2-2 周編 蒼糸
次の日、來見は朝一番に携帯で火災情報について調べていた。
少なくとも目に入った限りでは、伊斗路市で起きたという火事は一件も存在していなかった。
(そういえば、前回未来人に確認のメール送ったら、数日後に返信が来てたよな)
來見はありがとう、と記されていた文面を思い出す。
「俺は周編さんを助けることができましたか?」
火災を未然に防ぐ事ができたのかを確認するためにも、未来人へメールを送る。できるだけ速く返信が来るのを願いながら、來見は一日を始めようとしていた。
放課後、この日は読書研究部で集まることが推奨されている曜日だったので、來見は図書室へ足を運んでいた。
「こんにちは!」
「こんにちは。今日は何を読んでんの」
先に来ていた後輩の浦部に挨拶を返しつつ話題を振ると、楽しそうに本の紹介をし始める。
「これはですね、ある童謡の元ネタになった本でして!まだ読みきれてないんですけど、謎解き要素もあって面白いんですよ」
浦部は興奮しながらも、利用者の迷惑にならないよう小声で話を続けていく。來見が相槌を打っていると、部員がちらほら顔を出し始め、気付けば利用者も増えてきていた。
「……人増えてきたから移動するか」
「そうですね!続きは向こうで」
二人は図書室が盛況になってきたのを感じ取り、隣接する司書室へ移動する。そして再び話に花を咲かせ始めるのだった。
「出欠取りまーす。返事して下さい」
部員達が思い思いに司書室で意見を交換していると、三つ編みにしたポニーテールを揺らしながら、部長が出席を確認していく。
「何か連絡ある人いますか?……無さそうなら解散で。帰る時は各自で出席簿にチェック入れていって下さい」
はい、と返事をする部員達を見て部長は満足げに頷くと、踵を返していち早く図書室へ戻っていった。
部員達は各々、図書室へ残ったりあるいは帰ったりと解散し始める。
「來見先輩はこの後どうしますか?」
「決めてなかったけど、席が空いてるなら課題でもやっていこうかな。浦部は?」
「じゃあ僕も!……わからないところがあったら質問してもいいですか?」
浦部の申し出を快く引き受けると、二人は集中して課題をこなしていく。來見と浦部はその日、17時という図書室を閉め始める時間になるまで居座っていたのだった。
「それじゃあまた!お疲れ様です」
「おー帰り道、気を付けて」
駅前まで浦部を見送ると、來見はそのまま交番へ足を向ける。近付いてみると警察官はパトロール中ということもなく、外に立ち監視をしているようだった。
「あの、お時間少しよろしいでしょうか」
「おや、君はこの間の……」
警察官は以前声を掛けた、40代くらいの男性であった。相手も來見のことを覚えていたようで、身を乗り出して話を続けようとする。
「君のおかげで不審者を取り締まることができてね。その節は本当に、ご協力ありがとうございました」
「いえ!あの、お……僕こそお礼を言わなくちゃと思いまして、ありがとうございました!」
頭を下げる來見に警察官は目を見張ると、体を向かい合わせて姿勢を正した。そのまま右肘を肩の高さまで上げると、右手を帽子の右端にぴたりと当てる。
「市民の皆様の命と安全を守るのが、私どもの仕事ですから」
警察官は美しい敬礼をし、朗らかな笑顔でそう告げる。
來見はその光景に何故だかひどく安心し、何度も会釈を繰り返してその場を後にしたのだった。
(格好良かったな……あれがデキる男の貫禄ってやつか)
來見は交番から離れると、自宅へ帰る道とは別の方向へ歩いていく。それは少しばかりの気がかりを解消する為であった。
(確認しなくても大丈夫だと思うけど、一応な)
未来人からのメールが返ってこないために、來見の中には未だ火災を回避できていないのではないかという、僅かな疑心が存在していた。
以前そうしたように、カフェ早味の近辺をぐるりと観察して、怪しげなものが無いか確認してから入店する。
「いらっしゃいませー。あっ、お得意様」
「連日すいません……あの、今日はさすがにお金払いますから」
(先にこう言っておけば、もう無銭飲食の流れにはならないはず……)
すっかり慣れた様子で招き入れる周編に念のため釘を刺すと、來見は先日と同じ席へ座ることにした。
「ミックスサンドのセット、お願いします」
しばらくの間メニューとにらみ合い、腹を決めたところで周編に注文を取って貰う。周編は手元の伝票に注文を書き入れつつも、首を傾げて口を開いた。
