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平成トランスポーター  作者: 夏名
46/54

19-1 中学校

暴力的な表現があります。

「2011年2月22日。16時30分。伏山座(ふしやまざ)ショッピングモール3階D区画。万引き犯が人を殴り付け逃亡。子供が重症を負う。ねぇ……」


 未来からのメール、その文面をヨリは丁寧に音読すると、考え込むように腕を組む。

 來見(くるみ)はつい先程まで自分がいる世界についての確認を行っていた事もあり、アルファベットの表記に目が行ってしまう。しかしながら、それらは全くの無関係で偶然でしかないのだろう。


「明後日か。そしたら、そうだな……」


 來見が首を振って気を取り直していると、ヨリは小さく言葉を溢す。ややあって一つ頷くと、目の前の従兄は來見を安心させるように視線を合わせながら口を開いていた。


「とにかく内容は分かった。俺も色々と考えておくから、お前は取り敢えず……明日は普通に学校行けよ」


「え?あ、あぁ。そうだった。月曜日だもんな」


「そうそう。うっかり高校に行こうとすんなよー?」


「そんな間違いしないって。……多分」




(って言ってたのに、つい高校の制服探しちまったけどな……)


 しかし來見が自分から暴露しなければ、気付かれる事はない。そんなことを内心で思いつつ、來見は昨日のヨリと交わした会話を回想し終えていた。

 來見は寝坊することなく起床し、中学校の制服に身を包んでいた。着慣れているものを身に纏っている感覚と、ひどく懐かしさを覚える服を着ているような感覚。それらがない交ぜになった状態で、來見は準備を整えていたのである。


「おはよう」


「おはよう!あれ?いつもよりも、ちょっと早いわね。日直さん?」


「いや、違うけど……?」


 母親と挨拶を交わした來見は投げ掛けられた質問に疑問符を浮かべる。しかし次の瞬間その意味に気付く事になる。

 來見としてはいつも通りに朝食を摂りに来たつもりだったのだが、高校生時代の支度する時間に無意識に合わせてしまっていた。自宅から中学校へ登校する場合と比べ、伊斗路(いとみち)高校へ向かうまでの方が距離が遠い事もあり、僅かに早く行動してしまっていたのである。


「……たまたま、早く目が覚めただけっす」


「そう?まぁ、遅刻するよりは良いけど。はい、お弁当」


「ありがとうございます」


 感情のない声で下手な誤魔化しをしている息子を母親は気にも止めない。朝だから未だ目が覚めきっていないと思ったのか、あるいは彼女自身の準備が忙しかった為に構っていられなかったのだろう。

 母親は職場に持っていく荷物を素早く纏めると、早口になって声を掛けてくる。


「母さんは先に行くけど、あんたが出ていく時にお父さん起こしてから行ってくれる?」


「あれ……まだ寝てるんだ。珍しい」


 父親は親族との食事会に際して飲酒をするにあたり、大事をとって今日は有給休暇を取っていたのである。しかし昨日の父親は、ヨリとの会議を終えて帰ってきた來見の目には特に問題ない様子に映っていた。だからこそ、朝にちゃんと起きてこない事が不思議だったのである。


「……昨日、ちょーっとだけ、お酒をね?」


「まさか、寝酒?止めときなよ、体に悪い……」


 來見がその場面を目撃していないという事は、それぞれの部屋に――寝室に戻った後の出来事としか思えなかった。その推理は的中していたようで、母親は決まりが悪そうにあからさまに來見から目を逸らしていた。

 しかし外出の時間が迫っている事に気が付いたのだろう。母親は直ぐに気を取り直すと、畳み掛けるように來見への頼み事を口にしていく。


「分かってるわよ!もうやらないから!お父さんの事よろしくね!」


「……はいはい」


 逃げたな、と思ったが薮蛇だろうと判断した來見は、おざなりな返事をするだけに留める。そんな態度を歯牙にも掛けずに母親は駆け出していった。


「お父さんが駄目そうだったら、戸締まりよろしくね!行ってきます!」


「気をつけてー」


 嵐のように去っていった母親を見送ると、來見は漸く落ち着いて席に着く。そして用意されていた朝食に取り掛かることにしたのだった。


 十分な時間の猶予があった為に、來見はゆっくりと食事を済ませる事ができた。そのまま手短に片付けを行うと水を溜めたコップを用意し、キッチンの備え付け収納からゼリー飲料を取り出しておく。

 來見は一度リビングに戻り、戸棚の薬箱から市販薬を探す。そして見付けたそれらと先程準備したコップとゼリー飲料を盆の上に並べていった。

 3つの物資を乗せた盆。來見はそれを片手に、未だ起きない父親のいる寝室へと足を進めるのであった。


「父さん、生きてる?」


「……」


 來見の呼び掛けに返ってきたのは、声にならない呻き声であった。カーテンが閉め切られたままの部屋。その隅に置かれたベッドの中で父親は横になっている。

 しかし起床はしていたようだった。やや焦点の合わない様子ではあったが來見に視線を向けていたのである。


「あんまり強くないんだから、無理に母さんに付き合うなよ」


「はい……仰る通りで……」


 寝起きの枯れきった声で、父親は辛うじて返事をする。普段飲まない酒を短い期間の中で集中的に摂取したせいだろう。母親はタガが外れてしまい、父親もつい手が伸びてしまったのかもしれなかった。


 何にせよ大量に飲んだ酒が、間違いなく牙を剥いている。どう見ても体調が悪そうな父親が予め休日を取っていた先見の明に、感心すれば良いのか呆れれば良いのか。來見は判断のつかないままに眺めてしまう。


「……薬とメシ、置いとくから。空きっ腹に薬は入れないようにね」


「ありがとう……」


 ぐったりとしている父親は心配だが、面倒を見る為に來見が休む程ではない筈である。

 來見は取り敢えずベッドのそば近くに置いてあるナイトテーブルの上に盆を乗せると、ゼリー飲料の蓋を開けておく事にした。寝起きで力が入らない可能性を考え、負担を減らしておいたのだ。父親が話を聞いていないかもしれないので、念のためにメモも添えておく。


