17-1 呪いの館
苛立たしくなる程の頭痛と、込み上げてくる吐き気。
酷い風邪を引いた時のような最悪の気分と共に、來見は意識を取り戻していた。
「う……」
眠りから無理矢理に叩き起こされたかのような不快感が体を支配している。頭が鈍く霞んでいるのを理解していながらも、來見はフラフラと立ち上がっていた。
手に当たるのはガラスのような冷たい感覚。來見はぼんやりと視線を巡らせながら、状況の把握に努めていた。
(俺は……死んだんじゃなかったのか?撃たれた筈なのに、足が痛くない……)
それは感覚が消失しているという訳でもなく、來見の足は意識した通りに動く。そもそも身体中に銃弾を撃ち込まれた筈なのに、頭痛以外の痛みが全く存在してしない。そんな怪奇現象を薄気味悪く思いながらも、來見は一先ずその場から移動する事にした。
(これはあの時の……よく分からない機械?何で、この中に俺はいたんだ?)
來見がいるのは、透明な壁に囲まれた密閉空間。しかし目の前には、うっすらと四角い形に縁取られたドア枠と取っ手代わりの押し板のような物体が見える。そのまま導かれるようにして戸を押すと、來見は謎の機械から簡単に脱出する事ができた。
「ここは……」
周りの景色から考えるに、この場所は來見が訪れた呪いの館で――別棟の階段を下りた先にある、最後に逃げ込んだ研究室そのものとしか言い様がなかったのであった。
今し方、來見が出てきた機械は室内の中央に鎮座する巨大なガラスの筒で。その上下に取り付けられた蓋のような基盤からは、やはりと言うべきなのかおびただしい数のケーブルが伸びている。壁の両側には棚が置かれ、來見が隠れていた場所も存在していた。
「そっくり、そのままに見えるけど……」
來見が強い既視感を覚える光景をぼんやりと眺めていると、不意に硬い物を落としたような音が響く。背後を取られる恐怖から反射的に振り返った來見の視線の先にいたのは、思いもよらない人物であった。
「……ヨリくん!?」
「お……」
軽くパーマのかけられた明るい灰色の髪に上まぶたの厚い一重。そして切れ上がった眉の組み合わせは、どう見ても來見の年上の従兄弟の姿だった。
善知鳥 誉利。彼は目を見開き呆然としながらも、次の瞬間には力強く來見の両肩を掴んでいた。
「せ、成功した!成功したんだな!」
「な、なに?何の話を……」
「佑斗!今日はな、2月の18日!」
戸惑う來見を他所にヨリは興奮した様子で言葉を続ける。來見の認識する現在の暦は、まだ夏の暑さが残る9月の初頭も初頭であった。いきなり数ヵ月も経っている訳がない。
しかしその一方で、確かにその通りだと同意する心もあった。そんなことはあり得ない筈なのに。
食い違った情報を整理しようと來見が考えを巡らせる前に、ヨリは決定的な一言を発していた。
「今は2011年だ!お前は、未来から来たんだよな!」
「……は?」
頭がズキズキと痛みを訴える。指先が急激に冷たくなっていく。
そういえば、ここはとても寒い。思えば來見は靴すら履いていなかった。目の前のヨリは不思議と厚着をしている。いや、冬なのだから当たり前だ。何故なら昨日は雪が散らつく程の寒さであったのだから。
纏まらない思考の中、來見は自分の姿をよく確認してみる。身に付けていたのは懐かしく、着慣れた白いYシャツに黒のスラックス。それはとっくの昔に卒業した――いや、未だ在籍している中学校の制服であった。
「なぁ、どれくらい先の未来から来たんだ?最先端の技術とか、どんなのがある?あっ、流行りとか教えてくれよ!な!」
「あ……わ……」
詰めよってくるヨリに、來見は目を回す。このまま眩暈で倒れるのではないかという危惧が頭を過り、來見は咄嗟に声を上げていた。
「ヨリくん!」
「うおっ」