「かしこまりました。……こんな時間にたくさん食べて、夕飯大丈夫?入らなくなるんじゃない」
「今日は家族が各々自由に食べる日なんで、大丈夫です。足りない分はまたどこかで買いますけど」
「へー、なるほどね!それじゃあ少々お待ちください」
來見の言葉に納得したのか、周編はキッチンへ引っ込んでいく。実際に今日はたまたまそういう日だったので、嘘をつかずに済んだことに來見はどこか安堵していた。
課題は学校でやり尽くしてしまったため、來見はどこか手持ち無沙汰になりながら料理が運ばれてくるのを待っていた。
店内を見回すと昨日よりは客入りが良さそうだったが、それでも休日の昼頃に比べると随分少なく見える。
(そりゃそうだよな。夕飯食うにしても、普通ファミレスとかラーメン屋行くか)
ふと來見が何の気なしにキッチンへ目をやると、周編と店主である早味が何やら話し込んでいるようだった。
深刻な様子ではなさそうだったが、その姿が妙に気になった來見は立ち上がり近付くことにした。
「あの、どうかしたんですか」
「あぁごめん五月蝿かったかな。早味さんがレンジ壊れたって騒ぎだしてさ」
周編がけらけらと笑いながら、事も無げに言い放つ。
キッチンを覗くと早味が慌てふためきながら、レンジを無意味に撫でてはスイッチを押し込んでいた。
「笑ってないで助けてよ!周編くんこういうの得意じゃないの!?」
「そういうのは一回叩いて、プラグを抜き差しすれば良いんですよ。さっきも言いましたよね?」
(涼しげな顔してるのに結構脳筋なんだなこの人……)
黒々とした瞳と目尻のほくろが冷やかさを際立たせているように感じる、そんな周編の顔を盗み見ながら、來見は内心失礼なことを考えていた。
「うーん、プラグね?ちょっと差し直すから、電源点くか見ておいて」
「はいはい」
早味がしゃがみこみ、プラグの差し込み口を確認しようとする。來見はその姿を見て、言い様のない不安に駆られてしまった。
「もしかしたら埃とか積もってるのかも……ショートするかもしれないので、気を付けてください」
「ん?そうかな。じゃあ一応ゴム手袋でもしておこうか」
身を乗り出して口を挟んだ來見に、早味は文句一つ言わずに従う。最低限の防御をすると、改めて確認をし始めたのだった。
「埃は大丈夫そうだけど……念のため掃除しておこうか」
早味はクロスを手に取りコンセント周りを拭ってから、プラグを引き抜いた。
來見は身構えていたが特に何も起こることはなく、早味は次にプラグの端子部分を掃除すると、再びコンセントへ差し直す。
「えい!……どうかな、電源入った?」
「ちょっと待ってくださいね……あぁ治りましたよ。少し接触不良が起こってたんですかね」
「今度ブレーカー落として、コンセント側を掃除しようかな。エアダスター使わないとなあ」
レンジが動き出したところで、異常は何も起こらない。
しっかりとした改善案を出している早味に感心しながら、來見は黙って二人の会話を聞いていた。
(早味さんは真面目そうだし、店内でうっかり火事を起こすことはしなさそうだよな)
自分がこれ以上心配することは、やはりもう無いのだろうと納得した來見は席に戻ることにした。考えを巡らせていたために下がっていた視線を上げて、口を開く。
「ここにいると邪魔だと思うので、戻りますね」
そう言い、キッチンに佇んでいた早味と目が合ったと思ったその瞬間、何か発光しているものが來見の視界に飛び込んでくる。
「早味さん!」
周編が叫ぶ声を背に、來見はカフェの入り口へ駆けていく。その手に消火器を抱え込むと目にも止まらぬ速さで引き返し、キッチンへ勢いよく乗り込む。
來見の目には、フライパンから火が立ち上っている光景が映し出されていた。
「屈んでください!」
頭の中で予行練習をしていたことが功を奏したのだろうか、はたまた火事場の馬鹿力だろうか、來見はスムーズに消火器を取り扱う。
安全ピンを引き抜き、ホースを外し、上下のレバーを強く握り締め無我夢中で消火剤を噴射していく。
來見の頭には急いで消火しなければならないという思考以外、存在していなかった。
「來見くん、來見くん!もう大丈夫だから」
早味に肩を叩かれると、火はすっかり収まっている様子だった。我に返り火の元を確認すると、コンロ周りの天井から床にかけてべったりと消火剤がぶちまけられている。
「はぁ……」
その光景を見た來見は膝から崩れ落ちてしまう。腰が抜けて、とても一人では立ち上がれそうになかった。
