16-2 13発
暴力的な表現、流血描写があります。
來見の両親が死に至った原因である交通事故は仕組まれていた。それは合駕嵯商会のグループ会社である、白砂運輸に所属する者の手によるものだった。
蓮下姉弟に降りかかった災い――陽彩を盾に脅迫を受け、身を持ち崩す結果となった飛織の環境もまた、計画されたものだった。
未来からのメールがなければ祝と陽彩、來見と飛織は友人関係にはなっていなかったであろう。この事実を踏まえると実に不愉快な首謀者の策略が見えてくる。それは敢えて來見に飛織の命を救わせておいて、目の届かないところで、その友人を手遅れな状態にまで追い込んだということだった。
今のところ、飛織は身を挺して陽彩を災禍から守っている。しかし、そもそも。友人をそんな状況に陥らせてしまったこと自体が來見に多大な精神的負荷を与えていた。
祝には多くの友人がいた筈だが蓮下 陽彩が標的に選ばれたのは、その相乗効果に目を付けたからなのかもしれない。
飛織が陽彩を利用した恐喝に屈さずとも――どう転ぼうと、來見にも祝にも痛みを与えられる。その事実に気が付いた時、首謀者は楽しくて仕方がなかったのではないだろうか。
他人を意のままに操り、自分にとって最適な結果のみを享受する。そしてその過程でどれほど多くの人間が傷付こうとも、取るに足らない事だと切り捨てた。そう考えると來見の首謀者への心証は言葉に表せないほど、地に落ちていた。
和久本 白梛とその恋人の死もまた同様だった。その悲劇は、やはり來見に心理的な圧力を与える為のもの。被害者2人と祝の間には何の関係性も存在していなかったが、白梛の周辺人物の多くが來見と面識のある者達であった。
兄である和久本 隼成に、その親友である日根 誠道。抗争に巻き込まれた――ように演出されてはいたものの、実際に穐生楽組がその死に関わっており、敵対組織であった皐羅宜組に所属する帰史陀、及び八把も余波を受ける結果となった。
誰も彼もが巻き添えを食らい、一人残らず痛手を負っている。それは当然のように、來見に息苦しさを与えた。
周到に練られた謀略に寒気さえ感じる。もしもこのまま野放しにしていれば、より多くの被害者が生まれるに違いない。
次にその矛先が向くとしたら、白石あたりだろうか。柏木アイソレーションに勤務している事もあり、彼は既に狙われている可能性がある。だからこそ、來見は迅速に対応しなければならなかった。
「なるほどなぁ、面白い推理だ。ただ……お前らは自分達にとって都合の良い答えありきで考えすぎてるな」
來見が颯真と導き出した結論を語り終えると、仁は包帯の巻かれた右手でトントンと蟀谷の辺りを叩く。それはまるで短慮さを馬鹿にするような仕草で、來見はその振る舞いに不快感を覚えながらも再び口を開いていた。
「……間違っていると?」
「祝 蕗沙を殺したいなら、わざわざお前に助けさせる必要がない。そのまま俺は関与せずに犬死にさせておけば良いだろ?」
「楽に死なせたくないと思う程、お前にとっての祝は忌々しい存在だった。だから生き地獄を味わわせる為に回りくどい方法を取った」
來見は矛盾を指摘する仁の言葉を切り返す。それは未だ推理の全てが間違いだったと宣言されていないからこそ取った行動であり、來見は暗然たる思いで言葉を続けた。
「……交通事故に遭っていた方が楽だった、なんて比較……したくもないがな」
「ははぁ。確かに?お前達の描く合駕嵯 仁の人物像だと、そう解釈しても可笑しくはないか」
「……違うとでも言いたげだな」
「違うねぇ。俺はそんなに情熱的じゃない。それに……」
ここまできて初めて明確に否定を口にした仁は楽しげに一度言葉を切る。それは焦れている來見の反応を面白がっているようでもあり、披露された的外れな推理を嘲笑している姿にも見えた。
「良いこと教えてやろうか。もしお前が、あの日。祝 蕗沙を助けなかったとしても、あの運転手は勝手に失敗してアレが死ぬ事は無かったんだぜ」
「は……」
「それじゃあ、何でお前に助けさせたんだろうなぁ」
仁の宣言は來見の冷静さを奪っていく。しかしまだ反論の余地が存在している事に気付いた來見は、動揺も露わに早口で喋り始めていた。
「だからそれは、祝にとって特別な人間を作ろうと……」
「あながち間違いとも言い切れないけどさぁ、満点の答えではねぇなぁ」
