20-3 浦部 基嗣
暴力的な表現があります。
(事故が起こり、子どもが巻き込まれる……)
來見は未来からのメールに載せられていた文章を思い返す。立ち止まっては唯々ハンモックを見上げるだけの不審な人物。そうはならないように適度な距離を保ちつつ移動しながら、來見は浦部を見守っていた。時刻はそろそろ、予告された時を迎えようとしている。しかし未だ異変が起こる兆候を、來見は発見する事ができていなかった。
(……事故が結果として大きな騒ぎにならなかったことからも、その要因は普通にしていたら気付けないものなのかもしれない。よく観察しておかないと)
前の世界でも起きた筈の事故と、それに巻き込まれたであろう被害者。両者はマラソン大会の参加者と同時刻に同じ場所に存在していたのにも関わらず、自身の通う中学校では言及されず表立って語られる事がなかった。その理由は恐らく、先ほど導き出した結論が最も正解に近しいのだろう。ヨリと交わした会話を経て、來見はそのように推測していた。
事故自体は大したものではなく、人々の記憶に残らない程度の規模だった。あるいは、そもそも被害者が目撃される事がなかった場合も考えられるだろう。ということは逆説的に、その事故の起こりとされる出来事も人目に付きにくいものである確率は高い。要するに來見は些細な異変も見逃さないように、辺りを注視する必要があったのだった。
(でも、ここにいる子供達が……意図されてない変な遊び方をした訳でも無さそうな気はするんだけどな。原因が子供の悪戯だとしたら尚更、俺たちも後から学校で注意されてた筈だろうし)
視線は浦部を追いつつも、來見の頭は分析する事を止めない。また一つ内心では否定した考えを再検討するように、來見は目の前にあるハンモックで起こり得る悪例を挙げてみる。直ぐに思い付くのは衝撃を受け止め吸収する網目の部分ではなく、支柱から伸びる綱の部分で子供が悪さをした可能性だろうか。
本来体重を乗せるべきではない箇所へ負荷が掛かってしまい、ハンモックは千切れ子供は足を滑らせる。そして不運が積み重なった結果、子供の首にハンモックの紐が絡まり――窒息死とまではいかなくとも、一時的な酸欠状態に陥ってしまう。幸運なことに何の後遺症も残らなかったとしても、やはりそれは危険な事態に違いなかった。
しかし、やはり高校生の來見が今回の事故について何も知らなかった事実を踏まえるのであれば。傍から目撃していて衝撃を受けるような、凄惨な場面に出くわす可能性は低い――筈である。
甘い考えにも思えるが、そんな論理が來見の脳内を巡っていたのであった。
「……結果的に大した事故じゃなかったとしても、そこに巻き込まれるのが浦部だとしたら……俺に助けさせようとするのは分からないでもない、かも」
「メールの送信者が過去……俺らにとっての今を知ってるヤツで、それが未来のお前だとかお前の協力者だったとすれば。まぁ、心情は理解できるな」
來見の呟きは独り言のつもりであったのだが、思ったよりもはっきりと口に出していたのだろう。繋がったままの携帯電話からはヨリの同意する言葉が返ってくる。
巻き込まれる必要のない事故から、親交のある友人を逃がしてやりたい。それは普通の感性を持った人間が抱く理屈として、何一つおかしなところはなかった。一人頷く來見に対してヨリは更に言葉を続ける。
「ショッピングモールの時の……全く面識のねぇ人間を助ける指示を出すよりかは、納得できる話ってワケだ」
「うん。願わくばそれが、協力者を装って俺にしがらみを増やそうとする為とかじゃなければ……良いんだけどさ」
「前に推理したヤツなぁ。悩みは増えるばかりかぁ……お前、あんま考えすぎんなよ?」
ぼやきながらも、透かさず気を遣うような言葉を投げ掛けてくるヨリに來見は静かに笑いをこぼす。
何度も念を押されているからこそ、必要以上に暗い方へ考えを向けるべきではないという方針は今や來見の胸に刻み付けられつつあった。それでも未だ変わらず來見の精神的な部分へ配慮を利かせようとする従兄に、似合わない事をしているなと面白く感じてきてしまっていたのである。
「俺は大丈夫。今は、目の前の事に集中しないとな」
「おう!分かってんなら良い。そんじゃあ俺は……」
來見の返事にヨリは明るい声を返す。しかし次に続けられる言葉を聞き終わる前に、來見は反射的に走り出していた。
一瞬だけ、会話に気を取られていた為に反応が遅れてしまった。しかし浦部の周りで異変が起きていた事を來見は察知していたのである。
問題なのは浦部ではなく、その近くにいた数人の子供であった。浦部の友人だと思われるその子供達は興奮からか頬を紅潮させ、側にいる仲間へと勢いをつけて飛び掛かっていく。
じゃれつかれた子供はハンモックの上を転がりながら、楽しそうに方々へ逃げていく。しかしその行く先には、先ほど懸念していたハンモックの途切れている場所もあり――來見の背中には冷や汗が伝っていた。
(あんなに勢いがついていたら、地面に落ちる!)
來見の心配を他所に、子供達の遊びは加熱していく。追い掛けていく子供と、逃げようと抵抗する子供。そのどちらも、浦部ではない。しかし白熱した遊びは互いを強く押し合うまでに発展していた。それも大人の手も届かない、高さのありすぎるハンモックの崖っぷちで。
「あ……」
そして予想していた通りに、勢い余って押された子供は背中から宙に向かって倒れていく。斜めに飛び出していく体の最終落下地点はハンモックの上ではなく、剥き出しの地上そのものとしか思えなかった。
來見は不審に思われない為に距離を取っていた事を深く後悔し始めていた。ギリギリ間に合うか、間に合わないか。その瀬戸際で來見は懸命にひた走る。
そして、その事故は思いも寄らない人物によって防がれようとするのを、來見の目は捉えていた。
「浦部……!」
來見にとって、正直に言えば嬉しくない誤算。それは揉み合っていた友人を助けようと、浦部が落下する子供に手を伸ばしているという光景だった。
來見の脳裏では陰惨な未来が思い描かれる。それは浦部の肩が子供の重さに耐えきれず外れるだとか、代わりに――あるいは共に落ちていってしまうという予感。
落下する子供の体がハンモックから飛び出していく角度は、浦部の手によって確かに変わった。このまま直下に落ちたのならば、地面に直接衝突する事はないのだろう。しかし子供達が身構える事もできずに折り重なって倒れかねない状況は、看過し難いものがあった。
(でも、まだ間に合う……!)
