[002] 1/(Prélude) -(2)
「まず、性格が平ら。自分の価値もよく知らない、だから尊ばない、…そして欲や興味が無い」
「…短所を云われているような気がします」
「長所です。さっきも云ったけど」
主人はあっさりした声で云って続けた。
「しかし、それなりの倫理観はある」
「…」
「安心なさい。ここは、水商売の店だけども、『そんな』斡旋はしないし、誘うお客も追い出すから。ああ、でもお客様との『恋愛』は禁止しないけど」
「…はい…」
「でも、見栄えはそれなりに良い方がいい…。君は自分で分かっていないかもしれないけど、本当に可愛いよ。多分、君が気づかないだけで、秋波を送っている人は居るに違いない。勿体無いですね」
ふ、と笑って主人が云う。何と答えて良いものか分からず、結局相槌は打てない。
気にせず、主人は続けた。
「一番の理由は、ここのことを知らなかったということかな」
「…どうして、それが?」
普通、雇われる職場のことを知らないというのは、致命的な不採用理由になるのじゃなかろうか。
「知ってて持ち上げる人間の方がタチが悪い」
主人が云う。
「ただ働きでも良い、ここで働けるだけで名誉なことだから雇ってくれと、そんなふうに褒め称える人間の方が、私は採用出来ない」
「…」
主人は、また、店内の方へ視線をやった。
「ねえ、君。ここは、建物だけじゃないのですよ、歴史を持っているのは」
「…え?」
「調度から何から…酒に至るまで、全て先人の手によるもの。『現在』の製品や技術は、殆ど無いの」
「……えッ…?」
「だから、私しかここを営業出来ない。文化遺産にされて、営業出来なくなるなら、私は出て行く。そう云ったから、政府のお役人は諦めました。ここを維持出来るのは、私しか今は居ないのです」
「…あなた自身すらも、遺産だということですか」
「ああ…、そうも云えるかもしれないね。でも私は、商人に過ぎない。酒場のあるじで充分です。代々の仕事がソレ」
くす、と主人が笑った。
「まあ、全く無いとは云わないけれども。何せ、口にするものはまさか何世紀も前のものである筈がない。現在の技術で作られたアルコールも料理も出す。でも、現在の人間には技術が無いので、古典的な、ここにある酒も料理も作れません。ここに来るのは、それを味わい、雰囲気すらも楽しむ、そんなお客様です」
「…」
「そうだねえ…、酒場というよりも…、君」
「は、はい」
「『レトロ』のテーマパークに雇われたとでも思っていると良いよ。私にとっては酒場に過ぎないのだけども、お客さんはそういうつもりで来る方が多いから」
「……」
テーマパーク…? 博物館とでも云った方が良いのではなかろうか、そんなことを思った。
「あの」
恐る恐る、という声で主人に云った。何ですか、と首を傾げた主人に訊いた。
「雇ってもらえるんですか?」
「そう云いました」
「…出来ますか、ここでの仕事が…」
「君にその能力があるかどうかということ? 大丈夫だと思うけどね。君、今まで飲食店でのアルバイトの経験はあるのでしょう?」
IDカードをひらひらさせて、主人が云った。
「ありますが…、特殊技能は必要ありませんでした」
「…雇われるとなったら、怖気づいた?」
くす、とからかうように笑って主人が云う。黙ったまま、主人の言葉を聴いていた。
「ここでも特殊技能は必要ありません。ああ…、そうだ、仕事の内容の確認をしておくべきだった」
苦笑して主人は頭を振り、まるで独り言のように続けた。
「君に手伝ってもらいたいのは、開店業務閉店業務、それから…接客。普通、よくある内容でしょう。アルコールを扱うというだけ」
「…」
「君が今まで経験した飲食店では、どんなことをした?」
「開店閉店では、店内の掃除や、食材の仕込みなどです」
「そう、うちも同じです。仕込みは私がやるから、掃除を特にやって欲しい」
主人は、ピ、と指を1本立てて、こくん、と頷いた。
「ただ、この建物を維持するには、現在行われているようなクリーニング方法ではダメだというのもあるので、それは覚えてもらいたい。でも、すぐに覚えます。昔の人に出来て今の人に出来ないということは、決定的には無いのですよ、君」
「…」
「接客については、云ったでしょう、ここに現在のものは殆ど無いと。つまり、最低限には、ある」
そう云って、カードを摘んで、学生に差し出した。
「これが使えなければ、お会計は出来ないからね」
「…そうですね」
笑った主人に、学生は素直に頷いた。
「会計用の機械は、大抵、最初に扱いを覚えるものです、どんなお店でも。だから、特別になにか知識が欲しいということは無い。君が、開店中にすることは、エントランスの前でお客様の受付をして、席にご案内すること、メニューを取ること…」
「メニューを取る? 給仕が?」
少し驚いた顔をした学生に、主人は苦笑して、ああ、と頷いた。
