Episode.15 悪意
【日時】ミルス歴400年7月9日 7時00分
彼らは夜通し、泣き続けていた。
どれほど涙を流しても、ひかりは戻ってこない。
その現実を受け入れきれずに、ただ……崩れていた。
「もう……死にたい……」
クズが呟く。
誰もが、答えを持たなかった。
だが、ゴミだけは、顔を上げていた。
目の奥に、わずかな光を宿して。
「……まだ、終わったわけじゃない」
その声は掠れていた。力強くはない。
けれど、どこかに“意地”のようなものがあった。
「希望は……捨てたくない」
「でも、ひかりは……」
クズの声が震える。
ゴミは黙ったまま、しばらく口を開けなかった。
やがて、言葉を絞り出すように、呟く。
「……俺だって、わかってる!!ひかりはもう……だけどッ──!!」
ゴミは拳を握る。
「何かできる方法があるかもしれないって──そうでも思ってなきゃ……壊れそうなんだよ……」
「ゴミ……」
二人はゴミの気持ちが痛いほどよく理解できた。
だからこそ何も言葉が出ない。
沈黙が重く空気を支配する。
ゴミは思い出したかのように話し出す。
「クズがくれた本……覚えてる?」
「『神素が齎した軌跡』……だよね」
「そう。あれ……読んでると、なんていうか……昔の自分を思い出しそうな気がしたんだ。記憶の……欠片みたいな」
「記憶……」
「うまく言えないけど、あれを読んでると、ほんの少しだけ……まだ、生きてていいのかなって思えた」
「それが……希望だったんだね」
クズの言葉に不器用ながらも頷き肯定を繰り返す。
「俺は自分のために読んでただけなのに。ひかりはそれを……」
目元が震える。
「その本にいろんな種族のことについて書いてあった」
ゴミの目が僅かに光る。
「エルフには色んな魔法があるんだろ?もしかしたら、死んだ人を……戻す術もあるかもしれない」
「そんな魔法──」
「ないかもしれない。でも……もしあるなら、探したい……ここを出て、一緒に……」
それは、夢物語だった。
けれどその“願い”が、崩れそうなクズをほんのわずかに支えた。
「……私は、死なない」
クズが顔を上げ、ノミを見やる。
「ノミ……」
「あの野郎を殺すまでは、絶対に死ぬわけにはいかない!!」
ノミの瞳は、業火のような殺意で燃えていた。
──ガシャンッ!
扉が開く。
「よく眠れたか? 虫けらども」
コツ、コツ……
鉄の階段をゆっくりと降りてくる足音。
現れたのは、ガンサイだった。
「ゴミぃ。お前、これはなんだ?」
その手に握られていたのは──
ゴミが命より大切にしていた、あの本だった。
「昨日のビッチの話が気になってな。物置を漁ったら出てきたわ。サボってこんなもん読んでたとはなぁ!」
「か……返してください……」
ゴミが震える声で懇願する。
「ああ!?返すわけねえだろ」
ガンサイは本を地面に叩きつける。
「火魔法」
──ゴォッ!
本が、焼ける。
「う……うわああああああああ!!!」
紙が焦げる音。黒煙の匂い。立ちのぼる炎。
ゴミの希望、記憶、そして──
ひかりと出会った証そのものが、音を立てて崩れていく。
“ただの本”だった。だが、彼にとってはすべてだった。
尊厳を失い、名前を奪われ、記憶を曖昧にされ、そして友まで──
それでもなお、希望だけは残っていた。
その希望すらも今──失った。
「あぁぁぁ……」
炎はあっけなく本を灰にし、ガンサイが蹴り飛ばす。
何も言えず、何も返せない。
声を上げることすら、できなかった。
「たかが本が燃えたくらいで、騒ぎすぎなんだよ」
ガンサイは呆れたように言いながら、牢に足を踏み入れる。
ゴミは、その一歩一歩に怯える。
かつて感じた憎しみも怒りもなく、あるのはただ純粋な“恐怖”。
ガンサイはその様子に満足げな笑みを浮かべ、次にクズの前に立つ。
クズは震えながら、自分の身体を隠すように身を縮めた。
──鉄の拳が、クズの顔を打つ。
「ぎゃっ!!」
頭を地面に打ちつけ、苦痛に呻きながらも、クズは身体を丸め、身を守り続ける。
「強情なやつだな」
ガンサイは舌打ちしながら馬乗りになり、クズの両手を乱暴に掴む。
「や……やめて!」
クズは必死に抗い、暴れる。
「た……助けて……!!ゴミィ!!」
叫びが響く。
「無駄だ。名実ともに“ゴミ”と成り果てた奴に、何が──」
──ゴンッ。
「……何してんだ、お前?」
ガンサイが言葉を切る。
ゴミが、自らの頭を地面に打ちつけていた。
ゴンッ……ゴンッ……ゴンッ……!!
