Episode.27 戦闘狂
迸るオーラが空気を震わせ、陸斗の背から立ち昇るそれは、もはや“奴隷”のものではなかった。
荒々しく、鋭く、まるで戦場を焼き尽くす紅蓮の意志そのもの。
その光景に、ガンサイは無意識に喉を鳴らす。
(……バケモンめ。何がどうなってやがる)
たった今まで、這いつくばるだけのゴミだったはずの男。
怯え、虐げられ、言葉すら届かぬ圧倒的下層だったはずの奴隷が──
今や異質な“圧”を纏い、揺るぎない姿勢で立っていた。
“覚醒”などという言葉では到底足りない。
もっと根源的な、変質。
だが──それ以上に、喉の奥を凍らせたのは。
(……こいつ、“名前”を──)
あの瞬間だ。
魔族隷術が弾け飛んだあの一瞬、失われていた何かが、確かに蘇っていた。
本来の名前。魂を刻む“名”が、再び呼吸を始めた。
「チッ……!」
焦燥を噛み殺し、ガンサイは掌を突き出した。
「ゴミがァ……黙って従っとけってんだよ!!!」
咆哮と共に、術式を放つ。
「魔族隷術・刻印!!!」
黒紫の雷光が空間を裂き、呪詛の奔流が陸斗を襲う──
だが。
陸斗は、動かない。
魔力が焼くはずの肌にも、呪紋が刻まれるはずの額にも、何の反応もなかった。
まるで、術そのものが無意味であるかのように。
「なっ……!?」
(くそっ……まだだ……まだ終わっちゃいねえ!!)
焦りを噛み潰しながら、再び──否、三度、四度、五度。
声が枯れようとも、呪文を叩きつける。
「魔族隷術魔族隷術ッ!!……効けよ、クソが!!!」
だが、何も起きなかった。
(やっぱり……)
ついにガンサイは理解する。
(魔族隷術は、“誇り”を折らねぇ限り重ねがけ刻印できねえ……そして、こいつはもう──
“誇り《なまえ》”を、取り戻しやがった)
「……何もできなかったみたいだな」
陸斗の声が、静かに突き刺さる。
「クッ……!このゴミが……調子に乗りやがって──」
「──俺はもう、“ゴミ”じゃねえ」
圧を孕んだ言葉に、一瞬、空気がたわむ。
だが──次の瞬間、ガンサイは不敵に笑う。
「随分と……名前に執着してやがるな?」
「奪われた誇りを、取り返しただけだ」
「いいや、違うな」
ひらりと両手を広げ、あえて無防備な構えを取るガンサイ。
「俺は、奪っちゃいねぇ。言ってただけさ──お前は最初から、“ゴミ”だったとな」
「……ッ!?」
声が低く、ねじれるように這いずる。
「……ノーマンにやられたあとだ。むしゃくしゃしてた俺が見かけたのは、魔獣に食われかけてるガキ」
指を向ける。
「──それが、お前だった」
「……っ」
「気まぐれで助けてやったってのに、言葉は通じねえ、常識はねえ、喚き散らすだけの役立たず」
「な…何を──!」
「何の価値もねえ。まさしく、“ゴミ”だろうがよ!!」
「ふざけるな!!!」
「ふざけてなんかいねぇよ」
声が、変わった。
「現にてめぇは──てめぇのために命を張った仲間を、疑い、見捨て、見殺しにしたじゃねえか」
「──なに、を……」
「あの哀れな女、てめぇの行動のせいで地下牢で死んだよな?」
「ち…違う……違うっ!!俺は──!!」
「だったら──なぜ、お前が“名乗らなかった”!!!」
空が割れるほどの怒号が、陸斗の胸を抉る。
「ゴミじゃねえなら、なぜ身代わりにならなかった!? 」
陸斗は震えた。
口が開く。だが、声が出ない。
「それが答えだ。“自分を守るために、仲間を犠牲にした”──それが、事実だ」
「……違う……っ」
「その上、クズにも頭を下げさせて見殺しにした。なのに、今さら名前だと?誇りだと?笑わせんなよ」
「違う……俺は……っ」
「違うか?」
「俺は──!!」
「ゴミだッッ!!!」
ズン、と地を這うような声が陸斗を貫く。
その場に膝を突き、嗚咽すらできぬまま、ただ拳を地に打ちつけた。
ガンサイは静かに、決定を下すかのように呟いた。
「名を持つには、“人間”である必要がある。お前には、名なんざ──いらねぇ」
詠唱が始まる。
「さあ……今度こそ殺してやる。魔族隷──」
「──それは違うッ!!」
天を突くような怒号が、咆哮を掻き消した。
「彼は……“ゴミ”などではない!!」
割って入ったのはエクリオンだった。
「貴様に誇りを奪われはしたが、自らの意思で奴隷紋を破り、魔族の呪いとも言われる魔族隷術までも解いた!」
「その結果仲間を見殺しにしてちゃ、世話ねえなあ!」
