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平成トランスポーター  作者: 夏名
8/54

4-1 桟雲銀行

流血表現があります。

 2012年5月12日、來見(くるみ)は休日のために混雑している電車の中で一人、大量の冷や汗をかいていた。


「ご乗車ありがとうございます。次は南横ヶ丘(みなみよこがおか)、南横ヶ丘。各駅停車をご利用のお客様は、向かい側3番線でお待ちください」


 車内アナウンスが耳に入ると、落ち着きなく出入り口の扉の前へ移動する。そのまま人の流れに身を任せ降車すると、5月にしては妙に高い気温が來見を包んだ。


(どうしてこんなことになったんだっけ……)


 携帯電話を握り締め目的の場所へ移動しながら、來見は新たに受信したメールの内容を思い返していた。




 ほんの1時間前、來見は休日ということで大型の書店へ足を運ぶために外出していた。

 伊斗路(いとみち)駅から30分程電車に揺られた甲斐があって、非常によく取り揃えられた書籍を眺めながら、気になるものを手に取っては戻すことを繰り返していた。


(新品には手が出せなくても、古本なら買えるな……)


 脳内で自身の所持金と相談しながら、中古本のコーナーへ彷徨い歩いていると、不意に携帯が震えたのを感じ取る。


「ん?」


 わざわざ無視する必要もなかったため、尻ポケットに突っ込んでいた携帯を取り出すと、メールの受信を知らせるランプが点灯していた。


(まぁ、まだ未来からって決まった訳じゃないから……)


 嫌な予感を胸に抱きつつも、自分を鼓舞し携帯を開く。

 残念ながら來見の希望は打ち砕かれ、物騒な内容が目に飛び込んでくるのだった。


「2012年5月12日13時50分、南横ヶ丘市(はさみ)(ちょう)桟雲(さんうん)銀行、新塚(にいづか) 央親(ひさちか)が大量の出血により殉職する。」




 來見は電車で移動する間に調べておいた地図を見ながら、見知らぬ通りを抜け桟雲銀行へ歩みを進めていく。

 ふと車道を見ると火山のマークが印象的な、白砂(しらさご)運輸とロゴを載せたトラックが走っているのが目に入る。馴染みのない町で知っている物を見付けた安心感から気が抜けそうになるが、慌てて首を振り気合いを入れ直した。

 時刻は13時30分を過ぎた頃で、來見は自然と駆け足になっていた。


(何で今回はこんなに急なんだ……!)


 心臓が早鐘を打つのを、來見は嫌でも感じ取ってしまう。そして対策を考える猶予が今までと比べて、過去に例を見ない短さであると気付き焦り始めていた。


(殉職ってことは……銀行員なのか?銀行強盗が起こるのか?)


 來見は切羽詰まるあまり、まず事前に通報するという案が頭から抜けてしまっていた。ただひたすらにその現場で、自分はどう行動すべきか考えることに没頭してしまう。


(とにかくその場にいないよりは良いはずだ。今は急がないと)


 運動が特に得意でもない体のせいで、息が上がってくることにも気付かず來見は歩調を速めるのだった。


 桟雲銀行に辿り着くと、來見は迷いなく入店した。店舗内は昼時ということもあり、それなりに混んでいるよう見える。


(土曜日なのに、普通にやってるんだな)


 休日の銀行は通常、窓口業務を休んでいるものだと思っていたが、どうやら桟雲銀行においては当てはまらないようだった。

 來見は息を整えながら辺りを見回し、怪しい人物が存在しないか警戒し始める。


(安直な考えだけど、いるとしたら強盗で、被害に遭うのは恐らく窓口の人……)


 空調の効いた店内で、利用者の邪魔にならないよう窓際に寄り一人ひとり見定めていく。


(央親って名前からして男の人っぽいけど、少し意外かもな。こういうのは女性が狙われるもんだと……)


