21-2 ウィラリアム遊園地
他の同級生たちと比べると少々、大所帯となった來見一行は次々にアトラクションを巡っていく。ウィラリアム遊園地はその名前をインターネットなどで調べてみると学生にもお勧めのレジャー施設として紹介される程には有名で、敷地もそれなりの大きさを誇っていた。かと言ってアトラクションを利用するまでに数時間も待たされるという訳ではなく――これは今日という日が平日である事も関係していただろうが――少しばかり時間が取られたとしてもそれは常識の範囲内であり、不満を抱く程ではない間隔は來見達を苛立たせる事もなかった。一同は遊園地という施設を楽しみ、堪能していたのである。
道行く人の中には当然ながら同級生の姿があり、面識のある者と目が合うと互いにちいさく手を上げるなどして挨拶を交わす事もある。時には偶然、一緒になった待機列の中で立ち話をしては再び別の場所に散っていくという、校内では当たり前でも遊園地という場ではなかなか起こり得ない貴重な経験を來見達は同時に味わってもいたのであった。
ところで來見達の一団は全員が全員、親交のある知り合いという訳ではない。中には互いに今まで一言も話した事のない者もいるくらいであった。しかし幸いにも、遠慮し合い余所余所しすぎるような空気にはならずに済み、依然として和やかな雰囲気を保っていた。その理由は來見達が送っている学校生活の枠組みにあったのだろう。
生徒達は複数のクラスに分けられていたが学年が上がる際に行われるクラス替えによって、次の1年を共に過ごす顔触れに必ず変化が起きるようになっていた。
それに加えて隣り合っているクラスとの合同授業が定期的に開催される点も考慮すると、生徒達は人脈を広げる機会に恵まれていたと言えただろう。その上、生徒の多くが部活動に所属していた為に学年の垣根を超えて、親交を深める機会があった。
要するに初対面であったとしても誰しもが知人の知り合い程度には関係性が存在している。前述した取り組みは來見の通う中学校以外でも一般的に行われているものではあるが、その影響は確かに現れていたと言えただろう。特に悪評もない生徒同士で剣呑とした空気になる筈もなく、打ち解けるまでにもさほど時間を必要としなかったのである。
一行の雰囲気は和やかで、今のところ嗜好の違いによる軋轢なども生まれていない。どのような順路で遊園地を巡るのかという事前の打ち合わせをしっかり行っていた事もあり、大きな問題もなく共に賑やかな時間を過ごしていたのだった。
「次、あっちね!」
「ジェットコースターだっけ。乗らない奴とは一旦、別行動だな」
揚々と引率していた班長が声を上げると、香椎はこの後の予定を確かめるように補足していく。周囲の同級生は思い思いの反応を返し、自然と2つのグループに別れていた。それは香椎が言及した通り絶叫マシンに乗る者と、そうでない者がそれぞれの針路をとる為であったのだろう。來見達は互いに一時の別れを口にする為に、誰言うともなく足を止めていたのであった。
「君、こういうの好きそうなのに乗らないよね」
「……性格から判断でくる趣味嗜好なんか無か。そぎゃんこつ言い出したら、群雲が乗る方が意外やろ」
三者三様に話し始めた同級生達の会話に混ざって、聞きなれた言い合いが來見の耳に不意に届く。声の主である論手と征生は対立するように向き合っており、その立ち位置からも分かる通り2人は別々の行動を取る事を示していた。
「永遠に続くかと錯覚する程の刺激的な恐怖を、例え一瞬だけだとしても少ないリスクで味わえるのに!あの楽しさを理解できないなんて勿体ないね」
「……人生半分、損しとるとかいう暴論はいらんぞ。俺は高所ん危険性ば正しゅう理解しとるだけや」
「へぇ。管理してる遊園地側のこと、信用してないって話?あ、ジェットコースター乗るひと全員、馬鹿にしてるのか」
絶叫マシンに乗る素晴らしさを長々と語る論手に、征生は思わずといった様子で顔をしかめる。怒っている訳ではないのだが、論手の減らず口に言い返さずにはいられなかったのだろう。征生は少しだけ考え込むように黙り込むも、次の瞬間には論手に対する反論を投げ掛けていた。
「……十分な安全性と万が一の危険ば比べて、個人的な見解から乗るのは控えとるだけや」
「なーに賢そうなこと言ってる風に装ってるんだか。素直に高所恐怖症ですって言いなよ」
「放っとけ。どう煽ってこようと、俺は乗らんぞ」
「ケッ。つまんないの」
当たり障りのないコメントに論手は不満そうにするが、当の征生はペースを乱される事なく涼しい顔で応対している。恐らく論手としては主導権を握り、上手いこと征生を絶叫マシンに乗せてはその狼狽える姿を見てやろうという魂胆があったのだろう。相変わらずのやり取りに來見は苦笑してしまうのだった。
最終的に論手の思い通りにはならない事は、傍から見ていた來見からしても予測できていたことではある。しかし論手の言葉尻を捕らえては相手をやり込めようとする手口は、少々意地が悪かったと言えただろう。それでも決定的な仲違いにまでは至らない辺り、やはり2人の相性は悪くないという証明であったのかもしれないが――目に余る程でもないが、人によっては反感を覚えてしまいそうな論手の態度に來見は思うところがない訳ではなかったのであった。
「來見くんは、こっち?」
のんびりと友人の戯れを眺めていた來見に話し掛けてきたのは祝であった。こっち、という言葉と共に動いた視線は絶叫マシンへと足を進めようとする同級生の方を向いており、來見はそれに一つ頷く事で肯定を示していく。
「ああ。普段乗ることもないし、折角なら行こうかなって。祝は?」
「わ、私も行くよ!遊園地なんて頻繁に来れないから、色々と見て回らないとねっ!」
「お、おう。そうだな」
來見の問いに対して、祝はやけに語気を強めて返事をしていた。そのあまりの勢いのよさに來見が思わず身動ぎをしてしまうと、祝はしまったという顔をして目を泳がせる。しかし祝は気まずさというよりも、何か照れているように頬を紅潮させていた。そんな様子に來見は釣られ、つい押し黙ってしまう。
傍から見ると揃って閉口しては視線を地に落としている。そんな奇妙な状況に、來見と祝の2人は暫くのあいだ陥っていたのであった。
「待ち合わせは、そこのカフェで!当たり前だけど私達が帰ってくるのをただ待つんじゃなくて、好きな所に行ってて良いからねー」
沈黙の降りた空間を切り裂くようなタイミングで発された班長の声に、來見は我に返る。
自分達は絶叫マシンへと向かうが、そうではない人々に対して何かしらの行動を強制させるつもりはない。そう宣言しつつも再び合流する事だけは問題なく行われるように、責任者としての言葉を班長は更に続けていた。
「もし迷子になったら、アレで連絡って事で。……よろしくね」
「了解。何かあったらそうするよ。流石にこの年で迷子の呼び出しされんのは沽券に関わるからなぁ」
班長が小声で伝えたアレが何を指していたのか、別行動をする予定の生徒は即座に理解したようだった。それは來見が祝にも伝えていた、個人の携帯電話の所持についての暗喩だったのであろう。
他にも遊園地を巡る最中に同級生の名前が度々アナウンスされていたこともあり、余計に自分達は恥をかくまいという気持ちが強かったのかもしれない。その生徒は班長の言葉に矢鱈と気合いの入った様子で返事をして、大きく頷いていたのであった。
「そういうこと!じゃあ、また後で!一時解散ー!」
班長が音頭を取ると生徒は各々の方向に足を進め始める。その一方で、未だに留まり続ける影もあった。それは論手と征生の姿であり、どうも言い合いが終わっていないらしい2人は静かに騒いでいたのである。
しかし、そこに割って入る者がいた。それは香椎その人であり、彼は実に手慣れた様子で仲介に取り掛かっていたのである。
「て訳だから、行くぞ論手ー」
「わっ、何だよ急に。言われなくても直ぐに行くって」
論手は班長の声を聞き漏らしてはいない事を主張するように香椎に文句を言うが、周りが見えていなかったのは明らかであった。それを証明するように、論手は香椎が声を掛けると同時に両肩に乗せた手に体を跳ねさせて驚いていたのである。
このまま何事もなく事態が進めば、論手は自然と香椎に着いていく流れになるだろう。しかし不定形に流動する現実がそう簡単に予想できる筈もなく、黙ったままではいられない征生は余計とも言える言葉を友人に投げ掛けていたのだった。
「おう。群雲は余計に歩ませたら、直ぐにへばるけん。目ぇ離さないように、さっさと連れていくのが良か」
「はぁ?何それ?まるで僕が、直ぐに迷子にでもなるような口振りだね。認知機能、大丈夫ですか?」
そして当然のように、論手は反論を始めてしまう。体力の無さは自覚がある為に言及を避けたのだろうが、複数人が連れ立って移動するような状況下で勝手にはぐれてしまう人間だと思われた事に論手は不満を覚えたのだろう。あるいは幼子のような扱いが嫌だったのだろうか。心外だ、ガイドマップくらい読めると言わんばかりに論手は声を荒らげていた。
征生は論手が露わにした苛立ちを、涼しい顔で眺めている。その平然とした振る舞いが更に論手の怒りを煽るものだと分かっていそうなものなのに、征生は決して態度を改めようとはしない。このままでは更に話が長引きそうだと誰しもが思ったであろうが――來見は少しの心配もしていなかった。その期待に答えるように、香椎は動き出していたのである。
「ハイハイ、じゃあ頭良し男にはガイド頼もうかな。アトラクションまで最短距離で頼むぜ」
香椎が堂々と怯む事なく2人の言い合いに割って入るも、それに逆上する者はいなかった。ただし論手は香椎の発言に疑問を感じるところがあったらしい。彼は一度目を丸くすると香椎への質問を口にしていたのである。
「……頭良し男って何?単語の並べ方、適当すぎない?」
「適当って事は、端的で的確な表現ができてるってことだな!サンキュー!」
論手の指摘に香椎は笑って、あしらうように返事をする。その揚げ足を取るような発言から、香椎がまともに取り合う気がないと論手は理解したのだろう。仕方ないから不毛な議論は止めてやろうと言わんばかりに先程まで見せていた感情を引っ込め、論手は一つため息をついていたのである。
「……バカの振りしちゃってさぁ。そもそも褒めてないんだけど?」
「なーんのことだか!ホラ行くぞー」
「はい、はい」
論手の追求にあくまで惚けた振りをする香椎にすっかり毒気を抜かれたのだろう。論手は香椎の誘導に反発する事はなく、今度こそ大人しく絶叫マシンへと足を進めていくのであった。
來見は2人の友人が去る姿を認めると、征生へと向き直る。征生は何の感慨もなさそうに香椎と論手を見送っていたのだが、來見が目の前に立つと此方に視線を合わせてきていた。
見たところ深刻な様子はなく、先程の口喧嘩もいつもの戯れに過ぎないのだろう。來見は特に焦りを覚えることもなく、平常心のままただ別れの挨拶を口にするのであった。
「じゃ、また後でな」
