15-1 夏休みの終わり
「夏休み……あっという間に終わっちまったなぁ」
始業式の後、クラスでのホームルームの時間。担任の教師から直近で必要とされる連絡事項の伝達を終えた教室の中は、それまでの静かな空気とは打って変わって緩い雰囲気に包まれていた。ざわめいている生徒達の声に紛れてぼやいている香椎に、來見は一つの疑問を投げ掛ける。
「課題、ちゃんと終わらせたか?」
「今日が締め切りのやつはな!それ以外は……あとちょっと!」
自信満々に言い放つ香椎に來見は思わず胡乱な目を向けてしまう。各教科によって課題の提出日は異なっており、始業式当日ではなく新学期を迎えて初めての授業の日が期限となっているものも確かに存在していた。それでも名目上は夏期休暇中に終わらせなければならないものを、ずる賢くも香椎は溜め込んだままにしていたのである。
「それ、去年も同じことしてたけど……結局、終わりきらないで締め切り破ってたよな」
「あれは選択Aの週とBの週をうっかり見間違えただけだから!今回は抜かりねぇから!」
「どうだかなぁ……その慢心が命取りになる気がしてならねぇよ」
クリアファイルに入れている時間割り表を來見にわざわざ見せてまで宣言する香椎は、少しも悪びれる様子がない。その内容が教壇に立っている担任の耳に入れば間違いなく咎められるというのにも関わらず大きな声を発している友人に、來見は軽い悪態混じりに忠告するだけに留めるのだった。
「……それでは、各教科の係の人は集めた課題をそれぞれの先生の所まで持っていくように。他に何か連絡事項のある人はいますか?」
課題を後ろの席から前の席に向かって手渡しで送り、各教科における教師の連絡係が回収をし終えたところで担任が生徒達に声を掛ける。そこで美しい挙手を見せた望搗 よるかの姿を認めると、担任はその名を呼んで黒板の前まで進み出る事を促すのだった。
「文化祭実行委員からのお知らせデース」
まず初めによるかと共に壇上に上がってきた、もう一人の文化祭実行委員である男子生徒の涅府が口を開く。生徒の注意を引く事に成功した彼はよるかに視線を送り、後の説明を任せていた。
「えー、皆さんの協力によって無事!撮影は終了しました。映像は目下、編集中ではありますが……当日までには問題なく完成させられる見込みです!」
主演の一人でもある彼女の言葉にクラスメイト達はどよめき、気付けば拍手が沸き起こっていた。ふと目を移すと監督役である月退や林も同様に手を叩いている姿が見える。その喝采は演者達や協力してくれた人々に向けたものである事は勿論、生徒達を指揮していた自分達に対して労りを与えているようでもあった。
「ここまで順調に進んだのは、手伝ってくれた皆のお陰です。まだ全部終わった訳ではないけど……本当にありがとう!」
頬を紅潮させたよるかが話を進行させると、その言葉を聞き逃すことがないように教室は自然と静けさを取り戻していく。よるかの謝辞を茶化す者は一人もおらず、來見は――ひいては生徒達は微笑ましい気持ちになりながら続く言葉を待っていた。
「それで……文化祭の成功祈願に、近くの神社まで参拝に行こうかなと思ってまして」
「ちょっとホラーな撮影したから、そのお祓いも兼ねてネ。難しいかもしれないけど、可能なら皆で行きたいなーって」
どうかな?と言葉を投げ掛ける涅府に、生徒達はざわつきながらも反対する者はいなかった。空気を読んだのかもしれないが、文化祭を成功させたいという心は同じだったのであろう。
「……うん、賛成ってことで良いかな?文化祭準備期間の最終日、その放課後に行こうと思うけど」
皆の部活も休みの筈だし、と涅府は続ける。その問い掛けに対してクラスを代表するように更田が肯定の声を上げていた。
周りの生徒達の中にもやはり拒否する者はいない。銘々が頷く事で参加を表明するのだった。
「じゃあ、そういうことで!また時期が近くなったら告知するから、よろしくネー」
「あっ、それから……これも!発注していたクラスTシャツが届いたので、帰り際に取っていって下さい」
涅府が話をまとめようとしたところで、よるかが慌てて割って入る。そしてビニール袋に入れられた衣料品を教卓に積み重ねると、指で示してクラスメイトに呼び掛けていた。
よるかの言うTシャツとはクラスごとに発注するオリジナルのものであり、文化祭当日に着用する衣装の事であった。クラスによっては少し前に開催された体育祭の時に使用したものを流用する事もあり、その選択は生徒達に委ねられていたのである。
その上で來見達のクラスは特に反対する者もいなかった為に、新たなデザインでの制作を業者に委託していたのだった。
「皆から見て、左から小さい順に置いておきます。サイズを間違えないようにね」
