SMD様主催 競演短編 -『別れ』-
◆以降は2014年に連載していた際の前書きです。
遥か遠い昔・・・筆者が女子高生という肩書きであった頃の作品を上げさせていただきました。投稿に当たり少々改稿しておりますが、その当時の想いを大切にしたいため、殆どそのままでお送り致します。
●SMD様主催の四月競演『別れ』の作品です。
【以前、目次背景が設定出来ていた時に使用していた画像です】
安土桃山──織田信長が時代。
血なまぐさい戦乱の中であっても、勇猛な獅子によってひと時、世は安寧を保ち華やいでいた。
しかし、報妙宗なる悪の組織を率いた幻術使い八雲 悠仁采は、剣豪 涼雨と共に織田討伐をもくろみ、平和は乱されようとする。
そこで信長より命を受けた葉隠の忍者 影狼は、頭領 明心の営む町外れの治療所 兼 孤児を預かる無束院にて、その助手 柊乃祐として姿を偽り、少年忍者 暎己と、力自慢の白縫と共に、悪を討たんと正義に身を捧げていた。
そしてこの物語は、そんなとある夜更けの闘いより始まる──
◆ ◆ ◆
これは 夢なのですか
夢であったら・・・
そう思うことは いけないことですか
全てが夢ならば あなたには出逢えなかったはずなのに・・・
心が痛みます
泣かないで・・・ください
光が曇って 雨になるのは
あなたとの お別れの時だけでいい
泣かないでください 泣かないで・・・
別れではないのです 心の奥に残るだけ
あなたのために・・・
愛する その人のために──
◆ ◆ ◆
さらさらさらさら……
さらさらさらさら……
乾いた風が髪を引いていく。
──真夜中。
彼等の闘いは闇夜の奥、半刻ほど続けられていた。葉隠一族三人対、涼雨等三十数人。例え葉隠が暗闇の闘いを得意とするとは云え、どうみても影狼達に勝機などある筈がない。
満月ではあるが、今宵の月は薄い雲の所為で、朧に光を放つだけである。
追い詰められた影狼達は、ひとまず何処かに身を隠そうと心を急いていた。
「どうやら今宵の闘いは、こちらの勝ちのようですね」
端正な顔を軽く歪ませ、涼雨は薄く笑んだ。
「……」
影狼は何も言わない。
いや、影狼とはそういう男なのだ。例えこちらに勝ち目がなくとも、相手側に機を移すような軽々しい言動はしない。否定せず肯定せず、ただその涼しい瞳を敵に向けるだけである。
「ふむ……何も言えぬと見える。だが、私としてもそう長く睨めっこなどしている気はないのですよ。そろそろ決着をつけませぬか? 影狼殿……」
涼雨の皮肉めいたその言葉に、影狼は静かに後ろへ視線を逸らせた。
──暎己。
影狼が少しでも早くこの闘いを終わらせようとしている理由の一つは彼にある。
白縫に抱きかかえられた暎己の身体には無数の傷があり、それは紅く腫れ上がって、まるで破傷風にかかった幼子の状態であったからだ。
「……分かった」
再び涼雨の刃のような瞳を睨み、影狼は呟いた。
「分かった。だが条件がある。これからの闘いは私と涼雨殿── 一対一で行ないたいのだ。誰にも手を出させぬようにしてほしい。……それから暎己を……行かせてはくれまいか」
涼雨は少々顔を覗かせた月を見上げ、そして思い直したように視線を戻した。
「良いでしょう……私は貴殿だけを、手に掛けられれば本望」
妖しげな声が響いた。影狼は不安そうな白縫を諭し、白縫は凝りを残しつつも、涼雨の麗らかな表情が消えると同時に、荒い息遣いの暎己を背負って消えていった。
此処は町から外れたいささか傾斜の緩い山道である。松林が続き、時折岩肌が闇の中で光る。開けているとは云え、報妙側にとって悪条件であることに気付いた涼雨は、黒装束の従者達を制して前へ進み出た。
「影狼殿……此処は狭過ぎまする。少々山を下りた慣れた地で正々堂々と闘いたいものだが……おそらく、本日が最後の闘いとなるでしょうから──」
「いや……此処でやろう」
影狼は顔をしかめた。
同時に、涼雨も。
月がその全身を見事な円で描き、雲の隙間から現れ始めていた。影狼の頬を覆う布が金色に濡れていく。
涼雨はしばし考えた。
