15-2 劇中劇 怪奇!2人の七不思議探検隊
「それじゃあ日直さん、号令」
「起立、礼」
担任の言葉に従った日直の言葉に続き、さようならと挨拶を口にする生徒達。その声はバラバラではあったが期待に膨らむように、明るく弾んでいた。
「夏休みだ!プール行こうぜ!あと夏祭りも!」
「壮乃はさぁ……遊んでばっかじゃなくて課題もやれよ?ちょっと浮かれすぎだって」
「うっ……初日からそういう、気が滅入ること言うなよ」
勢いよく話し始めた壮乃に、クラスメイトである祐影は呆れた様子で釘を刺す。耳の痛い友人の言葉に壮乃はつい顔をしかめ、厄介事から目を逸らすようにして愚痴を溢してしまっていた。
「自由研究とかは割りと適当でも許されるから……逆に絶対、最後まで放置するだろ?早めに手付けとくのに越したことはないぜ」
「共同発表でも良いんだっけ。いいよネー更田ツインズは。わざわざ外に出なくても家で打ち合わせできて」
念を押すように言葉を続ける祐影の後ろから、また一人クラスメイトの涅府が話題に加わる。彼の言う通り、自由研究は提出する事が肝要であり、内容の是非は問われないという他の課題とは一線を画した代物になっていた。
要するにやろうと思えば一日で終わらせられる事も可能な、手抜きも黙認されている課題という事で――だからこそ個人で発表するのか、あるいは共同で制作をするのかも生徒達に委ねられていたのだった。
そんな中で、壮乃は幸運にも同じクラスに双子のきょうだいが所属している背景もあり、予め作業を分担する事を決めていた。友人はその事を知っていた為に、羨望の眼差しを向けていたのである。
「ま、きょうだいの利点は生かしてナンボだし」
人によっては持ち得ない長所を活用する事に、壮乃は少しも躊躇いがなかった。唯でさえ大量の課題が待ち受けているというのに、より楽ができる選択肢を取らない筈もなかったのである。
祐影はそんな壮乃の内心を見抜いたように呆れた視線を向けているが、涅府は感心したように頷いていた。
「ボクも誰か、尻を叩いてくれそうな人と組もうかなー」
涅府は悩ましげに腕を組み、スケジュール管理が苦手な事を堂々と口にする。課題の締め切りに追われる自分にも似たその姿に苦笑していると、壮乃は不意に大きな声で呼び掛けられるのだった。
「おーい壮乃!今年の自由研究の題材、決めたよ!」
「おぉ、噂をすれば」
友人と談笑していたのだろうか。教室から去っていたはずのきょうだい――よるかが廊下から顔を覗かせている。その動きに合わせて耳の下で結ばれたツインテールがさらりと揺れるのをぼんやりと眺めていると、よるかは目を瞬かせた。
本来なら壮乃から自分の元に来てもらおうと思っていたのだろう。しかし片割れが友人と共にいる事を目に留めると、よるかは緩く巻かれた黒髪を靡かせながら小走りで近寄って来るのだった。
「相変わらずの即断即決っぷりだな、よーちゃん。それで内容は?」
「夏と言えば怪談話!ということで我が校でまことしやかに噂される、七不思議の解明をしたいと思います!良いでしょ!」
壮乃の質問に、よるかはメモを掲げて宣言する。受け取った紙には予め収集していたのだろう、七不思議とされている不可思議な現象について綴られていた。
「七不思議をまとめるんじゃなくて、解明?……何で?」
「上っ面だけ調査して纏めるなんてつまらないでしょ。自由研究は手抜きする人もいるかもしれないけど、私はちゃんとやりたいもの」
訝しむ壮乃の素朴な疑問に、よるかは事も無げに答えていた。どうせやるなら、とことんまでやろうと努めるのが彼女の長所であり短所でもある。壮乃は正しくその言動を目の当たりにする事で、改めてきょうだいの有り余る活力を痛感していたのだった。
「それに!あんた怖いの得意じゃないでしょ。その治療の一環にもなりそうだから、良いかなーって」
「治療ねぇ……」
話を続けるよるかに、壮乃はメモを机に置いて考え込むように眉間に皺を寄せてしまう。その微妙な表情を見て思うところがあったのか、話を聞いていた友人は諌めるようにして口を挟んでいた。
「元々の性格なんだから放っといてやれよ。無理強いはどうかと思うぜ?」
「いーえ、思うに壮乃のそれは矯正可能だもの。きょうだいのあたしが言うんだから間違いない!」
腰に手を当て断言するよるかは、祐影の忠告も余所にそのまま言葉を続ける。自信満々に滔々と述べられる発言に誰もが異義を唱えられず、気付けば黙って話を聞かざるを得ない状況になっていた。
「こういうのは実態が掴めないから怖いと思う訳よ。つまりタネさえ割れちゃえば、どうってこと無くなるって寸法ね」
「ちょっと怖い雰囲気を感じただけでビビってる現状より、もう一歩踏み出してみない?……本気で嫌なら、考えるけど」
最後に歩み寄る姿勢を見せたよるかは、それでも期待するようにきょうだいを見つめていた。
しかし壮乃は話し半分に聞いていた為に、思わず目を瞬かせる。それは口答えしたところで結局はよるかの思うままになるのだと、長年の付き合いから理解していた為に行っていた逃避行動でもあったのだが、このまま黙っている方が確実に文句を言われる。
壮乃は軽く咳払いをすると口を開き、一先ず答えを返す事にしたのだった。
「……もうやるって決めてるんだろ?良いよ、それで。……でもガチ目な奴は止めてね?」
「まっかせなさい!最後はあたしに感謝したくなるようにしてあげるから!」
肯定しつつも、壮乃は然り気無く要望を述べる事は忘れない。対するよるかはきょうだいの色好い返事に、あからさまに機嫌を良くして鼻歌でも歌い出しそうな程の興奮を見せていた。
「ツインズ、メモ忘れてるヨー。ついでに、一つ欠けてるみたいだからボクが足しておきました!」
「サンキュー。お前も七不思議とか知ってたんだな」
「七不思議ってさ、七つ目が存在しないことが最後のミステリーにされがちでしょ?それじゃあ肩透かしだと思って」
