18-2 C→D
來見の見たものは、自分が別の可能性を辿った世界だった。それも高校生の來見が祝を交通事故から救うこともなく、交友関係を持たなかった場合という。
來見の考えにヨリは一つ頷く。そして真剣な表情で更に言葉を重ねた。
「そう考えると、辻褄が合う気がするな。お前も、もう気付いてるんだろうけど」
「うん……あの俺は何もしなかった俺なんだ。未来からメールが送られてこなかった世界の、俺」
香椎とのサッカーの話題で居心地が悪そうにしていたのは、当時の來見が騒動に気付かずにいたから。その場合、香椎は自分だけが部活を止め、一人で泥を被る形で人間関係の清算を行ったのではないだろうか。それを後から知った來見は何かしてやれる事はなかったのかと、後悔したに違いない。
更に白石の件についても想像がつく。來見が体育祭の日に介入しなかった結果、白石は熱中症による歩行障害を負ってしまった。白石に合わせてバリアフリーの店を選んだという事はつまり、彼が車椅子に乗っている状態を指し示していたのだろう。
そうなると、颯真は昏睡状態に。蓮下姉弟やクグル、その他の人々も不幸な結末を迎えていたという訳で――來見は一度、そこで思考を止めておく事にした。
今、着目すべき点は。來見は自分が行動しなかった場合の未来を垣間見たということ。それは今後の身の振り方を考えあぐねていた來見にとっては、天啓にも思えたのである。
「つまりだ。逆説的に……過去に飛ぶ前の、高校生のお前がいた世界は。祝やダチを助けた事で未来が変わった世界ってことになる」
「……うん?」
それはおかしい。來見には一つの疑問が浮かぶ。來見は躊躇いもせず、その矛盾を指摘する事にした。問題点を解消して正確な予測をしたかった――するべきだと思っていたのである。
「俺の見た光景が何もしなかった場合の未来なら……結局、俺が行動しなくても祝はあの年齢まで生きてたって事になるよな」
「ん?……確かに!でも他のダチの状況と照らし合わせると、この理論で間違ってない筈だけど……矛盾してるな、どういうことだ?」
「……交通事故に遭うのは本当でも、祝は元から……死ぬことはなかった?」
來見の思考は渦を巻いていた。そして、何処かで耳にした一つの俗説を思い出す。
効果的な嘘とは、嘘がまことしやかに聞こえるコツとは――虚偽の中に一片の真実を混ぜること。來見はまんまと、その手に引っ掛かっていたのではないだろうか。
「たまに思う時があったんだ。俺が何もしなくても、結局は……色々と丸く収まってたんじゃないかって」
「……差出人はメールの中に嘘を混ぜて、お前に人助けをさせて……達成感を得させようとした」
「その結果。俺はまんまと期待された通りに動く、駒になりかけてた」
今までの推理を振り返るように、ヨリと來見は言葉を続ける。その考察は口に出した事で、より真に迫っているように聞こえてしまう。
來見は目の前が真っ暗になるような、絶望感に襲われていた。
「俺が何もしなくても、世界は良いように回ってたかもしれないのに……俺は余計なことばっかり……」
しかしその懺悔は途中で無理矢理に遮られる。來見の脳天にはヨリの手刀が突き刺さっていた。そして大した痛みもないというのに、來見は反射的に叫び声を上げていたのである。
「痛っ!」
「このアホガキが!だから!そう悪い方向に考えるなっつーの!」
役目を終えた事で直ぐに離れていくヨリの右手。我に返った來見はつい両手で旋毛を押さえてしまい、理不尽な暴力を振るわれた被害者のようにヨリをねめつけていた。それは長年、従兄弟として過ごしてきた故の癖のようなものだったのかもしれない。
しかしヨリは事も無げに話を続ける。反省の欠片も見られない態度ではあったが、そこには來見を立ち直らせようとする激励が確かに存在していたのである。
「確かに、お前が助けようとしなくても何とかなってた事もあったかもな。でもそれは……ただ致命的じゃなかっただけ、かもしれねぇだろ!」
「それは、どういう……?」
「例えば、祝が高校生の時に死ななかったとしてもだ!事故に巻き込まれて、少しも怪我をしなかったとは限らないだろ!」
ヨリの言葉を受けて、來見は祝を助けようとした時の光景を思い出す。階段を上っていた最中に訪れた振動と、それによって転倒しそうになり――落下しかけていた状況。
あの時、祝の両手は荷物で塞がっていた。それは咄嗟の防御反応ができないという事実を指し示しており、道路まで転がり落ちる事はなくとも少なからず怪我を負う結果になったのは想像に容易かった。
そしてそれは、当時の來見も同じように考えていた筈である。
「和久本……だっけ。そいつの妹だって、命に別状はなくても怖い思いをして、余計なトラウマを植え付けられたかもしれねぇ。そんくらい、お前も考えたんじゃねぇの」
ヨリの指摘に來見はつい言葉をなくす。正にその通りだった。反論が出てこない來見を眺めながら、ヨリはそのまま話を続ける。
「確かに何もしなくても祝の命は無事だった。その一方でお前の介入が無かった場合、香椎は部活を止めてたっぽいし、恐らく白石は足を悪くしちまった。分かるな?」
「……うん」
「悪いところばっかり見て、お前の行動で救われた人の事を忘れんなよ。香椎に白石……他にもたくさん。佑斗、お前は間違いなく人を助けた。それをお前自身が認めないで、どうすんだ」
諭すように語り掛けるヨリの声は、決して優しくはなかった。むしろ厳しさと静かな怒りを秘めていたようにすら感じる。しかしそれは決して來見の不甲斐なさを責めている訳ではなく、何故自分の行いを褒めることができないのかという叱咤に違いなかったのである。
來見はヨリの真意を正しく理解した。少なくとも、この従兄は來見の行動を否定する事なく肯定してくれていた。來見が過去を変える為の振る舞いをし始めてから、漸く自分以外の誰かにその努力を認識され受容されていた。
不意に胸に込み上げてくるものがあり、何故か両目が熱くなる。來見はそれを頬の内側を噛んで食いしばり、堪える事に成功した。しかし次に絞り出した声は震えており、ヨリには全て見透かされていたのかもしれなかった。
「……俺がした行動は、間違いじゃなかったんだな」