「おう。こっちはこっちで好きにやるけん、気にせず楽しんでこい」
「お前もなー」
來見の言葉に、やはり征生は通常通りの受け答えをする。発言の内容には他者への思いやりも含まれており、高所を苦手とする事を論手から無遠慮にからかわれた苛立ちなども抱いてはいないようだった。
アレコレと文句をつけられようとも、こちらの心配がいらないくらいには征生の精神は頑強なのかもしれない。時には過ぎたその性質が融通の利かない頑固さに繋がるところもあるのだろう。しかし來見から見た、征生のある種の迷いのなさは尊敬を覚える点として確かに数えられていたのであった。
「……ね、大丈夫?論手くんと、征生くん」
おずおずと來見に話し掛けてきた祝は成り行きを見守っていたのだろう。やや不安げに論手と征生の様子を気にする姿に、來見は一先ず落ち着かせようと口を開く。
「あぁ、いつものことだから。大丈夫。……ありがとうな、心配してくれて」
「い、いえいえ!ちょっと気になっただけだから、お礼なんて!」
微笑ましく思った來見が思わず感謝を告げると、祝は慌てて両手を振っては謙遜をする。その仕草もまた來見の心に訴えかけてくるものがあった。だからだろうか、つい気を良くした來見の口からは深い考えもなく抱いた感想がこぼれ出ていたのである。
「自分の友だちを気を掛けてもらえるのは何と言うか、ありがたい事だと思うから。俺が礼を言いたかっただけだよ。……いや。それはそれで少し変というか……過保護か?」
來見は謝辞を述べるに至った経緯を自分で話しておきながら、その論理に対する違和感を同時に抱いていた。自分がいちいち個人の振る舞いに関して気を回すような事をするのは、友人に対しても失礼な行いではないだろうか。それはまるで自分が尻拭いをしてやらなければ駄目だという傲慢さの現れのようにも思える。
つまり祝に言うべきだったのは、悪いけれど友人はああいう奴らだから慣れてくれという旨の要請であったのだろうか。いや、それはそれで此方の事情を押し付けており身勝手な頼みであるようにも思える。
様々な考えが浮かんでは消えていく來見は、深い思考の渦に沈み込もうとしていたのだった。
「來見くんは気遣い屋さんだから、そう思うのかもしれないけど……」
祝が徐に口を開く。一人、物思いに耽りそうになっていた來見はその声で我に返っていた。視線を祝に改めて向けると、彼女は遠慮がちに來見の瞳を見つめている。
やや口ごもったものの祝は結局、話を途中で止めるつもりはなかったようだった。祝は來見がしっかり自分を見ている事を確かめるように凝視すると、数回の瞬きの後にゆっくりと言葉を続けていく。
「きっと、変なことじゃないよ。征生くんや論手くんだって、その気遣いを見落としている訳じゃないと思うし。そもそも、嫌ならちゃんと言葉にするんじゃないかなぁ……」
祝の口から語られた言葉は優しく、來見を慰撫する心で満ち溢れている。それは確かに、囚われようとしていた暗い考えから來見を引き戻していたのであった。來見は自覚できる程に早い気の移りようで、平静を取り戻していたのである。
「そ、そうか。……そうなのかもな」
「うん、だって友達だもん。それに……あの2人が遠慮して言葉にしないなんて事、ちょっと想像できないし」
あ、今のは失礼な言い方だったかも。と祝は自らの口を片手で覆う。祝は自らの失言に慌てているようであったが、來見はその姿を見て思わず笑みをこぼしていた。それはうっかり油断してしまう程には來見に心を許してくれているという証明のように思えて――來見はやはり目の前の祝に心が引かれていくのを感じ取っていたのである。
「いや、多分その通りだよ。あいつらが不快に思ってたら、大人しく引き下がる訳ないと思うから」
「……2人とも単純に気が強いって感じでは無さそうなんだけどね。何というか……我が道を行く人というか」
「あぁ。それ、あいつらにはピッタリな表現かもな。あんまり他人の意見に左右されないから」
來見は祝との会話の中で、改めて友人に対する解像度を高めていく。
良くも悪くも、最終的には自分が納得した形でしか行動しようとしない性格。その方向性は様々であっても、論手と征生はよく似た判断基準を根底に持っていたのかもしれない。そう考えると2人がどれだけ言い合いをしても修復不可能な程の険悪な仲にまでは至らない理由が、何となく分かるような気がするのであった。
「じゃあ。來見くんと香椎くんが、あの2人の潤滑剤になってるのかな?」
「香椎はそうだな。でも俺は……どうだろう。前提として、あいつらが緩衝材を必要としてた上で……俺がそれを実践できてんなら良いけど」
「うーん。それは本人に聞いてみないと、何ともだね」
祝は來見の煮え切らない答えに悩んだ声を出し、明確な判定は現時点では不明であると現実的な評価を下す。その実に尤もな結論に反論の余地はない。來見が大きく頷いていると、しかし祝は更に言葉を続けていた。
「でも私の目から見たら。來見くん達4人は何かを押し付け合ってる感じはしなくて……お互いを尊重し合えてる、すごく良い友達だと思うな」
「……そっか」
言い終わると同時に穏やかな笑みを浮かべる祝に、來見は呼応するように口許を緩める。傍から見た、客観的な印象が悪くはないのなら――少なくとも來見自身、居心地が良いと思っている友人達との関係は、きっと悪いものではないのだろう。來見は波立った心が収まっていくのを感じながら、次の目的地へと向かう事にするのであった。
「結構、高さあるな……」
目当てのジェットコースターの足元。その乗り場の入場ゲートを前にした來見はアトラクションを見上げ、その巨大さに圧倒されていた。あまり経験がない事のため、乗車する前から緊張してしまいそうだと來見は自己分析を始めてしまう。しかし不意に弾けるような声が耳に届いた事で、その思考は中断されるのであった。
「ヤベーめっちゃワクワクしてきた!行くぞぉ!」
「そんなに待たなくても乗れそうだね。早く並ぼう」
声の方向に視線を向けると香椎は來見と違って躊躇いを示すような事もなく、腕を天に突き上げては気持ちの昂りを全身で表現していた。一方の論手は眼鏡を押し上げ冷静さを装ってはいたようだが、あからさまに明るい声色からは絶叫マシンに対する期待が全く隠せていない。2人は表面的に出す態度こそ違うものの、どちらも高揚している事は間違いなさそうだったのであった。
「下から見上げると……ちょっと、本当に……大きいね」
「……祝?」
そして、祝はと言うと。おどおどとした様子で体を縮こまらせている。少なくとも來見の目から見ると、祝は不安げにしていた。だからこそ、名前を呼んで会話をしようとしたのだが――その試みは遮られ、この場で遂行される事はなかった。班長が大きな声で一行を纏めると、急かすように移動を始めてしまっていたのである。
「早く並ぼ!どんどん待ち時間、長くなっちゃうし!」
「行こう行こう!」
「楽しみだなー」
來見は押し流されるようにして、アトラクションの列に並んでいく。それは祝も同様であったのだが、どうやら彼女はとっくに別の友人と話をし始めていた。と言うことは、來見が気にする必要も特になかったのかもしれない。
やや気にかかる点はあるものの、楽しそうな同級生達に水を差すような振る舞いをする事は今の來見には難しかった。祝と話をする機会を逃した來見は結局、他の友人達と同様にアトラクションに乗車する順番を大人しく待つことにしたのであった。
「メートル表記されても実際どんくらいの高さなのかって、全然わかんねぇよなー」
話題を提供しようと思ったのだろうか。香椎は列に並んでいる間の暇を潰すように喋り始める。ここから膨らませていくには十分な主題だなと内心で思いながら、來見はまず自分の意見を発信していく事にした。
「アパートとか、建物の何階分の高さとか言われても……普段から高層で暮らしてないと、なかなか実感できない感覚かもな」
「うちの中学の屋上より高い所まで行くのは分かるんだけどなー。うーん……ま、とんでもなく高いって事だ!そこからの急降下とか、絶対楽しいよな!」
結局ところ、実際に体験してみないことには何とも言えないのだろう。はっきりとした答えこそ出なかったものの、香椎はジェットコースターへと乗車した際に達する最高到達点が高ければ高いほど、得難い経験ができる筈だと確信しているようであった。香椎の顔には一抹の不安もなく、能天気にも満面の笑みを浮かべていたのである。
「何、その要約?アタマ悪そー」
しかしながら論手は肝心の本題から逸れていることに呆れているようだった。それは初めに高さが想像できないと言い出したのならば、少しくらいは理解する為の方法くらい探すべきだという考え方を論手が持っていたからというのも原因だったのだろう。あるいは香椎が、初めから理解する努力を放棄した事への疑問でもあったのかもしれない。論手は方眉を上げ、大雑把なまとめ方をした香椎に白い目を向けていたのである。
「そんな文句言うならお前が、より相応しい結論を出してくれても良いんだぜ?はい、どうぞ」
「……香椎を縦に並べて何人分とか。いや、これだと基準にする単位が小さすぎるせいで、逆に分かりにくいか……」
初稿に異を唱えれば代替案を要求されるのは言うまでもないことだろう。当然のように水を向けられた論手は、少し考え込みながらも自身の論理を展開していく。
しかし短い間に思い付いた主張では根拠が乏しく、自分でも納得がいかなかったのだろう。論手は後半になるにつれ、独り言のように声を小さくしながら自分の世界に没入していっているようだった。
「……うん。一旦、持ち帰らせてもらおうかな」
「じゃ、この話は一旦終わり!また今度、誰が一番想像しやすい形容できるか、表現力バトルでもするかぁ?」
論手の言葉を聞いた香椎は、さっさと次の話題に移ろうとする。論手はどちらかといえば結論を出すのに思考を重ねていく人間で、今のように提示された設問に対しては検討する時間を必要とする性質であった。それは平常時でも同様で、既に終わった話題だと思っていたら次の日になって新たな見解を発表する事も珍しくはなかったのである。
しかし何にせよ、來見も香椎もそれは慣れたものであった。論手を急かして無理やりに結論を出させたとしても、後日には必ず撤回してくるだろうという確信がある――それも尤もらしい理屈をこねて。だからこそ香椎は早々に議論の一旦の保留を宣言し、後日改めて再開する事を口にしていたのだろう。
「開催すんのは別に良いけど。どう頑張って説明しても、あんま大差ない結果になりそうな気はするな……」
「僕は賛成だね。勝ったらどうする?」
万人に通じる表現となると、結局は同じような物差しで形容する事になる未来しか見えない。そんな気持ちで來見はぼやいていたのだが、論手は火が付いたのか妙な張り切りを見せていた。それは自分が一番上手く説明できるという自信からくる振る舞いでもあったのだろう。経験則に基づくであろうその優秀さと自己肯定感の高さは、思わず尊敬の念を覚えてしまうほどであった。
