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平成トランスポーター  作者: 夏名
51/54

21-1 紙一重の確率

「ヨリくんはさ、割りと色んな事に詳しいし……たくさん考えてるよな」


 桜川(さくらがわ)公園からの帰り道。來見(くるみ)はそんな感想を従兄へ向けて言い放っていた。オーバーテクノロジーじみた怪しげな物体という一点で來見は転送装置(トランスポーター)を危険視していたが、そもそも電子機器という時点で繊細な取り扱いを必要とされるのは当然の事であった。來見はそこまで考えが及ばなかった自身の迂闊さと未熟さを改めて痛感していたのである。

 だからこそ來見が口にした言葉は尊敬の意味も込めたものであったのだが――肝心のヨリにはあまり響かなかったようだった。ヨリは首を傾げては來見に呆れたような視線を向けていたのである。


「わりとって何だよ?俺だって一端の大学生だぜ?お前より早く生まれてる分、知識だけはあるっつーの」


「うん。だからこそ、詳細不明な機械に俺を突っ込んだ異常性が浮き彫りになるところがあって……その辺はどうかと思う」


 來見は今さら、従兄が素直に褒め言葉を受け取ってくれなかった事は気にも留めない。しかし軽くなった口からはその短所を指摘する言葉がスラスラと溢れ出てしまっていた。

 責めるつもりはないが、やはり何度考え直してもヨリの行動は常軌を逸している。興味が湧いた事に熱心な所は悪くはないのだが、将来的に警察の世話にならない為にも戒めるべき点は注意しておかなければならない。そんな気持ちで來見は厳しい態度を取り始めていたのだった。


「ウッ……い、いや!安全確認もしないまま、屋内で作業するワケないだろ?事前にちゃんと……調べてたし!」


「それは館で活動する時の話だろ?俺が言ってるのは転送装置を稼働させた事で……」


「確かに、昔の度胸試しの時は何も考えずに単独侵入してたけど!今回はガス漏れしてないかとか、酸素があるかどうかとか……機械で調査してたし!」


 來見の言葉を遮るヨリは話を逸らそうとしているのか、あるいは自身の潔白を証明するのに必死すぎて軽い混乱状態に陥っているのかもしれない。

 何にせよ、ヨリは転送装置については正体不明なまま使用した事には違いない。本筋から逸れながら早口で捲し立ててくる従兄に、來見は思わずため息をついてしまうのであった。


「ははぁ……」


「何だその気の抜けた返事は!マジだっての!消火器とか直ぐ側に置いてあっただろ!お前だって見た筈だ!」


「……ん?いや、それは気付かなかったな。ごめん」


 來見の目にも証拠が映っていた筈だとヨリは詰め寄ってくるが、残念ながらその記憶は存在していなかった。恐らくは状況把握に精一杯だった為に細かい点を見逃してしまったのだろう。來見は取って付けたような謝罪をするが、ヨリは期待が外れた悲しみからかガックリと肩を落としていた。

 少なくとも灸は据える事ができたような気がするが、これは反省していると取っても良いのだろうか。來見は僅かに逡巡するが、あからさまに消沈した姿を見せられると同情心が湧いてくる。結局、來見は場の雰囲気を変えるように明るい声で次の話題へと移る事にしていたのであった。


「というか、消火器って個人で買い付けできるんだな。知らなかった」


「あぁ……そりゃあもう文明の利器、ネット通販があるからな」


「……あのさ。ヨリくんの今の購入履歴、何も知らない人に見られたら……すごい誤解されそうな一覧になってない?」


 転送装置を完成させるまでに必要だった物資と、來見が過去に飛んできてから必要になった品々。それらは來見とヨリにとっては生命線とも言うべき不可欠な物であったのだが――一つひとつを並べていくと何かしらの犯罪を予感させなくもない、実に危うげなラインナップと化していただろう。來見の口からはヨリが汚名を被る可能性を指摘する言葉が飛び出してしまっていた。


「止めろ!そこはマジで俺も気にしてたところだから!」


 言及されるまでもなく、ヨリはその客観的な事実を正しく認識していたのだろう。もしかするとネット通販で新しく商品を購入する際、過去の履歴が目に映る度に思っていた事だったのかもしれない。

 良心が痛むのか何も聞きたくないといった体でヨリは両耳を塞ぐポーズまでし始めてしまう。そんな従兄の姿を見た來見は苦笑しながらもフォローに努める事にしたのだった。


「ま、まぁ一応、人命救助の為とも言えるし…万が一、履歴が見られるような事があっても俺が擁護できるかもしれないし……?」


「フワフワしたこと言いやがって……別に良いけどよ!」


 ヨリは大袈裟に落ち込んで見せたり怒るようなフリをするが、実際のところはあまり気にしていないのだろう。來見の全く具体性の無い解決法に文句を言いつつも、最終的には深々とため息をつく事で気を取り直したようだった。

 あっさりと話を流すヨリに來見は少しだけ感心する。切り替えの早さは突然のアクシデントに対する心構えとして必須項目に違いない。気の抜けた來見がぼんやりと明後日の方向に思考を飛ばしていると、それを引き戻すようにヨリが口を開いていた。


「それより、どうする?転送装置の……解明はまだ先になるけどよ。何か他にやりてぇ事とか、ねぇの?」


「うーん。解体もまだ先の事になるとすると、他に現状を理解するのに手掛かりになりそうなのは……」


 ヨリから今後の身の振り方について問われた來見は考えを巡らせる。

 当面の目標としては以前も設定した通り、來見を追い込んでいた黒幕がこの世界にやって来れないようにする事だろう。つまりは他者の手による転送装置の稼働と使用を解体するその日まで防ぎ続けるという事なのだが、それ以外にも何か打つ手がある筈ではあった。

 しかし、直ぐには思い付かない。來見はつい黙り込んでしまう。ヨリは従弟が思い悩む姿を不憫に思ったのか、自分に注目を集めるように徐に指をひとつ立てる。そして、その口から語られた構想は思いがけず來見に対する助け船に違いなかったのであった。


「新しく手に入った情報にヒントがないか探してみるか。……そうだな、今回送られてきたメールの文体に気付いた事は?例えば(C世界)のお前が受け取ってたものと違いを感じるところはあったか?」


 ヨリの質問に來見は記憶を照らし合わせる。深く考えずとも以前の高校生の來見に送られていたメールと今まさに手元で確認できるメールでは、明確に異なる点が分かりやすく存在していた。過去に飛んできてからも気になっていたその特徴を來見はヨリに伝える事にする。


