Episode.14 ひかり
非常に重要な回ですが、かなり重い話でもあります。
苦手な方はご容赦を。
【日時】ミルス歴400年6月18日 15時30分
【場所】ログリア町 ガンサイ邸 地下牢
「グッ……!」
ゴミは鎖に繋がれた身を捩り、わずかな隙を探る。だが、そのたびに右腕から激しい痛みが奔り、顔が思わず歪む。
まずは状況の把握。
左手は壁の鉄環に鎖で繋がれ、右手は動かない。
服は脱がされ、裸の身体を冷たい石の床が受け止めている。
辛うじて足先は動かせるが、鎖の長さが短く、起き上がることすら叶わない。
「さっきからうるせえよ……静かにしてくんねえかな?」
低く、どこか乾いた声が闇の中から響いた。
思わぬ声に、ゴミは反射的に振り返る。
だがその拍子に、全身へ激痛が走る。声を噛み殺し、歯を食いしばった。
ゆっくりと、慎重に顔を上げる。だが、牢は闇に包まれ、周囲はまったく見えない。
「だ……誰?」
「誰でもいいだろ……それより、気持ちよく寝てたんだ。起こさないでくれよ」
「ご…ごめんなさい……」
「いちいち謝んなって」
「……なんなんだよ」
ムッとしながら呟いたその声にも、怒気より痛みの色が濃い。
「お前、なんでここに来た?」
「ガンサイ様に……逆らったから」
「逆らった……?」
声の主がふいに笑い出した。
それは乾いていて、底知れなかった。
「ダーッハッハッハッハ!おもしれぇ!二人目かよ!俺以外にも逆らう奴がいるとはな!」
「二人目……?」
「おう。お前の少し前にな、無口な大男がここにぶち込まれたんだ」
「無口……バ……バカ!?バカがいるのか!?」
「バカってのか? ずいぶんとふざけた名前だな」
「バカ!大丈──」
喉が裂けるような痛みに、言葉が途切れた。
痛みを堪えながら、ゴミは小さく呻く。
「お前の方がよっぽど大丈夫かよ……そいつな、お前が運び込まれた時、めちゃくちゃ泣いてたぞ」
「え……?」
(あのバカが──涙を?)
信じられなかった。
だがその事実は、ゴミの心にかすかな震えを齎した。
「それより……ガンサイ“様”か」
「……なんだよ?」
「こんな目に遭ってんのに、“様”付けかよ……ほんと、目が覚めねぇ奴だな」
「なんなんだよ……さっきから……!」
「あ?」
「お前に……お前に何がわかるんだよ!!!」
「少なくとも、目を覚ました奴の顔は、そんなんじゃねえことはわかる」
「うるせぇッ! ……も…もう、話しかけんな……!」
怒鳴ると同時に、激痛が胸を貫いた。
「まぁ、そんな怒んなよ……最後にひとつだけ聞かせろ。名前は?」
「ゴミ、だよ」
沈黙が落ちた。
相手は何も返さない。
それよりも──呼吸ひとつするたびに、肺が焼けるように痛む。ゴミはただ、微かな息をつなぐことに意識を集中させた。
──お前だったのか……
それは幻聴のように聞こえた。
「死ぬなよ」
それきり、声はもうかけられなかった。
────────────
【日時】ミルス歴400年6月25日 6時30分
薄い微睡みから、ゴミは目を覚ます。
それが朝なのか夜なのか、何日が経ったのか、もう知る術はなかった。
食料も水も与えられず、光すら射さぬこの牢で、ただ天井から垂れる水滴に唇を寄せ、喉を濡らす日々。
渇きは満たされず、意識は時折、遠くへ沈んでいく。
時間も、方向も、自分という輪郭さえも──すべてが曖昧になりかけていた。
それでも──
ゴミの意志は折れなかった。
極限状態の中でなお、彼は──生き延びることを選び続けていた。
クズやビッチ、ノミを助けるために。
そして、自らの記憶を取り戻し、家族に再び会うために。
何も口にしていないはずの身体が、なぜか回復している。
動かせなかった右腕が、少しだけ動く。
