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伝わりますか  作者: 朧 月夜
【弐】弟切草の想い出
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◆未来 [終]

 無束院の縁側に、宵闇が広がり始めていた。


 右京は明心との話を終え、独り中庭に佇む一本の桜の木を見詰めていた。春には華やかなこの木も、秋の始まりには森の一部にしか過ぎない。


「……右京……様?」


 いそいそと障子を開いて、背後から遠慮がちに声を掛けたのは、少し肌に蒼みを残した秋であった。


「気が付きましたか」


 憂いに満たされた右京の顔に、(へや)の灯りが零れて、その表情に()が点った。しかし秋の唇は震えたままだ。


「あの……おじじ様と、(あに)(さま)は……?」


 右京に促されて隣へ腰掛けた彼女の瞳は、これから聞かされる真実に怯えていた。が、明るさを取り戻した右京の顔つきは変わらなかった。良い知らせを抱えていたから。


「お二人共、ご無事だそうです。柊乃祐(しゅうのすけ)さん──あの応援に向かった助手の方は未だ戻られませんが、弥藤多(やとうた)さんという少年が遣いを頼まれ、伝えてくれました。もう心配は要りません」


 もちろん影狼の偽りと……そして善意である。秋はそれを耳にして、


「そうでしたか。……良かった」


 と、ほっと一息胸を撫で下ろし、安心したかのように目を閉じたが、それきりじっと動かなくなってしまった。口元は依然きりりと閉じていながらも震えている。


「……どうかしましたか?」

「あのっ……これで本当に良かったのでしょうか?」


 まるで右京からの問い掛けを待ち侘びていたかのように、(せき)を切って疑問を投げた秋の面持ちは、心からの悲痛な叫びを表していた。


「え……?」

「私は……おじじ様どころか、右京様までも巻き込んでしまいました。あのまま──信近様を受け入れていれば、こんなことには──……私は……」


 秋の睫が涙に濡れた。それは頬を伝って、ぎゅっと握られた手の甲に落ち、ひんやりとした感覚を与えたが、刹那、次に感じられたのは、包み込むような温かみであった。はっとして眼を開いた秋の視界には、自分の手を握り締める大きな手と、そして隣に優しい右京の微笑みがあった。


「姫……あ、いえ……秋。もしも私が今でも橘の当主であったなら、私は必ずやあなたを伴侶にと、伊織様に申し出ていたに違いありません。ですが私があなたに出逢った時、既に家を失っていた。あの時私は全てを諦めたのです。そんな私にあなたは機縁を与えてくれた……全てを失ってまで、私について来てくれようとしているのは──秋の方ですよ」

「右京……様──」


 涙が零れることも構わず、大きく見開かれた秋の瞳には、眼を細め、更に微笑んだ右京が居た。


 彼女の頬を優しく撫でてやる。熱を保ち、凍ってしまった涙を溶かしてくれるそんな手。


「右京様」


 胸の中で包んでもらう。温かな手を持った人の胸はどれほど温かであろうか。


「あ……あれを見てください。あんな所に弟切草が……」


 暗闇の中にうっすらと黄色い花影が見えていた。悠仁采の身も心も癒した花だ。


「おじじ様、今頃何処かで静かにお休みになられているかしら……」

「きっと──。あのお方は二度も橘を助けてくださった……元気でいてくださらねば、恩も返せませんからね」


 二人は弟切に近付き、しかし愛でるのみで、摘むことはためらった。


「右京様のお家を……?」

「詳しくは中で話しますよ。どうやら食事の仕度も出来たようですし」


 振り向けば、弥藤多と雫が二人を呼びに、障子の影から顔を覗かせていた。


 右京と秋はお互いの手を取り、ゆっくりと弟切に背を向けた。温かな食卓に賑やかな子供達の声。ささやかながら小さな幸せの始まりが、戸口の隙間から光差していた──。




 ──この一件の後、敏信は──。

 

 悠仁采の首と秋の櫛を信長の御前に差し出し、結果異例の重用を受けるが、本能寺の変後の彼と、水沢の行く末を知る者はいない。

 唯一つ、以降の彼が伊織の名を使うことはなかった。




 ──そして右京と秋の二人は──。

 

 暫く無束院に留まった後、葉隠の山里を目指した。

 右京は悠仁采を尊び、姓を佐伯と改め、秋も又、秋穂と名を変えた。

 一男一女に恵まれ、我が子のみならず身寄りのない子を預かり、小さな寺子屋で文武を教えた。その中には葉隠忍者の末裔になった者もいるという。




 伝わりますか? 私はいつまでもお待ち申し上げております。

 あなた様が天へ昇られます、その時まで──。



 ──伝わりますか──




      【完】




◆弥藤多は少年忍者 暎己(うつせみ)の、忍びでない時の名前です。



◆お気付きにならない方も多いと思いますので・・・今話の以下の文章は【壱】の第一話後半の文章とリンクしております。


 >彼女の頬を優しく撫でてやる。熱を保ち、凍ってしまった涙を溶かしてくれるそんな手。


 >胸の中で包んでもらう。温かな手を持った人の胸はどれほど温かであろうか。



◆余計なお世話かと思いますが、月葉の最後の二年が何故幸せだったのか・・・それは嫁いだ主の声が悠仁采のそれに似ていたからでした。瞳を閉じれば彼女の目の前にはいつも悠仁采が居て、微笑むことも従順でいることも出来ました。そのために言葉は話さずとも、主の寵愛を受けられたものと思われます。




 最後までのお目通しを、誠に有難うございました。 朧 月夜 拝




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