Episode.25 失敗
現世パート
「──くん!陸斗くん!」
背中を追いかけるように、呼び声が響く。
だが陸斗は気づかず、ただ前へ。足音がアスファルトを叩く。
息を切らしながら、綾乃は足を止め、大きく肺に空気を吸い込む。
「陸斗くん!!!」
「は…はいっ!?」
雷鳴のような声に振り返った瞬間、陸斗の肩が小さく跳ねた。
綾乃は膝に手をつき、呼吸を整える。
その姿に、陸斗は気まずさを覚え、歩み寄る。
「あ……綾乃先輩──」
「気持ちは、わかるよ!」
「──え?」
「大事なそらちゃんがいなくなって、海斗くんの安否もわからない。ひろくんは重傷で、ゆのちゃんも……混乱して当然だよ」
「はい……」
「だからこそ、落ち着こう?」
「……申し訳ないです」
項垂れる陸斗の頭に、綾乃の手がそっと置かれる。指先が髪を撫で、わずかな温もりが伝わる。
「落ち込まないで」
その笑顔に、胸の奥が不意に波立つ。
(これだから──)
「冷静になれたなら、聞いてほしい」
「もちろんです!」
「私がここに来るとき、電車は止まってた。この地震じゃ、きっと今も──」
綾乃は視線を遠くにやった。
「だから一旦、陸斗くんの家に行こう」
「え、どういう──」
「自転車で街に向かうの」
短く、迷いのない言葉。陸斗はその提案に頷き、進路を変えた。
家の前に着くと、周囲は異様なまでに静まり返っていた。
その静けさは、不気味な膜のように肌を覆う。
(兄貴……)
立ち止まり家を見つめる陸斗に、綾乃が声をかける。
「陸斗くん……心配だと思うけど、今は──」
「……先に向かいましょう」
二人は自転車に跨り、再び街へ。
途中、地震の爪痕と人々の混乱が視界を埋めた。倒れた看板、軋む車列、泣き叫ぶ子ども。
二人は群衆の隙間を縫い、急ぎ足で警察署へと向かった。
警察署の前に自転車を止め、陸斗は駆け込んだ。
「すみません!!後藤さん、いらっしゃいますか!?」
署内は、地震の余波でまるでバケツをひっくり返したような騒ぎだ。
「後藤さん!!」
「はいはいはいはい!さっきから何!?忙しいの見てわからないかな!?」
奥から現れたのは、乱れた制服姿の男。目は血走り、書類を抱えたまま足を止めた。
「──矢崎さんから、あなたを頼るよう言われてきました」
その名を聞いた瞬間、男の動きが止まる。
「……なぜ矢崎さ──矢崎の名前を?」
「さっきまで一緒にいました!」
「確かに今は連絡がつかないが……君たちは一体──」
「説明してる時間がないんです!!手伝ってくれますか!?」
後藤は短く逡巡し、やがて吐き出すように答えた。
「……わかった」
「いいんですか!?」
「矢崎さんが絡んでるなら仕方ない。それで何をすれば?」
「今すぐ人を探してください!!」
「分かった!」
そらの特徴を矢継ぎ早に伝え、陸斗は再び外へ。
外はさらに混乱を増していた。交通は途絶え、人の波は方向を失い、怒声と泣き声が入り混じる。
「こ…これは……」
圧倒される陸斗。その横で、綾乃の視線が一点に吸い寄せられた。
「陸斗くん!!あそこ!!」
「え!?」
群衆の隙間、その奥に女子中学生の姿。
陸斗は反射的に駆け出す。
「すみません、通ります!どいてください!!」
肩をぶつけ、群れをかき分ける。だが少女もまた、何かを目指して走っている。
「待って──!待ってって!!」
声が届く。
「ゆのちゃん!!!」
少女が振り返る。その顔は驚きと安堵に揺れていた。
「陸斗先輩!!よかった……気がついたんですね!」
「見つかって……よかった……」
綾乃も追いつく。
「俺が気を失ってる間に、何があったの?」
「はい……先輩があの水晶に触れた瞬間、そらのチョーカーが……すごい光を放ったんです」
綾乃が首を振り、同意する。
「それは私も見た。その直後、急にお腹が痛くなって動けなくなって──」
「そうなんです!!私もお腹が……それで痛みが引いたら、そらがいなくなってて……急いでこっちまで……」
「そうか……今はどこを探してた?」
「よくそらと遊ぶ場所を回ってました。でも──」
綾乃の問いに、ゆのは静かに頷く。
陸斗の脳裏に、彰人の言葉がよみがえる。
── 視点を少し変えるだけで、手が見えてくることがある ──
