悔したところで何も始まらんて」


 アホは、静かに、しかし厳しく諭す。


「……ごめんなさい」

「でもな……過去を悔やむだけじゃ意味がない。未来に希望を持って、顔を上げて生きれば、きっと世界は少しずつ変わるんとちゃうか?」

「え……?」


 母はアホの顔を見つめる。


「ほら、前を見ぃ」


 その言葉に導かれるように視線を上げると──


「ミ…ミラ……?」


 怪我を負ったクズを支えるノミ。

 バカの腕に抱かれたままのニトとミラ。


 現実感のないその光景に、母の思考は一瞬で凍りついた。


 ミラが、母を見つけて駆け出す。


「お…お母さん──!!」


 バカの肩から飛び降りると、ミラはそのまま母に抱きついた。


「お母さーん!!!」

「ミラァアア!!!」


 二人の瞳は、感情の奔流に押し流されるように涙で溢れていた。


「お母さん……ごめんなさい!!」

「良かった……本当に良かったっ……!」


 その再会は、周囲の者たちにも深い感動を与えていた。


「良かったっ……本当に……!」

「あかん──わいもなんや……目の前がぼやけてきたわ」


 アホとカスの目にも、涙が浮かんでいた。


「本当に……良かった……」


 クズが膝から崩れ落ちる。


「クズ──!?」


 アホとカスが駆け寄る。


「おい……なんやこの怪我は!?」

「大丈夫!?」

「うん……なんとか、ね」


 心配をかけまいと、クズは微笑んだ。


「子どもたちを庇って矢に射られた。応急処置がなければ……危なかったかも」

「大袈裟だよ──」


 ノミの説明にも笑いながら否定する。

 ミラと共に駆け寄る母。


「そんな……」


 自分の子どもを守るために、命を賭けてくれた魔族の姿に、母は言葉を失った。


「本当に……申し訳ありません!」


 深々と頭を下げる。


「気にしないでください……ミラちゃんが無事なら、それでいいんです」

「ううっ……」


 込み上げる感情に、ただただ涙が零れる。


「今、聞きたいのはそんな言葉とちゃうやろ?」


 アホが意地悪そうに笑いながら母を見つめた。


「ええ……本当に、ありがとうございました。このご恩、一生忘れません」


 母の瞳には、揺るぎない覚悟が宿っていた。


「そんな……やめてください」


 クズは照れくさそうに目を伏せた。


「お姉ちゃん本当にありがとう!!すごくかっこよかったよ!」


 ミラは屈託のない笑顔を見せる。


「あはは……ありがとうね」


 少し照れながらも、クズはミラの頭を優しく撫でた。


「えへへ……」


 撫でられる感触に、ミラの頬がさらに緩む。


「おまえさん達──わしからも言わせてくれ」


 一人の中年男性が、感情を押し殺しながらも深々と頭を下げた。


「長きにわたり君たちを苦しめてきた我々のために、宝である子供たちを……未来を守ってくれて、本当にありがとう!」


 男性の言葉に周囲の人族達は目を見開く。

 次第に気恥ずかしさがあるのか、目を逸らし見て見ぬ振りをする。

 ニトも周りの大人達に倣う。


「ほら、お前も言わんかい!」


 その声と同時に、ニトの頭がぐっと下げられる。中年男性がアホの頭を無理やり押さえつけたのだ。


「や…やめろよ!!」


 振り解こうとするニト。

 その光景に目を逸らしていた大人達から思わずくすりと笑いが起きる。


 誰かが、ぽつりと手を叩いた。

