20-1 マラソン大会
伏山座ショッピングモールでの事件から数日後。特に問題が起こる事はなかったが、一つだけ新たに増えた情報があった。
それは事件の主犯格の女と共犯の男の怪しげな行動が、伏山座ショッピングモールの監視カメラに収められていたという事。どうやら他の犯行現場では終ぞ出てこなかった映像らしく、主犯は犯行が成功し続けた結果、最後の事件では調子に乗って油断していた可能性も指摘されていたのだった。
しかし何にせよ、來見は穏やかな日々を過ごしていた。
そして迎えた金曜日。多くの学生にとっては一週間の授業が終わる日。その昼休みに來見は友人達と談笑していたのである。
「はぁ……」
「何?ため息なんかついちゃってさ」
何処か物憂げな表情を浮かべた香椎に論手は眉を上げる。怪訝そうに覗き込まれた香椎は再び小さく息をつくと、両肘を机の上に立てては、口の前で指を組んだ。
「自己採点の結果がさぁ……」
口ごもりながら言葉を溢す香椎。発された僅かな単語は、彼が一体なにを気にしているのかを端的に表していた。
しかし來見は首を傾げる。数日前に終わった入試試験は未だ結果が出ていなかったが、香椎は問題なさそうにしていた筈である。疑問に思った來見は、つい問いを投げ掛けていた。
「この前は総合得点が合格ライン超えてるって、言ってなかったっけ?……まさか計算間違いしてたのか?」
「いや、それは変わってないんだけど」
目を伏せて返事をする香椎に來見は胸を撫で下ろす。確か塾が独自に出している合格ラインは、かなり精度が高かった筈である。一先ずは再び伊斗路高校に通えそうだと來見は内心喜んでいたのだが、それでも香椎には気に掛かるところがあるようだった。
しかしその口は重く、なかなか本題に入ろうとしない。常に無い姿に來見は心配をし始めていたのだが、他の友人達はそうでは無かったようだった。
「じゃあ良いでしょ。何をそんなに落ち込んでんの?」
「はっきりせんな。早う言えや」
「コイツら、全然優しくねぇ……」
論手と征生は口々に先を促し、さっさと本題に入らせようとする。両者の顔には來見から見ても確かに鬱陶しそうな表情が浮かんでおり、それを正面から受けた香椎は蟀谷の辺りをひくつかせていたのであった。
「まぁまぁ……それで?何が気になってんの」
來見が仲裁に入るように香椎の心情を尋ねると、彼はまたしても一つ息をつき徐に口を開く。先程の言い方は率直すぎるものだったが、論手も征生も気になってはいたのだろう。僅かに身を乗り出して続く言葉を待っていた。
「いやぁ……国語がさぁ。思ったより駄目だったんだよ」
重々しく語られた香椎の言葉に、來見は目を瞬かせる。それは、とても意外な発言であった。香椎は自分から豪語する程には国語という教科が得意で、予習の為に手を付けていた過去問でも高得点を連発していた。
まさかそれが、よりにもよって本番で上手く行かなかったという事なのだろうか。深く尋ねても良いものか來見が視線を巡らせていると、香椎は自分から堰を切ったように話し出していたのである。
「いつもなら一番、点の取れる教科なのに!この失点がどう響くか考えるだけで……はぁ……」
香椎は嘆きながら胃の辺りを押さえ始める。試験から数日経ったからこそ、ぶり返すようにして不安が襲いかかっているのかもしれない。
(前も、こんなに落ち込んでたっけな……?正直、あんまり覚えてねぇ)
薄情かもしれないが、來見は本当に忘れてしまっていた。というのも当時も今も、それが重大な出来事だと認識していなかったからだろう。
以前の來見は香椎なら問題なく試験を通るだろうと楽観視していた上に、今の來見には間違いなく香椎は合格するのだという確信があったのである。
前者に関しては総合得点が合格ラインを超えていたから。後者に関しては実際に伊斗路高校に通っていたという事実がある時点で、疑いようもなかったと言えた。
しかし、それは香椎の不安を見過ごしていたという事なのだろうか。來見はモヤモヤとした気分を抱えつつも、気になっていた点を征生に尋ねてみる事にした。
「……今回の国語、難しかったのか?」
「どうやろ。人によるんじゃなかと?」
香椎と同じ日に別の高校で一般入試を受けていた征生に聞くが、はっきりとした答えは返ってこなかった。であれば次は論手に話を振ろうとも思ったのだが――彼は彼で自校作成に挑んでいた為、共通テストを受けていない部分もある。解いてもいないテストについて、実感を尋ねることはできなかった。