「うん……今の俺に送られてくるメールには2通とも個人の名前が記載されてない。つまり、誰が助けを必要とするのか分からないまま俺達は行動してる」


 確かに以前(C世界)の來見にも面識の無い人間を助けに走った経験はある。しかしそれでも來見を呪いの館へ招いたものを除いては一様に被害者の氏名が記載されており、そのおかげで事故が拡大する直前に目の前に立つ人物が対象者だと気付けた場合もあった。黒幕の思惑はどうあれ、その情報は來見の行動の助けになっていたのである。


「んー、やっぱりそれは(C)の世界における差出人と(D)の世界にメールを出してる送信者の違いを表している……のか?」


「あとは、まだ例が少ないから何とも言えないけど……以前は過去を変えた数日後に感謝を告げるメールが来てたけど、それがなくなってる。今回も来なかったら、その違いは決定的になる……のかな」


 以前であれば締め括りの挨拶のように送られていた感謝の言葉。無ければ無いで少しだけ不安になる、そのメール。今思えば業務的にも感じるそれが現時点では受信されていないということは、(D世界)の來見にメールを送っているのは黒幕ではないのかもしれない。少なくとも以前(C世界で)の差出人とは違う上で、運が良ければ來見の味方と呼べる人物なのかもしれないという説を補強している可能性はあっただろう。

 結論ありきで考えていくと都合の良い方に考えてしまいがちになる恐れはある。だが、これらの推理は一定の説得力を持っているように來見は感じていたのだった。


「でも、それなら浦部(うらべ)の名前を出さなかったのは何でだろう。俺達は間違いなく未来で知り合うのに」


「敢えて後輩の名前を記載しなかった理由ねぇ。……名前を載せると送信できねぇ不具合でもあったとか?」


「ううん……どうだろう。(C世界で)はできたのに、何で今回はしなかったんだ?……それとも現時点では考えても仕方ない事なのか?」


 來見の脳に浮かぶ2つの可能性。1つは送信者は浦部の名前を知っていたのに書かなかった場合。そうでなければ、浦部の名前を分かっていたのにも関わらず明記できない状況にあったという予想。

 前者と後者の違いは大きく、実際はどちらの条件に当てはまるのかによって送信者の思惑は大きく変わってくるだろう。その上で2つの分岐のどちらかが正解であると確信できる程の証拠はなく、また別の可能性すら存在するのを否定する事もできない。簡単に察せる現段階の状況を把握していても、來見は思考の渦にのまれていきそうになっていた。

 しかしそこで來見を引き戻すのは、やはりヨリであった。割りきりの良い従兄は來見の憂鬱を気にも留めず、あっさりと話題を転換していく。


「じゃ、送信者に関して判断すんのは、もう少し事例(サンプル)が集まってからって事だな。それなら次に考えるべきなのは……」


 ヨリは宙に視線を彷徨わせる。話の流れを作りつつも、その頭には先程の來見同様、良い考えが浮かんでいなかったのかもしれない。

 ヨリにばかり考えさせてはいけない。力を合わせて打開策を見つける為にも來見は思考を巡らせる。そしてその末に出てきた案は自分でも理解できる程にはリスクと隣り合わせの――しかし、もしかすると的確で決定的な作戦にもなり得る、根本的な問題を把握しようとする試みでもあった。


「……転送装置を使ってた疑いがあるヤツ、とか」


「おい、それって……」


「うん。つまり、俺の知るところで言う……シドって事になる」


 來見の言葉にヨリは狼狽える様子を見せる。呪いの館で高校生の來見に銃を向けていた人物。危険に違いないその人物への接触を、従兄はきっと止めようとしていた。

 しかし來見の真剣な表情を見ると、頭ごなしに反対する訳にもいかないと思ったのだろう。眉間に皺を寄せ強く目を瞑ったヨリはまず來見の意図を理解しようと、考えを整理しているようだった。


「……メールの送信者は分からなくても、間違いなくシドは主犯と共謀してる人間だからな。確かに探りを入れてみる価値はあると思う。ただ……」


「分かってる、色々問題があるよな。例えば……俺達の推理では俺以外の誰も未来から過去(D世界)には飛んできていないって事になってるから、今のシドを問い詰めても何も情報が出てこない場合が考えられる」


「シラを切り通されたら俺達は見抜けないかもしれねぇし、本当に何も知らなかったのだとしてもお前との接触で何か……良くない影響を与えちまう可能性だってあるぞ」


 こんなこと言い出したらキリが無ぇけど、とヨリは続ける。自分達の行動こそが黒幕の助けになってしまうような事態を、恐らくヨリは不安視していた。その懸念は尤もで、何が起こっても可笑しくはない。慎重に立ち回るのであればシドとの邂逅は避けるべきで、少なくとも今はまだ先送りにした方が無難な判断だっただろう。

 しかし傍観は、きっと最善ではない。最悪の展開に転じる恐れが存在するのが分かっていても、來見には自ら行動を起こしたいと思う積極性が良くも悪くも生まれてしまっていたのであった。


「でもやっぱり、何もしないよりは行動してみたい。最悪の未来を防ぐ為なら、尚更そう思う。……駄目かな」


「……ダメでもなけりゃ、バカだとも思わない。リスクを承知で判断してんなら、お前が決めた事に文句は言わねぇよ。……けど、お前そもそもシドに会う当てはあんのか?」


 一度大きくため息をついたものの、ヨリは相も変わらず來見の意思を尊重する姿勢を見せる。一方の來見はヨリの問い掛けに首を縦に振って答えていた。

 シドのパーソナルな部分は、ハッキリ言って何も知らない。しかし(C)の世界においてほんの僅かでも関わりを持てた事で、その所在に目星は付ける事ができていた。來見はシドと初めて顔を合わせた記憶を思い返しながら、徐に口を開く。


「……一応。行くだけ行ってみる価値がある場所は知ってる。上手くいけば、だけど……」


「歯切れ悪ぃなぁ。何でも良いから言ってみろよ」


「……(たむろ)。屯の人達が集まる所に行けば。シドがそこにいるなら……本人に会えるかもしれない」


 來見の脳裏に浮かぶのは、昼下がりの河川敷。そして屯と呼ばれる若者の集まりが拠点としていた藤打(ふじうち)の駅前近く。一昼夜で結成したとは思えない彼らは、既に何処かで活動を始めている可能性が高い。