來見は本来であれば許されない土足のまま、落下予想地点であるハンモックの上へ滑り込んでいた。子供達を両腕で受け止めるというよりは、何とか落下しない位置で押し留めるために。來見は必死で、その両手を伸ばしていたのであった。
來見の手は本来であれば届かない。子供達がいるハンモックは大人が背伸びをしてもギリギリ届くかどうかという高さにあるのだから、それは当然の事であった。
しかしそれは地面に立っていた場合に限ったものであって、何かしらの手段で高さを稼ぐ事ができるのであれば話は変わってくる。実際、低所に張られたハンモックの上であれば來見の背丈でも希望が見えていた。
どうにか一秒でも長く子供達を支える事ができたなら、速度のつきすぎる落下だけはすんでのところで止められるかもしれない。その一心で來見は両腕を、高く高く上げていた。
「うわっ!」
大きく声を上げたのは、友人に押され初めに落ち掛けていた子供だった。落下を意識した次の瞬間、突如として強く後方へと引っ張り上げられた事で驚き反射的に叫んでしまったのだろう。その体は無事に元いた、ハンモックが広がる安全な方向へと倒れ込んでいた。ただし、浦部と引き換えになる形で。
浦部の力だけで子供の落下を阻止するのは、かなりの無理をしなければ不可能であった。それを証明するかの如く浦部は勢いよく友人を引き寄せた結果、擦れ違うようにして自分の体が前のめりに地面へと突っ込んでいくのを止められずにいる。
恐らくはハンモックという場所も良くなかった。様々な要因で不規則に揺れる足場のせいで、浦部は踏ん張る事ができなかったのである。例え下に敷かれたハンモックが着地の衝撃を和らげるだろうとしても――その落下速度は看過できないものがあった。
ハンモックから宙に半身を投げ出した浦部は、今にも落ちそうになっていた。恐怖か、あるいは驚きで声も出せずにいる浦部を來見は瞬きもせずに見つめる。
目に映る全てがスローモーションのように感じられるその瞬間、來見の脳内では様々な思考が忙しなく渦を巻いていた。
額同士をぶつけるのは危険だから、体を正面からずらして避けなければならない。そうなるといち早く來見の両手が届くのは、浦部の胴体になるだろうか。指先を伸ばすのではなく、手のひらで支えるような形にしなければならない。思考が直結しているかのように、來見は咄嗟に体勢を整えようと動き始める。
浦部の視界に來見が映っているのも分かる程に距離が近付いた、その瞬間。來見の耳は通りの良い、鋭い声を捉えていた。
「來見!そのまま構えてろよ!」
突如として掛けられた声に驚く暇もなく、來見は指示された通りに浦部を支えようとする姿勢を取り続ける。來見の手は既に浦部へ接触しつつあった。それは実にごく僅かで、言葉通り触れているだけといった状態でしかなかったのだが。
そして來見の体に今以上の重量が掛かる事は終ぞなかった。浦部は誰かの手によって引き留められ、落下を免れていたのである。
「直ぐに引っ張り上げるからな!痛かったら……悪い!」
続けられた声はハンモックの上から発されているようだった。暫しの間、混乱から見つめ合っていた來見と浦部は殆んど同じタイミングで、視線を上に向けていく。
一体、誰が助けてくれたのか。その恩人を探すようにハンモックにいる人物を確かめると――そこには逆光の中で浦部の足を掴んでいる、香椎と征生の姿があったのである。
「來見!押せるなら、そっちからも押してくれ!」
「あ……うん!」
「佑斗、柊。合わせろや」
「おう!せーので引っ張り上げるからな!……せーの!」
香椎の声掛けを合図に、來見は浦部の胴に両手を添えつつ背伸びをしながら、救助の協力に参加する。
浦部は目を白黒とさせながらも、自分が暴れては香椎たちの行動を阻害してしまうと理解していたのだろう。來見が辛うじて支えているとはいえ体の殆んどが宙に投げ出された状態であったのにも関わらず、力を抜いてされるがままになっていたのであった。
ゆっくりと引き上げられていく浦部。救助は順調に進み、來見の手が届かない高所へと浦部の体は持ち上がっていく。直に浦部の体の大半はハンモックへと戻され、もはや落ちる心配をする必要もない状況へと落ち着いていた。
そこまで来ると、もう自分が動いても問題はないと浦部は判断したのだろう。所在無げになっていた両手を使って身を起こし、自力で体勢を整える事もできていた。
しかし來見の目から見たその動きは、まるで長年忘れていた道具の使い方を漸く思い出したかのように緩慢で。浦部の精神が疲弊している様をありありと示していたように映ったのだった。
「浦部!」
「良かった……浦部……」
いつの間にか辺りで様子を窺っていた子供達が、我先にと浦部を囲むように群がっている。各人が騒がしくも爆発させた感情は様々で、大袈裟なまでに安堵する者もいれば今にも泣きそうになっている子供もいた。
特に後者は自分と入れ替わりに浦部が落下しかけた事が余程ショックだったのだろう。顔を歪めては頻りに謝罪を繰り返しており、浦部はそれを宥めるように肩を軽く叩いていたのであった。
(表面上は……大丈夫そうに見えるけど)
一連の流れをハンモックの下から眺めながら、來見は一人物思いに耽る。浦部は自力で上体を起こす気力と友人を気遣う余裕を持ち、冷静に振る舞っているように見える。しかしよく観察すると、その足腰は未だ脱力しきっており、忙しなく上下する肩からは浅い呼吸を繰り返している事が分かってしまった。
(……周りに心配させないように取り繕ってるよな。自分も怖い目にあったばかりなのに、気が回りすぎるのも考えもんだ)
それでも当人が隠そうとするものを無理に暴く必要もないだろう。來見は浦部の状態について暴露じみた指摘をする事は止め、一つため息をつくのであった。
「でも、まぁ。無事だったなら、良いか……」
來見がぽつりと言葉を溢している一方で、ハンモックの上では更に動きがあった。
浦部に近付いてくる2つの影。それは子供達の気分が落ち着くのを待っていた香椎と征生であり、二人は視線が自分達に集まった事に気付くと徐に口を開くのであった。
「これに懲りたら!高いところで、はしゃぎ過ぎるのは止めとけよー」
「遊ぶなとは言わないが、周りが見えていないのは駄目だな」
香椎は朗らかに穏やかな様子で。一方の征生は言葉が正しく通じるように、やや固い口調で方言を抑えながら注意をする。
子供達が浦部と同じ年齢であるのならば、彼らは未だ小学6年生の筈だった。3学年分という、近しくも遠い年長者の人間からやんわりと叱責されている様子は、これから踏み入れる事になる社会の縮図を早くも体験している姿にも見える。
(ちょっと可哀想にも思うけど……実際、危ない目にあった以上は怒られといた方が良いのかもな)
耳の痛い様子で体を縮こまらせる子供達の様子は庇護欲を誘う。しかし香椎も征生も、幼子を理不尽に責め立てている訳ではない。言葉を交わす際には威圧感を与え過ぎないように膝を折って目線を合わせるなど、彼らなりの配慮も行っていた。だからこそ來見は間に割って入る事はせずに成り行きを見守る判断を下したのであった。
ひとときの間とは言え、大きな声で騒いだ後に行われたハンモック上での子供同士の対話。
一見すると香椎や征生が小さな子を苛めているようにも取られかねないその様子は、近くにいた人間にとって興味深い対象となり得たのだろう。來見はハンモック上の一団に様々な感情が乗せられた視線が集まっている事を、遅まきながら気付き始めていた。
このままでは要らない誤解を招く事になる。そんな未来を直感した來見は、咄嗟に口を開いていたのである。
「あのさ!一回、下に降りて来いよ!怪我してないか確認もしたいし!」
突然、下方から呼び掛けられたのにも関わらず香椎と征生は誰が声を発したのか直ぐに理解したようだった。2人は寸分違わずに來見がいる位置へ視線を向けると、肯定を示すように頷いて返答をする。
「おう!そうする!」
「あぁ。いつん間にか、変に注目されとるしな」
征生は周囲を見回すと、苛立たしげに眉をひそめる。すると浦部は慌てた様子で、素早く言葉を続けていた。
「あの!僕たちも一緒に付いていくのに、全く異論はありませんので!」
「……?そうか。なら降りるぞ」
「ハイ!」
突如として大きな声で捲し立てられた征生は、その意図が全く分からない様子で目を瞬かせる。しかし浦部を始めとする子供達が自分に賛同しているのであれば、深く考える必要もないと思ったのだろう。即座に態度を切り替えると率先するようにハンモックから降りていく。
(浦部の今の言葉は……周りの人に聞こえるように、わざと大きい声で言ったのか)
察するに浦部が慌てていたのは、香椎と征生が複数の訝しげな視線に晒されている事に気付いた故のものだったのだろう。2人は浦部達にとっての恩人であるというのに、周囲ではその立場に反した不穏な空気が漂い始めていた。それは浦部にとって、不本意な状況でしかなかったのである。
更に言えば実際に、騒然とした雰囲気を感じ取った征生が分かりやすく嫌悪感を示していた。だからこそ浦部は敢えて大きな声を出したのだろう。自ら大人しく従うのだと宣言する事で、目の前の人物の潔白を証明しようとした。それはきっと、紛うことなく浦部の献身に違いなかったのだろう。
(香椎と征生に自分から付いていく姿を見せれば事情をよく知らない人も……放っておいても大丈夫な事だと認識するって、浦部は考えたのかもな)
浦部の言動は、どうすれば傍観している人々の思い込みが解けるのかという自問の末に生み出した答えだったのかもしれない。來見は浦部の思慮深さに、内心舌を巻いていた。
(火事について相談した時にも思ったけど。やっぱり向上心のある奴は頭の回転が早いもんなのかもなぁ……)