「悪いんだけど、俺が一番……分からないんだ。何でこんなことになってるのか……」
ごめん、と反射的に小さく謝る來見を見てヨリは一度距離を取る。來見が圧迫感から解放された事でため息をついていると、ヨリは後頭部を掻きながら口を開いた。
「や……悪い、ちょっと興奮しすぎた。そうだな、未来から来たばっかりなら混乱しても仕方ねぇ」
ヨリは申し訳なさそうに研究室の入り口まで戻ると、床に落とされたままになっていたコンビニの袋を持ち上げる。そして隅に畳まれていたカーディガンやブレザーを回収すると、來見に向かって投げ付けていた。
「とりあえず、それ着ろよ。寒いだろ」
「着ろって言うか……これ、俺の上着……」
「あと靴とコートもな!じゃ、とりあえず座ろうぜ。話すのは落ち着いてからで良いから」
もしや來見が寒々しい格好をしていたのは、ヨリが原因なのだろうか。事実を追及しようとするも先手を取られて封殺される。
胡乱な視線をヨリに向けながらも、來見は勧められた通りに服を着込む事にした。混乱を収める為にも、一旦腰を落ち着かせるのは悪くない判断だと認識していたのである。
「……さっきも言ったけど、今は2011年の2月18日だ。お前の記憶はどうなってる?覚えはあるか?」
ヨリは空になった缶コーヒーを地面に置き、徐に話し始める。2人は暫くの休憩を取ってから情報の擦り合わせを行おうと決めていたのである。
ヨリが購入してきた食品を分けてもらったお陰で、來見の体は暖まり幾分か平静を取り戻していた。気付けば頭痛も収まっていた為に問題なく思考を行う事ができ、ある程度までは自分の持つ情報の整理も終えていたのである。
「……うん。今日はヨリくん家で集まって、皆で飯を食う予定だった。でも俺は学校が終わった後に直行したから――夕飯まで時間があったから、俺は昼寝をしてて……」
目を覚ましたらここにいた、そう続ける來見の言葉にヨリは頷く。來見の語った供述におかしな点はなかったのだろう。従兄は驚いた様子もなく話を続けようと口を開いていた。
「あぁ。お前が寝てる間に俺は帰ってきて、入れ違いになる形で親達は出掛けて行ったんだ。俺が知ってる中3の佑斗の記憶は問題なさそうだな……」
最後は独りごちるように呟くヨリであったが、來見はその状況に覚えがあった。高校生の來見が呪いの館に侵入する前に、ふと思い出したヨリとの些細な喧嘩の記憶。あれは確か、丁度このくらいの時期に起きた出来事であり、來見は帰ってきたヨリに叩き起こされる筈であったのである。
(俺の体験した過去とは、違う事が起きている……?)
そもそも中学生の來見は眠っている間に、何故か呪いの館の研究室に移されている。來見はその異常性を問い質そうとしたのだが再びヨリによって遮られ、一方的に質問を投げ掛けられていた。
「なぁ、未来の記憶はどうなってる?いや、今のお前からしたら過去に体験した出来事なんだろうけど……」
ヨリの言う記憶とは、來見がこれから迎える筈の高校時代について指し示しているのだろう。それを話すという事はヨリが未だ全く知らない、先の出来事を教えてしまうという事を意味していた。そして來見の胸には一つの疑念が浮かんでいたのである。
(これって……話しても大丈夫なんだろうか。あのメールには、未来に関して決して口外してはいけないって書かれていたよな)
不用意な行動をしたら最後、取り返しのつかない恐ろしい事が起こってしまう――そこまで考えて來見はふと我に返る。いや、そんな事は書かれていなかった。周囲に説明する難しさから來見が勝手にそう思い込んでいただけだ。被害が拡大するのを恐れて、ただ神経質になりすぎていただけであった。
(そもそも、俺はこんな過去は知らない。今みたいな状況になった記憶もない。だから先の事を話しても大丈夫……なのか?)
