Episode.21 激震
複数のトラブルが同時に発生し、海斗の思考は渦を巻くように乱れていた。
陸斗たちのもとへ駆けるべきか、うたの安否を確かめるべきか。
うたの状況は掴めないが、確実に危機にあるのは陸斗たち──
迷いの果て、ひとつの結論に至る。
(……陸なら大丈夫だ。それに、ひろが向かっている)
グループには「うたの様子を見に行く」とだけ告げ、海斗は家へと駆け出した。
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「兄貴は家に行くみたいだ」
「でも、陸にぃ……こっちはどうするの?」
「まあ……俺がなんとかする」
二人は木々の陰に身を潜め、眼前の様子を窺う。
視線の先、開けた場所には袴田と、年配の刑事──矢崎の姿。
「矢崎さん……俺が言うのもなんだが、部下を置いてきちまってよかったのか?」
「誰かさんのおかげで、正式な手続きが踏めなかったんでな」
「まあ……急がねえと証拠が持ってかれちまうからな」
「それで、どこにあるんだ?」
「さあな」
飄々とかわす袴田に、矢崎は呆れたように息を吐く。
「ありゃ?乗ってこねえか」
「感情を乱すのは詐欺師のやり口だからな」
「なるほど……あの新米刑事とは違ぇ訳か」
「結局、証拠はもうないのか?」
「いや、これから探してもらう」
「……どういうことだ?」
袴田は答えず、ゆっくりと周囲を見回した。
その落ち着きのない挙動に、矢崎の目がわずかに鋭くなる。
「おい、ガキども──そこにいるんだろう!」
突如、袴田の声が木霊する。
山の静寂が波立つも、返答はない。
「隠れてねえで出てきたらどうだ!?」
「……いったい何を──」
「いいから、見てな」
その言葉に、陸斗の目が大きく見開かれた。
(──本当に、あいつも“あの夢”を……!?)
「陸にぃ……どうするの?」
「……行こう」
関係のないはずの男が〈原初の結晶〉を手にし、自分たちと同じ現象を経験している。
それは石の作用か、あるいは──彼自身の宿命なのか。
確かめるしかない。
陸斗は意を決して姿を現した。
矢崎は驚きに目を見開き、袴田はにたりと口角を吊り上げる。
「君たちは──誰なんだ?」
「普通の学生で……兄妹です」
「普通の学生?あんな不可解な体験の場にいたのにか。普通なわけがねえだろうが!」
「何があったんだ?」
「知るかよ、こっちが聞きてえくらいだ……おい、ガキども。あれは一体なんだったんだ?俺は確かに──この場所で死んだはずだ」
「……俺たちにもわからない」
「ふざけるなよ!?お前らが探していた“何か”が関係してるんだろ!?」
袴田の怒声に、そらは思わず身を引いた。
「君たち……何が起きている?少し詳しく──」
その隙を突き、袴田が矢崎に組み付き、拳銃を奪う。
もみ合いの直後──
パァン──
乾いた破裂音が空を裂いた。
「ぐぁあ!!」
「きゃあああ!!」
矢崎の脚が撃ち抜かれ、地に崩れ落ちる。
噴き出す鮮血。苦悶の顔。額には滝のような汗。
陸斗は反射的に、そらの前へ立ちはだかった。
袴田は銃口を矢崎に向けたまま、低く吠える。
「おい、鍵をよこせ!」
「罪が──」
「関係ねえ!どうせ全員おっ死ぬんだ。早くよこせ!」
矢崎は睨みを崩さない。
「子供たちを巻き込むな」
「結局あんたは何もわかっちゃいねぇ。俺は俺の“最善”を尽くしてるだけだ」
撃鉄がゆっくりと起こされる。
「おい、ガキ。そいつの胸元から手錠の鍵を取れ」
陸斗の背筋に冷気が走った。
「早くしろ。さもねぇと妹を撃つぞ!」
「わ…わかった……」
震える手で鍵を取り、袴田に投げ渡す。
金属音が響き、手錠が外れる。
その瞬間──銃口がわずかに下がった。
陸斗の身体が反射的に動く。
「このガキがッ!」
揉み合いの末、袴田は陸斗を突き飛ばし、銃を構え直す。
だが、その背後で矢崎が這うように飛びかかろうとしていた。
陸斗は悟られぬよう身構えるが、袴田は気づいた。
「……そういうのは、バレちゃダメだろ!」
振り返りざま、引き金が引かれる。
パァン──
銃弾が矢崎の腹を貫き、彼は崩れ落ちた。