「貴様がいうな!!彼女を刺したのは貴様だ!!彼は何も悪くない!」
「ッ──!!」
陸斗は、静かにエクリオンの声に耳を傾ける。
しかし。
「それでも……俺のせいでクズは──」
「違うわ。あなたのせいじゃない」
エクリオンが、そっと目を向ける。
「それに彼女は──」
その視線の先。
「っ……クズ……?」
エクリオンに支えられながら、クズの指が、僅かに動いた。
「え……?」
「生きてるわ」
「な……ッ!!」
動揺を露わにするガンサイを、エクリオンが睨みつける。
「思い通りにはさせない」
「ぬぅ……!!」
エクリオンはゆっくりと陸斗へ振り返った。
「あなたが立ち向かってくれたおかげで、彼女は生きてる」
「俺が……」
「あなたは弱くなんかない」
その言葉が、陸斗の胸に、確かに染み込んだ。
「もう惑わされない!!」
陸斗の目に、再び“炎”が宿った。
──そして。
ガンサイの肩が、震えた。
「ク……フハハ……ハハハ……」
笑い声が、膨れ上がる。
「ガハハハハハハハハ!!!!」
「何がおかしい!!」
「いやあ、笑いが止まらん。本当に──やらざるを得ねぇか」
両腕を広げ、深く構えを取る。
「──力の根源たる精霊よ。我が肉体を強化せよ!
身体強化!!!」
「な──!?」
瞬間、ガンサイの体躯が膨れ上がる。
魔力のうねりが爆風のように周囲を吹き飛ばす。
「ぐぅっ!!」
陸斗が動く間もなく──
「喰らいやがれぇえッ!!!」
ゴズッ!!
「ぐあッ!!」
陸斗の身体が吹き飛び、木に叩きつけられる。
衝撃が全身を駆け巡り──
「がっ、ハッ……!!」
へし折れた木の破片が、血と共に地に散った。
目の前に広がる惨状に、ついに町民たちの理性が限界を迎えた。
「もうダメだ!」
「化け物だ……逃げろォ!!」
叫びと共に、我先にと駆け出す人々。
「くっ……くそ……っ!!」
崩れそうになる膝を叩き、陸斗は歯を食いしばる。
「ノーマンの野郎には……やられたがな」
ガンサイが口角を吊り上げる。
「ゴミ一匹をぶち殺すだけなら、今の俺で……十分だ!!」
「このやろうッ!!」
怒声と共に拳を振り上げ、陸斗は飛びかかる。
──が、それはあまりに素直すぎた。
「甘ぇよ」
ひょい、とガンサイは身体を逸らし、
逆に拳をめり込ませる。
「くっ……!」
「──消えろやァ!!!」
ドグォッ!!
鋼のような拳が陸斗の腹を撃ち抜く。
立て続けに繰り出される暴力。殴打。連打。獣のような怒号。
「おらおらおらおらッ!!まだだッ!まだ終わらせねぇッ!!」
「ぐぅ……おりゃあッ!!」
呻きながらも、陸斗がようやく一撃──
その拳を弾き返す。
「はぁ……っはぁ……っぐ……っ」
身体はすでに満身創痍。
視界は滲み、立っていることすら奇跡のようだった。
だが──
「……なぜだ?」
「……は?」
「なぜ、てめぇはそこまでして立ち上がる?誰のために、命張ってやがる」
「決まってるだろ……」
──血の混じる息を吐きながら。
「……仲間の、ためだ!!」
「仲間だァ?」
ガンサイの顔が歪む。
「見ろよ!てめぇの“仲間”とやらはどうした!!」
指差された先。
逃げ惑い、踏み合い、我先にと広場を後にする人々の姿。
足元で泣く子どもの肩を押しのけて、駆け出す男。
老婆を突き飛ばして逃げる女。
──誰もが、誰かよりも自分の命を優先していた。
「ほれみろ。結局は全員、自分が可愛いだけだ。
仲間だ?絆だ?そんなモン──幻想なんだよォ!」
勝ち誇ったように吠えるガンサイが、背後に目を向け──
「もうここに、奴隷どもは──」
言葉が止まった。
奴隷たちは──そこに“いた”。
誰一人逃げていなかった。
恐怖に膝を折る者も、目を逸らす者もいない。
ただ黙って、立ち尽くし、彼らは見ていた。
この闘いの結末を、誰よりも強い目で。
「なっ……!?」
「……へへ」
震えたような声に、ガンサイは目を細める。
「何が……可笑しい」
「いや、あんたさ……」
静かに、陸斗が笑った。
「──もう、彼らは“貴様”を恐れてなんかいないってことだよ」
代わって言葉を継いだのは、エクリオンだった。
「恐怖ではもう、彼らを縛れない」
「黙れェ!!このゴミどもが!!だったら全員……地下に叩き落としてやる!!!」
掌を広げ、再び放たれる黒紫の術。
「魔族隷術・大業!!!!」
バチンッ!!!!!