「じゃ俺も行くから。母さんが帰る頃には治しときなよ」


「はーい……行ってらっしゃい……」


 どうやら父親はベッドから出ることは叶わないのだろうと理解した來見は、外出の際に自分で施錠する事を決める。

 いつまで立っても酒の許容量を理解しない父親に諦めの気持ちを抱きつつも、音が響かないように來見はゆっくりと寝室の扉を閉めて――戸締まりや火の元を確認してから、自宅を後にするのであった。




(やっぱり、変わらないもんだよな。あ、あそこは確か……そのうち建て替えが始まるんだっけ)


 來見はしげしげと辺りを見回しながら、感慨深さを抱く心を感じつつも通学路を進んでいく。しかしながらその内心では、いや全く物珍しくはない、いつも通りの光景だと主張する気持ちも存在していた。


(俺が高2になる頃には……俺の記憶が追い付いたら、この変な感覚も無くなるのかな)


 今までに抱いた事のない不可思議な感覚。そのうち慣れるだろうと楽観的には考えていたが、それが果たして何時になるのか。來見には未だ分からないままであった。


「來見ー」


「ん?」


 歩を進めていた來見の背中から、不意に掛けられる声がある。聞き馴染みのある音に振り替えると、そこにいたのは同じクラスに所属する中学生の香椎(かしい)であった。


「よっ、オハヨー」


「おはよ」


「來見がいるなら遅刻してねーな。セーフ!」


「信頼が厚いのは結構だけど。俺だって、たまには遅刻しかけたりもするけどな……」


 來見は言葉を返しながらも、まじまじと香椎の姿を眺めてしまう。

 高校生の香椎と比べると僅かに年若く見える顔立ち。その幼さは身に纏っている制服がより助長させていたのかもしれない。しかし1年ほどしか違わないとは言え、やはり雰囲気は変わるものだなと來見は思ってしまっていた。


「何?寝癖ついてる?」


「いや、変わらないなって」


「はぁ?土日を挟んだだけで、なーにが変わるってんだよ」


 迂闊な物言いをする來見に、香椎は半目になって視線を向けてくる。呆れと懐疑が混じったその態度に、來見は思わず誤魔化すように巻いていたマフラーに顔を埋めた。

 香椎は來見を見て一つため息をつく。深入りすべき事ではないと判断したのだろう。香椎は話題を変えるように白い息を吐き出しながら、口を開いた。


「さみーな、今日も。次はマジで、積もるくらい降るかもな」


「もし試験当日が豪雪だったら、えらいことになるよなぁ……」


 実際はどうだっただろうか。來見は推薦で試験を通ってしまった為に、一般入試当日の天気には覚えがない。ただ珍しく、積もる程に雪が降った日は確かにあったように記憶している。

 思いを巡らせる來見を他所に、香椎は大きく息をついた。


「そんなん、コンディション最悪だろ。寒ぃと脳にカロリーがいかなくなる。集中も切れるし。あー考えたくもねぇ」


「天気はどうにもならないから……取り敢えず、間食くらい持っていけよ。休憩中なら良いんじゃねぇの」


「熟したバナナとか良いらしいけどなー匂いが強烈すぎて白い目で見られそう」


 そう言うと、大きく欠伸をした香椎に來見は思わず笑いを溢す。香椎はめでたく合格した末には、同じ室内で試験を受けている学生の何人かは同級生となる事を分かっている筈である。

 後になって、その悪目立ちする様を指摘されたい訳もなく、冗談でもバナナなど持っていく事はないのだろう。それでも話に乗ってきて軽口を叩く香椎に、來見は今も昔も変わらない性質を見たのだった。


「こんな天気だと体も動かねー。1限目の体育ほど嫌なもんはねぇな……」


「朝からマラソン大会の練習か……終わる頃にはクタクタだな」


 ぼやく香椎に釣られるように來見は遠い目をする。冬の恒例行事として、來見達の通う中学校ではマラソン大会が予定されていた。

 運動に苦手を感じている來見が、それを歓迎できる訳もなく。体力向上は勿論、自己の精神力や目標と向き合う事などが主目的とは言え、連日の持久走は來見の神経を消耗させるのに大いに役立っていたのである。


「3限あたりで絶対寝るわ」


「別に止めないけどさ……程ほどにな」


「……バレねぇ努力はする!」


 香椎の振る舞いは実に馴染み深いものだった。しかし、それでも。ヨリと出した結論からすると、この香椎は來見が高校生活を共にした人物とは、もう既に違っているのだ。


(俺が前に助けた人と、いま出会っている人は厳密に言えば別人だ。同じような未来を辿る事になっても……俺が助けた人とは、もう二度と会えない)


 目の前の友人を助けることを躊躇ったりはしない。しかし既にDという世界に来てしまった來見は、C()の世界の人々を助けることはもうできないのだと――あまりに香椎が変わらないからこそ、來見はその事実は突き付けられている気がした。




 数人の中学生が來見達の進む通学路で散見され始めた頃。悠々と登校時間内に校舎へと到着する事ができた來見と香椎は、昇降口で靴を履き替えていた。

 高校のサンダルとは違う室内用の上履きに、來見は一瞬だけ窮屈さを感じてしまう。それも直ぐに霧散する事になるのだが、來見の中で踵を潰してしまおうかという考えが浮上していたのは紛れもない事実であった。


(変わんないよなぁ……)


 ノスタルジーに浸りそうになると言えば良いのだろうか。來見はつい、昇降口に置かれたトロフィーや飾られている絵画などに対して、視線を向けていってしまう。以前は――在学中には終ぞ関心を抱かずに終わったものだったというのにも関わらず。


「來見ーどこ行ってんだ。お前も寝惚けてんの?」


「いや、今行く」


 目移りしている間に、あらぬ方向に來見は進んでしまっていた。廊下で呼び掛けてくる香椎の声で我に返り、來見は今度こそ自分の教室へと向かう事にする。


 1限目の授業は先程の香椎が言っていた通り、体育であった。伊斗路高校でもそうだったように、中学校でも2クラス分の生徒を合わせ男女で分けた合同体育が行われる。そして、2つの教室がそれぞれの更衣室として使用される為に、予鈴がなるまでに移動の準備をする必要があった。