 思考の途中で、ふと一番端の窓口の様子が目についた。カウンターには黒いボストンバッグが置かれ、少し癖の付いたショートヘアの女性銀行員が対応をしている。

 話し相手は青いキャップを被り、同色の作業着を着た初老の男性だった。巻き付けている腰道具は作業に使うための道具が入っているのだろう、身振りを交えて話し込んでいる。


(何かの点検に来た人だよな。別に変じゃないけど……)


 カウンターに乗せられたバッグが妙に目を引いた。そのまま観察を続けていると、女性銀行員の様子も精彩を欠いているように見えてくる。


(あの女の人、顔色悪くないか。血の気が引いて真っ青になってる)


 相対している男性は見ている限り自然体で、両手に何か握っている様子もない。それでも來見は男が強盗であるかもしれないという用心をしながら、話し掛けに向かうのだった。


「……君、少し待ってください」


「うわっ!」


 勇気を持って一歩踏み出した來見は、突然横から腕を取られた事により出鼻を挫かれてしまった。驚いて振り向くと、そこにいたのは20代後半くらいの見た目をした一人の男性であった。


「あの……?」


 恐る恐る來見が顔色を窺うと、青みがかった黒髪の男性は手を放し静かに口を開く。


「あの男の所に行こうとしてましたよね。自分に任せて下さい」


 來見が反応を返せないでいると、太い眉毛が印象的なその男は、懐から取り出したものを提示し話を続ける。


「自分はこういう者です。安心して下さい」


「……巡査部長、新塚 央親……さん」


 階級と氏名に顔写真。そして輝くエンブレムが示している通り、來見が見せられたのは紛うことなき警察手帳だった。制服を着用していない事から、私服警官だと理解する。


(この人が……警察官が殉職するって、かなりまずい状況じゃないか)


「あの、お一人ですか。他の方が応援に来られたりとかは……」


 新塚に早まった行動をさせない為に、來見は慎重に振る舞うよう注意を促すつもりで質問をする。新塚はその問いに不信感を抱くこともなく、平然とした顔で首を横に振った。


「見当たり捜査の最中に来てしまったので、今は一人です。ですが、後から応援が来ることになっていますので」


 まずは自分が声を掛けようと思います、と言いながら既に歩みを進めている新塚を、慌てて來見は引き留めようとする。


「あの!それなんですけど……!」


 上手い言い訳も見付からないまま、必死に声を掛ける來見に違和感を覚えたのか新塚は足を止める。そのまま來見の方へ顔を向けようとするのと同時に、新塚は來見の体を突き飛ばしていた。


「え……」


 來見が事態を把握したのは2発の銃声が耳に届いてからだった。新塚が体当たりをするように來見を押し退け、その身に銃弾を受けていた。

 押された勢いで來見は床に倒れ込み、崩れ落ちる新塚に覆い被さられる。


「ごちゃごちゃうるせぇんだよ……俺は耳が良いから、他人の会話をぼそぼそ聞かされると苛つくんだよ!なぁ!」


 距離的に内容が聞き取れた訳でもないだろうに、作業着の男はいつの間にか銃を取り出し、発砲していた。

 辺りは水を打ったように静まり返った後、急激に騒然となる。


「騒ぐな静かにしろ!撃たれてぇのか!」


 その騒ぎも銃を持ち出した男の一喝によって、収まらざるを得なくなる。人々は示し合わせたように一人ひとりしゃがみこみ、犯人を刺激しないよう口を閉ざしていくのだった。


「入り口を閉めろ!誰も入れるなよ」


 男が銀行員に向かって怒声を浴びせているのを聞きながら、來見はようやく我に返る。少し苦労しながら新塚の下から這い出すと、他の人と同様に座り込むことにした。


(まだ息はちゃんとしてる……2発撃たれたみたいだけど、見た感じ当たったのは右肩に受けた1発だけだ)


 新塚の体に触れた際、來見の左手には血液が付着してしまっていた。見ているだけで血の気が引きそうなその有り様を、手を握り込むことで見えないようにする。


(とにかく、止血しないと)


「新塚さん聞こえますか……今から圧迫しますけど痛かったらすいません」


 うつ伏せになった新塚の耳元に小声で呼び掛けると、呻き声と頷いたような身動ぎが返ってくる。そのことに安堵しながら止血のために動いた瞬間、來見は鋭い叱責を受けることになる。