「当たり前だろ!人を助けようとすんのが悪い事のワケがねぇ」
「そっか」
断言するヨリに來見は湿っぽい声で返事をしてしまう。自分ではすっかり割り切れていたつもりだったのだが、ヨリから見た來見は未だ情緒が不安定であるように映ったのかもしれない。
しかし、それでも。來見の精神の安定を図る意図もあったように思えるが――ヨリが口にしていたのは本心だったのだろう。
荒れ狂い、ざわめいていた來見の心は何時しか落ち着きを取り戻していた。
「だから、いちいち卑下すんな。何か悪い事が起こったとしても全部の責任がお前に行くワケねぇんだから。大体、お前の……現状に関しての元凶はメールの差出人なんだし」
「……うん」
「お前はな、俺からすればバカに見えるほどお人好しだよ。でも笑ったりはしねぇ。すげぇ奴だなって思うし、そのままで良いと思う」
「そ、そっか……」
「……オイ!ここは、いつもみたいにキモがるところだろ!まともに照れんなっつーの!……何だこの空気は!換気するわ!」
はにかんで、その気になっている來見を見て気恥ずかしくなったのだろう。ヨリは雰囲気を変える為に立ち上がり、宣言通りに窓を開けに行った。
冬の空気は冷たかったが、2人の酷使された脳を冷ますには丁度良かったと言えただろう。ヨリは窓枠に腰掛けてあからさまに來見と目を合わせないように、遠くを見つめていたのだった。
「……で、他は?何か気になることは、まだあるか?」
暫しの間、訪れた沈黙を破るようにヨリが小さく口を開く。ここぞとばかりに糖分と水分を共に補給していた來見はコップを机に置き、口の中のものを飲み込んだ。そして一つだけ、気になりつつも関係がなさそうだと除外して、言わずにいた事を述べていく。
「うん……俺に突っ込んできたトラックのロゴが……白砂運輸のマークだった。高校生の時に事故った会社と同じだったからさ。気になると言えば、気になるかも」
「ふーん?妙な偶然もあるもんだな……」
もしかしてブラック会社なのか?と腕を組むヨリに思い当たる節はないようだった。今のところは何の関連性も見出だせない。來見はその偶然を、直ぐに思考の隅に追いやってしまうのだった。
「じゃ、ちょっと整理するか。俺たちの推理だと世界は幾つかの可能性に分岐している」
場の空気が幾分か和らぎ落ち着いたところを見て、ヨリが仕切り直しを宣言する。従兄は手元に用意したメモ帳に走り書きをして、今までの推理で分かった世界の状況を図に興していたのである。
「お前に未来からのメールが来なくて、何の介入もなかった世界。大人のお前が祝を庇って轢かれた未来を一番最初……仮にAの世界って事にするか」
ヨリは横一直線にペンを走らせる。左端に無介入、右端にAと書かれた図は一番最初の、本来あるべき世界を簡単に説明していた。來見はそれを見て、考えを巡らせる。來見のいた世界とは友人達を救おうと行動した世界であり、Aとは別の分岐をしている筈であった。
「じゃあ……俺が高校の時に祝を助けようと行動した世界がB、だよな」
來見の言葉に頷いたヨリは図に新たな線を書き足していく。無介入という文字から伸びた横一直線。その途中から縦に分岐し再び右に伸びていく線をBと置き、左端には介入有と記す。ヨリは忙しなく手を動かしながら、來見にあることを問い掛けていた。
「そうなると……Bの世界にいたお前が、過去に飛んできたっていう分岐。それが……Cっていう世界になるって事か?」
「……うん。ヨリくんが中3の俺を転送装置・第二号機に突っ込んだ、今の世界だな」
來見の発言に、ヨリは痛い所を突かれたように視線を僅かに狼狽えさせる。しかし今更、來見はその件について叱責するつもりはなかった。良いから先に進めろと言わんばかりに首を上下に振ると、ヨリは一息ついて図を埋めていく。
AからBという世界に到達するよりも先に、過去から分岐した縦線。そのまま横に伸ばした新たな線にCの文字を置いた上で、左端には今の世界と記す。
一覧としては実にシンプルな図を見て、來見とヨリは同時に唸り声を上げる。2人はまず、確定しているであろう前提を述べていく事にした。正否を確かめ、推理を進める為にも。
「そうなると……十中八九、差出人はAの世界にいた奴だよな。そいつにとって理想的に過去、及び未来を変えた世界が、Bになる筈だった……って事か?」
「んー……差出人がメールを過去に送ったから、Bっていう世界に分岐したって考えると。その差出人は結局、Aの世界に取り残される事になる気がするけど」
「てことは差出人は次に、Bの世界へ行こうとするワケだ。……そんなピンポイントで行く方法なんて存在すんのか?……いや、それこそ第二号機を使ったとか、か」
「……そもそも、差出人からしたら本当に分岐したのか、なんて知覚できる訳ないよな。未来からのメールに返信しようとしても、結局できずに終わったし」
「転送装置で何かしたのか?いや、でもなぁ……」
何かって何だよ、とぼやくヨリ。転送装置が万能な機械になり掛けているが、その言い分は苦しいとヨリも分かっていたのだろう。思い悩むヨリを横目に來見は考察を進める事にした。
「Bっていう、未来からのメールが届いた世界は間違いなくあった。それは俺の体験と記憶が証明してる。そうなると……」
「……前提が違う……条件が足りないとか?」
ヨリの一言に來見は頷く。様々な条件を思い描いていた來見には、喋りながら気付いた事があった。矛盾なく、説明できるかもしれない仮定。その閃きに確信を持てるか精査する為にも、來見はゆっくりと口を開いていた。
「過去にメールを送る事に成功したという事実をもって、差出人が過去に飛んだ結果。その飛んだ先の世界は未来からメールが送られてくるという分岐をする事になった」
「……なるほど?因果が逆ってことか」
内容を理解したヨリは早口になりながら言葉を続ける。來見の考えと自分の意見が相違ないか確認するように、滔々と解説を口にしていく。
「そもそも、Aという世界の過去では未来からのメールなんて受信されねぇ。本来、何の介入も無い世界だからな。だが、Aの世界で送信に成功していたという未来がある限り、過去にメールが届く分岐は必ず存在することになる」