果たして機転が利く事と中学受験を試みた人間がイコールで繋がるのかは不明ではあるが、浦部が聡明である事実は疑いようもないだろう。
來見は浦部の地頭の良さに感心しながらも、次々とハンモックから降り立つ子供達の後に自分も続くのであった。
「ありがとうございました!本当に、何とお礼を申し上げたら良いのか……」
「偶然なんですけどね!間に合って良かったっす」
ハンモックから降りて地面に足を付けた一行を迎えたのは、離れたところで話し込んでいた子供達の保護者であった。
香椎は來見達の中で一番コミュニケーション能力が高く人当たりが良い事から、流れるままに代表として選出され浦部の母親への応対をしていたのである。
子供達の異変に気付く事が遅れた保護者達は一様に気落ちしており、今日の天気のように湿っぽい雰囲気になってしまっていた。彼らには悪いがその余りの落ち込み様に來見はつい苦笑する。しかし同時に、これだけ反省しているのならば恐らく次はないだろうと安心も覚えていた。
保護者の一団とやり取りを交わす香椎を横目に、來見は寄り集まっている子供達に近付き向き合う。そして一番気になっていた事を尋ねる為に、浦部に向かって口を開くのであった。
「あの……君は、体に痛い所はない?少しでも違和感があるなら隠さずに言った方が良い、よ」
來見は浦部の名前を一瞬だけ呼びかけるも必死に飲み込み、気安すぎる態度を取りそうになりながらも自制して言葉を続ける。
子供達の会話を聞いていれば、來見が浦部の名前を知っていても可笑しくは無い。違和感を指摘されたとしてもそのように説明すれば上手くその場を切り抜けられたことだろう。
しかし來見の脳内には後輩としての浦部と親交を結んだ記憶が色濃く存在していた。だからなのだろうか、例え別人だとしても浦部に嘘をつくのは仲の良かった後輩に対する裏切りのようにも思えてしまい――來見は不用意な言葉を吐かないように自身の口を閉じるしか方法がなかったのであった。
口下手な人間だと思われたのだろうか。來見が言い淀んだ事で僅かに空いた不自然な沈黙には、幸いなことに誰も気付いてはいないようだった。目の前の浦部も、それは同様で。未来の後輩は來見の問い掛けに一度大きく頷くと目を輝かせて口を開く。
「僕は大丈夫です!助けていただき、本当にありがとうございました!」
「そうか。無事なら、それで良いんだ」
「はい!」
保護者が駆け付けた事で、先ほど味わった恐怖心も幾分か薄らいできたのだろう。見るからに年上と分かる人物と相対する際の緊張感はあるものの、浦部に無理をしているような様子はなく、その返事には溌剌とした響きがあった。
「……今度からは、気を付けろよ」
ハンモックを降りてからは一言も発していなかった征生がぼそりと呟くと、浦部は再び頷きを返す。結果的には大きな問題に発展しなかったとはいえ、目の前で起こりかけた事故に思うところがあったのだろう。征生は浦部を検分するように、厳しさを帯びた目でその姿をじっと見つめていた。
「は、はい!それはもう、胸に刻んでおきます」
「おう」
言い含めるようにして注意を加えた征生に浦部は少し気圧された様子を見せるが、遅れつつもしっかりと返事をする。その姿勢に納得がいったのか、征生は分かりにくくも漸く口調を和らげるのであった。
(もっと柔らかい言い方で……と思ったけど仕方ないか、方言を抑えた結果だろうし。征生も心配なだけで怒ってはいないんだけど)
浦部は恐らく征生の固い口調に威圧感を覚え、怯んでしまっていた。それはいつかの記憶の中、資料室にいる颯真を遠巻きに見ていた時のように。浦部は何処か鋭さを纏う人間を相手取るのを得意としていなかった。
しかし、それを今ここでわざわざ言及するのは浦部に対しても征生への態度としても取るべきではない行動に思える。どちらも気まずい雰囲気になるだけで、何も良いことがないという認識に來見は至っていた。
(子供達も実際に、自分たちが不用意な行動を取ったっていう後ろめたさがあるだろうし……これで危機感を持って反省してくれるなら、安いもんなのかもな)
そもそも征生は責めている訳ではなく諭しているだけである。それが方言を抑えた結果、気難しげな印象を与えているのは実に悲しいすれ違いではあるが、話を聞いている子供達にとっては良いクスリになるかもしれない。來見は口を閉ざしたまま二人のやり取りを静かに眺めるのに留めるのだった。
「ちょっと良いか」
「?はい」
ハンモックの上で起きた出来事について一頻りの事情説明を終えた後、來見達一行は子供達を保護者に任せて解散する流れになる。香椎も征生も軽く頭を下げながら早々に立ち去っていく中で、しかし來見は浦部を一人呼び止めていた。
「さっきは大勢の前で代表者みたいに注意して、すまなかった。君が悪い訳じゃないのは、俺達も分かってるから」
「……ええと、それだけを言いに、わざわざ?」
浦部は來見の言葉を受けて、不思議そうに目を瞬かせる。そのまま続けられた質問に來見は首を縦に振る事で答え、更に言葉を重ねる為に徐に口を開く。
「……自分だけが悪者みたいに扱われるのは誰だって嫌だろ?君が落ちかけたのは友達を助ける為だったって、俺達はちゃんと知ってるし。それはすごく……良い行いだと思うから」
だから、その勇気は称えられるべきものだと來見は伝えていた。何なら浦部が保護者から不当に叱られそうになっていたら、間を取り持つ気もあった。――それは、この場が解散してしまえば実現する筈もない事を來見は失念していたのだが。
しかし浦部は來見の意図を正しく受け取ったのだろう。パッと顔を明るくさせると、ハキハキと言葉を続けていく。
「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫です!はしゃぎ過ぎる友達を止めなかった僕も、悪い所はありますし。自分で釈明もできますから!」
「……うん、そうだな」
「はい!なので、えっと……改めて、ありがとうございました。そのお気遣いが、とっても嬉しかったです!」
本人がそう言うのであれば、心配しすぎる必要もないのだろう。律儀に謝辞を述べる浦部に來見は頷きを返す。
にこやかに返事をする浦部に、來見はかつての先輩後輩として交友を深めた年下の友人の姿を幻視していた。浦部に対して來見が取った行動はきっと只の自己満足で、顔色を窺う八方美人な振る舞いであったと言えただろう。
(……七不思議の答え合わせをする約束。守れたのかな、俺は)
前の世界の文化祭で浦部と交わした約束が果たされたかどうか、その詳細は來見の記憶には存在していない。記憶が欠けているのか、それともシドに殺されてしまった事で結果的に破ってしまった事になるのか。今の來見には確かめようもなかった。
來見は不意に深い郷愁に駆られてしまう。しかし直ぐに気を取り直し、浦部へと別れを告げる事にした。と言うのも來見が抱いた憂鬱を表情に出し過ぎていたせいか、浦部は気遣わしげにこちらを見上げていたのである。
これ以上、話す事はない。そのように判断を下した來見は徐に口を開くのだった。
「……うん。じゃあ、気を付けて。……さようなら」
「はい!機会があれば、また何処かで!」
最後に折り目正しく美しい礼をして見せた浦部。その背中は、あっという間に遠ざかっていく。今回の來見は浦部の直面した事故に介入したわけだが、果たして未来は変わらずにあり続けるのだろうか。再び彼の先輩として出会える事を願いながら、來見は大きく息を吐く。
何であれ、目の前の浦部を助ける事ができて良かった。笑顔で別れる事ができるから嬉しかった。紛うことなきその幸運を來見はゆっくり噛み締める。そして今度こそ浦部に対して何の憂いもなくなった來見は、その場を後にするのであった。
「おっ、お帰りー」
「遅かったな。何か気になる事でもあったか」
「うん、ちょっとな。でも大した話じゃないから、大丈夫」
ハンモックなどのアスレチック類からは少し距離を置いた場所。木陰の下に備えられたベンチへと香椎と征生はどちらともなく集まっていた。
2人の友人に話し掛けられた來見はやんわりと言葉を濁す。そんな曖昧な発言でも、話を終わらせるように言い切られてしまえば追求する気にはならなかったのだろう。香椎は僅かに首を傾げるも納得した様子を見せ、征生は肩を竦めてため息をつくだけに留めるのであった。
「少し目を離したら変なことに巻き込まれてるし。忙しいねー君たちは」
そんな言葉と共に、ふらりと何処からともなく姿を現したのは論手だった。その手には売店で購入した商品らしきドリンクが握られている。肌寒さもあり体を温めるものを欲したのだろう。コップからは湯気と共に鼻腔をくすぐるコーヒーの香りが辺りに放たれていたのであった。
「論手までいるし……というか。今更だけど、お前らもここに来てたんだな」
「え?あ、あぁ。そうだな」
「いてくれて助かったよ。俺一人じゃ、あの子をちゃんと支えられてたか怪しかったし」
「うっ……そ、そうだな!ハハ!」
一度は見逃した、香椎の妙に歯切れの悪い返事の仕方。それも2回目となると怪しさしか感じられない。
來見は香椎と征生の助力に心底感謝していたのだが、それはそれとして。真意を問い質す為に口を開かずにはいられなかったのであった。
「……何だよ?その態度」
「何ってそりゃあ、ねぇ」
「尾行しとったけん、気まずいんやろ」
「は?」
誤魔化すように笑みを浮かべて逃げ切ろうとした香椎であったが、あっさりと退路を断たれてしまう。もはや隠しきれないという判断をあまりにも速く下した征生は、平然と友人を売る発言を口にしていた。
予想外の返答に呆気に取られる來見を前に、征生は事実を指摘したまでと言わんばかりに堂々とした態度を取っている。その一方で論手は気まずさを少しは感じているのか、來見から視線を逸らしていた。
