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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

桃色の記憶

作者: SadaokiYamada

人は心のどこかに「もう一つの場所」を持っている。

それは夢の中かもしれないし、遠い記憶の片隅かもしれない。


現実と夢、過去と今、自分と他者——すべてが合わさった世界で何を選ぶのか。

 桃色の大きな鳥が空を覆い尽くすほどの群れをなして、果ての空から飛んでくるのを見た。何が起きているのか……いや起ころうとしているのか。数秒の間に驚きは恐怖に変化した。私の直感は告げる。「逃げろ」と。

 本能的に足が動き出した。駆けだすと同時に空が崩れ落ちたかの様なけたたましさで、幾百・幾千の羽音が降りかかってきた。鳥の鳴き声が束となり周囲に拡散する。降下した鳥達は一斉に人々を襲い始めた。阿鼻叫喚(あびきょうかん)が耳に伝わる。


 私は大きな家の中に逃げ、戸を閉じて物陰へと隠れた。扉や壁は地震がおきているかのように(きし)み、嫌な音がひたすらにこだまする。そして遂に天井が崩れ落ちた。


 私は夢から覚めた。

 起きたら家の天井に大きな穴があいていた。動物がかじったようなあと。


 なぜ天井にこのような穴が開いているのか理解できなかった。しかし穴が開いているからあのような夢をみたのだと納得もした。床の散乱した物を足でのけながら歩き、家を出てみる。差し込む日光。鳥どころか雲一つない快晴だ。そして今日は休日。あの悪夢は所詮(しょせん)は夢であることを確信した。安堵(あんど)し、ため息を漏らす。だが同時に天井の件は早急に対応しなければと考える。一旦部屋に戻り天井を見上げる。穴は———消えている。


 私はそれをベッドの上で見た。今、目覚めた。つまり先ほどのも夢だったのだ。床に目をやると物は散らかっておらず整理されていた。昨日部屋の片づけをしたばかりだから当然のことだ。再度外に出てみる。正確には夢から覚めてから初めての外だ。


 差し込む日光。あれは正夢だったのか。雲一つない快晴…すごいデジャブだ。遠くで鳥が鳴き、山々は早くも深緑の葉を茂らせている。せっかくの休日だ。気分転換に散歩でも行こう。


 朝飯を適当に済ませると小銭入れをナップサックに入れて歩き出す。目的もなくただ歩いた。鳥の鳴き声が心なしか近くなっている。昔から聞き覚えのあるキジバトの鳴き声だ。少しして———声が止んだ。彼らは警戒心が強い。辺りの家の屋根に視線をやるとバサッと一羽の鳥が飛び去った。

 そしてまた鳴き声を響かせる。幾百・幾千の羽音を(とどろ)かせながら投げかけてきたあの声を。キジバトだったものは桃色の鳥に代わっていた。突然周囲の木々から鳥が飛び立つ。桃色の大きな鳥だ。勢いよく空に飛び上がり群を成して夢の光景を現実のものとした。


 私は叫び声にもならない声をあげながら自分の家へ駆けだした。扉に鍵を閉めて部屋に駆け込む。直後私は気を失いそうになった。無理に走ったからではない。天井の穴が復活しているのだ。そして再び空が崩れるようなあの羽音がなだれ込んだ。無防備な私の部屋へと。



 全身から汗を噴き出しながら私は目覚めた。天井に空いたあの穴。桃色の鳥の群れ。夢だと信じていた現象の数々が、現実にまで(にじ)み出してくる感覚はまだ拭えずにいる。

 今私は本当に目覚めた。夢から、のはずだった。しかし、目をこすりながら見上げた天井には、かすかに焦げたような丸い痕跡(こんせき)が残っていた。いや、前からあったかもしれない。気づかなかっただけだ。自分にそう言い聞かせ、着替えを済ませた。


 外に出ると、風は静かで、鳥の声も遠かった。桃色の鳥などどこにもいない。だが私は、ナップサックを背負い、無意識に同じ道を歩いていた。前に「正夢だ」と思ったときと同じ道だ。途中、見覚えのある電柱の根元に、奇妙な羽が落ちていた。桃色に透けるような質感。拾ってみると、手がかすかに熱を帯びた。まるで、まだその鳥が「こちら側」には完全には来ていない、とでも言いたげだった。


 頭がぐらりと揺れる。視界の端が(ゆが)む。周囲の風景が、まるでガラスの表面に水滴が落ちたように(にじ)む。私はふらついて、地面に(ひざ)をついた。左手は体を支え、右手で頭を抑え突然の異変に困惑した。


 そのとき声がした。自分の声だった。だが、どこか他人のように冷たい。


「これは記憶だ。」


 ふと、頭の奥に、幼い頃のある記憶が(よみがえ)る。実家の古い屋根裏に上ったときのことだ。埃まみれの空間、夜に聞こえた羽ばたきの音、そして――泣いていた何か。泣いていたのは、私だったのか。それとも誰かが、そこに閉じ込められていたのか?私は再び立ち上がる。視界が戻った。周囲は静かで、変わらない日常があった。