 果たしてシドが現時点においてその集まりに参加しているかどうかは不明であるが、確かめに行く価値はあると來見は直感していた。最悪、何か消息に関する手掛かりさえ掴めれば、それで良い。來見はそんな考えを元にヨリへと説明を続けていく。


「でも、1人で行くつもり。ヨリくんを連れていったら警戒されそうだし……俺だけでも、いきなり殴られたりはしないと思うから」


 屯には制服を身に付けた学生だけでなく、來見よりも年齢の高い人間が所属していた事は記憶していた。しかしそれでも、ヨリはそこへ伴わせるには長じすぎている。殆んど大人と変わらない人間を引き連れ探りを入れていたら、間違いなく警戒されるだろう。

 実際のところは、屯の中でも年嵩の人間とヨリを比べてみても、そこまで年齢の差はなかった。しかしヨリは來見の目から見ると垢抜けた印象があり、歳の割りには物事をよく考え確かな洞察力も備えている。時に突飛な行動を取る事から落ち着いた人物であると断言するのは難しいが――結局のところ、來見にとってのヨリは何時でも独り立ちできる大人という分類に入っていたのであった。もしかすると來見の記憶に、ヨリの2年後の姿が残っている事もその認識を後押ししていたのかもしれない。

 兎にも角にも以上の事から、主観まじりではあるが來見はヨリという大人を護衛のように連れていくのは避けるべきだと判断した。屯と相互に円滑な人間関係を築く為にも、他者を盾にするつもりは全く無かったのであった。


「屯の人たちに倫理観が全く無い訳じゃないし、彼らなりのルールは守るから大丈夫だと思うんだ。……俺の予想でしかないけど」


「うーん……」


 來見の説明にヨリは僅かに逡巡する様子を見せる。來見としては納得のいく理論を立てたつもりだったが、説得力が足りなかったのだろうか。確かに希望論交じりと言われると反論が難しい。どうにかして意向を汲んでもらえないかと來見は口を開きかけたのだか、それよりも先にヨリが話し始めていた。


「今日、お前がダチと協力する姿を見て、思った事があってさ」


「う、うん」


 來見は目を丸くする。ヨリが言及していたのは屯の事ではなく、桜川公園で行われた香椎(かしい)を初めとする友人たちと共同した救出劇についてであった。いきなり話が遡った事に來見は戸惑いを覚えるも、大人しく続く言葉を待つ姿勢を取る。ヨリの表情は真剣そのものであり、茶化す事も些細な指摘もできないような緊迫感に來見は背筋を伸ばしていたのだった。


「やっぱり俺一人だけじゃお前の助けには足りねぇと思う。結果だけを見れば実際、2回続けて役に立たなかったワケだしな」


 確かにヨリは2度にわたって、事故に巻き込まれるであろう人々を直接助ける事はできなかった。しかしそれは、手の届くような至近距離にいられなかったというだけで事故現場に居合わせられなかった訳ではない。

 その上、そもそも。未来からのメールによって予言された事故が起こらないように、そして何とか最悪の結末にはならないように、限界まで手を尽くしてくれていた事を來見は忘れてはいなかった。

 間近にいた自分がヨリの努力に見てみぬ振りをして、言及せずにはいられる訳がない。來見はその勢いのまま身を乗り出して、言葉を並べ立てていたのである。


「そんなことないって!一緒に色々考えてくれて、俺の手が回らない事を代わりにやってもらって……ヨリくんがいなかったら2回とも上手くいってなかった!」


「そう言ってくれんのは嬉しいけどよ。これは俺の自信が喪失したとか精神論の話じゃなくて……客観的な、確率の問題でもあるワケ」


「確率……」


 ヨリの発言に來見はつい消沈してオウム返しのように言葉を溢してしまう。自嘲気味に笑うヨリは、來見よりも現実が見えている。そう思わせる力がヨリの言葉には込もっていた。


「いつまでも都合良く……事が起こるとは断言できねぇ。俺が直ぐに駆け付けられないタイミングが何時かは、きっと来るハズだ。それはお前も分かってるだろ?」


 ヨリの提議した問題は、確かに遅かれ早かれ向き合わなければいけないものであっただろう。実際そのシチュエーションは少し考えれば來見の頭でも直ぐに想像できていた。

 例えば中学校、或いはこの先の伊斗路(いとみち)高校での事故が当てはまるだろうか。來見の記憶には無くともメールによって初めて気付かされる事故も存在し得るこの世界で、その発生地点の候補に学校が上がる可能性は当然のように存在していた。

 もし指定された場所が來見の通う中学校であれば、正当な手続きを踏めば立ち入る事は可能だろう。ヨリの卒業生という立場であれば、問題なく通される筈ではある。

 しかしそれを何度も繰り返す事になれば、怪しまれるのは必至であった。時間帯も放課後ならまだしも早朝あるいは昼間などになれば、余程の用でもなければ校外で待たされる確率が高い。

 だからと言って不法侵入という手段を取れば――もし一度でもそれが発覚すれば決して二度目はないだろう。そしてこれらが伊斗路高校に場所を移した場合、いよいよヨリは不審者として捕らえられてしまう事になる。従兄はその事実を見据え、正しく危惧していた。


「だから……お前と同じ場所、同じ時間。一緒に行動していても怪しまれねぇ人間に――俺以外にも信用できる人間に、お前の現状を打ち明けるつもりはないか?」


「……未来の事について、何もかも?でも、それは……」


「分かってる。銃を向けたシドが言うには……お前にメールを送り付けていた黒幕は、お前と面識のある人間だ。現時点で信頼できる近しい人間ほど、怪しく思えて来ちまう。そうだよな」


「……うん」


 ヨリの提案は、來見の胸に迫るものがある。しかしその従兄が補足した通り、來見が全てを明らかにして相談を持ち掛けても良いと思う人間ほど、黒幕となり得る可能性を秘めていた。

 正確に言うのであれば全ての人間は等しく疑わしい訳であって、來見の友人であるからこそ黒幕である確率が高くなる事は決してない。ただ――親しいからこそ疑いたくない、自分を陥れようとする人間であるとは思いたくない。いや、それは逆にも言える。信用しているからこそ、それを続ける為にも一度は疑わなければならない。來見はそんな、考える程に悪循環に陥りそうな二律背反によって苦悩に導かれ、その決断を確かに鈍らせていた。


(信じたいから……信じてるからこそ、俺は人を疑わないといけない。でも、未来における身の潔白なんて誰にも証明できる訳がない……)