だからこそ、その事実を以て差出人が過去に飛ぶのならば。その先は必ずメールの受信に成功していた分岐の世界という事になり――來見が過去の改変に動いていたBの世界ということになる。何故なら、そのメールが届く先は來見が持つ携帯電話だったから。
來見は首を大きく縦に振る。そして更に根拠を肉付けをするように話を進める事にした。
「差出人がAの世界で、かなり先の未来にいた人間なら……過去に起きたことは何でも調べられた筈だ」
「言いたいことは分かる。つまり、転送装置みてぇに過去へ情報を伝える手段が確立していたのなら、その予言じみた内容をメールとして送る事ができた。差出人の主観では、それらは既に起こっていた過去の出来事だったから」
「そう!それで一通りのメールを送りつけてから過去に……Bの世界へと飛んできた。B世界という分岐は、未来からのメールが届く事を確定させた張本人がタイムリープしたからこそ起きたんだ!」
矛盾を解消した來見とヨリは、一種の達成感と共に世界が分岐する条件の定義を終える。しかしその原理をメモに書き付けていたヨリは、首を傾げて問題点を指摘した。
「でも、まだ妙なところはあるよな。Aから飛んできた差出人にとって、お前が手駒になる事を確信できるような根拠はなかった筈だし。シドがお前を脅すために出てきたタイミングも仕組んでたみてぇに丁度良すぎる」
「うん……その両者とも、B世界で俺が取る行動を事前に知っていたみたいな挙動だ」
「……差出人とシドはAという世界の未来にいたからこそ、そこで起きた過去について知れた筈だ。途中で分岐した先の……B世界での変化した未来なんて予知できる訳がねぇ」
未知の世界の未来など、知ることができる筈もない。A世界で起きた事件については予め文献を調べるなどして頭に入れられたであろうが、B世界での來見が動いた事による結果は知る由もなかった筈である。起こってすらいない未知の事態については予測する事しかできなかった筈だった。
「俺がA世界での未来に待つ、死の瞬間を見たように……差出人やシドも過去へ飛んできた時に、B世界における自分の未来の記憶を見た、とか?」
「あり得なくはないが……どうだろうな。お前が見た光景は肉体的にも精神的にも未来の話ではあっても、過去の世界のものだっただろ」
ヨリのやや難解な言い回しに來見は僅かに首を傾げる。ヨリは言葉を探すように視線を宙に巡らせると、伝わるのか不安げな様子で再び言い換えていた。
「……B世界という新しい分岐に存在していたお前が見たのは、Aという過去の世界の記憶。一度は通り過ぎた、一つ前の世界の記憶ってことだ。それが差出人やシドの場合は違ってくる」
「その2人はA世界の……一番、過去の世界にいた人間だから。もしもB世界の未来を見たとすると……これから起こるかもしれない、本当に誰も知らない未来の世界の記憶を見たことになる?」
「文字通り、予知したって事になるな。否定できないその現象が、そいつらに起こってた可能性も勿論ある。でも、素直に考えんなら……」
「……あのシドは、ああいう風になる未来を既に経験していた?」
ヨリと來見の考えは一致していた。一度確認できた未来ならば、問題の生じた修正点を正す為に過去へと飛ぶこともできる筈。
過去にメールを送った事実を以てA世界からB世界へと移動した時のように。B世界での修正点――将来的に來見が差出人に逆らうようになるという芽を摘む為に、差出人は呪いの館へと呼び出すメールを送ったという事実を以て再び世界を移動した。その先こそが來見のいた世界であり、謂わばCという世界だったのではないだろうか。
「俺のいた世界は……差出人とシドが少なくとも2回、過去に飛んできていた世界だった?」
「お前が過去を変えつつも、それを途中で止めようとした世界が一つ前にあった。それを差出人に従うような未来に修正、分岐させる為に、シドはお前に立ちはだかった……」
「ややこしくなってきたけど……そうなると、この図は書き直さないとだ」
來見の言葉に従い、ヨリは今までの図に大きくバツを書いて間違いを修正する。
新しく書かれた図は途中までは先程のものと全く同じであるが、更に複雑さを増していた。
一直線に伸びたAという世界。そのある地点からBへと分岐した世界。そして何処から分岐したのかは不明であるが――恐らくB世界の途中、來見が呪いの館に呼び出された事で決定的に分岐した世界をCと書き記していく。
Aとは、何の介入も起こらなかった世界。成長した來見が、同じく長じた祝を庇って死亡する、最も過去にあたる本来の世界。
Bとは、高校生の來見に未来からのメールが送られてきた世界。その過程で、Aの世界では不幸な目に遭っていた人々が助かったとされる世界。そして來見がメールからの――差出人からの支配から逃れようとした世界。
Cとは、細かな部分は不明だが恐らくは途中までBと同じような道筋を辿った世界。しかし來見が差出人の支配から抜け出そうとする事態を防ぐ為に、シドが派遣された世界で――今の來見が過去に飛んでくる前の世界。
「つまり、俺が飛んできたのはCの世界じゃなくて……」
「更にもう一つ、別の世界。A世界がBやC世界に分岐するよりも前の過去から分岐した、Dの世界って事になる……のか」
先ほどまでの図と比較するのなら。Bの途中からCという世界が分岐しており、Cと置いていた世界をDと書き換えた状態と言えば良いのだろうか。
Aの世界から――他の世界よりも最も早くに分岐を始めた、それこそ未来の分からない新しい世界。來見はきっと、そこにいた。
「差出人やシドがAとB世界の記憶を……かなり未来まで持っていたとすると、C世界は八方塞がりの状況だったのか」
事態が混迷を極めすぎて、一周回って來見とヨリは冷静になっていた。それでも止め留めなく回転する思考は一つ前の世界における、自身の立場の分析を終える。來見の言わんとするところを察知したヨリは、素早く関連する内容を引き合いに出していた。
「なぁ、さっき帳消しになった推理があっただろ。差出人はお前の知人だって事と、一通だけ未来のお前が送ったっていうメールについての話」
「あ、そうか。あのシドの視点で、俺の知らないB世界での未来の出来事もカウントされてたとしたら……」