そう言い終わるや否や、仁は來見に向かって発砲していた。やる気が無かったのか銃弾は肩を掠めただけで済んだが、その痛みは來見に正気を取り戻させる。來見の体は反射的に、反撃する為の準備を始めていた。
「お前の両親の事故に祝 蕗沙の誘拐方法。和久本 白梛の狙撃手順も合ってるからこそ。その動機が見当違いなのが悔やまれる」
仁の言葉を聞きながらも來見は身を屈めて走る。床を這う大量のケーブルに足を取られそうになりながらも、來見は近くの遮蔽物へ身を隠す事に成功した。そのまま決して顔は出さずに、仁がいるであろう場所へ銃弾を撃ち込んでいく。
「颯真も可哀想になぁ、勘違いしたまま死んじまって。ま、謎解きは次のお前に期待って事で」
來見の感覚頼りで発射された銃弾は、大きく狙いを外していた。難なく攻撃を躱した仁は、のんびりとした声で論議を打ち切ろうとする。しかしその発言は今までに巻き込まれてしまった人々と、協力してくれた友人達を余りにも侮辱し軽んじていた。來見からしてみれば看過できない振る舞いに他ならず、怒りと共に宣戦を布告していたのである。
「次なんて、存在しない。もうお前に過去を変えさせたりはしない……未来もな!」
それ程、広くもない室内で來見は一方的に弾を発射していく。対する仁は巨大な筒を遮蔽にし、こちらの様子を窺っているようであった。
本来であれば來見には他に、もっとやるべき事があった。例えば臆測でも考えを述べ、それに対する仁の反応を窺うなど。揺さぶりをかけつつ、敢えて間違いを口にして正確な答えを引き出すような駆け引きが行えた筈であった。
しかし來見の頭からは、その選択肢は消えてしまっていた。そうさせた要因は様々に存在していただろう。蓄積された疲労による思考力の低下や、推理によって積み重なった仁への敵意。
兎にも角にも穏当に話し合うなど考えられなかった。一刻も早く仁の息の根を止めるべきだという義務感にも似た怒りが、來見を支配していたのである。
「復讐で目が曇ってるなぁ。祝 蕗沙の行方は良いのか?まぁ、とっくに死んじまってるけどさ」
「……!」
それは來見を挑発する為に発された虚言なのか、真偽は定かではなかった。しかし確かに動揺を誘うことには成功し、來見が撃った銃弾は再び狙いを外してしまう。
(挑発に乗るな……このままだと当たらない。冷静に、早く……殺さないと)
來見は懐から小型の発煙弾を取り出して地面に転がす。そのまま発生した煙幕に身を隠すと、新たな遮蔽物まで走り込んだ。そして体勢を立て直す為に銃弾を装填していると、仁の減らない口は続けて言葉を発していた。
「あいつ、お前の足取りを追う時に腹を決めてたんだろうなぁ。調べ始める前に片っ端から知り合いに会っていってさ。だから自殺の線も疑われてたしなぁ」
お前も初めはそう思っただろ?問い掛ける仁の声に來見は反応を返さない。こちらを撹乱させようとしている事に來見は気付いていた。
しかし必死に無視しようとする努力をシドは嘲笑うように破壊する。続けて発された言葉は來見に衝撃を与えるのに、十分すぎるものでしかなかったのである。
「誘拐されたってのに、妙に落ち着き払っててなぁ。泣きわめく事もせずに、死ぬ間際まで俺を睨み付けてたんだぜ」
耳を貸してはいけない。祝の死が語られようとしている。
來見は指を震わせ一つの銃弾を滑り落とした。その音で來見の位置を把握したのか、仁は更に大きな声で此方に向けて話し掛けてくる。
「あの目、結構気に入っちまってさぁ……なぁ、これ見えるか?ブルーダイヤって言うんだけど」
仁は遮蔽物にしていた筒の後ろから姿を表す。持ち上げられた右手の人差し指は耳に付けられたピアスを指し示していた。
無防備極まりないその行動の全ては、來見を煽る為に行われている。それが分かっていながらも、來見はまんまとその誘導に引っ掛かってしまっていた。
「あいつの灰から作ったんだ。良いだろ?本人の目と同じ色にしたんだ。アレの死は実に……意味のあるものだった」
仁は祝の死に関わっただけではなく、遺体までも冒涜した。
その言葉の意味を理解した瞬間、來見の脳内は焼き切れたような激情に支配されていた。室内の電子機器から出火する事も厭わずに爆発性の焼夷手榴弾を投げ込み、自分もその身を仁の元へと躍らせる。
「……チッ」
それが技術もへったくれもない只の突貫であったのなら、待ち構えていた仁は簡単に躱していたことだろう。しかし直前に投擲した手榴弾による火柱が僅かに仁を怯ませたようで、來見は相手よりも速くその姿を視認し銃弾を撃ち込む事に成功していた。
