Episode.22 支配
異世界パート
【場所】ログリア町 ガンサイ邸前
「情けねえな」
ガンサイは倒れたゴイルを冷たく見下ろし、小さく鼻を鳴らした。
エクリオンの正体はいまだ疑わしい。
だが──この男の末路には、もはや失笑すら覚える。
「女王だなどと……笑わせる」
その呟きに、町人たちの肩がぴくりと跳ねた。
本来ならゴミを解放し、その場を収めるのが賢明だった。
だがガンサイは、傲慢で、何よりプライドが高い。
女王かどうかも怪しい者に、自らが退くという選択肢は──端から存在しなかった。
それに彼は、すでに“確信”していた。
あれは本物などではない、と。
ゆっくりと歩み寄ったガンサイは、芝居がかった仕草でエクリオンに一礼する。
「……これはこれは。エクリオン陛下であらせられるとは──光栄の極み」
皮肉を滲ませた笑み。だが、その裏に潜むのはあからさまな挑発だった。
「王都でもない辺境の地に、たったお一人で降臨なさるとは。
民も驚いておりましょう。
お付きもなく、証もなく──ただ“女王”と名乗るだけとは……
これでは我々に女王陛下を疑えと言っているようなものでございますなぁ」
ざわめきが広がる。
確かに──王族が、証も従者もなく現れるなど、常識では考えられない。
「おや……何もお答えになられないのですか?」
にこやかな声。だが、言葉の刃は鋭い。
「それとも、“答えられない”の間違いでしょうか」
「──控えろ」
空気が凍りついた。
たった一言で、ガンサイの煽りが終わった。
冷酷。だが、圧倒的な“威”がそこにあった。
ガンサイは一瞬、身体を強張らせる。
しかし、すぐに笑顔を作り直し──
「控えろ、と。仮にあなたがエルフ族の女王であったとしても、私が属しているのはこの国だ。あなたの命令に従う義理はない。そのうえ、他国の地でこのような狼藉……国際問題に発展する恐れすらありますが、そのご覚悟はおありでいらっしゃいますか?」
「随分と強気な態度だな」
「ええ。貴方様がご本人でいらっしゃるのなら、喜んで首を差し上げましょう。しかし──ご本人でない場合……お分かりですね?」
エクリオンは答えない。
「エルフ族の女王様を見誤るなどという無礼を働くわけにはまいりません。どうか、ご理解を──」
「かまわん。調べたければ調べろ」
「……ありがとうございます」
ガンサイは、小さく汗を滲ませた。
絶対的な自信があった。
自らの首をエサに、相手の正体を暴くつもりだった。
だが──
(この落ち着き……どういうことだ?)
魔法による真偽判定は可能。
だが、その直感が告げていた。このまま踏み込めば、危険だと。
「……そういえば先ほどの話ですが、もしゴイルの言っていたことが事実であれば、ご本人がここにいらっしゃるのは物理的に不可能だと思うのですが──どこまでが事実なのでしょうか?」
「答える義理はない。だが、私がここにいるという事実が、その噂に対する何よりの証拠となる……さっさと調べろ」
──揺さぶりは通じない。
(まさか……本物?)
「……そんなはずはないとは思うが、真偽を確かめる術もなく我を疑ったわけではあるまいな?」
その問いに、ごくりと唾を飲む。
「そ…そうではありませんが──」
「よほど命がいらないようだな」
エクリオンが、一歩前に出た。
たった一歩。それだけで、空気が歪む。
世界が、押し返されたような錯覚。
ガンサイの足が、無意識に半歩、後退していた。
エクリオンの眼差しが、静かに──射抜くように彼を見据える。
「──道化め」
あざ笑うように、だが揺るがぬ威光を纏って。
ガンサイの額に、じっとりと汗が浮かぶ。
追い詰められた彼の視線が、エクリオンの傍らに立つ奴隷たちへ向く。
(ヤツは偽物だ。捕えて拷問でもかけりゃ化けの皮も剥がれる。仮に本物でも……殺った後で魔法で姿を偽ればいい)
冷静さを取り戻したことで、次の手が見えた。
そして──彼は動く。
「……では、奴隷たちに聞いてみましょうか」
一拍置き、冷ややかに命じる。
「おいお前たち。あの女王と名乗る不届き者を、ひっ捕らえろ」
張り詰めた空気が、場を支配する。
しかし──誰も動かない。
「……命令が、聞こえなかったのか?」
沈黙。
町民ですらたじろぐ空気のなか、奴隷たちは女王の足元に膝をつき、顔を伏せる。
誰一人、動かない。
その光景は、この世界の常識を覆していた。
「……なるほど」
その声が、氷のように冷たくなる。
「奴隷が、持ち主の命令に背くとは……ならば、“思い出させて"やろう」
ガンサイが手を上げたその瞬間──
奴隷たちの首に、禍々しい紋が浮かび上がった。
「「「うわああぁ!!」」」
──奴隷紋。
魔族に刻まれた魔族隷術とは異なる、魂を縛る呪いの印。
それは枷であり、意志を圧し潰す“絶対服従”の呪縛だった。
「……ああ、それでいい」
「な──っ!?」
エクリオンの表情を見て、ガンサイは歪んだ笑みを浮かべた。
「初めて見たようだな」
「……何をした!?」
「何……出力を上げただけだ」