「えー……勝者にジュース奢る!値段が大体一緒なら食いもんに変更も可!」
「乗った」
香椎は論手の勢いにやや押されていた様子を見せていたが、直ぐにその討論会の勝者に対する賞品を決定する。そして香椎が言い終わるかどうかという早さで返事をする論手は、すっかりやる気になっていたのだろう。既にあれこれと思いを巡らせている様子と、あまりの食い付きの良さに來見と香椎は揃って口許を緩めていたのであった。
「……学校で渡すなら、せめてジュースは紙パックにしとけよ?」
「缶は駄目っぽいからなぁ、炭酸も飲めねぇし。ま、仕方ねぇけど」
來見が笑みを浮かべながらも念のために釘を刺しておくと、香椎は何度か首を縦に振り同意を示していく。2人が述べたのは校則にも載っている事で、少なくともこの件について違反した生徒を目撃した経験は來見には無かったことでもあった。
「缶とかビンは取り扱いが危険だとかで禁止されるのは分かるけどさ。それなら何でペットボトルは駄目で紙パックは許されてるんだろうね。それも昼食の時だけとか、今更だけど謎すぎない?」
条件を並べていくと昼食時であればペットボトル飲料――例えば炭酸だって飲んで良い事にならないか?論手はそのように言いたかったのだろう。文句や不満というよりは、純粋に抱いた疑問といった口振りで論手は首を傾げていた。
改めて指摘されると、確かに変則的な校則のようにも感じる。それならばジュース類の一切を禁止してしまえば良いのに、実際は抜け道のように紙パックでジュースを飲む手段が確立されていた。來見はその答えを探すように、まずは状況を整理していく事にしたのである。
「……一律禁止じゃないから変に思うのかもしれないけど、うちの学校だと買い弁が許可されてるだろ?だから紙パックの持ち込みができる訳で。……そこに理由というか、原因はありそうだよな」
「ううん……」
「うちの中学が給食の提供してないからって言っても……全校生に向かって、メニューの指定なんかできねぇ訳で。そこで保護者から、子供には牛乳を飲ませたいって言われたら学校としては紙パックを許可するしかなかった、とか?……水筒に牛乳は入れてこれねぇだろうしなぁ」
「……昼食には必ず牛乳が付属するものっていう認識は小学校から続くものだし、栄養価から見ても必須だと思う家庭が多いのは分かるけどさ。それでもジュースは違うでしょ」
確かに香椎の言い分が正しかったとしても、それならば紙パックの牛乳だけを許可すれば良い話であっただろう。依然として中身がジュースの紙パックという、不必要なものの持ち込みが許されている理由の説明にはなっていない。來見と香椎の意見に欠けているものを、論手は鋭く指摘していた。その言及は実に尤もなものであったに違いない。
しかし來見は、焦ってはいなかった。今し方、話題に上がった小学校という場所での記憶。來見は当時の記憶を思い返しながら、それらしい理由を見つける事に成功していたのであった。
「小学校でも紙パックのジュースが飲める日、あっただろ?だから何というか……小学校の給食で提供される事のあるものは、中学に持ち込んでもセーフみたいな概念があった……とか?」
「あー、あったあった。懐かしいな、セレクトランチとか言って肉か魚のハンバーガー選べたりしたっけ。特別な日にはゼリーとか食えたし……そう思うと結構、余分なもの食ってきてるよな俺ら」
來見と目の前の友人たちの通っていた小学校は別々であった。そうなると、全く違う内容で給食の提供が行われていた可能性もあり、來見の発言は一気に根拠が乏しくなってしまう恐れもあった訳だが――幸いにも、その懸念は必要なかったらしい。香椎の発言からも自分達は似たような体験を送っていた事が分かる。そして重要な点としては、來見達は小学生時代に正しく健康的にはあまり必要ではないものも摂取していたという事実だっただろう。
香椎が余分と称したそれらは、無駄であると切り捨ててしまえる、食への楽しみと言い換える事もできただろう。しかしながら、実際のところ小学生という日に日に大きく体が作られていく大事な時期であったとしても、その余分は許されていた。専門的な資格を持つ人々によって考えられた給食は成長のために必要な栄養を揃えつつも、甘味などの遊び心も添えられている。そして、その余分が問題ないように献立というものは管理されており――要するに、小学生の時ですら許されている嗜好品が中学生になった途端に禁止されるという変化が起こるのは、理不尽で一貫していないと言われてしまえば、確かにその通りだったのである。
これらは少しばかり大袈裟な表現ではあるし、小学生と中学生の自己判断力や生活環境の違いを考慮できていない部分もあっただろう。しかし來見の主張に論手はある程度の納得をしたようだった。論手は小さく頷くとゆっくりと口を開く。
「……なら菓子パンの持ち込みが許されるのも、同じ理由か。確かに、なるほど……」
論手の脳内では小学生時代の給食の姿が次々と浮かんでいるのだろう。來見の経験でいうなら、きなこ揚げパンやチョココロネあたりが菓子パンに類するだろうか。ともあれ、それらに近しく惣菜パンとは口が裂けても言えない種類のものを、來見の中学校では確かに持ち込んでいる生徒がいた。更にその事に関する教師の注意も特に聞かなかったという事実は、來見の推理を補強していたかもしれない。しかし來見は肩を竦めて、付け加えるように言葉を続けていた。
「まぁ、俺の勝手な予想だけどな」
「先生ならちゃんとした理由を知ってんのかな。あ!気になるなら今度聞いてみろよ、論手」
香椎の様子から見るに、彼は自分から教師に答えを聞きに行くという意欲はあまり存在していないようだった。かと言って他者にその考えを強要することもなく、あくまで論手のやりたいように行動する事を勧めている。
突然湧いて出た疑問に対してどのくらいの興味があり、どういう態度を取るのかは個人差がある。そんな当たり前の光景を、來見はぼんやりと眺めていたのであった。
「君たちが言った考察と同じような説明しか返されないような気がするけどね。……ま、考えとくよ」
論手の口振りからするに、これもやはり保留ということなのだろう。そこまでの事実確認は必要ないと判断すれば、論手は言葉通り教師の元へまでは行かないようにも思えた。それは実際の物事の正否よりも論理的に筋が通っているかどうかが彼にとっては重要であり、途中で納得する事ができればそれ以降は敢えて労する必要はないという、ある種の合理的な考え方から出力される振る舞いなのかもしれなかった。
「話がどんどんズレて行ったな……」
「そう?一つひとつ順番に、区切りをつけていったでしょ?」
「いやー、どれも明確な結論には至ってなくねぇかなぁ」
來見が苦笑し香椎は首を傾げるも、論手はすました顔をしている。どこか清々しさも感じるその表情は、3人で交わしていた議題に一先ずの決着がついたと思っているからこそ浮かべていたものだったのだろう。むしろ同じ境地には至っていない來見と香椎を、論手は不思議そうに眺めている始末であった。
もし、この場に征生がいたのであれば更に話題は続いていたのかもしれない。しかし残念ながら、今回は一時的に別行動をしている。論手に食い下がる者がいない空間では、流れるようにして話が進んでいくのであった。
「ふぅん。まったく本当に、僕とは違う感性してるよね。君たちは」
「なーにがまったく、だよ。だから面白いんだろうが!」
「うわ、飛び付かないでよ。暑苦しい」
論手が嘆息まじりに眼鏡を押し上げると、香椎は抗議するように勢いよく肩に手を回していく。その行為に対して論手は、口では文句を言いつつも本気で嫌がる素振りは見せていなかった。結局のところ、香椎の発言に異論はないということだったのだろう。來見は見えずとも彼らの間に存在する友情を、確かに認識していたのだった。
考え方の近い者同士で集まる気楽さは確かにあるが、全く意見が異なる者達と言葉を交わす楽しさは、また違った面白さがあった。それはどちらがより優れているのかという比較をする必要はなく、等しく価値あるものに違いない。
それでも人は都度、選択を迫られる事がある。抗えない流れの中で、今の自分が身を置くのに適した環境を――上記の2つの内どちらかを選択しては、そこで各々の人間達と関係性を築いていく。知見の広がりとはおおよそ、そのようなものであったとも言えただろう。
それらを踏まえて一つ明らかな事を上げるなら。少なくとも來見はこの様々な主張が飛び交う友人達と共に過ごす日々に、何の不満も持ってはいなかった。その事実は夜空に燦然と輝く星のように、明確に存在していたのであった。
目の前に続いていく待機列が粛々と短くなっていくのを眺めながら、來見たち一行は傾斜状の道を上っていく。いよいよジェットコースターへの搭乗が迫る中で來見は眼下に広がる風景を見つめていた。
待機列の殆んどは屋外に並ばされており、数日前のマラソン大会でも見かけたベルトパーテーションによって整列と誘導が行われている。高所へと延びていく坂道の途中には時折日差しを遮る為のサンシェードが張られていたが、およそ装飾と呼べるものは他に存在していなかった。それは実に簡素な作りで、芸術性がないと言われてしまうと反論が難しい光景ではあっただろう。
しかし少なからず、見る者に涼しげな印象を与えていたのは間違いなかったのではないかと來見は考えていた。冬場に抱く感想はまた違ったものになるのかもしれないが春の陽気が近付く今、來見はその設えを好ましく思っていたのである。
そして高所から周囲を眺めていると、道中では見落としていた遊園地の有り様に改めて気付けた事もある。その一例である、実に目を引く看板や辺りに掲げられた旗の内容を、來見は何とはなしに読み上げていたのであった。
(縁結びキャンペーン実施中……春だからってのも、あるのかな)
春と言えば出会いの季節、その印象は確かに來見も持っていただろう。馴染み深いところで言えばクラス替えによる新たな出会いや、他にも進学や社会に出る事による環境の一新など。思い当たる点は來見の身の回りにも多く存在していた。掲げられたキャンペーン内容に違和感を覚えることもなく、來見は上手く表現したものだなと一人感心していたのである。
(この機会に初対面の人と縁を結ぶ事を楽しもう!か……アトラクションの回転率を上げる為に、団体で来た人達にもある程度分散してもらおうとしてるのかな)
來見はその取り組みの裏に生じる、運営側の思惑を感じ取る。稼働しているアトラクションの空席を少しでも減らすための施策を、来場者へ与える不快さを排除した物言いに変換していたのは互いにとっても良い試みであっただろう。これから本格的に春休みの期間に入り来場者が増えていく事も思えば、アトラクションの待ち時間が短くなる手段が存在しているという点は多くの者に好意的に受け止められるだろう事が窺えた。來見はそんな風に納得のいく考察を行えた事への満足感を得ながら、再び周囲に視線を巡らせていたのである。
(ん?)