「B世界で会ってたら、C世界では初対面の人間も知り合い扱いだし。お前がまだ送ってないメールについても、未来での決定事項として送る事になっていたからこそ、妙な言い回しをした」
「なるほどなぁ……確かに、すごくもっともらしい理屈だ」
「なに感心してんだオメーは!そいつ、嘘はついてなかったとしても何のヒントも出してねぇんだぞ!おちょくられてんだぞ!?」
さっきの推理は無駄中の無駄だし!と憤慨するヨリは心底シドの意地の悪さに辟易としていたのだろう。不快感も露わに眉をしかめて頭を搔きむしる。しかしその姿は來見が抱いた分の不満も代弁してくれているようで、つい笑いを溢してしまった。
ヘラヘラとしている來見に反発を抱いたのかヨリは白けた視線を向けてくるが、痛くも痒くもなかった。仕方のないものは仕方ない。來見は開き直っていたのである。
「そこはもう、どうでも良いかも。やっぱり……いちいち人を疑うよりは、最初から分かんねぇって割り切った方が楽だし」
「まぁ、お前がそういうプラス思考ができるんなら良いんだけどよ……」
一人で盛り上がっていた事を突き付けられたせいか、ヨリはバツが悪そうに口を尖らせる。その一方で心が上向き始めていた來見は比例するように冴えてきた頭を使い、また一つ仮説を提示する事になる。
「未来からのメールは、俺が中3の頃から携帯を持ってたのにも関わらず、高2になってからしか送られてこなかった。それは間違いないよな」
「送ろうと思えばもっと早く送れたのに、か。実際……この世界ではお前の手に渡るよりも先に、俺のところに来てた訳だしな」
「うん。でも俺を洗脳するつもりだったら、早い方が都合が良いと思うんだ。それこそ、高校に入学して直ぐとかさ」
人生経験の浅い人間とは、視野が狭いという事でもある。その2つは同義だと來見は認識していた。
年齢ではなく精神が。幼ければ幼いほど、より効率の良い洗脳を行えた筈である。
「どうして……そうしなかったんだろう。時期を早めた事で生じる、問題があったのかな……」
しかし、差出人はその方法を取らなかった。少なくとも2回は過去に飛んできているのにも関わらず、である。ヨリはその事実を前に言いにくそうにしながらも、一つの見解を示していた。
「お前の高校時代のダチには色々と不幸があった訳だろ。言い方は悪いけど……仕組んでねぇ不幸を利用する方が、差出人にとって楽だったってのは、ありそうな線だ」
「それは合理的判断ってやつなのかな……何にせよ、まともに相手はしたくないタイプだけど……」
少ない手間で、大きな見返りを。そんな合理を追及した結果がC世界での振る舞いに繋がると言うのなら、他人への悪意が有り余りすぎている。
そこまで他者を物のように利用できるのかと、薄ら寒い気持ちになりながら來見は背筋を震わせた。ヨリも苦々しげな表情を浮かべ、その性根の腐りぶりに嫌悪感しか抱いていないようであった。
「色々と情報を洗い出してみたが、目下の問題としては……」
「差出人とシドが自由に、狙った過去へ飛べるのなら。この世界にも来る可能性がある。いや、もう既に思い通りに行動しようとしない俺を止めに来てるのかも……」
ヨリが情報を纏めだしたところで、來見は心当たりを挙げる。予想される最悪の展開。それは全ての状況を把握している差出人やシドが、再び襲来することに違いなかった。
あるいは言葉にしたように、來見への脅迫の為に既にこの世界にすら来ている可能性もある。しかしヨリはその説を否定するように、片手を激しく左右に振っていた。
「イヤイヤ!あのマシンは作成途中で放棄されてたのを、俺が組み立てたから使えるようになったんだぞ。今この時代に、お前以外に過去から飛んできた人間はいねぇよ。あれ以来、起動なんかさせてねぇし」
もしも作業中に稼働してたら俺が分かる。殆んど毎日、付きっきりで整備してたけど、そんな兆しは一切なかった。
ヨリにそう断言されては來見に言えることはない。そしてヨリは証言を裏付けるように、更に言葉を続けていく。
「それに初めて来る世界では、そいつらは対策が打てねぇよな?D世界の未来は……まだ分かってない筈、だから」
「なら、この現在の世界に俺を追い掛けてきてる人間は一人もいない……のか?」
互いに、しどろもどろになりながら導いた結論は、どこか不安定で薄氷の上に立つ仮説としか思えない。それでも心の拠り所にするには十分で、信じれるものなら信じたい。2人にとって、一筋の希望に違いなかった。
「……そもそもの話。この時代の技術で、そんなオーバーテクノロジーなマシンが作れるのかも……俺は疑問だったりするんだけどさ」
「そこは……お前っていう成功例が証明してるし。できちまったもんは仕方ないだろ?言いたいことは分かるけど、そういうもんだって納得するしかねぇ」
「ううん……」
ヨリの言葉は尤もなものだが來見はつい呻いてしまう。しかし転送装置・第二号機の稼働に本来必要とされるスペックなど、ここで追求したところで正解は出てこないのだろう。來見はあっさりと気持ちを切り替え、他に気になっていた点を聞き出す事にした。
「館の転送装置って、今はどういう状態なんだ。問題なく……動く?」
「制御は俺のパソコンで、都度パスワードを付けてやってた。今は外付けのバッテリーも切れてるし簡単には起動できねぇ……筈だ」
ヨリほど機械類に強くない來見ではあるが、転送装置・第二号機には一定のセキュリティが掛けられていると判断して良いのだろう。それでも渋い表情をしていた來見を慮ったのか、ヨリは一つの提案を申し出ていた。
「……壊すか?そしたら少なくともこの世界には、お前を嵌めようとする奴らは来られなくなる。……多分な」
「え?でも……頑張って完成させたんだろ。あのマシンはオーパーツって言っても良い」
ヨリの思わぬ発言に來見は驚いて、反射的にその是非を問いてしまう。間違いなく転送装置・第二号機は存在しているだけで波乱を呼ぶ。解体してしまうのが一番だと、内心では理解していたのだが。
「そりゃあ、未知のハイレベルな技術は惜しいけどなぁ。他人を巻き込んで追い込むような奴らに来てほしくねぇよ、普通に。おっかねぇし」