「殺るつもりはなかったんだが……まあ、前から人を撃ってみたかったしな」
無感情のまま、銃口は再び陸斗へ。
「同じ目に遭いたくなきゃ、探せ」
「……わかった」
陸斗とそらは、地面を震える手で掘り始める。
「大丈夫──」
無理に笑みを作る陸斗の唇は、固く結ばれていた。
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「……お婆さん」
綾乃の声は静かだった。焦りはなく、ただ真摯に届くことだけを願っている。
それでも老婆は顔を上げない。聞こえていないかのように、目の前の空白を見つめ続ける。
「お願いです。お話を伺わせてください」
そのやりとりは、一時間以上も繰り返されていた。
祈るような眼差しも、真剣な声も、老婆の沈黙を崩せない。
「……私のこと、わかりませんか?」
そっと覗き込むと、老婆の肩がかすかに揺れた。だが、やはり口は開かない。
「私の名前は──生田綾乃。父と母は、“暁”にいました」
その言葉に、老婆の瞳がわずかに震える。
視線がゆっくりと上がり、驚きと戸惑いを帯びた顔で綾乃を見つめる。
皺だらけの手が、そっと彼女の頬に触れた。
「お前さんは……」
かすれた声。綾乃はすかさず問いを重ねる。
「お婆さんも、“暁”にいらっしゃったんですよね?」
老婆は視線を逸らし、沈黙を守る。
「お願いです……!両親がどうなったのか、それだけでも!」
その訴えに、老婆は無言のまま立ち上がった。綾乃は黙ってその背を追う。
「……確かに、よう似とる」
「え?」
「顔立ちは母親に。だが、その気の強さは父親譲りじゃな」
「……よく、言われました」
近くの公園に入ると、老婆は静かにベンチへ腰を下ろした。
「厳密に言えば、わしは“暁”のメンバーではない。
だが、あの二人と組んで“向こうの世界”に行った。考古学者として、現世と異世界の相違を調べるためにな。
護衛は二人。そして“暁”の助手二十名が同行していた」
語る声は、記憶をなぞるように低い。
「向こうは未知の世界じゃ。“魔物”が蔓延り、言葉も文化も──概念すら違っていた。
初めは順調だったが、環境に心を病む者が現れ……命を落とす者も多かった。
終盤に残ったのは八人。わしと、お主の両親を含めてな」
綾乃は息を呑む。
「極限の中で、わしらは気づいた。
その世界が──“本来の意思”とは別の、“異なる意思”によって成長を操られていると」
「意思……?」
「そうじゃ。“神”と呼ばれる存在──世界の管理者とでも言うべきものじゃ」
老婆は空を仰いだ。
その横顔は、話しぶりや纏う空気よりも、ずいぶん若く見えた。
「わしは神など信じておらなんだ。だが、その存在は確かにおった。
意思を持ち、この世界に干渉し、壊そうとしていた」
「そんな……」
「信じられんのも無理はない。だが旅の果て、わしらは“神”を名乗る存在と対面した。
姿は想像と違ったが、“世界の理”を変えて見せた。
その瞬間、両親以外の者たちは、跡形もなく消えた」
声にかすかな震えが混じる。
「危険だと悟った二人は、自らを“生贄”として差し出し……わしを現世に戻すよう懇願した。
止める間もなく、次の瞬間にはわし一人だけだった」
「──二人は……まだ生きているんですか?」
「……わからん。だが、わしにできるのはこれ以上神を怒らせないように祈ることだけじゃ」
ぽろり、と一粒の涙がこぼれる。
老婆はそのまま、かすれる声で言った。
「……本当に、本当に申し訳ない……!」
綾乃は、その背にそっと手を添えた。
「お婆さん……」
短い沈黙の後、綾乃は手を握る。
「──最後に、ひとつだけ」
「……?」
「どうすれば、“向こうの世界”に行けますか?」
老婆の目が見開かれる。
「お主……」
「私がその神を──ぶっ飛ばしてでも、二人を助けます」
その言葉に、再び涙がこぼれた。
「し…しかし、それはもう無理じゃ……」
「絶対に諦めません」
揺るがぬ声に、老婆は観念したように頷いた。
「向こうに渡るには、あちらにしかない“元素”を体内に取り込み、“転換装置”に触れること。
その元素により識別され、世界のどこからでもマスターワールドへ送り込まれる仕組みじゃ」