「終わったことを考えても仕方ないよ。何回確認しても得点が変わる訳ないし」
「ストレスで腹に穴ぁ空けるのも下らんしな。勉強から解放された自由を謳歌すべきやろ」
論手と征生の淡白な言葉は、それでも今の香椎には激励のように染み渡ったのかもしれない。往生際の良すぎる2人を眺めて、香椎はゆっくりと首を縦に振る。
「……おう、そうだな。良し、試験の事はもう忘れる!いま考えるべきなのは、間近に迫ったマラソン大会の方だろうしな!」
宣言通りに明るく切り替えた香椎であったが、その言葉を聞くと次は論手が鬱屈とした雰囲気を醸し出し始める。椅子に全身を預け、銀縁の眼鏡の奥にある目は教室の天井よりも遥か上空を見つめているようで。論手は苦々しげに言葉を続けた。
「ついに、明後日か……」
論手は悲痛な表情を浮かべ、やる気の無さを隠しもしない。その内心は運動が得意でない來見にはとても共感できるものであったが、論手のマラソン大会への忌避感は計り知れないほど大きいのだろう。
消沈する論手を横目に征生はポツリと言葉を溢す。
「脳ば酷使したて思うたら次は体か。俺は嫌いじゃないけど」
「へっ、良いよな。体力が有り余ってる奴はさ……」
征生の発言は単なる感想であったのだろうが、論手の気に障ったようだった。鼻で笑いながらも論手は征生と、ついでに香椎に対して恨めしげな視線を向ける。
崩れた口調からも予想以上に心が荒んでいる事が分かり、今でこうなら本番はどうなってしまうのか。來見は新たに心配ごとが増えてしまっていた。
「ばってん授業は授業や。ええころ加減、腹くくれや」
「分かってるよ……分かってるけど、愚痴くらい言っても良いでしょ。はぁ……誰か代わりに走ってくれないかな」
征生の正論は尤もなものだと論手も理解しているのだろう。それでも、どうにもならないと分かっているからこそ、不満を吐くだけ吐いてスッキリしたかった。一連の言葉には、そんな論手の気持ちが見え隠れしていたのである。
征生はそんな論手を見てやや不服そうに眉根を寄せはしたが、それ以上に何かを言うことはなかった。それは論手が具体的な解決策を欲している訳ではなく、単に同調してほしいだけだと見抜いたからなのかもしれない。
駄目なものを見るような視線を向けつつも、自分が押し黙る事で言い合いを避けた。征生の姿はそんな風に來見の目に映ったのであった。
「そこでズル休みをする選択が出てこないところは、論手の真面目なところだよな」
「だってそれは……ただの逃げでしょ。嫌だからって理由だけで欠席するのは……バ……賢くない判断だと思うね」
來見の軽口に論手は腕を組んで、自分の理屈を述べていく。途中、バカのする判断だ、と言い掛けて止めたのは実際にその手段を取りかねない人々に対する配慮が働いたのかもしれない。
何にせよ、論手がきちんと参加を表明している姿は、学生としては当たり前の事であっても立派な選択と言えただろう。横で聞いていた征生は首を何度も縦に振り、最低限の根性はあるようだなと認めているようだった。
「キツいなら先生の見てないところで歩いちまえば?前と仕様が変わってなけりゃ、バレないんじゃねぇの」
「まぁ……先生達はチェックポイントごとにしか立ってないから、ずっと監視されてる訳ではないだろうけど」
呑気に提案をする香椎は優しさから、そう言ったのだろう。來見はその発言を補足するように言葉を引き取ったが、事はそう簡単ではないと直感していた。
それは論手も同様だったようで、その案に潜む問題点に容赦なく指摘を加えていく。
「普段の授業で記録取ってるのに、横着が気付かれない訳ないでしょ。一発アウトだよアホ香椎」
「あ!?アホじゃねぇわ!」
論手は持久走で計測された今までのタイムから、マラソン大会で出すであろう予想記録が簡単に割り出せてしまう事。それによって手を抜けば直ぐに勘付かれてしまう点を香椎に向かって言い放っていた。
香椎は初めはその的確な意見を、耳の痛い様子で大人しく聞いていた。しかし、ついでのように付け加えられた煽りには黙っていられず、つい声を上げてしまっていたのである。
「はぁ?どっちが真のアホか、今ここで決めようか?」
「アホな理由で喧嘩始める真のアホ」
話は思わぬ方向に逸れていってしまっていた。香椎に反応せずにいられなかった論手と、ぽつりと言葉を溢した征生が更にその寄り道を加速させていく。
「罵倒する時だけ流暢になるな!エセ方言!」
「……せからしか」