そして、ふと気になるものが來見の視界に映っていた。
來見の目を引いたのは、祝が友人と談笑している姿。恐らくそれは、ちょうど彼女達の会話の切れ目でありほんの僅かな間に起きた出来事だった。秒数で言えば片手で足りるであろうその瞬間、祝が俯き友人達の目から隠れるようにして大きく深呼吸を繰り返していたのを來見は目撃していたのである。
「……祝、大丈夫か?」
「えっ!?」
「うわっ」
來見の呼び掛けに祝は大袈裟に体を跳ねさせる。その予想外の驚き様に來見が思わず声を上げてしまったせいだろうか。祝は申し訳なさを覚えたように眉尻を下げていた。続けて弁明するように、彼女は慌てて口を開いていたのである。
「……あ。ご、ごめんね。何て言ってた?ちょっと、ぼうっとしてて……」
祝はまるでいつも通りといった様子で言葉を続けているが、どう考えても平常心ではないのは來見にも分かる。上擦った声には突如として呼び掛けられた驚きによるものだけではない動揺が、確かに滲んでいたのであった。
「……気分、悪いのか?」
「ぜ、全然?むしろ……楽しみで武者震いしてるくらいだよ?」
來見の小さな問い掛けに、祝は否定を示している。しかし一度気になってしまえば、彼女のあらゆる振る舞いが不調の兆しを表しているように來見は感じてきていたのである。
深呼吸をしていたのは何とか平静を装う為に努めようとする行動の発露であり、青白い顔は血の気が引いているためにそうなっている。現に今も――祝としては無意識なのだろうが――軽く握った拳を口許に添えている姿は、吐き気を抑えようとしている風体に來見には見えていたのであった。
手の平で口を覆ってしまうと、いかにも具合が悪いと言っているようなものであるから、中途半端な形で留めるしかなかった。しかし、そうせずにはいられない程に体調に異常をきたしている。來見は、祝が問題を抱えていると分析を終えていたのである。
全ては來見の妄想なのかもしれない。しかし祝をこのまま放っておくべきではない。來見は自身の直感の囁きに従って行動を始めようとしていた。
來見が辺りを見回すと不意に香椎と目が合う事に気付く。もしかすると來見と同じようなタイミングで、彼もまた祝の異変を察知していたのかもしれない。
來見はある意思を持って、香椎に向かって強く視線を送ってみる。すると香椎は來見が何を言いたいのか、直ぐに理解したようだった。香椎は立てた人差し指を何度かクルクルと回した後に親指で自分を指し示し、そのままサムズアップを見せるように手の角度を変えると真剣な表情で何度も首を縦に振ってみせる。
(周りには、俺が言っておくから、任せろ。……って感じだろうな)
來見は香椎のあまりの物分かりの良さに笑ってしまいそうになりながらも、理解してくれた感謝を込めて一度大きく頷きを返す。
やるべき事を終えた來見は、改めて祝に向き直る。他の同級生達は來見が祝に話し掛けた段階で、まるで空気を読んだように2人から距離を置いていた。かと言って聞き耳を立てている様子もなく、各々が思い思いに談笑をしている。來見は賑やかな話し声を背景に、祝へと徐に口を開くのであった。
「祝」
「う、うん。なに?」
おどおどと來見を見上げてくる祝。その姿は何かを恐れているようでもあった。叱られるのを恐れる子供。そんな印象を抱いた來見は自分が何をすべきか正しく理解し、殊更に明るい声で言葉を続けていく事にする。
「悪いんだけどさ俺、ちょっと気分悪くて。付き添い頼んでも良いか?」
「え……」
祝は大きく目を見開き、言葉を失う。彼女にとって來見からの要望は全くの想定外だったのだろう。祝は視線を宙に彷徨わせ必死に返答を考えているようだった。
「……駄目か?」
「う、ううん!その、何の助けにもならないと思うけど。私で良ければ、喜んで」
「ありがとう。頼む」
このまま押せばいけるだろうと予想した通りに、祝は承諾を示していた。少しばかり強引であったのは自覚しつつも、來見は間違った事はしていない筈だと自分の心を納得させる。そのまま静かに待機列を抜けようとしたところで、しかし祝は思い出したように声を上げていた。
「あ。でも、その……皆にも言わないと」
「香椎が言っておいてくれるから、大丈夫だ。俺たちは係の人を探して、地上まで降りる道を教えてもらおう」
祝は躊躇いがちに小さな声で、他のクラスメイトに断りを入れるべきだと主張していた。しかし來見がその必要はない事を告げると、祝はほっと息をつく。それは明らかに安堵していたという態度そのものであり、恐らく祝は周囲に自分の状態を広く知られたくはなかったのだろう。來見は先程の香椎とのアイコンタクトが成功した事へのをありがたさを、改めて実感していたのであった。
「そ、そっか……あっ。その、肩とか貸そうか?体、辛くない?」
「大丈夫、そこまでじゃないから。ありがとな」
「ううん……私は、何も。えっと……じゃあ、あそこにいるスタッフさんに帰り道を聞きに行こうか」
「あぁ」
祝は困惑しながらも來見の体を慮る様子を見せる。途切れ途切れになる言葉からは目の前の出来事に対処する為に、いっぱいいっぱいになってしまっている余裕の無さが表れていた。
來見としても一度、落ち着かせるべきだろうと間を取ろうとしたのだが、祝はスタッフの姿を見付けると慌ただしく行動を始めてしまう。來見は置いていかれないように追い掛けながらも、祝の様子からは目を離さないように注視し続けるのであった。
「こちらの道を下っていただきますと、当アトラクションの裏手側に出られますので」
「ありがとうございます」
來見と祝はスタッフに導かれ、先程まで並んでいた待機列から見るとちょうど搭乗口を挟んで向かい側にある通路へと来ていた。本来であればジェットコースターに搭乗した後に使用されるその降車口は、今は誰の姿もない。稼働中のジェットコースターが戻ってくるまではスタッフ以外の者が通る事はないだろう道へ、來見たちは案内されていたのであった。
「建物沿いに歩いてぐるっと回って来ていただけますと、ジェットコースターの入り口……待機列まで再び戻って来れますので。園内を巡る際の目安にしていただけるかな、と」
「はい。お忙しい中、案内していただいて。ありがとうございました」
「いえいえ!引き続き、園内での散策をお楽しみくださいね」
丁寧な説明に來見と祝が会釈をすると、スタッフはにこりと笑っては折り目正しい接客を続けていく。そんな態度に來見たちは再び頭を下げながらも、これ以上引き留める訳にもいかないという判断から、素早くこの場を立ち去る事を選択していたのであった。
ジェットコースターの稼働のタイミングもあり、やはり降車専用である道には誰もいない。殆んど屋外と変わらない環境の中、2人分の足音だけが小さく響く静けさに包まれながらも祝は徐に口を開いていたのであった。
「あの。來見くん、本当は……そんなに具合悪くないんじゃないの」
「……」
祝の指摘に、來見はつい黙り込む。肯定するべきか否かを考え始める來見を他所に、祝は俯きながら言葉を続けていた。
「私の勘違いじゃないなら……その、私のせいで來見くんに嘘をつかせたんじゃないかって。……だから、ごめんなさい」
肩を落としてしまっている祝の身には、調子の悪さだけではないストレスが襲い掛かっているようだった。背負わせるべきではない苦悩を与えてしまっている事実に気付いた來見は暫しの間、呆然としてしまう。頭の中で様々な言葉が巡り始めるのを感じ取りながら、來見は慌てて口を開いていたのであった。
「祝が謝る必要ないよ!……いや、ごめん。そうさせたのは俺だよな。思い詰めさせるつもりじゃ……なかったんだけど」
來見は謝罪をしながらも、言い訳がましい事を口にする自分に嫌気が差してくる。こんな事を言えば祝はまた気に病んでしまうだろう。もう少し考えて喋るべきだと反省し始めていた來見に対して、しかし祝は首を横に振っては静かに言葉を続けていく。
「ううん、謝らないで。來見くんが、ああいう風にしてくれたのも私が自分から言い出さなかったせいだもん。來見くんは何も悪くない」
來見の瞳を見つめる祝はすっかり落ち着きを取り戻しているようだった。しかし変わらない頬の白さを見れば、とても本調子になっているとは言えなかっただろう。どこか自嘲気味に薄い笑みを浮かべながら、祝は更に言葉を続けていく。
「嬉しかったよ、気に掛けてくれたの。でも……折角の楽しい場なのに、私に付き合わせちゃったから申し訳なくて。ごめんね」
「俺が勝手にやった事を祝が気にしなくても良いんだよ。迷惑とか、思ってないし」
「……そっか」
「うん」
やっと謝罪を止めてくれた祝であったが、2人の間には沈黙が落ちてしまう。互いが互いの振る舞いを反省しているその静寂に、來見は耐え難い気持ちになっていた。
(……そうだ。何で2人揃って落ち込んでるんだよ、悪いことなんかしてないのに。それなら、俺がすべきことは……)
來見は儘ならない現状に段々と腹が立ってきていた。つい先程、祝とは人間関係において思いやりがあるのは良いことだと話をしていたではないか。今回の事は2人がやや自罰的な思考回路をしていた為に起きてしまった、些細なすれ違いでしかない。そして、どうしてそうなっていたのかと言えばこの暗い雰囲気からも分かる通り、気分が落ち込んでしまっていたせいであり――來見はもっと建設的に振る舞うべきだと即座に思考を切り替えていたのであった。
「祝」
「うん?」
「背中、乗るか?」
來見は唐突に、そんな事を言ってのける。驚いて立ち止まってしまった祝の数歩先に足を進め、冗談を言っている訳ではないと示す為に來見はしゃがんで背中を見せていた。
「ほら」
「えっ!?だ、大丈夫だよ!私も、そこまで具合悪くないから!」
「そんなに心配しなくても、祝くらいなら俺でも持ち上げられるって」
「そ、そういう話ではなくてですね……!」
來見は敢えて惚けた顔をして話をすり替えていたのだが、祝にその手は通用しないようだった。彼女は生真面目に話を本筋に戻しては、両手を振って背負われる事を拒否している。
体調の優れない者をからかうのは、あまり良くないことだろうと來見は認識していた。しかし空気を変えようと思って行動した結果はしっかりと出てくれたらしい。祝は來見と視線が合うと自分が悪ふざけに巻き込まれているだけだと気付いたのだろう。祝は小さく笑うと仕方のないものを見るような目で來見を見つめ、柔らかい表情を浮かべては張り詰めた空気を和らげていたのであった。
「もう……からかってるでしょ」
「祝が必要なら、全然……今からでも運ぶつもりだけど」
「謹んで、辞退させてもらいます!……でも、ありがとう」
「……うん、そうか」
背負う事を遠慮されてしまった來見は、ゆっくりと立ち上がる。そして少しだけ元気になってきた祝を見て、來見は胸を撫で下ろしていた。この様子であれば、過剰に心配し過ぎる必要もないのかもしれない。あとは近場で腰を落ち着ける場所を探さなければいけないな、と考えを巡らせながら來見は祝と共に降車口の先へと進んでいくのであった。
開けた大通りに並んだベンチ、その一つに來見と祝は間に僅かな空間を設けながらも並んで腰を下ろしていた。ジェットコースターからは少し距離があるが、降車してくる人々の視線にいちいち晒されるのも気分の良いものではないだろう。
來見は木陰近くに備えられたベンチを選び、他の来場者の姿が頻繁に目に映ることがないような場所まで祝を誘導していたのであった。
「……高い所、苦手だったのか?」
座ってから、どのくらいの時間が経ったのだろうか。居心地の良さすら感じる沈黙が來見の感覚を狂わせていたようにも思う。しかし不意に吹き抜けた風が頬を撫でた事で我に返った來見は、祝の不調の原因を探る為に口火を切っていたのであった。
「うーん……そんな事はないと思ってたんだけど」
ベンチの背もたれに体を預け空を見上げている祝は、嘘はついていないように思える。では何故、あのように苦しそうな素振りを見せていたのだろうか。今は比較的、安定しているように感じる祝の様子を窺いながら、來見は考えを巡らせる。