「そっか……でも解体にも技術がいるよな。ヨリくん、できる?」
「設計図を見ながら、組み立てた順番から逆算すれば何とか……?取り敢えずは、変な拍子で通電しねぇようにケーブルを引っこ抜いて、何重にもロックをかける必要があるな……」
以前にも言っていた通り、ヨリは転送装置・第二号機の構造全てを理解できている訳ではないのだろう。それでも最善を尽くそうとする姿を見せ、応急措置的ではあるが案を用意してくれている。
來見はこの従兄に相談して良かったのだと、自分の判断は間違いではなかったという確信が益々高まっていくのを感じていた。
「後は、定期的な巡回で人の立ち入りがねぇか確認するとか。……監視カメラでも買ってきて付けるか?」
「やりようは色々あるって事か。気の長い話で、胃が痛くなりそうだけど」
「燃やすなり何なりして跡形もなく吹っ飛ばせちまえたら、いっそ楽なんだけどなぁ」
「いやいや、万が一にでも飛び火したら、えらい事になるでしょ。絶対に却下、放火は重罪。そもそも、誰かの持ち家だろ」
外れとはいえ、住宅街で小火騒ぎでも起こしたら最悪の結末を辿る未来しか見えない。自分の抱える不安を解消する為に他人の命を天秤に掛けるなど、とてもできる事ではなかった。
それ以前に不法侵入、不法占拠をしている時点で犯罪な訳で――人並みに遵法精神のある(と自分では思っている)來見に、その罪悪感は重くのし掛かっていた。
「冗談だっての。でもあそこは空き家らしいから、その内勝手に潰れるかもしれねぇよ」
「そのついでに、二号機も粉々に分解されたら良いんだけどな……勿論、悪用されずに」
「最悪、土地ごと買い取る手もあるぜ?ローン組んでさ」
「お、急に現実的な提案が……いや、直ぐには無理だよな。でも頭の片隅には置いておくことにする」
希望的観測を口にしつつも、ヨリとしては冗談のつもりだったのだろう。來見が真に受けて思い悩む様を苦笑しながら眺めている。
暫くしてヨリは自分に注目を集める為に2回にわたって指を鳴らす。そして來見の目が向けられた事を認識すると、再び総括を口にし始めた。
「話をまとめると!」
「俺たちが監視を頑張ってれば、この世界は平和なまま。誰かの介入もなく保たれるってことだ。お前は多分、その為に過去に来たんじゃねぇの」
差出人やシドが過去に飛んでくる事を防ぐ為に。いや、それよりも正確な表現があった。理解してしまった來見は、その言葉を徐に言い換える。
「それはつまり、Cの世界に差出人やシドを閉じ込めておくって事だよね。でも、そこには普通に生活してる人がいる訳で……」
分岐した世界に、それぞれ独立した未来が待ち受けていると言うのなら――そういうことだった。Dの世界が平和だとしても、Cの世界は既に差出人の介入を許してしまっている。
「それなら、Cの世界の人達は……代わりに不幸になるって事じゃないのか」
過去を、ひいては未来を変えようとする為に手段を選ばない人間が、友人達と隣り合わせで生きている。來見が過去に助けたという事実すら否定するように、害されてしまう可能性がある。
それが分かっていながらも、來見にできることはなかった。ヨリは歯噛みする來見を見つめ、ゆっくりと言葉を選んでいく。
「……酷な話だが。C世界の事は、その世界に住む人間がどうにかするしかねぇ。今の俺たちは別の世界へ、その事実を伝える手段を持ってはいないから」
ヨリの言葉に來見は目を伏せる。それは当然の話であった。転送装置の解析が進んだところで、果たして時空間を超えて、ピンポイントに來見がいたCの世界に向けて情報を送信できるのかは疑問が残る。
悔しげに顔を歪ませた來見を見たヨリは不憫に思ったのであろう。励ますように話を続けていた。
「それでもさ。過去に飛ぶ前のお前が情報を残せてたりしたら……C世界の人はきっと、差出人を追い詰める切っ掛けを掴める筈だ」
それは実に苦しい言い分で、根拠の無い発言だと自覚していたのだろう。意見を述べたヨリは納得できないものを無理矢理飲み込んだ時のように、苦々しい表情を浮かべていた。
「……うん。そうだと、良いな」
それは記憶の欠けている可能性がある來見には、否定も肯定もできない仮説であった。自分がそこまで気が回る人間だったのか、そうでなくとも他の優秀な誰かが事件を解決してくれるのを期待しても良いものなのか。答えの出せないその問題を、今はただ忘れないように心に留めて置くことしかできなかったのである。
「なぁ、多分だけどさ」
來見は話を変えるように、明るい声で言葉を発する。しかし次の瞬間、その口から出てきたのは軽やかな声音とは似つかわしくない深刻な内容であった。
「Cの世界での俺は死んだんだと思う。意識が過去に移動するって、そういうことだろ」
消えている記憶の中で何が起きたのかは分からないが、シドと相対していた來見の肉体は傷付いていた。例えその後に逃げ出す事に成功して再起を図ったのだとしても、最終的にはマシンに入り起動したとなれば――その肉体は脱け殻となってしまうのではないだろうか。
「何で……」
ヨリは思わずといった様子で、口から言葉を溢していた。大きく目を見開いて來見を穴が空く程に見つめる姿は、その仮説を肯定してしまっていた。
「何でお前は、知らない方が良い事まで気付いちまうかなぁ……」
「ヨリくんが臨死とか走馬灯やら言ってたんだろ。何となく気付くよ」
「……言わなきゃ良かった。今、人生で一番と言って良いほどに、物凄く反省している」
「俺に人体実験したことが一番じゃないのかよ。別に良いけどさ」
深々とため息をつくヨリの姿は、言葉通りに今までに見たことがない程に落ち込んでいた。軽口を叩く來見の声も届かないのか、断罪されるのを待つ囚人のように頭を垂れる姿は、罵倒されるのを待っているようにも見える。
「いつか分かることだったと思うよ。むしろ早く知れて良かったのかもしれない……心の整理ができるから」
「……あれが、お前からのメールじゃないって聞いた時、血の気が引いたよ。俺は前の世界のお前が死ぬ……片棒を担いだのかも、ってな」
それはヨリが來見に献身的になる理由にもなっただろう。ヨリの告解はあからさまに後悔の色を滲ませていた。