今まさに時間が流れている現在が來見の体験した未来に繋がる事がないのであれば、特に大きな問題は生じないように思えてきてしまう。ヨリにとって未知の情報を漏らしてしまう事への不安はあったが、來見は今の状態を正しく把握したい気持ちの方が強かった。
ヨリは黙り込んでしまった來見を見つめ、返答を急かす事もなく待っている。その視線に負けてしまった訳では決してないのだが、來見は結局のところ自分の欲望を優先してしまったのであった。
「うん……そうだな。高校の記憶はあるけど、すごく変な感じ。さっきまでの出来事を思い出そうとすると、2つの記憶が交互に呼び起こされるんだ」
來見は素直に、自分の身に起こっている感覚を説明する。今は9月だったと認識していた筈なのに、ヨリからもたらされた2月だという事実もすんなりと受け入れている。夏なのに厚着をしているヨリを見て違和感を覚えたのにも関わらず、冬なのだから当然だという方向に思考が切り替わっていた。
その2つの認識は致命的にズレているのに、違和感なく來見の中で併存している。その不自然さを解消しようと、來見はヨリに言葉を溢していた。
「中3の俺が昼寝するまでの記憶と、高2の俺が館に侵入した記憶。その両方が……鮮明に思い出せる。おかしいよな、高2の俺が主体になって昔の事を思い出そうとしたら、絶対に少しは薄れてる筈なのに」
「なるほど……?なら、もっと昔の記憶は?中学生のお前と高校生のお前は、全く同じ過去を経験してんのか?」
それはつまるところ、今の來見の人格はどちらが主だっているのかという質問でもあったのだろう。もしも相違があるのならば、高校生の來見が自分とは別の過去を送った記憶を後から得た。そうではないとすれば中学生の來見が、これから起こり得る未来を見た。
ヨリの真意は置いておいて、少なくとも來見の思考はそう判断する。その事を踏まえて、よくよく思い返してみたのだが――來見の中には違う経験をした過去というものは存在していなかった。
「できる限り思い出してみたけど……別の過去を送ったりはしてない、全く同じだ。でも……」
「でも?」
口ごもった來見を、ヨリは興味深そうに見つめる。会話を敢えて途切れさせるという話術はヨリに聞く姿勢を取らせる事に成功していた。
漸く主導権を握った來見は、流されていた話題を口にする絶好の機会を得ていたのである。
「高校の俺の記憶だと、中3の俺は昼寝の後にヨリくんに起こされた筈だ。でも、そうはなってない。中学生の俺がこの場所へ来た記憶はないんだ。……ヨリくんは俺に何をしたんだ?」
ヨリの言動を思い返すと、來見が呪いの館にいるという状況は従兄にとって何ら不自然な事ではないようだった。しかし來見に言わせれば、それは違う。
寝ている間にヨリの家から連れ出されたとして、何故この場所――謎の機械の中へ移動していたのかという疑問。それに加えて肌寒い季節にも関わらず、ヨリの家では着ていた筈の幾つかの衣類が取り外されていた違和感。
しかし、全ての疑念は恐らくたった一つの謎を解き明かせばはっきりとする事だろう。それは、何故ヨリは來見が未来から来た事を知っていたのか、という一点だった。
(そうだ……ちゃんと、聞かないと。そうしないと俺はまた、あの未来を迎える事になるかもしれない……)
來見は一度死線をくぐり抜けた事で、感覚が麻痺してしまったのかもしれない。真相に迫る恐怖は確かにあった。來見が問い質そうとした事で、目の前のヨリが豹変するのではないかという懸念もあった。
あったのだが――自分の未来の為に、あるいは再び災禍に見舞われる可能性がある友人達の為にも、覚悟を決めなければならないと來見は理解していたのであった。
「……高校生のお前は、ここに来たんだよな?」
「え?うん、行った事には間違いないけど」
「……そうだな、確かに抱いて当然の疑問だ。でも俺は……お前は全部、理解してるもんかと思ってた」
「……どういうこと?」