それが彼の意志の力なのか、それとも“魔族”としての性なのか──
彼には、まだわからなかった。
────────────
【日時】ミルス歴400年7月7日 12時00分
もはや、顔を上げることすらできなかった。
それでもゴミは、左手首を繋ぐ鎖から手を引き抜こうと、諦めず繰り返していた。
その回数はすでに数えきれない。
手首の皮膚は剥がれ落ち、骨に近い箇所まで血が滲んでいる。
──ガチャンッ
突如、扉が軋む音が牢内に響いた。
助かるかもしれない──
一縷の望みに縋るように、ゴミは必死に顔を上げた。
──ズリ……ズリ……
何かを引き摺る音が、近づいてくる。
「虫ケラども……まだ生きてるか?」
ガンサイの声だった。
その姿が視界に入った瞬間、全身が強く脈打つ。
「今日はてめぇらに、いいもんを見せに来た」
ガンサイは何かを牢の中に放り投げた。
目を凝らす。
そして──言葉を失う。
「ビ……!?」
声が出ない。水分不足と長期間の沈黙で、声帯が塞がりかけていた。
だが、それ以上に──そこに横たわっていたのが、ビッチとノミであったことが、声を奪った。
二人とも、一糸纏わぬ姿で、無惨な状態だった。
「ゴ……ミ……?」
ノミの声が微かに響く。
ゴミは言葉の代わりに、何度も強く頷いた。
その動きに気づいたノミは、目に大粒の涙を浮かべた。
「……ゴミ……ゴミがいるの……?」
ビッチが呻くように呟く。
その目は切られていた。焦点を結ばない瞳が、空虚を彷徨っている。
「会いたかった……ずっと……会いたかったよぉ」
ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。
突如、ガンサイがビッチの髪を掴み、引きずるように奥へ引きずっていく。
「やめ……ろ──ッ!」
ゴミの声が、かすかに届く。
だが届かない。ガンサイは構わず──
やがて、声も音もなくなった。
今度はノミの番だった。
彼女は抵抗しながらも、あっけなく押さえつけられ──
「吐き気がするほどのゲスだな……」
不意に、誰かの声が、闇の奥から漏れた。
正体不明の男の、低く冷えた声。
ゴミは、目を逸らした。
ただ、見ないように、闇を睨み続けた。
すべてが終わったあと、ガンサイは二人の髪を掴み、ゴミと同じ独房の中に放り込んだ。
「ゴミ……大層お前のことを気に入ってるようだからな。俺の使い回しだが、貴様にやるよ」
ガンサイは声を上げて笑い、立ち去った。
ゴミは、自分の中にまだこんなに水分が残っていたのかと思うほど、泣いた。
そして、胃の中には何もないはずなのに、壁に向かって吐いた。
「……私たち、ゴイルに捕まったあと、クズが助けてくれたの……」
ビッチが語る。
声は震えていたが、言葉は途切れなかった。
「なのに……私がドジで……みんな、また捕まっちゃって……クズだけでも逃げてほしくて、ガンサイに体当たりしたら……その時に、目が……」
自分の目を指しながら、ビッチは言った。
「クズが逃げ切れたのか……わからない……ノミにも、迷惑かけた……」
ノミは唇を噛みながら、泣いていた。
「私も……魔法、覚えたのに……でも、いざって時、何にもできなかった……!」
悔しさに震えながら、彼女の目からは血混じりの涙が流れていた。
「……ああ……」
ビッチが、ぽつりと呟く。
「私の初めては……大好きな人──ゴミが、よかったなあ」
その言葉に、誰もが、声を失った。
ノミは強く呟いた。
「殺してやる……絶対に、殺してやる……!!」
三人は、ただ一日中、泣き続けた。
自分たちの無力さに、理不尽さに、そしてこの地獄に──
────────────
【日時】ミルス歴400年7月8日 15時00分
──ガチャンッ!
