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Episode.18 赦し

異世界パート


この回個人的に好きです。

【日時】ミルス暦400年7月11日 5時30分

【場所】ログリア町外 南方 岩石地帯



「ふぅ……」


 フードを深く被った女は、汗を拭った。

 腰から筒を取り出し、口に運ぶ。


 しかし中には何も入っていなかった。


 残念そうに肩を落とし、改めて辺りを見回す。

 何日間にも及ぶ森をようやく駆け抜けたと思いきや、街があるわけではなく広がっていたのはゴツゴツとした岩ばかり。


 自身が見た不思議な夢が気になり国を出て、それからは精霊の声に従い歩いてきたが、今は多少後悔していた。


 実は、彼女が国を出たのは正解だった。


 あの日の夜──




 なぜか国を出る”直前”から捜索されており、危機的な直感が働いたこともあり、突発的に出発した。


 その為準備もそこそこになってしまったが、ふと立ち寄った町で、彼女は自らにまつわる噂を耳にした。

 内容は曖昧で、形を持たないまま口々に囁かれていたが──そこに込められた空気には、微かに、自身の歩んだものとは違う“色”が混じっていた。


 どこでどう広まったのかもわからぬまま、事実と虚構が入り混じって形を変えていく。

 その様は、まるで本人の意図など関係なく“物語”が一人歩きを始めたかのようだった。


「……」


 足を止めた彼女は、街角の小さな風に身を委ねるようにして、目を細める。


 掌に、ほんのわずかな動き。

 それは、何かを守るためか、整えるためか──あるいは、ほんの少しだけ、世界との距離を変えるためか。


 周囲の喧騒がゆっくりと後ろに流れていき、彼女は再び歩き出した。


「……行かなきゃ」


 小さく呟いた声が、風にさらわれていった。




 そして彼女は現在、広がる岩地にひとり、立っている。

 一ヶ月と少し経つ旅ももう時期終わりを迎えると直感が告げていた。


「ん……?」


 陽炎(かげろう)に阻まれて見えにくいが、魔法を使い目を凝らすとまだ先ではあるものの街を確認する。


 彼女は小さく呟き、自身にそっと魔法をかける。

 そして疲れ切った体に鞭打ち駆け抜ける。


 街の前まで来ると、何やら光の玉が見えた。


「なにあれ……?」


 彼女はその光の玉を追いかけることにした。



 ────────────



【時刻】7時30分

【場所】ログリア町 ガンサイ邸



 奴隷達は一言も発することはなく、仕事に取り掛かった。

 しかし、晒されたひかりの遺体がまだ脳にこびりつき、吐き気を催す者もいる。


 ひかりを失っても世界は何も変わらない──しかし彼らの日常はいつも以上に影をさしていた。

 彼女の髪の色、声、笑い声──その全てが、まだ屋敷のどこかに漂っている気がして──


 ゴミも箒を渡され、言われるがままに掃除へ出た。

 ただ黙々と、地面を見つめながら、箒を動かす。


 通りかかる町人たちの視線が、露骨に逸らされた。


 彼らは知っていた。

 この屋敷の奴隷への扱いは、度を越している。

 そして今目の前にいる者は、その“最果て”に触れてしまったのだと。


 それほどまでにゴミの目は希望を失っていた。

 この地獄から自らを助くものはないと、頭が理解してしまう。




 ── 忘れるな。地獄が終わるわけじゃねえ。魔族(マージ)である限り、死ぬまで延々とこの地獄を味わわせてやる──




 種族が変わらない限り、世界のどこに行こうが安息の地はない。

 彼が読んだ本にも魔族(マージ)の歴史と現在が書いてある。


 思えば彼が希望としていた本に書かれていた内容は希望など書いてなかった。


(それでもひかりは……)




 ── あなたが話してくれた本の話……あれを語るあなたの顔が、すごく優しくて……救われたの──




 救えなかった命。

 もう二度と戻ることのない笑顔。


 彼女の言葉を繰り返し思い出し、失った光の代わりに静かに染み渡った絶望は、黒い墨のように彼の心を満たしていた。


 その時だった。


「おい!てめぇ、俺の服に埃つけたな!!」


 一人の通行人が怒声を上げた。

 ゴミの掃いた埃がわずかに触れたらしい。


「責任者を呼べ!誰が弁償するんだ!!」


 その声に応じるように、ガンサイが現れた。

 面倒臭そうに頬を掻きながら、それでも慇懃(いんぎん)に微笑む。


「……何か問題でも?」

「こいつが俺の服を汚したんだよ!どうしてくれる!」

「どうしようもできませんねえ。奴隷のやることですし」

「……ふざけるなよ!」

「はいはい、申し訳ないことをしましたねえ」


 あくまで軽薄な態度。

 通行人が怒鳴ろうと口を開いたその瞬間だった。


「……これで、よろしいですかね?」


 ガンサイの手が一閃する。

 突如ナイフが、ゴミの頬を貫いた。


「ぐあッ!!」


 鋭く切り裂かれた肉から、血が飛び散る。


「う…うわぁ……!!」


 通行人は顔を青くし、足早に立ち去る。


 あまりの理不尽に周囲が凍りついた──

 だがガンサイの瞳には、その戸惑いすら面倒な雑音でしかなかった。


「やれやれ……客が逃げちまったじゃねえか」


 ガンサイは舌打ちし、踵を返して立ち去ろうとした──そのときだった。

 通りに満ちていた喧騒が、まるで波が引くように静まり返った。


「……ん?」


 違和感に気づき、ガンサイが振り返る。

 最初は、己の所業に人々が黙り込んだのかと思った。

 