ヨリは來見の質問に眉尻を下げて閉口する。そして言葉を探すように宙に視線を彷徨わせると、懐から一つの機械を差し出したのだった。
「んー……これに見覚えはあるか?」
「……あっ!俺の携帯電話!」
「厳密に言えば、これからお前の物になる携帯だな。それじゃあ、こっちは?」
ヨリは來見の目の前で携帯電話を操作し、受信ボックスに届いていた一通のメールを開いて見せる。その内容は驚くべきものであり、來見に既視感を覚えさせるものでもあった。
「あなたは私を助けてくれますか?」
來見の元に届いた未来からのメール、その1通目。それと全く同じ文面のものが、來見の元に来るよりも早い時期に送信されていた事を知らしめていた。
「知ってる。知ってるけど……俺に届くのは、もっとずっと後の事だ。中学生の俺に、このメールを受け取った記憶はない」
「ん?あぁいや、悪い。俺が聞きたかったのは、そういう事じゃなくて……」
「え?」
そういえばヨリは、來見が全てを理解していると思っていたと発言していた。では、このやり取りは何の確認であったのだろう。混乱する來見を他所に、ヨリはやり方を間違えた事を反省するように頭を掻いて口を開く。
「それは未来のお前が送ったメールだ。俺は未来のお前に助けを求められたから、行動した……筈なんだけど……」
発された言葉に來見はただ目を丸くする。その姿から、來見には全く身に覚えがないのだとヨリは理解したのだろう。続く言葉は途切れ途切れになり、語気が弱まっていくのが分かる。
「佑斗……お前、メールを送った記憶……ないんだな……?」
「えっ……な……無い、ですね……」
気まずさから思わず敬語になる來見。深刻な状況とは裏腹に妙な雰囲気が辺りを包んでいくのが分かる。笑うところではないのに笑いが込み上げてくるような――來見の脳裏にはカリギュラ効果という言葉が過っていた。
來見とヨリの間には沈黙が生まれ困惑だけが残される。明らかに現在の状況を正しく理解しているものが、この場には存在していない。2人は指針を見失い、呆然とする事しかできなかった。
「なるほど、道理で混乱してたワケだ。よし、会議だな」
暫くの間、混迷を極めていた空間。しかしヨリの発言によって、その異様な雰囲気は一度断ち切られる事になる。
「会議」
「作戦会議!お互いの情報を隠さず話す!そうしねぇと、何もかも意味不明だからな!気色悪い!」
ヨリを問い詰めようとした矢先に出鼻を挫かれた事で來見は気が抜けてしまっていた。思考すら放棄しかけていた為に、単語を復唱する事しかできない。その怠慢を咎めるようにヨリは來見の肩を叩き、発破を掛ける為だろうか、殊更に大きな声を上げていた。
「そうは言っても……どこから、何を話せば良いんだか……」
「とりあえず、俺から……何でお前がここにいるのかっていう経緯を話す。お前の状況整理は後。過去と未来が入り組んでて、ややこしそうだし」
「……分かった。ヨリくんのいきさつは俺も聞きたかったし……お願いします」
ヨリの言う通りに、來見は自分の事は横に置いて話を聞く姿勢を取る。今はこの頼りになるのかならないのか未だ不明な従兄の言い分を真面目に、しかし何処か話半分に――嘘が紛れていないか注意しながら聞くことにしたのだった。
「さっきも言ったけど、俺は未来のお前から助けを求められたと思ってたワケ。まぁ、最初のメールが来た時はイタズラか何かだと思って無視してたんだけど……」
「何で俺からだって思ったの?途中からメールを信じた理由は?」
「慌てんなって。ホラ、これ見ろよ。日付と内容の両方な」
自分も未来からのメールを信じた人間だというのも棚に上げ、來見はヨリを質問攻めにする。そんな駄々を気にする事もなくヨリは手にしていた携帯電話を來見に渡し、自分の目で真実を確認させようと促していた。
「これは……」
「お前も知ってる内容か?一応説明しておくと……最初のメールの後から未来の出来事を記したメールが届くようになった。見る気がなくても勝手に開く上に次々と的中させるから……」