「何だって?通じる言葉でお願いできますか?」
「あぁ、また始まった……」
論手の矛先がいつの間にか征生に向けられている。それは普段からもよく見られる光景ではあったが、論手は征生に対して少々言葉が過ぎるきらいがある。
征生自身は問題にしていないのだが、傍目で眺めている來見としてはそのやり取りに気を揉んでしまうのも事実であった。心配しつつも呆れたような心境が思わず口から漏れ出てしまうのも、仕方のないことだったのである。
「俺は標準語分かるけど、そっちは理解しようとする努力すらせんのは怠慢ばい」
「くっ……郷に入っては郷に従え!」
「俺がこん口調で困ったことが今までに合うたか?迷惑掛けとらんやろうが」
「うっ……ぐぐ……」
征生の訛りは言う程、強烈なものではない。というのも出身は南の方でも中学校に入る頃には既にこちらでの生活が長く、標準語と訛りがないまぜの状態になっていたのである。
論手は咄嗟に思い付いた尤もらしい決まり文句を持ち出すも、呆気なく言い負かされる。
征生の言う通り、來見達は今までに彼との意志疎通で困ったことは一度もなかった。正論に重ねられた正論に、論手は眼鏡を手で押さえ歯を食い縛るばかりだったのである。
「言い返せんのが何よりん答えばい。俺が正しか」
「ケッ、唯我独尊ヤロウの癖に……」
論手の捨て台詞を最後に、争いは一応の決着を見る。その裏で勝負の行方を見届けた來見と香椎は、ひっそりと息をつくのであった。
「カッカすんなよ。真のアホより真の大富豪を決めようぜ。はい、トランプ」
香椎は論手にアホ呼ばわりされた事も忘れ、場の空気を和やかなものに変える為に口火を切る。しかしその手段として提示された遊びは本来なら見過ごしてはいけないものであった。
「……香椎くん?校則って知ってるかな」
「今日だけ!一回だけだって!それに、この時間は先生こないからセーフ!」
「自己採点の結果に落ち込んでた癖に、トランプを持ち込む余裕はあるんだ……」
「よう分からん情緒ばい」
來見の細やかな忠告や、立て続けに述べられた論手と征生の感想を香椎は軽やかに無視をする。そしてそのまま、どこ吹く風でカードを配り始めていた。しっかりと教師の巡回ルートと時間を把握している抜け目のなさは感心しても良いのかもしれないが、來見は香椎に白い目を向けてしまう。
確かに教室の隅でこっそりと持ち込んだ遊びに興じている生徒は少なくなかった。バレても没収されるだけで重篤なペナルティはないと考える者が、この時期になると増えていたのである。
計算高い者は寒さ対策に持ち込んだ膝掛けの下などに隠し、一見すると普段通りに談笑しているように装っていた。それでも視線が下に落ちたままになる不自然さで、見破られる事も多かったのだが。
「……一応、注意はしたって事で」
「うんうん。先生に見付かったら香椎のせいって事で」
「自分から盾になるとは、素晴らしか献身性や。柊ん事は忘れんばい」
來見は一応の釘は刺したという体で、最低限自分の役割は果たしたのだと判断する。その上で、遊びに参加しないという考えはなかった。以前にも経験した能動的に校則を破るという好奇心に、負けてしまっていたのである。
それは論手と征生も同じようで、2人は特に異論もなく配られたカードを手に取っていた。その心は口にした通り、いざという時は香椎を人身御供にして逃げるという最低な部類のものだったのだが。
「何で俺だけが怒られる流れになってんだよ。参加した時点でお前ら全員、共犯だからな!」
「冗談だって。バレたら俺も一緒に説教されてやるよ」
「ふーん?どうだかなぁ……」
憤慨する香椎に來見は即座に労る言葉を掛ける。それはこの後、教師に発見される事はないという経験則から出た言葉であったのだが――確かに疑いを持たれてもおかしくはないくらいには、自分でも驚く程に白々しく聞こえていた。
まるで自分だけは香椎の仲間だと、いい顔をしてしまったようで。來見は僅かばかり自己嫌悪に襲われていたのである。
「見付かったところでさ。没収の後、ちょっとした注意で終わるでしょ。次が無ければ、僕らなら大丈夫だって」
「注意すべき人間は他におるやろ。アレも何とかでけん癖に、俺らにだけ大きな口叩く権利はなか」
急に落ち込んだ來見に気付いていたのかは定かではないが。論手は日頃の品行方正な学生生活を盾に楽観視をし始め、征生に至ってはもはや別の問題にすり替えようとする節を見せる。
