[003] 1/(Prélude) -(3)
「ご主人は、面白い人ですね」
「はい? どうしてそう思う」
「どうして、そんな盗人に怒るような素振りは見せないのですか」
「君が盗人な訳ではないのだから、怒っても仕方ない」
主人は驚いたような顔をして云った。何を云っている、そんな呆れた声色だった。
…普通、盗人に遭った経験があり、そんな話をしていたら思い出して不愉快な素振りを見せてもいいと思う。
だから、そんな反応を返す主人は、少し変わっている、学生は思った。
「まあ、モノは盗まれてもしょうがないと思っているし」
「そういうものですか」
「手に取れるものですから。それに、捌こうと思っても、ここにしか無いものを捌けば、盗品だと分かってしまうじゃないですか。真っ当な趣味人は、そんなことを知っているから、買わない。裏で捌くようなことは、少なくとも君のような学生には無理だしね。だから、単にお金の欲しい学生の場合ならば、少しは私も警戒を解きます。そこに加えて、君が真ッ平らだから、気に入った」
頷きながら主人が云う。
「ただ、気に入っているものを盗られたときが、悔しいものです。だから、下心のある者は近づけたくない」
「…」
「食器くらいならば、作ろうと思えば作れるけれども、ほら、そこの絵だとかね」
そう云って、主人が壁を指す。
「ああいうものは、技術は私も手にしているけれども、絵自体は同じものは無いわけで。だから無くなると悔しい。かといって、良いものをしまいこんでいるのは良くないので、飾っているのだけど」
「ご主人は、『文明』に逆らっている訳では無いと仰いましたね」
「はい」
学生の問いかけに、素直に主人が頷いた。
「それが?」
「なのに、ここまでのものを、…まるで、執着でもしているように残しているのは、何故ですか。でも、盗られても仕方が無いと思うほど、失くすことは恐れていません」
「……」
初めて、主人が口を噤んだ。答えに窮したようだ。
「そうですねえ…。恐らく…」
主人は腕組みをして、うーん、と首を捻り、苦笑した。
「多分、…代々、極端なまでに貧乏性の血筋なのでしょう」
「…貧乏性?」
主人の言葉に、学生は驚いた顔をした。
何を云っているのだろう。
「そう。ものを捨てられない血筋なのでしょうよ。自分の手で直せるものは直して使い、使えるだけの間は使う、使えなくなっても何かに使えるかもしれない、そんな考え方が極端な人間が、連綿と、代々、続いてきたのでしょう」
「…」
そういうことなのか? 学生は言葉を失った。
「文明は変化しても、その『モノ』を捨てないために、直す技術すらも身につけようと、少々本末転倒な部分もあって、私は前時代的な技術と知識まで手に入れてしまったのだけど」
主人は相変わらず、苦笑する。
「つまり…、別に、『保存する』という目的では無いと?」
その質問に、主人はあっさり頷いた。
「そう。自分の生活のためだけですね。酒場のあるじ、という職が気に入っているから、その営業をし続けるためだけ。人類の遺産などというようなことは、全く考えていない」
「…」
「私は未だ独身なので、この酒場も私で終わるのかもしれない。でも、それを、私自身は惜しいことだとは思っていない。私の私財が、私が死んだ後に保たれないとすれば、それはそれでしょうよ。お客様に酒場自体が無くなることを惜しまれるならば、それが哀しいけども、あるじ冥利に尽きると嬉しくもあるだろうね」
「そういうものですか…」
「そういうものです。極端に貧乏性な人間が続いたものだから、残したというより、残ったのですね、ここは。その貧乏性が故に酒場がはやって、お金持ちにはなっていったけれども、それでどうこうということは無い。税金がナンだから、この上のビルなども建てたけれど、私自身は酒場のあるじ」
ふふ、と笑って主人が云った。
計り知れない人だ、と思う。
でも、…面白い人かもしれない、とも思った。
「それで君」
「はい」
主人が顔を覗き込む。ぴくん、と肩を強張らせて、背を伸ばす。
「さっきから、随分話を伸ばし伸ばしにしているのだけど、働いてもらえるのかなぁ」
「…あ」
「どうなの?」