(昨日、防いだと思ったのは勘違いだったんだ)
(あのメールに書かれている日付も時間も、当てにならない)
それはメールで予告される出来事を未然に防ぐという行為が、非常に難しいということを意味していた。その事実に打ちのめされ、思わず蹲る。
周編や早味が何かしきりに話し掛けていたような気がしたが、その全ては來見の耳に届いては来なかった。
いつの間にか來見はタクシーで自宅へ帰されていた。同行していた周編が家族に何やら説明していたが、疲弊した状態ではそれを聞いていることも難しかった。
「佑斗、あんたはもう休みなさい。周編さん、わざわざありがとうございました」
「いえ、こちらこそお子さんを巻き込んでしまってすみませんでした。また後日、店主がお詫びに伺いますので……」
呼び掛けられたことで耳に入ってきた母親と周編のやり取りを理解すると、來見は遠慮なく自室へ戻っていくことにした。足取りは重く、階段を上るのも億劫で仕方がない。
「疲れた……」
來見は制服を脱ぎ捨てるとベッドへ倒れこむ。蓄積されたストレスは來見を押し潰し、あっという間に意識を奪い去っていった。
翌朝、來見は充分な睡眠をとりシャワーを浴びたことで、幾分か軽くなった体で食卓へ向かっていた。気は重いものの食欲はあり、盛り付けられた朝食を次々に平らげていく。
「あんた、今日大丈夫?……休んでも良いのよ」
「うん、母さんの言う通りだ。無理しなくて良いんだぞ」
昨日、憔悴していた様子を目にした為か、両親は随分と心配しているようだった。しかし來見はその不安を吹き飛ばすように首を横に振り、口を開く。
「いや、大丈夫!寝たら元気になったし」
「……そう?それなら良いんだけど」
母親は未だ納得しかねている様子だったが、それ以上口を挟むことはなかった。來見は洗い物を引き受けてくれた父親に礼を言い、母親が昼食として用意してくれたお弁当を手に取って口を開く。
「じゃあ、行ってきます!」
「……行ってらっしゃい!」
家を出る際に大きな声で挨拶をすると、漸く両親は安心したようだった。二人は目を合わせると微笑み、負けず劣らずの大音声で來見を見送った。
(家にいるより外へ出てた方が気が紛れるな)
來見は学校への通学路を進みながら、カフェ早味で起きたことについて思い返していた。
(結局、火災はどっちが本命だったんだろう。不審者は偶然で、店内からの出火が想定されてた方だったのか?)
混乱している頭を整理するために仮説を立てる。だがそれは來見の気を非常に重くするものだった。
(そうだとしたら……俺が二人の間に割って入らなかったら、早味さんがフライパンから目を離す時間は短くなってたはずだ)
しかしそう考えると辻褄が合わなくなってくる。
(それはつまり、俺は最初から何もしなくて良かったってことになる。でもそれなら、メールが送られてくる理由がなくなっちまう……のか?)
「じゃあやっぱり不審者の方が本命で、昨日の小火は偶然ってことになるから……俺の行動は無駄じゃなかった、はず」
脳内でまとめた結論を口からこぼすと、不意にポケットの中の携帯電話が振動する。來見は慣れた様子で取り出し、画面を見るために携帯を開いた。
「ありがとう。」
飾り気のないその一言を確認すると、静かに携帯を閉じる。
來見はしばらく立ち尽くし、風に揺れるストラップの鈴の音を聞いていた。
(今回は不審者が結果的に放火しかけたのを、俺が偶然止めたことになる)
(でも今思えば。例えば恨みによる放火だったら一時的に防げたとしても、犯人を捕まえられなかったらいつかは実行される可能性がある)
「……そうなったら、俺はいつまで見張り続けることになるんだ?」
根本的な解決がなされなかった場合、來見はいつか起こり得る未来に永遠と怯えることになるのだろうか。
來見はそんな最悪の考えを追い出すように、ふらふらと歩き始めることしかできなかった。
「おはようございます」
來見が憂鬱な気分で信号を待っていると、自転車の軽いブレーキ音と共に声を掛けられる。
声のする方向へ顔を向けると、そこにいたのはすっかり見慣れた顔見知りの男性警察官だった。來見が周編から無料券を貰った日に見掛けた若い女性警察官を後ろに連れて、道路脇で停車している。
「お、おはようございます」
「今から登校かな。勉強、頑張ってください」
「……ありがとうございます」
朝のパトロール中だったのだろう。來見から言葉を返されると笑顔で軽く会釈し、信号が青に変わった途端に走り去っていく。