アレとは來見と同じ中学校に所属する――ごく一部の、非行に走っている人間の事を指していたのだろう。確かに教師は彼らの扱いに手を焼いてはいたが、それはそれ。
來見達がこれからしようとする事は、校則違反の何者でもなかったのである。
「程度の差はあれ、校則違反には違いないから……注意されたら止めるべきだろうな」
「それこそ不良と一緒にされたくなけりゃあな!良し、手ぇ出せ。ジャンケンして順番決めるぞー」
來見の意見に香椎は頷き、しかしそのまま続行の判断をする。大富豪というゲームにはダイヤの3を持つ者が親となるルールもあるが、來見達はそれを知らなかった。
もはや止めようとする者がいない場で。來見達はまず最初の親を決める為に、運任せの勝負を始めるのであった。
「桜川公園で走るコースって決まってたと思うけど、プリントに書いてあったりしたっけ」
「覚えてねー。毎回、確認してねぇし」
悪くはない手札を眺めつつ、來見は手堅く比較的小さな数字から一枚ずつ場に出していく。香椎は眉をひそめながらも素早く自分が出す手を決めると、カードを上に重ねていった。
「学年ごとにコースが違うとは知っとる」
「看板とか誘導する先生がその辺に立ってるし、そこで判断できるでしょ」
來見達の参加するマラソン大会は桜川公園という、中学校から遠く離れた巨大な敷地面積を誇る公園で開催されていた。毎年のように同じ場所で行われはするのだが、学年が繰り上がる事で走行距離も伸びていく。それに伴って生徒達が走るコースは征生の言う通り毎年のように変わっていた。
普段から公園に出入りしている人間なら迷うことも無いだろうが、年に1回しか足を運ぶ事がない者もざらにいる。來見は正に後者に該当する人間であり、論手の助言を受けつつも弱音にも似た独り言を溢してしまうのであった。
「……帰ったら一応、確認しておくかな」
「真面目だねー」
感想を述べながらも論手は何食わぬ顔で強い手札を切っていく。それよりも強いカードは存在しているが、今は勝負所ではない。他の2人も同じ考えであったのか、論手に続くカードが出されることは無かった。
積み重なったカードが横に流された事で、場は仕切り直される。最後にカードを出した為に親となった論手は、続いて同じ数字のカードを2枚ずつ出していった。
「ま、最悪迷子になっても後ろから来る人を待てば良いんじゃね」
「それで、全員纏めて迷子になったら面白いけどな」
カードが重なっていく中で発された香椎の呑気な言葉。それは走る方向を見失った人間からすれば妥当な判断と言えたのだが、來見はつい思い浮かんだ間抜けな状況について口を滑らせてしまっていた。
特に受けを狙った発言ではなかったのだが、論手は面白がって來見の言葉に乗って来る様子を見せる。
「集団迷子事件か!語り継がれそうな愉快なワードだ。それで来年からの開催場所が変更されたら、もう言うことなしだね」
「こんアホが、そんなの不名誉すぎるやろ。喜ぶんじゃなか」
「まだ起きてもいないことに、ケチつけられる謂れはないね」
「……減らず口め」
いきいきと顔を輝かせる論手と、それを窘める征生。再び始まりそうな言い合いであったが、察した香椎が会話に素早く割って入る。
「いやー開催地の変更については案外、喜ぶ人もいそうなんだよなぁ。現地集合がダルいって言う奴もいるし」
「続いてきた伝統ば破壊するのはどうなんや。変えるとしても必要になった時で良か」
「保守的だね、全く」
話の方向性を変えようとした香椎であったが、征生は何処までも我を通そうする姿勢を崩さない。それに対して論手が挑発するようにいちいち指摘を加えていくせいで、征生は眉間に皺を寄せる。
仲が悪い訳ではないのに、どうしてこうも互いに突っ掛からずにはいられないのか。來見は苦笑しながらも間を取り持つように言葉を続けた。
「どっちの言い分も分かるけど、自分のせいで下の世代が巻き込まれるのは嫌かもな」
「後々にまで響く問題を残すだけ残して卒業とか……。ヤダよ俺、恥さらし呼ばわりされんの」
「ある意味、伝説的だけど。ちょっと……前代未聞すぎるよな」
香椎と來見が会話を始めると。征生は「まぁ、世間一般で見ればそうだろうな」と満更でもない顔をして、論手は「よく分からないが、そういうものなのか?」と疑いながらも飲み込もうとする雰囲気を漂わせる。
それでも論手は言わずにはいられなかったのか、その内心を口にしていた。
「卒業した後の事とか関係ないし、どうでも良いのにな」
「そう思わん人もおるってことや」