「じゃあ……ジェットコースターに乗るのが怖くなっちまった、とか?」
「怖い……うん、怖くなっちゃったのかな。あんまり自覚してなかったんだけど」
來見の問い掛けを受けて、祝はどこか他人事のように言葉を溢す。しかしそこで話を終わらせるつもりも無かったのだろう。その表情は気の抜けた様子でどこかぼんやりとしていながらも、話の流れを止める事はせずに祝の口は動き続けていた。
「並んでる時はね、本当に楽しみだったの。ジェットコースターに乗るのって初めての体験だったから。でも……」
祝は來見に語るのと平行して自己分析も行っているのだろう。浮かび上がる感情を時間をかけて言葉へと直していくように、祝はゆっくりとした速度で内情を吐露していた。
「乗車口が見えた時に……その進行方向に広がる道が、もうとっくに高い所にあるんだって気付いたら。だんだん冷や汗が出てきちゃって……」
「極端な事を頭の中で色々と考えて……不安になった?」
例えば、突如としてアトラクションが故障するだとか。その最中に怪我を負うような場面に立ち会ってしまう羽目になるだとか。
來見は祝の言葉を引き取るように口を開いていた。そして、つい考えなしに先走った発言を行ってしまった自分に気付き、即座に祝の顔色を窺う。
來見の焦りとは裏腹に、しかし祝は深く頷くだけだった。どうやら彼女の気分を害する事はなかったらしい。來見は祝の反感を買わずに済んだ事と、推理によって導いた自身の考えが間違ってはいなかったことに一人安堵する。
深く考えを巡らせていたであろう祝は、内心が慌ただしい事になっている來見に気付ける筈もなかったのだろう。祝はそのまま静かな口調で話を進行していくのだった。
「……うん。でも、皆が楽しそうにしてるのに水を差すのは良くないかなって思って。それに、乗っちゃえばあっという間だって聞いてたから我慢できる気がしてたんだけど……」
駄目だったね。結局、來見くんに迷惑かけちゃったし。そう呟いた祝の声は眉尻の下がった表情とは裏腹に、不自然なまでに明るい響きを持っていた。それは自身の愚かな振る舞いを嘲笑っているようでもあり、自責の念に苛まれる苦しみを表に出さないために取り繕った結果にも思える。來見の目には祝の痛ましい姿が映ってしまっていたのであった。
他者の足枷となるような邪魔をしたくないという考えは、來見にとっても無視できない意見に違いなかった。何故ならアトラクションに並ぶ前、來見が同様の思いを抱いた為に祝の異変を見逃した事が――ある意味で、今の状況にも繋がっている一因にもなっていたからである。
「……初めてなら、ああいうアトラクションが苦手かどうか分からないのも仕方ないだろ。祝は自分の気が変わる事で周囲を振り回すのを嫌ったんだろうけど……」
來見は極限まで我慢を続けていた祝の心の変遷を想像しながら言葉を紡いでいく。
全ては來見の妄想であり、的外れの慰めにしかならない可能性はある。しかし何かを言わずにはいられない衝動が來見の口を軽くしていたのだった。
「あの場で祝がやっぱり無理だって言っても、それは我儘ですらないよ。迷惑なんて思いもしないし、祝に無理をさせる方がずっと嫌だ……って皆も考える筈だ」
最後になって漸く他者の存在について言及したのは來見の照れからくる誤魔化しでもあった。あまりにも主観的な発言は祝について熱く語っているようで、來見は急速に湧き出た羞恥心に駆られてしまっていたのである。
やや不自然な挙動をしてしまったかと來見は一抹の不安を覚えるが、それよりも大事な事があった。それは絶叫マシンを前にした祝が現行の状況に逆らうような意見を口にしたとして、それは責められるものではなく当然の権利であるという――來見の主張が伝わっているのかどうかという成否であった。
少なくとも先程までの祝は空気を読みすぎていた。卒業旅行中という特殊な状況が周囲の顔色を窺いすぎる行動に繋がり、祝は自分の意思を抑圧し過ぎていた。そしてそれはアトラクションへの乗車を強行した結果、余計に被害を拡大させる可能性を考慮する余裕さえも祝から奪い去ってしまっていた。
きっと多大な不安が祝を視野狭窄に陥らせていたのだろう。來見はそんな祝が心配で、いつしか食い入るようにしてその姿を見つめていたのであった。
「そう……だね。ちゃんと言った方が皆を心配させずに済んだのかも」
「おう。だから、その……謝るのは、もうナシな。今回は良い勉強になったと思えば良いんだよ。きっと」
「ふふ……うん。ありがと」
どうやら來見の意図は正しく伝わっていたのだろう。祝が素直に首肯する様子を見て、來見は胸を撫で下ろす。そして、その気の緩みからか続く言葉はぎこちなくなってしまっていたのだが、祝はただ口許を緩めて來見に穏やかな表情を向けていたのだった。
遂に見れた祝の自然な笑みに、來見の鼓動は少しだけ速度を上げる。そして再び訪れた心地よい静かな沈黙の中で、來見と祝は暫しの間その視線を交わし続けるのであった。
もし目の前にいる祝が、歩道橋からの落下未遂を経験していた祝であったとしたら。高所から急降下するジェットコースターに忌避感を抱いていても、仕方のない事であったと來見は推理していただろう。
しかし、そうではなかった。來見と会話していたのは中学生の祝で、かつての世界で交友を深めた高校生の祝ではなかった。だからこそ目の前の祝は近しくも遠い、全く別の心理的原因によってジェットコースターに乗れずにいた。
あるいは前の世界の祝も同じようにして絶叫マシンに対する恐怖感を抱いていたのかもしれないが――それはもはや確認しようもない事であっただろう。
現在の來見は今、共にいる祝を助ける事しかできない。それでも、それだけでも実に幸運な事なのかもしれないと――確かに來見は思い始めていたのであった。
「聞いてた限り貧血っぽいけど。何て言うんだったか、確か……何とか神経反射?」
「血管、迷走……神経反射だっけ?……確かに、そうかもね。汗と吐き気と……ちょっとだけ視界が変だったのは眩暈だったのかも」
木陰で涼む來見と祝は、話題の一つとして祝を襲った異変についての話を始めていた。状況から見るに來見の推測は合っているのだろう。祝の同意もそれを後押ししており、來見はその症状について思い返していた。
血管迷走神経反射。それは極度の緊張からも生じ得る心因性の脳貧血――で間違いなかっただろうか。確か眩暈に発汗、吐き気に頭痛、挙句の果てには腹痛などの症状を伴うものであったように思う。來見は自分の知識に自信が持てないまま、更に考えを巡らせていった。
(眩暈があったのなら、歩かせるべきじゃなかったよな。結局、祝は自力でここまで歩いては来れてたけど……)
詳しい症状に気付けなかったとは言え、やはり來見は祝を背負って運ぶべきだったのだろう。今は落ち着いているように見えても、ベンチに辿り着くまでは力を振り絞り精一杯の虚勢を張っていただけの可能性もある。來見は完全に対応が遅れてしまっていると分かりながらも、黙ったままでいる理由もないだろうとして一つの提案を持ち掛けていたのであった。
「……横になるか?眩暈が収まるかもしれない」
「えっ!……その、來見くんの膝に……?」
「……あっ!?えっ!?いや、そういうつもりじゃ!」
思わぬ反応が返ってきた事に來見は冷静さを忘れて取り乱してしまう。慌てて否定の言葉を口走ってしまうのだが、そんな來見を見つめる祝の瞳にはどこか期待しているような輝きがあるようにも思え――またしても來見は混乱の中で口を開いてしまう。
「いや、嫌とかではないんだけど!その……ホラ!俺の膝とか固いし!暑いし!それなら鞄とかを枕にした方がさ!……な!」
兎に角、誤解されたくない。來見はその一心で、決して祝を膝に乗せようとした下心などは無いのだと言い訳のように喚いていた。
軽々しい軟派な男である印象を与えまいと必死にあがいては代案を提示する來見の姿は、祝の笑いを誘ったのだろう。來見の内心とは裏腹に祝は柔和な顔つきになっている。それどころか小さくとも確かに声を立てており、そこにはからかうような響きも滲んでいたのであった。
「ふふ……」
「わ、笑わなくたって良いだろ」
必死の弁明を軽く聞き流された気がした來見は、つい責めるような口調になってしまう。しかし、それも些細な癇癪としてしか見なされなかったのだろう。祝の口は弧を描いたまま、來見を宥めるような言葉を続けていく。
「ごめん、ごめん。怒らないで、ばかにしてるとかじゃないの。そんなに必死にならなくても良いのに、來見くんが一人で慌ててるから……かわいいなって思って」
「かっ……!?」
來見は祝の衝撃的な発言に絶句する。これまでの人生でも言われたことのない――來見の記憶にないだけで生まれたての幼少期などには言われていた可能性はあるが――驚きの形容詞は、自分からはかけ離れた似つかわしくない単語に違いなかった。
しかし祝はそれを、平然とした顔で当然のように言い放っている。もしかすると、來見が取り乱すと分かっていて反応を面白がっていた節も無いとは言い切れない。だが祝は來見を観察するような視線ではなく、ごく普通の自然体のままで話を続けていた。
「……でも、残念だけど眩暈はとっくに収まっちゃってるから……今日のところは遠慮しておこうかな」
「え、あっ。う、うん。……いや、眩暈が落ち着いたのは良いことだと思うけど」
遅れながらも気を取り直した來見は、祝のやや問題のありそうな発言を訂正していた。しかし彼女は來見の指摘を全く意に介さないまま、飄々と言葉を続けていく。
「それに……ここは人通りは少ないけど、周りの目がない訳じゃないから。ちょっと、恥ずかしいかな」
「そ、そうだな?それは、確かに」
それはどことなく噛み合わない会話ではあったが、來見は結局のところ有りのままに祝の主張を受け入れていた。祝は一方的に話を進めているというのに、來見はその流れに逆らう事ができなかったのである。
祝の語気は強い訳ではなく、その口調は悠然とした雰囲気を纏っている。しかしながら僅かな違和感が生じていようとも強引に自論を押し通せてしまう不思議な説得力も帯びており、むしろ自分が疑問を抱く事こそがおかしいのかもしれないと思わせる力があった。
あるいは、そんな印象を持つのは來見だけだったのかもしれない。それは所謂、惚れた弱みと呼ぶ現象であり――否定しづらいその感覚を來見は無意識下で受け入れてしまっていた。そんな可能性は確かに存在していたのである。
「だからまた今度。人目がないところで、お願いするね?」
「……!?」
グルグルと考えを巡らせていた來見の元へ、止めのような言葉が届く。とうとう単純な感動詞すら出てこなくなった來見の口は、ただ驚愕に戦慄くだけの器官と化していた。
何が、だから、なのか。そもそも体調不良ではない状況で行われる膝枕は、もはや治療行為という建前すら失っている。つまり、祝は來見と2人きりになってそういう事をするのもやぶさかではないと宣言している、という分析もできてしまう訳で――來見の頭は混乱と興奮で爆発しそうになってしまっていた。
(い、いやいや。落ち着け、飛躍しすぎだ。2人きりとか、そこまでは言ってないし。祝は冗談を言って盛り上げようとしてるだけだって……)
來見は深呼吸を繰り返す。ここで間違った対応をしてしまえば、取り返しのつかない軋轢が生み出されてしまう危険性があった。気色悪がられる振る舞いは何としても避けなければならない。來見は最悪の選択だけはするまいと、必死に頭を働かせていた。
(間違いなく冗談だとは思うけど……それを断言するのは良くないよな。万が一、万が一にも祝が本気だったら、祝を傷付ける事になりかねないし……)
來見は自分にとって都合の良い予想を否定しつつも、祝の心証を第一に考える。それでも長いこと口を閉ざしている訳にもいかない。來見は時間に追われながら、浮かび上がってくる様々な可能性への対処を捻り出していた。
(かといって……開き直って快諾なんかしたら、がっついてるみたいで絶対に引かれるよな?それなら、中間の態度が正解なのか……!?)