 だが、様子が違う。


 人々は一様に、同じ方向を見つめていた。

 その視線の先から、規則的な足音だけが聞こえてくる。



 コツ……コツ……コツ……



 やがて群衆は自然と道を開け、その音の主がゆっくりと姿を現した。

 まるで光そのものを(まと)っているかのような、神々しい存在。


「な…なんだ……この神聖力は……」


 思わず後退りするガンサイ。

 次の瞬間、その女性はまっすぐゴミの前へと歩み寄り、静かに膝をついた。


「……大丈夫ですか?」


 それは、風のように優しく。

 差し込む朝陽のように、あたたかな声だった。


 ゴミは思わず顔を上げる。


 覗く顔からはフードを被っていてもわかるほどに美しさが溢れていた。


 銀の髪。長く伸びた耳。透き通るような肌と深い碧眼(へきがん)


 エルフ族(エルフィ)──。

 それは、彼の記憶のどこかにかすかに残る、遠い存在。


 彼女は迷いなく言葉を紡いだ。


「今、治療しますね」


 指先をそっとかざし、呪文を唱える。


〈治癒〉(ヒール)


 淡く緑の光が降り注ぎ、ゴミの頬を優しく包んだ。

 裂けた肉が塞がり、痛みが引いていく。


 けれど、もっと深くにある何かが──

 何よりも癒されていた。


「──え?あ…ありが……と──い…いや!申し訳ございませんでした!」


 混乱と恐怖の狭間で、ゴミは本能的に土下座をした。

 額が石畳に打ちつけられ、また血が滲んだ。


「やめてください。せっかく治したのに……」


 もう一度、光が彼を包む。

 彼女の手は揺るぎなく、そして穏やかだった。


 その瞬間、彼は初めて知った。


 自分が“人”として扱われている──その奇跡を。


 ゆっくりと顔を上げた彼に、彼女はふわりと微笑んだ。


「……顔が赤いですよ?」


 頬に、ぬくもりが戻っていた。

 それは恋でも憧れでもない。

 ずっと凍えていた“心”が、ようやく目を覚ました証だった。


 しかし──その奇跡は、すぐに乱される。


「てめえ!!俺の奴隷に何しやがる!!」


 我に返ったガンサイが怒声を上げる。

 その背後には、にやけ顔のゴイルの姿もあった。


「こんなことを平気でするなんて……」


 エルフィの女性は、静かに一歩前へ出る。


「……下がりなさい」


 たった一言。

 それだけで、空気が張り詰めた。


「なんだてめぇ……?」

「これ以上、彼を傷つけることは、私が許しません」

「は?てめえに何の関係が──」

「あります。人として──見過ごせませんから」


 凛とした声が、通りを貫いた。


 その姿は、まさに“光”だった。


 ガンサイが忌々しげに睨みつける。


「……おい、おまえ、何者だ?」

「──私、ですか?」


 その問いに、女性は静かに応じた。


 一つひとつの所作が、まるで儀式のように洗練され、神聖な空気をまとう。

 見守る者たちは、息を呑んだまま微動だにしない。


 彼女はフードを脱ぎ、ゆるやかに胸に手を当て、澄んだ声で名を告げる。


「──私は、エクリオン・ミドナ・ドラクロードと申します!」


 その名が告げられた瞬間、場の空気が一変した。

 光が揺れ、風がざわめき、時が恐れをなしたかのように沈黙する。

 ただの名乗り──だが、それは“王”の宣言だった。


「なっ──!?」

「まさか……エルフ族(エルフィ)の……女王……!」


 沈黙が町を包み、誰もが息を呑んだ。


 その言葉を耳にした瞬間、ゴミの中で何かが崩れ落ちた。

 理解が追いつかず、ただぼんやりと見つめる視界の中で、彼の内側で長く凍りついていた感情が、ぽつり……とひとしずく、溶け出した。


 ぽろ……


 頬に、涙が伝う。

 自分でも気づかぬうちに、次々と。

 止めどなく、音もなく、涙がこぼれていた。


 誰にも気づかれず、誰にも必要とされず、蔑まれ続けた人生の奥底にあった“叫び”が、今ようやく、温かな光に触れたのだ。


 女王は一歩、また一歩と進み──そして、宣言した。


エルフ族(エルフィ)の女王の名において、彼の解放を命じます」


 世界が揺れた。

 今まで“存在”すら否定されてきた男が──初めて、“(ゆる)された”のだ。


 彼女はそっと、手を差し伸べる。


「──酷く、辛かったでしょう?」


 その手を、震える指先で取る。

 温かく、優しく、命の温度がそこにあった。


「もう、大丈夫ですよ」


 嗚咽(おえつ)が、(せき)を切ったようにあふれ出す。


 涙が、止まらなかった。


 喉の奥で震える声は言葉にならず、ただ、体が小刻みに揺れていた。


 名も、記憶も失われても。


 この瞬間──ゴミは、確かに“心”を取り戻した。


 そして、この出来事を忘れることは──ないだろう。


「あ……あ゛りがとうごばいま゛ず……!!!」


 嗚咽と共に、彼はただ、何度も頭を下げ続けた。

[ 人物紹介・異世界 ]

〈 エルフ族 〉

エクリオン・ミドナ・ドラグロード:エルフ族の女王・銀髪ロング・長く伸びた耳・碧眼・美人

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