 既に教室の前では、その時を待っている用意周到な生徒もいる。その中に來見は(ほおり)の姿を見付けていたのであった。


「……あっ」


 不意に顔を上げ、小さく声をこぼした祝は來見の事を認識しているようだった。目が合った事に気付いた來見は反射的に挨拶を口にする。


「おはよう」


「おはよう!」


 祝は元気良く挨拶を返してくれる。しかし、それはもしかすると偶然ではなく。來見が視線を送り過ぎていた為に、祝はこちらに視線を向けたのかもしれなかった。


 祝は來見と同じクラスではなく、隣の合同体育を行うクラスに所属している訳でもない。つまりは、教室を移動する準備をしていた友人と話していた。

 だから、という訳でもないのだが。祝と友人との会話を邪魔しない為に、そして來見自身も体育の準備をしなければならない状況だったという事もあり。それ以上に祝と話す事はしなかったのである。


 自然な流れで挨拶をして、特に用はない為にそのまま立ち去る。來見としては何もおかしな素振りを見せていなかった筈なのだが――そうは思わない人間が横にいるのを、來見はすっかり忘れていた。


「な……」


 香椎が全身を震わせている。來見は即座に面倒くさい事になると察した。香椎が人間関係に目敏いのは承知の上だが、そんな能力が無くても今のやり取りを見ていれば、その変化に気付いたことだろう。

 香椎は、逃げようと足を早めた來見の手首を勢いよく捕まえる。しかし來見の最後の抵抗によって、2人が廊下で立ち止まる事はなかった。これから話題に上がるであろう祝の目から隠れるように、教室へ入る事には成功していたのである。


「……何!?何だ!?今の良い雰囲気は!いつの間に、何かあったのか!?」


 異常な興奮から香椎は語彙を失くし、同じ単語を頻出させている。その大声で喚いている様子に、せめて廊下から移動できていて本当に良かったと來見は安堵していた。祝には聞かれたくない。その一心が來見に火事場の馬鹿力を発揮させていたのである。


「……単に挨拶しただけだろ?早く教室移らねーと」


 正直に言えば、まともに相手をしたくない。食い下がられる未来を予感していながらも、來見は無駄な足掻きを試みた。

 しかし、やはりと言うべきか香椎が勢いを失うことは無かった。むしろ更に熱気が高まっている兆候さえ見せている。


「だけ、じゃない!そのだけ、が大事件なんだって!マジ!?そういうこと!?」


 ウワー!と盛り上がる香椎を見て、來見は対応を放棄する事に決める。どうやら此方が何も言わなくても、香椎の中で結論は出ているらしい。

 それは確かに間違いではないのだろうが、來見の助けた祝と中学生の彼女は違う。別人であるという認識の為に、來見が祝を本当に想っているのかは判然としなかった。




 今日の男子生徒に振り分けられたのは学校の外周コースだった。そうなるとグラウンドは女子生徒側の割り振りとなり、それぞれの場所で生徒達は集合していく。

 本鈴が鳴り響き、授業の開始が体育教師によって宣言される。出席確認と準備体操を終えた生徒達は、走者と記録係に分かれ2人1組を作っていた。


「じゃ、記録頼んだ」


「おー。新記録達成、ガンバー」


 來見は当然のように、香椎に記録係を頼んでいく。手渡した記録表にはこれまでに計測されたタイムが日付と共に並んでおり、香椎はそこに記入した責任者として自分の名前を書き込んでいく。

 運動部の香椎と比べれば見劣りする、実に平均的なタイム群。しかしそれを見せる事に今更、何の恥じらいも無かった。出来ない事は仕方ないし、最初に比べれば着実にタイムは縮まっている。そもそもちゃんと走りきれているのだから、文句を言われる筋合いはない。

 來見は妙に強気な建前を誰に言う訳でもないのに考えながら、スタートラインへと足を進めたのであった。




 來見は走り出しながら記憶を回想し始める。


「2011年2月22日。16時30分。伏山座ショッピングモール3階D区画。万引き犯が人を殴り付け逃亡。子供が重症を負う。」


 日付に加えて時間と場所が明記されていたのは良い。気になるのは被害者である人間や子供の個人名が書かれていない点であった。

 誰かが死亡するとは書かれていない。それは少しだけ來見の心を軽くしたが、楽観視し過ぎるのはいけないという自制が必要な事も理解していた。

 來見は一人、考えを巡らせる。


(そもそも誰も巻き込まれないような状況を作れたら良いけど……多分、無理だよな)


 來見はC世界での自分の行動を思い返す。毎回、寸でのところで間に合っていただけで、根本的に事件が起こらないようにするのは当然ながら不可能であった。

 だから、今回も同じような状況を繰り返すだろう。その場で怪しげな人物を探し、何とか事を起こす前に止める。その為に來見達が取れる手段を考えると、真っ先に思い付いたのはいつもの方法だった。


(あらかじめ、警備員に巡回してもらうとか、かな……)


 頭に回る酸素が少なくなってきたせいだろうか、浮かんだのは実に安直な考えであった。それでも悪くはない筈である。ヨリへと提案する事を留意しながら、來見はまた別の方向へと思考を向けていく。


(わざわざメールを送ったって事は、巻き込まれる人の中に知り合いがいたのかな)


 当日になるまで、現地で確認しなければ分からないが、もしかしたらそういう事もあるのかもしれない。果たして送信者が來見の味方であるのか判別する為にも、どのような人物が関わってくるのかは見極めなければならないだろう。

 來見の脳裏に、不意に挨拶を交わした香椎と祝の姿が映し出される。初めは高校生の2人が、そして次に中学生の2人が。


(同じことが、また起こるとしても。俺はきっと助けに行く)


 來見がどの世界にいようと、友人達が大切な存在である事に変わりない。例え厳密には別人であったとしても、違う未来を迎えたとしても。

 逆に考えれば世界が分岐する前は、全く同じ人物である事は間違いないのである。ただ、特に祝に関しては――親しくなったのが分岐よりも後だったと言うだけで。


(でも、だから……やらないよりも、やって後悔しよう)