額から血が滲み、鉄臭い香りが牢内に広がる。
その異様な姿勢。
その執拗さ。
やがて、不気味な静寂が場を支配した。
「やめてぇ!!死んじゃうよ!!!」
クズの悲鳴にも似た叫びに、ゴミはようやく動きを止め、顔を上げる。
──その顔は、赤く濡れ、目だけが異様に静かだった。
「ガンサイ……様……」
「な…なんだ……?」
ガンサイの声が、わずかに揺れる。
「どうか……ご勘弁を。代わりに、私がなんでも……なんでもいたします」
希望も勇気も──
何もかもを失った者の、完全な“服従”。
それでも、ガンサイはその目の奥に、説明できない“圧”を感じていた。
「……もういい」
ガンサイはクズから降りると、立ち上がった。
「明日になったら服と飯を持って来させる。人手が足りねえ。お前ら、そのまま働け」
扉に手をかけたあと、振り返る。
「ただ……忘れるな。地獄が終わるわけじゃねえ。魔族である限り、死ぬまで延々とこの地獄を味わわせてやる」
鉄格子が閉まる。
足音が遠ざかっていく。
──焦点の合わない目で、ゴミは虚空を見つめていた。
その姿に、クズは涙を止められなかった。
謝りたかった。
感謝も伝えたかった。
だがその想いすら、もう、言葉にする力が残っていなかった。
────────────
【日時】ミルス歴400年7月10日 10時00分
ガチャンッ
地下牢の扉が開く音が響く。
ほどなくして、ガンサイが姿を現し、その背後から、ゴミ、クズ、ノミ、バカの四人が歩いてくる。
「奴隷小屋に入れておけ」
命じられ、彼らは元の小屋へと戻される。
扉が開かれた瞬間、奴隷たちの視線が一斉に向けられる。
「──地下牢から、生還した」
歓声が、怒涛のように巻き起こる。
生きて戻る者など、一人もいなかった場所。
彼らは今、奇跡の象徴とされた。
「ちょ……すまん!そこ通して!」
人だかりをかき分け、アホとカスが前へ出る。
「おお!みん……な……?」
明るく声をかけようとしたアホだったが、言葉が詰まる。
──ゴミの焦点の合わない目。
──クズの希望を失った表情。
──ノミの殺気に塗れた顔。
──そして、バカの潰れた片目。
誰がどう見ても、想像を絶する“何か”があったことは明らかだった。
それ以上に──
一人、足りない。
カス、ドブたちが続き、四人に駆け寄る。
「みんなぁ!おかえり!!」
チリが声をかけるが、誰も返さない。
異様な空気が、場に立ち込め始める。
「ど…どうし──」
「ビッチは?」
ザコの言葉を遮り、アホが尋ねる。
その瞬間、クズの顔が歪み、ノミの殺気を撒き散らす。
言葉はいらなかった。
アホの不安は確信に変わる。
そして、ゴミは無言のまま、自分の部屋へと歩き始めた。
アホの隣を通り過ぎる。
「お……おい」
声をかけたのはアホだ。
ゴミの足が止まる。
「彼女は死んだよ」
淡々とした一言に、空気が凍りつく。
まるで、時間すら止まったかのようだった。
──ああ、ゴミの心は壊れてしまったのか。
誰もが、そう思った。
「それと……彼女の名前は“ひかり”だッ!二度とビッチって呼ぶな!」
「す…すまん……」
ゴミはそのまま部屋に入り、扉を閉めた。
醸し出す圧に、皆が恐怖を覚える。
だが、アホだけは──
(そっかそっか……まだ心が生きてるっちゅうこっちゃな)
そう解釈し、静かに胸を撫で下ろした。
そのとき──
「おい!!」
見張り番が小屋に入ってくる。
「ガンサイ様から話がある!全員、本館前に来い!」
奴隷たちは、命令に従い外へ出る。
だが、ゴミの部屋の扉は、最後まで開かれなかった。
アホはその扉を一瞥し、静かに踵を返した。
──本館前。
奴隷たちが集められたその場所に、目を背けたくなるような光景が広がっていた。
本館二階のベランダの柵に──
ひかりの裸の遺体が吊るされている。