「死ね……!」
ただし、当然のように來見は仁からの攻撃を受ける。
反撃によって來見は脚を負傷するも、それでも複数の弾が仁に着弾するのを確認していた。噴き出す血液と、千切れ飛ぶ仁の耳。沸き上がる憎悪によって弾は撃ち尽くしてしまったが、少なくとも仁の胸部に2発命中させる事に成功していた。
來見は飽きもせずに引き金を引いて空撃ちをしてしまう。しかし仁がくずおれた衝撃で、その懐から見覚えのある旧式の携帯電話が溢れ落ちた事が來見に正気を取り戻させていた。
仁が倒れ伏す姿を横目に、來見は床を滑る携帯電話に手を伸ばす。随分と昔に放棄した筈のそれは、妙に來見の手に馴染んでいた。
しかし來見は思い出に浸る間も無く、流れるように指を動かす。そして送信ボックスを確認すると、最新のメールから10年の過去に遡るものまで見覚えのある内容が立て続けに並んでいた。忘れる筈もない記憶と合致するそれらの証拠から、來見は一つの確信を得ていたのである。
「やっぱり、コイツが首謀者で差出人か……!」
來見は素早く新規のメールを作成し、過去の自分に忠告しようと動く。犯人の本名と、言いなりになってはいけない事。それから――
「注意が、散漫だなぁ……」
來見の額には銃弾が撃ち込まれていた。しかしその指は最後の抵抗を示すように送信ボタンを押している。仁は來見が過去にメールを送信したのを目視していた。
「あーあ、俺じゃないのに。バカな奴」
致命傷を受けていた仁は再び体勢を崩す。しかしその口元には笑みが浮かび、誰の耳にも届かない声は隠しきれない喜悦に満ちていた。
「……隠れんぼ?俺は、迷子を探してて……」
2012年、呪いの館。來見は頬から流れる血もそのままに、悠長なことを口にする。それは銃を突き付けられているという状況にそぐわない行動であり、現実逃避に他ならなかった。
「だからさ。今まさに、ここにいるだろ?2度と出られなくなりそうな子供はさぁ」
シドは目を細めて來見を見つめている。その視線で全てを理解してしまった。シドの言う子供とは、自分の事である。
(銃が、ある。さっき、そこから弾が出ていた。だから……逃げられない)
思考の乱れた來見は知らず知らずのうちに体を震わせていた。恐怖から足がすくんで動けない。そんな來見をシドは首を傾げて眺め、何かを納得したように一つ頷くと更に言葉を続けていく。
「あぁ、動揺してるのか。じゃあ、これでどうだ?」
シドが軽々と引き金を引くと弾丸は來見の真横を通り過ぎる。それは狙っていたからこそ、できた芸当なのだろうか。銃弾は來見の左腕に一筋の傷だけを残し、床にめり込んでいた。
「良い気付けになっただろ?目も頭も、スッキリ冴えた!」
來見はかつて、桟雲銀行でも同じような状況に陥った事がある。だが、それが何だというのだろう。自身の命が危険に晒されている事に慣れる訳もなく、本物の銃が突き付けられている現実に何時しか息が浅くなっていた。
にこりと笑うシドの姿は、以前に見掛けたものとは全く違う人間のような振る舞いに見える。しかし薄い桜色の髪と深い金色の瞳が同一人物である事を來見に知らしめていた。
「何を……何が目的なんだ」
來見は動揺しながらも問い掛ける。シドが自分を呼び出したというのなら必ず理由があり、何かしらの重大な秘密があると來見は直感していた。
「だから隠れんぼだって。でも普通のはつまらねぇ、少し趣向は変えさせてもらうけどな?」
未だ混乱の中にある來見に向かってシドは説明を続ける。シドの妙に楽しげな姿は常軌を逸しており、來見は今更になって痛み出した左腕を庇うように押さえていた。
「良く聞いとけよ。俺から逃げきれたらお前の勝ち、もしくは俺が持ってる13発の弾を使い切らせてもお前の勝ち」
シドはポケットに突っ込んでいた右手を取り出すと指の間に挟んでいる銃弾を見せ、左手に持つ銃をゆらゆらと見せびらかすように揺らす。それは既に装填されている数と合わせた弾数を知らせているのかもしれなかった。
「どっちもできなかったらお前の負け。じゃあ今から40秒数えるから、死にたくねぇなら頑張って逃げろよ?」
「何を……」
「1、2……」
食い下がろうとする來見を他所に、シドは目を閉じ数を数え始める。呆然とする暇もない事を理解した來見は、踵を返して入ってきた扉から外へ出ようと試みていた。
(開かない!?)