 息が上がる中で下したのは、変わりのない結論だった。人生は一度きり。前の世界で死亡した疑惑のある來見にとって、それは忘れてはいけない重要な事だった。




 來見の足はゴールを切る。当然ながら誰よりも、一番速かったという訳ではないが今回も無事に走りきる事ができた。

 疲れてはいるが、いきなり座り込む訳にもいかない。來見はゆっくりと速度を落としながらウォーキングへと切り替えていった。


「きちー……」


 思わずぼやきながら、來見は昇降口前の広場で歩き回る。息を吐き出しながら空を見上げると、ちょうど中学3年生の教室のある辺りが來見の視界に映り込んでいた。

 教室は高所にある関係上、詳細は分からないのだが――來見は何故か窓越しに祝の姿を見た気がした。そして祝らしき人影がこちらを向いているようにも感じ取っていたのだが――恐らくは來見の思い違いだろう。

 視線を逸らし、ぼんやりとクールダウンに努めていると不意に掛けられる声があった。


「來見!タイム更新してるぜ。足早くなったのか?ペース配分変えたとか?」


 ゴール付近でタイムを書き付けていたのだろう。仕事を終えた香椎が記録表を振りながら歩いてくるが、來見には思い当たる節がなかった。


「いや……考え事してたから。全然、意識してなかった」


「ラッキーって事?勿体ねぇー」


「そんなもんだろ」


 思考に没頭するあまり、來見は一切、周りを見ていなかった。それは極度の集中状態にあったとも言えただろうが、考えなしで走っていた為に再現性は期待できない。

 香椎も來見の言いたい事を理解したのだろう。残念がる素振りを見せ、呆れたように肩を竦める。

 好きで運動をやっている人間から見た來見の状態とは。改善の見込みがある問題点の顕在化や、更に自己研鑽する為の方針を変更する切っ掛けを手放してしまったも同然に映ったのだろう。

 それでも來見にとって、それらは全く重要ではなかった。だからこそ失望されようと何を言われようとも――運動能力に関しては、気にする事は今後も一切ないのだと思う。


「よーし、俺もいっちょ自己ベスト狙うか。記録よろしく!」


 そんな言葉と共に、來見に向かって香椎の記録表が投げ渡される。息が整い、足を止めていたからこそ反応する事はできたのだが、來見は無駄に焦って手足をバタつかせてしまう。

 結果、記録表は地面に落ちることなく來見の手の中に収まっていた。しかし香椎はそんな様子を一瞥もしないで、とっくに駆け出していたのである。

 來見はポケットからシャーペンを取り出し、香椎の記録表に目を滑らせる。そして見付けた記録係の欄に自分の名前を記入しながら、香椎の背に向けて声を掛けた。


「計測、直ぐには始まんねぇぞー」


 香椎は來見の忠告が聞こえているだろうに、片手を上げてスタートラインまで行ってしまった。

 揚々とした姿に忙しなさを感じつつも、來見は漸く腰を下ろす。そして昇降口の階段の隅で次々にゴールしていく生徒達を眺めていると――何故か友人に用件を押し付けられる事態に陥っていたのである。


「來見、もう走り終わったよね。征生(もとお)の相手頼んだ!」


「えっ」


「これ以上、走る前に消耗したくないんだよ!僕は誰かさんと違って、図抜けた体力は無いんでね!」


 一方的な宣言と共に走り去っていったのは、同級生の論手(ろんで)だった。目を白黒させながらも、その言葉の意味を理解しようと來見は考えを巡らせる。しかし結論が出る前に、その答えは姿を表していた。座る來見の足にぶつかる、サッカーボールがあったのである。


佑斗(ゆうと)。次ん始まるまで付き合えや。暇やし」


 訛りの混ざった言葉で話し掛けてきたのは、同じく同級生である現王園(げんのうぞの) 征生だった。そのあまりの名字の長さに、多くの人間は彼を下の名前で読んでいる。

 話が逸れたが、征生が記録係として組んでいる相手は今し方、來見に対応を押し付けていった論手であった筈である。

 論手は、これから走る為にスタートラインまで逃げていった。要するに目の前にいる征生は既に持久走を終えているという事で――その相変わらずの無尽蔵にも思える体力に來見は内心、戦いていたのである。


「……先生が帰ってくるまで、ならな」


 体育教師は昇降口からやや離れた場所、ゴールでありスタートラインでもある地点で生徒達を見守っていた。

 來見が今いる昇降口前の広場は多くの生徒が待機していたが、教師の監視の目からは外れている場所だった。つまり、生徒達は許される範囲で好き勝手に過ごしていたのである。

 しかしながら、その事を教師が把握していない筈もない。教師は生徒に釘を刺さなければならない義務と、次の走者に呼び掛けをするという目的の為に必ず此方(昇降口側)に顔を出すと分かっていたのである。

 そういう訳で來見が期間を設けたのは、教師に睨まれるのを避ける為の保身であった。しかし征生は気を悪くした様子もなく、意図を理解して大きく頷く。


「おーう」


 やや間延びした返事をした征生は手招きをし、早速ボールを蹴り返してくるように催促をする。そう言えば、このボールは何処から湧いたものなのかと疑問に思いつつも、來見は地面から離れる事のないコロコロと転がるパスを出していた。

 サッカー部でもない癖に、征生はやたらとキレのある返しをしてくる。來見はそのまま、削られた体力で必死に相手をしながらも時間を潰す事になるのであった。




 緩んだ空気の中で始まった球蹴りだったものが、いつの間にかサッカーができる程に参加する人数が増えている。フットサルもできない程の狭い敷地で、ゴールもないのに試合が始まるというハプニングすら起こっていたが、生徒達は叱られずに済んでいた。

 その盛り上がり方から、教師も生徒が遊んでいる状況に気付いていた筈である。しかし特に言及される事はなかった。妙に隠すのが上手かったのも影響していたのだろうが、入試を間近に控えた生徒の息抜きになれば良いと考え敢えて放置していたのかもしれない。來見達は特に大きな問題を抱える事もなく、次の走者のタイム計測を終え体育の授業を完了したのであった。