 散歩はやめた。私は頭の中にあふれる記憶を整理しようと自分の部屋へと戻りベットへと腰を下ろした。


 ふと見るとベッドの上には羽が落ちていた。先ほど拾った羽とは違う、もっと小さな、でも同じ桃色の羽。


 どうなっているんだ。頭を抱える。

――夢と現実の境界が分からない。


 風は止んでいるのに、カーテンがふわりと揺れる。私は夢の中を歩いているのだろうか。それとも、夢が私の中を歩いているのか。

 記憶の整理をしよう。そう思い、居間の棚を探って、古いアルバムを取り出した。(めく)ると、最後のページにだけ妙な写真が挟まっていた。暗い屋根裏で撮られた子ども。私に似ているが、どこか違う。何より、その隣には私がいた。


 写真は荒く彼の顔は潰れている。笑っているのか、泣いているのかすらわからない。だが彼を確かに知っている気がする。

混乱する最中にある記憶がよみがえった。彼は閉じこもっていたのだ。私は意を決して、天井の穴の下に立つ。そして声をだした。


「……そこにいるの?」


 天井を見上げる。穴の奥に、目があった。黒く、じっとこちらを見ている。私は叫ばない。ただ、目を逸らさず、声をかけた。


「そこにいるんだね」


 私は椅子を持ってきて、天井に手を伸ばす。屋根裏部屋のドアノブに指先が穴に触れた瞬間、記憶の洪水が押し寄せた。

 幼い頃の記憶だ。私が隣を見ると私がいる。これは誰だ。私には双子の兄弟がいたのか。――それは違う。誰にも話していない、いや、忘れていたはずの存在。彼は屋根裏に隠れていた。誰にも知られずに。彼は……あの桃色の鳥は……


 ――しっかりと覚えていない。だが、一つだけ確かに言える。


 これは夢じゃない。私の記憶に潜んでいた、もう一人の私との再会なのだ。


 「見ないようにしてた」小さい声がした。


 私は屋根裏へ向かった。古びた階段。埃とカビの臭い。扉を開くと中は冷たく、静かで、誰かの気配がした。


 ――「どうして来たの?」声がした。小さな声だ。

 「早くボクを忘れなよ」


 そこにいたのは、私だった。幼い私。けれど、目だけが真っ黒だった。背中には、桃色の羽がうっすらと生えかけている。


 「ボクはね、鳥になる夢を何度も見た。ここで君じっとしてたから。誰にも気づかれず、誰にも見られず、でも、ずっと、きみを見てたよ。」


 私は足を踏み出した。何かが崩れる音がした。天井の穴が開いた。光が差し込む。鳥の群れの羽音が、遠くから聞こえる。


私は、彼に手を伸ばした。「一緒に出よう」

けれど、彼は首を振った。


 「君が出るだけでいい。ボクは、忘れられるためにここにいるんだ」

 風が吹いた。羽が舞う。桃色の、柔らかな、でもどこか鋭利な羽。そして再び空が崩れるようにあの羽音がなだれ込んできた。


 目を覚ますと、私は自分のベッドにいた。天井には、もう穴はなかった。ただ、部屋の隅に、一枚の羽が落ちていた。手にとりそれを見る。桃色の羽だ。隣にある机に置く。

 

 そうだ私は恨んでいたんだ。世界を。

 鳥は私…。いや彼自身だ。


 ベットから出て何をするわけでもなくただただ時間が経った。夢から覚めて初めて日没を迎えた。夜の帳が降りると、私は窓辺に座り込む。街の明かりがちらちらと瞬く。まるで、自分の心に残る無数の記憶の断片が、ぼんやりと明滅するかのようだった。

 私は世界を恨んでいた。いや、世界というよりも、そこにいる人々を。そして、何よりも、自分自身を。

幼い頃、私の願いはいつも踏みにじられた。どんなに泣いても叫んでも、誰も振り向かない。父の怒鳴り声、母の沈黙、周囲の無遠慮な視線。それらが積み重なり、私の中にはもう一人の「彼」が生まれた。


「どうしてボクはこんなに弱いの?」


 あの日私はガラスに映る私自身を見つめた。そこには四つの(ひとみ)がある。ふたつはいつもの私の目、もうふたつは暗闇からじっとこちらを(にら)む、内なる彼の目だった。

「君が世界を憎まないなら、ボクが憎む。」

 彼は(ささや)く。冷たい声が鼓膜を震わせる。私は何も答えられない。ただ、その囁きが心の底を覆っていくのを感じるだけだった。

この世界で愛されることなど、決してなかった。だから、憎むことだけが、私の唯一の救いだったのかもしれない。

 しかし、ふと夜風がカーテンを揺らした瞬間、私は目を閉じた。何かが微かに心に触れる。桃色のような温かな記憶の欠片。ほんの一瞬だけでも、自分は誰かに抱きしめられたことがあったのだろうか。