とびきりに良さげなやつ書いといたヨ!と満面の笑みで宣言する涅府に、壮乃は思わず白けた視線を向けてしまう。祐影が一度はよるかの無理強いを制した手前、今まではからかわずに大人しくしていようと考えていたのだろう。
しかし壮乃が同意したとなれば、もはや遠慮する必要はない。涅府は間違いなく面白がって、より恐ろしい七不思議を挙げる事は分かりきっていたのである。
「いや、とびきりに怖いのは勘弁……」
壮乃の文句は言い終わる前に、突如として遮られてしまう。何故ならばよるかが壮乃の腕を掴み、今にも走り出そうとしていたからだった。
「ありがと!そうと決まれば今から行くよ!後回しにしたら絶対に怖じ気付くから!」
「はいはい……どうせ自分はビビりだよ……」
「御愁傷様……」
「じゃあまた、文化祭準備でネー」
よるかに振り回される壮乃を日常的に見慣れている友人達は、気の毒そうに或いは楽しげに手を振って2人を見送る。掛けられた声に手を上げて返事をしながら、きょうだいは鞄をそれぞれ手に取り教室を後にするのだった。
「それで、最初は何処に行くんだ?」
「うん。まずはねー……」
よるかは手元のメモに目を向ける。少しの間を置いて宣言された場所は音楽室であり、壮乃は大人しく目的の場所へと歩を進めるのであった。
呪いの絵画
「日に日に描き足される、呪いの絵画……?」
幸先よく一つ目の七不思議である、音楽室で夜な夜な開かれる演奏会。そして無人トイレにいる透明人間についての真相を明らかにした2人は、続く第3の七不思議の解明へと取り掛かっていた。
目の前にいる美術部員の少女、建井は突然ぶつけられた質問に戸惑いを隠せずにいるようで、おずおずとこちらを見上げていたのである。
「うん、何か知ってることある?些細なことでも良いんだけど……」
よるかの言葉に建井は困ったように眉尻を下げて視線を彷徨わせる。すると自分の中の考えを整理するように、俯きながら言葉をこぼし始めるのだった。
「ううん……そもそも、絵画自体が何日もかけて完成させるものだと思うから、描き足されるのはおかしくないと思うんだけど……」
そこまで言うと建井は一度言葉を切る。その沈黙を疑問に思った壮乃が表情を確認しようと顔を覗き込むと、次の瞬間少女は勢いよく顔を上げていた。
危うくぶつかりそうになった事で壮乃は呻き、建井は驚いて頬を紅潮させる。しかし一つ深呼吸をした建井は気を取り直したようで、再び口を開くのだった。
「もしかしたら、あの絵のことかも。2人とも入って入って」
建井の言葉に、廊下で話し込んでいた3人はまとめて美術室へと入っていく事になる。
放課後という時間帯。部活動へと打ち込んでいる他の部員の妨げにならない行動を心掛けていた壮乃とよるかであったが、廊下での押し問答が長引くほど迷惑になる事も分かっていた。
前触れもなく部外者が乱入する事態になってしまった事を心苦しく思いながらも、きょうだいは軽く会釈を交えつつ扉を潜る事にしたのである。
「おお……これは……なかなか……」
美術室に通された壮乃とよるかに提示されたのは、額に収められた一枚の絵画であった。くすみがかった箇所もあれば、唐突に鮮やかな色が載せられている。はっきりと写実的に描かれたと思えば、突如として抽象的な画法に切り替わっている。
正直に言ってしまえば、呪いの絵画と称されてもおかしくない無秩序ぶり。どのような言語で表現したら良いのか分からないその絵画に、きょうだいは呆気に取られる。すると建井はその反応を見越していたかのように笑いを溢していたのだった。
「えーっと。なんというか、混沌としてるっていうかぁ……」
「どことなく禍々しいというか……あっ、いや悪い意味じゃなくてだな!」
「ふふ……うん、分かってる。初めてこの絵を見た人は大体同じ反応するからね」
よるかに続いて失言をしてしまった壮乃は反射的に謝るが、建井は変わらず楽しそうに微笑んでいた。回りの部員も3人の会話に耳を澄ませていたようで、ひそひそと視線を向けて会話を交わしている。しかしきょうだい2人が下した品評に対する悪感情は抱いていないようで、よくある事だと見守るように生暖かい目を向けていたのだった。
「この作品は私達の……6つ上の先輩方が共同で制作した絵画なの。卒業記念として着手されたんだけど直前まで全然内容を決めてなかったせいで、見切り発車で始まったらしくて……」
「へぇー……つまり迷走した結果がこうなった、的な?」
建井の解説に耳を傾けていた壮乃は結果を予測して問い掛けるが、その推理は正確ではなかったようだった。建井は困ったように首を小さく傾けると、訂正する事を申し訳なさそうに眉尻を下げて話を続ける。
「大体そんな感じなんだけど……手付かずのまま締め切りが近付いてしまった結果、各々が描きたいものを描こうとする争いが勃発しちゃって」
「えっ、話し合いとかは……?」
「したらしいんだけど、意味が無かったとか。仲が悪い訳じゃなかったんだけどね」
述べられた仰々しい言葉に戦きながらもよるかが疑問を呈すると、建井は当人でないのにも関わらず恥ずかしそうに頬を掻きながら返事をする。それは身内のやんちゃを知られてしまったような感覚で、殆んど親交がなかった先輩とはいえ同じ美術部としては思うところがあった為に抱いた羞恥だったのかもしれない。
「いつの間にか、いかにして他の部員を出し抜いて作品を完成させるかっていう、競争になっていたって事……?」
「うん。他の人の下書きを勝手に清書したり、変えてしまったり……そんな個性がぶつかり合った戦いの結果、出来上がったのがこの作品となっております」
怖いもの聞きたさもあり、よるかが事実を確認するように尋ねると建井は冗談めかして朗らかに肯定する。
惜しむことなく説明を続けてくれた建井の言葉に七不思議の真相を見た気がした壮乃は、一つの考えを口にしていた。
「もしかしたら……抜け駆けをする手段として絵を隠してこっそり描き足したりしてたから、噂が立ったのか?」
