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伝わりますか  作者: 朧 月夜
【壱】月見草の恋歌
5/18

[四]

 外は既に夜の(とばり)が降り始めている。


 織田軍が彼の屋敷を取り囲むのに要した時間は、あれから半刻(はんとき)。その間に悠仁采は緊急軍議を開き、以前より立てていた作戦を遂行することとなった。


 あの時、橘 左近のままでいたならば、どれほどの戦略家になれたものか。

 織田軍などは目でもないだろう。それほどの力だ。

 悠仁采が真の力を出せば、織田にも勝てるやも知れない。が、今居る兵の数は数十。月葉が堺に辿り着くまで持つかどうかの戦力である。


 八雲軍の戦術は幾らもなかった。

 元々が館ゆえ、城のように高い塀もなく、弓隊を配置するのは危うい。又、山中で急な傾斜が多いことから、馬上の戦いも避けなければいけない。

 しかし逆を申せば、山道であることを利用して、落とし穴など罠といえる罠は全てに仕掛けてある。が、それも大した妨害にはなるまい。


「悠仁采様っ! 織田軍、まもなく到着とのことです!」


 月葉を堺に向かわせる従者とは替わって、以前の諜者が軍議の間に飛び込んできた。月葉は既に館を出ている。隠れている彼女を見つけ出すのにかなり手間取ったが、籠に入れてしまえばこちらのものであった。(いくさ)が始まる頃には半里ほど離れているだろう。


「皆は自らの位置に就け。馬が罠にはまって混乱している間に総攻撃をかける!」


 果たして家臣一同大きく頷き、部屋を出ていった。


 ──月葉が堺に着くまで長引かせねばならない──。


 ぽつりと独り大部屋の汚点のように残された悠仁采は、腰を降ろしたまま宙を見上げた。この部屋、この館。今まで月葉が居たことが嘘のようでならない。


 それほど微笑うおなごではなかったが、それでも時折見せる笑顔は可愛いものだった。

 愛しているという訳ではなかった。簡潔に言えば愛であっても、愛しているという言葉では割り切れない何かがあった。彼女は彼の半分であった。


「月葉……」


 何気なく、口癖のように呟く。何度となく口にした言葉なのに、その間と言ったら数日でしかない。

 彼女を守りたかった。守らなければならなかった。彼女は彼の半分なのだから。

 (いくさ)は負けるであろう。しかし八雲軍全員戦死するなり、自害なりすれば誰も月葉のことは知らない。知られずに済む。


 月葉が残していった書状は、織田信秀に宛てられた嘆願であった。

 彼女も水沢との(いくさ)、織田家が勝つと悟っていたのだろう。自分は悠仁采に助けられたが名を偽り、この館で女中として働いて身を隠していたと、自分を知らぬこの館には何の非もないのだと、八雲にお咎めが及ばぬよう、粛々と弁明が述べられていた。

 が、せめて父親が和睦に落ち着くまでは──過去の悲劇をひとときでも忘れ、悠仁采との時を大事に過ごしたかったのかも知れない。


「悠仁采様、そろそろお支度を替えませぬと……」


 未来の瞳炎(どうえん)の父である小姓がおずおずと言った。悠仁采はだるそうに腰を上げ、無言で部屋を退く。


 脳裏に浮かぶのは最後に映った月葉の表情。彼女は声でない声で彼の心に叫んでいた。“悠仁采様を私の犠牲になどしたくはないのです!”と。


 そしてもう一つ映る情景。

 それをただ見つめることしか出来なかった彼。

 見つめることしか、出来なかった彼……──。




 その頃、月葉はと言うと、気を失ったまま籠の中で揺らされていた。

 館を出てからも暴れ、仕方なく失神させられて今に至る。


 ──小さな琴の音がする……。


 と、彼女は意識の奥でそう思った。


 ──母上様の曲だわ。


 遠い遠い想い出。幼き頃ゆりかごの中で聞いた音楽だ。揺られている所為だろう。忘れている筈の記憶が蘇った。


 そして、記憶は近くへと戻る。

 次に聞こえてきたのは馬の足音だった。


 ──何て赤い──。


 視界は赤というより紅。まるで血液のような真紅と夕日のようなぼやけた朱。

 助けられ馬の背に乗り、館へ運ばれた時のことである。


 ──誰?


 背後から現れた黒い影に温かさを感じる。大きな優しい力だった。けれど……何故だろう。どうしても彼に触れることが出来ない。


 ──誰? どなたなのですか? 私を助けてくれたお方……?


 馬の足音が徐々に大きくなって、逆に彼の影は薄らいでいった。彼は笑む。が、それも一瞬のこと。


 ──私を何処に連れていこうというのですか? 嫌です、私はあなた様のお傍に居たい。一日でも、一刻でも、あなた様のお傍に……!




 ──悠仁采様──!!




 彼女は凄まじいほどの汗を流して目を覚ました。


 籠はひたすら走り続けている。このまま行けば、引き返すことも出来なくなるだろう。戦いが始まる前に戻らなければならない。

 しかしその時彼女の鋭い耳に聞こえたのは、開始を告げる法螺貝の遠き笛の()であった。


 (いくさ)が始まった!

 月葉は心を決め籠から飛び降りた。見つけられないよう山道を走っていたため急な坂道で、幾らか転がり泥まみれになる。足は従者に草履を預かられ素足であった。


 それでも。

 悠仁采を助けられるのなら、大した苦労にはならない。


「つ……月葉様!」


 突然のことで動転した従者達は坂道に足を取られ、尻餅をついた状態でようやく叫んだ。その間に月葉はもう遠くを走っている。


 彼を助けなければならなかった。もう二度と人に振り回される人生を歩ませてはいけなかった。彼は彼女の半分なのだから。


 ──どうか生きていてください。


 織田に追いかけられた時と同様に従者に追いかけられながら、彼女は必死に走る。

 ひたすら、ひたすら、死を待つ悠仁采の元へ──。




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