易々と開いていた筈の扉は固く閉ざされ、何度動かそうとしても手応えがない。内側に鍵らしきものは存在していない事から、外から施錠された可能性に來見は気付いてしまっていた。
「……クソ!」
來見は自分が先程までいた――今はシドが佇む空間、その後方に扉があった事は認識していた。しかし同じように封鎖されており開く事ができなければ、時間を無駄に消費してしまう。ともすれば無防備になった來見の背中は、シドによって撃ち殺されかねない。
(しかも……シド以外が扉を閉めていたのなら、外には他の協力者が待ち伏せてる可能性もある)
來見は左手に見える階段を目に映す。今はそこを駆け上がる選択肢しか、來見には存在していなかった。
(走ると、振動が下に伝わるか……!?)
2階に辿り着いた來見は慎重に、しかし急いで一つの部屋に飛び込む。
階段を上った先はマンションで見掛けるような内廊下となっており、両側の壁にずらりと扉が並んでいた。來見はその中の一つ、左手の手前から2番目の部屋に転がり込んでいたのである。
(ここは……さっきのロフトじゃないのか。不味いな、当てが外れた)
來見が探していたのは、先程のシドが降り立つ前にいた高所。吹き抜けに突き出すように存在していたロフト、その場所であった。
シドが階段を上ってくる様子を窺いつつも、必要とあれば足に掛かる負担は無視してロフトから階下に降りる。そのまま確認が行えなかった扉に向かい、施錠されていなければそこから脱出する。
そんな風に立てていた算段は、どうやら脆くも崩れさっていた。來見は、内心で毒づきながらも部屋の奥に置かれていた机の下に潜り込む。
(いや、でも。さっきの場所に降りたら、いよいよ逃げ場が無くなるか?……駄目だ、落ち着け。冷静にならないと)
一瞥したところ、ここは応接間のようであった。何処と無く、小学生の頃に数回だけ見たことのある校長室と雰囲気が似ているような気がする。あまり広くない空間の大部分を占拠する巨大なソファと高そうなテーブルには埃が積もっており、人の立ち入りが行われていない事を証明しているようだった。
(そうだ。とにかく、連絡を……警察に電話すれば……)
來見は実に全うな考えで、助けを呼ぼうと携帯電話を懐から取り出す。画面が明かりを放つ眩しさに目を細めて操作を始めるが、その指は電話番号を入力する途中で止まってしまっていた。
(いや。電話は駄目だ、声が漏れる。それならメールで……)
「ここかぁ?」
來見の思考を遮るようにシドの声が耳に入る。勢いよく扉を開け放ったシドは入り口から室内を眺めていたようだったが、その足がこちらに進んでくる音を來見の耳は拾ってしまっていた。
「來見ぃ。いたら返事しろー」
來見の手は震えていた。しかしその振動で携帯電話に吊るされている鈴が音を立ててしまうのではと気付き、慌ててストラップごと掌に閉じ込める。
シドが一刻も早くこの場を立ち去ってくれる事を願いながら、來見は体を硬くし息を殺していた。
「暗くて、よく分かんねぇなぁ」
不意に頭上で大きな音がする。それはシドが机の上に立ったからであり、一度その下を覗き込めば潜んでいる來見とかち合ってしまう状況である事を示していた。
「……なーんてな」
シドの言葉と共に一発の銃弾が机越しに発射される。それは奇しくも來見の体に当たることはなかったが、恐怖を与えるには十分なものだった。
「暗い部屋で携帯なんか触ってたら、光が漏れるだろ?気を付けないとさぁ」
恐れていた事態がそのまま起こり、シドが机の上から逆さ向きになってこちらを覗き込んでいる。その顔には笑みが浮かび、心の底からこの隠れんぼを楽しんでいるように見えた。
「……!」
來見は咄嗟に立ち上がり、シドごと机を投げ飛ばそうとする。机にろくな物が入っていなかったお陰なのか、火事場の馬鹿力と言えば良いのだろうか。奇跡的にもその目論見は成功し、シドは机をひっくり返された事で体勢を崩し床に転げ落ちていた。
「痛ぇー」
來見はその状況を正しく把握する事もなく走り出す。
その背には1発の銃弾が撃ち込まれていたが、偶然にも元から配置されていたソファが遮蔽物として機能する。逃げながら身を屈めていた事も幸いしてか、來見に命中することはなかったのであった。
「さすが、筋が良いな。追い詰められると真価を発揮するタイプ」
シドは感心したように來見を褒めそやす。少しも嬉しくない言葉を掛けられた事は一切無視して、來見は更に左隣の部屋へロフトを探しに飛び込んでいた。
「あー、いちいち全部の部屋を確認するの面倒臭ぇなぁ」