來見が過去に飛んだ直後、茫然自失となりながらも考えを纏めている間、ヨリも同じようにして思い悩んでいたのではないだろうか。だからこそ、気にする素振りを見せていた未来についても聞くのを止めるようになった。罪の意識があったからだろう。
それでも來見は、事実が明らかになってもヨリに反感を持つことはなかった。記憶にない出来事を責めるのは難しい。來見はヨリの言葉で立ち直ったのだから、この従兄にも同様にすべきだと考えていた。
「これ以上、お前を混乱させたくなかったんだよ。……言い訳にしか聞こえねぇだろうけど」
「分かってる。結局、どうなのかは分からないし。死に物狂いで挽回しようと過去に飛んだ可能性は全然あると思うし。俺はヨリくんを恨まない。だから……謝るなよ?」
もしかしたら統合してる意識がまた分離して、C世界に戻るかもしれないしな。そう続けた來見の言葉は願望混じりではあるが、可能性が全くないとは言いきれないものだった。
今の來見が既に分岐した世界、それも過去へと飛んできている時点で、もはや何が起ころうと不思議ではない。
それならば端から夢物語だと切り捨ててしまうよりも前向きに捉える方が、ずっと精神的にも良いと分かっていた。
なるようになれ。全てをあるがままに受け取る。それでも、何か自分にできることを見付けたのなら――その時、最善を尽くせば良い。
來見はここ数日の経験で悟りのような境地に至ってしまったのかもしれない。とはいえ事件に遭遇すれば、まず間違いなく慌てるだろうという事は目に見えていたのだが。
「おう、でも……本当に悪かったとは思ってる。だから協力は惜しまねぇよ」
「うん。そこは頼んだ」
「……お前はホント、絆されやす過ぎて心配になってくるなぁ」
そう、ぼやいた言葉を最後にヨリの懺悔は終わる事になる。室内は暫し沈黙に包まれていた。しかしその空気を打ち破るように一つ咳払いをすると、ヨリは再び口を開く。
「結局は、だ。C世界で追い詰められた差出人とシドを、こっちの世界に逃がさない為にも!俺たちはマシンを見張り続ける。取り敢えずは、それで良いよな?」
「うん、そうだな」
「良し、じゃあ会議は終わり!死ぬほど頭使ったから、腹減ってきたわ。メシ行こうぜ、メシ」
目下の目標を定めたところで2人は議論を終わらせる。ヨリは立ち上がると上着を着込み、外に出る準備をし始めていた。
「巴さんから飯代もらってたんだよ。手軽に幸せな気分になれるジャンクなフード食いに行こうぜ」
來見の母親から受け取ったであろう札を、ヨリはヘッドボードから取り上げる。そして來見に見せびらかすように数回ひらひらと振ると、そのままポケットに突っ込んでいた。
そんな従兄の姿を目で追いながらも、來見は声を掛けていく。
「ヨリくん」
「ん?」
ヨリは盆にコップを戻し、片付けを行っている為に來見の方を向いていなかった。それでも來見はヨリに視線を合わせて、ゆっくりと口を開く。
「ありがとう。頭がスッキリした。やるべきことも分かった気がする」
「……おう!お代は出世払いで良いぜ」
「金、取んの?ケチくせー」
笑顔と調子を取り戻したヨリは早速、來見に軽口を叩いてくる。來見はそれを口では非難していたが、胸の内では感謝こそすれ不満に思うことなど何一つ存在していなかった。
宣言通りに向かったファーストフード店で、來見とヨリはレジ前に並んで商品が出てくるのを待っていた。季節外れだったからだろうか、ヨリの注文したシェイクに限り準備するのに時間が掛かるらしく2人はぼうっと突っ立っていたのである。
「俺はシェイク待ってるから。先にコレ持って席、探してこいよ」
「はいはい」
ヨリに言われずともそうするつもりではあったが、言葉にされると小間使いのような扱いを受けているようで多少気になりはする。
しかし怒りを抱くほどでもない。來見は適当に言葉を聞き流しながらも、結局は商品の乗ったトレイを持って移動していた。
「冬なのにシェイク頼むとか、ヨリくんの体内どうなってんだ……いや、糖分補給目当てなのか?それともコタツでアイスを食うとか、そういう……?」
従兄のマイペースさに対して無駄に考えを巡らせながら、來見は空いている席を探す。時間帯は昼食時よりも少し遅いくらいではあったがテーブル席の殆んどは埋まっていた。
しかし幸い、窓に面したカウンター席は空いていた為に來見はそちらに向けて足を進める事になる。背もたれのない回転する椅子に腰を下ろし、來見はヨリの到着を待つことにしたのであった。
暇潰しも兼ねて、何の気なしにトレイ上のチラシを眺めるとQRコードが目に入る。専用のカメラで映すと、携帯端末向けのウェブサイトに繋がるらしい。
そういえば伯父から貰った携帯電話にも読み取る機能が付いていた筈である。そんな事を思い返すと同時に、來見は一つ放置していた存在に気付いた。
「そういえば。電源、落としっぱなしだったな」
來見はずっとポケットに入れていた携帯電話を手に取ると、電源を入れてみることにした。すると、直ぐ様メールの受信を知らせるランプが点灯する。忘れていたが、内容を確認せずに無視してしまっていたのだった。
(見て……みるか。イタズラメールかもしれないし)
未来からのメールとは限らないし、未だアドレスを変更していない為に伯父に宛てたものなのかもしれない。
軽い気持ちで――そう初めて未来からのメールを見てしまった時と同じように、深く考えもしないで來見は折り畳み式の携帯電話を開いていた。
すると、何の操作もしていないのにも関わらず。自動でそのメールは開かれていた。何時ものように、未来からのメールが来る時と全く同じ挙動で。
「あれ、先に食ってて良かったのに……おい、どうした?」
ヨリはのんびりとシェイクを飲みながらやって来る。そして固まっている來見の異様な雰囲気に気付くと、肩を掴んで揺さぶっていた。
Aの世界にいた差出人は過去にメールを送ることに成功した。その事実を以て過去に飛び、未来からのメールが届くBの世界に――そしてCの世界へと移動した。
では、このメールは?それだけではなく、ヨリへのメールは?
ヨリにメールを届けることに成功したC世界の誰かが、既にこのDという世界に来ているという証明なのでは?