彼は決意した。
「ゆのちゃん」
「はい」
「俺が乗ってきた自転車で、ひろのところに戻ってほしい」
「え、でも──」
「ゆのちゃんの心当たりがあるところを探してもそらはいなかった。そうだよね?」
「……はい」
申し訳なさそうにするゆの。
「なら、そらの捜索にこれ以上人を割いても仕方がない」
「陸斗先輩……」
言葉を探す間もなく、ゆのの瞳に影が差す。
それは、諦めに聞こえる一言だった。
「警察も捜索に加わってくれている。だから……ゆのちゃんには別のお願いがある」
「……なんですか?」
「今、ひろのところに救急車が向かってる。その誘導をしてほしい。矢崎さんもいるが、怪我をしてるし……袴田もいる。助けてほしい」
陸斗は頭を下げた。その必死さに、ゆのの迷いが吹き飛ぶ。
「そらは……先輩に任せます!」
「ありがとう」
「じゃあ私はひろ先輩のところへ!」
「ああ、頼んだ」
ゆのは警察署へ走っていく。
「綾乃先輩──学校へ行きましょう」
「学校?」
「家にも街にもいない。残る可能性が高いのは……学校です」
「確かに……」
綾乃はその冷静な判断に、わずかに息を呑む。
「……陸斗くん、今すごくかっこいいよ」
「や…やめてください!」
残った一台の自転車に二人乗りし、ペダルを踏み込む。
街から学校まで、およそ四キロ。
平静を装っているが、陸斗の胸を焦燥が焼く。
── 約束の刻限は、とうに過ぎた。代償を払うがいい ──
(夢の時は……二度目の地震から隕石まで、一瞬だったのに)
時計を見れば、二度目の地震からすでに四十分。
それでも、空から落ちてくる気配はない。
恐怖は、見えない針のように皮膚を刺し続けた。
(……あの水晶に触れたことで、結果が変わったのかもしれない)
淡い希望を抱きながらも、足は止まらない。
────────────
学校へ到着すると、校庭は緊急避難した人々で溢れていた。
呻き声、ざわめき、焦燥の熱気。人の密度で空気が重い。
「……陸斗くん、どうする?」
「先輩はここにいてください」
綾乃を校庭に残し、陸斗は一人、校舎へ駆け込む。
綾乃は彼の背を見送りながら、唇を噛んだ。
(告白……タイミングなくてまだお断りできてないな……でも、もしかしてまだ伝えてないのって私……実は陸斗くんのこと──)
その思考を裂くように、耳を突き破る音が響く。
キィィィィィン──!!
「な…何!?」
校庭の人々が一斉に顔を上げる。
『──五十嵐陸斗と申します』
「陸斗くん!?」
『地震もあり、不安な中申し訳ありません。訳あって……私の妹、五十嵐そらを探しています。この中で──』
言葉が急に途切れる。
放送室からは、揉み合うような音。
『この中で一時間以内に彼女を見た方!いらっしゃいましたら校庭に向けて手を振ってください!!お願いします!!!』
ガガッ……ザッ……
放送が切れた。
一瞬の静寂を裂くように、ざわめきが再び広がる。
綾乃はすぐに役割を理解し、手を振る人々を探して走った。
だが集まった証言は、午前中や曖昧な時間のものばかりで、有力な情報は一つもなかった。
「そうですか……」
「どうする?」
「一度、裏山に戻りましょう。もしかしたら……戻っているかもしれない」
「ゆのちゃんに連絡──」
「さっき試そうとしたんですけど……」
「この状態じゃ通じない、か……裏山までどれくらい?」
「最短でも三十分は──」
短い沈黙が落ちた。
そのとき──
「お母さん見て!あれ……綺麗!」
無垢な声が空を切った刹那──
世界が、白に染まった。
閃光。
時間が止まったかのような一瞬。
それを見た誰もが、永遠にも等しい長さに感じた。
隕石は、放物線を描き……裏山へと消える。
「……え?」
ドガアアアアアァァァン!!!
数秒遅れて轟音。
大地が揺れ、風が唸り、空気が裂ける。
校舎の窓が粉砕され、破片が空を舞った。
赤い飛沫が咲き、悲鳴が連鎖する。
人々はまだ、何が起こったのか理解できていなかった。
ただ、その場の二人を除いて──
陸斗と綾乃は、反射的に自転車へ飛び乗った。
思考を置き去りに、裏山へ向かってペダルを踏み抜く。
逃げる者たちと逆流するように。
だが──
次の隕石が、街を殴りつけた。
ドオオオオォォン──!!