來見に聞こえるようにだろうか、シドは大声で独り言を溢す。それはこちらの油断を誘うために違いないと確信しながらも、來見は耳をそばだてずにはいられなかった。
「おーい、もう1つルールを追加しよう。今から俺の出す問題に正解するごとに一発弾を減らしてやる。間違えても増やしたりはしねぇ」
何か利用できるものがないか部屋を見回していた來見に、思いもよらない提案がされる。それは再び行き止まりの部屋に迷い込んでしまった來見にとっては、降って湧いたような幸運であった。
「ついでに、質問してる間は俺は動かないし撃ったりしねぇ。良い条件だと思わないか?」
しかし來見にとって都合が良すぎる話は、警戒するに余りあるものだった。後から新たな条件が付けられ、どれほど理不尽な要求をされるか分からない。來見は迷って言葉を失い、体の動きすらも止めてしまっていた。
「……返答しないなら弾を増やす。どうやら、その方が良いみたいだな?」
まさか答えを返さない事で、より不利な状況に持ち込まれるとは思っていなかった。來見は慌てて扉を開け放ち、しかし決して体をシドに晒す事はせずに声だけを発していく。
「本当に、出題中は撃たないんだな」
「約束するよ。ルールを破るのはフェアじゃないし、何より面白くねぇ」
「……分かった。それなら、話を聞く」
言質を取った來見はゆっくりと扉から体を出す。それはシドの言動から情報を読み取ろうと試みる為でもあったが、第一の理由は逃亡先への最適なルートを模索する必要があったからだった。
「それじゃあ問題です。お前の携帯に届く未来からのメール、その差出人は一体誰でしょうか?」
「え?そんなの……」
未来の自分に決まっている、そう答えようとして來見は咄嗟に口を噤んだ。それならば、この呪いの館に誘導したのは自分だという事になってしまう。どのような判断をすればただの学生でしかない過去の自分の身を、みすみす危険に晒すような事を良しとしたのだろうか。それとも、この危険な状態からも逃げ出せると分かっていたからこそ、ここに送り込んだのだろうか。
(……分からない、どう答えるべきなんだ。いや、それなら……)
より多くの情報を集める方向で動くべきではないのだろうか。考えを巡らせた來見は試しに回答を口にしてみる事にした。答え方による、シドの出方を窺う為にも。
「さぁ、そろそろ答えてもらおうか」
「……未来の俺でも、君でもない。それが俺の答えだ」
「あぁ、なるほど。そう答えるか……そうだなぁ」
シドは視線を宙に泳がせる。左腕を持ち上げ、銃のグリップを握る親指の背で頭を数回叩く仕草は今まさに考えていますと言わんばかりで。予め來見の答えを知っていたのではなく――來見の解答ありきで出題した訳ではなさそうに見えていた。
「半分正解って事にしとこう。俺が知ってる未来の俺は一通も送ってない。ただ……未来のお前は一通だけ送ってたなぁ。一体どのメールが該当するのか、それは教えないけどな?」
シドは殊の外、詳しく成否を答えていた。しかしその言い回しには若干の迂遠さがあり、含みがあるようにも聞こえる。更に言えば一度に多くの情報を与える事で、引っ掻き回そうとする意思すらも感じられた。
確かに來見が考えるべきなのはシドの問い掛けの通り、未来の自分からのメールについてではあったのだが――今の自分にはそれらを判別できる材料がない。依然として真相は霧に覆われたままであった。
「まぁ、初回サービスだ。弾は一発抜いてやるよ」
シドは右のポケットから剥き出しの弾丸を取り出すと、これ見よがしに床に落とす。廊下に硬い音が鳴り響くと同時に來見は我に返り、シドが再び銃を構え直す前に向かい側の部屋へと滑り込んでいた。
「おいおい、そう逃げるなよ。お前だって俺に質問して良いんだぜ。まぁ答えるかは気分次第だけど……嘘はつかねぇよ?」
ゆっくりと來見を追ってくるシドは何故か譲歩するように提案をしてくる。意図は不明だが、それは來見にとってこの不可解な出来事を解明する絶好の機会に違いなかった。
來見は飛び込んだ部屋の先で、物陰に身を隠しながら考えを巡らせる。大雑把ではあるが複数の情報が得られそうな質問にするか、あるいは返答が限定されそうだが事態の根幹に迫る問い掛けをすべきか。來見は躊躇いながらも後者を選ぶ事にした。
「……差出人は、何のために俺にメールを送ったんだ?最終的に俺に何をさせようとしている?」
「うーん、それは答えてやるには核心的すぎる質問だなぁ。……駄目だな、そこは自分で考えてこそだろう。面白味がなくなっちまう」