忍びは森の中での闘いに長けているからか? それとも、此処から他へ移ることに何か差し障りがあるのか? どちらにせよ影狼の歪んだ表情には、心に焼き付くような“何か”があるのだ。
「近くに無束院という町医者があるのを御存知か?」
涼雨は脳裏に浮かんだ適当な名を上げた。
意外なことに影狼は苦々しく眉間に皺を寄せ、軽く背後の松に寄り掛かる。
──無束院。
十分も歩けば医院の屋根が見えてくるだろう。
暎己は其処で手当てされ、休んでいるに違いない。
「他人を巻き添えにする気はない」
影狼は普段の影狼に戻り、再び情を表にしない口調で答えた。
「……始めよう……」
しゃがれた低い声だった。
今までの疲労がいっぺんに全身を麻痺させ、顔は俯き、目は据わっている。
小さな光が影狼の周りを飛び交う。それは蛍のようで涙のようで、二人の間の緊張感を吸い込んでしまったかのように少しずつ下降していった。
そして、草の上に落ち──。
「──つうっ」
涼雨の頬に一筋の炎が走る。
影狼はその横を通り過ぎた後、すぐ目前の木に飛び上がった。背面から跳び、涼雨と刀でぶつかり、再び後ろへ跳ぶ。
「ずるい人ですね……そう急がなくてもいいでしょう」
涼雨は頬の傷を拭いながら、厳しい視線を落とした。
今一度月を隠した闇の中での闘いは、刀の重なる音と、その火花で判断するしかない。
白い炎が散った時、二人の様子が明確になった。
「うぐっ……!」
いつの間にか、彼は蜘蛛の糸のような物で身体中を巻かれていた。
──糸疣網縛。
掛かったのは涼雨ではなく、術者たる影狼であった。
「糸疣の原理など、とっくにお見通しですよ。さぁ、来てもらいますか」
軽く糸を引かれ、影狼は睨み返す。
「何処へ……」
「もちろん無束院だ」
涼雨が悪魔のように妖し気に嗤った。舌がちらちらと燃え、魔を見せていた。
「嫌だ、他人を巻き添えには……」
「それだけか?」
「……え……?」
影狼は強ばらせた顔を蒼くし、首に巻きついた糸疣を掴んだ。
「それだけではないのであろう?」
頬から滴り落ちる血が、糸疣の細い糸に絡んでいく。それに気付かぬように涼雨は影狼を引き、夜の淵へと駆け降りていった。
闇が深くなるにつれて、風も強まっていく。
木々の間を走り抜ける二人に、葉切れが触れては落ち、触れては落ち、流れてゆく。
ひょろっと天に向けそびえ立つ一本杉に差し掛かった時である。影狼は木の幹に身を擦りつけて、涼雨の足を止めた。
「山の中でこの術を使うことは避けたかったのだが……やむを得まい。己の術というものは、解き方も覚えておくものだ」
「どういうことだ?」
影狼は締めつけられた両手を胸元で必死に合わせた。
一度目を伏せ、呼吸を整える。そして見開き──。
「葉隠……紅焔帖!」
唸るような轟音と共に、影狼の背後から火柱が立った。それは少しずつ広がり、まるで軟体動物の触手のようにずるずると蠢き、糸を溶かす。
樹木に火が移る寸前、糸は全て切れ、火は収まった。
「……お見事と言いたいところだが、もう遅いようだ」
無口な涼雨がこれだけ良く話すのは、自分が有利な所為なのだろう。
“遅い”という言葉に振り返った影狼の気付いたことは、此処がもう既に無束院の敷地内だということだった。
遠く寝処の中で音がすることから推察するに、どうやら先程の紅焔の音で気付いたようだ。
影狼は逃れようとしたが時遅く、いつの間にか下忍に囲まれていた。
──白縫……白縫……。
影狼は心の声で白縫を呼んだ。暎己が此処で手当てされているとすれば、多少の怪我を負った白縫も同様、治療を受けていることだろう。
──白縫──。
──影狼なのか? 外に居るのは影狼か?
白縫より返事があった。風が院の戸を犇めかせ、精神統一を妨げるが、敵の中での緊張感が神経をいつになく高揚させ、お陰で幽かに白縫の声も聞こえていた。
──白縫……此処は戦場になる。みんなを連れて逃げてくれ。出来るだけ食い止めるから……暎己は無事か?
──ああ、頭領が秘薬というのを呑ませ、ぐっすり眠っている。──……おい、待てよ? 梢っていう娘が今、井戸に水を取り替えに……!