「日に日に描き足される、呪いの絵画!確かに!……あっ、呪いっていうのはその、言葉の綾で……!」
「ふふ、大丈夫。初見で得る印象は人それぞれで、仕方のないものだから。先輩方も怒らないよ」
壮乃の言葉に納得しつつも流れるように失言をしたよるかは、先程の片割れと同じように反射的に謝罪をする。しかし建井は心の底から気にしていないようで、慌てるよるかの挙動を目を細めて見つめながらも口元に手を当てて笑みを溢すばかりであった。
「ちなみに……この絵のタイトルは?」
ちらりと他の部員の様子を窺っていた壮乃は、不興を買わずに済んだ事に胸を撫で下ろしながら話を変えようとする。制作者がいる以上、呪いの絵画と呼ぶのは失礼であろうし本当の題名があるのなら自由研究として纏める際に正しい名前を表記するべきだと考えたからであった。
「兵どもが夢の跡、です」
えへへ、とはにかみながら題名を口にする建井に、壮乃とよるかは再び呆気に取られる。
「……松尾芭蕉?」
思いもよらない引用が飛び出してきた事に壮乃は丸みを帯びた目をますます丸くさせる。思わず無言で視線を合わせてしまったきょうだいは、それでも3つ目の七不思議の解明に成功したと言って良かったであろう。
2人は扉から顔を覗かせた建井に見送られて、美術室を後にする。判明した題名に何処か感慨深い気持ちになったのは達成感からだろうか。それとも何故その名を付けられたのかという背景に、思いを馳せずにはいられなかったからなのか。
絵画に込められた様々な意味に考えを巡らせながら、2人はまた新たな謎の元へと歩を進めるのであった。
呪いのお札
「……で、中庭に来た訳だけど、ここには何があんの?」
「ズバリ!呪いのお札!ベンチの裏に貼られてるらしいけど……」
壮乃の疑問に、よるかは声も高らかに返事をする。しかしその言葉とは矛盾する状況に、壮乃は首をかしげていた。
「ベンチ裏って言ったら背もたれだと思ったけど……見る限り、ないよな?」
西棟の一階、四方を校舎に囲まれた形で存在する中庭には確かにベンチが置かれている。しかしその形は肘置きもなければ背もたれもない、実にシンプルなデザインの木造ベンチだったのである。
「なに言ってるの、裏って言ったら他にもあるでしょ?ホラ、しゃがんで!あたしは向こうのベンチから確認してくるから」
「えっ!あぁ、なるほど。裏ってそういう……」
よるかの言わんとするところを理解した壮乃は、指示された通りに四つん這いになってベンチを下から覗き込む事にする。
中庭の床は基本的にはタイルが敷かれ、等間隔で植えられた樹木の根本にだけは盛り土がされている。その木の下、丁度木陰の位置にくるように取り付けられたベンチを、2人は順番に確認して行った。
「ちょっと暗くて分かりづらいな。最初の方で見落としてそうだけど……ん?」
自身の調査の甘さを不安に思い始めていた矢先に、突如として壮乃の目に飛び込んでくるものがある。薄暗いベンチの下で光るようにも見える白い紙切れのようなものは、よるかの言う通り呪いのお札と言って差し支えない様相を呈していた。
「うわ……」
「あった?」
「うわっ!?」
奇妙な文字列がびっしりと書き込まれていた謎の札を見て背筋を凍らせていた壮乃は、不意に背後から声を掛けられた事で思わず大きな声を上げてしまう。
悲鳴とまではいかないものの、怯えを隠そうともしない壮乃。その姿をよるかは仕方ないものを見るような目で眺めていたが、敢えて言及は避け話を先に進めようとしていた。
「見辛いから写真撮ろうよ。資料としても欲しいし」
「えぇ……呪いとか言われてんのに?止めとこうよ」
「大丈夫だって。あたしが撮るから、壮乃は携帯のライトで照らしてね」
「フラッシュ焚いて撮れば良いじゃん……いいけどさ」
気の進まない壮乃を手伝わせながらも、怯える人間の携帯で写真を撮るような横暴さは流石のよるかにも存在しないようだった。それでも血の気が引いている壮乃を心配したのか、よるかは安心させる言葉を探して補足する為に口を開く。
「この七不思議を教えてくれたのは先輩なんだけど。絶対に呪われたりしないって言ってたから、大丈夫だって」
「じゃあ呪いのお札って名前は何なんだよ……」
「それを解明するのが目的でしょ!はい、撮りまーす」
信用して良いのか分からない情報にぼやきつつ、壮乃は自身の携帯を駆使してよるかの撮影の補助をする。端から見ればベンチに潜り込むようにして携帯電話を構えている姿は異様で滑稽に映ったであろうが、放課後を迎えて幾らか時間が経過した事もあり、幸い誰にも目撃されることなく2人は撮影を終えたのだった。
「うーん、手書きの文字みたいだけど読めないね」
「うん。でも何か……どこかで見たことがあるような……」
朱色や黒色の墨を使用した毛筆で書かれたような、妙に達筆な文字は見覚えがあるようにも思えるが解読できない。2人はよるかの携帯電話の画面を覗き込みながら、揃って頭を悩ませていた。
「ローマ字のような、漢字のような……」
「漢字か……うん?漢字?」
「なになに、何かひらめいた?」
「ちょっと待てよ……確かこの資料集に……」
よるかの言葉に脳裏を過るものがあった壮乃は、肩から提げていた鞄から一冊の教本を取り出す。日本史の授業で併用しているその資料集は様々な図録やコラムが掲載されており、眺めているだけでも暇が潰せる優れものであった。
「ホラ!これ!」
「梵字?……うーん。確かに、似てるかも?」
「これ見ながらだったら翻訳できそうじゃね?やってみようよ。……何だよ変な顔して」
分類としては豆知識に留まり、在学中に詳しく学ぶ機会は恐らくない。そんな梵字の一覧が載ったページを指差しながら宣言する壮乃に、よるかは目を輝かせていた。突然きょうだいから期待の眼差しで見つめられた壮乃は居心地が悪くなり、つい眉根を寄せてしまう。
「壮乃が自分からそんなこと言い出すなんて……成長を感じるわ……」
