第2話 アダムの居場所
「……おれの母さん、が、偽物……?」
ぱん、と乾いた音がして、もう何発目かわからない銃弾が飛んできた。その瞬間、いくは右腕を歪に変形させて銃弾を振り払う。いくの右手の壁には、今までの銃弾が何十、何百と突き刺さって凸凹としていた。何度も繰り返される発砲に、涙や涎を流しながらも心のどこかはもうとっくに麻痺していた。
「ウン。キミの母親……三木なづなとキミの間に血縁関係は一切無いよ。あるのは誘拐犯と被害者の関係だけだね」
あの日、母親といくを撃った人物が、目の前でまったく同じ格好をして拳銃を構えている。逆光でよく見えなかった顔は青白く、べっとりと張り付いた隈とぎょろぎょろした黒目の小さな瞳も相まって死神か何かのような不気味な雰囲気を持っている。黒黒したウルフヘアーのてっぺんをゴキブリの触覚のように2つに結んでいるのがどうなもちぐはぐだ。
「……てか、2週間前からそう言ってるんだケド」
目の前の死神は呆れたように肩をすくめた。いくはその2週間前、という表現に少し引っ掛かった。いくはあの日気を失ってから、気付いたらこの部屋にいた。コンクリートが打ちっぱなしの部屋。無骨な椅子にベルトで拘束された状態で目覚めた彼は、あれから何度も銃で撃たれ続けている。何度も、何度も、弾が皮膚に減り込んでは痛みで気を失い、傷が治った頃に目覚め、また撃たれることの繰り返し。腕を変形を自在にコントロールできるようになってからはほとんど被弾することは無くなっていた。しかし、死神は今2週間と言った。何度も被弾と治療を繰り返したにしてはやけに短い期間だ。いくの体感では、ゆうに半年は経過しているように思えた。
「三木なづなは当時働いていた孤児施設にいたまだ2歳のキミを連れ去り逃亡した……そして自らを母親と認識させることで幼いキミから判断力を奪い、そのまま13年間軟禁……自分の意思で家にいると思ってた?キミ、別に太陽光アレルギーでも何でもないからね」
死神は鼻で笑いながらもう一度いくの体に銃弾を撃ち込む。いくが右腕を変形させて弾く。
「随分コントロール良くなったネ」
「……でも」
掠れた声が引き攣って喉に張り付くが、いくは唇にヒビを入れながら懸命に口を動かす。
「……母さんは、俺が見つかったら、こーゆーことされる……ってわかってたから、俺のこと隠してたんじゃ無いの、ん、です、か……」
人生で初めて、まともに他人と会話するせいで言葉遣いはめちゃくちゃだ。それでも、自分と母親が、例え血縁関係がなかったとしても、親子であったということだけは否定されたくなかった。
「母さんは、俺のこと愛してた……」
母親が、好きすぎて自分のことを誘拐したのならそれで良い。それが良かった。
「うーん……完璧なストックホルム症候群ってトコロかな」
「だって、母さんは、俺のこと抱きしめてくれた、し、キスもしてくれ、た」
「キスってディープキスデショ?それは世間では性的虐待と言われてるんだよ。」
「ぅ、うううう……」
いくの頭の中で、『母親』の存在が黒く塗りつぶされていく。15年間、いや、13年間ずっと自分の世界の中心だった、自分の拠り所だった母親。本当の彼女のことを知ることは、もう二度とできない。『母親』という存在なくして『子供』は存在できない。いくの唯一の居場所が、足元から崩れてゆく。いや、そんなものは最初から無かったのだ。
「……信じない……し、信じなぃい……」
「あのサ、正直そんなコトどーだって良いんだよネ」
ぐっと、死神がいくの髪の毛を掴み上げる。脂肪のない冷たい手は、ゾッとするほどの力を持っていた。
「キミをこれからどーしてやろーかってハナシ」
死神は、震えるいくの目前に1本指を突き出した。
「15歳、教養もなければ社会経験もない。オマケに右腕がこんなんなっちゃってる。……この社会のどこにキミが必要?」
「うぅうわぁ、あぁああ……」
「良い加減泣くのやめなよ」
チッと舌打ちが聞こえ、いくの頭が硬い椅子の背に押しつけられる。いくが痛いと溢しても、力は緩まない。
「1つだけ」
「1つだけ、キミを必要としている場所がある」
死神が小さく呟いたので、いくは無意識に耳に神経を集中させた。自分でも知らないうちに、『居場所』を求めているからだ。
「日本特異生物排除隊」
にほんとくいせいぶつはいじょたい。聞いたこともない言葉にも関わらず、どうにも嫌な響きに感じる。それはこの言葉そのものが持つものか、それとも目の前の死神のせいか。
「キミにはこれから、お国の為に命を賭けて戦ってもらうよ」
死神が緩やかに口角を上げる姿は、ゾッとするほど悍ましく、けれども、何故だか同時に母の柔らかな笑顔を思い出させた。




