4-2 新塚 央親
スズキに逃走手段を問われた來見は必死に頭を回転させていた。
自分にできるとは思えないが、完璧すぎる策を講じるのは望ましくない。かといって稚拙すぎても、スズキの心証を損ない撃たれる可能性があった。
(徒歩で、なんて言ったら撃ち殺されそうだよな。それに、せめて運転手さんは逃がすべきだ。それなら……)
「そのタクシーはもう使わない方が良いかもしれません」
來見は内心ハラハラしながらバッグを強く握り締め、スズキに提案していく。
「理由は?」
「……銀行にいた人が通報していたら、既に捜索が始まっていると思います。あの時、近くの通りにいた車は、直ぐに補足されるかもしれません」
むしろ來見としてはそれを願っていたのが、未だに警察の影が見えないのが一種の答えであった。それならば、雷門を巻き込み続けるような選択は避け、別の方法を取るべきだと考えていた。
「なのでタクシーにはまだ俺達が乗っている振りをしてもらいながら、ここからは去らせるのが賢明かと」
「じゃあ足はどうする?」
尤もな質問である。だがそれに関しても、來見は一つの案を考え付いていた。
「ここにはたくさん……他の車がありますから。その中から一つを選びましょう」
住宅街には一軒家が建ち並んでいる。そしてその入り口には無防備に車が停めてあるのがよく見えていた。しかしスズキはその発案に難しい顔を見せる。
「車ってのは無理矢理乗ろうとしたら、警報が鳴るんだぜ?それで通報されたら意味ねぇよな?」
「……あなたなら物音一つ立てずに盗めるのでは?実際、盗難車を用意できたんですから」
思わず非難するように、鋭い眼差しを向けながら來見は言葉を発していた。反論されたのにも関わらず、スズキは機嫌良さそうに口角を上げているのが見える。
「まぁ、できなくはないな。良いだろう、その案で行く。おいお前は早く車を出せ、通報したら分かってるな?」
「は、はい……」
組み付いていたスズキから解放されると、雷門は動揺した為か操作を誤りドアミラーを開閉させていた。しかし直ぐに気を取り直すと、脅されるままに車を発進させる。だが走り去るその一瞬、雷門が來見に何かを伝えるように強い視線を向けた姿が、妙に印象に残ったのだった。
「さっさと物色しねぇと。俺から離れるなよ」
「はい」
手頃な車を探す為にスズキは歩き出し、曲がり角に入っていく。來見は大人しくその背中を追いながら、考えをまとめ始めていた。
(レッカーも盗難もただの出任せだ。もしかしたら新塚さんの言っていた応援が俺達より先に到着していて、車を撤去したのかもしれない)
桟雲銀行での新塚の言葉を思い返す。芳家によって適切な説明がなされたのなら、新塚は直ぐに正気を取り戻し応援を要請していてもおかしくないはずだった。
(でも見たところ、どこにもその気配が無い……俺の当ては外れてるのかも)
そうなれば來見は、専ら適切に強盗犯の幇助をしただけになってしまう。それでも一縷の望みを捨てた訳ではなかった。
(犯人を捕まえるには、どうしたって俺っていう人質が邪魔になる。でもこの人が運転することになるなら、隙を突いて逃げられるかもしれない)
それはスズキに車という逃亡手段を与えることになるが、上手くいけば代わりに交渉材料を減らすことが可能になるという考えであった。そうなれば後は警察がどうとでもしてくれると來見は信じていた。
「おう、この辺の車種なら盗れるかもなぁ」
スズキが独りごちたのを聞いて、來見は現実に引き戻される。二人は丁字路の交差点に差し掛かろうという所で立ち止まっていた。
來見はスズキが腰道具から手の平に収まる大きさの機械を取り出し、何やら作業を始めるのを後ろからただ眺めていた。
ふと、スズキが盗もうとしている車のドアミラーが來見の目に飛び込んでくる。同時に別れ際の雷門の姿が來見の脳裏をよぎった。
(あの人は何か……言いたげだった気がする。でも犯人がいたから俺と会話することができなかった)
スズキの気の短さを身をもって体験していた為に、余計な真似をしてはいけないという思いもあったのだろう。雷門は去り際に無言で來見の目を見つめるだけであった。
(今思えば、余計なことをしたら不味いと分かっていて、あんな……操作を間違えるようなことするか?何か意味があったんじゃないか)
勿論、來見が助かりたい一心で物事の裏を考えすぎているという可能性もある。それでも見出だした些細な違和感を、逃してはいけないと直感していた。
(運転手さんはドアミラーを動かしただけだ。……ミラー?)
