Episode.31
【日時】ミルス歴400年7月12日 5時20分
【場所】ログリア町 元ガンサイ邸
真夏の太陽が長い夜を超えて、東の空から姿をのぞかせている。
「終わりましたね」
「ええ」
今回の戦いにおいて、あくまで傍観に徹した二人。
その結果をどう受け止めているのか──
「私はともかく……ポルディア様はしばらく落ち着かないでしょうね」
「そうですねぇ──」
ポルディアは視線を空へ向けた。
「そうだとしても父の心残りを解決できるのなら安いものです」
「……長年停滞していた歴史を動かしたご子息を誇らしく思っているでしょうね」
「歴史を動かしたのはあなたもでしょう」
互いに笑みを交わす。
「しかし……今後ポルディア様への風当たりは、内外を問わず強くなるはずです」
「ええ……覚悟の上です。それに──ギルさんという、心強い友を得ましたから」
にっこりと笑うポルディアに、ギルは深く一礼する。
(これほどの重圧を笑い飛ばす……やはりこの人は──)
「我々はあなたの英断を讃え、全身全霊で支援します。ポルディア・エド・ログリア様、共に戦えることを誇りに思います」
「身が引き締まりますねぇ……こちらこそ、ギルさんという傑物と出会えた幸運に感謝しますよ」
「私など──」
ポルディアが不意に笑い出す。
「まだ隠し通すのは、少し無理があるでしょう」
「……何のことです?」
「彼らの奴隷紋のことですよ」
「あ……あはは」
ギルが苦笑する。
「奴隷紋は主人の魔素を媒体とした意思でしか解除できない──それが常識です。その常識を覆した上、ガンサイに拘束されていた彼らにも……何かしましたね?」
「え…えぇと……」
「主人の意思が解除に影響する。だから陸斗さんに敗北したガンサイの誇りが傷つき、その結果紋様が外れた──そんな都合の良い話で自分を隠そうとする……やはり只者ではありません」
「お…恐ろしい観察眼ですね……」
「いやいや、勘づいている人間は私の他にもいますよ?」
ギルは頭を掻く。
「……門番をしていた頃から、少しずつ紋様を破壊し、意思だけで壊せるほどに弱体化させていたんです」
「やはり……では陸斗さんが魔族隷術を破ったというのも──」
ギルは横に首を振る。
「あれは何もしていません。本当に本人の強い意思によるものです」
ギルの顔が険しくなる。
「魔族隷術は本来如何なる手段でも解呪することはできません。ましてやあれは幾重にも重なって彼らを縛っている。それを一部とは言え、自らの意思だけで解除するなんて──」
「……彼は、特別な存在なのかもしれませんね」
「ええ。彼が成長して、もし魔族隷術を全て破ることができたのなら、魔族が辿る運命は大きく変わるでしょう」
「恐ろしいことですね」
そう言いながらも、ポルディアの表情は晴れやかだった。
「もう少し怖い顔をしてもらえないと、説得力がないですよ……」
「いやいや、本当に恐ろしく思っていますよ。彼が何を選択するか次第では、ですが」
「確かに……」
「それよりも、今気になるのは──」
ポルディアの視線が止まる。陸斗を治癒しているエクリオンを見ていた。
(一国の王たる者が、元奴隷の治療を……)
小さくため息をつくポルディア。
「……どうしたらいいのやら」
「仕草が年齢に合ってませんよ」
ギルは、これから押し寄せる課題に同情を覚えた。
────────────
「あ……あの──」
「はい?」
エクリオンの治療を受けながら、陸斗は申し訳なさそうに声をかけた。
「女王様が、何故私などを……?」