やはりと言うべきなのだろうか、シドは答えをはぐらかす。しかしその反応も粗方予想がついていた。ここまでふざけた事を仕掛けてくる人間が素直に白状する訳がない。來見は耳だけをシドに向け、部屋の中に視線を走らせていたのである。
室内は学校で見掛ける理科室、あるいは化学室のような様相を呈していた。幾つもの黒い長テーブルとそれに付随する小さな水道。ガスの元栓らしきものもあれば、中身を判別する為にラベルの貼られた、瓶詰めの薬液が疎らに放置されている。
危険極まりないがコンロの近くにも何かの液体が広げられたシャーレが置かれており、実験の途中で作業を止めてしまったかのように埃のかぶったフラスコがスタンドに設置されたままになっていた。
「あぁ、でも何かヒントを挙げるとするなら……そいつの動機は、案外シンプルなもの……だったりするかもな?」
シドは話を終えるのと同時に一発の弾丸を放つ。それは來見が他の事に気を取られている状態から、自分へと興味を戻す為だったのだろうか。
何にせよ身を屈めていた來見は進路を変えざるを得なくなる。それは場所を移そうと目指していた進行方向に銃弾を撃ち込まれてしまったからだった。
「それじゃあ次の問題。何でお前がメールの送り先に選ばれたと思う?」
シドは來見の足跡を辿るように背中から追ってくるが、質問と同時に足を止める。しかし、しっかりと退路を封じていた。
複数の作業台は一定の間隔を空けて配置されていたが、切れ目の存在しない作りと長さのせいで逃走経路を限定してしまっている。來見は行き止まりかもしれない、部屋の奥の方へと向かって足を進めるしかない。そんな焦りを歯牙にもかけずシドは言葉を続けていた。
「若干、お前からの質問と被るところもあるなぁ。あぁ、返答は明確にな。さっきみたいな曖昧な答え方に対しては、正解か不正解かも答えねぇから」
シドは先程の來見の回答から魂胆を見抜いたのだろう。開示する情報を制限する為にも返答の方法を厳格に規定する。それは公平さを保とうとしているのか、あるいは神経を逆撫でようと面白がっているのか。主旨の分からないシドの言動は大いに來見を惑わせていた。
それでも運は來見に味方をする。來見は必死に考えを巡らせながらも移動していた事で、死角となって見えていなかった壁の先に扉がある事を発見していた。
扉はレバーハンドル式のドアノブで、そのやや上部には古びた布が干されているタオル掛けが付属している。逃げる為に利用できそうなそれらに目星を付けながらも、來見は思考を本題に戻した。
(……どうして俺だったのか。未来の俺が、その未来を良くする為に過去を変えようとしているのではなかったとすれば。何故、敢えて他人である俺にメールを送らなければならなかったのか)
問いの間は撃たれない事を利用して、來見は縺れそうになる足を必死に動かし転がるようにして先に進む。そして少しでも思考する時間を作る為に、尚且つシドの気を逸らせるように、來見は机の上に放置された器具を勢いよく落としていった。
もしかすると、混ざったら危険な薬液が隣り合って存在していたのかもしれない。それでも今の來見は形振り構っていられなかった。
(……俺だから未来を知らせたのでは、なかったとしたら?)
更に奥の机まで歩を進める事に成功していた來見は、その閃きに一度立ち止まる。シドは変わらず静観しているようで、距離を詰めては来ていない。
情報を整理しようとした來見は、知らず知らずの内に考えを口に出してしまっていた。
「未来を教えるメールを受信する携帯電話を持っていたのが、俺だったから……」
逆に考える。自分が重要なのではない。
何故この携帯電話を転送装置と称するに至ったのか。過去の來見が描いた理論の道筋を思えば、それは実に簡単な答えだった。
「偶然、俺が選ばれた……?」
「正解!この状況で、よく頭が回ってる」
シドは至極楽しそうに來見の答えを肯定する。そこに嘲笑するような意図はなく、純粋に感心し來見の健闘を称えるような喜びさえ滲んでいた。
「疑問系なのは多目に見てやるよ。さぁ、あと何発残ってるかお前は覚えてるかな」
シドはまた一つ弾丸を床に落とす。その音が響くのと同時に來見は立ち上がり、握り締めたままだった携帯電話を写真を撮るようにしてシドに向ける。備え付けられたライトが來見の操作によって突如として点灯し、それはシドの目を僅かに眩ませていた。
動きを止めたシドを横目に來見は発見していた扉まで走る。問題なくその先へと進む事に成功すると、勢いのままに大きな音を立てて扉を閉めた。今更ながらに鍵が掛かっていなかった事に安堵するも、來見は悠長にしている暇はなかった。
(時間を稼がねぇと……!)