「おい!勝手に動くな!」


 作業着の男は重たそうなボストンバッグを抱えた女性銀行員を引き連れ、來見に銃口を向けていた。犯人を怒らせるのは好ましくないと考え、ゆっくりと両手を上げ反抗心がないことを示す。


(余計なことは言わない方が良い。新塚さんが警官だと知れたら、今度こそ息の根を止めようとするかもしれない)


「……すいません。少し気が動転してしまって。もう何もしません」


 挑発していると思われないよう、視線を外し恭順する。男は耳が良いと言った割には新塚との会話を聞き取れていなかったようで、それ以上來見を疑う様子は見せなかった。


「ふん、まぁ良いわ。おい姉ちゃん、そいつ死んでるか確認しろ」


「え……」


「早くしろ!」


 男は後ろに控えさせていた女性銀行員からバッグを奪い取ると、新塚の生死を判別させようとする。

 小さく悲鳴を上げた女性の胸元には、芳家(よしか)と書かれたネームプレートが付けられていることを確認できた。芳家は急き立てられるまま新塚に近付くと、顔の前に手の平を差し出し呼吸の有無を確かめる。


「おい、そんなんで分かるのか?心臓に耳を当てるんだよ」


「は、はい……」


 男からは後頭部しか見えず、息を止めたふりをしていることを警戒したのか、より直接的な方法で確認させようと指示を飛ばす。芳家もその命令に逆らうことなく、新塚の体を何とか仰向けにすると、胸部に耳を押し当てた。


(正直に生きていると言ったところで、見逃してくれるならそれで良いけど……あんなに引き金が軽い人間だと何をするか分からない)


(死んでると言っても、更に撃ち込む可能性だってあるし……いざとなったら俺が飛び出すしかない、のか)


 事の成り行きを見守る來見は、万が一に備え震える足元に力を入れる。おびただしい量の冷や汗が背中を伝うのを感じながら、最悪の事態を考えることしかできずにいた。


 数秒の間、じっと耳を澄ませていた芳家がゆっくりと顔を上げ、口を開く。來見は呼吸をするのも忘れ、目を見開き発言を待っていた。


「もう……もう亡くなっています。心臓の音は聞こえません」


 震える声でそう告げる様子を見て、來見は芳家が嘘をついていることに気付く。新塚もその言葉の意図を汲み取ったのだろう、息を潜め微動だにしなかった。


(あの人も正直に言ったら、止めを刺されると思ったのか。それにしてもすごい度胸だけど……)


 死人を出さない為に機転を利かせたのだろう、潤んだ瞳には弱々しくも漲る決意が感じられた。しかしその決死の覚悟さえも、犯人は嘲笑い叩き割ろうとする。


「それじゃあこれで、耳を落とせ」


 男は腰道具の中からナイフを取り出すと、床に投げ捨て女性の元へ滑らせる。芳家は絶句し、血色の悪くなった顔を一段と青ざめさせていた。


 震える指でナイフを手に取り、芳家は荒い息を繰り返す。これ以上の行動を強いるのは限界だという事は、目に見えて分かってしまった。


(もしかしてこれが原因なのか。無理矢理に耳を削いだ事によって大量に出血して……)


「俺が……俺が代わりにやります。……良いですか」


「お前が?……まぁ良いだろう」


 予測された事態を回避する為に、來見は声を上げていた。犯人も芳家がこれ以上自分の思う通りに動かないと判断したのだろう。少しの間考える素振りを見せた後、來見の行動を了承するように頷くのだった。


「大丈夫です。俺がやりますから、ナイフを」


 來見は芳家がしゃがみこんでいる隣の位置へ回り込み、声を掛ける。芳家は当惑の色を見せ、明らかに子供へ責任を負わせることを逡巡していた。

 しかし來見が目を合わせ頷くと、芳家は強く瞼を閉じた後、ゆっくりと躊躇いながら刃物を手渡した。


(傷口を下にするのは痛いだろうけど、すみません我慢してください……)