 一通りの授業とホームルームまで終えた生徒達は、思い思いに談笑を始めていた。掃除の為に椅子と机を片付けて清掃に向かおうとする來見に、香椎が声を掛けてくる。


「俺、今日は図書室で勉強してから帰るわ」


 香椎も入試前のラストスパートを掛けているのだろう。塾の始まる時間まで学校に残り勉強するつもりのようだった。この時期には輪を掛けて静かな図書室では、さぞ暗記が捗ることだろう。來見は内心、納得する。


「おー、また明日」


「じゃあなー」


 普段通りの気取らない挨拶を口にすると、香椎も同じように返してくる。香椎は切羽詰まっている様子もなく、実に穏やかに見えていた。それは表面的なものでしか無かったのかもしれないが。

 ストレスで苛立つ素振りも見せずに軽やかな足取りで去っていく香椎の背を、來見は静かに見送っていた。しかし自分にも、ぼんやりとしている暇はない。來見は直ぐに自分が担当する場所の清掃を終わらせると、学校を後にする事に決める。

 目についた友人へ軽く挨拶をして、來見は教室から出ていった。そのまま裏門から学校の敷地を出ると、目的の場所へと一目散に向かうのであった。




 來見はゆっくりとインターホンを押す。軽快に鳴り響く音を聞きながら、誰が応対をするのかと少しだけ緊張を抱く。


「はいはーい。あら、佑斗くん」


「こんにちは、(ゆかり)さん。あの……ヨリくんいますか?」


「いるわよーちょっと待っててね」


「はい」


 來見が訪れたのは従兄弟の家。中学校から十分に離れた場所で携帯電話を使い、隠れてヨリに連絡を入れていたのだが、どうやら無事に届いていたようだった。

 気のせいかもしれないが家の中から走り回っているような音が聞こえ、程なくすると玄関の扉――ではなく縁側のガラス戸が開かれる。


「玄関、開いてるから入ってきて良いぞー」


「うん、お邪魔します」


 來見は勝手知ったる善知鳥(うとう)家へと、遠慮なく入っていく。上がり框へと足を掛け、靴を揃えてから來見はヨリを探すように顔を上げた。

 不意に紫と目が合い、來見は慌てて会釈をする。此方の様子を窺うように廊下の奥から顔を覗かせていた紫であったが、來見の挨拶を見てヒラヒラと手を振っていた。


 來見がやや気まずい思いで愛想笑いを浮かべていると、紫はニコニコと何処か楽しそうな様子でキッチンへと姿を消した。そして次の瞬間には、飲み物を乗せた盆を両手で持った状態で此方に向かって来ていたのだった。


「俺やるから、良いよ」


「あらー」


 しかし縁側からやってきたヨリに、その荷物は奪い取られる。もしかしたら來見とヨリの会話を少しだけ聞こうとしていたのかもしれない。残念そうな声を上げるが、紫は大人しくヨリに盆を譲るのだった。


「ゆっくりしていって良いからねぇ」


「ありがとうございます」


 紫は妙に機嫌の良い様子で、しかし何処か訳知り顔で來見に話し掛けてくる。先日の親族との食事会の後、車内で交わされた來見とヨリの会話に紫は思うところがあったのだろう。

 それは來見がヨリに進路相談や人生相談を持ち掛けているのだとか、当たらずとも遠からずな想像で――息子が頼りにされていると喜んでいたのかもしれない。

 しかし全ては來見の推察に過ぎず確証はない。紫の発した言葉は社交辞令でしかないだろうと思いつつも、來見は無難な返しをするのに留めるのであった。




「例のショッピングモール調べたんだけどさ。早速、問題が出てきたぜ。何と該当する場所が2つある」


「え!?」


 ヨリの部屋に入った2人は早速会議を始めていくのだが、早々に出鼻を挫かれていた。驚く來見を横目にヨリはパソコンを操作して、2つの画像を提示する。

 それはどちらも伏山座ショッピングモールのフロアガイドであった。入居している店舗の名前や詳細な位置が鮮明に綴られていたのである。


「……あれ?フロアには方角だけで、駐車場にしか区画の表記がない。D区画って、フロア内の区分けじゃなかったのか……?」


 來見の溢した言葉通り、フロア内には北、中央、南の方位は書かれていたが区画と呼べる表記はない。店内から繋がる立体駐車場にのみ、奥から順にAからDのアルファベットが振り分けられていたのである。


「そこが厄介なんだよなぁ。メールが言ってるのが店内フロアにおける3階なのか、それとも立体駐車場の3階――フロアで言うと2階なのかっていう」


 ヨリの指摘に來見は目を丸くする。文面を素直に受け取るのならば、指し示しているのは立体駐車場の事なのかもしれない。しかしそう単純に考えても大丈夫なのだと思えるほど、2人はメールについて信用している訳ではなかったのである。


「……ヨリくんは、こう言いたいんだな。メールの文面には別の解釈をする余地がある」


「話が早くて助かるぜ。俺が説明するまでもないか」


 ヨリの言葉を受けて來見はじっと画像を観察する。

 2階のフロアからは3階の立体駐車場に繋がり、3階のフロアからは5階の立体駐車場へと出入りする扉がある。確かに区画が分かれているのは立体駐車場だけではあるが――そこから真横に通じるフロアの立地を考えると、別の見方をする事も可能であった。


「……この駐車場の区画ごとに店内へ向かって横線を引いてみると……フロアも区分けできるかもしれない。フロア自体に、そういう表記はないから勝手に言ってるだけ、だけど」