「二度も止められましたし」
「え──!?」
「その上、女王にタメ口でしたし」
「あっ……あの!」
「今さら畏まられても」
「本当に申し訳ございません!!」
その必死さに、エクリオンは思わず吹き出す。
威厳ある姿とのギャップに、陸斗は戸惑った。
「冗談です。実は……あなたと二人だけで話したいことがあります」
「え……!?」
「ついてきてください」
「は…はい!」
緊張で固まる陸斗。その横を、瓦礫を運んでいたアホが通る。
「どうしたぁ?」
「い…いや何でも!」
「おう、そうか」
フラフラとどこかへ向かう陸斗を、アホは「変なやつ」と呟きながら見送った。
────────────
旧ガンサイ邸には、元奴隷五百名と警備兵五十名がひしめき合っていた。
ポルディアの指示の下、執事ノルディを筆頭に瓦礫撤去が進む。兵は元奴隷をただ対等な人間として扱っていた。
その距離感に、むしろ元奴隷たちが戸惑っている様子があった。
ポルディアとギルは辛うじて残った別館・書斎へと移動した。
「まずは王国軍へガンサイとゴイルを引き渡すことから、ですね」
「ええ。なので二人は地下牢に監禁しています」
「そういえば……この騒ぎに冒険者達が絡んでこないのは何故でしょうか?」
「あぁ、それは──」
その時、一人の兵士が駆け込む。
「失礼します!冒険者の一行がこちらに向かっています!」
「噂をすれば……」
ほどなくして、多くの冒険者を率いたノーマンが、ガンサイ邸跡地の入り口に怒りを滲ませながら現れた。
「ノーマン殿だけここへお連れなさい」
「はっ!」
兵士は部屋を出ていく。
「下で話さないのですか?」
「彼にも知っておいて欲しい話もありますし、多くの人がいる場だとどんな目があるかわかった者ではないですからね」
「確かに」
しばらくすると激しい勢いで扉が開かれる。
「ノーマン殿──」
「ポルディア様!魔物の暴走は結局なかったんですか!?」
「魔物の暴走……?」
ギルが目を細める。
「ガンサイが大規模なスタンピードを起こそうとしていると聞き、我々は全ての依頼を断ったんですよ!それが起こらなかったとは、一体どういうことですか!」
「暴走はありませんでした」
「ふざけないでください!これは一体……」
ポルディアはノーマンを諭すように話す。
「本日ガンサイが提案してきた内容に乗るフリをしてデモンストレーションを行う予定でした。しかしその前にこの状況になってしまいましてね……」
ギルは小さく「あぁ……」と呟き、何かを納得する。
「これまでの経緯は私の方から──」
話の流れを理解したギルが言葉を引き継ぎ、説明する。
経緯を聞いたノーマンは言葉を失う。
「それなら事前に……」
「あなた方がいたら止めに入ったでしょう?」
「ぐ……」
図星に、ノーマンは唇を噛む。
「ガンサイとゴイルは地下牢ですか?」
「はい。王国軍が間もなく到着するはずですが──」
その時、別の兵士が駆け込んだ。
「報告!ゴイル・チルダック並びにガンサイ・ボルバード、脱走しました!」
「何だと!?」
「今すぐ探し出せ!!」
ポルディアの怒号が響き渡り、兵たちが慌ただしく動き出す。
「何かあったのかな……」
皆の声を代弁するようにカスが呟く。
「どうだろ──」
クズは曖昧に返事をして、キョロキョロと視線を泳がしていた。
「どないした?」
「ゴミ──リ…クト、が見当たらないなって」
「あぁ、さっきあそこで女王様と何やえらい真剣な雰囲気で喋り込んどったな」
「え──?」
ズキッ
(何で陛下と──?)