來見は無駄な瞬きを繰り返しながら、妥当と思われる回答を見付け出す。しかし、それは果たして本当に正しいのだろうか。どっち付かずが一番、悪手なのではないのだろうか。來見は目が回りそうな気持ちになりながら、一度強く瞼を閉じる。
そして再び視界が開けた時、來見は自分の顔がいつの間にか地面に向いていた事に気付いた。何にせよ会話を行うのに視線を落としたままなのは態度が良くないだろう。來見がのろのろと顔を上げるとそこには、祝の悪戯っぽい笑みが広がっていた。
「……祝ばっかり、余裕があるよな」
「えっ?」
來見の口からこぼれ落ちたのは、祝を非難するような内容だった。以前から漠然と抱き続けていた感情を、來見は包み隠さず口走ってしまっていたのである。
祝としても、それは意外な反応だったのだろう。祝は目を丸くして來見を見つめていた。そして、その瞳に映り込む來見は、明らかに不満そうな表情を浮かべていたのだった。
「……ね。本当に、余裕があるように見える?わたし」
「み、見える……けど、ごめん。責めてる訳じゃない」
來見は気圧されたように、祝の問いに素直に答えてしまっていた。慌てて謝罪を付け加えるも、それは何の考えもなく取った反射的な行動に違いなく、実に白々しく聞こえていただろう。しかし祝は決して怒りを見せたりはしていなかった。
祝は身を乗り出して來見の瞳を見つめると、突如として破顔する。そして、まるでもう満足したとでも言うように來見から顔を逸らすと、再びベンチに身体を預けては空を見上げていたのであった。
「來見くんに悪気がないのは分かってるよ。でも……ふーん、そっかぁ」
來見の勘違いでなければ、祝は急激に機嫌を良くしたようだった。横顔を見て分かるように、その口角は上がり目尻は下がっている。発された声にはどこか甘さが含まれており、來見はやはり動揺してしまうのであった。
「な、何だよ。その反応……」
「内緒!……今はまだ、ね!」
「……じゃあ、いつかは教えてくれるって事か?」
「それも内緒!……ふふ」
來見の落ち着きのない態度とは裏腹に、祝は妙な自信に満ち溢れているようだった。それを証明するように、祝は來見の拗ねたような口振りに一切の目くじらを立てる事もない。來見は祝の手のひらで踊らされているような気分になりながらも、何故だか疎ましさに近い感情を抱く事は終ぞなかったのであった。
どうあれ、祝に口を割る気がないのであれば、この会話はここまでという事なのだろう。祝の心証を悪くしてまで掘り下げるべき話題ではないと、來見は確かに納得をしていた。そもそも今は踏み込んだところで得るものはなく、ダメージを負うのは恐らく自分だけだという直感が働いていたというのも、來見が口を閉ざした理由の一つだったに違いない。
祝には散々翻弄され無様な姿を晒してしまった後ではある。しかし、だからこそ。ここは來見の大人びた振る舞いを見せ付けるべきタイミングのようにも思えていた。
幼稚さを抑え込み包容力を示すかのように來見は余計な事を口にしない。そして祝の望むままに、一先ずの話題の終了を受け入れていたのであった。
「……そろそろ、皆が降りてくる頃かな」
「迎えに行くか?」
「うーん……ちょっとバツが悪いと言うか。気、使わせちゃいそうだなーって」
それで後回しにしても意味ないんだけどね、と困ったように微笑む祝はまだ心の整理がついていないのかもしれない。他者へ迷惑を掛ける事を過度に恐れているようにも映るその姿は、來見に憐憫の情を抱かせるには十分だった。であるならば來見がするべき事は決まっており、その口からは助け船を出す為の言葉が発されていたのである。
「……なら、俺たちは先に合流場所に行って……そこで一緒に待つ事にする、とか?人数が多ければ話題が散って、祝の事は有耶無耶になるかもしれない。……上手くいくかは微妙だけど」
來見は突発的な思いつきを述べているだけで、やはり祝が言っていたように問題を先送りにしているにすぎない。香椎が上手く説明している可能性もあるにはあるが、あの短時間の目配せだけでそこまでの立ち回りを期待するのも酷だろう。結局、誤魔化しきれる筈もなさそうな突然の離席という問題に対する答えを、今の來見は持ち得ていなかったのだった。
「……なるほど。じゃあ、そうしようかな」
しかし祝は來見の適当な提案にも一定の納得を示したようだった。その行動は根本的な解決には至らないと彼女自身、理解していたのだろうが――今はとにかく、友人へ説明するまでの時間を引き延ばす事ができればそれで良かったのかもしれない。祝は小さく、しかし確かに頷いていたのであった。
「じゃあ行くか、征生たちの所。……汗もかいただろうし、途中で飲み物でも買いながら」
「うん!そうしよう」
來見の提案を受けて、祝は嬉しそうにベンチから立ち上がる。その様子から見ても、体調は戻りつつあるのだろう。
彼女の気分が優れないうちに冷たい飲み物を勧めていたら、無理に接種させて腹痛を引き起こしていたかもしれない。祝の身に起きた症状を考えると、体調を悪化させる可能性のあった行動を取らずにいた事に來見は改めて安堵していたのであった。
「ね、実はね。私がジェットコースターに無理矢理にでも乗りたかった理由……一つだけ、ちゃんとした動機があったんだ」
改めて話を切り出した祝に、來見は目を瞬かせる。しかし、この状況で言及するという事は恐らく重要な主張にあたるのだろう。來見は無難に相槌を打ちつつ、祝の返答を待つという判断を下していたのであった。
「へぇ……初めてだから、体験してみたかったってやつ以外に?」
「うん。……いきなり乗らないって言い出して、皆の邪魔をしたくなかったのは本当。でも、最後まで粘ってたのは……」
祝はそこまで言って一度、口を閉ざす。視線を彷徨わせた祝は話の順番でも考えているのだろうか。來見と祝の間には僅かに沈黙が降りていた。
來見はつい首を傾げてしまう。何か言いづらい事なのだろうか。それならば無理に述べる必要はないと來見が口を開こうとした瞬間、しかし祝が先に話し始めていた。その勢いに呑まれたようにして來見は黙らざるを得なくなっていたのである。
「……ジェットコースターに乗ると、ドキドキするでしょ?」
「え?あ、あぁ。普通は、そうだろうな」
突然の問い掛けに來見は反射的に肯定する。確かに絶叫マシンとはスリリングな乗り物で、スピードによる爽快感と同時に恐怖を楽しむ為のアトラクションと形容しても良かっただろう。つまり祝の言葉に間違いはないのだが――それが、どのようにして祝がジェットコースターに乗る理由に繋がるのか、來見には思い付かなかったのである。
「その心拍数が上がった状態を、ときめきだって勘違いしちゃう事もあるんだって」
「うん……ん?」
相槌を打っていた來見は、ふと疑問が頭に浮かび気の抜けた返事をしてしまう。それはつまり、所謂――吊り橋効果を指していたのだろうか。恋愛感情とは全く違う、外的要因による緊張や恐怖を恋心によるものと勘違いしてしまう、その現象。來見は脳内で何かが繋がりそうになる予感に、鼓動が速くなるのを感じていた。
「來見くんの隣に乗ったら……私と同じになるかなって」
「そんなことを考えてたからって言ったら……來見くんはドキドキする?」
「ド、ドキドキ……する」
來見の口からは非常に率直な意見が飛び出していた。祝に言わされたのではなく、自然と出てしまった言葉に來見は慌てて口を閉ざす。しかし祝は満面の笑みを浮かべるばかりで、そのあまりの眩しさに來見は目だけではなく頭と胸を焼かれるような気分になっていたのであった。
「ふふ。それがジェットコースターに乗ろうとした一番の理由……だったりして!」
かわいいな、と來見は思った。語彙力は消失し、もはや深く考える事もできなくなっていた來見はただ祝に心を奪われる。
祝が口にしていたのは冗談で、來見をからかって遊んでいる可能性もある。しかし、やはり祝に翻弄されるのは嫌な気分ではなく――横暴にも思えないその振る舞いを、來見は受け入れていたのであった。
「あのぅ!」
「うん?」
そして、熱に浮かされながらも改めて歩き始めようとしていた來見に向かって、不意に掛けられる声があった。辺りを見回すと存外近くに立っており、突如として姿を現した子供の姿に來見は目を瞬かせる。
小柄な子供の年齢は、外見からは推察しづらい。おまけに薄手のニット帽を深く被った上に俯いている事が、余計に子供の容貌を隠してしまっていた。來見は咄嗟に祝へと視線を送り、顔を見合わせてしまう。果たしてどうするべきか考えようとした矢先に、しかし子供は自分から言葉を続けていた。
「ああ、あの……あたし……」
「う、うん。どうしたんだ?」
子供は躊躇いを見せているが、何やら勇気を振り絞っている事は分かる。來見は子供が喋りやすいように、言葉を促していた。
察するに、何か困り事が起きているのだろう。子供が言いづらいのであれば來見から働きかけて、情報を引き出す必要もあるのかもしれない。來見は困惑を顔に出さないように努めながら、子供の様子を窺っていた。
「一目見て決めてました!あたしと、付き合ってください!」
「……え?」
「んん?」
色々と巡らせていた算段は、一瞬にして來見の頭から掻き消えていた。來見が自分の耳を疑った事で反射的に口にした言葉は、異様な雰囲気に包まれた空間で空しく響き渡っている。それと同時に祝の喉からも訝しむ音が発されていたのだが、呆然としていた來見には聞こえてはいなかった。
今日何度目の驚きなのだろうかと、來見の脳は明後日の方向へ回転をし始める。急な展開に取って置ける筈もない余裕が何故か発生しつつある奇妙さを感じ取りながらも、來見は一生懸命に気を取り直して本題に入る準備を進めるのであった。
「えっと……ちょっと待ってな。今、考えるから……」
自分なりに仕切り直そうとした來見であったが、しかし上手くは行っていなかった。結局その口からはお茶を濁すような発言しか出てこず、來見は無駄に結論の先延ばしを求めてしまっている。