皆して発言を譲り合っているのか、來見達の間に僅かに沈黙が舞い降りる。果たして誰が説明をするのだろう。いっそ來見から水を向けるべきなのだろうか。
來見は一人あれこれと考え始めてしまうが、その時間は思っていたよりも長くは続かなかった。このままでは埒が明かないと冷静に分析していたのだろう、結局は論手が口火を切っていたのである。
「……下心があったからだよ。來見の事つけようぜって言い出したの、香椎だし」
「はぁ?何でまた、そんなこと」
「トイレから帰ってくる時、來見が正面ゲートとは別の方向に行ったのを見てたんだってさ」
コーヒーを啜りながら疑問に答えていく論手。その言葉を聞きながら、來見はまず初めに自分の足取りを掴まれていた事実に冷や汗を伝わせる。友人達に不信感を持たれず上手いこと姿をくらましたつもりであったが、詰めが甘かったのだろう。
確かに來見は一刻も早く現場に向かう事に集中しており、その道中に設置されていたトイレに香椎がいたことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。その結果、堂々と別のエリアに足を運ぶ自分の姿を友人達に目撃されてしまったという事なのだろう。來見は心臓が嫌な音を立て始めるのを感じていた。
「駅前に通じる出入り口の方から離れていくから、何かあるに違いないって。……そっち方面に用事があるから別の出口を使ったんでしょって、僕は一応言ったんだけどね」
桜川公園はその敷地面積の広さから、エリアごとに散らばる形で複数の出口を用意していた。その中でも正面ゲートは出入り口を兼ねていた訳だが、最も駅に近いその経路を遠方からやって来た來見が利用しない筈がない。平常時であれば香椎のその推理に、おかしなところは何もなかった。
「あ、怪しむ理由は分かったけど……何で尾行なんだよ。気になったんなら普通に直接、聞きに来れば良かっただろ?」
來見の足が正面ゲートへと向かわなかった理由を、論手は冷静に所用の為だと分析した。しかし香椎はそれでも尾行を決行した。理屈ではなく直感に類する何かが香椎を行動させていたという事なのだろうか。
誤魔化しを見抜かれているのかもしれない。そんな動揺を來見は必死に抑えながらも、更に検証を続けようとする。その姿勢に応えたのは征生であり、次に発された香椎の動機に來見は絶句してしまうのであった。
「俺らに隠れて、佑斗が祝と密会するところば見てやろうって。柊が」
「ちょっ!言うなって!」
「マラソン大会で祝といちゃついてたから、デートしてるに決まってるって。香椎が」
「あの時は本当にそう思ってたんだって!……俺が期待しすぎただけだよな!傷付けたんなら謝る!ごめん!」
口々に香椎を盾にする征生と論手は、こういう時に限って無駄に息が合う様を見せる。慌てた香椎は反射的に謝罪を口にしていたが、全く的外れな行動であると気付いてはいないのだろう。何か悲しい解釈をされている事は祝に対する複雑な感情を思い起こさせ、來見を一層惨めな気持ちにさせるだけであった。
來見としては色々と言いたい事がある。しかし浦部の救助を手伝ってもらった手前、深く追求する気にもなれない。結局は大きく深呼吸をする事で不服だという態度を示すだけに留め、軽く聞き流す事にしたのだった。
「……もう良いよ。ていうか、何で俺が振られたみたいな雰囲気になってんだ」
「あ、いちゃついてたのは否定しないんだ。へぇー……」
來見としては小さく遺憾の意を表明しただけのつもりであったのだが、目敏い論手は言質を取るように指摘を加えてくる。
來見は咳払いをして追及を誤魔化したのだが、その態度が答えだと思ったのだろう。論手は訳知り顔をして鼻で笑いつつも、これ以上の干渉は止めてやろうと言わんばかりに口を閉ざすのであった。
論手の温情を感じ取りながらも來見の内心は動揺を続けていた。この様子を見ると來見の現状を隠し続ける上で油断は正しく大敵で、些細な不満さえ溢すこともできない。自分は思っているよりも隙だらけな人間である事を、來見は痛感し始めていた。
「……とにかく、お前がどう思うのかは勝手だけど!祝に迷惑を掛けるような事はすんなよ。残りの2人もな」
「はいはい」
「分かっとるばい」
落ち着かない気持ちのまま何とか絞り出した來見の忠告に、論手と征生は素直に頷く。しかし、恋愛ごとに関しては簡単に諦めないのが香椎という人間で――それも気心の知れた仲である來見に対してだからこそ取る態度なのだろうが、香椎は反省した様子もなく減らず口を叩いていた。
「でも祝の事が気になるってのは否定しないんだもんな!正直、祝の様子から見ても俺は押せば行けると思……」
「しばらくは自分で何とかするから!この話は終わりな!終わり!」
ズルズルと何時までも続いていきそうな話題を來見は強引に打ち切る事にする。その言葉は來見が祝を特別気にしていると認めるのも同然の宣言であったが、もはや露見した以上この顔触れには隠す意味がないだろう。
香椎はともかく残りの2人が嬉々として恋愛ごとについて茶化す姿は思い浮かばなかった為に、來見は開き直る事にしたのであった。
「まぁ……お前らがここにいた理由は分かった。香椎と征生は途中から目的を忘れて遊んでたみたいだけど」
話を仕切り直した來見の言葉に征生は僅かに眉を上げ、香椎は図星を突かれたように頬を掻く。
初めは來見の跡を付けていたのだろうが期待していた祝の姿が見つけられなかった事で飽きてしまったのだろう。そうでなければハンモックの上という隠れようがない場所に2人がいる筈もなかった。
それは來見にとっては都合が良くありがたい事ではあった。しかし、そのあまりの初心を忘れる速さには呆れてしまうのも事実であったのだった。
「つーか!それを言うならお前こそ、何でここにいたんだよ。用があるから帰ったって聞いてたのに」
「あぁ、いやそれは……」
來見から白い目で見られている事に気付いたのだろう。反論とばかりに追求してくる香椎に來見は言葉を詰まらせる。しかしその苦しい状況は長くは続かなかった。來見が言い訳を口にするよりも早く、間に割って入る声があったのである。
「よっ、盛り上がってるところ悪いね」
「ヨリくん」
突如として現れた従兄の姿に來見は反射的に名前を呼ぶ。その一方で、周りの友人達は見知らぬ人物の登場に呆気に取られているようだった。驚いた様子の子供達をヨリは構うことなく、話を進める為に口を開く。
「俺が呼び出してたんだよ。遊んでたのに、途中で佑斗のこと抜けさせちまってごめんなー」
「えーっと……」
陽気に理由を説明するヨリにいち早く我に返ったのは香椎であった。しかしその様子は目に見えて分かる程に困惑している。
來見は何故そのような反応をしているのか即座に理解する。そして失念していた事を補足する為に慌てて口を開いていたのであった。
「この人は俺の従兄弟。この中の誰も……会った事なかったよな」
「善知鳥 誉利でーす。以後お見知り置きを!」
來見の事実確認に友人達はおずおずと頷き、一方でヨリは敢えておどけたような挨拶を述べる。それは初対面の年下相手に緊張感を抱かせない為に取った対応として見るのなら、悪い選択ではなかったと言えただろう。
しかし親族としては年相応のしっかりとした態度で臨んで欲しかった思いもある。來見は内心の複雑な気持ちを表すように渋面を作ってしまうのだった。
「あっ、ちわっす!初めまして!」
「……こんにちは」
必死に不満を押し込めようとしている來見を他所に、友人達は思い思いの挨拶を返していた。香椎は即座にヨリの気遣いを見抜いたらしく、それに呼応するように軽い言葉で返事をする。
実際のところヨリは來見に年上は敬えなどと嘯くが、それは些細な言い合いの中で生じた売り言葉に過ぎなかった。心の底から自分にへりくだって欲しいと思っている訳ではないのは、普段から交わしている來見との気安いやり取りが証明している。つまるところ香椎は実に最適な反応を返したのだと言って良かっただろう。
一方、残りの友人はと言うと。征生は未だ距離感を掴みかねているらしく、短い挨拶と共に小さく会釈をするという無難な態度を取っていた。そして人見知りのきらいがある論手に至っては言葉を発する機会を逃し、征生に倣う形で頭を下げてその場を切り抜けようとしていたのであった。
「……その反応からすると。もしかして俺の事を付けてた癖に、一緒にいたヨリくんには気付いてなかったのか?」
「まぁ……バレないように距離取ってたしね」
個人差はあるが一様に余所余所しさを漂わせる3人の様子を見れば直ぐに察せるものではあったが、論手はその事実を隠す事もせずに肯定する。そうすると友人達の足取りは以下のように想像できた。
3人は來見の進む方向だけを確認して尾行したが、勘付かれないように敢えて間を置いていた。だからこそ、こどもの広場の入り口という目立つ場所で立ち話をしていたのにも関わらず、來見がヨリと共にいる姿を見逃してしまったのだろう。しかし來見の足取りから、こどもの広場へ向かった事だけは理解していた。
そして場所は移り、3人はこどもの広場のアスレチック付近で一人電話をしている來見を遅まきながら発見した。その姿から祝とのデートに失敗したのだと即座に結論付け、目的を失った。その為、尾行を止めて遊ぶ方向に切り換えたのだろう。論手は飲み物を買いに、残りの2人はハンモックで遊び始めたのだが――事故の被害者となりかねない浦部に目を奪われていた來見の視界には、友人達の姿が偶然にも映る事がなかったのであった。
正否をいちいち確かめたりはしないが、大凡そういう流れだったのではなかろうか。來見は納得し疑問が解消された事で一人、大きく息をつく。その横で香椎は何かを思い付いたのか、僅かに首を傾げ発言を始めていた。