爆風が二人を薙ぎ倒し、頭が地面に叩きつけられる。
視界が白く弾け、血が額を伝う。
(そら……いなくて……ひろと、ゆのちゃんは……どこだっけ──)
耳鳴りの中、陸斗は地面に手をつき、膝を押し上げる。
呼吸を整え、一歩、また一歩と進む。
やがて戻る聴覚が拾ったのは、群衆の叫び声だった。
恐怖を理解した人々が、街を蹴り散らして逃げ惑っている。
火球が空を舞い、人々は恐る恐る上を見上げた。
──空が、真紅に染まっていた。
まるで世界そのものが燃え尽きるかのように。
誰かが呟いた。
「もう・・・だめかもしれない」
それは希望の喪失だった。
その場にいた全員が、人生を諦めるほどの絶望を感じた。
人々はもはや神に祈ることしかできなかった。
言葉が失われ、静寂が街を包んだ。
この現象は、日本国内にとどまらず、世界各国で同時に観測されたという。
それでも陸斗だけは、足を止めなかった。
周囲で車が吹き飛び、火のついた看板が落ち、人の腕が転がる。
瓦礫に押し潰された叫びがあちこちで上がる。
あらゆる悲鳴が空気を震わせる中で。
何度倒れようとも傷で血だらけになった身体で、彼は駆けていた。
「陸斗くんッ──!待って──陸斗くん────」
その背には、何もなかった。
希望も、光も、誰の声も届かない。
そして──裏山へと戻ってきた。
だがそこは、もう別の世界だった。
麓には動かない救急車が止まり、木々は薙ぎ倒され、山肌がえぐれ、黒煙が立ち上り、地面は焼け焦げている。
まるで、空そのものが怒りに満ちて地上を罰しているかのようだった。
「そら……!!そらぁーーーーーッ!!!」
肺が裂けそうになるほど叫んだ。
「ひろーーーッ!!ゆのちゃーーーんッ!!!」
喉が潰れても叫び続けた。
「頼むから誰か返事してくれえええ!!!!」
血が逆流しそうなほど、必死に名前を呼び続けた。
だが。
視線を落とした先に──それは、あった。
「……これ……そらの……」
手に取ったのは、世界に一つしかないチョーカー。
父・彰人がそらのためだけに作ったものだった。
(うそだろ……なんでここに……?)
「おいそら!サプライズなら、もうやめろよ!」
そらのものではないと自分に言い聞かせた。
「卒業したら、旅行行くんだろ……?」
涙が溢れる。
心が、叫んでいた。
「返事……してくれよ──」
頭では認めていた。
これが、確かにそらのチョーカーだということを。
「そらぁ──」
──どうして、離れてしまった?
「ぁぁアアアア──」
──どうして、守れなかった?
「アアグゥヴヴヴ──」
──何が、いけなかった?
「ウガアアアアアアアアア!!!」
──オレが……無力だったからか?
──プツン──
理性が崩壊し、心が砕けた。
髪は黒く染まり、熱のせいか肌は鱗のような模様が浮かび上がっている。
陸斗は、陸斗でいられなくなっていた。
地面に頭を打ちつけ、拳で顔を殴り、髪を毟り──
天を仰いで、ただ、咆哮した。
ズォォオオ──
その目の前に、直径100メートル級の隕石が、ゆっくりと……しかし確実に、落ちてきた。
「ウオオオオオオオオオオオ!!!!」
ドゴオオオオォォォン──
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ピー……
《異世界への転移、身体の再構築……完了しました》
電子音が脳に直接響いた直後、陸斗の意識がゆっくりと浮上し始めた。
(──ん?)
霧の中から思考が立ち上がる。
眩い光が瞼越しに差し込み、彼はおそるおそる目を開けた。
「俺、生きて──?」
ガバッと身を起こした瞬間、視界に広がったのは見知らぬ森の風景だった。
「な…なんだここ……?」
確かに最後の記憶は、裏山での爆発だった。
だが、ここはあの場所ではない。明らかに異なる。
(あんな爆発を喰らって、生きてるわけが──)
疑念を抱きながら、自身の身体に意識を向ける。
静まり返る胸元。
心臓の鼓動が感じられない。
(まさか……死んだのか?)
しかし、手足は動く。意識も明瞭。目に違和感はあるが、爆発の後遺症だと考えた。
それよりも、今は──
(腹が減ってる。喉も渇いた──)
空腹と渇きが、生の実感を強く訴えてくる。
(じゃあ、生きてる……のか)
納得しきれぬまま、ふらつきながら立ち上がる。水を探し、足を引きずるように歩き出した。
だが、目に飛び込んできたのは、文明の気配など一切ない、原始の森だった。
(裏山じゃない……?)