來見の目に映ったのはヨリが発した言葉通りの、大量のメールだった。來見の元に届いたような、交通機関の事故に加えて現在地よりもかなり離れた地域での突発的な停電など。人災から自然災害まで、事前に予見するには酷く難しい内容群。
來見には覚えがないものも多く存在していたものの、送り付けられたメールは受信した時点では誰にも知り得ない内容が記されているのが分かる。
「だから、本当に未来からメールが届いてるって信じるようになった。……俺と同じだな」
來見の溢した言葉にヨリは頷いて肯定する。その思考回路を來見は責める事はできなかった。自分が取ってきた行動を思えば、そんな資格は存在すらしていなかった事だろう。
「そんで、俺がメールを信用し始めた頃になると……また毛色の違った内容が届くようになった。確か、この辺りからだな」
ヨリは來見が手にしていた携帯電話を横から操作し、また新たなメールを開く。容量が大きすぎて、携帯電話のスペックが追い付いていないのだろう。ゆっくりと時間をかけて表示されたのは文字ではなく、何かの図面らしき画像であった。
「これは……?」
「設計図……の一部だな。これ以降のメールは、こんな感じの画像が細かく分けられながら送られてきた。それを全部合わせると……完成させる事ができるようになってたんだよ」
「完成って、何の」
來見は疑問を口にしながらも、頭では答えを導き出していた。どうして自分は中学生に戻っているのか。何故ヨリがこの場にいるのか。そして自分は目を覚ました後、一体どこから出てきたのか。それはヨリの言葉を聞いていれば――少し考えれば直ぐに分かる事だったのである。
「タイムマシン。人を未来から過去へ運ぶ夢の装置。お前が入ってた、あの筒の事だよ!……タイムマシンってのは仮称だけどな」
ヨリは至極嬉しそうに來見へと笑顔を向ける。あっさりと行われた答え合わせに來見は感情の行き場を失い、暫し呆然としてしまった。
「それで、最後に……こいつの稼働方法が送られてきたワケだ。差出人が分かるように、お前の名前を文末に添えてな。……これが俺のいきさつ。何か質問あるか?」
「いや、でも。俺はそんな事してないよ。俺の最期は……」
ヨリの言葉に來見は額を押さえながら、直前の出来事を反芻する。
突如として始まった隠れんぼ、シドと繰り広げた問答。そして体に受けた幾つかの銃弾と、確かに感じた額への痛み。そのどれもが來見を絶命たらしめる要素であったとしか思えない。しかし來見は未だ、何故か生存していた。
「……どうした、大丈夫か?」
「うん……」
考え込んでしまった來見にヨリは気遣わしげに声を掛ける。言葉少なな來見を心配しつつも、しかし何の慰めもできないと思ったのかもしれない。ヨリは自分の落ち度を反省するように、所在なさげな様子で頭を掻いていた。
「……よし、じゃあ次はお前の状況を整理しよう。さっきの話を聞くに、お前には2つ記憶があるんだよな?」
「う、うん」
空気を変えようと思ったのかヨリは明るい声で話し始める。その変わり身の早さに來見は僅かに圧倒されていたのだが、向き直ったヨリはどこか緊張した神妙な面持ちで口を開いていた。
「今のお前は言うなれば……未来視をした状態って事なのかもな。眠ってる間に1~2年分の予知夢を見た、みたいな……」
「夢なんかじゃない」
ヨリの発言が終わる前に、強い言葉が口を衝いて出ていた。
怒りはない。ただ、あんなにも必死になって人を助けようと行動し、奇しくも成功させられた事。そして紆余曲折ありながらも多くの人々と縁を結び、関係を深めた事。
それぞれの過程で得られた達成感や喜びの全てを、泡沫の夢だったという一言で断じられてしまう悲しさから――來見は自分を抑えられなくなってしまっていた。
「俺は確かに伊斗路高校に入学した。友達と一緒に過ごして……時には大変な事もあったけど、楽しかった。そこで思ったことや感じたことは、全部本物だ」
だから夢なんかじゃない。呻くように続ける來見を見て、ヨリは決まりが悪そうに視線を逸らしていた。