「……めんどくさぁ」
「人の意見は十人十色って事。はい次は俺が親ね、文句あるならトランプで勝負つけろ~」
ぼやき始めた論手を横目に香椎はカードを横に流す。再び仕切り直された場で、一行はトランプに興じ続けるのであった。
「マラソン終わったら現地解散だろ?遊んで帰ろうぜ」
「おう」
「大体、皆そうしてるしな。入場料も勿体ないし」
香椎が不意に上げた提案を断る者は誰もいなかった。マラソン大会の開催地である桜川公園には、様々なアクティビティに特化したエリアが点在している。有り体に言えば遊び場所が多く、折角の機会を棒に振る選択肢は端から存在していなかったのだった。
「先生も散策してたりするしね。はい、上がり」
「あっ、俺もあと少しだったのに。くそー」
「香椎は勝負に出るの早すぎ。じっくり冷静に考えつつも、流れがある時にガッと行く。これぞ勝利の方程式だね」
のんびりと補足を加えた論手は、しれっと一番に手札を消費しきっていた。香椎は勝者から助言を与えられるも納得できなかったようで、悔しげに口を開く。
「ただの運だろ!適当言いやがって」
「でも一理あるよ。無難な手を打ち続けた結果、俺達はこうして取り残されてる訳だし……」
「上がり。ついでに革命」
「嫌がらせしてから上がるな!話の途中に!」
香椎を宥めようとした來見の横で、征生はちゃっかり勝ち抜けていく。4枚のカードが同時に出された事で起きた革命というルールは、カードの強さを逆転させる。それは今までに弱い手の扱いをされていたカードが残されていなければ、この先の手札に困るという事で――香椎の言う通り、泥仕合を誘発させかねない場を荒らす行為に違いなかった。
「良い手が残っとるなら勝てるやろ。次、佑斗ん番」
「……來見?お前は俺のこと置いていかないよな?」
「いやぁ……」
香椎のすがるような目から視線を逸らし、來見は曖昧な返事をする。その指は残していた8のカードを迷い無く出していて、8切りというルールで強制的に場を流していった。
「來見?」
「潔う諦めろ。勝負に置いていくも糞もなか」
來見は5のカードを2枚出して様子を窺うが、香椎に打つ手はないようだった。更に仕切り直された場へ、來見は確信と共に最強――から1つ下の数字を一枚だけ出していく。
「……ごめんな!」
「あぁー!」
來見の出した4のカードに、やはり香椎は打つ手が無かったようだった。突っ伏して情けない声を上げる友人を横目に、來見は1という革命下のルールでは雑魚手でしかない手札で上がっていく。
ジョーカーを加えるルールであったなら、それが香椎の手中に収まっていたのなら。それならば、あるいは結果は違っていたのかもしれない。しかし勝負は無情にも決着するのであった。
「せからしか」
「香椎はいつでも面白いよなぁ」
先に勝ち抜けていた2人は高みの見物を気取っていたが、その態度が癪に障ったのだろう。わざとらしくうつ伏せていた香椎は勢い良く顔を上げ、カードをかき集めてシャッフルし始める。
「……もう一戦だ!次は勝つ!待ってろ論手、お前のこと都落ちさせてやるからな!」
「大貧民の癖に下克上の予告とか、負け犬の遠吠えは気持ちいいねぇ」
「強者には挑戦ば受くる義務がある。まさか断らんよな、大富豪?」
頂点の座から引き摺り下ろす宣言をする香椎であったが、論手は無理に決まっていると断定するように鼻で笑っている。しかし征生からの煽りには反応せざるを得なかったのか、一転して表情を無くしていた。
「フン、ただの富豪が何か言ってるよ。……でも良いだろう!この大富豪が胸を貸してやろうじゃないか!」
「よく言った!じゃあカード配るぞ!」
論手の言葉に香椎は盛り上がり、ただのカードの配布にさえ力を込め始める始末。白熱していく勝負の様子を來見は置いてかれたようにぼんやりと眺めていた。
「論手も大概、調子乗りだよなぁ……」
「群雲は詰めが甘か。都落ちさせるのは誰でも良かけん。精々、調子に乗らせておけ」
「論手を焚き付けたのは、そういうことね……策士って怖ー」
ルール上は大富豪以外の誰かが最初に勝ち抜けた瞬間、問答無用でその大富豪は大貧民に落とされる。残りの人間は勝負を続ける事になるが、負けても最下位にはならない。征生はそれを狙っていたのだろう。
富豪である征生は大貧民や貧民のように強いカードを大富豪に差し出すルールを課される事はなく、現状では一番に次の大富豪を狙える位置にある。香椎にターゲットを逸らせつつも虎視眈々と勝ちを狙いに行く征生に來見は少しだけ、ひっそりと戦慄するのであった。