「……結局、誰がこの世界のヨリくんにメールを送ったのか。まだ分かってなかったよな」
送信者は未来の來見かもしれないという予想だけで、判明はしていない。C世界の來見にメールを届けていた差出人と、同じかどうかも判然としない。
「俺はこのメールを見て、どうするべきなんだろう」
日付。時間。場所。そして誰かが被害に遭うこと。それらが無機質に綴られている。
このメールはいったい誰が、どの世界から送ってきているのか、依然として不明なままだった事を來見は忘れていた。
「俺が過去に飛ぶのがバレてて……他の誰か――差出人が再び俺を操ろうとして、メールを送った末にタイムリープしていたら……」
「ハイ、ストップ」
「痛っ!?」
渦を巻き始める來見の思考は物理的に遮断される。來見の額はヨリの中指によって弾かれていた。反射的に声を上げた來見を横目にヨリは隣の席に腰を降ろす。そして呆れたように半目になって、來見に向かって口を開いた。
「あのなぁ。目先の情報に囚われるんじゃなくて、順番に状況を整理しろよ。慌てんのも分かるけど」
「え、でも…」
「お前の考えはこうだろ?送信者が、これまでと同様の手段を取っていたら、ヨリくんにメールを送った差出人が既にこの世界に来ているという事だ。だから終わりだ。ゲームセット」
「終わり……とまでは思ってないけど。二号機以外に転送装置があったとしたら、可能だろ」
転送装置・第二号機はヨリが完成させるまで使用できなかった事を考えると、他に同様の性能を持ったマシンが存在する事になる。
それは未だ自分達が差出人の魔の手から逃れられていないも同然であり、來見の心は再び荒れようとしていたのである。
「つまり?みすみす、お前が過去に飛ぶことを許容した上で、俺に二号機を完成させるように促すメールを送って?更に自分がその過去に飛べるように、別の誰かに三号機でも作るように指示したと」
「……あ、あれ?それは何か、回りくどいというか。矛盾してる……?」
ヨリの口から溢れ出す仮定。予測される差出人の行動には確かに違和感があった。勢いを失った來見が、その問題を解消する為に推理を始めようとする前に、ヨリは先んじて話を進めていく。
「自分で言ってただろ。お前の携帯電話に未来からのメールが届くから、特別なんだって話をさ」
「……あ!もし他にメールの送り先があったのなら。別の誰かを対象に選べるのなら、BやらCの世界で反抗する俺に……わざわざ固執する必要がない?」
「別の人間を探せば良いよな。もっと言うことを聞かせやすそうな奴とかさ。俺だったらお前は選ばないね、頭が回りすぎて真意に気付きかねないし」
ヨリの指摘に來見は息をのむ。長く続いた議論によって來見の頭は鈍っていたのかもしれない。
確かに差出人が着実に過去や未来を変えようと手を打っていた事を考えると、來見という不確定要素を多分に含んだ人間は扱いづらい事この上なかったようにも思えた。
未来からのメールを受信できたのは來見の携帯電話だけ。それは今のところ反論するべきところがない事実に違いなかった。
しかし、そうなってくると確かめなくてはならない事が一つだけ生じていた。
「……今から嫌な事を言うけど、ごめん」
「親父の事だろ」
ヨリは何を言われるのか勘付いている口振りで、ハンバーガーに手を伸ばす。その落ち着き払った態度は、配慮する必要はないから好きにしろと言わんばかりで。來見は発言を許された気持ちになりながら、徐に口を開いていた。
「……この携帯電話の……俺より以前の持ち主は伯父さんだ。伯父さんが、俺たちも知らない別の転送装置を作成していた可能性は?」
「無い!……俺の個人的な見解でしかないけど。親父に機械類の修理と組み立てなんて、できねぇよ。新しいもの好きの癖に、エンジニアって点では壊滅的だからな」
ヨリの言葉に來見は安堵する。身内を疑われたというのにヨリが悪感情を剥き出しにしなかった事と、信憑性のある証言の両方に。
來見は頷きながら、伯父に関する分析を続けていく。
「モラルも、しっかりしてるしな……俺に携帯を譲る時にもヨリくんを経由して、ちゃんと初期化してたし」
「未来からのメールなんて来ても、スパムだと思って直ぐにブロックするだろうし。知らない人間から来たもんなんか一瞥もせずに捨てるからな、うちの親父は」
どこか遠い目で語るヨリは、その伯父の行動で大変な目にあった事があるのかもしれない。例えば、大事な書類がゴミ箱行きにされそうになったとか、知人のアドレスの変更に気付かずに連絡が送れないと伯父に騒がれただとか。
來見はヨリに釣られるように食品に手を伸ばしながらも、更に浮かんだ疑問を口にした。
「じゃあ送信者は……この世界に来ていないんだ。なのにヨリくんへのメールは届いてる事になるけど」
それは來見とヨリが定義した、世界が分岐する条件と矛盾している。ヨリにメールが届いた原理は再び謎に包まれてしまった。
「あるいは、お前が飛んでくる世界だから俺にメールが届いていた、とか。……それだと因果が捻れてんだよなぁ、時間の概念が狂ってやがる」
「うーん……まぁ、何が起こっても不思議じゃないけど」
自分よりも機転が利くであろう(と來見は思っている)ヨリに分からなければ、今は理解を諦めるしかないのだろう。それでも他人任せの思考は良くない。念のために、仮定を進めてみる事にした。
「俺の記憶が消えてる中で……俺がシドから逃げ延びる事に成功していたとして。過去について調べて、その情報をメールで送ってから過去に飛んだなら良い。でも……」
差出人と同じやり口で過去に飛んだということ。世界が分岐した契機は過去にメールを届けた送信者である來見が、その過去に飛ぶ事が条件だったという場合。
全てをやり尽くし、手を打った後に転送装置を使用して今に至るのなら構わない。だがそれを確定できる根拠は存在していなかった。
「自分が自分を裏切ったりはしねぇからな。恐いのは、俺にメールを送ったのがお前じゃなかった場合か……でも今のところは大丈夫なんじゃねぇの」
「……俺たちの見解では。差出人やシドは、この世界には来ていないって結論を出したから」
「そういうこと」
ヨリは首を縦に振ると、会話が一段落したと思ったのか勢い良く口の中に食品を詰め込んでいく。
來見としても、折角の料理をわざわざ冷めた状態で食べたい訳ではない。小さく手を合わせると、ヨリに倣って目の前の食べ物を消化する事にしたのだった。
「でも、そうか。メールが届いた原理は不明なままか……」
明確な謎を放置するのは釈然としない。そんな不満が言葉に滲み出ていたのだろう。ヨリは來見を見て肩を竦めるが何も発言する事はなかった。それも当然である、言える事がないのは來見も同じだったのだから。
そもそも推理を進めるには情報が足りていない気がする。來見はその疑問を今までと同様に、一時的に脇に置いておく事に決める。來見は割り切って、再考すべき時を待つ事にしたのであった。
「そういや、今の話を経て気になったのがさ」
「ん?」
來見とヨリが殆んどの食事を終え、長閑な空気が漂い始めた頃。不意にヨリが声を掛けてきていた。
その表情は深刻なものではないが、興奮している様子でもない。単純に思い浮かんだ考えを検討する為に、來見へ確認を求めてきているようであった。
「お前が前の世界で見た館の転送装置と、こっちに来た直後に見た第二号機は同じような感じだったんだよな?……えーっと、外見的に」
「うん。暗かったから細部に関しては自信がないけど……デカいガラスみたいな筒から、ケーブルがいっぱい延びてて。足の踏み場に困るくらいだった」
