Episode.28 空
「グオオオォオオオ!!!!!!」
咆哮とともに、ガンサイが陸斗へ飛びかかった。
「うぉらァッ!!」
「くっ──!」
振り下ろされた大剣が、大地を裂く。
爆ぜる砂塵が視界を奪い、耳をつんざく衝撃が周囲を震わせた。
陸斗は紙一重で回避──しかし、その勢いのまま迫る膝蹴り。
「ぐっ……!」
両腕で受けた瞬間、骨ごと揺さぶられる衝撃が走り、身体が弾き飛ばされる。
地を滑り、歯を食いしばって立て直すと、吼えるように踏み込んだ。
「おりゃああっ!!」
だが一撃は易々と見切られ、すれ違いざまの拳が腹を抉る。
「ぐ……ふっ!」
膝が沈み、呼吸が潰れる。
容赦なく振り下ろされる大剣──
「死ねぇええぇ!!」
身を捩り、辛うじて回避。刃は地面を深々と割り、石片が弾け飛んだ。
その隙を突こうとするが──
「逃がさね゛ぇッ!!」
青白い魔力が手のひらから奔る。
球状のオーラが陸斗の胴を撃ち抜いた。
「が……っ!!」
背中から叩き伏せられ、肺の奥まで衝撃が響く。
立ち上がるガンサイが、大剣を携え歩み寄る。
陸斗は震える膝で起き上がり、唇を噛み締めた。
(どうすれば……この化け物に……)
冷たい汗が背筋を伝う。
奴隷たちが、その姿を息を呑んで見つめていた。
カスの目に、涙が滲んでいた。
血塗れの手で地を這い、必死に武器を探す。
「こ…このままじゃ、陸斗が……!」
這い寄る姿に気づいたバカが制止に入る。
「む……!!」
「止めないで!!」
叫び返し、武器置き場へ。
やがて一振りの刀を掴み──震える手で掲げた。
「ご…ゴミ……!」
陸斗が振り返る。
そこには、傷だらけのカスが立っていた。
「こ…これを……使って!!」
放られた刀を、陸斗は確かに受け取る。
「ありがとう……!」
鞘を払う音が、砂塵の中で鮮やかに響いた。
静寂が訪れる。
世界が陸斗を中心に回り出すような錯覚。
(──なんだろう……なんか懐かしい感覚だ)
目を閉じる。
静寂の奥、微かな鼓動と誰かの声が届く。
──踏み込む。
「ガァアアア!!」
ガンサイの絶叫。
陸斗が目を開く。
世界が緩やかに歪み、ガンサイの姿が“何か”と重なった。
刹那、後方へ身を引き、刃を掠らせる。
(魔法は……イメージ──)
刀に炎が灯る。
低く踏み込み、一直線に──
「うぉおおおッ!!!」
一閃。
「グァああああッ!!」
炎の斬撃がガンサイの腹を裂き、血飛沫が宙を舞う。
巨体が崩れ落ちた。
「……やった……」
陸斗が膝をつき、奴隷たちは言葉を失った。
現実なのか幻なのか、誰も判じられない。
「ご…ゴミィー!!」
クズが走り寄る。
カスもよろめきながら駆け、アホとバカが後に続く。
「み…みんな……」
──バキィッ!
雷鳴のような衝撃。
倒れたはずのガンサイが、最後の魔力を振り絞って放った。
「ぐ……あッ!!」
直撃。陸斗は吹き飛ぶ。
しかし、まだ意識は残っていた。歯を食いしばり、立ち上がる。
ガンサイもまた、血塗れのまま立ち上がる。
「……まさか、ここまで……手こずるとはな」
「……ああ。こっちの台詞だ」
拳を握る二人。
互いに一歩ずつ、近づく。
「これで、終わりだ……!!」
声が重なり、拳が交差する。
──ズンッ。
地が唸り、空気が震える。
────────────
【時刻】17時30分
どれほど時が経ったのか。
二人は黙々と拳を交わし続けていた。
響くのは、肉が潰れ、骨が軋む音だけ。
打撃音は次第に鈍く、深く沈む。
終焉が形を持ち、世界に染み込んでいくようだった。
「ゴ…ゴミがァアッ!!」
「終わらせる……終わらせてやる……!!」
立つことすら奇跡。
それでも崩れなかった理由が、二人にはあった。
──次で、終わる。
観衆すべてがそう感じた。
「じね゛ぇえええ!!」
「うおりゃあああ!!」
咆哮が交錯。
拳が交わる──
「な…なに──!?」
陸斗の拳が、わずかに先に届いた。
ドゴッ!