「大袈裟だな、よーちゃんは……ホラ、さっさとやろう。分担すれば直ぐ終わるよ」
「はーい。じゃあ、紙あげるね」
思いもよらず褒められた壮乃は、照れ臭さを隠すように行動を促す。よるかはそれを知ってか知らずか、マイペースに翻訳の準備を始めていた。
「どうも。まぁ……翻訳した文字が呪いの言葉じゃないように、祈らないといけないんだけどな」
「そうやって、先にどんどん妄想を広げていくから怖くなるのにね」
「感受性が豊かなんだ自分は!ホラ、さくさくやるぞ!」
壮乃はルーズリーフを受け取りつつも、しっかりと反論を忘れない。一転してよるかから呆れた視線を向けられているのを感じながらも、広げた資料集を頼りに書き取りを始めるのであった。
「お、終わった……」
「えー翻訳された言葉を並べてみると……」
地べたで胡座をかいていた壮乃は後ろに両手を付き、深々と息をつく。その隣で小さくしゃがんでいたよるかはメモを片手に立ち上がると、翻訳された文字列を声に出していくのだった。
「在校生の皆さん。勉強、頑張って下さい。大願成就。厄除け。無病息災……」
「あー……」
途中から壮乃は悟りきったように目を瞑り、口すら閉ざして傾聴していた。一方で滔々と音読を続けていたよるかは、遂に締めくくりの言葉を読み上げる。
「※これは呪いのお札ではありません。平成20年度卒業生3-1」
「……まぁ、翻訳してる途中でこんなことだろうとは思ったけど……卒業生のイタズラかぁ」
「絶対に呪われないって、こういう事だったのね」
それは呪いのお札というよりも祝い、労りのお札と呼ぶ方が正確であっただろう。そして今まで調査してきた七不思議とは違って、何か元となった話から作られたものではない事が推測できた。
曰くのありそうな場所に、意味深長な文字で綴られた実に怪しい札を貼る。言わば突然生えてきた七不思議。ほんの出来心で仕掛けられたイタズラはごく一部の人間にしか知らされておらず、気付く者も皆無だったのではないだろうか。
「七不思議として皆が捉えていないだけで……少し聞き込みをすれば、こういう話たくさん出てきそうだな」
当然と言えば当然かもしれないが、今現在七不思議とされている話には必ず過去に所属していた生徒が絡んでいる。卒業生由来の行動や噂が根本にある関係上、部活や委員会などの一部のコミュニティでしか伝わっていない逸話は数え切れないほどあってもおかしくない筈であった。
「現存する!?皆が知らない卒業生のイタズラ特集!とかね。その方向で記事をまとめても良かったのかも」
「それはまた今度の機会に取っておくか、折角ここまで調べたんだし。今更題材を変えるのは勿体ないよ」
残りの七不思議はあと3つだしやりきっちまおう、と壮乃が続けると、よるかは嬉しそうに頷き口を開いた。
「うん!それじゃあ次は、滅茶苦茶怖いやつね!」
「……やっぱり前言撤回しても」
「先生が帰る前に聞きに行こうね!」
咄嗟に逃げを打とうとした壮乃は、よるかに引き摺られるようにして次の目的地へと向かう。そこで待ち受けていたのは呪いの廊下についての七不思議であった。
前向きになった途端、恐ろしい話を聞かされた事で壮乃の心は折れそうになる。しかし全貌を知った事で何とか立ち直り、調査を続ける元気を取り戻す事に成功したのだった。
曲がり角の神隠し
「……そのままの勢いで外に出てきたけど、まだ調査が残ってるよな。残りは明日にするか?」
昇降口。校舎用のサンダルから靴に履き替えていた壮乃は、思い出したようにそんな提案をする。残る2つの七不思議を前にすっかり帰るつもりになっていた壮乃であったが、念のために意見を聞くポーズくらいは取っておくべきだと考えていた。
そんな壮乃の考えを見抜いていたのか、よるかは気にした様子もなくにこりと笑う。そして指を1本立てると、楽しげに口を開いていた。
「実は、もう一つの七不思議は校舎の外にあるから問題なし!このまま着いてきてねー」
「お、おう」
壮乃は腕を引かれ、よるかの進む方向へ逆らうことなく着いていく。その行き先は普段登下校の際に使用している正門ではなく、校舎の東棟側面にひっそりと存在している自転車置き場だったのである。
「チャリ取りに来たのか?自分がわざわざ着いてくる必要ないだろ」
更田家に自転車は一つしかなく、専らよるかが登下校に使用していた。無駄な行動を取らせられる事を非難するつもりではなかっのだがその言葉はよるかの癇に触ったようで、目を吊り上げて睨まれてしまう。
「文句言わない!自転車も取りに来たけど、裏門に用があるの!せっかちなんだから」
「ええっ、思ったことを言っただけで愚痴ったつもりは……」
「それはそれで、デリカシーがなーい!」
「うーん……」
いつもの様に口喧嘩では勝てない事を悟った壮乃は、これ以上の叱責を恐れ押し黙り、嵐が過ぎ去るのを待つことにする。そんなきょうだいの姿を見たよるかは呆れながらも溜飲が下がったようで、気を取り直したようだった。
スカートのポケットから自転車の鍵を取り出すと解錠し、念のために二重に付けてあるダイヤル式の鍵も外しにかかる。手慣れた様子で瞬く間に準備を終えたよるかは自転車を押しながら、今度こそ裏門へと歩を進めていた。
「裏門に関する七不思議なら……急に開かなくなって学校に閉じ込められる、とか?」
「残念、外れ!正解は17時過ぎに裏門から下校すると、曲がり角で神隠しに遭う。でした」
「それは……発生場所がもう敷地内から出ちゃってるけど、学校の七不思議として数えて良いのか……?」
壮乃の初めの思いつきはあっさりと否定されるが、特に落ち込むことはない。それよりも気にするべき点があるように思えたが、よるかは問題ないと判断していたのだろう。壮乃の揚げ足取りを聞き流し、その七不思議を微塵も怖がることなく裏門に手をかけていた。
「裏門自体は……当然、普通に開くよね。じゃああたしは一人で先に行くから、壮乃はそこの曲がり角を曲がりきったのを見てから着いてきてね」
