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伝わりますか  作者: 朧 月夜
【壱】月見草の恋歌
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[三]

 さて、話を戻すとしよう。


 その後そうしている間に十日ほどが経ってしまい、今になって彼の考えは揺らぎ始めていた。


「月葉……」

「……?」


 茶を差し出しながら小首を(かし)げる。月葉にとってはそれが疑問表現なのだ。


 ──果たして、戦うことが月葉にとって望ましいことであろうか。


 しかし、今更のことであった。

 あれから数人の兵士が館を出ていったが、それらは全て雑兵(ぞうひょう)の内で、旧知の家来は──もちろんあの側近でさえも居座っているのである。


 ──そろそろ話さなければなるまい。


 悠仁采は人払いをし、月葉の傍に寄った。

 彼女は茶を持ったまま依然として、彼が何を言いたいのか分からぬように佇んでいる。


「織田と水沢が戦っていることはお前も知っておろうな」


 突然の彼の言葉に、月葉は碗を落とした。茶水が広がり畳の中に染み込み、薄い緑の汚点を描いた。


「お前は水沢に戻るか、それとも織田に嫁ぐか……どちらかを選ばねばなるまい」


 茶のことは一切考えずに、悠仁采は冷静に話をした。しかし飽くまでも表情のみである。


「が、お前にとってはどちらも喜ばしいことではないだろう。この勝負、織田が勝つ」


 泣き出した月葉は、そのまま胸の中にしがみついていった。もう何も言わないでほしいというのか。けれど悠仁采は、月葉を受け()めたまま話し続けた。


 今、伝えねばならない。


「堺で無束院という町医者を開いている者がおる。わしも良く存じている男で、孤児(みなしご)も預かる平和な場所だ。お前は其処に行くが良い」


 この時哀れにも、(のち)の無束院の助医が自分の敵になることを知らない。


 月葉は胸の中に顔を(うず)めたまま、数回何かを言うかのように唇を動かした。しかし彼に聞こえる筈もない。口をきけぬ者の(さが)だ。


「其処へ()かば必ずや見つかることはないだろう。わしらはお前が逃げ延びる間敵を防ぐ。敵が……織田か水沢か、それとも両軍かは分からぬがな」


 皮肉のように彼は(わら)った。簡単に言えば捨て駒になるということだ。嗤っている場合などではない。嗤いながら涙が流れていることに気付く。流れて彼女の頬に落ちた。気取(けど)られたかも知れない。


「……わしの、身の上話を、聞かせよう……」


 と、悠仁采は月葉を強く抱き締め、途切れ途切れにそう言った。


 “何故(なにゆえ)私にそのようなことを”


 崩れそうになった身体を抱き()めてくれる力強い手に疑問を感じる。


「わしが十三になったばかりのことだった。わしの家は堺の橘という、その当時かなり大きな大名館で、わしはそこの嫡男(ちゃくなん)の一人だった。一人というのはわしが双子の片割れだったからだ。弟はわしの冷静で情緒なき性格とは違い、柔和で優しい心を持ち合わせていた」


 月葉は緩んだ腕の中から顔を上げて首を横に振った。“悠仁采様は冷たくなどありはしない”というのである。


「気にするな。わしは自分はそれで良いと思っている。……話を元に戻そう。その頃町では、わしと弟と、どちらが橘家を継ぐかという話で持ちきりになっていた。皆はわしだと思ったに違いない。何となれば、大名家を盛り立てるだけの荒々しい気性を持っていたのは、わしの方だった」


 悠仁采は一息つくと、呼吸を整えた。

 涙が止めどなく溢れる。


「しかし父はわしより弟を愛した。誰よりも父の言う事を良く聞く、そんな人形のような弟をなっ!」


 カッと目を見開く。脳裏に現れたのは憎き父、哀れな自分……そして人形の弟……。


「父は悩んだ。このままではわしに実権を握られる。……考えた末に至ったのは、わしを勘当することだった。父は、わしが弟を暗殺する謀略を立てていると偽りを流し、わしとわしの家来を追放した。……橘 左近は、八雲 悠仁采と名を変えた」


 そして月葉を離し、話を止めた。

 突然自由にされた所為で体勢を崩した彼女は、涙を見せぬために背を向けた悠仁采の広い背中を見詰める。


「お前を、わしの二の舞になどしたくないのだ」


 彼のそんな小さな呟きも、彼女は聞き逃さなかった。


「親に振り回される人生などに縛らせたくはないのだ」


 彼の背が小刻みに震えている。泣いているのだ。月葉は悠仁采と同じ事を繰り返す自分に大きな痛みを感じた。胸の奥が痛んで息が苦しくなる。


「月葉……?」


 静まりかえって彼女が居るのかどうかも分からないほど気配が薄らいだ頃、彼はその沈黙に不安を感じて名を呼んだ。


「月葉!」


 その途端、月葉は耐え切れなくなったように(へや)を飛び出していった。彼女がうずくまっていた畳の先に、ぼんやり白い残像の如く一枚の書状が残されている。美しい文字の並びは月葉が書いた物に相違なかったが、その宛てられた名に愕然とした悠仁采は、しばらく身動きが出来なかった。心の中で闇が(うごめ)く。もはや手立てはないというのか。


 ぱた、ぱた、ぱた……


 その時、月葉の物とは違う──こちらへ向かってくる大きな足音が聞こえた。一人だ。


「悠仁采様っ……! 悠仁采様っ!」


 男の焦燥は遠くとも手に取るように分かった。廊下から中の様子も聞かず、障子を蹴散らすように開いた男は(ひざまず)き、そのまま大声で述べた。表情は蒼白で恐怖に淀んでいる。


「何だ? 騒がしい」


 平常に戻った悠仁采はその男とは違い、かなり冷静に相対した。いや、右手だけは涙の痕を隠すために必死に動いているのだが。


「只今伝令が入りました。百数十の軍勢、こちらに向かっているとのことです!」


 男は眉間に汗をかきながら口早に説明をし息をついた。遠方より走ってきたのだろう。息が荒い。


「……早いな。間者でも出たか?」


 と、悠仁采は驚く様子もなく()う。見知らぬ輩が出入りしていた可能性があると見なければなるまい。


「分かりませぬ。……敵は織田。昨朝水沢と和睦約束し、月姫を人質として織田信秀の近縁(なにがし)かの元へ輿入れさせるに至ったとのことですっ」


 事は悠仁采の予測どおり運ばれたようだった。そして今が時だ。彼は顔色を変えるや、すっくと立ち上がった。やがて雄々しく叫ぶ。


「敵は織田。……よし、早急に籠を用意しろ! 月葉を探し出し、お前は堺まで運べ。我らは(いくさ)の支度をする!」




◆以降は2014年に連載していた際の後書きです。


 町医者 無束院を営む明心は【序】でも明らかにしております通り、忍者 葉隠の頭領なのですが、彼と悠仁采の『繋がり』は、初秋に連載予定の【弐】にて明かされます。




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