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Episode.33

「ちょっと宜しいですか?」


 背後から静かな声が響いた。

 ポルディアが、立ち去ろうとするクズを呼び止めたのだ。


「あなたが我々の話をどこまで聞いていたかは分かりません。ですが──決して口外なさらぬようお願いします」

「……そうですね。この会話も含め、全て忘れることにします」

「感謝します」


 深く頷き、歩き出すポルディア。

 だが、数歩進んだところでふと立ち止まり、再び振り返った。


「……聞くべきではないと重々承知しているのですが、どうしても気になってしまって」

「何を、ですか?」

「一体どうやって我々の会話を聞いたのです?別館まで直線でも百メートルは離れていますし、私たちは建物の中にいた。外にいたあなたに届くはずがない」


 クズは首を傾げて笑った。


「さて、何のことでしょう?」


 意趣返しを食らったポルディアは小さく吹き出した。


「……これは私の負けですね」

「ただ、一つだけお伝えします」


 クズは肩を竦める。


「昔から、耳が良いんです。私」

「そうですか」


(その言葉が真実か虚飾か……情報を与えるように見せかけ、核心は隠す。見事だ)


「お呼び止めして失礼しました。避難誘導、頼みましたよ」

「はい!」


 駆け出してアホ達を追うクズ。

 ポルディアは去っていく背を目で追いながら、思索を巡らせていた。


(あの子の交渉術と掌握力……もはや“元奴隷”の域を超えている。生まれから貴族か、あるいは高度に政治的な環境にいたのか……奴隷になる以前、彼女はどんな人物だったのか)


 彼女の瞳に一瞬、期待の光が宿った。


「公的な立場を得て、再び“友”として私の前に現れる時が楽しみですね……」


(──敵になる時は、考えたくもないが)