下校時刻を迎えた來見と香椎は揃って帰路についていた。学校に用がある訳でもなかった為に、早々に校舎を後にしていたのである。
「昼休みの戦績。結局、五分五分だったな」
「途中から、いかに1位を都落ちさせるかで足引っ張りあってたからな。もはや別ゲーになってた」
「蹴落とす為に結託してたからな……手のひら返しが酷い、醜い争いだった……」
來見が言い始めた話であったが、楽しく振り返るには少し難しい見るに堪えない争いが起きていたようにも思う。互いに遠慮が無さすぎると、ああいった展開に陥りがちなのを來見は改めて実感していたのであった。
「でも面白かったし!……お前も、もう変な遠慮しなくて良いんだからな」
「……あぁ、そうだな。試験はもう終わったんだし」
香椎が何に対して言及しているのか、來見は直ぐに理解した。來見が過去に飛んでくる前から取っていた行動の数々。C世界での來見も全く同じようにしていた受験期間中の態度について、香椎は述べていたのである。
「推薦合格とか凄ぇ事なんだから、萎縮する必要ねぇのに。空気読める奴は辛いな」
「俺が勝手に、そうしてただけだから。それに最近はそうでもなかっただろ?」
「言われてみれば……?いや、俺も勉強で頭パンクしてたから、気付く余裕は無かったかも」
推薦で入試を終わらせた直後の、來見としては。それを後ろめたく思う必要はないと分かっていながらも、やはり何処かで未だ受験真っ只中の友人に遠慮している気持ちが確かにあった。
自分だけ楽をしているような罪悪感と、勉学に励む友人に何を言っても嫌味にしか聞こえないのではないかという疑問。そんな風に思い悩んでいた事が、來見の行動の端々に表れていたのだろう。
しかし、それもC世界の來見の意識が融合した事で成りを潜める形になった。何故ならその葛藤は既に乗り越えていたし、言い方は悪いがそれよりも考えなければならない事が山積みであったから。
近しい友人達は軒並み志望校に合格すると分かっていた安心感も手伝って、ここ最近の來見は変に自分と彼らの立場の違いだとかを意識する事は無くなっていた筈なのである。当の香椎は気付いていなかったようだが。
兎にも角にも來見の中には、やっと他の友人達と同じラインに立てたような喜びも変わり無く存在していた。だからこそ、受験というストレスから解放された彼らと心置きなく遊ぶのは本当に楽しかったのだった。
「お前こそ、すっかり元気になって良かったよ。……試験結果については、あんまり思い詰めんなよ」
來見は結果が大丈夫だからとは言わない。もしかすると変わっているかもしれない未来に確証は持てず、今の段階では無責任な発言に違いないから。
それでも香椎は気を遣われた事は分かったのだろう。眉尻を下げて複雑そうな表情を浮かべたものの、口元には笑みを作り小さく頷くのであった。
「……おう!そうだな!じゃ。俺、本屋寄って帰るから」
「また明日……じゃなくて月曜日。マラソン大会でな」
片手を上げて去っていく香椎に來見も同じように答える。その背が小さく遠ざかっていくのを眺めながら、來見は再び友人達との勝負を回想していた。
「勝利の方程式……無難な手を打ち続けるのも、勝負を掛けるのが早すぎても良くない、か。……今後の参考になるのかも」
論手の持論が正解なのか不正解なのか、どちらなのかは分からない。はっきり言ってしまえば状況によるとしか形容できない気もするが、肝要なのは時流を読んで時には思い切りの良さを出せという事だろう。
いつか何処かで適用されるかもしれない。そんな案の一つとして來見は頭の片隅に置いておくことを決める。そして、休日を挟んだ後に待ち構えるマラソン大会を少し憂鬱に思いながらも、自宅まで足を進めるのであった。
2月28日、月曜日。マラソン大会の本番当日。
來見はジャージ姿で電車に揺られながら、ぼんやりと窓の外を眺める。良くも悪くもない天気。崩れそうにも思えるが、そうではない事を來見はうっすらと覚えていた。
(もしも雨が振るのなら滑りそうで危ないけど。確か日差しも少ないままで、ずっと曇りだったんだよな)
小雨程度なら大会を中止する事はないという通達もされていたが、どちらにせよ雨に降られた記憶はない。走って汗をかく事を思えば、日が差さない点においてはマラソン日和として最適と言えたのかもしれなかった。
(雨だと視界が遮られて鬱陶しいから、降られなくて良かっ……ん?)