「なるほど……要するに前の世界でもマシンは起動できる状態だった、と」
目を瞑り呻いたヨリの言葉に來見は目を丸くする。確かに、その通りであった。
この世界に来た來見が見た転送装置・第二号機は稼働した直後の姿で。それが過去に飛ぶ前に見たマシンの状態と一致しているという事は、Cの世界でも転送装置は既に完成していた事を意味していた。來見は堪らず考察を始めてしまう。
「差出人が世界を移動している事を考えるなら、その方法はマシンを使ったタイムリープだろうし……そうなると前提として本来の世界でも、差出人はマシンに入っている必要がある」
「おう。でもマシンの完成は本来の世界では……俺が作るよりも後の事の筈だ。俺が見たマシンは途中で放棄されてたからな」
Aという世界を元に世界が分岐していくのを考えると、メールに促されたヨリが触らない限り転送装置・第二号機が本来の時間軸よりも早く出来上がる事はない――筈であった。少なくとも2人の考えでは。
「つまり、本来の時間軸では……第二号機が完成するのは2011年の2月18日よりも後の事だった?」
「更に言うなら。C世界での完成はお前にメールが届き始めるタイミングを考えると、2012年4月11日より前の事になるだろうな。……これは、さっきの因果の捻れが無ければって話だけど」
ヨリの言う捻れとは。過去にメールを送った差出人が先に――2011年4月11日より以前の日付にCの世界に来ていたからこそ、後天的にその世界がメールの届く分岐になった。という原理とは逆であるということ。
未来からのメールが届く世界だからこそ、その世界へ移動できた場合は。2011年4月11日よりも以前に飛ぶ必要はないという事である。そうなると館の転送装置が完成するまでの期日は、來見がその目で確認をした日――2012年9月8日までに延びる事になる。
更に言えば。後者の場合、差出人がCの世界に来ていたかどうかも、怪しくなってくる。どのタイミングで飛んできても良いという事になれば、シドだけが尖兵として送り込まれていた可能性が浮上するからであった。
「とにかく、重要な事は……差出人が俺よりも早く先にこの世界に来たかった場合は、俺の携帯にメールを送らなきゃいけなくなるから……」
「さっきの結論から考えると、それは不可能だって事だな。繰り返しになるけど、親父に機械系はムリだから」
「そこで因果の捻れも考慮した場合は、やっぱり差出人をこの世界に移動させない事が何よりも優先される。具体的に言うと……この世界での差出人となる人物をマシンへ絶対に入れないこと」
「だな。今のお前みたいな……未来の情報を受け取ったような状態には、絶対にさせねぇって事だ。結局、行き着く結論は同じってワケか」
ヨリの発言に來見は頷く。長々と何度も遠回りをしたが、やるべき事は変わらない。來見はより明確にその至上命題を胸に刻み付けたのだった。
ところで、來見には一つだけ口に出さなかった事があった。
それはヨリがBやCの世界で、Dの世界と同じように早くから転送装置・第二号機を完成させていたのではないかという仮定。しかし少なくとも前の世界では、そんなことはしていないと來見は判断していた。
もしもDの世界と同様の文面でヨリを唆していたとすれば、稼働の可不可を確認する為に來見をマシンに突っ込まずにはいられなかっただろう。しかしそんな記憶はなく、昼寝から起きたC世界の來見はヨリと呑気にゲームをしていた。
あるいは、知的好奇心をくすぐる形で第二号機を組み立てさせようとしていたら。その場合は未来からのメールが送られてくる携帯電話という謎の技術品を、來見に渡す筈がなかったと思うのだ。
そんな未知の面白そうな精密機械をヨリが手にしていたら、飽きるまで分解していじくり回しそうなものである。しかし、そんな事もなくC世界の來見は携帯電話を譲り受けていた。
そしてDの世界に至っては。研究する暇がない程に連続してメールが送り付けられていた上に、従弟の死に対する幇助と責任感を強く感じていた。だからこそ大人しく携帯電話を手放したのだと、來見は認識していたのである。
つまりは――ヨリは味方である。色々と考えを巡らせた上で出た結論は、それだった。そして上記の考えは來見の中で提起されつつも氷解した事なので、言う必要はないと心の中で閉まっておく事になったのだった。
「そうなってくると、やっぱり俺は差出人の魔の手から逃れようとして……過去に飛んできたように思うんだ」
「んー……俺としても、お前にメールを送ってた差出人と俺に送り付けてきた送信者は別人な気がするんだよなぁ」
「……じゃあ、このメールも別人からなのかな。それが俺だったら良いんだけど」
未来から来たメール。その最も新しく受信された文面を眺めて來見は呟く。その声に迷いがあるのを感じ取ったのだろう、ヨリは頬杖を突きながらこちらに向き直っていた。
「悩んでるところ悪いけど。……お人好しのお前がさぁ、事前に情報を知っていて、助けに行かないなんて出来んのか?」
「それは……無理な相談、かも?」
「じゃあ、仕方ねぇ。これも割り切るしかねぇな」
來見の起こしてきた行動を聞かされたヨリは、その性質をよく理解していた。もはや返ってくる内容すら把握していたのだろう。あっさりと來見の悩みを切り捨てて、端的に結論を口にする。
「何をさせられようとも、黒幕がこの世界に来れなきゃ良い。最悪……あいつらの都合の良い世界に改変されそうになっても、当人が来れなきゃ意味がねぇんだから」
もはや來見を止めようともしないヨリは、むしろ背を押すような理論を振りかざす。それは実に極端で、言うほど簡単な事ではないと分かっていた。
それでも來見は一つ頷き、ゆっくりと口を開く。何故ならそれは、とても建設的な考えだと來見も同意するところだったから。
「……うん。俺が行動するのは多分、きっと自己満足でしかない。でも……ヨリくんも手伝ってくれる?」
「ここまで来たら、泥舟だろうが乗ってやるよ!言っただろ?俺にもお前を過去に飛ばした責任があるってさ」
來見からの協力の要請をヨリは当然のように承諾し、任せとけと息巻いてすらいる。頼もしい協力者を得た來見は知らず知らずの内に口元を緩めていた。
「……そうだよ。これまでの世界と、Dの世界ではメールの送信者が違う可能性は十分ある。だからこそ内容を知られてはいけないっていう、忠告がなかったのかもしれないし」
ヨリに伝えられたメールには、釘を刺すような文言は存在していなかった。それは、もしかすると分かりやすく差出人の違いを示していた可能性もある。來見は推理を口にしながら、更に言葉を続けていく。
「その注釈は……そもそも、俺を孤立させる為のものだったかもしれないし。周りに相談させないようにする、っていう」
それは來見に対する差出人からの悪意を思えば、当然のように行き着く理屈であった。ヨリは残り少なくなったポテトを口に投げ入れながら、來見の意見に同意するように首肯する。
「今回、その注意書きが無かった事を良いように解釈するなら。周りに知られても良いから、これから起こる未来を変えろって意味にも取れるしな!」
「……うん。きっと、行動しても大丈夫だ。だから一緒に助けに行こう」
來見はヨリと無言で一度、片手同士を叩き付けた。それは両者の意見の一致と協力関係の締結を、改めて確認した動作だったのだろう。
來見は氷の溶け始めたドリンクを一気に呷る。一抹の不安を抱きつつも既に展望を定めた來見は、前向きに進もうという気概に満ち溢れていたのであった。