「影……柊乃祐様……?」
──刹那。
背後で、蒼白な声と何かが落ちる音がした。
──梢。
「一体、どうして……?」
影狼はいつの間にか両腕を敵に拘束されていた。
「柊乃祐様、なの? 柊乃祐様!」
掴まれ振り向くことの出来ない影狼に、梢は叫び続けた。流れる水。足が濡れてしまったのも気付かない。
「悲劇の対面とでも言うのかな。あなたがこの院の者であったとは。一対一で闘う約束であったが、もう夜が明けまする。……そういう訳にもいかなくなったようだ」
涼雨が横目で梢を睨みつけた。今まで叫んでいた口をぐっと噛みしめ、梢は身をすくめる。それだけ涼雨の表情が真剣であったから、そして──
──これから、柊乃祐が殺されるのが目に見えていたから。
「影狼……覚悟!」
涼雨はいったん刀を月光に翳した後、構え直し、影狼に向けて走り出した。
「やめてぇぇっ!」
背後の叫びに影狼は眼を閉じる。鋭く光る刃と走る足音と、暗黒だけが広がっていった。寝処より皆が出てくる音、断末魔の叫び、空気の圧力、それがいっぺんに──。
「……あ……」
目の前が真っ白になった。
「柊乃祐様……」
刺されたのは梢だった。
「何故──」
蒼ざめた涼雨は思い切って刀を引き抜く。腹部を押さえた梢を、下忍の手を振り払った影狼は抱き締め、地面へと降ろした。
「柊乃祐……様なのでしょ? 泣かないで……ください。あたしは──」
梢の頬に幾筋かの涙が零れてゆく。歪んだ微笑み、影狼はただただ唇を噛み締め、無造作に口元を隠す布きれを剥ぎ取った。
「どうして、こんな、梢さん──」
途切れ途切れの言葉。柊乃祐の涙が、血で染められた梢の手に落ちた。
「だって……柊乃祐様の、死ぬところなんて……見たくなかった」
──好きだった……柊乃祐様の笑ったお顔。だから泣かないで……。
声にならない声、音にならない音、ただ響くのは、乱れ打つ鼓動。
「……影狼殿……すまない」
柊乃祐に戻っていた影狼は、再び鋭利な表情になり、涼雨に冷たい視線を投げた。
「本当にそう思うのか? あんたなら、梢さんが飛び出してくるのも分かった筈だ。どうして、梢さんを刺した」
梢は影狼の胸の中で、荒い息遣いのまま瞳を閉じている。院の皆も逃げはせずに、遠く後ろで愕然として、そちらを見詰めていた。
下忍達は涼雨の合図で退却し、涼雨は、
「どうと考えてもよろしい……ただ、刺すつもりはなかった」
と言って、闇夜に消えていった。
これが涼雨の善意なのだろう。去り際の彼の表情は優しさを帯び、同情にも似た静かな憂いを湛えていた。
「柊乃祐様……」
気付けば影狼の袖が掴まれていた。俯くと、梢が何か言いたそうに顔を覗いている。
「何も喋らない方がいい……今、止血するから」
柊乃祐は梢に狂った笑みをかけた。彼女も気付いたのであろう、放させようとした彼の手を、もう一度掴み返す。梢は黙ったまま首を振る。血の気の引いた真白い肌。死に際だと悟ったのかも知れない。
「柊乃祐様が、影狼様であっても……そんなことはどうでもいいんです。ただ、梢は柊乃祐様のことが……──」
「梢さん──」
「ねぇ、柊乃祐様、みんなで……海辺で歌った唄──覚えていますか……」
それだけを言い途端に咳き込んだ。血の滴り落ちる細い指が、柊乃祐の手を強く握り締める。赤黒く広がり固まる、背中から腹部へと貫通した傷口は、桜色の衣をまるで開花させたかのように深紅に染めていった。
「……『朝顔の微笑み』?」
「歌って……ください」
「えっ?」
「歌ってほしいんです、それがあたしの、気持ちなんです……」
柊乃祐は仄かに戸惑いを示したが、集まってきた子供達をなだめて皆で歌い始めた。
「~あたたかな朝陽と 沢山の花びら
そよ風に揺れてる 溢れ出す微笑み……~」
初めて会った時のこと。
遠くへ遊びに行ったこと。
みんなみんな咲いては散っていく想い出。崩れては崩れては、砂になって積もっていく想い出。
「梢……ねぇちゃん──」
誰かがべそかいて泣いていた。梢は最後の笑みを映す。
──好きだった……みんなの笑った顔。柊乃祐様のはにかんだお顔。だから、泣かないで。いつもあたしはそばにいるから。
声にならない声。音にならない音。みんなの泣き声、風になって消えた。
──だから、泣かないで──。
「~涙なんて 朝顔に笑われるよ
そうさ笑って あなたの大切な
心から大切な……~」
「~愛する その人のために──」
そして、音が途切れた──。
【了】