迫るマラソン大会へ思いを馳せていた來見であったが、その考えは中断される。肩に掛けていた鞄越しに、携帯電話の震えを感じ取っていたのであった。
(いやいや、まさかな……)
一抹の不安と共に、來見は鞄を少しだけ開きこっそりと携帯電話の確認をする。同じ車両には來見と同じようなジャージ姿の生徒が散見されており、大っぴらに携帯電話を取り出すわけにはいかなかったのであった。
(あぁ、なるほど……)
來見は謎の感嘆を抱く。予感は的中し、携帯電話は未来からのメールを受信していた。そしてその日時は紛れもなく今日という日付を指し示しており、マラソン大会が終わった後に事件が予告されていたのである。
(とりあえず、ヨリくんには知らせておいたけど……)
來見は頭を悩ませる。暫くは人目がある為に携帯電話を取り出す事はできない。ヨリからの反応があろうと無かろうと、來見は一人で問題に取り組まなければならなかった。
(走ってる間にでも、対策を立てるしかない。ヨリくんが妙案を思い付いてくれていたら、ラッキーだと捉えるくらいにしておこう)
兎にも角にも予告された事柄が起こるまでには、まだ時間の猶予がある。來見は今できる事を自分なりにやるしかないと思考を切り替えるのであった。
桜川公園の入り口ゲート前では、中学生達がおおよそクラスごと学年ごとに集まっている。きちんと整列している訳ではないが、それぞれの担任の側で何となく纏まっているという感じで。その辺りを特に気にしない生徒はクラスを超えて、適当な場所で談笑しているようだった。
「おはよ」
「あ、おはよう……」
來見は鞄の上に座り込んでいる論手を見付け、挨拶の言葉を掛ける。返事をする為に顔を上げた論手は見るからに生気が抜けている。日焼けの無い顔をますます青白くさせて、か細い声を発していたのだった。
「だ、大丈夫か?何か……もはや顔面蒼白になってるけど」
「……心の底から憂鬱。一刻も早く始まって、もう終わらせて欲しい」
深々とため息をつく論手は倦怠感も露わに言葉をこぼす。一度始まってしまえば走る事しか選択肢がなくなる為、ある意味で気が楽なのかもしれない。走る直前の、いっそ仮病でも使ってしまおうかと考える余裕がある生殺しの状態の方が、論手にとっては辛そうに見えたのだった。
「俺も走るの得意じゃないけど……もう少しの辛抱だから」
「……強いて言うなら、授業の持久走は良いんだよ。慣れてるコースだし、ゴールまでの距離も分かるからさ」
論手と視線を合わせるように來見も隣にしゃがみ込む。論手はちらりと來見を一瞥すると、淡々とマラソン大会を嫌がる理由を述べていくのであった。
論手の言い分は來見にとって非常に共感できるものであった。何故、あえて学校で開催しないのか。慣れない場所で走らされる不満を論手は言わずにはいられなかったのだろう。
「うん、分かるよ。でも、ここじゃあ……距離感が掴めないからなぁ」
「全く知らないコースを、あとどれくらい残ってるのか把握できないまま走らされるのがマジで嫌。だからって大会の為に下見に来るとか死んでもゴメンだし」
「……今日を耐えれば、もう持久走もやらなくて済むからさ。俺達はゆっくり行こうよ」
荒れた口調で、もはや怒りにも似た苛立ちを漂わせる論手であったが、ここで來見が下手なことを口にしても無駄に刺激するだけだろう。
落ち着けとも、何かを責める事もせず。來見は肩を軽く叩いて、論手に共通の心構えを提示するだけに留めるのであった。
「整列してくださーい」
「入場券の配布を行います。渡された人から、順番に入園してください」
遠くで教師たちの呼び掛ける声が聞こえてくる。來見は立ち上がると論手に手を差し出した。
「俺達も行くか」
「……うん」
論手は渋々といった様子ではあったが、來見の手を振り払う事もなく自分の手――ではなく手首を差し出す。來見はそのまま論手の手首を起点に力を込めて引っ張り上げた。
されるがままに立ち上がった論手は不満を吐き出した事で少しは溜飲が下がっていたのだろうか。眼鏡を押し上げる傍らで、その顔色が少しだけ良くなっているように見えたのだった。
「とにかくゴールできれば良いんだし。走りきれることを祈ろう」