「マジでシンクロしてる、全く同じこと考えてたわ。無駄に色々と勘ぐり過ぎって言われたら……それまでなんだけどよ」


「いや、大事なことだと思うよ。念には念を入れるべきだ」


 來見に気遣われたと思ったのか、ヨリは無言で肩を竦める。しかし至極真面目に検討すべきだと思った來見は、その疑念について推理を進めていく事にした。


「そうなると、いま考えたD区画の範囲に収まってる3階フロアと、立体駐車場の3階。その2箇所が候補に入ってくる。最悪……別々に監視する必要があるのか」


「できれば、それは避けたいところだな。だから……片方に絞り込めるか、考えてみねぇと」


「うん。それじゃあ……3階フロアの場合から検討してみようか」


「別にどっちが先でも構わねぇけど、何でその順番?」


 來見の提案にヨリは首を傾げ、僅かに不思議そうな顔をする。メールの内容を素直に受け取った時に第一候補として場所が上がる、立体駐車場での場合を先に考えるのが自然だと思っていたのかもしれない。

 來見は大きくため息をつくとヨリに視線を向ける。一体、何を言われるのかと身構えたヨリであったが、來見はそんな様子を歯牙にも掛けずに本心をさらけ出していた。


「ややこしそうな方を先に考えないと……多分、俺の脳みそ爆発するから」


「あぁ……」


 ヨリは実に納得した様子で声を漏らす。おまけに來見に対して可哀想なものを見る目を向けていた。しかしそれはヨリもこれからは同じ気持ちを味わう羽目になるのを、すっかり失念している姿を表していたのだった。




「えーっと、D区画の範囲に収まってる場所が、指定された位置って事だから……」


 フロアガイドを眺めると、目算ではあるが大体の範囲が分かる。D区画とはフロアの南側を指し示しており、一番端にあたる場所とも言えた。そしてその東側には駐車場に伸びる通路が一つだけ用意されている。

 確認を求めるようにヨリに視線を投げてみる。しかし従兄は難しい顔で呻き声を上げるばかりであった。


「マップを見れば言いたいことは分かるけど……かなり大雑把な範囲だよなぁ、全然絞り込めてねぇ」


「……うん。俺も行ったことあるけど、かなり広かったと思う。現場で犯人に目星を付けようにも……人が多すぎて難しいかもしれない」


 ヨリの言葉に相槌を打ちながら、來見は当該の場所を思い浮かべる。

 頻繁に訪れる訳ではないが、家族に連れられて行ったことはある所。ショッピングモールとしてはかなり巨大で、フロアガイドを確認せずに目当ての店まで行こうとするのは、実に骨が折れる作業だったという記憶が残っていた。


「店内で事件が起こるなら、人払いの為に火災報知器でも鳴らしてみるかって考えたけど」


「……止めた方が良いと思う。それで驚いた人達が余計な怪我を負う可能性を考えると、危ないよ。その混乱に乗じて犯人が逃げおおせるかもしれないし」


「確かに犯人の確保も問題なんだよなぁ。その過程で被害を無駄に拡大させちまったら……本末転倒にも程があるか」


 來見の指摘をあっさりと受け入れたヨリは、試しに提案をしてみただけだったのだろう。その中で解消しきれない問題がある事を自覚しており、悩ましげな声を上げている。

 來見は助け船と呼ぶには細やかであったが、学校で考えていた予防策を一つ述べる事にした。


「予め不審者がいるって通報しておけば、警備員が巡回を強化してくれるかも」


「確かに人目があれば、ビビって万引きもしなくなるかもな。確実性があるかは……微妙だけど」


「無いよりはマシ、程度だよな……」


 何せ区画が限定されているとは言え、指定された区域が広い事に変わりない。もっと、根本的な対策はできないのだろうか。

 考えの方向性を変える必要があるのかもしれない。2人は何か妙案が無いかと、知恵を巡らせ始めていた。




「いや、万引き……万引きか。それなら指示する場所は区画にするんじゃなくて、店名を書くべきところだよな」


 來見はふと、送られてきたメールの違和感に気付く。敢えて紛らわしい書き方をしているのでなければ、曖昧にぼかしている訳ではないのなら――そこに何かしらの意図があるように思えていた。


「じゃあ、例えば……店内ではバレなくて。少し離れた所で、しかも別の要因で後から露見する事になるとか?……あっ、それこそ駐車場か!?」


「見付かったのが……事件の発端が店の外で起きるのなら、それがフロア内でも駐車場だとしても区画って表現するのは妥当かもな。……不親切な書き方だとは思うけどね」


 ヨリの仮定を受けて、來見は論理を組み立てていく。

 できれば具体的にどの辺りであるだとか、より詳細な情報を記してくれても良かったのだが、未来からのメールが杜撰であるのは今に始まったことではない。

 來見は割り切りつつも、更に議論を続ける事にした。


「怪我人が出る事を考えると。恐らく万引きは何処かでバレて、犯人はその場から逃げようとした……」


「追い掛けてくる人間を殴り倒した挙げ句、そのまま振り切ろうとして子供まで巻き込んだ、か。すげぇあり得そうで嫌なんだけど」


 うんざりとした声色で語るヨリは、起こり得る場面を想像してしまったのだろう。顔に浮かべた渋い表情は、生々しい情景に嫌気が差しているのを示しているようだった。

 しかし、ここで思考を止める訳にもいかない。今のところは矛盾の無さそうな仮説を、2人は更に深掘りしていく事にした。


「じゃあ、どうやって万引きがバレる事になるかと言うと……」


「んー……店の外って事は店員が発見したってワケではねぇのか?」


「素知らぬ顔でしれっと移動しちまえば、案外バレないもんなのかもな……」


 普通に買い物に来ている人々が、すれ違う通行人に対していちいち深く意識を向ける筈もない。犯人の性質として度胸がある上に面の皮が厚いともなれば、周囲に溶け込むのは造作もない事だったのかもしれない。

 來見が一人納得をしていると、ヨリは更に疑問点を上げていく。


「でも俺達の予想だと、実際には見付かるワケだろ?そう考えると思い付くのは……あっ!」


「何?」


「防犯ゲートじゃね!?ホラ、店の出入り口に大体置いてある機械!いやー昔、店に入った時に何故か引っ掛かって店員に呼び止められたっけ」


 自分の閃きに自信があるのだろう。ヨリは顔を明るくさせ、ペラペラと体験談を話し始める。

 あらぬ誤解を掛けられてしまった過去に同情はするが、來見は何となくヨリに原因があったのだろうと直感していた。電子機器は割りと簡単に誤作動するのを、來見は知っていたのである。