「えっ、2人で行かないの!?」
「こういうのは一人じゃないと、起こるものも起こらないでしょ?じゃ、よーちゃん行きまーす」
追い縋ろうとする壮乃を尻目に、よるかは宣言通りに出ていってしまう。しかしここまで来て調査を諦めるのも違うと思った壮乃は泣く泣くその姿を見送ることにした。
当番になって、ごみ捨て場に来るような用事でもないと訪れることがない校舎裏。その直ぐ側にある裏門は横幅があり、車の出し入れができる程の大きさであった。
となると当然、駐車場も校舎裏に設けられており――教員が停めている何台もの車を手持ち無沙汰にちらちらと眺めながら、壮乃はよるかが曲がり角へと姿を消すのを確認していた。
「よーちゃん!曲がったの見たから、自分も行くからな!」
よるかに聞こえるように大きく息を吸い、声を張り上げた筈だが、しかし返事が聞こえない。今日一日の出来事を通して、七不思議は大して怖いものではないと理解していたつもりだったが、壮乃は途端に言い様のない不安に駆られていた。
「……行くからな!悪ふざけだって分かってるからな!」
壮乃は自分に言い聞かせるようにして裏門から足を踏み出す。開けたら閉めると注意書きに示されている通りに後ろ手に門を閉めながら、歩みを速めてよるかを追いかけた。今にも走り出しそうな足の運びと共に心臓が嫌な音を刻むのを感じながら、いつしか壮乃の呼吸は荒くなっていた。
「よーちゃん!」
「……わっ!」
「うわぁー!?」
壮乃が走り込むようにして飛び込んだ曲がり角の先には、したり顔のよるかが待ち受けていた。壮乃が一瞬、その姿を見失うように、わざとしゃがみこんでいた状態から急に伸び上がったよるかは、目論見が成功した事にはしゃいで笑っている。壮乃は自分でも情けない声を上げてしまったと自覚していた為に思わず頬を紅潮させていた。
「声、ひっくり返ってたね!そんなにびっくりした?」
「こ、こっちは真面目に心配してたのに……よーちゃんのアホ!もう知らねー!後は一人でやれ!バカ!」
恥ずかしさと怒りで逆上せるのを止められないまま壮乃は一人で走り出し、よるかに恨み言を吐き捨てる。それでもよるかは反省した様子もなく、笑みを絶やさないまま路肩に停めていた自転車に跨がっていた。
「あたし、ちょっと寄り道してくるからママに遅くなるって言っといてー!」
「うるせー!自分でメールしろー!」
壮乃の行く先とは別の方向へ向きを変えながら、よるかは呼び掛けていた。壮乃はきょうだいの横暴さに反抗しながらも、顔だけは後ろを向いて言い返すと一人で帰路につくのであった。
「ただいま……」
「お帰りーご飯できるよ」
「うん。……よーちゃんは少し遅くなるってさ」
「はーい」
結局はよるかに頼まれた通りに母親へ伝言をした壮乃は、肩を落として自分の部屋に戻る。それは校内を歩き回った疲れから来るものでもあったが、自分の行いを鑑みて反省したからでもあった。
「はぁ……バカはちょっと言い過ぎたかな。明日、お詫びにゼリーでも買っとくか……」
壮乃は七不思議の調査中に交わした会話を思い出し、独りごちる。喧嘩にもなっていない些細な言い合いではあったが、気が立っていた事もあり少々口が過ぎていた自覚があったのである。
「まぁ一日経てば忘れてるだろうけど、弱点の克服も手伝ってくれたしな」
次の日になれば、いつも通りに話し掛けてくるだろうし自分もそうすると分かりきっている。それでも自腹を切って好物を渡しても良いかなという気持ちになるのは、少なからず恩を感じているからに他ならなかった。
「よし、飯食ったらさっさと寝よう。まだあと一つ、七不思議が残ってるしな」
怒りはおおよそ沈静化したが、未だに顔を合わせる気まずさは残っている。それに少しは怒っているポーズを取っておかなければ、調子に乗ることも長年の経験から分かっている。様々な要因から壮乃はこの日、よるかと別れてから家で顔を合わせることなく一日を終えたのだった。
翌日、一限目に登校するのには少し遅い時間。起床した壮乃は制服を身に着け、リビングへと歩を進めていた。ふと机の上に視線を向けると書き置きが残されており、母親は外出している事が分かる。
「夏休みだからっていつまでも寝ないように!出掛けるなら戸締まりよろしく!」
「……鍵が置いてあるって事は、よーちゃんは先に学校行ったのかな」
メモに目を通した壮乃は、共に置かれていた鍵を持ち上げ独りごちる。更田家では自宅の鍵は全員に配布されている訳ではなく、きょうだいは昔から一つの鍵を共有していたのである。
「よーちゃんからメールは来てないけど……まぁ、いちいち報告することでもないか。学校行けば会えるだろ」
壮乃はよるかからの連絡を気にしつつも携帯電話を懐にしまう。そしてキッチンの元栓だけは確認してから、外に出て玄関の扉を施錠した。
本来なら家中の消灯や窓の戸締まりも気にすべきではあったのだが、面倒くさがった壮乃は大丈夫だろうと楽観視して外に出ていたのだった。
「腹減ったし、コンビニ寄ってから行くか。……ゼリーも買わないとだし」
誰に話し掛けている訳でもなく壮乃は言葉を続ける。自宅の外、使用していなければ車の横に停めてある筈の自転車はやはり影も形もなく、よるかは既に出掛けている事が分かる。壮乃は取り立てて急ぐこともなく、ゆっくりと歩きながら目的地へと向かうのだった。
「おはよー」
「おはー眠そうな顔してんなぁ」
教室に入った壮乃は文化祭の準備の為に登校していたクラスメイトに挨拶をしながら自分の席に荷物を置く。夏休み一日目ということもあり、校舎内は全体的に静かな空気に包まれていたのだが、壮乃のクラスは多くの生徒が集まり活気に満ちていた。
「皆、何やってる?」
「俺は装飾作り。上の階にいる女子は垂れ幕作りやってるってさ」
「あぁ、広げられる場所が無いからか。そこの休憩スペースは他の組が使ってるっぽいし」