「あれ?つー事はヨリさんは一人で公園に来てて……その最中に來見のことを呼び出したんすか?」
まさか従兄弟2人で桜川公園を散策する訳でもあるまいし、何故そのような行動を取ったのか。香椎の表情にはそんな疑問がありありと浮かんでいた。
しかしその反応を征生は良く思わなかったのだろう。彼は肘で香椎をど突くと、意見を封殺するかのように言葉を続けていた。
「誰にだって個人的な用事はあるやろ。人様ん家の事情に首ば突っ込むとは図々しかばい」
「……すいません、失礼な奴で」
香椎に釘を刺す役割は征生に任せ、論手は代わりに友人の非礼を詫びる。それは相も変わらず場当たり的な対応であったが、実に無難でありつつ穏当なものと言えただろう。
もしも來見が今の論手と同じ立場であったのなら、全く同様の謝罪をしただろう。そして波風を立てないように努めるに違いない。友人を見つめる來見の頭には、そんな考えが過っていたのであった。
「イヤイヤ謝んなくていいよ、そんな大層な話じゃねぇし。むしろ聞いてくれる?俺の悲しい災難をさぁ」
「えっ……」
にこやかに子供達を宥めつつも、会話を続けていくつもりのヨリ。そんな姿に思わず声を漏らしてしまったのは他でもない來見であった。このまま、それとなく話を流してしまえば適当なところで香椎の疑問に折り合いを付ける事ができた筈である。だというのに敢えて蒸し返そうとするヨリの意図が、まるで分からない。來見は従兄に厳しい視線を向けてしまっていた。
あからさまに動揺する來見だったが、困惑を隠せないのは周りの友人達も全く同じようであった。そんな状況でもレスポンスの早い香椎はいち早く気を取り直し、返事をしようと口を開く。
「……じゃあ折角なんで。どうぞどうぞ」
「いやぁ、それがさー!元々はちょっと気になってた子と一緒に来る約束してたのに、何故か!すっぽかされちゃってさぁ!」
香椎に勧められるままヨリは言葉を続けるが、それは來見にとっても想像だにしない内容であった。來見はもはや取り繕う事も忘れて従兄の顔を凝視し続けるも、ヨリは努めて涼しげな顔で嘘を付いている。但し冷静そうに見えるのは表情だけで、発された声は明らかに上擦っていた。それはヨリが言うところの気になる子が待ち合わせ場所に姿を現さなかった事に対して傷付き、自棄になっている結果にも見えなくはなかっただろう。
しかし來見からしてみれば。疑いを晴らす為とは言え、ヨリが勢いで無理を通そうとしているようにしか思えない。來見は恐らく目の前の従兄よりも焦りながらも、ボロを出さない為に黙って事の成り行きを見守るしかなかったのであった。
「……それって、今は桜のシーズンと合ってないから呆れられたんじゃないですか?」
「あぁ、情緒が欠けとったと。気ぃ回らん者は好かれんけん」
閉口した來見の横で容赦なく批評を加えていったのは論手と征生の2人であった。先程まで控えめに様子を窺っていたというのに、突如として立ち回りを変えた友人に來見は少しだけ驚きを覚える。
2人が方向転換したのはヨリに対して取った香椎の気安い態度を見てからだった。更に言えばその対応でも問題が無さそうだと判断してからなのは明らかであったが、しかしある種の世渡りの上手さも感じられる。
もしかすると親族である來見がヨリとのやり取りに何も口を出さず、静観する姿勢を取ったのも一つの要因だったのかもしれない。2人の友人にいの一番に影響を与えた香椎も、もはや躊躇する事なく更に言葉を続けていった。
「まぁ……桜川公園っていかにも桜を目玉にしてそうな名前なのに、まだ咲いてない時に誘ったってなるとなぁ」
一番温厚そうな香椎にも鋭い指摘をされた事は、ヨリへ想像以上のダメージを与えたのだろうか。辛辣な茶々を続け様に入れられたヨリは目に見えて顔をひきつらせる。
従兄の述べている内容が嘘か本当かは分からない。しかし悪意が存在していないのは間違いなかった。誤魔化す為とはいえ出任せで並べた言葉であったとしても、それに対して一切の遠慮がない意見をぶつけられ続けるのは、いくらなんでも可哀想な仕打ちに思える。ヨリを哀れんだ來見は庇うように次の言葉を口にしていた。
「ちょっと……止めてあげろよ。その人も遠回しに……桜のシーズン中にまた誘ってねって事を言いたかったのかもしれないだろ」
「いやー、無いな!」
「ないない」
「脈ない」
香椎に続いて論手は同調し、その上で征生は止めを刺すかの如く直球な物言いで來見の意見を切り捨てる。無駄に団結力のある様を見せ付けた3人は、自分達の見解が一致していると気付いた事で勢いに乗ってしまったのだろう。もはや誰にも止められることがないまま、各々が持つ持論を展開していく。
「付き合う前のお試しに最適だと名高い、公園デートにも来てくれないんじゃあなぁ……」
「ていうか公園って、年寄……熟年カップルかってチョイスじゃない?ここ、レジャー施設ではあるけどアトラクションとかは無いし。今日は天気もよくないし」
「そん辺は個人の好みやろ。ただ、遊園地にでも連れてった方が無難やったかもしれんな。待ち時間の長すぎん所とかで」
恐らくは妥当で、正論染みた言葉の数々。それを真正面で受け止めなければならなかったヨリに、來見は同情を覚えずにはいられなかった。
果たして従兄は次にどう出るのだろうか。友人達を止める事ができなかった來見は恐れと好奇心の間で揺れ動きながら、ヨリの顔色を窺う為に視線を上げる。ヨリは露骨に怒りを露わにはしてない。しかし――苛立ちにも似た焦りによるものなのか、その表情が強張っていたのを來見は見逃していなかった。
「……賢明な君達にはもう分かってるかもしれないけど。色々と失敗した俺は公園で一人、悲しみに暮れてたワケ。そしたら走ってる子供達の姿が見えて……それが後輩だって事に気付いてさ」
滔々と説明をしていくヨリの声色は酷く静かなものであった。しかしそのあまりの平坦さは妙に恐ろしさを感じさせる力も有していたように思う。
憤っていた感情が一周回って、逆に落ち着きすぎている。そんな風に來見が感じた印象は当然、他の者も同じように受け取っており――香椎は途端に顔色を青ざめさせていた。
「……えっ!先輩!?」
「あぁ、実際……出身中学、同じだったな」
來見がヨリの出身校を肯定した事で、浮わついていた気持ちが真逆の方向に一転したのだろう。香椎は正直に言い過ぎてしまった先程までの自分の失態に呆然として、視線を左右に彷徨かせる。
恐らく香椎は、ヨリが自分達と同じ中学に通っていた過去が確定したその瞬間に、互いの間に存在する関係性が想定していたものよりもずっと近い縁を持っている事実を理解してしまったのだろう。その勘の良さは、しかし香椎にとっての絶望を招いていた。
「……終わった。先輩達に、どう顔向けすれば……」
「……考えなしに喋るからだぞ?」
具体的に説明すると、香椎の先輩の先輩にあたる人間がヨリと知り合いである可能性が飛躍的に上昇したという事である。これは縦社会が色濃く残る体育会系独特の思考かもしれないが――香椎は敬愛する先輩と、その友好関係にある人物の面子を潰しかねない行いをしてしまったと気付いた。だからこそ深い後悔に襲われている。もはや無かったことにはできない過ちを嘆き、悲しみに沈んでいた。
ヨリが來見の従兄弟だからこそ油断したところもあったのだろうが、全ては香椎ひいては論手と征生自身の脇の甘さが招いた結果である。來見は香椎に生暖かい視線を向けながらも、軽率な行動はするものではないなと一人襟を正すのであった。
「泣くなって!別にお前の先輩だとか知り合いに態度がなってないとか何とか、いちいち告げ口なんかしねぇよ」
「うっ……すいません、自分達が軽率でした……」
年下の子供達に多少の揶揄をされたからと言って、ヨリは豹変して高圧的な態度を取ったりはしないだろう。しかし香椎の変わり身の早さと謝罪に溜飲を下げたところはあったようで、ヨリは良い笑顔になって言葉を続けていく。
「……とにかく!見慣れたジャージが目に入ったからさ。佑斗もいると思って呼び出してみたんだよ。要するに愚痴聞いてもらってたってワケ」
子供達が動揺している今が勝機と見たのだろうか。立て板に水を流すようにヨリは説明を続けたが、普段の姿を見ていれば嘘を付いている事は明白な様に思える。
あと少しで尤もらしい嘘の証言を終わらせられるという焦りからか、よく回る口とは裏腹にヨリの全身からは白々しさが滲み出てしまっていたのであった。
「はぁ、なるほど。……落ち込まなくても、また良い人できますよ。図太……細かい事を気にしない人とか、気が合うんじゃないですか?」
「人には相性もあるし、向き不向きもあるやろうし。……頑張って下さい」
浮き沈みの激しい香椎と違って、特に変わりないのが論手と征生であった。彼らはヨリと同じ出身校であると知っても特に大きく心を動かす事はなく、事実をあるがままに受け入れるだけだったのである。
それは2人の口にした言葉からも明らかと言えただろう。論手は僅かに失言しかけながらも棘のある言い回しを止めず、征生に至っては遠回しにヨリに恋愛は無理だという烙印を押した上で、心にも無いことを言うような淡白さで上辺だけの励ましを口にしていた。
「お、応援してますからね!マジで!」
「……なーんか物凄く惨めな気分になるから。貶すか励ますか、どっちかにしてくれ」
それとも最近のガキは皆こんな感じなのか?と小さくぼやくヨリに対して、香椎はもはや打つ手が無くなってしまったらしい。疲れたようにガックリと肩を落とすヨリを、慌てた様子で遠巻きに見ているばかりであった。
(証言はともかく、ヨリくんのあの落ち込みっぷりは演技に見えないけど……もしかして実体験だったりするのか?)