 來見は新塚の顔が犯人から見えないように、体を横たわらせる。そうして一度大きく深呼吸をすると、左手を新塚の左耳に添え、右手にナイフを構えるのだった。




「おい、良く見えねぇぞ。体退けて見せてみろ」


 新塚に覆い被さるようにして右手を動かしていた來見に、犯人の男が苛ついたように声を上げる。來見がゆっくりと体をずらすと、新塚の左耳は血液で真っ赤に染まっていた。


「上手く、切れなくて……すみません」


「……いや?悪くない。耳って結構、血が出るんだなぁ」


 震える声で言葉を発する來見に、男は機嫌が良さそうに返事をする。そのまま左腕に着けていた時計を確認し、怯える人々を見回しながら言葉を続けた。


「どうせなら耳を落とすところまで見たかったが……もういい。時間が惜しいからな」


 犯人は右手の拳銃を窓口にいる男性の銀行員に突き付けると、更に要求を重ねる。


「おいお前、裏口に案内しろ。ナイフ持った兄ちゃんはこのバッグ持って俺と来い」


 新しく別の銀行員を脅しながら、犯人はボストンバッグを差し出してくる。來見が期待に沿った行動を取ったことを、気に入ったのかも知れなかった。


(人質ってことか……?何にしても大人しく従うべきだよな)


「……分かりました」


 來見は血に濡れたナイフを地面に置き、ごく自然に凶器の1つを男の手から遠ざける。男の元へ向かうために腰を浮かせると、何かに引っ張られる感覚があった。


「……大丈夫です。後はお願いします」


 心配そうに來見を見上げ服を摘まむ芳家に、目を合わせ優しく声を掛ける。垂れた眉と目尻が余計に哀れっぽさを誘っていた芳家だったが、來見の言葉を聞くと俯きながらも素直に手を外していった。

 來見は芳家の手が離れるのを見届けると犯人に近付き、手渡されたボストンバッグを恭しく両手で抱え込む事にする。


「お前が先導しろ。妙な真似したら、こっちの兄ちゃんを撃つからな」


「は、はい」


 怯える銀行員を追い立て、犯人は來見に銃口を突き付けながら歩き始める。來見は新塚の傍に座り込んでいる芳家と視線を交わし、一つ頷くのを確認すると犯人に付き従って行くのだった。


(新塚さんは大丈夫なはずだ、ナイフは耳に当ててただけだから)


 犯人からの要求を受けた來見は咄嗟に頭を働かせ、新塚に傷を付けずに誤魔化す方法を実践していた。

 來見は新塚の体の下から這い出た時や、仰向けの状態から横倒しにした際に手の平に付着した血液を左耳に塗りたくり、まるで流血しているかのような状態を演出していた。

 それは犯人と來見達の間にある程度の距離があり、來見が新塚に覆い被さった為に、犯人からは状況が良く見えなかったからこそできた危険な綱渡りであった。

 もしも犯人が近付いて確認していたら直ぐにバレていたという懸念もあったが、幸いにもその窮地は脱することができたのである。


(新塚さん自身は切られたって勘違いしてても、あの女の人――芳家さんがその誤解を解いてくれるはず。……ショック死とかしないでくれよ)


 新塚の傍にいた芳家は、來見の偽装工作を全て見ていたはずである。人間は思い込みで死んでしまうこともあるので、犯人が立ち去った後に彼女がその誤解を解消してくれることを祈って、來見は目を合わせたつもりだった。