壮乃の言葉に肯首する祐影を横目に、視線を教室内へと滑らせる。しかしそこに先に家を出た筈のよるかの姿はなく、疑問を覚えた壮乃は友人に問いを投げ掛けていた。
「よーちゃんが来てると思ったけど、もしかして上にいる?」
「よーちゃん?誰のことだ?」
「は?」
壮乃の質問に祐影は気にした様子もなく、覚束ない手付きで紙製の造花を作っている。壮乃は未だ頭が覚醒しきっていない為に聞き間違えたのかと自分の耳を疑い、再び口を開いていた。
「よーちゃんは、よーちゃんだよ。何言ってるんだ……」
「何って……あっ、もしかして他クラスの奴か?まさか……彼女とか!?」
「悪ふざけもいい加減にしろって……自分の双子のきょうだいだよ!更田 よるか!」
からかう事を止めない祐影に壮乃は苛立ちも露わに声を上げる。それは脳裏に過った考えから目を逸らして、募ってしまった不安を誤魔化す逃避行動に他ならなかった。それを証明するように、発された声色は動揺を隠しきれていなかったのである。
「……お前、一人っ子じゃなかったっけ?」
本心からそう思っている。しかし突然おかしな事を言い出した友人を心配している。そんな表情で見上げられた壮乃は祐影に呼び止められるのも無視して教室から飛び出していた。
「嘘だ嘘だ……あれは、ただの噂だって……」
壮乃の頭に、よるかと交わしたやり取りが甦る。17時を過ぎてから裏門を出ると神隠しに遭ってしまう――。
これまでの七不思議にはおおよそ元になった話があった。七不思議として噂されるようになった原因は、後から話を大袈裟に誇張した結果であって実際に起こり得る現象ではないと散々検証した筈だった。
「……よーちゃん!」
「わあっ!?」
階段を駆け上がった壮乃は、垂れ幕作りに取り掛かっている制作班の元に走り込んでいた。
普段、よるかが一緒に過ごしている3人の友人達。本来なら、よるかを合わせて4人で取り留めのない話をしている光景が見られる筈であったのに、そこにきょうだいの姿は存在していなかった。
「びっくりした……」
「どうしたの?何か用?」
祝は驚きで胸を抑え、連城は絵の具を付けた筆を片手に声を掛けてくるが、壮乃は荒くなった呼吸を抑えるのに必死でなかなか声が出てこない。
不安げな視線を集めていると理解しながら、ようやく息を整える事に成功した壮乃は口を開く。その姿があまりにも尋常ではない様子に映ったのか、クラスメイト達は互いに目配せをすると腫れ物に触るかのように居住いを正して、黙って聞く姿勢を見せていた。
「自分のきょうだいの……よーちゃん、来てないか」
「……きょうだい?」
「初めて聞いた。……先輩?それとも、後輩?」
少しは覚悟できていると思っていたのだが、改めてもたらされた現実に壮乃は雷に打たれたような衝撃を受ける。そしてそのまま突き動かされるようにして壮乃は再び走り出していた。
背後から掛けられる困惑した声も最早、壮乃の耳には届かない。誰も彼もが同級生であるよるかの事を忘れている。その異常さに動転しながらも、恐らく誰に聞いても有力な情報は得られないのだと壮乃は判断する。だからこそ先日2人して訪れた場所を巡るように、校舎内を確認して回っていた。
「いない……どこに行っちゃったんだ、よーちゃん……」
おおよそ全ての教室を見て回った壮乃は、とうとう校舎を飛び出していた。裏門を越え、怪奇現象が発生する場所とされた曲がり角の確認にも来ていたのである。しかし何処にもよるかの姿はなく、疲労からその場にしゃがみこんでしまう。
「連絡もつかないし、何なんだ……」
何度メールを送ろうとしても、アドレスに誤りがあるとして送信に失敗する。電話をしても現在は使用されていない番号だと言う、無機質な音声しか返ってこない。
八方塞がりに陥った壮乃は現実逃避をするように目を瞑り、頭を抱えてしまっていた。
「……ん?」
しかし、視界が遮られていても耳まで塞いだ訳ではない。壮乃の耳に入ってきたのは戯れに鳴らされたベルの音と、タイヤが地面と擦れる音。背後から微かに届いた聞き覚えのあるその音に壮乃は立ち上がり、裏門に戻るようにして曲がり角から顔を出していた。
「よーちゃん!」
「ん?壮乃?グッモーニーン」
期待とは裏腹に自転車に乗っていたのは涅府であり、壮乃は思わず溜め息をついてしまう。出会い頭にそんな対応をされれば、さすがの友人でも思うところがあったのだろう。涅府は苦笑しながら話し掛けてくる。
「人の顔を見て、ため息つかなくても良いじゃない。こんなところで何やってたの?」
裏門の鍵、閉まってるの?と疑問を投げ掛ける涅府に壮乃は口ごもりながら否定を返す。それでも未だどこか煮え切らない態度を取る壮乃を、涅府は不思議そうに見つめていた。
「いや……何でもない。裏門から入るんだよな、開けるよ」
「おぉ……?ありがとー」
壮乃は力なく首を横に振り問題がないことを示しつつ、校舎へと戻るために歩を進める。そして先導するように裏門を開けてから涅府が通るのを見届けると、注意書きの通りにしっかりと閉めるのであった。
それは先程の出会い頭の無礼な振る舞いを反省しての罪滅ぼしでもあったのだが、友人もそれを理解していたようで軽快に謝辞を述べて駐輪場へと向かって行く。壮乃はその後ろ姿を追うようにして後に続き、次はどこを探すべきなのか考えを巡らせ始めていた。
「そういえば七不思議を調べてたんだっけ。ボクが即興で適当に作ったとはいえ、ちゃんと条件に従って17時を過ぎてから調べてよネー」
「……えっ?あの裏門の七不思議って、お前が作ったのか?」
「うん、昨日の時点では6個しかなかったでしょ?ああいうのって中途半端に調べて止めると、逆に何かありそうで怖いからさー」
でもお陰で完遂できそうでしょ?と得意気に語る友人を壮乃は暫し呆然として見つめてしまう。それはよるかがその場で雑に作られた話に巻き込まれて消えてしまった驚きからでもあったのだが――次の瞬間、僅かに見えた光明に壮乃は目を見開いていた。