 その音が波紋のように広がっていく。


 小さな拍手がちらほらと、次第に輪を描くように響いていった。


 盛大ではない。

 しかしそれは、確かに種族の壁を越えたひとつの行為だった。


 だが──


「ふん……何を騒いでいるのかと思えば、また貴様らか」


 静寂を裂く声。

 先ほどの兵士──ダリが、眉を吊り上げながらこちらに歩み寄ってきた。


「なんやこいつ?」


 アホが眉をひそめる。


「さっきスラム街で、大した働きもしないで逃げ帰ったクソどもだよ」


 ノミの語気は鋭く、怒気すら帯びていた。


「なんだと貴様……!!」

「何か間違ったことでも言ったかよ?襲われてたこいつらを見殺しにして、ガンサイ探しに行ったくせに!」


 町民たちがざわめく。


「なっ……奴を捕らえねば、さらなる被害が──」

「だからって、子供を見捨てるような真似をした時点で、お前らはクソなんだよ!」

「言わせておけば!!」

「やめなさい!」


 クズが、苦悶の中でノミを制した。


「こんな場所で言い争っても無意味よ。子供たちも見てる」

「でも──」

「それに……この方々の言い分にも、一理あるわ」


 ノミが目を見開く。


「本気で言ってるのか……?」

「ガンサイを捕らえなければ、第二、第三の“私たち”が生まれるかもしれない。それに、街ごと飲まれてしまう可能性だってある──そんなこと、絶対に許せないわ!」


 声を荒らげた直後、クズが激しく咳き込んだ。血が吐き出される。


「ク…クズ!?」


 カスが駆け寄るも、クズは手で制止し、自ら立ち上がる。


「もちろん……子供たちを見捨てるなんて、絶対にさせない……でも、一刻も早く……あいつを止めなきゃいけないの……」

「お前、そんな体で何言って──」

「だから……あなたに、お願いしたいの。ノミ……頼める?」


 しばし沈黙の後──


「わかった。ガンサイ探しは、うちが仕切らせてもらう!」


 ノミが応じ、クズは再び膝を折る。カスがそっと肩を支える。


「そういえば──」


 カスがふと口を開く。


「三人を追いかけてた魔族がいたんだろ?会った?」

「ああ……会ったわ」

「誰だったの?」

「それは──」


 ──轍が石畳を叩く音が、空気を震わせた。


「騒がしいと思えば……またか」


 馬上から静かに声が響いた。ウィリアムが、ゆっくりと鞍を降りる。


「今度は何があった?」


 その言葉に、兵士たちは一斉に姿勢を正す。


「はっ!報告いたします!!」


 先ほどまで騒ぎを起こしていた兵士──ダリが一歩前へ。


「ダリか。話せ」

「はっ!こやつらは、ガンサイと魔物の目撃情報を得ながらも、それを無視し、独断で行動しました!」

「なに……?」

「違う!」


 ノミが声を上げた。


「何が違う?事実を述べただけだろう!」

「子供たちが魔物に襲われてたんだ、それを助けたんだよ!」

「その証拠は?」

「はあ!?お前らも見てただろ!本人たちに聞けばいいだろうが!」


 ノミの声が怒気を帯びる。


「ほう。聞いてみようか?王国騎士の我々と、魔族の言葉、どちらを信じるか──」


 ダリはにやついた。


「まあ、ここは人族の街だ。差別するわけではないが、結果は目に見えている」


 その目が、子供たちに向けられる。


 ミラは反射的に母の背後に身を隠した。


「わ…私の子は──」

「お前に聞いていない!!口を挟むな!!」