「あ、あの、宜しくお願いします」
…反射的に云って、頭を下げたけれども、いいのだろうか、という気も、まだあった。
主人は、「はい、こちらこそ宜しく」と頷いて、にっこり笑った。
でも、ここの待遇が、やたら良いのは確かで、取り敢えず学校は辞めずに済んだことを喜べばいい。
「じゃあ、さっきのIDカードを貸して」
「あ、はい」
主人が手を差し出したので、慌ててカードを渡す。
主人は端末に掛け、何らかの処理をした。多分、今までのアルバイト先でも当たり前だった、従業員登録をしているのだろう。…主人の言葉に嘘は無い。全く「現在」の技術が無くて、店が営業出来はしないのだ。
「それじゃ、これ、ここの鍵」
カウンターの下から、主人は新たな磁気カードを出し、IDと共に差し出した。…それから、小さな、棒のようなもの。
学生が首を傾げる。
「これ、何ですか」
ぎざぎざとした金属の棒の先端が、飾りなのか、少し膨らんでいて、三角形になっている。
「鍵」
主人があっさりと云う。そして苦笑した。
「そうか、分かりませんか。これが必要な扉もあるから、持っていて下さい。後で教えてあげます」
「…はい…」
これが鍵?と首を捻る。…もしかして、この時点で既に、とんでもなくレトロな物品を自分は手に入れていないか?などと思う。
「カードキーのパスワードを入力して」
主人はそう云うと、学生に端末のキーボードを回した。これは慣れている、よくあることだった。
学生がカードをスロットに入れ、いくつかのキーを叩いた後、エンターを押すと、ピー…と小さく音がした。
「はい、OK。…えーと、他に何かあったかな。…ああ、そうだ」
主人は、ポン、と手を叩いて、また何かを取り出した。
「君、字は書ける?」
「はい?」
「手書きで字を書けますか? 最近、君くらいの年齢で手で字を書ける子、ものすっごく減ってるから…」
「あ、ああ、はい、多分、一応…」
「多分、一応、ね」
主人が苦笑して、それでも頷いた。
「では、ネームプレートを書いてください」
「…はい?」
「これ」
目の前に出されたのは、小さな…「紙」?
「えッ」
「モニタにマウスで書け、って云ったんじゃありませんよ」
「…」
主人は当たり前のように云うが…、学生は戸惑っていた。
「わ、分かりました」
「はい」
そして差し出されたのは、また、細長い棒。
主人は、これは使い方がハナから分からないかもしれない、と察し、キャップを外して、わざわざ学生の手に持たせた。
学生は、何とか「紙」に「ペン」の先端を下ろし、白い「紙」にじんわりとインクが染みたのを見て、驚きながら手を動かした。
うんうん、と主人は笑顔で頷き、最後の一文字を書き終わった段階で、「はい、どうも」と云いながら素早く学生の手からペンを取った。
「ではこれを」
と、主人は、紙片を透明なプラスチックに挟んで、渡した。
「制服があるから、それの胸につけてください」
「…は、い」
学生は目を白黒させていた。とんでもない経験をしたかもしれない、そんなことを考えていた。
「仕事は…やりながら覚えてもらった方が良いから、…明日から来てもらえるね?」
「はい」
「じゃあ、その鍵を使う扉とか、控え室を説明しておこうかな」
そう云いながら主人は立ち上がった。
「私は、まず事務所の方に出勤するのだけど、君は直接にここに来てもらって良いからね。ああ、でも、しばらくは事務所に顔を出してもらおうかな。仕事の説明をしなくてはいけないから」
そう云いながら、主人が歩き始める。
頷いて、後を追いかけながら、訊いた。
「あの、あれは、何ですか?」
ずっと、…主人に、興味の対象が余り無いと云われていた学生が、店に入った時から少し気になっていた、それ。
テーブル? それにしては、やたらと板が狭い。それに、その板がくっついている正面の、棚のような幅のものは?
主人が、学生の指差したものを見て、目を細め、そして、学生を振り返り、ふ…と笑った。
「そうか…、君にも、興味の対象になるものが、ここにはあったか」
そして、そんな意味深なことを云った。
「でも、あんなものは盗られないから大丈夫でしょう…」
「…何ですか?」
主人が答えた。
「ピアノだよ」