「中途半端……もしかして、そのせいで?」
「うん?」
真偽のほどは分からない。しかし涅府の言う通り調査を途中で切り上げてしまったからこそ、よるかは呪われるようにして消えてしまったのかもしれない。それはつまり逆に考えると、調査をやり遂げる事ができたのならば呪いは解けるという事ではないのだろうか。
「お前、七不思議が書かれたメモ見てたよな!付け足す前の最後の七不思議って何だったか覚えてるか!?」
食って掛かるようにして距離を詰める壮乃に、涅府は降参を示すように両手を上げる。必死の形相で迫られた事が恐ろしかったのか、その額には汗を滲ませている程であった。
「えっ?う、うん。えーっと確か……」
涅府は一度落ち着きを取り戻すように赤縁の眼鏡を押し上げると、よるかによって書かれたメモの内容をそらんじ始める。壮乃はその言葉を聞き終えると同時に友人を置き去りに走り出していた。再び校舎内に戻った壮乃は勢いよく階段を駆け上がっていたのである。
願い事が叶う場所
壮乃は忙しなく足を動かしながら脳裏で涅府の言葉を回想していた。
場所は西棟3階のバルコニー。該当する場所はいくつか存在するものの、条件によって候補は絞られ壮乃は易々と相応しい場所を見つけ出していた。
提示された条件は、バルコニーから見下ろした際の視界の直線上に正門が存在する場所。何処かの教室から続くベランダという訳でもなく、ただ理由もなく存在しているような狭いバルコニー。生徒が数人立ち入れば、あっという間に混雑してしまうような場所に壮乃は一人佇んでいた。
「……よーちゃんごめん!昨日はちょっと言い過ぎた!」
そこで思いの丈を叫ぶと願いが叶うらしいよ。告白した人が意中の人と付き合えるようになったとか、備品を壊した事を自白したら先生から許してもらえたとか。
でもコレって壮乃が自分で書いたメモなんじゃないの?そんな風に涅府が続けた言葉を思い返しながら、壮乃は更に大きく息を吸う。
涅府から由来を聞けたことで調査は終了したと言ってもいいだろう。しかしその七不思議の真偽を確かめるように、壮乃は行動に移っていた。それはよるかを取り戻せるかもしれないという焦りと期待からくるものであり、実践できる事はしておかねば気が済まないという衝動を自分では止めることが出来なかったのである。
悪いことをしたと思ったら謝り、許しを乞う。昨日の、少しの罪悪感を抱きながらも先延ばしにしてしまった謝罪を後悔しながらも露わにする、いっそ捨て鉢とも言って良いほどの取り乱し様。それを恥じることなく、壮乃は思いのままに声を荒らげた。
「最後まで一緒に七不思議を調べたいから!帰ってきてください!」
壮乃の大音声は正門にまで届くのではないかと錯覚するほど辺り一面に響き渡る。グラウンドで部活動に励んでいる野球部がこちらに視線を向けているのを感じながらも、壮乃はバルコニーにへばりつくようにして、じっと何かが起きるその時を待っていた。
ふと静寂を切り裂くようにして鳴り響く音がある。それは壮乃のズボンから発されており、ポケットから音源である携帯電話を掴むと恐る恐る画面を確認していた。
「よーちゃん、じゃない……」
やはりそう簡単に七不思議の呪いは解けないのだろうか。
画面に表示されていたのは母親からの着信であり、壮乃は肩を落として電話に出る事にした。
「……もしもし?」
「もしもーし!あのね、母さん買い物に行ってきたのに、すっかり買い忘れちゃった物があったのよ!」
こちらが用件を尋ねる前に、間髪を容れずに話し掛けてくる母親の声に壮乃は思わず携帯電話を耳から遠ざける。焦りからか、甲高く大音量で捲し立てる母親の声で耳が痛くなるのを感じながら、壮乃は脱力して問いを返していた。
「……だから帰りに買って来いって?何、忘れたの」
「ゼリーよゼリー!よーちゃんが好きな、みかんのゼリー!」
「……よーちゃん、いるの!?」
話半分に聞き流そうとしていた中で突如として耳に入ってきた重要な情報に、壮乃は思わず声を張り上げる。母親は息子のそんな態度を訝しむ素振りも見せず、事も無げに話を続けた。
「昨日、帰ってきてから熱出して寝込んでたじゃない。急がなくても良いけどゼリー食べたがってたから、お願いね!」
用件を伝えるだけ伝えた母親はあっさりと電話を切る。しかしそんな事にも気付かないほど壮乃の胸中は様々な感情でないまぜになっていた。当然、悲しみや苦しみではなく、驚きや歓喜に安心という正の感情で。
壮乃は今日、何度目かの駆け足になる。走りながら、よるかが確かに存在しているのだという事実を段々と実感し始めた壮乃は、知らず知らずの内に笑顔になっていた。
「うわ!廊下は走っちゃダメだよー!」
「ごめん!今日は帰る!また明日!」
「えぇ……?バイバーイ……?」
帰り道の途中、バルコニーの七不思議を教えてくれた涅府と衝突しそうになりながらも壮乃は一目散に駆けていく。
落ち込んでいたと思えば豹変して尋問するかのように詰め寄り、今は悩みなど存在していないかのような晴れ晴れとした表情を浮かべている。そんな情緒不安定な姿を目の当たりにした涅府は困惑しながらも、勢いに流されるまま壮乃を見送るのだった。
「よーちゃん!」
「帰ってくんの、はやーい。ゼリーある?」
玄関の扉を開け放ち転がるようにして帰宅した壮乃の目には、確かによるかの姿が映っていた。風邪を移さないようにマスクを装着しており少し気だるげな様子ではあるが、しっかりとした足取りで壮乃の側に近付いてくる。
「本物の、よーちゃんがいる……」
「何それ?偽物のよーちゃんでも見たの?」
「いなかったから、探してたんだよ……」
「ふーん?……壮乃も熱計った方が良いかもね」
よるかは壮乃の発言を適当にあしらいながらコンビニの袋を浚い、中からゼリーを取り出していた。それは程好く冷えており、食べるのに丁度いい状態と言って良かっただろう。