 怒声に、母は唇を噛んで俯く。


 空気が凍りつく中、ミラとニトに全ての視線が注がれる。


「私は──」

「ん?なにかな?」


 ミラが言葉を紡ごうとした瞬間、ダリがかぶせてくる。


「本当のことを言えばいい。みんな真実を知りたいだけなんだから……」


 だが、大人たちの表情は一様に険しい。


 助けられたクズを庇いたい。でも、声が出ない。


 ミラはニトを見る。

 彼は震えていた。小さな拳を握りしめ、沈黙の圧力に耐えていた。


「ニトよ……」

「──婆ちゃん!」


 ひとりの老婆が近づいてくる。

 かつて、孤立したニトに寄り添い、唯一の拠り所であった人物。

 その顔を見た瞬間、ニトの表情に一筋の安堵が差した。


「婆ちゃん……俺──」

「魔族どもに何を吹き込まれたか知らんが、耳を貸すではないぞ」


 凍るような声音だった。


「え……?」

「何度も言っておろう。魔族は卑劣で、狡猾。多くを欺き、戦争を引き起こした種族だ」


 その言葉に、魔族たちは憤りを感じる。


「奴らは従属するしか能のない底辺の存在。助けられたと思い込むのは、お前がまだ子供だからだ」

「いい加減に──」


 カスが叫びかけたその刹那、ウィリアムが老婆を手を捻り上げた。


「老婆を下げろ」


 兵士が静かに従い、去り際にも老婆は罵声を吐いていた。

 ウィリアムはニトの前に膝をつき、目線を合わせ、手を差し出した。


「大丈夫。本当のことを話していいんだ」


 その言葉に、ニトの表情が和らぐ。

 背後で冷や汗を浮かべるダリ。


(な……何も喋るなよ……)


「俺は……」


 ニトの目に、迷いはなかった。


(や……やめ──)


「俺はこの人たちに──」


 その時、視線の先にクズの姿が映った。

 彼女は苦しげに呼吸をしながら、それでもニトに微笑んでいる。


 その姿を見て、ニトは……目を逸らした。


「会ってない……」

「なにッ!?」


(よしッ!!)


 ダリは安堵の息を漏らし、ノミは言葉を失う。


「それは……本当か?」


 ウィリアムの問いに、ニトは頷く。


「……あぁ──!」


 ウィリアムの手を振り払い、そのまま走り去っていった。


「ニトくん!?」


 ミラが後を追う。


「ミラ、待ちなさい!」

「案ずるな。この先は我々の管理区域だ。今は……好きにさせてやれ」

「はい……」


 ウィリアムが母の肩に手を添えて諭す。


「さて……子供たちはああ言っているが?」

「あんなの、嘘に決まってるだろ!!」


 ノミが怒声をあげるが──


「今は彼女に聞いているのだ。口を挟むな」


 ウィリアムの静かな一喝に、ノミは口を噤んだ。


「今重要なのは、誰が子供たちを救ったか、ではなく──」

「クズ?」


 ウィリアムが視線を向けると、クズは静かに口を開いた。


「“誰が”魔物を子供たちに差し向けたのか、ではありませんか?」

「誰が……だと?」

「そんなの、ガンサイに決まって──」

「黙れ!!!」


 ダリの声を、ウィリアムが鋭く断ち切った。


(もし……ガンサイが魔物を意図的に操作し、子供を狙わせたとすれば──)


「まさか……」


 ウィリアムの顔が青ざめていく。


「おそらく、ご想像の通りかと」

「……貴様の言う通りだ。事は一刻を争う」


(彼女は……その情報を、場を乱さず私にだけ伝えた……)