鉄扉が再び軋み、開かれた。
ゴミの鼓動が、否応なく跳ね上がる。
鎖の先で、思わず身体が強張った。
足音とともに、何か重いものを引きずる音。
現れたのは、ガンサイだった。
その手には、ずるずると引き摺られる影──
「……クズ……!」
見るも無惨な姿で、クズが投げ込まれた。
ゴミの目が見開かれる。
次は──彼女か。
「……お…お願いです!!もう、やめてください!!」
声が出た。
昨日の涙とともに、塞がっていた声帯が開いたのだろう。
予想以上に大きく響いたその声に、ガンサイが興味を引かれたように眉を上げた。
「ほう……ではお前に、選択をくれてやろう」
ガンサイは独房の扉を開け、ノミとビッチを引き摺り出す。
「この中の一人を殺す。さあ、誰にする?」
「な──っ!?」
ノミが叫ぶ。
「はは……殺すなら殺せぇ!!!」
言葉とは裏腹に、震える声。
けれど、彼女は顔を逸らさなかった。
「いい度胸だな……その望み、叶えてやろうか?」
ゴミは、這うようにして地面に額をこすりつけた。
「お願いします……何でも言うことを聞きますから……!」
それは懇願というにはあまりに哀切で、誇りを捨てたというにはあまりに純粋だった。
「なんだ、その格好は?」
ガンサイは鼻で笑いながら、扉の外へ向かって歩き出す。
──これで終わる。
誰もが、そう思ったその時──
ガンサイは振り返り、何かを拾い上げる。
それは、鉄製のバケツだった。
彼は手を翳し、魔法陣を展開する。
「水魔法」
バケツの中に、音もなく水が注がれ始めた。
「お前が選べないなら……俺が選んでやる」
ガンサイは突然、ビッチの髪を掴み引き寄せた。
「お前が死ねぇ」
耳元で囁いたその声に、ビッチがわずかに目を見開く。
「や……やめ──」
「ゴミ!!」
ビッチが振り絞るように叫ぶ。
「もう……いいの。これでようやく、解放されるから」
そう言って、ゴミに向かって笑顔を向けた。
その顔は……今までのどの表情よりも、美しかった。
「ガンサイ様、最後のお願いがあります」
「ほう?」
「彼と……少しだけ、お話をさせてください」
ガンサイは眉を顰めたが、すぐに頷いた。
「……いいだろう」
「ビッチ……?」
ゴミが震える声で問う。
「ねぇ……あなたの本当の名前、なんだろうね……きっと、素敵な名前なんだろうな」
涙が、頬を伝う。
「私ね……ここに来た時、本当に絶望してた。でも、あなたが話してくれた本の話……あれを語るあなたの顔が、すごく優しくて……救われたの……それ以来、私、あなたのこと……好きだった」
声が詰まり、喉が震える。
「……もう私は、いなくなっちゃうけど、忘れないでほしいな……なんてね、ハハ」
笑おうとする。
けれど、その目はもう、涙でいっぱいだった。
「忘れない……! 絶対に!!」
「最後にさ……私に、名前をつけてほしいの……可愛いのがいいな」
「え……?」
「なんでもいい。ビッチなんて、もう呼ばれたくないから」
ゴミは、息を吸った。
思考が、涙と共に混濁する中で、言葉を捻り出す。
「……君の名前は……ひかり」
「ひかり……?」
「俺にとって……希望の光だったから……」
ひかりの唇が、震えながらも綻んだ。
「ひかり……ひかり……」
その名を、何度も何度も、噛みしめるように繰り返す。
「……うん、いい名前だね……ありがとう……大好きだよ」
ガンサイが魔法陣を展開する。
「……そろそろ死ぬか」
「はい」
「や…やめてくれー!!」
ゴミの絶叫が響いた瞬間──
「魔族隷術・業!!!」
紫の稲光が、ひかりの身体を焼いた。
「きゃああああああ!!」
苦悶の中、それでもひかりは──
──バイバイ
そう、口だけを動かして、別れを告げた。
ガンサイは髪を掴み、そのまま顔をバケツに沈める。
ひかりの身体は、しばらく震えていたが──
やがて、静かに動かなくなった。
ガンサイは、無力に泣き続けるクズとノミを再び牢に投げ入れる。
「じゃあな」
鉄扉が閉まり、重々しい音が鳴った。
光が──消えた。