「出力……?」
「奴隷紋は、対象に“最も恐れた記憶”を繰り返し見せる。思考を奪い、従順だけを刷り込む。……恐怖をより強く感じるように魔法の威力を強めた。それだけのことだ」
あまりにも非道な仕組みに、エクリオンは言葉を失った。
「そして──これが“結果”だ」
奴隷たちは蒼白に染まり、呻き、震えた。
ある者は震える手を押さえつけるように歯を食いしばり、またある者は酸素を求めて苦しげに喘いでいる。
「こんな……やめなさい!」
「貴様ら!!やめてほしければ──女王を取り押さえろ!!」
その命令に反応し、数人の奴隷が、よろよろと立ち上がる。
恐怖に引き裂かれるようにして、彼らは女王の手へと手を伸ばした。
「す…すみません……っ」
「私たちも……やりたくない……けど!」
屈服の影が女王を覆いかけたそのとき──
「止まれ……!ダメだ……!」
一班と二班の仲間たちが、彼らを押しとどめようとする。
「お願い……やめてよ……これ以上、誰かを傷つけないで……!」
クズは、震えながらも必死に声を張り上げる。
だが──
ゴミとカスは、動けなかった。
立ち上がることすらできず、ただ地に崩れ伏していた。
「ゴミィー!!お願い……立ってよお!!」
「カス!!お前も何してんねん!!!」
クズの叫びが空に吸い込まれる。
だがゴミは、過呼吸になりながらも、目を閉じて記憶の奥へ沈んでいく。
──ひかりとの日々。
いつも笑って、いつも褒めてくれた。
"こんな自分"を好きでいてくれた。
鼻から荒く息を吐きながら、ゴミは涙をこぼす。
「……本当に……ごめんなさい……」
そう呟いた彼は、震える手で──エクリオンへと、そっと手を伸ばした。
その動きを見たノミが、堪えきれず叫ぶ。
「こんなこと、ひかりは望んでないだろ!!」
──だが、奴隷紋の支配は止まらない。
それでも、ゴミの手は、そこで止まっていた。
「無駄だ……貴様らは所詮、奴隷。勘違いするんじゃあねえ!!」
ガンサイが怒声を響かせた、次の瞬間──
バキッ!!
全身に響くほどの鈍い音。
視線が一斉に向けられる。
音の主は──ゴミだった。
自らの頬を、強く殴ったのだ。
「……全員……やめろォッ!!」
ゴミの怒声が、空気を裂いた。
そしてエクリオンの前に立ちはだかる。
ゴミの行動にその場にいた全てが、凍りつく。
首には光る奴隷紋。
それでも、彼の足は、微動だにしなかった。
「……何をしている、ゴミが」
ガンサイがゆっくりと歩み寄る。
「また俺の邪魔をするのか」
地下牢の記憶が脳裏をよぎる。
痛み、絶望、屈辱──
込み上げる吐き気。ゴミはその場で胃液を吐いた。
「分かっているだろう?また檻に──」
「黙れぇぇぇぇぇッ!!!」
怒声が空気を裂いた。
「……な…何だと?」
ガンサイの顔に怒りが走る。
「く……くそがぁあああ!!」
拳を振り上げ、ゴミに向けて突進する──
「やめてぇぇぇッ!!」
クズが、立ちはだかった。
「邪魔を……するなぁッ!!!」
ゴシャッ──
鈍い音。
クズの身体が吹き飛び、地面に叩きつけられる。
口から、血。
ゴミはその光景に呆然と立ち尽くす。
──クズが、俺のために。
全身が熱くなる。
怒りでも、恐怖でもない。
それは──もっと深く、もっと優しい感情だった。
「……クズ」
ぽつりと名を呼んだ瞬間、喉の奥が震えた。
感情が、あふれそうになる。
(あのときも──
俺を庇ってくれた)
静かに、涙がこぼれた。
握った拳が、震える。
(クズは、俺のために……
なのに俺は、今まで──!)
「うぉぉおおおおおおおおッ!!!」
首の奴隷紋が、眩い光を放ち始めた。
恐怖は、まだそこにある。
だが──
それ以上に、守りたいものがあった。
もうこれ以上──失いたくないものがあった。
「ちくしょうがあぁぁぁあああッ!!!」
その瞬間──
首の印が、音もなく弾け飛んだ。
「な…何だと……!?
まさか、奴隷紋が……ッ!」
ガンサイの顔が蒼白に染まる。
「嘘だろ……」
「アイツ、紋を……!」
「奴隷紋は、何があっても破れないはずじゃ……!」
町民たちは混乱に陥る。
だが──奴隷たちは。
「す……す…すげーーー!!」
カスが目を輝かせ、
「わいはずっと信じてたぞ……!」
アホは賞賛し、
「……さすがだな」
バカは──喋った。
クズは、ゴミがこれまでで一番逞しく見え、
あふれ出す涙を止めることができなかった。
何かが──奴隷たちの中で、確かに変わった。
ゴミが、一歩、前へ出る。
ガンサイはゴミを奴隷とし、尊厳を踏みにじり、クズを殴った。
ゴミは、ゆっくりと目を閉じる。
これまでのすべてを、思い返す。
深く、深呼吸。
その瞬間──
熱気に包まれていた空間が、静まり返った。
「……オマエだけは……絶対に──」
そして──目を見開き、ガンサイを真っ直ぐに睨みつけた。
「許さねぇ……ッ!!」
その声は、怒りと、そして覚悟に満ちていた。
支配が崩れ始めていた。
その中心に立つのは──
名もなき、一人の奴隷──
ゴミだった。