 信じているのに、その対象者へ値踏みするかのような嫌疑の目を向けなければならない。そして現時点での潔白が仮に証明できたとしても、未来における出来事や環境によって人が簡単に変わってしまうのは否定の余地も無く明らかであった。

 一応、思い付く対処法は存在する。疑わしい人物全員の側にいて監視する。そして悪の道に進まないように支える、など來見の身が保てば出来なくもないだろうが――限りなく不可能に近い。つまり、來見には打つ手が無いも同然だった。

 C世界のシドの残した証言は呪いのように來見を蝕み、その板挟みは苦痛をもたらしている。來見が現実逃避するようにあまり考えずにいた現実を、ヨリは改めて突き付けていたのであった。


「……でも、だからこそ。やっぱり、頼れる人間が俺だけってのは良くねぇ傾向だよ。俺を信じてくれたように……お前を手助けしてくれる人を選ぶのは、今のお前にはまだ難しいか?」


 視線を地に落としてしまった來見を諭すようにヨリは言葉を続ける。來見がヨリを信用しようと思えたのは過去に飛んできてしまったという異常事態の中で共に状況把握に努め、そこで彼なりの誠意を目の当たりにした事が多く影響していただろう。

 しかしそれはヨリが転送装置に手を加えており、その行動が來見が過去に飛ぶ要因の一つとなっていたからこそ、なし崩し的にそうならざるを得なかった部分もあった。ヨリが推奨しようとしているのは、來見が自分の意思で人選を行った上で対象者に秘密を打ち明けるという事で――その恐ろしくも重々しい一歩を踏み出すのは、來見にとってひどく悩ましく困難なものでしかなかったのだった。


「もし間違えて、未来の黒幕に……C世界でのメールの差出人に協力を頼んじまったら……」


「心配すんのは分かるけどよ。転送装置・第二号機はお前に使用して以来、稼働してねぇ。黒幕は未来の情報を何も知らずにいるだろう。それでもメールが送られて来てる現状はあるワケだが……以前の黒幕と今回の送信者は別だとするのなら問題はない筈だ」


 今、メールが未来から送られて来ている要因は他にあるんだろう、と続けるヨリが述べたのは以前にも出した結論だった。それは來見と共に推理して出したものでもあるから、自身の立場からしても反発すべきではない。ここは同意して納得するところなのだろう。しかし、それでも來見は素直に頷けずにいた。

 煮え切らない態度の來見をヨリは腕を組んで見つめる。その視線は仕方の無いものを見るようであっても、厳しさを帯びる事はなかった。温かさすら感じられる眼差しを湛えたヨリは、來見を宥めるように言葉を続けていく。


「だから……もし秘密を打ち明けた人間が未来で差出人(黒幕)になる得るとしても、現状での脅威は少ねぇと思う。それこそお前がシドと接触する事が起因となって、ソイツに未来の情報を獲得させちまう可能性を思えば……リスクはそう変わらねぇ。少なくとも俺は、そう思う」


 ヨリの意見に來見は思わず閉口する。至極全うな理論は、ある種ヨリが見せた最大限の譲歩だったのかもしれない。少なくともC世界においては黒幕との繋がりが存在していたシドと接触する事への寛容さは示しつつも、それならば仲間を増やすべきだという主張。どちらも同程度のリスクを伴うのであれば――1つのリスクを2つに増やす事には違いないのだが、誰か一人でも自分達の協力者は増やしておくべきだという見解は先の事を考えると間違ってはいないのかもしれない。來見はヨリの意見を正しく理解し、確かに納得をしてしまっていた。


「でも、無理強いするつもりはねぇよ。実際にお前は(C)の世界で……メールの事を打ち明けずとも周りの人間と上手く協力して問題を解決してきたんだし」


「……うん」


「これは何の変哲もない只のお節介からくる、一個人としての意見な。最終的にどうするかは、お前の判断に任せるよ」


「うん。すぐに決められなくて、ごめん」


 言葉少なに俯く來見を見て、ヨリは湿っぽい雰囲気にしてしまった事を嫌がったのだろう。臆病風に吹かれ思い悩む來見の肩をヨリは鼓舞するように強く叩く。そのまま続けられた言葉は來見を過剰に思い詰めさせないようにする配慮であり、しかしその背を押すような激励に溢れていた。


「そんな深刻な顔すんなって!用心深いのは悪い事じゃねぇよ。俺が言いたかったのは結局……屯のとこに行くなら誰か、連れてった方が良いんじゃねぇかって話なだけだし」


「……うん」


「相槌しか打たなくなっちまった。……ま、色々と試してみるのはアリだと俺は思うってだけで、何をどうするかはお前次第だ。もう少し気楽に行こうぜ、気楽に」


 からりと笑って見せるヨリは間違いなく來見の精神的な負担を減らしてくれていた。色々と考えすぎてしまうきらいのある自分にとっては、彼のような存在を指針とするのも案外悪くないのかもしれない。

 來見は幾分か軽くなった心で、ヨリの言葉を傾聴していた。


「現状、この世界の未来はまだ何も決まってねぇ……と思いたい。それなら後々の選択肢を増やす為にもシドに会ったり、今までやってこなかった事に手ぇ出してみるのは悪い判断じゃねぇよ。きっと」


「うん。そうする事で、本来なら手が届かないままだった何かが……真相を明らかにする事ができるかもしれない」


「逆に零れ落ちるものも、あるかもしれねぇけどな!ま、そういう結果に通じる道中の選択まで、全部ひっくるめたもんが人生ってヤツなワケだけど」


 年若くして人生論を語るヨリを、來見は首を縦に振って肯定する。変化を恐れて何もしないよりは、むしろ事態の解決を図る為にも新たな選択肢に挑戦してみる方がきっと悔いは残らない。それが最悪の結末を招くとしたらと考えると足が竦む思いはある。だが雁字搦めに陥って自身の暗い考えに引き摺られるよりは、建設的で希望のある生き方が良い。來見はきっとヨリの提言を受け入れ割り切る事を選択するのだろうと、既に頭の片隅で結論を出していた。


「精々、後悔しない方を選ぼうぜ。このさい失敗は恐れずにな!」


「うん。そうだな」


 來見はふと論手(ろんで)の言葉を思い出す。無難な手を打ち続けるのも、勝負を掛けるのが早すぎても良くない。來見は正に、その岐路に立っているのかもしれなかった。




「おーい」


 來見は呼び掛けられた事で我に返る。來見はつい2日前、桜川公園での救助活動を経た後に交わしていたヨリとの会話に思いを馳せていた。しかしそれは中学校の授業の真っ只中で行われており、來見は本来やるべき事を放棄しかけていたのである。