「そうか、そこからまた説明しなくてはいけないんですか。まあ、それも端末を使うから大丈夫。あのね、お客様のテーブルに行って、メニューをお出しして、選んだものをこの」
主人は云いながら、カウンターの下から小型の機械を取り出した。
「端末に入力します。そうしたら、カウンターの方に伝わるから。…こんな方法すらも、もう旧いのだからねえ…」
最後の言葉を、主人は感慨深そうに云った。
「でも、難しいことではないでしょう」
学生は戸惑った顔のままで、「はい」と頷く。
「初めてのお客様などには、普通よくある方法でなくては、戸惑いがある方も居られるので…、ご案内する席が変わる。その辺りも、だんだん覚えてくれればいい。常連の方と一見の方との区別は、エントランスでまずIDを見せて頂くので、顧客リストで分かります」
「……」
「メニューを君が取るのと同じく、料理やお酒も、君が出す。…方法に戸惑いはあるかもしれないけど、絶対に『出来ない』ような特殊な技能ですか?」
学生の顔を覗き込んで、主人が云う。…戸惑った表情のままで、「いいえ」と首を振った。
そうでしょう、と主人は頷いた。
「幾らなんでも、現在のシステムが無くては何も出来ない。私は、『文明』に逆らっている訳ではないんですから。ただ、この酒場を営業しているだけです」
「…はい」
「詳しい仕事内容は、段々と覚えてもらえればよろしい。辞めたくなったらいつでも云いなさい。君は珍しく、私が雇い入れるに気に入ったタイプだから惜しいけど、問い合わせは山ほど来ますから、そのうちいつか、君みたいなタイプが来ることもあるでしょう」
「あの…」
「はい」
「本当に、いいんですか」
「まだ訊きたいの?」
主人が苦笑する。
「どうして、そんなに自分が信じられないかなあ…。段々、私のことも信用されていないような気になるじゃないですか」
「そんなことは、ありませんが…。どうして、この場所で働けることを名誉だと思う人も居るのに、そうした方じゃなくて、何も知らない人間を雇う気になるんですか?」
「……ああ…、まだそこが分からないのか…」
フウ…と主人が息を吐いて、学生の顔を、じっと見た。
「君には下心が無いように思えたからね」
「…」
「分かるかなあ…。本心から、ここで働けることを名誉だと思う人間ってね、つまりは欲が、下心があるんですよ。こういうものが」
そう云って、主人は店内を見回した。つられて見回す。
全く気に留めていなかった内装…壁にかかった絵、ランプ(確か、そういう名前の照明器具)、花瓶(花を生けているビンだからそう云っていいのだろう)…これらの殆どが、博物館に入って可笑しくない歴史を持っているという。
「好きだから、この場所で働きたいとね。…そうなると、欲しくなるでしょう」
「…そういうものなのですか」
「あっはっは、ピンと来ないのか、君は。いいね、あまり興味というものを持たない人間というのは」
とても愉快そうに主人が笑った。
「つまりね、率直な話、盗人が面接に来ることもあるんです」
「…」
「ここを知っていて、おべんちゃらを云う人間も、盗人のことがある。それは、私の目を盗んで店の酒を勝手に飲む者であったり、会計を誤魔化して、自分の口座に転がす者であったり…、ここの備品を盗んで、捌く者であったり」
主人は随分、あっさりした声で云った。そういう者が今まで居たとすれば、怒ってもいいのに。
「先代のあるじは私の親父殿なんですがお人よしだったので、持ち上げられて雇い入れて、泣いたこともありますよ。だから、私は、人を吟味します。ちゃんと、この店で面接をして」
そういえば、と思い出す。
問い合わせをして、面接の日時を決め、まず事務所まで行った。それは、地下である酒場の上に建っているビルの最上階にあった。そこから、「話は店で聞きましょう」と云ってつれてこられたのだ。
「君は、どうして事務所じゃいけないのだ、という顔をしていたね。その辺りから、気に入っていましたよ」
くすくす、と主人が笑った。
「下心を持っている人間は、そこで目を輝かす」
「…」
「店に来れば来たで、そわそわと私の質問に答えるどころじゃない…。そんな人間は危なくて雇えません」
「…何も知りませんでしたけど、そんな話を聞いてしまえば、盗人になってしまうかもしれません」
独り言のように云った。主人が、ピクン、と眉を動かして、ふふふ、と笑った。
「お金がとても欲しいので」
「でも、君はそれをしない」
「どうして分かります」
「それなりの倫理観は持っている。そう云ったでしょう? 君は、価値を尊んでいない自分の身体の一部を売ることは出来なくて、人のものを盗って売ることは出来るんですか?」
「…いいえ」
しかねないほどお金には困っているけれども、そんな勇気は無い、その程度には自分を知っているので、首を振った。
何となく…、会ったばかりの酒場のあるじに、信用してもらっているような気もして、嬉しくもあった。珍しいことを思う、と自分で少し驚きもしていた。