 目を開くと、ガラスの向こうには、自分だけが見つめる夜の世界が広がっていた。孤独で、静かで、それでも確かに、私のものだった。彼はどこへ行ったのか。


――。


 私は押し殺していた。あの頃の記憶を。でもそれは駄目だ。

 私は再度屋根裏へ向かった。古びた階段。埃とカビの臭い。扉を開くと彼がそこにいた。私は話しかけた。


「もう忘れたくない。君がいたことも」

「でも、忘れた方が楽だったでしょう?」彼は小さな声で返答する。


「楽かもしれない。でも、それは私じゃない。過去があってこそ、私は私なんだ。」

私は彼を見てそう言って歩み寄った。


「じゃあ…確かめようか。君もこっちに来なよ」彼はそう言って私の腕を(つか)んだ。痛い。

子供の腕力とは思えない。私は彼に吸い込まれるように暗闇に引き込まれる。屋根裏の出入り口がどんどん遠ざかる。

「来なよ、さぁ」彼は私に言葉をかけながらどんどん暗闇の奥へと引き込んでいく。

逃げたい…が、引き寄せられる。駄目だ。腰の、足の力が出ない。


 気づくと周囲は鳥たちの支配する空に変わっていた。私は空にいた。私の背中から生えた桃色の羽が、風を切る。大地が(はる)か下に沈み、空だけが私を包む。高く、高く。どこまでも飛べるような感覚。風の音は、誰の声にも似ていなかった。ただ自由だけがここにはあった。

 町から人々は消え、桃色の鳥が空を覆い、地平線が桃色に染まっている。


 群れの中に「彼」がいた。いや、もう私と彼の区別は曖昧(あいまい)だった。意識が溶け合い、言葉を交わさずとも想いが伝わる。彼の孤独、彼の怒り、彼の望み。私はそれをすべて見た。すべて知っていた。これは彼の世界。誰にも傷つけられず、誰にも縛られない、空の世界。


 ――でも。


 どこかで何かが引っかかっていた。心の奥底で、風とは違う、あたたかく微かな、懐かしい何かが囁いていた。


 私たちは上昇を続け、やがて雲の上に出た。青く澄んだ虚無のような空間に、鳥たちの羽音だけが響く。世界が終わった後の静けさのようだった。


 「ねえ、これが自由なんだよ」と彼が囁いた。

 

 「そうかもしれない」と私は答える。「でも……」


 遠く、記憶の中の景色が浮かぶ。小さな部屋。(ほこり)っぽいアルバム。誰かに頭を()でられた記憶。ひとりきりだと思っていた世界に、一瞬だけ差した光の温もり。


 私は飛ぶのをやめた。羽ばたきを止めると、体が降下する。空気が裂け、風が叫ぶ。彼の声が背後から追ってくる。


「戻るの?また、あの世界に?」

「私はあの世界を捨てられない」


「――また、僕を忘れるるもりでしょ」

「それは違うよ。抱えたまま生きていく。もう、君を手放したりはしない」



 振り向いて彼を見る。そのまま私はただただ落ちた。小さくなっていく彼をみつめながら。

そして—— 私は地に足をつけた。


 私は灰色の空の下にいた。家がある。道がある。なにより、「人々」がいた。誰も私に気づかない。ただ、誰もがそれぞれの日常を歩いている。私はその一人だった。


 ふと、背中に重みを感じて振り返ると、桃色の羽が一枚、肩に引っかかっていた。私はそれをそっと摘み取って、ポケットにしまう。


 私は、帰ってきた。

……本当に、帰ってきたのだろうか?

いや、最初から ——ここから逃げ出していたのは、私の方だったのかもしれない。



 私は部屋に戻った。彼はもういない。けれど、彼の存在は消えていない。それは、私の一部なのだ。


 夜が来た。風が吹き、カーテンが静かに揺れた。私は窓辺に座り、外を見た。街灯りが揺れて見えた。瞳に溶けるように。


 ――私はもう逃げない。


 世界を恨むことも、自分を否定することも、しない。ただ、ありのままの私を生きる。その傷ごと、記憶ごと。


 天井を見上げる。もうそこに穴はなかった。けれど、もしもまた夢を見たとしても、私は恐れない。そこにいるのが「彼」でも、「私」でも、かまわない。 私は、私を捨てない。私はポケットから先ほどの羽を取り出して机に置いた。静かに、羽が揺れる。

 

「過去は消せない。でも、それが私の翼になる」机には桃色の羽が、ふたつ、並んでいた。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


忘れたくても忘れられないこと、切り離したくても切り離せない想い。

それらは、私たちの中に確かに存在し、時に夢のようなかたちで現実に顔を出します。


この物語が、あなた自身の中の「大切な何か」を思い出すきっかけとなれば幸いです。

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