「あ、ごめん。何?」


「だからクジだって。誰が引くのかって話な」


 呆れたような視線を向けてくる香椎は、それでも飽きずに言い直してくれる。來見の所属するクラスでは今まさに、ミーティングと呼ばれるものが行われていた。その内容は迫る卒業旅行に関するものであり、当日に行動を共にする班員を確定させる抽選会が実施されようとしていたのだった。

 來見の中学校では修学旅行や校外学習における自由行動が設定される際にはクラスメイトを幾つかのグループに分け、その班員を自分達で決める必要があった。そうなると交友関係の広い者は苦もなく、あっという間に定められた人数内で集まる事ができるのだが――正直に言うとそれが可能な人間は少数派となっていた。というのも班の構成は必ず男女共同にしなければならないという制約が課されており、シャイで複雑な年頃である学生達には異性を誘う事がとても難しく気恥ずかしいものだったのである。

 しかし、その問題を解決するのは実に簡単な事であった。今まさに目の前で行われている抽選会という名のクジ引き大会。即座に開示される結果は男女が各々に結成したグループが立てた代表者の引くクジによって左右され、教室内はこれから合併する班の組み合わせ発表の場と化していたのであった。


「お前も浮かれちゃってる感じ?ま、みんな合否発表終わった事もあってはしゃいでるから、釣られる気持ちは分かるけど」


 ぺらぺらと良く口が回る香椎は、自身で言及した例に漏れず機嫌が良いのだろう。実際、來見は登校してきてから顔を合わせた瞬間に香椎から合格の報告をされ、そのあと後輩に教える為に棟を移動する後ろ姿も目撃していた。校内の――中学3年生の教室が立ち並ぶ辺りでは悲喜こもごもと言うよりは凡そ歓喜の声が溢れており、安穏とした開放的な雰囲気が漂っていたのである。


「……一番はしゃいでた奴が、よく言うよ」


「そりゃあ、あんなに頑張って合格したのに喜ばなきゃ、いつ喜ぶんだって話だろ!……結果が良くなかった奴には、ちょっと悪いとは思うけどさ」


 來見はつい呆れ混じりに苦笑してしまうが、香椎は明け透けに喜びを表現していた。それでも周りへの配慮の気持ちが無いわけではなかったのだろう。香椎は自身の振る舞いで気分が悪くなる者が周囲にいないか確認してから、人によって取る態度を変えていたようだった。

 それはつまるところ、推薦入試をパスして先んじて合格していた來見への遠慮はする筈もないという事で。香椎は意気揚々として來見に話し掛けていたのであった。


「ねぇ。それよりも、クジはどうするのさ。誰でも良いから早く行ってきなよ」


「引きたいやつが行けば良か」


 來見と香椎の会話を中断させるように言葉を投げ掛けてきたのは論手(ろんで)征生(もとお)の2人であった。会話を聞けば分かる通り來見と香椎、そして論手と征生の4人で卒業旅行における班を構成していた訳だが、誰も席を立とうとしていない。

 論手は興味がなさそうに手元に視線を落とし、旅行のしおりと称された資料に目を通している上に征生は遠回しに誰か行けと促している。つまるところ來見と香椎のどちらかが代表者としてクジを引きに行かねばならない状況となっていた。香椎は論手と征生に押し付けられている状況を気にした様子もなく來見に視線を移し、再び口を開く。


「んー、誰も行かねぇなら俺が引いてくるけど?」


 來見に問い掛けながらも、決定権を委ねてくる香椎。その目を見た來見の脳裏に、ふと先程まで思い返していたヨリとの会話が甦る。それを認識した途端、來見の口は勝手に動き出していた。


「……俺、引いてきても良いか?」


「お、良いぞ。じゃ頼んだ」


 おずおずと申し出た來見を、香椎は快く送り出す。論手も征生も誰が行こうが構わないと言わんばかりに他人行儀のまま、静かに來見を見送っていた。

 席から立ち上がり、教卓へと向かう來見の背後からは香椎たちの会話が聞こえてくる。彼らの他愛もないやり取りを置き去りにしながら、來見はゆっくりと足を進めるのであった。


「……そういえば。香椎なら強制的にクジを引くところまで行く前にグループを作れたと思うけど、何でそうしなかったの?」


「確かに。(しゅう)なら適当に他の班員、捕まえてこれたろうにな。クジ引きたかったんか」


「ええ?だってお前ら、特に希望ないって言ってたじゃん。俺は別に、誰が相手でもそれなりに話できると思うし……ならランダムの方がドキドキ感あって良いだろ?」


 論手と征生の今更な疑問に、香椎は余裕綽々と答えているようだった。驕りではないその自負は來見も目の当たりにしている以上、全く否定する事ができない。

 しかし最後の旅行だからこそ気の合う人物を選んでも良さそうなものだが、そこは香椎の中で無難さよりも好奇心が勝ったという事なのだろう。堅実とは程遠い大雑把さに來見は苦笑しながらも、その愛想の良さに勝てるものは自分達の中にはいないなだろう。いっそ感心さえ覚えながら來見は口元を緩めていた。

 そして來見が抱いた感想は論手と征生も同様だったのだろう。少し言葉を詰まらせながらも2人の口から香椎を称えるような言葉が続くのが、來見には聞こえていた。


「……敏腕ギャンブラー香椎?」


「グレートコミュニケーター柊」


「お、なんだなんだ。褒めたって何も出ねぇぞー」


 果たして心の底から称賛しているのかは不明だが――むしろ揶揄している節もあるような物言いのように來見は感じたのだが、香椎は素直に額面通りに言葉を受け取っている様子だった。

 振り返らずとも笑みを浮かべている事が分かる明るい声色が來見の耳に届いている。アホな会話をしているな、と思いつつも來見はとうとう抽選箱へ辿り着きクジを引く為に手を伸ばすのであった。


「……あっ」


「ハイハイ、先生に番号見せて」


「あ、すいません。お願いします」


 來見が掴み取った一つの紙切れ。四角折りにされたそのクジを開くと、目に映ったのは4の文字だった。その情報に動揺する暇もなく來見は急かされ、慌てながらも担任教師に番号を見せる。