てっきり作り話をしているのかと思っていたが、信憑性を高める為にもヨリの身に起こった実際の体験を交えて語っていたのかもしれない。そう思うと香椎達の駄目出しは全て過去のヨリに突き刺さっていたという事で、だからこそ従兄は多大なダメージを受ける羽目になったのだろう。
正論というものは往々にして、見所のある様々な意見すらも吹き飛ばせてしまう強烈な威力を秘めている。今回の事例は正にその最たるものであり――全てを理解した來見は再び憐憫を滲ませてヨリを眺めてしまうのであった。
「あぁ。佑斗が携帯電話使うとったんも、そぎゃんことか」
「僕らと別れる前に呼び出されてたわけだ。よっ、校則違反。ワルだねー」
気を抜いていた來見に話し掛けてきたのは征生と論手であった。マイペースな2人はヨリと香椎についての話は既に終わった事だと判断を下したのだろう。來見にとっては幸いな事に、今以上に深く言及する様子を全くと言って良いほどに見せていなかった。
ところで征生と論手は納得しているが、その認識は間違っていた。友人の中ではマラソン大会中、あるいは來見が走り終わった後にでも携帯電話を触っていて、そこでヨリに呼び出されたと認識していたのだろう。そして合流の為に電話をした。こどもの広場で來見が携帯電話を手にしていた姿を、そのように解釈し理解していた。
しかし実際のところは、そうではない。來見はマラソン大会が始まる前にヨリへ連絡しており、現場で一度落ち合ってから二手に別れ、携帯電話を介しながら調査を行うという時系列となっていた筈である。
友人達の勘違いは前述した通り、尾行が露見しないように來見から距離を置いていたからこそ起こり得たものなのだろう。來見がヨリと相談していた姿を見ていない為に取り違えてしまった事は直ぐに理解できたが、訂正する訳にもいかない。來見は話を適当に流す事にしたのであった。
「はは……まぁまぁ、そこは……な?」
「同意を求められても困るけど?ま、他にも持ってきてる人はチラホラ見掛けたけどさ」
「今はもう放課後扱いで、写真ば撮っとっても教師は見てみん振りするやろうしな。結局んところ自己責任やし好きにすれば良か」
來見の発した全く内容の無い適当な返事に、論手と征生は気を悪くした様子もない。携帯電話の持ち込みという校則違反についても、それは同様で。2人は各々の見解や寛容さを示しつつも、積極的に擁護するつもりもないという立場を表明するに留めるのであった。
良く考えてみるとそもそも彼らは一回なら見逃されるという甘い見通しを前提にしているとはいえ、平然と校則を破ってトランプに興じるような図太さを持つ人間でもあった。当然、來見も人の事は言えないのだが、告げ口をされる心配などする必要もなかったのかもしれない。
來見は多少の罪悪感を抱えながらも胸を撫で下ろすと、事態の収拾に取り掛かる為に口を開くのであった。
「……って事でお互いに一旦、説明は終わったと思うけど。お前らはこの後どうすんの?まだ残って遊んでいく感じ?」
「んー……どうする?」
「……一仕事終えた手前、白けとらんと言えば嘘になるな」
論手は友人に合わせるつもりなのだろう。決定権を委ねるように征生へと視線を投げ掛ける。当の征生は浦部の救出に気力を消費した事に言及し、既に撤収へと気持ちが向いている口振りで香椎と目を合わせる為に首を動かしていた。
征生もはっきりとした答えを出さなかったという事は、残る香椎の裁量が今後の方針に大きく影響してくるのだろう。意見を述べるように促された香椎は未だ項垂れているヨリを気にしつつも、考える素振りを見せる。その時間は1分にも満たない間隔であったが、香椎は結論を出したようで小さく頷いて見せるのだった。
「……うん、俺達は帰るかな!疲れたし、腹減ったし」
「そっか。じゃあまた学校で……」
「あ、その前にメアド教えろよ!何か紙に書いてさ」
早く言えよなー携帯持つようになったって。別れを告げようとしていた來見に香椎はそんな事を言ってのける。來見は思わぬ指摘に目を丸くしてしまっていた。
「……あ、そっか」
(そういえば……連絡先の交換、まだしてなかったっけ)
そもそもの話。來見は友人達へ、携帯電話を所持するようになったこと自体を伝え忘れていた。
言い訳がましいかもしれないが、何せ來見は突如として未来から過去に飛ばされるという未知の体験の中にいた。兎にも角にも現状の把握に努める事で精一杯だったのである。
その上で再び送信者の分からないメールを未来から送り付けられ、事故を防ぐ為に行動せざるを得なかった。人助けに関しては自分で決めた事ではあるのだが――有り体にいえば途轍もなく忙しかったのである。友人と情報交換するのを失念していても仕方がないと、來見は自分で自分を納得させたのだった。
(前の俺は……携帯電話を貰えた事が嬉しくて直ぐに知らせてたよな。香椎は俺よりも早く持ってたから、羨ましかったのもあったし)
來見は過去の出来事に思いを馳せながらも、香椎からの要求を素直に受ける事にした。鞄の中から適当な文房具を取り出し、メモ帳に自身のメールアドレスを書き記していく。そして1つ分の連絡先を書き終えたところで、來見はぴたりとペンを止めていた。
(取り敢えず香椎に渡しておけば、残りの2人にもそのうち伝わるよな?確か論手も征生も、まだ携帯持ってなかった筈だし)
「……はい、これ」
來見の逡巡に気付いているのか、いないのか。香椎は差し出された紙切れを受け取ると記された文字列を確認し、大きく頷いて口を開く。
「オッケー。後でメールするけど、知らない相手だって勘違いして無視すんなよ?」
「しない、しない。ちゃんと登録するって」
「言質取ったからなー?よし、じゃあ……帰るか!」
香椎は手に入れた個人情報をぞんざいな扱いでポケットに突っ込むと、成り行きを静観していた友人達に顔を向ける。呼び掛けられた2人も特に異論はないようだった。論手は小さく首肯し征生は肩を竦めて帰宅への同意を示していたのである。
「じゃ、また明日ー。ヨリさんによろしくー」
「だから明日は振替休日だって。明後日の間違い」
「じゃあな」
口ではのんびりと別れを告げつつも素早く身を翻す香椎と、その勘違いを訂正しながら軽く手を上げて來見に挨拶を送る論手。そして端的な言葉だけを残して去っていく征生に、來見は何度か手を振る事で応える。
そうして友人達の姿がすっかり消えた頃になって、漸くヨリは気を取り直したようだった。足取りも重く來見へ近付くと徐に話し掛けてくる。
「……いつの間にいなくなってたんだ」
「あ、やっと戻った。香椎がよろしくだってさ」
「こちらこそヨロシク?……もしかして、こんなんだから舐められるのか?俺」
途方に暮れた様子で言葉を溢すヨリは、未だ香椎達から浴びせられた駄目出しのダメージが残っているのだろう。両手で顔を覆い自己嫌悪に陥りかけている姿に、しかし來見は今更ながらに気付いた事が一つあった。
(あっ、もしかして妙に小綺麗な格好をしてたのは誰かとデートするっていう話に、信憑性を持たせる為……?)