來見は先程の部屋で去り際に手に入れた薬品の蓋を開け、扉の隙間に向かって流し込む。塩酸とラベルの貼られたそれが果たして本物かどうかは分からないし、來見の思った効果を発揮するかも不明だった。
それでも物体同士が雑に溶けて接着してしまえば、目の前にある扉は開く事が難しくなるかもしれない。そんな浅い考えの元、來見は行動していた。
続いて自分のズボンから素早くベルトを引き抜くと、レバーハンドルに引っ掛ける。そのままタオル掛けに向かって固定するようにキツく結ぶとドアノブは下げられなくなり、簡単には開けられなくなる筈であった。
「よし……」
一連の仕事を終えた來見は振り返り、そこで初めて飛び込んだ扉の先の景色を確認する。しかし、そこには下り階段しか存在していない。またも來見は行き先を限定されていた。
(でも、行くしかない)
シドに誘導されている事は薄々気が付いている。それでも來見は迷いなく先へ進むことを選んでいた。携帯電話を片手に、可能な限りの手を打ちながら。
「んー……」
シドは徐に來見の消えた扉に近付き、レバーハンドルに手を掛ける。しかし反対側から固定されたドアノブは微かに上下するだけで、開く事は難しかった。おまけに何かの薬品が掛けられた痕跡があり、扉の機構部分が癒着しているようにも見える。
「うん」
シドは扉に向かって2発の銃弾を発射する。一発はラッチボルトを破壊し、人工的に固着した状態から半ば無理矢理に元の状態へと戻す。そしてもう一発は扉を突き抜け、來見の仕掛けたベルトに穴を開けていた。
「よっと」
ここまでお膳立てができてしまえば、後は力業でどうとでもなる。シドが勢いをつけて全体重をレバーハンドルに掛けると、布の引きちぎれる音と硬い物を叩き割ったような音が鳴り響く。そして目の前の扉はあっさりと道を開けていたのだった。
シドは異臭が漂う中で耳を澄ませる。階段を駆けていく音が響いていたが、直に小さく消えていく。音の距離からシドは來見の居場所を把握し、自分もその先へと進む事にした。
「地下に行ったか……あそこは確か内鍵があったっけ」
2階分の階段を下ったシドの眼前には、記憶通りに閉じられた扉があった。元々は開いていたのを來見が中から閉めたのだろう。そんな些細な抵抗を歯牙にもかけずに、シドは先程と同じように発砲する事で問題を解決した。
「よう、次はお前の質問だ。情報を聞き出さなくて良いのかぁ?」
來見が飛び込んだ先は部屋一杯にケーブルが張り巡らされている、研究室じみた室内だった。
中央には巨大なガラスの筒のようなものがあり、その上下は蓋をするかの如く基盤らしき装置が取り付けられている。そこから接続された様々なケーブルは天井、あるいは床を覆い尽くさんばかりに広がっており、足の踏み場に困る程であった。
つまづきそうになるのを注意しながら侵入してきた來見は、部屋の両側面に置かれた棚の影で息を潜めていたのである。
(何を、どう聞くべきだ?結局のところ、俺を利用した動機は恐らく差出人――首謀者自身の未来の為だ)
首謀者自身は過去に飛んで来て介入する事が不可能だった為に、來見を利用しようとした。それは間違いない事のように思える。そうでもなければ他者に自分の命運を委ねようとはしない、少なくとも來見はそう考えていた。
(でも、それなら何で俺の周りの人を助けるような事をした?それは何かに必要なことだったのか?)
來見の信用を得る為だったとしたら、それは初めの新幹線の追突事故を予知した時点で充分に完了していたように思える。その後の祝の交通事故についても念押しと考えれば、意図は理解できた。
しかし以降の事件については敢えて知らせる必要はなかったようにも思える。來見に何かさせたい事があったのならば、3通目あたりで尤もらしい言葉を綴り、さっさと誘導してしまえば良かった筈である。
首謀者は何故、時間を掛けたのか。何を待って、何を狙っていたのだろうか。
「質問がないなら、飛ばすぞー。次の問題は……」
「俺に!俺に過去を変えさせて、助けてきた人達は……差出人にとっては、必ずしも重要なことではなかったのか?」
來見は口にする事も憚られる問いを、話を進めようとするシドに投げ掛ける。思考の末に出てきたその疑問は返答によっては差出人が多くの人間を軽んじている事が分かってしまう。
そして來見は薄々と、何故回りくどい方法を取ったのか理解してしまっていた。來見を効率よく利用する為に、何故友人を助けさせてくれなかったのかと反感を抱かせない為に――來見はある種の接待を受けていたのだろう。
「いーい質問だ。そうだな、別にあいつらが死のうが生きようが、そいつにとってはどうでも良かった。……はは、これ以上言うのは止めておこう」
思った通りの後味の悪い結論に、來見は歯を食い縛る。しかし気に掛かるところとしては、都合よく利用するだけの來見に対して不用意に真義を開示しすぎているようにも思える。
だが、その理由を深く考える時間は与えられていなかった。回答を終えたシドは銃弾を発砲しており、來見は慌てて肩に掛けていた鞄を放り投げていたのである。
「んー」
何時かの強盗事件の時のように、來見は進行方向とは逆の向きに物を投げ、シドの注意を逸らせようとする。そのままガラスの筒を遮蔽物とするべく走り込んだのだが、シドは來見の足へと弾丸を命中させていた。
「お、当たったなぁ。漸く感覚が掴めてきた」
鋭い痛みが走るふくらはぎを、來見は必死に見ない振りをする。伝っていく血を目に映してしまったらその衝撃で倒れてしまいそうな、そんな不安が胸を過っていた。
「痛っ……」
しかし同時に血が止まっていた筈の頬と肩の銃創がズキズキと疼き始める。溢れ出るアドレナリンが麻痺させていた感覚が、再び銃撃を受けた事で忘れていた痛みを引き起こしていたのである。
「次の問題はどうするかな……結構ヒントやっちまったんだよなぁ」
シドの声に耳を澄ませながらも、來見は手元の携帯電話を操作する。もはや逃げ場はこの部屋へ入る時に通ってきた扉しかなく、今はシドのほんの気紛れで生かされているにすぎない。
(でも、死にたくない。死ぬ訳には、いかない……!)