それでも推理を進める為にも討論を再開すべきだと思ったのだろう。ヨリは気を取り直すように首を左右に数回振ると、眉尻を下げながらも話を続けたのであった。
「……言い方が良くなかったな。目が覚めたら消えるものだとか、そういう意味で言った訳じゃなかった。俺から見たお前の状態を仮定すると、そうなるのかなって思っただけで」
途端に舌がよく回るヨリに來見は思わず目を丸くする。やたらと勢いのある語り口は明らかにヨリの後ろめたさを表していた。來見はこの人にも殊勝なところがあるのだなと、何処か達観した視点で感心を覚えてしまう。
失礼極まりないその考えは、年齢が離れているのにも関わらず來見とヨリが割りと頻繁に喧嘩をするからこそ抱く感覚であったのだろう。來見は従兄に対して幻滅と尊敬を繰り返した結果、適当な接し方で構わないと幼い頃から判断していたのである。
「いや……それもそうだな。うん、俺も視野が狭かった」
來見の発言を聞いて、ヨリはほっと息をつく。言外に、互いの過ちを認めて許した2人の雰囲気は幾分か和らいでいた。その隙をヨリが見逃す筈もなく、次いで來見に質問を投げ掛けてくる。
「……それで!一応確認してぇんだけど、未来のお前には過去に戻った記憶はあるのか?」
「あるわけ……ない。けど何で?」
「お前が本当に時間を遡ってきたのか、はたまた別の何かが起きてるのか……それって重要な事だろ。ハッキリさせたくないのか?」
來見はヨリの言葉に一瞬の間、呆気に取られる。多くの混乱によって余裕が持てていなかった事も影響していたが、そこまで探求する程に気が回っていなかった。
思いもよらない提案に來見は考えを巡らせ始める。何時だったかの資料室で行った、颯真とのSF談義。タイムと冠される様々な事象について、定義や条件などを自分達なりに分類してみた、あの内容。來見はそれを思い返しながら、今の状況と照らし合わせる事にしたのであった。
「状況として一番近そうなのはタイムマシンを使った時間遡行なんだけど……俺からすると、アレは肉体ごと未来から来るイメージなんだよな」
ヨリは立ち上がり、自分が手を加えた仮称・タイムマシンの表面を撫でながら來見に視線を向ける。ヨリの口にした時間遡行とは所謂タイムトラベルと呼ばれるものだろう。來見の考える分類とヨリのイメージは概ね合致しており、現在の状況と比べると半分は当てはまっていたが、残りは食い違ってしまっている。
「ヨリくんは中学生の俺をこの機械に突っ込んで、マシンを起動させたんだよな?」
「おう、そうしろってメールに書かれてたからな。だから……未来の成長したお前の体は、ここには転送されてない」
「……過去の人間と未来の人間。同一人物が同じ時間に、同時に存在するような矛盾が生じている訳でもない。タイムトラベルやタイムスリップとは……違うだろうな」
確かなのは、來見 佑斗という人間が2人も存在してはいないということ。
つまりは機械を使用しつつも肉体という物質は伴わない――來見が颯真との話し合いでは考えもしなかった、変則的な時間遡行という形になるのだろうか。
「なら意識だけが飛んできたってことだよな。それで、未来のお前の意識が現在のお前の意識と融合した」
「うん……でもそれって、中学生の俺の意識が未来の俺に上書きされた形になるのか……?」
いくら同じ人間とはいえ、それはどうなのだろう。過去とはいえ自分を乗っ取ってしまうのは、一人の人間を消してしまうも同然なのではないだろうか。來見の思考が再び渦を巻き始めたその瞬間、即座に上げられたヨリの声がそれを中断させていた。
「イヤイヤ!お前、自分で言ってただろ?中学生の自分の記憶を鮮明に思い出せるって。それなら上書きされた訳じゃないんじゃねぇの」
「……中高の2つの記憶を同程度にはっきりと思い出せるなら、片方の俺だけが主体って事はない……のかな」
それはそれで、これまでの記憶の全てが融合した末に生まれた新たな人格と言える気もする。果たしてそれが正解なのか良いことなのか、來見は悩みながらも飲み込もうとする。その背中を押すようにヨリは言葉を続けていた。