來見は自分の動揺がそのまま言葉に乗せられている状況を歯痒く思ってしまうが、目の前の子供は慌てたように何度も首を左右に振っていた。初対面の段階で既に困り顔をしていたというのに、その眉尻をこれ以上ない程までに引き下げて子供は――少女は悲痛な表情を來見に向けていたのである。
「あ、ごご、ごめんなさい!突然!意味が分からないですよね!すみません!」
か細い声から打って変わって大きな反応を見せる少女の頬は焦りからかうっすらと上気し、汗も滲んでいるように見える。目に見えて分かる狼狽えぶりは祝の同情も誘ったのだろう。祝は心配そうな顔で少女と視線を合わせると、ゆっくりと語り掛け始めていた。
「うん。一旦、落ち着こうか。ゆっくり息をして……まずはお互いの、自己紹介から始めるのはどう?」
祝の穏やかな声に少女は緊張を緩めたのだろう。言われるがままに深く呼吸を繰り返すと、気を取り直すように今度は首を縦に振る。そして伏せていた目をしっかりと來見たちに向けると、改めて一から会話を始めるのであった。
「そそ、そうですね。あたしは……ユールと言います!その、不躾で、すみませんでした」
自身をユールと称した少女は未だ、冷静さを完全に取り戻しているとは言い難い状態なのだろう。やや言葉を詰まらせながらも深々と頭を下げる姿は、自分のすべきことを懸命にこなしているように見える。
恐らくは自分よりも年下の子供が必要のない謝罪をしてくる姿は、胸に迫るものがある。だからこそ來見は直ぐに顔を上げてもらう為にも口を開き掛けたのだが、それよりも先に祝が動き始めていた。祝はユールとの距離を縮めると身を屈めて返事をしていたのである。
「大丈夫だよ、顔を上げて。私は……祝です。そしてこちらは來見くん」
「よよ、よろしくお願いします!」
祝が言い淀んだのは自らの氏名の全てを明らかにすることを避けた為だろうか。目の前の少女が恐らくは下の名前しか告げていないことからも、その判断は悪くはなかっただろう。あるいは來見からの呼称でもある祝という名字だけを告げる事で、ユールが來見たち2人をどう呼ぶべきかという混乱を予め排除していたのかもしれない。
何れにせよ考えがあって言葉を選んでいた祝に対して、來見は感心を覚えていた。ユールはいっぱいいっぱいな様子でその思惑に気付いた様子はない。しかし、できる限りの礼儀正しさだけは示さなければという姿勢を端々に滲ませながら、ユールは來見たちと向き合っていたのであった。
「うん。……それじゃあ、話を進めるな。さっきの付き合って欲しいって言うのは……一体どういう意味だったんだ?」
「そそ……それは、その」
「……一目惚れって事だったり?」
來見の問い掛けに口ごもるユールに対して、祝は声を潜めながら彼女なりの推察を続けていく。それは來見としても頭に浮かんでいた考えではあったが、とても自分からは言い出す事のできない意見に違いなかった。ユールの真意を聞き出す為に、祝は來見の代弁をするような形で優しくも問い質していたのである。
一方の來見はと言えば目を泳がせながらも束の間、その口を閉ざしていた。自分に対する好意の有無を確かめるという非常に居心地の悪くなる現実を前にして、それでも手掛かりを得るためには必要な過程である筈だと静かに腹を括っていたのである。
「あ!ちち、違います!で、でも確かに優しそうな方だと思ったから声を掛けたところもあるので、そういう意味では、正しいのかも……?」
ユールは大きな手振りを加えて、祝の推理をはっきりと否定している。しかし後に行くにつれてか細くなる声はユールが行動するに至った理由を説明しているようでもあった。それに気付いた來見と祝は、耳を澄ませて内容の聞き取りに努めていたのである。
「つまり……何か來見くんに協力して欲しいことがある、って事かな?」
「そそ、その通りです!仰る通り!とても個人的なことなのですが、どうしても!やり遂げなければ、ならないことがありまして……!」
「……だ、そうだけど。來見くん」
あなたはどうする?と祝は視線で問い掛けていた。それは來見に決定権を委ねようという表明であったのだろうが、その瞳には縋るような意思が宿っているようにも見える。
祝はきっと、來見がユールの助けになる事を望んでいた。しかし当事者ではない自分の立場では無理強いはできないと判断した為に、口を噤んでしまっていたのだろう。祝の配慮と献身性は美徳に違いない。だが距離感を覚えてしまう遠慮がちなその姿勢は、來見に少しだけ寂しさを抱かせていたのであった。
「……俺にできる事なら、構わないよ。でもその前に経緯とか、理由を聞きたいかな。君が嫌じゃなければ、だけど」
祝に対する複雑な思いは後でまた、時間をかけて考えるべきなのだろう。それよりも今は目の前の問題に対処すべきである。そうやって咄嗟に意識を切り替えた來見はユールへの返答を行っていた。
來見の無難な要求にユールは明らかに動揺する。口をもごもごと動かしながらも返事を渋る様子からは、頭の中でどうすべきかという討論が行われているのが手に取るように分かった。急かすのも可哀想だと思ってしまった來見は、今しばらくの猶予を設けてユールが迷いを振り切る時を待つことにしたのであった。
「う、うぅ……」
「言えないこと?」
「そそ、そういうわけでは、ないのですけど……」
「……うーん」
歯切れの悪いユールは踏ん切りが付かないでいるのだろう。しかしこのままでは話が前に進まないのも確かであった。恐らくは祝も來見と同じ危惧を抱いていたのだろう。気付くと彼女は思い悩むユールの手を引いて先程まで腰掛けていたベンチへと誘導し、隣り合って座っていた。それはきっと心を開いてもらう為のものだったのだろう、祝はユールを諌めるように説明を始めていたのだった。
「……あのね。もしも危ない事を頼もうとしているのなら、私たちはそのお願いを断るしユールちゃんを止めないといけなくなるの。それでも、せめて理由を教えてくれたら……他の解決策を一緒に考えることはできるのね」
「……君が切羽詰まっているのは何となく分かる。だから、協力できることは可能な限り手伝うよ。……でも、だからこそ。君のお願いを成功させる為にも、詳しい事情が知りたいかな」
「そそ、それは……ごもっとも、ですね……」
祝と來見が泰然とした――揺るぎない態度で言明した事がユールには効果覿面だったのだろう。ユールは自分の中に存在する私情を貫き黙秘を続けるよりも、來見たちの主張する世間的な正しさを優先すべきかもしれないという考えの間で揺れ動いているようだった。
2人がかりで言葉巧みに丸め込んでいるような状況に思うところがない訳ではないが、來見はここが絶好の機会だと直感する。ユールの口を割らせる為のもう一押しをするように、來見は再び言葉を紡いでいくのであった。
「絶対に、言い触らしたりはしないって約束する。だから、助けが必要な訳を教えてくれないか?」
そして、來見の予想通りに事態は運ぶ。ユールは忙しなく動かしていた視線を來見と祝へ順番に向けると、意を決したように強く目をつぶり深く頷いていたのであった。
ユールは両手の指を組んで、身を縮こまらせる。それはまるで今から罪の告白でも行うかのような仕草にも似ており、ユールは物悲しさを醸し出しながらポツリと言葉をこぼしていくのだった。
「あの、笑わないで、聞いてくれますか……?」
「君がそう望むなら」
「うん、笑ったりしない」
恐る恐ると言った様子で、しかししっかりと念を押してくるユールに來見と祝は声を揃えて同意を示す。そこまですると、漸くユールも覚悟が決まったのだろう。初対面の人間に相対する余所余所しさは残したままではあったが、ユールは來見たちを信頼するように口を開いていたのであった。
「そそ、それなら……はい。説明させて、いただきますね」
「あたし、今日は友達と2人で遊園地に来たんです。前から計画してた事だから、すっごく……楽しみにしてた。でも……」
ユールの口振りからすると、一体何が起きたのかは來見にも想像ができるような気がする。それが何故、自分と付き合って欲しいという第一声に繋がるのかは分からないままではあったが――その経緯はユールの話を聞いていけば分かることだろう。來見は黙ってユールの言葉に耳を傾けていたのだった。
「……お友達と、喧嘩しちゃった?」
「いえ、喧嘩にもならなかったというか……何て言えば良いんだろう」
祝の事実確認にユールは考え込むようにして言葉を濁す。ユールは適切な表現が見付からずに困っていたのだろう。しかし、そういう時こそ周囲の人間が助け船を出してあげるべきなのは來見自身、理解していた。
來見はこれまでの経験を思い返し、この場に適した行動を探していく。そして一番に思い付いた考えを提案する事にしたのであった。
「そういう時は、起きた事を一つひとつ順番に言ってみると良い。口に出す事で、自分でも整理ができるんじゃないかな」
「はは、はい。そうですね。えっと……途中までは特に問題なかったんです。でもアトラクションの列に並んでる時に、ちょっと気になる事を言われて……」
「気になること?」
來見の貸した知恵が正しかったのかは不明だが、ユールは素直に自身の辿ってきた道筋を口にしていく。ここに来てユールの表情は一層の陰りを見せていた。しかし最早、話を止める事はない。ユールは引き結ばれていた唇をこじ開けるようにして口角を上げると、不自然に明るい声色で心情を吐露していたのだった。
「……あたしの服装が地味すぎて、逆に浮いてるって!でも、そもそも。このコーディネイトをしたの、ゆるるだったんですよ!……あたし、手のひら返しされちゃって、馬鹿みたいですよね!」
過剰に、不必要なまでに自身を貶めるような言い方をするのは、ある種の防御的な反応だったのだろうか。そうでなければ現実を直視できない程に、友人の態度や言葉がショックだったのかもしれない。
來見はユールに対する同情心を募らせていたのだが、しかしそれよりも今は気になる点があった。來見はユールの気を引くために小さく手を上げながら、口を開いていたのである。