空気が震えるほどの魔力が奔る。
「ぐあああああッ!!!」
「ぎっ……!があああああ!!」
「……ぅ、ぐっ……!」
奴隷たちの身体を、衝撃が襲う。
気を失いそうなほどの痛みが全身を駆け巡る──
それでも、何人かは。
よろめきながらも、足を前に踏み出した。
「ゴミ!!」
陸斗が顔を上げる。
声をかけてきたのは──アホだった。
「わ…わいらのことは気にすんなぁ!!」
その隣に立つのは、カスを庇うように腕を伸ばしたバカ。
二人とも力強く陸斗を見つめ頷く。
「このくそ野郎は、弱者にしか牙を剥けない……ただの臆病者!……ひかりの仇はあなたに任せる」
ノミの言葉にガンサイの顔から、笑みがすぅっと消える。
「み…みんな……」
その言葉に、陸斗の胸が軋む。
「……そうよ」
さらに、柔らかな声が重なった。
「っ……!クズッ!!」
エクリオンに抱かれたクズが、ゆっくりと目を開いていた。
「お願い……」
震える声が、静かに空気を揺らした。
「この……“現実”を終わらせて……!!」
「──おうッ!!」
力強く、陸斗は拳を握りしめた。
だが、次の瞬間。
「……余程、死にてぇようだな」
ガンサイは、ふらりと背を向けた。
向かった先は、積まれた荷物の山。
そして、その中から。
「もういい。やめだ……全員──“処分”してやる」
引き抜かれたのは、異形の大剣だった。
刃から滴る魔力が、大地をひび割れさせる。
その刹那、空気が一変する。
ゆっくりと、大剣を構える。
眼が据わる。
唇がゆっくりと動き、呪文を紡ぐ。
「──すべてを、叩き潰せ……」
足元から、奔流のような魔力が噴き上がる。
「戦闘狂!!」
ドォンッ!!!
瞬間、地面が裂けた。
爆風が巻き起こり、熱を帯びた砂塵が舞い上がる。
「……赤い……!?」
肌が、肉が、筋が。
見る間に赤く変色し、血管が浮かび、筋肉が膨れ上がっていく。
理性など微塵も感じさせぬ、狂気そのものの変貌。
「まずい──!!」
エクリオンの叫びと同時に、轟音。
ドゴォォォォンッ!!!
音が先か、衝撃が先か。
広場の一角が抉られ、粉塵が巻き起こる。
「ひっ……!?」
「な…なにが……!?」
砂埃が晴れたとき。
吹き飛ばされた町民が、血を流し倒れていた。
「「「きゃあああああッ!!!」」」
悲鳴が木霊し、あたり一面が阿鼻叫喚と化す。
子どもが泣き叫び、女が蹲り、男たちですら叫びながら逃げ出した。
「全員、よく聞いて!」
エクリオンの声が響く。
「今の奴は、見境がない!!とにかく逃げなさい!!一刻も早くッ!!」
そう叫びながら、彼女自身も腰の剣に手をかけた──
だが、そこへ一つの手が伸びる。
「──待ってくれ」
陸斗だった。
「こいつだけは……誰にも譲れねえ」
その瞳に宿る炎を見て、エクリオンはわずかに目を見開く。
「……分かりました」
ほんのわずかの逡巡ののち、エクリオンは手を翳す。
「──風の精霊よ。彼の者に加護を。
能力上昇!!」
淡い緑の光が陸斗の全身を包み込む。
身体が軽くなる。力が湧く。筋肉の芯から震えが伝わる。
「──絶対、負けねえ!!」
それは無謀。
常識で測れば、狂気の決断だった。
だが、なぜか。
エクリオンの中で──彼を信じたいという想いが湧き上がっていた。
──そして。
狂人と化したガンサイが、顔を上げる。
眼は虚ろに爛々と輝き、唸り声はもはや人のものではなかった。
「グオオオォオオオ!!!!!!」
──獣のような雄叫びが、決戦の幕を裂いた。