「こ、こちらになります……」


「おう、お前が開けろ。兄ちゃんはそのまま付いてこい。俺らが出たら扉を閉めろ」


 來見が考え込んでいる間に、三人は裏口に到着していた。犯人は銀行員に扉を開けさせ、依然として來見を同行させようとする。


「……失礼します」


 銀行員の男性から憐憫の眼差しを向けられるのに会釈を返し、來見は大人しく犯人に連れ立って歩いていく。背後から響いた音が、扉が閉められたことを知らせていた。


「おうこっちだ、すぐ側にタクシーを待たせてる」


「はい」


 通りに出ると、流石に犯人は銃を見せびらかすのは止めていた。それでもポケットにしまわれた右手には未だ凶器が握られているのだろう、油断なく來見を見据えている。


「兄ちゃんが先に乗れ」


「……はい」


 犯人の言った通り、銀行の目と鼻の先の通りにはタクシーが停まっていた。來見は冷や汗をかきながら、言われるがままに先立って乗車する。

 運転席のヘッドレストにはハンドルを握る人物の顔写真と、雷門(らいもん) 庸一郎(よういちろう)という氏名や料金表が、後部座席から見えるように貼り付けてあった。


「こんにちは、ご予約のスズキ様ですね」


「おう、目的地はもう言ってあるよな。そこまで頼むわ」


 來見を押し込むように乗車してきた犯人が雷門の応対をする。來見は圧迫された衝撃で手を放しかけたバッグを、静かに抱え直していた。


「それでは出発しますね」


 雷門が車を発進させると、車内はひっそりと静まり返る――と思いきや、微かに何か音声のようなものが聞こえていた。


「なぁおっちゃん。この音、何の音だ」


「あぁ、無線ですね。すみません気になりましたか」


 犯人――仮称スズキは足を揺らしながら、苛ついたように前方へ向かって声を掛ける。雷門はそんな様子に全く気付いていないようで、のんびりと返事をしていた。


「無線……無線か。おい、今すぐ無線を切れ」


「言う通りにしないと撃つ」


 スズキはポケットから右手を取り出すと、次の瞬間には銃口を雷門へ向けていた。迷いのないその動きに、來見は瞠目し怖気付く。


(躊躇いが無さすぎる……!自制心ってもんがないのか)


 新塚を撃ったのも、ただ不快だったという理由だった。一歩間違えればあっさりと撃ちかねない状況に、來見は慌てて口を開く。それはスズキの気分を損ねる発言を、うっかり雷門がしないように封じるためでもあった。


「あの!いきなり無線を切ったら、それこそ怪しまれると思います」


「あ?」


 スズキの関心が雷門から來見に移ったことに安堵しながら、言い訳を重ねていく。スズキは不機嫌そうにしているが、今すぐ発砲をしない理性はまだあるようだった。


「音が気に障ったんですよね?だから無線の音量を下げてもらって、運転手さんには通信を控えてもらうとか……できますよね?」


 勢いに任せて言葉を発しながら、來見はだんだんと弱気になっていく。最後は雷門へ縋り付くような視線を向けて、尋ねるというよりも嘆願する形になっていた。


「は、はい。できます」


「……じゃあそれも、怪しまれないようにやれよ。できるな?」


 來見の言い分に納得したようで、スズキは雷門へあくまで自然に振る舞うよう命じる。雷門は顔を青ざめさせながら頷き、生唾を飲み込むと無線に向かって口を開いた。


「……ただ今、お客様のカバンの忘れ物がありました。捜索のため、しばらく無線から離れます」


 しばらくすると無線から小さく返答が聞こえた。雷門はそれを確認すると取り付けてあるボタンを操作し、音量をさげた様だった。


「こ、これで、よろしかったでしょうか」


「本当に怪しまれてないんだよな?妙なマネしてたらお前じゃなく、この兄ちゃんが死ぬことになるぞ」


 スズキは緩慢な動きで、しかし寸分の狂いもなく來見の頭に銃口を押し付ける。雷門の額には脂汗が滲み視線をさ迷わせていたが、來見と目が合うとしっかりとした口調で言葉を返した。


「……大丈夫です。誰にも、不審に思われませんから」


「ならいい。ほらさっさと目的地まで飛ばせよ」


 雷門の言葉を聞いたスズキは銃口を來見から外すと、運転席に向かって思い切り蹴りを入れる。追い立てられた為に車の走行速度が上昇するのを感じながら、來見は次にどう行動すべきかを考え始めていた。


(車が走ってる間に逃げるのは無理だ。かと言って、止まっている間ならできるって訳でもない)


(そもそも運転手さんもいる。実質人質が二人いる状況じゃ、片方だけが逃げられても意味がない……)


 チラリと運転席を見つめると雷門は口を一文字に結び、ただひたすらに運転に集中しているようだった。どう考えても、來見と連携して逃亡を試みるような状況ではない。


(犯人だけをタクシーから降ろして、置き去りにできれば俺達は車で逃げられるけど……銃を持った相手を自由にさせるのはどうなんだ?)