ヨリは身嗜みにも気を遣い、疑われた際の言い訳に反しない姿を整えていた。それはできる限りの、涙ぐましい努力の表れに違いなかっただろう。
しかしながら悲しい事に、思いを寄せる人物が現れなかった理由に対して年下の子供達から暴力的な程の正論を浴びる羽目になってしまった。必死に取り繕ってきたのにも関わらず貧乏くじを引いたような形になってしまった従兄に、來見は慰めを口にする。
「いやいや!あいつらも別に、ヨリくんを見下してる訳じゃないから!ちょっと……口が軽いだけで」
「本音ってのは……うっかり口を滑らせた時に出るもんだよなって、俺は常々思ってるワケで……」
「うわ……フォローしづらいこと言うなよ……」
さめざめと泣くように頭を垂れているヨリに、來見はつい追い討ちをかけるような言葉を放ってしまう。
本当に落ち込んでいるのなら、理屈を捏ねる前に素直に励ましを受け取って欲しい。しかしそんな本音を言う訳にもいかず頭を抱え始めたところで、來見はヨリの肩が震えている事に気付いたのであった。
「……おい、笑ってるだろ」
「はは!バレたか!何せ俺は切り替えの早い男。実はもう気にしてなかったりして!」
「まぁ、立ち直ってんなら良いけどさ……」
小さく不満をこぼす來見を見て、ヨリは何が面白いのかケラケラと笑っている。それは香椎達に疑われずに済んだ達成感や解放感からくるものなのかもしれない。感情の高ぶりの発露とも取れる上機嫌さでヨリは再び口を開く。
「んで。ダチと一緒に帰らなかったって事は、もう少し見張っていくつもりなんだろ?ちょっと警戒しすぎな気もするけど」
「あのメールが実際に浦部の事を指していたのかは分からないから、一応な。……それでも落としどころは決めないといけないけど」
従兄からの問い掛けに、來見はそう考えるに至った筋道を説明する。ヨリとしても、それは理屈が通っていると判断したのだろう。特に反論する事なく、ヨリは手にしていたスマートフォンで時間を確認する。
「指定された時間は過ぎてるから、あと30分……1時間くらい残ってみるか?」
「うん。そこまで待って何も起こらなかったら大丈夫……かな」
ヨリが一度、言葉を言い直したのは來見からの反応が芳しくない事に気付いたからなのだろう。少々度の過ぎた心配性を発揮する來見に呆れた視線を向けつつも、ヨリは最後まで付き合うつもりでいるようだった。
「じゃ、メシでも食いながらやるかぁ。適当に買ってきてやるから、お前は監視しとけよ」
「よろしく。お代は後で請求して」
「中坊から集るほど困ってねぇっつーの!ガキらしくイイコで待ってろ!」
言葉を吐き捨てて去っていくヨリに來見は思わず笑ってしまう。口調は強いものの徹頭徹尾、ヨリは來見の手伝いをしてくれていた。現に今も來見に金を渡して買い物へと走らせる事だってできた筈なのにそうしなかったのは、來見が自分の目でこどもの広場を監視していたいと思う気持ちを汲んだからこそなのだろう。
決してヨリの目を信用していない訳ではないが、未だ事故が起こり得る場所からは動きたくない。慎重に立ち回ろうと努める來見の方針をヨリは尊重してくれていたのであった。
その後、食事を行いながらも來見とヨリは事故が予告された時刻からきっかり1時間、こどもの広場で目を光らせ続けていた。
しかしそんな警戒とは裏腹に新たな事故が起こることもなく――遂に2人は人気が段々と少なくなってきた広場を後にする判断を下すのであった。
「結局、メールが言ってたのは浦部の事だったのか……」
「あのまま落ちてたらマジで大怪我してたかもしれねぇし、間に合って良かったな」
來見がぽつりと溢した言葉にヨリは直ぐに反応を返す。2人はこどもの広場のある西口エリアから離れ、駅へと通じる出入り口へと歩を進めていた。
園内の道を歩いている間にも覚えのある揃いのジャージを着た子供達の姿が見受けられたが、幸いなことに知り合いはいないようだった。來見は何かに憚る事もなく、先程の出来事について話し始めていたのである。
「でも今日の事故が本来なら起きていた事だとすると。何でお前は……その事について何も知らなかったんだろうな?」
ヨリは今日もまた未然に事故を防ぐ事ができた安堵感からか、思い浮かんだ考えを遠慮なく投げ掛けてくる。実際のところ、それは來見も同じように抱いていた疑問であった。來見は様々な可能性を考慮しながらも、より確実性の高そうな状況を挙げていく事にしたのである。
「そもそも俺達は……前の世界では噂にもならなかったって情報から、今回の事故は派手でも大規模なものでもないって考えてた訳だよな」
「おう。……つまり浦部が負う事になった怪我も、目に見えて分かるような酷いもんではなかったって言いてぇのか?」
思考を整理するように喋り始めた來見の意図をヨリは即座に見抜いたのだろう。首を傾げながらも的確な指摘を加える従兄に來見は頷いて肯定を示しながら、更に言葉を続けていく。
「あるいは浦部の気質を考えると……大事にするのを避けたくて、その場では怪我について一切言及しなかった、とか」
「んー、確かに?事故が起きてたとしても現場で大した騒ぎになってなけりゃ、お前たち中学生の耳に入らなくてもおかしくはねぇか」
來見の推理にヨリは一定の納得を示したようだった。高所からの落下という事故が原因にある怪我について。それが判明するのが桜川公園の外であったとすれば、來見達を含む中学生が状況を正しく認識できる可能性は大幅に下がっていたことだろう。事故があったと露呈する場所が現場とは違う事になれば――様々な前提が変わっていた場合には、大袈裟に言ってしまうともはや関知する余地がなくなっていたと思っても良いのかもしれない。
そして來見とヨリの推理が正しければ、前の世界での浦部の傷は激しい出血を伴うものではなかったという事実が証明された形になる。自分が直接関与できなかった場合であっても、浦部が酷い怪我を負わずに済んでいたのは喜ばしい事だと來見は考えていたのだった。
「それでも結局は。家に帰ってから痛みが出て、怪我が悪化したとかで親にバレたんだろうけど……」
「あの状況で命に関わらないような怪我は……最大でも骨折とかか?やっちまったのが肋骨とか鎖骨なら、ギプスを着けてても制服に隠れちまうだろうし」
「うん。完治とまではいかなくとも……入学式や体験入部に来る頃には表面上、健康体に見えるようになってたって事だな」
かつての状況を併せて順に整理していくと。なぜ來見が浦部の怪我について終ぞ知り得なかったのか、その理由が分かるような気がしてくる。ヨリも同じように勘付いたようで、頷きながら口を開いていた。
「胴体の骨を折ってたとしても頭やら手足に包帯が巻いてなけりゃ、怪我に気付きようもねぇか」
「うん。それにわざわざ自分から言い出す事でも無いからって、浦部は黙ってたのかもな。治療中にあたる時期……4月の俺達って、まだそこまで仲は良くなかったと思うし」
「なるほどなぁ。そんでお前らがすっかり打ち解けた頃には怪我やら事故の事なんて全く話題には上がらなかった、と」
全ては來見とヨリの想像にすぎないが、大きく間違ってはいないのだろう。來見達の介入が無かった場合に起こる、本来の事故の流れを確認した2人は納得して考察を終えるのだった。
「にしてもマジで骨折してた場合を考えるとさ、周りに隠そうとする浦部のガッツありすぎるよな!フツーに、死ぬほど痛ぇのに」
「アドレナリンが出てたから一時的に痛みが薄かったとか……浦部、良い奴だから。周りに迷惑かけたくなかったんだろうな」
「ケガを隠すのが良い事とは思えねぇけどなぁ。これが文化の違いってヤツなのか……」
「……もしかしたら怪我はしなかった可能性もあるけどな。メールの内容は事故が起こり子供が巻き込まれる、だから嘘は言ってない事になるし」
「そう考えると何の為のメールだったか意味不明になっちわねぇ?ハー……何が目的なんだか」
雑談を交えつつ、時には悪態を吐きそうになりながらも2人は帰路に就く。しかしその胸中では未だ桜川公園で起こり得る事故について気掛かりに思う心があった。
それでも一度見切りを付けてしまった以上、あとは自然の成り行きに任せる他ない。自分達が去った後に別の事故が起こらない事を祈りながらも、來見はそれらの情報収集を怠らないように気を引き締めるのであった。
「ところで、2週間も経ってないのに言うことでもないかもしれないんだけどさ」
「何だよ改まっちゃって」
家路へと歩を進める中、來見は不意に沈黙を破る。言葉を投げ掛けられたヨリは不思議そうに、しかし姿勢を正して來見へと視線を向けていた。
「館の……転送装置・第ニ号機ってどうなってる?その、色んな意味で」
「前にも言った通り、簡単に取り外せるケーブルはあらかた引っこ抜いた上でカメラで監視してる。ただ……毎日、即座に映像を確認できるワケじゃねぇから万全とは言い難い状態だけどな」
あの家に電気が通ってたら、もう少し打つ手があったんだけど。続けてぼやくヨリに來見は申し訳ない気持ちになる。機械類に強いからといって転送装置・第二号機の管理の全てを任せてしまっている現状は、ヨリに多大な負担を強いている事を來見は理解していたのである。
「簡単に通電する状態は、ニ号機がうっかり起動しそうで危なっかしいと思うし……ヨリくんの対応に不満はないよ。そもそも俺、丸投げしちゃってるから」
「あー、謝んのはナシな!俺の心の平穏の為にもやってる事なんだからよ」
來見が顔を曇らせるや否や、ヨリは背中を叩いて釘を刺してくる。状況がどうあれ、兎にも角にも湿っぽい空気が好きではないのだろう。従兄は辛気臭い話題から目を逸らすように、更に言葉を続けていく。
「カメラを回収しに行くついでに館も見て回ってるけど、今のところ変わったもんは特にねぇよ。気になる事があるならお前も一回来てみると良いかもな」