「ゆるる、って言うのは君と一緒に遊園地に来た、友達のことか?」
「……あ。はは、はい。そうです。すいません、説明するの、忘れてましたね……」
(ユールに、ゆるる……か。随分、似た名前だな……)
ユールの肯定により確証を得た來見は、しかしその呼称の近似性に内心首を傾げていた。ユールはゆるるを友達と述べていたのだから、恐らくきょうだいではない。であれば、2人が近しい響きを持つ名前であったのは全くの偶然ということになるのだろうか。これは來見の予測に過ぎないが、その共通点こそが2人の関係性をより好意的なものへと発展させていたのかもしれない。來見は明後日の方向に考えを巡らせ始めてしまっていた。
「……コホン」
「あ、悪い。邪魔しちまった。続けてくれ」
祝の控えめな咳払いに來見はふと我に返る。そして続きを促したものの、話の腰を折られたユールは戸惑った様子で視線を彷徨わせてしまっていた。
先程までは勢いに乗って自虐的に笑い飛ばせていたが、改めてそれを口にするとなると耐え難いものがある。友人から送られた言葉は何度も説明したいものではなく、それはユールにとって苦痛しか感じられない仕打ちだったのかもしれない。
非を自覚し、どうしたものかと腕を組んでしまった來見であったが、一方の祝の思いは違ったようだった。祝は提示された証言から分析を行い、真相を確かめるようにしてユールに語りかけていたのである。
「えっと、要するに。ゆるるちゃんは後になってから梯子を外すような事を言ってしまっていて……ユールちゃんはその矛盾が、どうにも気になっちゃったんだね?」
「……そそ、そうですね。何か引っ掛かるなぁって思ったら……もう止められなくなって。いつもなら気にならない普段の言動にまで、段々と腹が立ってきて……!」
祝はユールの補佐をするように、その心情を整理していく。当のユールも話していくうちに当時の感情を思い出していったのだろう。早口になり勢いを強めながら、ゆるるに対する苛立ちを暴露していた。
「ゆるる、あたしがちょっとでもオシャレをしようものなら直ぐにからかってくるんです!笑いながら……気合い入れてどうしたの、とか。別人みたいで落ち着かないから、何時も通りの方がマシ、とか言って!」
ユールはいつの間にか拳を握り締めて熱弁していた。その姿は正に今、積もりに積もった不満が爆発していると言った様相を呈していただろう。
確かに聞いている限りは――ゆるるの本心はどうあれ常日頃の言葉選びは良くなかったようにも思う。それでも遊園地に2人で来る程の仲の良さは維持していた筈であるのに、ここに来てユールが限界を迎えてしまったのは酷く痛ましい結果に違いなかった。
來見は考え込み、祝はやや呆気に取られたような表情をしながらも2人は揃ってユールの言葉に聞き入っていた。沈黙を守る來見と祝を置き去りに、ユールは更に言葉を続けていく。
「そんなことを言われる度に、あたし自分が何か恥ずかしい事をしてるような気分になって……でも、聞き流せてたんです!ゆるるに、悪気はないって分かってたから。でも、でも……」
「とうとう、無視できなくなった。よりにもよって楽しみにしていた遊園地で……水を差されたような気分になったから」
「……はい。だって、ゆるる。あの子は、すごくオシャレをして来てたんです。あたしの格好には、そのままだと浮くからってたくさん口を出してきてたのに、自分だけ……」
すっかり消沈してしまったユールの背を、祝は優しく撫でていた。一先ず來見の推理が当たっていた事は僥倖であったが、ユールの身に起きた出来事は思っていたよりも根が深い事件だったのかもしれない。來見はユールの姿を改めて確認する為に、ベンチに座る少女の観察を始めていた。
ユールの足はシンプルなフラットシューズで包まれており、デザインよりも機能性を重視したチョイスがなされている。下半身にはこれまた派手さのないスキニーデニムを身に付け、上半身はカーキ色のオーバーサイズのコートを羽織っていた。
上着から覗くTシャツは白地で、控えめなワンポイントは殆んど見える事がない。そしてその頭は薄手のニット帽に覆われており、後頭部で結われたツインテールは隠されているようでもあった。
ユールにとってはオシャレではないという、その格好は來見からすると悪い印象を抱くものではない。しかし今までの話を聞いてから改めて確認してみると――少しだけ異なる感想を抱くところはあったかもしれない。
時季も考慮するべきだろうが、極力ユールの露出は抑えられ帽子はその表情が他者の目に触れられる事のないように目深に被らされているようにも見える。ただ、首に巻かれたチョーカーだけは妙な存在感を放っていた。それはまるでユールの最後の抵抗で付けられた装飾のようでもあり。事情を知った者が見ると少女たちの水面下の戦いが透けて見えてくるような、そんな心地にさせるものだったのである。
「あれ。でも、さっきは喧嘩にもならなかったって言ってたよね。……ああ、そっか。だから一人で……」
「……ああ、あのままだと、酷い事を言っちゃいそうで。だから……お手洗いに行くって言って、あたし、ゆるるを置いてきちゃった」
後になるにつれて一人で納得したように呟いていた祝は、即座に状況を理解したのだろう。次いでユールからも真相が明かされた事で、実に円滑な答え合わせが行われていた。
これで、ユールがどうして一人で來見と祝の元まで来たのかと言う、大体の理由は把握できたのだろう。
ユールをからかうという行動自体は、ゆるるにとっては普段通りの振る舞いであったのかもしれない。しかし、ひたすらに間が悪かった。遊園地に来ているという特別な状況が、ユールの内で膨れ上がっていた不満が爆発してしまう確率を大幅に上げてしまっていたのだろう。
例えば。長すぎるという事はないがアトラクションに乗るまでには少なからず並ぶ必要があり、園内を計画的に回ろうと思えば互いの意志疎通が必要になってくる。そのすり合わせを行う内に疲労が重なり心の余裕を常よりも失ったユールは、とうとう我慢が利かなくなってしまった。それはユールの年齢を考えれば――その正確な数字はまだ分からないが、子供である事を踏まえると仕方のない変遷だったであろうし、責める事などできる筈もない。すっかり納得した來見の口からは、気付けばユールを慮る言葉がこぼれていたのであった。
「君は嫌な気持ちになったのに、直ぐには言い返さなかった。そして、頭を冷やすには友達と物理的に距離を置くしかないって、その時は考えていたんだろ?」
ユールの取った行動は確かに極端なものだったかもしれない。置き去りにされたゆるるは今も心配していて、気が気ではないというのも察する事はできる。しかし來見からしてみると、友人との決定的な衝突を避けようとしたユールの判断を一方的に咎める事はできないようにも思えていた。そうであるならば來見のすべき事とはユールとゆるるの再会を手伝い、その仲を取り持つという2点に絞られるのだろう。
方針を固めた來見はユールへと向き直る。來見はすっかりユールは落ち着いたものだと判断していたのである。しかしその予想は外れていた。当のユールは先の事も考えられないといった様子で、体を震わせ始めてしまっていたのである。その上で、出鼻を挫かれた來見が動揺している間にもユールは心情を吐露していた。
「あ、あたし……どうしたら良いか、分からなくなっちゃって。ゆるるのこと嫌いになりたくないのに、今は一緒にいたくなくて。だから……」
「ゆるるちゃんの事、傷付けたくなかったんだね。でも……ユールちゃんが今まで、たくさん我慢してきたのも本当だった」
「うぅ……」
「無理に抑えなくて良いよ。そんな呼吸の仕方したら、苦しくなっちゃう」
慌てている來見を他所に、祝は的確な対応をしていたようだった。その手は慰撫するようにユールの背に添えたまま、ひどく優しい声で理解を示して自分は味方であると告げているように見える。
声を詰まらせたユールの瞳は、今にも溢れ落ちそうな涙で潤んでいた。しゃくり上げている様子は祝の言う通り、息をすることもできなくなりそうで來見も不安に駆られてしまう。
來見はユールをどう慰めるべきか正解が分からないままに、気付けば思ったままを言葉にしていたのであった。
「涙が出てくるなら、無理に止めずに流した方が良い……泣くと、気持ちもスッキリすると思うから」
「う……ひぅ……」
「目は擦っちゃ駄目。鼻はティッシュで、かもうね」
2人がかりで促されてしまえばユールは最早、耐えることはできなかったのだろう。静かに大粒の涙を流し始めたユールの世話を、祝は甲斐甲斐しく焼いていく。
取り出したハンカチでユールの頬を優しく抑え、その手にはポケットティッシュを握らせる。ユールが自分でやるべきことを与えつつも決して放置することのない祝の手つきは、妙に慣れているようにも思えた。それは前の世界でも見たことのない祝の新たな一面だっただろう。來見は少しだけ驚きを覚えながらも、その姿を物珍しそうにまじまじと眺めてしまうのであった。
ところで、このまま突っ立っているだけでは來見はただの役立たずになってしまうだろう。來見は自分ができることを思い付き、それを伝える為にも祝へと視線を送ってみる。
気付かれなくとも可笑しくはない無言の訴えに、しかし祝は応えてくれていた。何か違和感を覚えたのか顔を上げた祝は、しっかりと來見と目を合わせてくれていたのである。
(飲み物、買ってくるな)
來見はベンチからは少し離れた場所に設置された自販機を親指で差しながら、ゆっくりと大きく口を動かしていく。そして、どうやら來見の言葉は正確に伝わったようだった。祝は大きく頷くと、同じように声を発することはなく口だけを動かして返事をしていたのである。
(ごめん、おねがい)
端的に述べられた言葉に來見もまた大きく首を縦に降る。本日2度目の、目配せと動きで意志疎通を行えた事に達成感を覚えながら、來見は足音を殺してその場を離れる事にしたのであった。