咄嗟に來見が視線を巡らせると、丁字路にはカーブミラーが設置されているのが見える。何かに導かれるようにそのまま目を凝らし鏡を覗くと、複数人の大人が曲がり角に控えているのが確認できた。
(……誰かいる!運転手さん、あの距離で見えてたのか!?)
確かに停まっていたタクシーの進行方向から見て左側が、今現在、來見達のいる丁字路であった。しかしカーブミラーを肉眼で確認するには随分と距離があるように思える。
(鏡に映った人が見えたというよりも、あの大人達がこっちの様子を窺うために動いた姿を見たのかもな……)
道を横切った大人達が去らずにそのまま留まっているという事実を、來見に何とか伝えようとしたのだろう。不手際にも思えた雷門の行動は、苦肉の策に違いなかった。
兎にも角にも、悠長に眺めている暇はない。スズキの注意が來見から逸れている今が、千載一遇のチャンスだとはっきりと理解していた。
(こういう時は……!)
來見はボストンバッグを抱え直し、態勢を整える。丁字路の方向へ足を向け、一か八かの賭けに出るために大きく息を吸い込んだ。
「……助けてください!」
來見は大声で叫びながら、ボストンバッグを丁字路とは反対の方向に思い切り投げ付けた。
「なっ……」
スズキは声に驚き來見の方へ振り返る。しかしそれと同時に反対方向――背後から響く、バッグが地面に着地した音に気を取られ、そちらに銃口を向けようとする。
スズキの視界から自分が外れるその隙を見逃さず、來見は全力で丁字路の方向へ駆け込んだのだった。
「こちらへ!」
姿勢を低くし走り抜けた來見を、曲がり角で控えていた一人が腕を引いて背後に庇う。同時に二人の大人が來見と入れ替わるように、スズキの方へ進み出ていた。
「銃を捨てろ!撃つぞ!」
スズキが銃を携帯しているのを知っていた為か、大人達――警察官達は初めから拳銃を構えて牽制している。
スズキは射撃を予告されたことで狼狽えるも、未だに手から凶器を離そうとはしなかった。
「……お前ら全員、撃ち殺せば良いんだな!」
追い詰められまともな判断ができなくなったのだろう、スズキは体勢を変えながら警察官達へ銃口を向ける。
次の瞬間、住宅街には銃声が響き渡っていた。音の出所はスズキの手元からではなく、一人の中年の男性警察官が構えた拳銃から発されていた。
「次は胴を撃つ。銃を降ろしなさい」
警察官の男性が発砲した弾丸は、威嚇射撃のためにスズキから少し離れた足元に撃ち込まれていた。
スズキは歯を食い縛り抵抗するように、警察官達を憎々しげに睨み付けている。
しかし自分が優位な状況で撃つのは簡単でも、撃たれる度胸は無かったのだろう。スズキは途端に勢いを失くし、膝から崩れ落ちていった。
「確保、確保ー!」
スズキと対峙していたもう一人の警察官が声を上げると、いつの間に待機していたのか丁字路の反対側――來見達が歩いてきた方向からも警察官が飛び出してくる。
スズキはあっという間に包囲され身柄を拘束される。來見はその様子を、背中に庇ってくれた警察官の後ろから眺めていることしかできなかったのであった。
「良く頑張ったね、怪我はないかな」
目の前で行われている捕物を呆けた様子で見ていた來見に、不意に声が掛けられる。自分を守ってくれた警察官に話し掛けられた來見は、感謝を伝えるためにも慌てて言葉を返した。
「だ、大丈夫です!ありがとうございました」
「君が上手に逃げてくれたから、速やかに確保できたんだ。こちらこそ感謝しないといけないね」
「いいえ。それよりも先に、向こう見ずな行動は叱らなければいけませんよ」
二人が和やかに会話をしていると、間に割って入ってくる人物がいた。それは先程スズキに向かって威嚇射撃をした、中年の警察官であった。
「面ノさん……そうは言っても結果的に無事だったんですから、褒めてあげたって良いでしょう」
「結果的、というのが問題なんです。もし背後から撃たれでもしたらどんな悲惨な事になっていたか……」
面ノは深いため息をついて首を横に振る。自分の行動の是非を巡って大人達の対立が生じようとしている様子を素早く感じ取った來見は、咄嗟に口を挟むことにした。
「あの!大人の人がいるのが見えたので、何とかしてくれると思ってしまいました。すいません、確かに考え無しでした」
「あぁ謝らないで!ほら、落ち込んじゃったじゃないですか、可哀想に。この子は人質にされてたんですから、もっと優しく!お願いしますよ」
頭を下げた來見を止め、面ノに向かって警察官が捲し立てる。人質という単語に思うところがあったのか、気付けば面ノは申し訳なさそうに眉尻を下げていた。
「……確かに。すいません今のは僕が大人げなかったですね。でも今回成功したからと言って、また同じことを繰り返してはいけませんよ」
「はい!それは勿論」
(二度も同じことに巻き込まれたくないし!)