「……そーだね」
來見の極端な物言いに論手は肩をすくめて同意する。2人は担任の元へ足を進めると、香椎や征生などと合流しながら同じクラスの人々と共に入場していくのであった。
桜川公園の丁度、中心部にあたる場所。雑草混じりの芝生が広がる原っぱに生徒達は集合していた。
マラソンは学年ごとに、中学3年生だけは男女も分かれてスタートしていくのだが。走る距離の関係上、一番始めに走り出すのは來見たち3年の男子生徒であった。
荷物を置き、準備体操を終えた來見達は下半身のジャージを脱がされ、ぞろぞろと位置につき始めていたのである。
「あれ、香椎と征生は?」
「先頭の方に行ったよ。やる気があって素晴らしいね」
友人を探して辺りを見回す來見に、論手は容赦なく嫌味を口にする。どうやら先程よりも元気になったのだと判断した來見は、調子を取り戻し始めた論手を見て笑ってしまう。
「タイムは成績に関係ないのに、何を争う事があるんだか」
「んー……運動部のプライドとか?後輩に格好良いとこ見せ付けたいとか」
「ギャラリーができるのってゴール前だけでしょ。それこそ初めから飛ばす必要はないのに」
体操着だけになった寒さを紛らわせているのか、足首を回しながら論手は呟く。上半身のジャージ着用は許されているが、走る前は普通に寒い。來見も腕を組んで体を温めながら論手に言葉を返していく。
「まぁ、無駄に後方からスタートすると余計な距離を走る事になるから……戦略的と言えるかも」
「むしろそこは体力のない人を贔屓してくれたら良いのに。大体、スタート地点の横幅が狭すぎるんだよ」
眼鏡を光らせ口が回り始めた論手に來見は苦笑する。
いくら原っぱが広くても、スタートラインは全員一律という訳にもいかない。各々が自然と列を作り、好き勝手に並んでいるような状態だったのである。
論手は視力が良くない者が前方の席に優先的に座れるように、体力に差がある人間への対応があっても良いと考えているのだろう。その顔には確かに不満の色が浮かんでいた。
「まぁまぁ。そこはタイムを成績に反映しない事で、バランスは取ってるから……コースへの誘導を考えると、スタート地点が広く取れないのも仕方ないよ」
「分かってる、言ってみただけだよ。……どっちにしろ、あの健康優良児と体力バカと並んで走りたくはなかったし。丁度良いさ」
來見が宥めるように学校側の肩を持つと、論手は殊の外あっさりと引き下がる。言葉の通り、漠然と抱いた苦情を述べたかっただけなのだろう。
話に上った香椎と征生は然り気無く馬鹿にされているような気もしたが、そこには論手の羨望が混ざっている事を知っていた來見は触れる事はなかったのであった。
「置いていかれるどころか変にペースが乱れて無駄に疲れるだけだからな、多分」
「その通り。運動に関しては、あの2人に付いていっても良い事なんか一つもないよ」
來見と論手が揃って体力のある友人について思いを巡らせていると、どこからか声が聞こえてくる。それはマラソン大会の開幕を知らせる教師の声であり、一度注意を引く為に大声を発したようであった。
「じゃあ、また後で」
「うん。精々、頑張ろう」
來見と論手は軽い挨拶を交わし、思い思いの位置につく。
スタートラインに立つ生徒達は一斉に走る姿勢を取り始めた。前を向き、じっとその時を待つ姿を見た教師はスターターピストルを持った右手を高く上げると、再び口を開いていく。
「位置について!よーい……」
辺りに銃声のような号砲が鳴り響く。いや、ピストルの名が付いている時点で本物に違いないのだろうが――來見の耳にした銃声とは近しくとも異なっていた。
來見はその音に一瞬だけ、反射的に体を揺らしてしまうが心は平常のままだった。案外、來見は図太いのかもしれない。似たような音を耳にしても、シドと相対した時の館での恐怖がフラッシュバックする事はなかったのである。
來見は少しの遅れを取りつつも、懸命に走り始める。そして脳内は、この先どうするかという考えで埋まっていった。
勿論それは新たに送られてきたメールについてであり。現時点で持っている來見の情報から、何とか対策を捻り出す為に思考が巡り始めるのであった。