 ────────────



 クズはアホ達に追いつくと、様子が異常であることに気づいた。

 住民と魔族が入り混じり、避難を巡って立ち往生している。


「……これは一体?」

「避難を促してるんだけど……」


 言葉を濁すカス。

 クズが人垣をかき分けて前に出ると、そこには座り込みをする領民たちの姿があった。


「なぜ……避難されないのですか?」


 クズはできる限り穏やかに声をかける。


「何故俺たちが奴隷の言うことを聞かねえといけねぇんだ!」

「そうだ!まずうちの奴隷を返せ!!」


 あまりの言い分に、クズは一瞬言葉を失った。


「母ちゃん!あれ、うちのマルじゃないか!?」

「ほんとだ!お前まで何してんだ!早く戻ってこないと、いつもの罰だよ!!」


 名を呼ばれた魔族の少年マルは、全身を震わせ拳を握りしめる。

 その瞳に宿るのは、恐怖ではなく、燃え盛る憎悪だった。


「なんで……なんで俺がッ──!あんな奴らを助けなきゃ……!」

「何だと、この小僧!」

「お前らなんか……今この場で──!」


 マルが踏み出そうとした瞬間、鋭い音が響いた。


 バチィン──


 クズの掌が彼の頬を打ち抜いたのだ。


「なっ……!」


 マルの声が裏返る。頬を押さえ、涙と怒気が入り混じった顔で叫んだ。


「俺は毎日腹いせに殴られ、ドブに落とされ、切りつけられた!何度死んでもおかしくなかった!どうして……どうしてあんな奴らを助けなきゃならない!!」

「囚われるなッ!!!」


 クズの声は雷鳴のように場を打った。

 彼女の瞳は揺るぎなく、真っ直ぐにマルを射抜いている。


「気持ちは、痛いほど分かる。悔しい、許せない──私だってそうだ」

「なら……!」

「それでも!あなたはもう奴隷じゃない!」


 沈黙が広がった。

 マルの喉が詰まる。


「憎しみに囚われるな。復讐に駆られるな。そんなままじゃ……私たちは永遠に自由になれない」


 クズは彼の両腕を掴み、言葉を叩き込む。


「あなたは生き抜いた、それだけで十分だよ。今、歴史を変える場に立っている。その自分を、まずは誇りに思って」


 マルは嗚咽を漏らし、膝を折った。

 クズはその小さな身体を抱きしめた。


 その背を守るように、一歩前へ出たノミが声を張り上げる。


「憎しみに囚われたままの奴は前に出ろ!復讐に走るというなら、私が相手をしてやる!」

「喧嘩腰やなぁ……」


 アホが呆れたように笑う。


「でもまぁ……納得できひん奴は、ここに残っても邪魔なだけや。消えてもらってかまへん」


 アホがノミの隣に並び、さらにカスとドブたちが続いた。

 最後にバカが仁王立ちする。


「復讐を望むなら、わいら全員が相手や。覚悟しとけ!」


 その言葉に魔族たちは次々と表情を引き締めた。

 誰も退かない。


「……それでええ」


 アホがにっこり笑う。

 だが、その空気を切り裂く声があった。


「お前らは……俺たちを攻撃したじゃないか!」


 振り返ると、一人の男が怯えた目で叫んでいた。

 すかさず若い兵士が吐き捨てる。


「これだから奴隷は邪魔にしかならねえんだ」


 クズは兵士の前に歩み寄る。


「私たちはもう奴隷ではありません……訂正を」

「……臭ぇんだよ、近寄んな」

「あなた、自分が何を言っているのか分かっているのですか?」

「奴隷のくせに、調子に乗るな」


 緊張が弾ける寸前、雷鳴のごとき怒声が轟いた。


「何をしている!!」


 ウィリアムだった。

 兵士たちの背筋が一斉に伸びる。


「はっ!!報告します!こいつらが住民と揉めております!」

「は!?」


 訝しむウィリアムの視線がクズに注がれる。


「確か、復讐ではなく歴史を塗り替える、と言っていたな。それは嘘か?」

「いいえ、私たちは憎しみに呑まれていません!」


 ウィリアムは彼女の瞳を見据え、わずかに口角を上げた。


「……変わらぬ真っ直ぐな目だな」


 振り返り、兵士に怒号する。


「貴様は彼女らを何だと思っている?」

「は……はい?」


 突然の問いに混乱する兵士。


「彼女らをどういう存在だと思っているか聞いているんだ!」

「え……えっと……一応……人だと──」

「本音で答えろ!」


 答えられない兵士。

 沈黙が続く。


「貴様、名を名乗れ」

「ダリと申します!」

「ダリ、か」

「はい!」


 ウィリアムは全兵士に向き直った。


「聞け!彼らは奴隷ではない!エクリオン女王陛下の名の下、市民として解放された存在だ!その尊厳を踏みにじるなら──貴様らに王国騎士の資格はない!次に同じことをすれば、容赦なく除隊とする!」


 圧倒的な威圧に、場は静まり返った。

 ウィリアムは踵を返しながら言い残す。


「それと──現国王陛下は奴隷制度を良しとしてはおられぬ。旧い価値観に縋れば、立場を失うことを肝に銘じておけ」


 その言葉は兵士だけでなく、住民の胸にも重く響いた。

 彼らは渋々ながらも避難を開始した。


 クズは胸の奥で深く感謝を覚えた。


「……先ほどの礼だ」


 それだけ告げ、ウィリアムは次の現場へと去った。



 ────────────



 だが、その裏で。


 まだ幼い子供たちの小さな冒険心が、ゆっくりと破滅へと歩み始めていた。


「ニトくん……ほんとに大丈夫なの!?」


 ミラが不安げに袖を引く。


「しつけーな。俺を信じろよ」


 ニトは胸を張って歩く。


「そうだよ!」

「ニトはいつも正しいじゃん!」


 アインとジュリが声を揃える。


「でも……母さんが“行っちゃダメ”って──」

「凶悪犯が逃げてるとかでみんな避難してるんだろ?だから逆に大丈夫なんだよ!」


 ニトの理屈に、仲間たちは一瞬たじろぎ、けれども惹き込まれていく。


 スラム街に入ると、空気は淀み、壁はすすけ、地面には黒ずんだ水溜まりが点々と広がっていた。

 ジュリは思わず足を止める。


「……ねえ、本当にここに何かあるの?」

「おいジュリ、ビビってんのか?」

「ビ…ビビってない!」


 ニトは得意げに顎を上げた。


「実はな──何日か前、サル顔のゴイルって商人がでっかい袋を抱えてここに入っていったから、俺は尾行したんだ」

「えっ!? 一人で? 危ないよ!」


 ミラが声を荒げる。


「大丈夫だったって!」


 ニトは笑い飛ばす。


「で、その袋から黒い水晶みたいなものが転がり出たんだ!」

「黒い……水晶?」

「そう! めっちゃ怪しいだろ!?」


 アインが興奮気味に叫ぶ。


「すげえよニト! 探しに行こうぜ!」

「おう!」


 女子二人は顔を見合わせ、不安を募らせながらも、男子に引きずられるように歩を進める。


 やがて、路地の真ん中に──


 コロリ、と黒い石が転がり出てきた。

 光を吸い込むような黒。表面には奇妙な脈動のような揺らぎが見える。


「これだよ!」


 ニトが飛びつき、手に取ろうとする。


「や…やめようよ!」


 ミラとジュリが同時に叫ぶ。


「もう見たんだから、帰ろう」

「そうだよ! 帰ろうよ!」


 だが──背後から、不気味な笑い声が響いた。


「キッキキキ……好奇心は時に命を削るもんだな」


 振り返った四人は息を呑む。

 そこにはサル顔の商人ゴイルが立ち、隣には巨体の男ガンサイが控えていた。


「お前は──」


 ニトの口を塞ぐゴイル。


「キキキキ! 目上に対する言葉遣いを教えてやろうか」

「やめろ、くだらねえ」


 低く唸るガンサイ。その視線は子供たちではなく、さらに奥の闇へと向けられていた。


「……こんなところを見られてどうすんだ?」

「もちろん子供達には犠牲になってもらおう。我らの逃走を手伝ってもらう形でな」


 そう告げて、建物の影からもう一つの影が現れる。

 フードを深く被った人物が、口元だけをニンマリと歪めた。


 黒い水晶が脈打つ。

 子供たちの運命は、既に取り返しのつかぬものへと転がり出していた。

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