 來見の思考が渦を巻いている間に、タクシーは目的地に到着してしまったようだった。ゆっくりとスピードが緩まり、どこかの閑静な住宅街の三叉路で停車する。雷門は怯えながらも口を開いた。


「と、到着しました。どうぞ」


 來見と共に逃げ去ることを考えていたのだろうか。雷門はスズキが座っている側の扉しか開けず、來見の降車を後にしようと企てていた。


「いや、降りるのは兄ちゃんが先だ。そっちの扉を開けろ」


「……かしこまりました」


 雷門の健闘むなしく、スズキはその手には乗らなかった。再び銃口を突き付けられた來見は、ボストンバッグを抱えながら恐る恐る車から降りる。


(取り敢えず運転手さんはここで解放されるから、後は自分をどうにかしないと)


 辺りに目を走らせ、何か目ぼしいものがないか確認する。しかし道幅6メートルほどの通りには住居が建ち並ぶばかりで、來見は良い考えを思い付けずにいた。


「……あ?どういうことだ!」


 突然背後からスズキの怒声が聞こえてくる。何事かと振り返ると、スズキは取り乱した様子でしきりに辺りを見回していた。放置する訳にもいかず落ち着かせる為にも、來見は一度声を掛けることにする。


「ど、どうしましたか」


「どうもこうも……用意しておいた車がねぇんだよ!おい、お前何かしやがったな!」


 口振りから察するに、逃亡用に準備しておいた車が消えてしまったのだろう。スズキは怒り狂い運転席から雷門を引き摺り出そうとしていた。來見は慌ててその暴挙を止めようとする。


「落ち着いてください!運転手さんは何もできなかったはずです。俺達が後ろからずっと見てたんですから」


「じゃあ何で無くなってんだ!説明できんのか!」


 激昂し今にも雷門へ発砲しそうなスズキを押し止める為に、必死で尤もらしい論理を捻り出す。來見は恐怖と緊張で、口の中に酸っぱいものが込み上げてくるのを感じていた。


「えっと、ええと……この辺りは住宅街ですから。見慣れない車があったと近隣住民が通報してしまって、レッカー移動させられてしまったのかも」


 目に付いた情報を元に理屈をこねる來見を、スズキは黙って睨み付けている。その様子を見てまだ聞く気があると判断し、更に話を続けることにした。


「それに……それに逃亡用に用意しておいたって事は、盗難車だったのでは」


「……そうだ。足が付かないように、事前に盗んだ車を置いておいた」


「やっぱり!……ええとナンバープレートとか偽装してても、分かる人には分かるんだそうです。つまり……」


 スズキと会話しながら、來見は自分が何を言っているのか混乱しかけていた。何とか聞こえの良い理由で納得させなければならない。その為に來見の取れる選択肢はもはや一つしか存在していなかった。


「つまり盗難車だと気付いた人が、更にそれを盗んでしまった、とか。あり得ない話ではないですよね。成功すればあなたに罪を擦り付けることもできますから」


 出任せである。頼むから細かいことは気にせず騙されてくれという思いを込めて、虚勢を張りながら言葉を発する。スズキは黙り込み、來見の発言を咀嚼しているようだった。


「……なるほど兄ちゃんの言いたいことは分かった。なら、ついでにこれからの事も一緒に考えてくれよ」


「……これからのこと?」


 來見の言葉に一先ずの納得を得たスズキは、雷門へ銃口を突き付けたまま話を続ける。


「どうやって逃げるかだよ、そのよく回る頭で俺を助けてくれ」


 そう言ってスズキは身震いするような凶悪な笑みを浮かべる。その姿を前に、來見は何もかも見透かされているような感覚に襲われるのだった。

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