「そう悪い方向に考えるなよ。成長したお前だってお前だろ?人よりちょっと早く大人になったみたいなもんだ」
「うーん、良いのかな……その考えで」
「心配しすぎても脳みそ爆発するだけだって!むしろ得したくらいの気持ちでいろよ。先の事を知った上で、これからの行動を変えたりもできるんだぜ?」
確かにそれは來見にとって、かなりのアドバンテージかもしれない。ヨリの言う通り、深く考えすぎる事はアイデンティティの崩壊を招くような予感もする。
「そう……だな。うん、今はそう思っておく事にする」
「おう、何事もポジティブに行こうぜ。お前は何でも、頭で考えすぎるんだよ」
「……向こう見ずよりは良いと思うけどなぁ」
どちらにせよ今の來見がどういう状態なのかという問題は、直ぐに解決するものでもない。時間を掛けて折り合いを付けて行くしかないのだろうと、來見はそこで一度考えを止めておく事にしたのだった。
「話、進めるか。意識だけが過去に来たって事なら……タイムリープってやつになるのか?」
ヨリの疑問に來見は思案する。マシンを使用した時間遡行ではあるが、意識だけが過去に飛んでいるという現象は確かにタイムリープという分類に当てはまっているような気がする。
「多分。それに高2の俺が中学生の頃に……ヨリくんに館へ連れて来られた記憶はない。だから、タイムループでも無いもんな」
「うーん。実は今回がループの始まりで、お前が何処かのタイミングで過去へ戻ってくるようになるっていう線も無くはないけど……」
「そこまで時間が進まないと、分からないか。なら、今のところは……マシンを使ってタイムリープしたって認識で良いのかも?」
來見は思い浮かんだ別の案を提示しつつも、やはり同じ結論に至る。情報が少ない現状で何が正しく、何が間違っているのか2人には判断できない。それでもとりあえずの議論の決着を迎えた來見は、胸がすいたような晴れ晴れとした気持ちになっていた。
「……俺さ、この携帯に転送装置って名前付けてたんだ。俺には何の能力もなかったけど、こいつに送られてくるメールだけが時間を移動してたから」
「良い得て妙だな。確かに、ソイツ自身は情報を運ぶ装置の役割をしてる訳だから」
來見はポツリと言葉を溢す。少しばかり痛々しいその行動を暴露するのは恥ずかしさを伴うものであったが、ヨリは茶化すことなく静かに頷いていた。
「でも、このマシンも同じ事をしてるよな。物体は転送しない。でも未来の俺の意識っていう情報を、過去の俺の体に転送した……」
「確かにな。じゃあ、こいつの名前を変える必要があるかも。そうだな、言うなれば……転送装置・第二号機!」
「……そのまんま過ぎねぇか?」
「漢字で書いたら十分、格好良いだろうが!もっと長ったらしくしても良いんだぞ!」
しんみりとした來見の空気を感じ取ったのか、ヨリは明るい声で命名を行う。來見の言葉を真に受けて、笑い飛ばす事もない姿は馬鹿正直とも形容できる。それでもその態度は、理不尽な恐怖を味わった直後の來見にとって安心できる要素であった。
「高2の俺は確かに、この館にいた。転送装置の二号機もこの目で見た。でも高校生の俺は自分から装置に入った記憶はない」
会話が一段落した後、來見には新たな疑問が浮かんでいた。思うままに言葉を続ける來見の横で、何故かヨリは体を一瞬震わせる。
「でも装置を介さないと過去に意識を飛ばせない筈だよな……これは、どう説明を付ければ良いと思う?」
転送装置・第二号機が言葉通りのマシンであれば、情報を過去にも未来にも送る事ができるのではないか。
つまり中学生の來見がこの中にいる事で未来の意識を受け取ったように、高校生の來見も同じ状況下で過去に意識を飛ばしていた筈である。來見はそう考えていた。
來見の疑問を聞いたヨリの瞬きが、異様に増えているような気がする。來見がその様子を訝しむ暇もなく、ヨリはどうしてかスラスラと話し始めていた。