想定外の事態に錯乱状態だった壮乃は朝に買った商品は学校に置き去りにしてしまった為、その消費をメールで友人に頼んでいた。要するに、よるかの手にしているゼリーは新しく買い直したものだったのである。
「よーちゃんの熱は?下がった?」
「微熱まで下がった!ちょっと怠いけどお腹空いてるし、もうばっちり元気よ」
コンビニの袋を提げてリビングに向かうよるかは、振り向いて壮乃にピースサインを向けて返事をする。全くもって普段通りのおどけた姿を見せるきょうだいに、壮乃は思わず安堵の言葉を溢していた。
「そっか、良かった」
「……熱が出たのってさ、バチがあたったのかなって」
「うん?」
ふと足を止めたよるかは俯きがちに話を切り出す。気まずさからか壮乃と目を合わせないように視線を逸らしながらも、その声色は沈んでどこか悲痛さがあった。
「怖いものが苦手な中、壮乃は頑張ってあたしに付き合ってくれたのに。わざと脅かして、からかったりしたから……」
そこまで言うと、よるかは一度黙り込む。次に続く言葉が何なのか分かりながらも、壮乃は余計な口出しはせず待つことにした。自分から切り出さなければ反省した事にならないと、そう彼女自身が強く思っていると感じたからでもあった。
「……ごめんね。質の悪いイタズラして」
「もう良いよ。自分もちょっと言い過ぎたし……ごめんな」
次はしっかりと目を見て謝罪を述べたよるかに、壮乃は同じようにして許しを乞う。しかしそんな仰々しい状態が長く続く筈もなく、2人はしおらしさをなくしていった。
よくある些細な言い合いであったものが今や妙な深刻さを帯びている。そんな状況が段々と可笑しく思えてきた事で、きょうだいは揃って口元を緩めてしまっていた。
「うん。じゃあ、はい。仲直りの握手!」
「よし!オラッ」
握手と良いながらも、壮乃は差し出された手に向かって勢いよく手を叩き付ける。きょうだい間でたまに行われる、今後の禍根を残さない為のけじめ。その身内にしか分からない儀式を終えると、2人は今度こそリビングへと歩を進めた。
「よし、自分もゼリー食うかな。桃のやつ取って」
「はーい。スプーンあげる」
「あざっす」
対角線上に座った2人はそれぞれのゼリーを食べるために準備を始める。よるかはスプーンを食器棚から用意した訳ではなく袋に入れられていたものを渡しただけだが、壮乃は律儀に礼を言う。それは2人の間では普通のことで――その些細な思いやりこそが致命的に険悪な仲にならずに、安穏ときょうだいをやれている秘訣なのかもしれなかった。
「よるか治ったんだー」
「念のために体、冷やし過ぎないようにね」
「ありがとー!昨日は休んでごめんね」
翌日、登校した矢先に次々と声を掛けられるよるかを横目に壮乃はその場を離れ自分の席へと向かうことにする。
よるかの存在を忘れていたクラスメイト達の認識は不思議と元通りになっており、母親と同様に風邪で寝込んでいたという事になっているようだった。
「ねぇ、昨日の話なんだけどさー」
「んー?」
荷物を机に置いた壮乃に挨拶もせず、話し掛けてくる声がある。それは百面相をする壮乃を間近で見せられ、最後の七不思議を教えてくれた涅府のものだった。
「結局、願い事は叶ったの?」
壮乃がバルコニーを訪れた後に笑顔で走り去ったところを見て、確認せずにはいられなかったのだろう。その上、よるかの一時的な消失と帰還を知らないとなれば涅府の疑問は尤もなものといえた。
期待が混じる目で見つめられながら、壮乃はゆっくりと口を開く。
「それは……」
「壮乃ー!また面白い話、聞いたんだけど!調べに行こう!八不思議にしよう!」
「……分かった!今、行く!」
よるかに呼び掛けられた事で壮乃は返事をし損ねる。直ぐに行かなければ引きずり回されると理解していた為に、壮乃はクラスメイトを置き去りに走り出していた。
「あっ、誤魔化した!教えてヨー!」
「知りたかったら、自分で確認してみろよ!良い経験になるかもよ!」
深く聞き出そうとする涅府に壮乃は悪戯っぽい笑みで言葉を返す。ただし、一度始めたら最後までやり遂げる事。そう付け加えた壮乃は、よるかの元へ駆けていく。
きょうだいの七不思議の調査は意外な真実を知る一方で学校への理解も深め、少し不思議な経験を経て痛い目を見つつも学びを得る形で終わりを迎えた。
それは親しき仲でも人の嫌がる事はしない、怒りを抱いても口の過ぎた言い方はしない方が良いということ。何故なら後で必ず後悔するから――そんな当たり前の事を改めて胸に刻んだ2人は連れ立って新たな調査へと向かう。
壮乃に向けられた、よるかのくっきりとした大きな瞳はたくさんの光を取り込んでキラキラと輝いて見える。壮乃にそう錯覚させたのは危機を乗り越えた安堵感からか、あるいは単純によく晴れた天気と強い日差しのせいだったのであろう。
それでも。気のせいであったとしても、その眩しい光は2人の行く先を暗示しているようで――雲一つない抜けるような青空は、子供たちの新たな門出を祝福しているようでもあった。
薄暗い教室の中では、映画の終わりを知らせるようにエンドロールが流れ始めていた。軽快な音楽と共に関わった生徒達の名前が羅列され、誰がどの仕事に協力していたのかが明示されている。
画面の右半分で文字列が流れていく中、余白のある左半分には無音の映像が映し出される。それは撮影の合間に生徒達が休憩している様子や、演者のNG集だったりと様々な光景であった。
後半に近付くと文字とBGMが消え暗転した後、バルコニーで生徒達が何やら叫んでいる映像が音の入った状態で流れ始める。数人ごとに次々と行われたそのシーンが切り替わると、集まった生徒達が一斉にアイスの袋を開けて食べ始めていた。
再びシーンが移行すると、生徒達がざわめいている中で一際大きな声が上がる様子が映される。声の主が大きく掲げた手元には当たりの棒が握られており――奇しくも七不思議の真偽が実証されたことを示していたのだった。