「……どうせ、誤作動を起こさせるような物を持ち込んでたんでしょ」


「コイル状になってるもんに反応するとか、当時は知らなかったっつーの!あれ以来は反省して、一度も誤作動させてねーし!」


 大方、誤作動を誘発しやすい部品や機械を持ち歩いていたりしたのではないか。その予想が的中していた事に來見は、つい口を出したくなるが慌てて意識を切り換える。今やるべきなのは思い出話に花を咲かせる事ではない。検討を進める為に來見はヨリに向かって口を開いた。


「ヨリくんの話は置いといて。つまり……警報が鳴った事で万引きが辺りに知れ渡って、周りの人は犯人を捕まえようと動く事態になったのか」


「3階フロアでの推理をしてるとこ悪いけど、それなら駐車場で事が起きた場合は、フロアから続く通路付近だろうな。外に繋がる出入り口にゲートが置かれてない筈がねぇ」


「うん、逃走手段である車に乗るまでに人を殴って。最悪……車で轢く事で大怪我を負わせたのかも」


 ヨリの考察に來見は首を縦に振る。

 立体駐車場の3階が現場だった場合。防犯ゲートは犯人がそれを通り過ぎ、立体駐車場に足を踏み入れた瞬間に反応した筈である。

 ということは犯人が向かう先に予めいた、警報で異変に気付いた人々。或いは反応したゲートを置き去りに去っていく犯人へ追い縋ろうとした結果、立体駐車場へ向かった人々。そのどちらかが傷付けられるという事になる。そして犯人が逃走用の車に飛び乗り法外な速度で走り出した結果、子供を轢いて重症を負わせてしまう、など。

 軽く想像するだけでも、そんな流れが頭に浮かぶ。十分にあり得る可能性に來見もヨリも眉をひそめてしまっていた。


「途中で……ついでに駐車場で事件が起きる場合の現場が絞り込めたのは良かったのかもな。問題はフロアでの方だけど……」


「さすがにフロアガイドに防犯ゲートの位置なんて載ってねぇからなぁ……逃走経路を予想してみるか?候補の場所が逆算できるかもしれねぇ」


「うん……フロアの最上階である3階っていう指定があるお陰で、多少は絞り込めそうだ」


 1階フロアなら地上へ、2階フロアなら高架型の歩道へ続く出入り口がある為に、屋外へと続く道が膨大に存在していた。しかし3階には外へ通じる道は立体駐車場へと向かう扉しかなく、幸いにも目星を付けやすい状態になっていたのである。


「……駐車場に続く通路は可能性が高い気がするけど。そこで初めて警報が鳴った場合は、進行方向からして人に危害を加える場所が5階駐車場のD区画になる……と思う。それは矛盾してるから候補から外れるかも」


「万引きがバレるのと、人を殴る場所は同じところ……っぽい書き方だからな。逃げる方向が駐車場だろうが、場所としてはまだ出入り口からは遠いところで事件は起きる筈だ」


 フロアガイドを眺めながら、2人は候補地を絞り込んでいく。まずは一番東側の、立体駐車場への通路は除外された。

 幸いと言うべきか。D区画はフロアの南側、一番端の区分けにあたる為に通路の数は他と比べ少なく済んでいる。しかし、C区画からD区画に向かう大きな通路が西、中央、東と3本用意されている時点で、何処からでも侵入できる余地があった。まだ該当する範囲は広く、決め打ちができない。

 ある程度、幾つかの店舗は固まって存在しているが、店の形の問題で真っ直ぐな通路ではないところも気に掛かる。特に中央の通路に関しては、やや曲がりくねっている為に死角の存在が浮上してきていた。

 見張るべき立ち位置を考えなければ、視野の問題から事件を見過ごしてしまう恐れがある。來見は目を細めて、その地形を脳に刻み込んでいた。


「当然だけど、エスカレーターもエレベーターも点在してるな。逃走経路に使うには……エレベーターは警報が鳴ってる時に乗るもんではなさそうだけど」


「エレベーターは逃亡手段としては悠長すぎるからなぁ。途中で止まる可能性もあるし、簡単に足止めされちまう……そういや階段はD区画にはないのか。ラッキー……なのかもな」


 ヨリの言葉に頷きながら、來見は更に立体駐車場とは真反対に存在している、エレベーター近くの範囲も除外する。

 エレベーターと比べればエスカレーターは十分に逃走に適していると言えただろう。何せ多くの人は片側を空けてくれている為、邪魔されずに全力で駆け下りる事ができる。

 來見は逃走経路を頭に思い浮かべながら、再びフロアガイドとの睨み合いを始めた。


 犯人は必ず何処かで防犯ゲートに引っ掛かり、警報を鳴らされる。そして逃げる為に、同フロア内で人を害する事になる。

 來見の推理では、この流れで間違いない筈である。その認識を新たにしたところで、不意に思い付くものがあった。


「……そうだ。店ごとに置かれてなくても、エスカレーターやエレベーターの近くに防犯ゲートって立ってたりするよな」


「……確かに!あんまり意識して見たことねぇけど、言われてみればあったかもしれねぇ」


「防犯ゲートは通り抜ける時に反応するものだとして。犯人がエスカレーターを駆け下りる最中に人を害する事になれば……」


 階層を移動する手段として、エスカレーターを逃走経路として利用するのは十分にあり得る話ではあった。しかし、気になるところはある。ヨリも当然のように気付き、直ぐに指摘を加えていた。


「でも、そうなると。事件が起こる場所は、フロアで言うなら2階と3階の間って事になるぜ。ギリギリ……嘘は言ってねぇのかもしれねぇけど」


 敢えて、その場所を記すとすれば。立体駐車場における3階と5階の間――4階と書いても良かった訳で。候補地を絞り込めずにいる來見とヨリは、同時に深くため息をついていた。