(……あの人達も毎日、いつ起こるかもしれない犯罪を防ぐために頑張っているんだよな)
警察官たちの姿を見送り、來見は止まっていた――止めていた思考を復活させ始める。自分と同じような状況の人間がいると思えば、多少は気持ちが晴れるのを感じていた。
(最初からメールを見なければ楽になれるのかもしれないけど、絶対に後悔する。そんなのは分かりきってる)
「……じゃあ、もう仕方ないか」
我ながら気分の浮き沈みが激しいことに苦笑しながら、來見は改めて決断する。未来からメールが来る以上は、不幸な状況を回避するために尽力する。そう覚悟を固めたのである。
來見はもう一度携帯を取り出し、感謝を述べる簡素な文面を眺める。
「まあ、なんとかなるか!」
深呼吸を一つして、踏み出した足取りは軽かった。
來見にもはや迷いは存在しておらず、その意志を祝福するように太陽は輝いていたのだった。
2022年。
ある日、祝は遠出した先に偶然見つけたコーヒーショップへと足を運んでいた。
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」
「はい!……あれ、あなたは周編さん?」
祝が驚くのも無理はなかった。伊斗路市から遠く離れた土地で思いがけず、面識のある人物と出会ったのである。声を掛けられた男も目を見開いて、祝を見つめ返していた。
「君は……」
10年ほど前に見たのが最後だっただろうか。周編は祝の記憶の中の容姿と、殆ど変わらない姿で立っていた。
しかし記憶に残っているものより深みを増した声だけが年月の積み重ねを感じさせ、祝はどこか不思議な感覚に襲われていた。
「以前お会いしたことがあるんですけど、流石に覚えてないですよね」
「いや……覚えてるよ。來見くんとよく来ていた子だ」
祝もその実、10年前とあまり変わらない容姿のままだったのが功を奏したのだろう。周編は直ぐに思い当たったようだった。
しかし名前までは覚えていなかったようで、呼び掛けることはせずに微笑みながらカウンターの席を勧めてくる。
「偶然お会いするなんて、驚きですね」
「ええ、本当に。私、休日はカフェ巡りしてるんですよ。こんな素敵な偶然があるなら、捨てたものじゃありませんね」
話を振る周編に祝は楽しそうに答えていく。店内に流れる静かなジャズも相まって、二人はノスタルジックな気持ちに包まれていた。
「それじゃあ腕によりをかけないと。随分と舌が肥えていそうですからね」
「おすすめ、お願いしますね」
はにかむ祝を一瞥し、淀みのない手つきで準備をし始めた周編は思い浮かべたことを口に出す。
「是非今度、來見くんも連れてきてください。その時はサービスしますよ」
「……はい、勿論!」
二人は微笑み合うと、ぽつぽつと昔話に花を咲かせる。お互いに覚えていたり、覚えていなかったりすることもあったが、祝は久しぶりに充実した休日を過ごせたのだった。
「失礼しまーす。お呼びですかぁ?」
都内のとあるビルの一画。高層階の室内へノックもせずに荒々しく入室する男がいた。
男の名前は合駕嵯 仁。親会社から命じられ、このビルのオーナーでもある柏木アイソレーションというグループ会社に出向して来ていた。
「……呼び出しておいて待たせるとか、さすが社長サン。またラボに引きこもってんのか」
仁は呆れたように、手にしていたタブレット端末を革張りの応接用ソファーへ投げ捨て、煙草へ火をつける。
口に咥えたままゆったりと煙草を燻らせていると、ふとサイドテーブルの上に旧式の携帯電話が置かれているのが目に入った。
「御開帳ーっと」
仁は明るい金色の目を細めながら、携帯の中身を確認していく。操作する動きに合わせ鳴り響く鈴の音を聞きながら、つい先程送ったと思われるメールを見つけていた。
「ありがとう。」
「慎重に慎重を重ねてるお陰で、順調に事を運べそうじゃないですか。思い通りになりそうで良かったなぁ」
「……本当にそう思ってるよ俺は。だからその物騒なものは、しまってくれるとありがたいんですけどね。社長サン」
気付けば仁の小麦色をした後頭部には銃口が押し付けられていた。それでも焦ることなく仁は言葉を続ける。
「あんたの思惑と俺の利害は一致してるんだから、邪魔はしませんよ。わかってるだろ?」
仁は自分が撃たれるとは微塵も思わずに、ゆっくりと背後を振り向く。
社長と呼ばれた男――柏木は冷めきった目で、ただ仁を見下ろすだけだった。