 クジの中身を確認した担任は一つ頷くと、予め板書されていた組み合わせ表に來見の名前を書き加えていく。4の数字が仮置きされていた箇所に來見の名は足され、そこから真横に伸びていく線の先には既に女子グループの代表者の名前が記されていた。


「クジは開いたまま、そこに置いていって。ハイ、次の人ー」


 來見が返事を返す前に担任は次の代表者を呼ぶ。このまま突っ立っていても邪魔になるだけだと我に返った來見は言われた通りに数字の書かれた紙を教卓に置き、席に戻る事にしたのだった。


(……前と、違う組み合わせだ)


 未だ落ち着かない気持ちのまま体の向きを変えると、香椎がグループを組む事になった女性陣に向けて手を振っている姿が見える。挨拶を受けたクラスメイトは満更でもない様子で破顔し、これからよろしくとでも言うように小さく手を振り返していた。

 ただの微笑ましい光景。卒業旅行中も問題なく過ごせそうだと安心すべきその場面に、しかし來見はそぐわない不思議な高揚感を覚えていた。


(前に香椎が引いた時は、別のグループと組む事になってたのに……こんな些細な事でも、未来は変わるのか)


 來見が抱いたのは恐らく期待と憂慮、その両方であった。どちらにせよ胸騒ぎがする、その状況。未来で待ち構えている出来事に対して、ほんの少しでも介入できれば希望を掴み取れる可能性もあり、しかしその一方で簡単に凄惨な道へと転ぶ危険性も存在する。未来はどのようにでも変わるという事実はヨリとの考察でも察していたが、思っていた以上にその遷移は簡単に起こってしまうらしい。

 來見はそのあまりにも不安定に揺らぐ現実とそこから幾重にも別れ得る未来を突き付けられ、体を僅かに震わせる。しかし、確かな事は一つあった。以前とは違う來見の行動、それによって現在は――未来は間違いなく変わっている。それは最早、未来を変える事に躊躇いを覚えていない來見にとっては、必ずしも悪い状況ではないと確信を抱いていたのだった。




 2011年3月9日。とある病院の受付にて。


「朝早くからお疲れ様でした。はい、これが今回のお薬です」


「ありがとうございます!」


 調剤した薬の説明を優しげな表情を浮かべながら行う中年層の男性と、それを傾聴している2人の子供。戸伏(とぶし)という文字を名札に掲げた薬剤師の男に返事をする少女の姿を、その連れであるもう一人の子供は眺めていた。子供たちは2人とも全く同じ検査と診察を同様の手順で受けており、施された処置に伴う今後の状況に応じた対処法を教えられていたのである。


「体調が悪くなって、熱が出てきたりしたらお水と一緒に2錠、飲んで下さい。お薬の効きが悪くなってしまうから、できれば空腹の状態でね」


「はい!分かりました!」


 戸伏はPTPシートに並ぶ一つずつ包まれた薬と、それを入れる紙袋に貼られた服用方法を指差して子供たちに確認させる。説明に対して少女が勢い良く頷き、大きな返事をした事が戸伏に安堵を抱かせたのだろう。眉尻を下げた戸伏は穏やかな声で更に言葉を続けていった。


「薬を飲んでも効き目が薄いと感じたら直ぐに……この番号にお電話してください。……はい、お薬手帳と一緒に入れておきますね」


「はい!ありがとうございます!」


 道中で紛失しないよう、更に持ち手のついた小袋に入れられた薬袋を子供達は一つずつ受け取る。片割れの子供は相も変わらず言葉を発していなかったが、そこにいる誰もがいつも通りの事だとして特別気に掛ける様子はない。それでも目が合った事に戸伏は気付き、頷きながら微笑みを返していた。


「それじゃあ、お大事に。帰りは車に気を付けてね」


「はい!さようなら!」


 戸伏に溌剌とした声で返事をする少女は、その態度からはやや乖離している容貌を携えていた。

 瞳だけを見ると三白眼気味な所に気の強さを感じなくもないが、角度の無い上瞼によって眠たげな印象を受け取れる。おまけに上瞼から下向きに広がる睫毛と常日頃から下がっている眉尻が、それを後押ししていただろう。全体的なまとまりで見ると表情の柔らかさも相まって、気の弱そうな人物に見られる事が多い要素が少女には揃っていたのであった。


「……さよなら」


 遅れて重い口を開いたのは、残るもう一人の子供であった。少女とは打って変わって、ぱっちりとした瞳を持つ子供は例えるのなら猫のような雰囲気を纏っている。

 その口元は意識をせずとも口角が上がっており、きりりとした眉からも自信に満ち溢れている様を表していた。目尻が跳ねたように上向いている事からも、見る者に勝ち気な印象を与えていただろう。

 2人の子供は一目で見て分かる程に対極の佇まいをしており、しかしそれが互いの良さを引き出しているようでもあった。


「さようなら。また検査の日にね」


 風体から感じるものとは裏腹な態度で別れの挨拶を述べた子供達に、戸伏は優しい視線を向ける。2人が先程から何処となく浮き足立っている素振りを見せているのを、戸伏は察していた。きっと、これから遊びにでも行くのかもしれない。戸伏は健やかな子供たちを、実に穏やかな気持ちで見送るのであった。




 2011年3月9日。ウィラリアム遊園地の入場ゲートが少し遠くに見える位置。そして他の客の邪魔にはならないような場所。

 たった数日前に決まった班員ごとに、來見たち中学3年生は集まっていた。

 中学校生活最後の卒業旅行は今までに行われた校外学習とは段違いに自由度が高く、遊園地という場所から見ても学習とは名ばかりの思い出づくりに特化した行楽であると断言しても良いだろう。だからこそ事前準備など殆んどする必要がなく、班員を確定させるのも実施一週間前という日程が迫ってから流れ作業のように行われていたのであった。


「よし、これで全員揃ったな!」


「じゃあ、せんせーの所で出欠確認しないとねぇ」


 香椎の一言にクラスメイトの女子は頷き、來見たちは移動を始める。現地集合であったのにも関わらず來見たちのグループは誰一人として欠ける事はなく、遅刻もせずにスムーズな合流を果たしていた。周りでは未だ班員を待っている同級生がいる中で、來見たちは頭から数えた方が早い順番に出席を報告できていたのである。


「はい、チケットと携帯電話」


「ありがとーございまーす」


 來見は自身のグループの班長である女生徒と担任が行っているやり取りを眺める。人数分の入場券と通話機能しか持たないレンタル携帯を手渡された班長は、緊張感など欠片もない様子でニコニコと応対していた。それをあまりにも締まりのない姿だと思ったのだろうか、担任は何か言いたげな視線を向けていたが結局は思い直したのだろう。最後の旅行に水を差すような苦言は飲み込み、最低限の注意事項を述べていくのであった。