状況が飲み込めぬまま、陸斗は無意識に走り出した。
帰りたい。日常に帰りたい。ただそれだけを胸に、森を駆け抜ける。
そして──
ようやく小川のせせらぎを耳にし、足を止める。
水面を覗き込んだ瞬間、彼の全身に戦慄が走った。
「これ……あの時の──」
映った顔は、確かに自分だった。
だが、角が額から突き出し、牙が口元に覗き、耳は長く尖っている。
人間の面影は、ほとんどなかった。
爪は鋭く伸び、肌はざらつき、まるで岩肌のように硬質化している。
「う…うわあっ!!なんだよこれっ!!」
理性が混乱を抑えきれない。
そのとき、ふと心に浮かんだ名前。
(──そら。そらは……!?)
「そら……そらあああっ!!」
咄嗟に叫ぶ。
だが、返ってくる声はない。
思い出すのは、隕石が着弾する前、彼とともにいた小さな妹の姿。
(──あの隕石に……)
罪悪感、怒り、絶望が一気に押し寄せる。
「誰かいるんだろ……?頼むよぉ……」
わかってたのに誰も救えなかった。
「頼むからよお!」
知っていたのに何も変えられなかった
「誰か出て来てくれよ!!」
彼は──失敗した。
叫びは空へと吸い込まれるだけだった。
誰も応えてはくれなかった。
今感じることは、知らない世界で孤立したという恐怖だけ。
その時だった。
背筋に“殺気”が走る。
反射的に横へ跳び、受け身を取る。
地面に転がりながら振り返ると、そこには──
体高二メートルはあろうかという巨大な獣がいた。
毛むくじゃらの白い巨体。
まるでナマケモノと白熊を掛け合わせたような異形。
その名が、視界の端に機械的な文字で浮かび上がった。
〈暴走白熊〉
長い体毛、異様に伸びた手足、しなる尻尾。
バキィッ!!
その巨体が、目の前で木を握り潰した。
「──ちょうどいい」
陸斗の瞳が、殺意に染まる。
抑えきれぬ怒りと憎しみを、ぶつける標的が目の前にあった。
「ぶっ殺してやる……このクソ野郎がぁああああっ!!!」
怒声と共に拳を振り上げ、跳びかかる──
だが。
ドガッ!!
返ってきたのは、白熊の鋼鉄のような腕による反撃。
地に叩きつけられ、肺から空気が抜けた。
「がっ──」
血を吐き、立ち上がる。歯を食いしばり、拳を振るう。
だが、何度殴っても手応えはない。
まるで岩を相手にしているかのように、傷一つつかない。
「ふざけんなあああ!!」
白熊が咆哮した。
「グオオオオオッ!!!」
バゴォォン!!
「ガハッ──!!」
吹き飛ばされ、地面に転がる。
立ち上がることすら難しい。意識が遠のく中──
白熊が、陸斗にとどめを刺すべく腕を振り上げた。
(……これまでか)
目を閉じた、その瞬間。
ズパアアアン──
空を裂くような斬撃音。
陸斗は目を開けた。
そこには──
真っ二つになって崩れ落ちる白熊の残骸。
「何が……起きた──」
その答えは、血煙の向こうから現れた。
大剣を背負い、タンクトップ姿の筋骨隆々とした男。
異国風の顔立ち。鋭い視線。どこか人間離れした威圧感。
「あ…ありがとう……ございます……」
陸斗がそう口にしたが、男の言葉は理解できなかった。
ただ、無言でジェスチャーを送る。ついて来い、と。
陸斗は頷き、黙ってその背を追った。
やがて森を抜け、石畳の道が現れた。
そこに広がっていたのは──
中世ヨーロッパのような街並みだった。
石造りの家々、露店、鎧姿の人々。
活気と異質さが混在する、幻想的で非現実的な世界。
(まさか……転生?並列世界──本当にあったのか)
文明の違いが明らかだった。
中心には威風堂々とそびえる五階建ての建物。
その前で、先ほどの男が再び肩を叩いてきた。
『~~~~~~!!』
意味は分からない。
だが、怒っていることは伝わる。
「す…すみません……」
街を歩くうち、陸斗はある“違和感”に気づき始める。
一つ。異様なほど視線を感じる。冷たい、突き刺すような視線。
二つ。人々が“違う存在”を虐げている光景。
角や羽の生えた子供が、上級者らしき者に蹴られ、叱責されても、誰一人として止めに入らない。
(──嫌な予感がする)
だが、それでも彼の心には──小さな希望が残っていた。
(俺が生きてる。だったら──)
その一縷の望みにすがるように、街を進みながら考える。
だが──
彼がようやくたどり着いた真実は、残酷だった。
ここは、異世界。
自分は、バケモノの姿。
そしてこの世界では──
人型のバケモノは、奴隷として扱われる存在だった。
陸斗はこの異世界で──
バケモノとして。
そして、奴隷として。
新たな人生の幕を開けた。