「過去に飛んできた影響で記憶が無くなっちまった、とか。いやー俺もできる限り最善を尽くして、このマシンを完成させたつもりだったけどさぁ……」
もしかしたら不備があったのかも、とヨリは気まずげに視線を逸らす。しかし來見は責めるつもりはなかった。送られてきた図面や構造をきちんと把握して指示通りに作成したのならば、動作不良を起こす事もなくマシンは稼働していた筈である。その証拠に少なくとも、來見の人格が分離するような目に見えた異変は起きていない。
「まぁ、オーバーテクノロジーだろうしな……正常に作動していても副作用というか、何か反動があってもおかしくはないか」
ぼやく來見の認識としては特に問題はなく、過去と未来の意識が併存し共有されている状態だったのだが――記憶が欠落していた場合はそうも言っていられなくなるのは理解していた。
確かに存在していたものが、後から失われた。その事実を正しく知覚できないのは來見にとって非常に宜しくない。しかし、何にせよ今は真偽を確かめる方法はない。ヨリを非難したところで不毛なだけとなれば、仮定を元にした推論を進めるくらいしかできる事は存在していなかった。
「それじゃあヨリくんに設計図とか……メールを送った記憶がないのも、そういう事なのかな」
「……!そうだな!正直、俺も設計図の全部を理解してた訳じゃねぇからなぁ」
「……ん?」
來見に糾弾される事はもうないと判断したのか、ヨリは顔を明るくさせて調子よく話し始める。しかしその言葉には聞き流してはいけない点が存在していた。それは、ヨリは転送装置の仕様を正しく理解していなかったという事実。
要するに正体不明の機械を來見に使用する事を、厭わなかったのだとヨリは自白していたのである。てっきり安全性くらいは確保した状態で装置の稼働は行われたのだと思っていた。しかしその期待は裏切られ、突如として突き付けられた俄かには信じ難い真実に來見は愕然としてしまっていた。
「おい、それって……俺で人体実験したって事じゃ」
「イヤイヤイヤ!俺の分かる範囲で、安全には十分に配慮してから決行したって!ホントホント!服を剥いだのも、その一貫だし!相互の総量の均一化を図る為にさぁ!」
「いや、寝てる間にやったよな?同意も取らずに……」
信じられないものを見る目で來見はヨリを凝視する。確かに來見の意識がある状態では、ヨリに素直に付いていったかどうかは定かではない。それでも、それなりの誠意を見せていたのならば納得する事もあっただろう。
思い返してみれば、來見がマシンから出てきた時にヨリは室内にいなかった。怪しげな装置の中に従弟を置き去りにしてコンビニまで買い物に行っていた筈である。
しかしこの従兄は反省する素振すら見せずに、むしろ結果が良ければ許されるのだと信じて疑わない振る舞いすら見せていた。
「未知の技術にプログラム!コード!目の前にロマンが広がってたら、やらずにはいられない気持ち……お前にも分かるだろ!?」
記憶を辿ってみると、確かヨリは高等専門学校に通っていた。間違いなく來見よりも体系的な専門知識を蓄えており、技術的にも詳しかっただろう。
しかしだからこそ、機器の扱いには細心の注意を払う心構えが身に付いていた筈であるし、軽率に機械を稼働させた際の危険性も分かっていた筈である。
ヨリは一時の好奇心に身を任せて、身内を巻き込む事さえ厭わない行動を取った。そんな従兄に來見は何か一言、嫌味でも言わずにはいられなかったのであった。
「り、倫理感が欠如してる……親族にマッドサイエンティストがいるなんて知りたくなかった……」
「検証実験なんてできねぇし仕方ないだろ!実際、成功してるんだし結果オーライだって!……成功してるよな!?」
「いや、俺に聞かないでよ……知らねぇよ……頭ん中どうなってんだ……」
胡乱な目を向け恨み言を呟く事しかできなくなった來見の肩を、ヨリは何度か叩いては図々しく組んでこようとする。その鬱陶しさに來見は片手でヨリの体を押し退けながらも、大きくため息をつかずにはいられなかったのだった。