クズは理由もわからぬ不安に駆られる。
その脇でバカは無神経に話したアホの頭を無言で叩いた。
────────────
【時刻】7時00分
【場所】ログリア町 西方 森林地帯
ログリア町を離れ、陸斗がかつてゴブリンと遭遇した森へ。
「こんなところまでお連れして、申し訳ありません」
エクリオンが唐突に頭を下げる。
「な…何を仰ってるんですか!?女王様が俺──わ、私に謝罪なんて!」
必死な様子に、エクリオンは思わず笑みを漏らす。
「畏まらなくてもいいんですよ」
「そ…そんなわけには!」
少し拗ねたような表情を浮かべ、エクリオンは言葉を続けた。
「お連れしたのは、話すべきことがあるからです」
彼女は静かに語り出す。
「私はエルフ族の国から、精霊の導きに従ってここへ来ました。そして街の近くで、強い導きがあなたの元へと私を導いたのです」
「強い導き……?」
「ええ」
そこで、エクリオンの瞳が真剣味を帯びた。
「ところで──精霊には階級があります。まだ自我を持たない精霊、無位から始まり、下位、中位、上位と位が上がっていきます」
彼女は胸に手を当て、緑の光を纏い始めた。
「私は現在、中位の風精霊シーラと契約をしています」
その言葉と同時に、緑の光がエクリオンを包み込む。風が森を裂き、葉擦れの音が渦を巻く。
「──我の声に応え、姿を現せ!〈中位精霊召喚〉シーラ!」
光の中から現れたのは、長い緑髪を靡かせた神秘の少女。薄絹の衣が風に舞い、視線だけで森の魔物を屈服させる圧を放っていた。
陸斗は息を呑む。
「す…すげぇ……」
エクリオンは淡く笑み、彼女に別れを告げる。シーラの姿が風に溶け、森に静寂が戻った。
「……中位でも、この圧倒的な力です。ですが──」
その瞳が鋭くなる。
「あなたを助けるよう訴えてきたのは、少なくとも上位以上の存在でした」
陸斗の鼓動が一拍遅れる。
「じょ…上位以上……って、上位が一番上じゃないんですか?」
「神話では、さらにその上──最上位精霊が確認されています」
その名を口にした瞬間、森の空気が一変した。
エクリオンは深く息をつき、額に汗を浮かべながら地面に片膝をついた。
「……契約していない精霊を呼び出すことは、本来できません。ですが──この方は何らかの理由で姿を現せないだけのようです。応えてさえくだされば……」
陸斗は緊張に喉を鳴らす。
(何をしようとしてるんだ……?)
エクリオンの声が、森の空気を震わせた。
「──この場に在る精霊よ。我が声に応え、その姿を顕したまえ!〈精霊顕現〉!!」
瞬間、森が爆ぜた。
中位精霊の召喚など比にならないほどの圧が、天地を貫く。
木々が悲鳴を上げ、地面が唸る。空気そのものが押し寄せる波のように陸斗を飲み込んだ。
「な…何だこの……っ!」
陸斗は足を踏ん張ることすらできず、ただ周囲の光景を見開いたまま立ち尽くす。
「くっ……押し返され──負けないっ!」
エクリオンの頬を汗が伝う。
必死に魔力を制御し、暴れ狂う精霊の力を抑え込む。
眩い閃光が森を満たし、次いで雷鳴のような轟きが耳を打った。
光が収まると同時に、空気の重さもふっと消え去る。
陸斗は視界を覆っていた腕をそっと下ろす。
そこには、闇よりも深い毛並みを持つ黒猫が、静かに佇んでいた。
『まったく……説明の長い小娘じゃのう』
「のん……?」
名前を呼んだ瞬間、陸斗の頭を激しい痛みが貫いた。
「ぐっ……!」
片手で頭を押さえ、よろめきながらもエクリオンを見やる。
だが、彼女は陸斗の声など耳に入らぬ様子で、顔色を失っていた。
「そ……そんな……まさか……」
エクリオンの唇が震える。
「な…何故ここに──大聖霊様が……!?」
のんは気だるそうに前足で顔を拭い、尻尾をひと振りした。
『やかましい娘じゃ』
エクリオンの瞳には、恐怖と畏敬がないまぜになった色が宿っていた。
最上位精霊以上は存在しない──そう信じていたその常識が、今まさに打ち砕かれたのだった。




