Episode.2 火種
異世界パート
灼けつくような陽射しが、白く濁った空の奥から降り注いでいた。
石畳の地面は昼の熱をまだたっぷりと抱え、足裏から肌の奥までじわじわと熱が這い上がる。
風は乾いていて、空気そのものが焼けているように感じられた。
人々の喧騒と熱気が混じり合い、街を満たしていた。
ゴミは荷物を両腕に抱え、肩をすぼめながら雑踏を縫って進んでいた。
通りには果物を売る商人の叫び声や、どこかで調理されている香辛料のにおい、乾いた笑い声が混ざり合っていた。
だが、その陽気な熱の裏には、異形と呼ばれる存在たち──ゴミと同じ種族の者たちが蹴られ、罵られ、転がっている。
誰もが見て見ぬふりをしているその光景を、彼もまた、見てしまったと気づく前に目を逸らした。
──気をつけていた、はずだった。
視線を逸らしたその刹那、肩が何かにぶつかった。
「おっと……悪い悪い。って言うと思ったか?ハハ、顔が面白ぇな」
「す…すいませ──っ!」
腰に剣を下げた、見るからに冒険者風の男だった。
ゴミが言い終わるより早く、男は振り返って胸ぐらを掴み上げた。
息が詰まり、視界がぐらつく。
力任せの手に衣服が裂け、ゴミは尻もちをついた。
「奴隷風情が、俺にぶつかってんじゃねぇよ!」
怒声と同時に、蹴りが顔面を襲う。
「アガッ──!」
転がった拍子に、荷物が手からこぼれ落ちた。
男はそれを拾い、鼻で笑う。
「謝罪料ってことで、預かっといてやるよ」
ゴミの頬を伝って血が垂れる。
──荷物を届けなければ、ガンサイに殺される。
恐怖のほうが、痛みより早く意識を支配した。
「そ…それだけは……返してください……」
「はァ?てめぇがやらかしたことだろが」
「お…お願いです……!」
「知らねぇよ、勝手に死んどけ」
再び蹴りが飛び、ゴミは横に吹き飛ばされた。
「ゴミが」
男は背を向け、そのまま消えていった。
ゴミは立ち上がれずにいた。
指先が震え、血を拭っても止まらない。
──それでも行かねばならなかった。
体を引きずるようにして、ゴイルの店へ向かう。
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扉を開けると、陽気な声が飛んだ。
「おう、来たな!旦那からの荷物だなァ?キッキキキ!」
細身で猿のような顔をした男──ゴイルが笑みを浮かべている。
「さっさと出せや」
「あの……」
唇を噛み、勇気を振り絞って言う。
奪われました──と。
「……は?」
笑みが凍る。
みるみるうちに顔に血管が浮かび、肩が小刻みに揺れる。
「なに考えてんだゴミがァァ!!」
バキンッ!
拳が顔面を打ち抜いた。
ゴミは倒れ、蹴りが腹に数度めり込む。
「人の商売の邪魔しやがって!どうしてくれるんだ!」
「も……申し訳……ありませ……っ」
「今すぐ、探してこいやァア!!」
怒鳴り声に追い立てられるように、ゴミは店を転がるように出て行った。
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夜の帳がすでに街を包んでいた。
灯火のぬくもりは、どこか他人行儀に揺れていた。
歩き続けているうちに、冒険者が集まる酒場の前を通りかかる。
「──おい、今日、奴隷から荷物奪ったって話、ほんとか?」
聞こえてきた言葉に、ゴミは立ち止まった。
自分の話だ。そう直感した。
「だから言ってんだろ、奪ったんじゃねえ。“教育”してやったのよ」
「お前なぁ……最近は奴隷にも目ぇ光ってんだから気をつけろよ?」
「説教かよ、酒がまずくなるぜ」
「で、その荷物は?」
「黒い水晶みてぇな気味悪いもんだったから、森に捨ててきたわ」
心の奥で、カツンと何かが砕けた音がした。
──行くしかない。
森には魔物が出る。
けれど、行かなければ確実に殺される。
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【場所】ログリア町外 西方 森林地帯
街を西へ抜けると、闇の底から森の入口が姿を現した。
鬱蒼とした枝葉の奥に──誰かが、いや何かがこちらを窺っている気配がする。
それでも足を踏み入れる。
(あ……)
草陰の先に、二匹のゴブリンが休んでいた。
そのうちの一匹は、小さな包みを握りしめている。
(ゴ…ゴブ……ゴブリンッ──!)
目の前のそれは、人間を殺し、犯し、喰らってきた小鬼。
視界に捉えた瞬間、ゴミの血は煮え立つように騒ぎ、波打つ音を感じ、警報じみた鼓動が鳴り響く。
自分がまっすぐ立っているのかさえわからない。膝が震え、喉が渇き、時間だけが空虚に流れていく。
その間に、ゴブリン達は立ち上がり、ゆるゆると歩き出した。
(ウソだろッ──!?)
このままでは巣に戻られる。
もはや、一刻の猶予もない。
ゴミは衝動のまま立ち上がり──
「うおぉぉぉおおッ!!」
咆哮とともに突進した。
一匹に体当たりし、抱えていた荷が地面へ転がり散った。
だが──
「グギャアア!」
もう一匹が棍棒を振り上げた。
ゴスッ!
後頭部に衝撃。
体が宙に浮き、地面に打ち付けられる。
「ハァ……ハァ……」
頭を押さえる。
ヌチャ──生ぬるい感触。血だ。
「グギャオオ!」
ゴブリンが迫る。
恐怖と絶望に押され、ゴミは飛びついた。
「グォオッ!?」
そのまま喉元へ噛みつく。
腐臭が鼻を突くが、歯を食いしばって離さない。
「ギャアアアアア!!」
肉の裂ける感触。
口の中に温かい血が流れ込む。
のたうつゴブリンを、ただ見つめる。
もう一匹は悲鳴をあげ、逃げ去っていった。
「ハッ……ハッ……ハッ……」
ゴミの全身が震えていた。
震える手。
震える瞳。
──だが、確かに、まだ生きている。
その瞬間だった。
ピロリン──
脳の奥で何かが“鳴った”。
まるで、遠くから名を呼ばれたような、不思議な感覚だった。
一瞬だけ、世界が自分を見ていたような──
ほんの僅かに、“祝福”されたような、そんな錯覚。
──気のせいかもしれない。
けれど確かに、自分は今、生きている。
荷物を拾い上げ、血を袖で拭う。
ふらつきながら、森をあとにした。
夜明けの気配が、空を淡く染め始めていた。