「配慮、感謝する」

「いえ──」

「配慮……?」


 事態の流れに困惑するダリ。


「貴様と違って、彼女は大局を見ているということだ」

「な…何を仰っているんですか!?」

「納得できんか?」

「え…ええ!!」


 ウィリアムは正面に立ち、鋭い視線を送る。


「では聞く。魔物が現れたのは事実なのだな?」

「ええ!だからこそ我々は──」

「そうではない」


 ウィリアムの声が冷たく響く。


「先ほど、貴様は“誰が魔物を仕向けたか”と問われ、ガンサイと答えたな?」

「はい、そうです。だから追うために──」

「では、魔物が子供たちを襲っていた現場を、貴様は見たのだな?」

「ッ──!?」


 ダリの顔が強張る。


「襲われていたところは……見ておりません」

「では、彼女の傷はなんと説明する?」

「そ…それは……魔族同士の内輪揉めかと。先ほども口論していたし──」

「本当のことを話せ!!」


 ウィリアムの怒声に、ダリは呼吸すらままならなくなる。


「だ…団長はなぜ魔族の肩を持つのですか!?奴らは我ら人族の共通の敵! 許されざる存在ではないのですか!?」


 その叫びに、数人が頷く。


「それが……貴様の本心か?」

「はい!!団長も……そうですよね?」

「貴様は──除隊だ」

「……は?」

「今すぐ装備を脱ぎ、この場を立ち去れ」

「団長……?」

「早くしろ!!」


 ダリは震える手で装備を外し、唇を噛みながらその場を後にした。


「同じ思想の者は、今すぐ同様に退け」


 静寂が広がる。


「今後も、彼女たちの本質を見抜けず、魔族というだけで見下す者がいれば厳しく罰する。覚悟しておけ!」

「「「はっ!!」」」


 空気が震えるような応答。クズの胸に、熱が広がった。


「……何度も、ありがとうございます」

「いや……助けられているのは、我々の方だ」


 ウィリアムが手を差し出す。

 クズは、わずかに驚いた表情を見せながら、その手を取った。


「では、得た情報を全軍に共有する。失礼する」

「はい!」

「その身体で、無理はするなよ」

「お気遣い、感謝します」


 ウィリアムは副官とともに背を向けた。


「すごかったな……」

「うん……」


 カスとアホが並んで立ち尽くす。

 出来事の余韻が、まだ脳裏を離れない。


「皆さん!」


 駆け寄ってきたのは、ミラの母──マーラだった。


「本当に、ミラを助けてくださりありがとうございました。私はこの街で宿屋を営んでいるマーラと申します」


 深く頭を下げる。


「もしよろしければ、私の宿を貸切にいたします。今晩、まだお休みになる場所がなければ、ぜひいらしてください」

「えっ……?」


 驚きの声が漏れる。


「マーラさん!そんなこと言ったら、あなたが──」


 誰かが止めようとするが、彼女は微笑んで首を振った。


「大丈夫です。偏見が怖くて、恩人に恩を返せないのなら──それこそ、亡き主人にも笑われてしまいますから」


 その笑顔には、揺るぎない意志があった。


「で…でも……わいら、まだやることがあってやな……」


 アホが遠慮がちに言葉を濁す。


「では、彼女だけでも……家でお預かりさせてください」

「いや、それは──」

「だめです!」


 マーラの声が、場の空気を切り裂く。


「せめて、その傷が癒えるまでは……何年でも滞在していただいて構いません。もちろん、お代などいただきません」

「マーラさん……」


 困惑の混じる、どこか照れたような微笑みを浮かべるクズ。


「こう言ってくださってるんだ。甘えればいいんだよ」


 そっと背を押したのは、あの中年男性だった。


「そ…それなら……少しだけ……」

「よかった……!」


 マーラは目を潤ませながら微笑み、背筋を伸ばす。


「それじゃあ、夕飯の準備をして待ってます。後ほどお越しくださいね!」


 そう言い残すと、彼女は娘を探しに走って行った。


「あ……あはは」


 残された一同は、顔を見合わせて笑う。


「お店の場所……聞いてへんけど」


 ふっと、張り詰めていた空気が解けていく。


 ──そのとき。


 ドォンッ!!


 轟音が空気を裂いた。

 地の底から突き上げるような衝撃に、場の空気が一変する。


「ま…まさか──」

「このタイミングで……かいな……」


 誰かの呟きが、絶望に似た静寂を引き裂いた。

 遠くで、魔法の閃光が夜空を焦がす。


「ガンサイが見つかったぞーーー!!」


 避難所の戸口が開かれ、一人の兵士が飛び込んでくる。


「戦える者は直ちに武装せよ!!すぐ現地へ向かうんだ!!」


 叫びと共に、場は一気に騒然となる。


 だが、誰一人として、準備ができていた者などいなかった。

 運命は、誰の都合にも耳を貸さず、最悪の局面へと舵を切り始めていた──

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