「解散時間は各自に任せますけど、18時までには遊園地を出ること。その際に班長は、配布した携帯で先生に連絡を入れるのを忘れずに。それから……」


「分かってるって!何か問題が起きたときも直ぐに連絡、でしょ?せんせー心配しすぎー」


 説明を遮り言葉を引き取っていった班長は、正直に言えば舐めた態度を担任に取っていた。それは卒業を間近に控えた子供にとって、教師から感じる圧力が著しく減少している事を証明していたのだろう。平常時であれば内申点を気にして下手な事はできないと注意を払い自制していた心が、受験を終え良い成績を取らなければならないという強迫観念にも似た抑止力を失う事で、明らかに解放されてしまっていた。

 しかし、それは班長に限った話ではなく中学3年生全体に蔓延していた空気でもある。來見も同じように呑まれ校則違反をし、トランプで遊んでいた事を思い出していたのであった。


「……GPSが付いてるから、変な行動をしたら直ぐにバレる事を忘れずに!そして携帯はレンタル機器だから大事に持ち運び、決して失くさないように!……それじゃあ皆さん、楽しんで」


「はーい!」


「行ってきまーす」


 最後に釘を刺された班長は、しかし疑われた事を気にした様子もなく満面の笑みで担任に手を振る。便乗したクラスメイトが口々に軽い挨拶をすると教師は諦めたような目をしてしまっていた。これ以上の小言はもはや意味がないと達観したように生徒を見送る姿に、來見は漂う哀愁と疲労感を感じ取ってしまうのであった。


「はい、入場券~」


「ありがとう」


(……前は何とも思わなかったけど、本当に監視してるならGPSのこと言わない方が良いよな。たぶん)


 來見は班長から差し出された入場券を受け取りながら、先程のやり取りを思い返す。配布された携帯電話は機能が制限され、電話しかできない事は少し操作すれば直ぐに理解できることではある。しかし位置検索のシステムが組み込まれているかどうかは、一見すると分からないように隠されていても可笑しくはない。教師自らがその情報を開示してしまうのは、どちらかと言うと悪手に思えてならないと來見は考えていたのであった。


(怪しげな行動をしているところに、いきなり出てくる方がインパクトあってビビるのに。わざわざ事前にバラしてたら生徒たちの方で、こっそり対策取れちまうな……)


 來見は思いを巡らせる。卒業旅行中は付きっきりではないのだから、やろうと思えばいくらでも生徒たちは悪知恵を働かせる事ができてしまう。それとも担任からしてみると、敢えて見張っていると口にする事こそが生徒達の無茶な行動を抑制すると考えたのだろうか。教職に就いた経験などある筈もない來見には分からない判断材料を、教師陣は共有し把握していたのかもしれない。愚かだと切り捨てられる訳もないその選択は、しかし裏を返すとある思惑が存在する事に來見は薄々気付いていた。


(でも、ある意味。先生は俺たちが本当に変なことはしないだろうっていう……信用をしてくれてたのかな。そう思うと何か、嬉しい気もしてくるけど)


 担任が心の底から生徒へ不信感を抱いている事はなく、信頼しているからこそ口頭で軽い注意をするだけに留めていた。それは來見が何の根拠もなく一方的に、好意的な解釈を膨らませただけの勝手な印象でしかない。しかし敢えて否定する事でもなく、担任の内心に穿った見方をする必要もないだろう。

 恐らく、生徒に対する担任たちの信頼は3年という短くも長い月日を共に過ごした事でしっかりと築かれていた。学年全体で見ても生徒達は常軌を逸した問題行動は起こさないという確信を持てた事が、班ごとではあるが学生だけの自由行動への容認に繋がっていたのだろう。來見が思わず抱いたのは、教師に対するまた一段高い好感に違いなかった。


(……こんな風に例年通りに実施されてるのは、先輩たちが過去に問題を起こさずにいてくれたお陰でもあるだろうし。俺達も後輩に面倒かけないようにしなきゃな)


 卒業旅行が例年通りの規格そのままに行われているという事実を前に、來見はひとり襟を正す。何時だかに友人達と交わした、立つ鳥跡を濁さずの精神を最後の最後に失ってはいけないだろう。とは言え、いつも通りの振る舞いを心掛ければ、まだ見ぬ誰かに多大な迷惑をかける事は起こらない筈である。それでも來見は念のために、羽目を外し過ぎない事を己の心に戒めるのだった。

 以前は疑問にも思わなかった、事前に立てられた計画がきちんと予定通り行われるという、ありがたさ。多岐にわたる非日常な経験は、來見に様々な考えを与え多くの影響を及ぼしていたのである。


佑斗(ゆうと)、置いてくぞ」


「ぼーっとしてんなよ!行くぞー」


「ああ、いま行く」


 征生と香椎に呼び掛けられ、來見は気を取り直す。既に班長が率いる女性陣は入場ゲートへと歩を進めており、傍から見れば來見は呆けているように映ったのだろう。來見は手にした入場券を握り直しながら、友人に返事をしていた。


(まぁ、とにかく。班員は変わってるけど前も変なことは起きてなかった。今日は……気楽に、楽しもう)


 來見は一つ深呼吸をして、ゆっくりと足を踏み出す。そして事前に班員同士で行った打ち合わせ通りに動く為にも、園内へと向かうのであった。




「あ、いたいた!おーい」


 問題なく入場ゲートを通過した來見の視線の先には、何かに向けて呼び掛けながら走っていく班長の姿があった。一目散に駆けていくその行方を辿ってみると、來見達とはまた別のグループが佇んでいる場所を目指している事が分かる。

 制服を着ている事から遠目でも直ぐに学生であると判断できるその一団に、班長は大きく手を振っていたのである。


「あ、おはよう!」


「おはよー!こっちは欠席いないけど、そっちはみんな揃ってるー?」


「揃ってる揃ってる!もう、ばっちり!」


 班長は待ち合わせていた友人に迎えられ、女性同士で盛り上がっている。この光景こそ、來見達の班員が確定した後に班長となったクラスメイトから打診されていた事であり――クラスの垣根を超えた2つのグループが一堂に会していたのであった。


「おはよ、來見くん」


「お、おはよう。(ほおり)