來見の額には脂汗が滲んでいた。全身には冷や汗が伝う。おかしくなりそうな頭と体で、しかし自分の命を諦められる筈もなく。來見は何とか打開策を練ろうと試みていた。
「あぁ、すぐに思い付かねぇな。またお前から質問していいよ」
シドは來見との戯れを楽しんでいるのだろう。まるで、その時間を引き延ばすかの如く來見に猶予を与えてくる。
それは今のうちに死ぬ覚悟をしておけという遠回しな忠告なのだろうか。來見は揶揄されている事に腹を立てる余裕もなく、次の質問を捻り出していた。
「……メールの差出人は、俺が知っている人間か?」
「んー……なるほど」
シドは考える素振りを見せる。それは來見を苛立たせる為に答えを出し渋っているようにも思えた。しかしこれまでに見せた振る舞いを鑑みるに、その線は薄いと來見は直感する。
シドは確かに來見の知り得ない事の全貌を知っていた。しかし、この呪いの館における來見への対処法からも、今まさに進行している状況については――やはり何も知らないまま適宜対応している風にしか見えなかったのである。
「……勿論、そうだ。当たり前だろ?分かるかなぁ、誰が差出人なのか」
勿論という割りにシドは言葉にするまで時間が掛かった。それは來見の考えが正しいのだとすれば、シドは記憶を辿らなければ思い出せなかったという事であり――そこに何か、深掘りすべき背景が存在していることを指し示していた。
「でもさぁ。考え事ばっかりしてると、注意が散漫になるよなぁ」
思考に耽っていた來見の前に、いつの間にかシドが立っていた。音もなく近付いていた事実に驚く間もなく、來見の身体は痛みを訴える。
「あ……」
右肩と胸部。來見の身体を2発の銃弾が貫いていた。
力が抜け、手にしていた携帯電話を取り落とす。その瞬間、着信を知らせるようにランプを点滅させた携帯電話は、來見が設定した通りの挙動をする筈だった。
「さて。お前の死は意味があるものになるのか、どうか」
ガラスの筒に背を預け、ズルズルと座り込む來見の姿をシドの金色の瞳が見下ろしている。本能的に胸を押さえ、流血を止めようと努める來見の目は急速に霞み始めていた。
「分かる時が楽しみだ……軌道修正終わり。じゃ、死んどけ」
頭の中で鈍く重い音が響き渡る。
焼けるような痛みが額に走ったのを感じると同時に、來見は意識を喪失させた。
「あれ?」
祝は携帯電話のランプが点灯している事に気付く。マナーモードにしていた為に反応が遅れてしまったが、それはメールの着信を知らせており、差出人は來見となっていた。
明日の文化祭で一緒に回ろうと誘った手前、内容を確認するのに、ついモタついてしまう。何の用があるのだろう。もしかして、どの順番で回るのかだとか――そんな相談をわざわざ持ち掛けに来てくれたのだろうか。
勇気を出して行動した結果、來見に了承してもらえたのは勿論嬉しかった。しかし誘った瞬間は何度思い返しても、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
要するに。祝はメール越しとはいえ、まともな精神状態で來見と向き合えるか自信がなく、その行動を遅らせてしまっていたのである。
「うん……?」
しかし、想像していた内容とは全く違う事の書かれたメールに祝は一人、首をひねる。
膨大な量のメール。そして宛先欄を見れば複数人に同時に送信された事が分かるそのメールには、不可解な文面が綴られていた。
「來見くん……?」
そしてまた、新しく一通のメールが届く。信じ難く、意味が分からない内容を咀嚼する事は容易にはいかず、祝は暫くの間呆然とメールを眺める事しかできなかった。