「……いや、だったら。それこそ階数の表記はする必要はないんじゃないか。メールは基本的に不親切だし、詳しい場所を書いてない事もあったし」


「3階って断言してるところに意図があるってか?んー、考えられる条件としては……事の発生地点に限り3階だと指定していた場合。あるいは……」


「全ての……一連の流れが3階だけで起きていた場合。どっちかは、今は何とも言えないけど」


 ここまで色々と考えてみたが、立体駐車場での場合はともかくフロア内での犯人の逃走経路は判断が付かない。つまりは情報が不足してしまっていた。

 となれば、やるべき事は一つで。來見はその合理的な提案を勢いよく提示していたのである。


「良し、偵察しに行こう!勿論、今から!」


「ハイ、却下」


「……は!?何で!」


 実に建設的な案だと言うのにも関わらず、ヨリは即座に反対する。出鼻を挫かれた來見は不満も露わに、強い口調で聞き返してしまっていた。


「お前のこと、毎日のように連れ回してたら(ともえ)さんに叱られるっつーの。何かあって推薦が取り消されでもしたら、俺は責任取れねぇの」


「それは……」


「明日、当日に行くのは止めねぇから今日は我慢しろ。下調べは俺が済ませとくから」


 ヨリの言い分は尤もではあった。ここまで頻繁に従兄弟の家を訪れるような事は一度もなく、怪しまれても仕方がない。いつかは、適当に考えた言い訳を使って釈明をする必要があるとは思っていたが、今の來見にその準備はできていなかった。

 ヨリは、そんな來見の現状を正しく理解していたのかもしれない。穏やかな声で、來見を窘めるように言葉を続けていく。


「別に今後一切、何もするなって言ってるワケじゃねぇ。ただ……そうだな、これはリハビリでもある。お前が本当に俺を……他人を信用できるのか、っつーな」


「え……」


「何でも自分の目で確認したがるのは良いことだ。でも人に頼る事を決めたんなら、人を使う事も覚えなきゃならねぇ。それが健全な信頼関係って奴だ、分かるな?」


 ヨリは來見の精神状態を慮りながらも、矯正しようとする意志を明らかにする。來見としては、こうして相談を持ち掛けている段階ですっかり信用しきっているのを示していたつもりではあったのだが、ヨリはそうではなかったのだろう。

 実証して結果を見るまでは判断をする気がない。特に來見に対してはその姿勢を貫くつもりなのかもしれない。過去に飛ばした責任があると喧伝していたのは、そういう事だったのだろう。

 言葉を失くした來見にヨリは続けて声を掛けていく。


「一人で何もかもする必要はねぇ。分担できる事はする。今後もそうしていく為の予行練習とでも思っとけよ。だからお前は、今日は帰る!」


 その言葉の裏には、信用できないのなら付いてきても良いという意味があることを來見は理解していた。それでも、やはり。來見には返す言葉が見付からなかった。ヨリの発言はぐうの音も出ない正論であると心の底で認めてしまっていたのである。

 來見は大きく息を吐き出して、降参の意を滲ませる。そして徐に口を開くと、ただ迎合する言葉を述べるのであった。


「……分かった、そうする」


「そうしとけ、俺がちゃーんとやっとくから。……無駄に外出してヤバい目にあう危険性を上げる必要も無いしな」


「確認取れたら、連絡しろよ」


「おう、バッチリ調べとくって!任せとけ」


 ただの下調べに危ないも何も無いとは思う。それでもヨリは例え本人に高校生の意識があろうと、來見の事を何処まで行っても未だ中学生であるという認識で接していたのだろう。

 そう考えると確かに來見を遅くまで外出させるのは、気が引けるところがあるのは分かる。別の理由としては來見の母親――巴を経由して自分の母親から叱られる事を忌避したのかもしれない。

 どちらにせよ、今のヨリに來見を同行させる気は無く。少々過保護にも感じるが要らぬ危険からは遠ざけようと努める素振りを見せていた。後者に関しては來見がメールによって行動するのを止めない時点で、あまり意味がない配慮のような気もしていたのだが。




「今更だけど、計画的な犯行なら防犯ゲートを誤魔化す手段くらい持ってそうだよな。その場合、また推理しねぇと駄目か……?」


 良い感じに別れの挨拶をしていた2人であったが、不意に発されたヨリの一言で來見は動きを止める事になる。來見は帰りの準備を行っていた手を顎に当てて、考えを巡らせ始めた。


「うーん……それなら、誰かが凄い洞察力で気付いて……大騒ぎになったって事になるけど」


「んー、この仮定は事件現場を絞り込めるような推理には繋がらねぇか……?」


 立体駐車場であろうと、フロア内であろうと。そこに犯人以外の人間がいれば万引きが露見する可能性はあるし、危害を加えられる恐れも存在していただろう。

 一度、來見は別の角度から考察を進めてみる事にした。


「……メールには、殴り付けたって書いてあったよな。つまり犯人は刃物とか……凶器を持っていなかった」


「なるほど?つまり突発的な犯行だったって考えなワケか。万引きに凶器を用意するかは疑問が残るが……一考の余地はあるかもな」


「あるいは用意があっても使う暇がない、カッとなる性格だった可能性もあるけど。……いや、やっぱりただの万引きに凶器なんか持ってこないか……?」


 ヨリの指摘に頭を抱えるが、指を2回鳴らされた事で來見の推理は中断される。ヨリは仕方のないものを見るような視線を來見に対して向けていた。


「俺から振っといて悪いけど。一旦、頭を冷やそうぜ。現地の情報を仕入れてくれば、色々と分かってくる事もあるかもしれねぇし。だから今日の会議は終わりな」


「……分かった。確かに、行き詰まった時には休憩を取るべきだよな」


 落ち着きを取り戻した來見にヨリは一つ息をつく。そして上着を身に付けると、來見を追い出すように片手を振り始めた。


「そういうこと。つー訳で、お前は帰れ帰れ!俺は今から行ってくるから」


「うん、よろしく」


「ハイハイ。精々お前は枕を高くして寝とけよ」


 素早く準備を整えたヨリは、宣言通り今から現地に行くつもりでいたのだろう。追い出すような口振りとは裏腹に、來見と同時に家を出ていく。

 当然と言えば当然なのだが、ヨリの進む方向と來見の帰路は一致している。その為、來見は半ばヨリに自宅まで送られる形で家に帰る事になったのであった。

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