面ノから忠告されながらも、來見はハキハキと言葉を返す。
いつものように内心を騒がしくさせ始めたところで、気になっていた事を警察官に質問することにした。
「ところで。銀行にいた新塚さんは、あの後大丈夫でしたか?」
「あぁ、君や芳家さん――傍にいた女性銀行員さんの機転のお陰で深刻な事態にはなっていないよ」
「新塚くんも感謝していた。僕からも言わせてください、本当にありがとうございました」
新塚は肩を負傷してはいたものの、十分に治療可能だということなのだろう。警察官達の言葉を聞き來見はようやく、心から安堵する。
「そうですか!本当に……良かったです」
(それじゃあ今回も、死人が出ることは避けられたんだよな)
警察官という職業柄、いつかまた何処かでメールに記されていたような出来事に巻き込まれるのかもしれない。それでも今は、差し当たって訪れた新塚の平穏に喜んで良いように思えたのだった。
「そうそう。新塚くんと言えば彼、芳家さん経由で君にGPSを取り付けてたらしくてさ。ポケットの中、触ってみな」
「えっ!?いつの間に!?」
「犯人の目が逸れた時。偶然君が芳家さんの壁になるような位置にいたから、新塚くんが必死にアイコンタクトをして隠れて渡したらしいよ」
ズボンのポケットを探ると、指の先に固いものがぶつかる。取り出してみると、それは確かに何かの機械のようだった。
ふと桟雲銀行で來見が人質に選ばれ立ち上がろうとした時、芳家に服の袖を引っ張られた事を思い出す。
(もしかしてあの時か……!)
「誤解の無いように言っておきますけど、警察官はそういうものを常備している訳ではありませんからね。新塚くんは事前の見当たり捜査で押収していた物を、咄嗟に使ったようですが……」
「もしかして、これのお陰で皆さんが先回りできたんですか」
來見がGPSを摘まみ上げながら質問すると、半分は当たっているという答えが返ってくる。
「勿論それのお陰もあるんだけど……その前に雷門さん――タクシーの運転手さんがいたでしょう。彼が無線で知らせてくれたんだ」
「タクシー業界には内輪にしか伝わらない暗号がありましてね。犯人にはバレないように他のタクシー運転手に危険を知らせて、間接的に通報してもらっていたんです」
二人の説明を受けて、來見の脳裏にある情景が浮かんでいた。雷門がスズキに怒鳴られ、無線でカバンの忘れ物があると言っていた事。そして誰にも不審に思われないと、來見の目を見て言っていた事を。
(あの言葉が暗号だったのかな……俺は知らなくて良いことなんだろうけど)
來見が思い付いた考えをそっと胸にしまっていると、二人は更に話を続ける。
通報を受けてしまえば、後は該当するタクシーの無線から場所を割り出し、待ち構えるだけ。GPSはタクシーが乗り捨てられた際に必要だっただろうと締めくくるのだった。
「……色んな人が助けてくれたんですね」
感心していたのか、驚きを覚えたのか。様々な感情を乗せた言葉が來見の口からこぼれ落ちていた。
自分でもよく分からない心情になりながらも、間違いのないことが一つあった。それは二人の警察官が口にした事実は、一人ではどうにもならないことでも多くの人が協力すれば事態は好転するのだと、來見に実感させるのに十分な言葉だったということである。
「何言ってるの。君もその一人でしょう」
「えぇ、君のお陰で新塚くんは助かった。勿論、芳家さんや雷門さんもね」
二人の警察官は來見に微笑みかけ、心の底から健闘を称えているようだった。優しい眼差しを受け、照れてしまった來見は視線をあちこちに彷徨わせる。
「無謀な行動は咎めなくてはなりません。でも君は怖かっただろうに、懸命に頑張った。その勇敢さを自分でも褒めてあげてくださいね」
「……はい!」
言い聞かせるように続けた面ノに、來見は大きく返事をする。胸の中は喜びで溢れ、スズキと共にいた時に感じていた恐怖はすっかり消え去っていた。
その後も直ぐに解散という訳にはいかず、調書を取られたり心配した両親に迎えに来てもらったりと色々あったのだが、結果的には丸く収まったと言って良いだろう。