「転換装置……」
「だが、その“装置”も“元素”も──神によってすでに破壊されてしまった。もはや術はない」
悔しげな表情を見つめ、綾乃の顔がふと明るくなる。
「……ありがとう、お婆さん!」
立ち上がり、駆け出す。
「二人を助ける方法、あるかもしれません!お婆さんの代わりに──神様ぶん殴ってきますね!」
走り去る綾乃の後ろ姿を見送る老婆。
「神をぶん殴る、か……恐ろしいもんじゃ」
しかし口元は緩んでいた。
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ブーッ……ブーッ……
走る海斗のポケットが震える。発信者は綾乃。
「綾乃先輩」
『海斗くん!こっちで分かった情報を伝えるわ』
綾乃は老婆から得られた情報を簡潔にまとめて伝えた。
『つまり“あの石”が元素だとすると……』
「まさか──」
『おそらく裏山にあなたのお父さんが埋めたのは──』
「──転換装置!」
『私もそう思ってる。私はこのまま、陸斗くんたちに合流する!』
「わかりました!」
通話が切れ、思考が短く回る。
──終わる時には、終わる──
「……そうか。父さんが求めていたのは、“終わり”を止めることじゃない……“結末”を変えることだったんだ」
家の前に辿り着く。
扉の前には、うたのスマートフォン。周囲を見ても姿はない。
玄関に手を伸ばそうとしたとき──
『──待って!!』
じゅらの声が脳裏に響く。
「じゅら……」
『警戒したくなるのはわかる。でも、まずは“〈原初の結晶〉”を飲んで』
取り出したキューブは、眩い黄色の光を放っていた。
決意とともに飲み込む。
『ありがとう』
「それじゃあ──通してもらえるかい?」
『……それは、できない』
拳に自然と力が籠もる。
「なぜ君が僕を止める? ……いや、いい。時間もないし、無理やり通らせてもらう」
じゅらをそっと抱え、扉の前からどかす。
苦悩と悲しみが、その顔に浮かんでいた。
ドアノブを回し、静かに開く──
全身の毛穴が開くほどの、禍々しい“何か”が襲う。視界がかすむ。
「──と…父さん……母さん!?」
床に、彰人とみさと。脈はない。
「ど…どういうことだよ……」
『海斗、落ち着いて。二人は“死んでいる”わけじゃない──“停止”しているだけ』
「停止……?」
『今は詳しく話している時間がない。でも……ひとつだけ』
じゅらの表情に影が落ちる。
『海斗……君はこの後、“死ぬ”わ』
「……は?」
思考が凍りつく。
「──うたは……」
『……』
「うたは、どこにいるんだ!?」
抑えきれない昂り。
返ってきたのは──
『うたは……先に、死んだわ──』
「うそだ──」
絶望が、空気を呑み込む。
────────────
地面を掘り返す陸斗とそら。
焦燥と汗が二人を蝕んでいた。
「まだ見つからねえのか!?」
「くそ……」
「陸にぃ……どうしよう……」
額に玉のような汗。
「……何か、打開策があれば──」
掘る手が止まる。
「──ん?」
「どうした!?」
袴田が身を乗り出す、その瞬間──
意識を失っていたはずの矢崎が突如、飛びかかった。
「うぉっ!?」
勢いで袴田が吹き飛び、銃が地面を転がる。
陸斗は反射的に拾い上げた。
「よくやった!」
矢崎は腹を押さえながら押さえ込み、陸斗は銃口を向ける。
「陸にぃ!?」
「いいから!早くそれを掘って取れ!」
「う…うん!」
「ははっ……度胸もねえガキが、そんなもん構えてどうすんだよ?」
「君──やめるんだ」
矢崎が力を込める。陸斗は考え、そして──銃を遠くへ投げ捨てた。
「ありがとうな……しかし、いったい今日は何がどうなってやがる」
その瞬間。
ゴゴゴゴ……
低くうねるような振動が、大地の奥底から這い出してきた。
足元の土がわずかに裂け、耳の奥に響く低音が、体の芯を震わせる──まるで何かが目覚めようとしているように。
「な──!?」
「嘘だろ……おい!!」
「陸にぃ!!」
「マジかよ……!」
地響きは、鼓膜を押し潰すような圧を伴って膨らんでいく。
それはまるで、“終わり”が扉を開く音だった。