巨体が宙を舞い、ガンサイ邸本館の我部を突き抜け支柱にぶつかる。
先ほどまでの戦いですでに見る影もない館に亀裂が走った。
「ク…クソがぁあ!」
思いがけない陸斗の攻撃に致命的なダメージを負いながらも、ガンサイは再び立ちあがろうとした瞬間──
バキバキバキバキ──
自らの背後にある支柱が粉々に折れた。
「な──!?」
ゴゴゴゴッ──
支柱の粉砕を皮切りに、永きに渡り奴隷たちを苦しめてきた彼の城が次々に崩れ始めた。
「こんなところで……グォオオオオオ!!!」
瓦礫が飛び交う。
「危ない!!」
「みんな離れろ!!」
全員本館付近から避難した。
そして本館の崩壊が収まる。
……静寂。
「ど…どうなったの……?」
カスが呟く。
「いやわいにも──」
「ア…アホ!!首が──!!」
アホだけではなく、他の奴隷たちの首に刻まれている奴隷紋が強く光出した。
バキィィンッ!
空気が裂け、世界に響く。
「……え」
「な…なんだ……?」
「……奴隷紋が……!」
首筋を押さえる者たち。
刻まれていた紋様が、霧のように消えていく。
「な…なんで──」
あまりに唐突に訪れた奇跡に理解が追いつかない。
「奴隷だった彼に倒され、奴隷紋を刻んだ本人の支配力がなくなったからだね」
皆の疑問に答える声が響き渡る。
「あんたは──」
アホたちが振り返ると、領主を連れてくるようガンサイに言われこの場を離れたはずの門番がそこにいた。
「つまり、君たちはもう自由だ」
その言葉を彼らはゆっくりと咀嚼した。
夢ではない。
それは、確かな現実。
かつて“奴隷”と呼ばれた者たちの身体から、一斉に──刻印が消えた。
クズが空を仰ぐ。
ついさっきまで淀んでいた空が、まるで洗われたように澄んでいた。
頬を伝う涙が、風に溶けていく。
「……終わったな」
バカの呟きが、風に紛れて広がった。
「……終わった……」
「あ……ああ……」
「お、おぐ……おわ……」
かすれる声が次々に漏れ、
人々は崩れるように膝をついた。
「終わったんだ……」
「……ああ、本当に……」
そして──
「終わったァァァアアア!!!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」
堰を切ったように、感情があふれた。
涙、笑い、叫び──歓喜が奔流となり、広場を包み込む。
長く続いた夜が、ようやく明けたかのようだった。
崩れ去った恐怖の象徴の上で、彼らは抱きしめあった。
──だが突如、元本館から砂埃が舞った。
「ぎざま゛らあああッ!!!」
地鳴りのような怒声。
倒れたはずのガンサイが、血を吐きながら立ち上がっていた。
歓声が凍る。
──紋は消えた。だが“恐怖”という檻は、まだ解かれていない。
群衆の中から、静かに歩み出る影。
クズだった。
ふらつく足取り。
震える肩。
それでも、彼女は止まらなかった。
やがて巨体の前に立ち、双眸で射抜く。
脳裏に、あの夜の蹂躙が甦る。
手が震え、背に冷たい汗が走る。
「なんだぁあ!?」
怒声が浴びせられる。
それでも逸らさず──
──振り抜いた。
パシィンッ!!
乾いた音が世界を裂く。
呆然と睨み返すガンサイの前に、四つの影が立つ。
バカ、アホ、カス、ノミ。
「この……ド底辺どもがァァ!!」
その瞬間──
「……風の精霊よ。我の願いを聞き届けよ。〈手の拘束〉」
風が巻き起こり、緑の光が両腕を縛る。
歩み出るのは、エクリオン。
静かで深く、凍てついた眼差し。
「……せっかくの祝福を、貴様の声で穢すとはな」
空気が凍る。
「その所業……もはや価値すらない」
「こ…こんなもん──!」
「風の精霊よ。彼の術を奪え──〈術忘奪〉」
呻きが漏れる。
「風の精霊よ。彼を地へ縛れ──〈足の拘束〉!」
巨体が地に沈む。
エクリオンは歩み寄り、髪を掴み顔を寄せた。
「勝負は終わった。あとは禊だけだ。
お前の“地下牢”──今度は、お前が味わえ。どれほどの絶望か……知るがいい」
呻きながら引きずられていくガンサイ。
もう、誰も手を伸ばさなかった。
クズは、その背を見送る。
胸に手を当て、深く息を吐く。
涙は、もう拭かなかった。
彼女は、空を見上げた。
色を取り戻した、世界の空を。