 不意に声を掛けられた來見は狼狽えながらも、表向きは落ち着いて祝へと挨拶を返す。ここで取り乱していては面白がられ、からかわれるに違いない。來見がそう確信したのは香椎がニヤついている姿が視界の端に映っていたからであり、友人をこれ以上に調子付かせない為にも必死に平静を装っていたのであった。


「何か不思議な感じだよね。クラスが違うのに、こうやって集まるの」


「そ、そうだな。俺も初めは、てっきり園内に入場したら各自解散って感じだと思ってたから……」


「みんな最後の旅行だからって結構、勝手にやってるからね!入園したらあっという間に班員がバラバラになるのは……少しも珍しくないみたい」


 祝が襲われている奇妙な感覚は、体育などの合同授業でも一緒にならない2つのクラスが行動を共にしようとする違和感から来るものなのだろう。今までに経験のないその状況は來見にも少なからず困惑を抱かせていた。その戸惑いが顔に出てしまっていたのだろうか、祝は來見の目を覗き込むようにして質問を投げ掛けてくる。


「あの。私は全然、構わないんだけど……こっちの都合に付き合わせちゃってるかな。本当に私たちが一緒でも大丈夫?」


「予め、うちの班長から説明はされてたから。最後だからこそクジ引きで決まったグループで動きたいけど、それでも友達とも回りたいって話。……全然、迷惑なんかじゃないよ」


「そっかぁ……良かった!」


 來見は祝を安心させようと、やや早口になりながら弁明していた。全てを言い終わってから結論を先に口にすべきだった事に反省してしまうが、祝は気にした様子もない。

 ひどく安心したように、屈託のない笑みを浮かべた祝を來見は眼前で直視する。そのあまりの眩しさに思わず胸が高鳴ってしまうのを、來見は確かに感じ取っていたのだった。


「……もし別行動したくなったら、その都度報告すれば良いし。連絡手段も……こっそり持ってきてるからな」


「あ、もしかして……自分の携帯を持ってきてる、とか?」


「……ここだけの秘密な」


「ふふ、うん!バレないようにしないとだ」


 補足するように続けた來見の言葉を受けて、祝は目を丸くしたと思えば楽しそうに悪戯っぽい笑みを向けてくる。祝はまるで、來見の一挙手一投足に影響されているかのようにコロコロと表情を変えていた。つい自分にとって都合の良い受け取り方をしてしまいそうになる心を、來見は必死に抑え込む。


(かわいい……じゃなくて。落ち着け、俺。勘違いしても後で辛くなるだけだぞ……)


 桜川公園でのマラソン大会の日。そこで決意したものが呆気なく瓦解そうになっているのを、來見は自覚していた。彼女を特別視しないように心掛ける事が、却って祝の存在をより強く意識してしまう現状に繋がっている。

 來見は確かに以前親交を深めた祝に対する心の整理をつけたつもりでいた。しかし、それは目の前に存在する祝に惹かれようとする気持ちを止める理由にはならない事を、今更ながらに気付いてしまったのである。


(……でも、この世界の祝が今の俺を気にしてくれるのを拒否する理由は無いよな。……いやいや、自惚れんなよ。……いや、でも……)


 來見の脳内では目まぐるしく意見が対立し、かと思えば自身にとっての甘い考えにあっさりと屈しそうになる。それは素直になってしまえと嘯く本能じみた中学生の精神と、冷静に事態を見極めようとする理性的な高校生の意見が衝突し合っていた状態であるとも言えただろう。何れにせよ來見は内心で、間違いなく取り乱してしまっていた。

 以前(C世界)の祝と(D世界)の祝を区別して扱うのであれば、示された好意もまた別々に受け取るべきものであった。だからこそ以前の祝への想いに蓋をした來見が新たな一歩を踏み出しても構わない筈である。しかし、そうするにはあまりにも切り替えが早すぎていた。

 來見は自分の事を好きになってくれる人が好きで、慕ってくれるのであれば誰でも良い。そして、前が駄目ならさっさと次を選べば良いと考え、そのように実行できてしまう人間である――そんな風にも分析できる見苦しい振る舞いを、來見は嫌悪感を持って否定していた。

 自分ではない誰かがそのように行動していても、來見はきっと気にはしないのだろう。人にはそれぞれの考えがあって、他者が口を出すべきではない事柄もある。それは人が多様に持つべき個性であるとして、來見は許容できると予測していた。

 しかし、自分の事となると話は変わってくる。他者から寄せられる友愛に喜ぶ感情はあれど、今の來見にとって先に立つのは自らの浅ましさを恥じる気持ちだった。断ち切られてしまった以前(C世界)の祝との絆への喪失感と傷心を癒し、先に進むことは悪ではない。だが早すぎる忘却はあまりにも薄情な行いであると、來見は心のどこかで認識していた。そんな醜い人間にはなりたくない。自身がそうであるとは思いたくない。

 來見は身の内に潜む醜悪さから目を背けるように、目の前にいる祝に取るべき――本当は取りたいと思っている対応を定める事を、先送りにしていたのだった。


「ごめん、話し込んじゃってた!そろそろ行こうか!」


 ふいに班長の声が耳に届き、來見はびくりと体を揺らす。來見が考え込んでしまって、どれくらいの時間が経っていたのだろう。祝に異変を察知され呼び掛けられなかったという事は、数秒にすぎなかったのだろうか。改めて祝の表情を窺ってみるも、特に違和感を覚えているような素振りはない。しかしその視線は班長へと注がれており、他の班員も同様に声の発生源へと注意を向けているようだった。


「事前に考えてたルート通りで良いよね?……うん!よし、出発!」


 集まった同級生をぐるりと見回した班長は異論が出なかった事に一つ頷き、颯爽と駆け出していく。それを慌てて追い掛ける者もいれば、仕方ないから付き合ってやろうといった風にゆっくりと歩き始める生徒もいる。各人が思うところは様々であったのだろうが結果として誰一人として嫌がる事はなく、要請された集団行動に大人しく従っていたのであった。


「私たちも、行こっか!」


「……うん。今日はその、1日よろしく」


「こちらこそ!楽しい時間にしようね!」


 班長の言葉を受け、再び來見に向き直る祝。その穏やかな呼び声に、來見は硬い態度ながらも本心を口にしていた。

 戸惑いはあれど、目の前の祝に対する忌避感など微塵もある筈がない。來見が頷きを返した事で嬉しそうに歩き始めた祝の歩調に合わせて、來見もまた迷いを断ち切るように今は足を進めるのであった。

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