スズキは強盗致傷罪で逮捕されたという事だった。生活に困窮した挙げ句の犯行だったらしい。事前に用意していたという盗難車の行方や銃の入手経路など、明らかになっていない事は未だ存在していたがそれは來見ではなく警察の管轄である。
とにもかくにも、あらゆる問題から解放され家に辿り着いた來見は、自室へ引き上げると早々に眠りについたのであった。
2022年。新塚は私服に身を包み、目深に被ったキャップの下から油断なく辺りに視線を走らせていた。
右肩には10年来の傷痕である銃創が残っていたが、左耳には一つの傷もない。気力は十分でその四肢は、何の問題もなく動かせる万全の状態であった。
新塚は今日も今日とて、見当たり捜査員としての職務を果たさんとしていた。人混みに紛れ気配を消し、脳内に記憶された被疑者と通行人を見比べる。
ふと脳内の被疑者名簿からは外れるものの、妙に目に付く人物が視界に入ってくる。周囲からの目を気にしながら執拗に鞄を持ち直すその姿は、自分から周りに怪しい者だと喧伝しているようなものであった。
「すみません、少しよろしいですか」
足早に去ろうとするその男へ声を掛ける。相手がどのような行動に出ようとも、決して注意を怠らない新塚には制圧できる自信があった。
「ヒッ……」
切れ長の目を光らせる新塚に怯えた男は、予想とは裏腹に暴れることもなく大人しく同行する。警察署で荷物を改め剥き出しの刃物が発見されると、男は肩を落として自供し始めるのだった。
「お手柄ですねぇ警部補。もう何件目か分からないくらいですよ、コツとかあるんすか?」
新塚は後輩の警察官に話し掛けられると、少し困ったように眉を下げる。手ずから入れたコーヒーを一口飲み、左手の薬指に嵌められた指輪を見ながら徐に口を開いた。
「長年の勘、かな……君も経験を積めば、同じ事ができるようになりますよ」
「またアバウトなアドバイスだなぁ……あっ、でも俺新塚さんと同じ経験はしたくないです!ほら、前言ってた銀行のやつ!」
一人で盛り上がり始めている部下を前に、新塚は苦笑しながら落ち着かせるように言い含める。
「今思えば、あれはあれで良い経験でしたよ。自分の思い上がりと、市民の皆さんの善良さが身に染みて良く分かった」
「トラウマになりそうなものなのに、見当たり捜査続けてるんですからね。ある意味凄いっすよ」
目を伏せしみじみと語る新塚に、後輩の警察官は感心したような目を向けていた。照れを隠すようにコーヒーを呷ると、新塚はコップを置き立ち上がる。外へと続く扉に歩を進めながら、後輩へと口を開いた。
「……褒めてると受け取りましょうかね。さぁ休憩が終わったらまた行きますよ」
新塚に急かされ、部下の男は返事をしながら慌ててその背中を追い掛ける。
二人は場所を変え、再び通り掛かる人々を辛抱強くじっと観察し始めた。一見すると地味とも言えるその姿は、確かに町の平和を守っているのだった。
合駕嵯 仁は公衆喫煙所のガラスのパーテーション越しに、新塚が被疑者を連行していった様子を見つめていた。
新塚の姿を見送った後、一人しかいない室内で煙草を燻らせ、戯れにプカリと口から煙を吐く。
「順風満帆って感じだなぁ。あの時知り合った銀行員と結婚するとか、往年のドラマみてぇ」
収集された情報が詰まったタブレットを片手に持ち、仁は目を細めながら新塚と芳家の仲を揶揄する。手元の機械には他にも、十年前に起きた桟雲銀行の関係者達の足取りが記されていた。
「みーんな良い人生送ってそうで結構なことだ。あ、須州酒はどっかで死んだんだっけ。色々と口外されたら困る奴がいたもんなぁ」
強盗犯の末路に些かの興味も示さず、仁は煙草を深く吸い込む。有害物質が肺に広がっていく感覚に酔いしれながら、柏木への報告の仕方をぼんやりと考えていた。
「まぁ、社長サンへは別にいつも通りに言えば良いかぁ。それで次の奴は誰だったか……」
ゆっくりと目を閉じ、順番を思い出す。確か次は――
「あぁ、うちの会社にいる奴じゃん。楽で良いな」
仁の脳裏にある人物が思い起こされる。何なら柏木に直接会わせてやろうと企みを巡らし、我ながら面白そうなその考えに仁は一人笑みを浮かべるのだった。