空に晒されたその姿に、悲鳴を上げる者。
目を覆う者。
立ち尽くして泣き出す者。
一瞬にして、場は混沌の渦と化した。
「てめえら、よく聞けえ!!」
三階のベランダから、ガンサイの怒声が響く。
「この女は脱走を試み、死んだ!!今後、逃げようとする奴はこのようになると肝に銘じろ!!」
まるで、命の価値を見せ物にするように──
死して尚、彼女の尊厳は踏みにじられていた。
メイドや見張り番でさえ、目を逸らす者が少なくなかった。
そんな中、一人の男が、静かに動き出す。
バカだった。
無言のまま、本館の壁に手をかけ、よじ登り始める。
「ん?おい、お前何して──」
「失礼いたします!」
突如門番が走って跪き、ガンサイの言葉を遮った。
「なんだ!?」
「巷では感染性のあるウイルスが流行り始めており、遺体を放置しておくと、ガンサイ様の邸内にそのウイルスが蔓延する恐れがあります!」
「……なんだと?」
「また、近隣住民から感染源だと誤解される危険もございます。従って、速やかな処理を──」
しばし逡巡するガンサイ。
「……まぁいい。処理はメイドにさせておけ」
「恐れながら……この件は、奴隷にやらせた方が示しがつくかと」
「……好きにしろ」
そう言い捨てると、ガンサイは建物の中へ戻っていった。
──バカが、二階に登りきる。
ひかりの身体を丁寧に抱え、そっと地上へ降りる。
「こっちだ」
門番が案内した先は──
かつてゴミたちが修行を積んだ広場だった。
周囲を見渡した門番は、静かに息を吐くと、自分の服を脱いでひかりにかけた。
「あ……」
その姿を見て、アホは気づいた。
──あの夜、彼らを迎えた、あの門番だった。
「……こんなことしかできなくて、すまない」
門番の声は、心からの謝罪だった。
だが、奴隷たちは戸惑う。
「謝罪なんかいらん……“処理”なんて言いやがって……」
アホの怒りが滲む。
周囲は驚いた。
だが門番は、深く頭を下げた。
「あの場では、そう言うしかなかった……すまない」
沈黙が落ちる。
「なんで……なんで彼女が死ななあかんねん……」
アホの嗚咽が、広場に響く。
「……弔ってやろう。こんな地じゃ、彼女も喜ばんかもしれんが……」
皆が、スコップを手に取り、地面を掘り始める。
必要以上に大きく、深く。
土を掘るたび、涙がこぼれる。
カスも、ドブも、クズも、ノミも──
誰もが涙を止められなかった。
あまりの喪失感に、言葉もなかった。
ひかりを埋め終えると、門番がその前に立ち、静かに呟く。
「……もう少し、あと少しだけ待っていてくれ」
誰に向けた言葉かもわからない。
「彼女の死は、決して無駄にはしない。君たちの悔しさも、無念も……必ず報われる日が──」
だがその言葉は、あまりに現実味がなく、
虚しく、広場の空に溶けていった。
──彼らの中から、“希望”という言葉は完全に消えていた。
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【場所】ログリア町 ガンサイ邸 商会主執務室
「ガンサイ様宛の手紙が届きました!」
先程と別の門番が封筒を差し出し、退出する。
受け取ったガンサイが封を切る。
「それにしても、ダンナはやっぱりえげつねぇっすねぇ……」
背後にいたゴイルが笑う。
「無駄口を叩くな」
書面に目を通すガンサイの口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「……悪くない。明後日だ!」
「へっ?」
「明後日、デモンストレーションを行う。準備しておけ」
「こりゃあ、楽しくなってきやしたね!」
ゴイルが肩を揺らして笑う。
──それは、七月三十一日に向けた領主の“テスト”。
ここに、全ての“悪意”が集結しようとしていた。