「うん、ヨリくんに全部やらせる訳にもいかないし。負担は分散しないと」
「そうだなぁ……少なくとも大学が休みの間は俺が定期的に巡回できるけど、その後の事も考えねぇとダメか。手っ取り早いのは、負担の原因を取り除いちまうって路線だけど……」
難しい顔で腕を組むヨリは口ごもり考え込んでいるようだった。もはや問い質さずとも、その道は険しく簡単ではない事が分かる。
それでも、どのくらい可能性があるのか。あるいは何処までなら実現できるのか、一度は聞いておかなければならない。そう判断した來見は、即座にヨリへと質問を投げ掛けていたのだった。
「二号機の……本体を解体する目処は、立ちそうにない?」
「正直に言って良いか?……まだ当分ムリ!」
「そりゃあ……そうだよなぁ」
先程も自分で言及した通り、來見とヨリが館の転送装置への考察を進め一旦の定義を終えてから、まだ2週間も経っていない。如何にヨリがその完成までに手を加えていたとしても、予め作製されていた部分を含めた転送装置・第二号機の全ての構造を把握するには圧倒的に時間が足りていなかった。
來見はヨリの現状を理解していながらも、少しだけ落胆する。その抑えられなかった気持ちがあまりにも声色や顔に出ていたのだろうか、ヨリは慌てて釈明するように再び口を開いていた。
「あー、できればな?解体に取り掛かるのは、ある程度の見通しが立ってから!その上で一気にガッと!やりてぇの!えー、そうだな、例えば……」
ヨリは視線を宙に巡らせる。逐一理由を説明されずともヨリが無理だと判断したのなら、來見としてはそれに従うつもりであった。
しかし來見を納得させる為にも言葉を尽くそうとする姿勢こそが、以前も述べていたヨリにとっての誠実な姿なのだろう。従兄の意を汲んだ來見は大人しく、続く言葉を待つことにしたのであった。
「テレビのリモコンに使われてる電池があるだろ?アレは普通に使ってる分には安全だが、液漏れした場合は別だ。種類を問わず乾電池から発生した電解液は軽々しく扱って良いモンではねぇ」
確かに來見もそんな話は聞いた事がある。長いあいだ取り換える事もなく使用し続けた末に、劣化してしまった電池に付着する白い粉のようなもの。それは素手で触ると火傷を負うだとか目に入ると危険だとかで、対処する際には細心の注意を払わなければならない。朧気ではあるが、そんな性質だった筈である。
しかし、それが転送装置・第二号機やその解体についてどう関係してくるのか來見は掴みかねていた。來見の口からは真意を探ろうとする言葉が無意識にこぼれ出ていたのである。
「えーっと、つまり……?」
「蓋を開けてみるまでは表面上、安全そうに見えても中身はそうじゃないかもしれねぇって事だ。解体途中に……専門的な知識が必要になってくる可能性もあるしな」
「要するに……二号機に取り扱いが危険な材料が使われていないか、調査してから解体したいって事か。……合ってる?」
色々と言葉を重ねていたがヨリの掲げる主張とは、つまりそういうことなのだろう。他に頼れる人間もいない今、おおよそ全ての作業をヨリが負担する事を思えばその言い分は実に尤もなものであった。
そして実際、來見が真意を確かめるように返した言葉にヨリは大きく頷いている。
「そういうこと!俺が知ってんのは起動前の状態で、今は未知の変質をしてる可能性もあるし。そんで、いつ見通しが立つかっていうのは……俺ひとりで最後まで作業できるかの検討が必要なワケで」
「やっぱり解体は……暫くは難しい、か。……うん、そうだな。無理に急ぐ必要はないと思う。焦りは禁物って先人の言葉にもあるし」
「いやー、そう言ってもらえるとコッチとしても助かるわ。できるだけ早急な全容の解明を目指して、最善は尽くさせていただきますよ」
空気を緩ませようとしたのか、おどけて返事をするヨリに來見は思わず頬を緩ませる。
言ってしまえば現状、館の転送装置の解体は当分先になるだろうという事実は変わっていない。それでも、どうしてその判断をするに至ったのかという明確な理由を知れた事は、來見に大きな安堵感を与えていた。
恐怖とは往々にして、判然とした未知なるものに対して抱く感情だと聞いた事がある。來見は今、ヨリと意見の擦り合わせと情報の共有を行い、転送装置・第二号機への当面の扱いを決めた。それは恐怖の対象に折り合いを付ける事ができたという事で――來見は自分でも気付かぬ間に抱いていた漠然とした不安から、やっと一歩抜け出す事ができたのであった。
「前にさ。ヨリくんが冗談で……転送装置を館ごと燃やして吹っ飛ばしちまおうって言ってたこと、あったじゃん」
來見は心が軽くなった故の浮遊感からか、つい口も軽くなってしまっていた。これから話す内容は本来言うべきではなかったものなのかもしれない。しかし、もはやそれを実行に移す事はないだろうという判断から、來見は言葉を続けていたのであった。
「イヤ吹っ飛ばすとまでは……言ってたな。で、それがどうした?」
「うん。俺、あの時は反対したけどさ。二号機が置いてある、あの一室に限って言うなら……悪くない案だなって少しだけ思ってたんだ」
不思議そうに続きを促したヨリであったが、明らかにされた來見の告白には目を見開いて驚いているようだった。
自分で言うのもなんだが、來見はそれなりにきちんと規則を守る性質をしている。それを証明するように、あの場では他人の持ち家を破壊するなど言語道断だと、はっきりとした態度で示していた。
しかしそんな來見の中にも、手っ取り早く問題を解決できそうな手段と心が楽になれる方法があるのなら――それが倫理に反していたとしても、確かに縋ってしまいたくなる気持ちは存在していたのである。
「でも今の話を聞く限り、やっぱり無理だよな。考え無しに手を出した結果、何かヤバい化学反応でも起きたら……周辺に被害が広がる上に、まず俺達が死んじまう」
それはヨリの話を聞いたからこそ出てきた結論であった。來見は心の何処かで既に完成している機械なら、破壊する分には大きな危険はないと考えていたのである。
しかし現実的に考えると、電池などの身近なものにさえ扱いを慎重にしなければならない時がある。來見はヨリから指摘されるまで、そんな明白な事実すら失念していたのであった。
「ていうか、家から出すゴミだって危険物はちゃんと分けなきゃ駄目なのに……転送装置なんて訳が分からないもの、軽率に扱えないのは当たり前だった」
「……電子機器を物理的に破壊するのは割りと簡単だ。ただ……事前調査を済ませないままに極端な方法を取る事は、安全性を犠牲にするのも同然で。勧められたもんじゃねぇのは確かだな」
來見の声色に自身の浅はかさを呆れ恥じる気持ちが滲んでいた事に気付いたのだろうか。ヨリは露骨に來見を慰める事はしなかったが、追い討ちをかけるようにその落ち度を責めたりもしなかった。
恐らくヨリは來見が自身の間違いを認め反省した姿勢を尊重し、安易な言葉を掛ける事を止めた。それは來見に電子機器への扱いに対する危険性を周知する為もあったのだろうが、従弟の成長を見守ろうという兄心もあったのかもしれない。ヨリは淡々と事実を述べてはいたが、その口調は実に穏やかなものであった。
來見は全てを飲み込み、理解した事を示すように一度首を縦に振る。そして再び、ヨリに対して宣誓するかの如く口を開いていた。
「うん。だからやっぱり、解体のタイミングはヨリくんに任せるよ。俺も二号機について知る努力はするけど、やっぱりずっとヨリくんの方が詳しいだろうから」
「おう!任せとけ!……精々、俺の技術力が足りてる事を祈りながらな!」
「……格好付かねぇなぁー」
満面の笑みで朗らかに、しかしやや頼りない返事をするヨリに來見は呆れた視線を向ける。
思わず毒づいてしまった來見であったが、もはや不思議と不安はなかった。來見とヨリは先程よりも軽い足取りで桜川公園を後にするのであった。
余談ではあるが、帰り道の途中。電車の中で、來見は香椎から一通のメールを受け取っていた。記された内容は桜川公園以外のおすすめデートスポットと称された、遊園地などの娯楽施設の一覧。來見はそれを目を細めながら怪訝な表情で見つめる羽目に陥っていたのである。
ご丁寧な事に各々の施設について、短文ながらも何故勧めるのかという理由まで載せられており、その量と勢いからは香椎がヨリを揶揄してしまった件をかなり後悔している様子が窺えた。
いくら何でも気にしすぎだと思うが、ここで無視をするほど來見も薄情ではない。勝手に代弁する形ではあるがヨリは全く問題にしていないという点と適当な感謝の言葉を添えて、來見はメールを送り返す事にする。
そして最後の仕上げに香椎からのアドバイスを丸ごとヨリのスマートフォンへと転送すると、來見はまるで一仕事終わらせたかのような清々しさで携帯電話を懐にしまうのであった。
そして、とうとう來見は日付の変更を迎える。帰宅してから後、桜川公園について調べるのを止めなかった來見であったが、終ぞ問題が起きたという情報を目にする事はなかった。事前に考察していたように事故が小さすぎた為に露呈しなかった可能性もあるが――桜川公園で起こる事故については、その心配は杞憂だったと言えるのだろう。
色々と考えてはいたが、実のところ初めに思い付いた推理が最も正解に近かった。時には単純で明快な、予測しやすい事故も起こり得るということは一つ教訓となったかもしれない。
安直な想像だからといって軽視し過ぎるのは悪手である。現場の状況を観察し有力な候補を絞っていく間に複数の案が浮かぶのは当然だが、それらの起こり得る可能性が同程度であるならばきちんと留意しておく必要がある。今回の件は、それを改めて気付かせてくれたのかもしれない。
來見はまた学びを得ながらも、今日は浦部の助けになれた自分を褒める。そのまま満足した気持ちで目を瞑ると、程無くして深い眠りに落ちるのであった。