連絡は以上です!とよるかは担任に向き直る。その隣に控える涅府も同じように隣で頷くのを確認すると、担任は生徒達に向かって再び口を開いた。
「はい、それじゃあ他に連絡のある人は?……いないですね。日直さん、号令」
「起立、礼」
さようなら、と口々に続く生徒達。文化祭実行委員の2人は自分の席に戻ることもなく、流れるままにその場で会釈をする。そして自分用のTシャツを手に取ると、各々が文化祭準備の為に解散していくのだった。
「クラTの存在、忘れてたわ。体育祭のやつとは違うんだったか」
「体育祭の時と一緒で、デザインできる人に丸投げした形だったからな……申し訳ないけどありがたい話だよ」
「色彩感覚あるの尊敬するぜ。俺、そういうの絶対無理だから」
香椎と來見はダラダラと話しながら少しだけ時間が経つのを待ち、人が捌けたのを見ると教壇へと進んでいく。すっかり嵩を減らしたTシャツの山はビニール製の袋に包まれているため、どのような全容をしているのかは空けてみるまで分からない状態で置かれていた。
「適材適所って奴だな……一回、洗濯する為に持ち帰らないと」
「別に汚くねぇだろ?俺はロッカーに入れとく。当日忘れそうだし」
「……文化祭当日に使う教室は別のところだからな。外のロッカーは上から装飾が付けられるんだから、取り出せなくなる前にちゃんと回収しろよ?」
物臭な態度に思わず釘を刺すと、香椎はすっかり当日の仕様を忘れていたようで目を見開く。とはいっても、來見達の教室を使用する生徒に声を掛ければ取り出せないという事はないのだろうが、間違いなく迷惑をかける形になる。香椎もそれは望むところではないと思ったのか、決まりが悪そうな顔で軽く頭を搔いていた。
「そういや、そうだった……もう鞄の底に沈めとくか」
「一人だけ制服で回る事になったり、当日他の子に手間をかけさせる事になるよりは良いのかもな……?」
荷物で圧迫された事で皺だらけになりそうだとか、その結果着た時に締まりのない姿になる未来が見えなくもないなど。気になるところはあるが香椎本人がそれで良いのなら口を挟む事でもないかと、來見はそれ以上の言葉を控える。
当の香椎は宣言通りにTシャツを鞄に投げ入れると、あっけらかんとして話を続けていた。
「いよいよ文化祭に近付いてるって感じだ。楽しみだなー」
「周りも浮き足立ってるよな。大詰めだから気合い入れないと」
「來見!ちょっと意見聞きたいんだけど、時間良いか!」
來見が相槌を打っていると不意に教室の外から呼び掛けられる。声の主は月退であり、恐らく編集中の映像に関する件だと來見は直ぐに理解した。
「今、行く!」
「上のパソコン室なー!」
「おー」
來見が返事をすると月退は他にも声を掛ける人間がいるのか、場所を指定した途端、足早に去っていく。香椎は忙しない月退の姿に面食らったように目を瞬かせていたが、直ぐに気を取り直すと片手を上げて來見に声を掛ける。
「……じゃ、俺は装飾班とダンボール貰いに行ってくるから。そっちは任せた!」
香椎が口にしたのは装飾品の材料として使用する素材の事であった。
文字の形に切り出して、上からペンキで塗り潰して天井から吊るしたり。あるいは看板や品書きとして生まれ変わったりなど。
この時期になると伊斗路高校の近くに位置するコンビニやスーパーに掛け合って、不必要なダンボールを分けてもらう生徒の姿が多く見られるようになる。その光景はもはや風物詩と化していたのであった。
「あぁ、足りなくなってたんだっけ。一段落したら俺もそっちに参加するよ」
「時間かかりそうなら、そっち優先して良いからなー。合流すんなら電話とかで状況確認してからでよろしく」
伊斗路高校は比較的駅が近く、少し歩けば繁華街もある。とは言っても大概の生徒が訪れる店舗は限定されており、欲しいと思った時には既にダンボールが回収されている事も少なくなかった。そういった場合は足を伸ばして探索に向かう必要があり、予想よりも時間が取られてしまう事も往々にしてあったのである。
香椎の言う状況確認とは散り散りに遠方に向かったクラスメイト間での情報をしっかり共有しようという事であり、無駄な手間を省こうという注意でもあった。
「了解。じゃ、お店の人に迷惑かけんなよ」
「かけねーよ!じゃあな!」
憤慨した様子もなく移動していく香椎と別れ、來見も鞄を手に取り肩に掛ける。教室内で作業が始まるのを背に、目的の場所へと歩を進めるのだった。
來見が上階のパソコン室へと向かうと、生徒が普段使用している教室から離れたことで喧騒が少し遠ざかる。それでも校舎内ではあらゆる所で生徒達による文化祭の準備が行われている為に、何処にいても誰かの話し声が聞こえるような状態であった。
多くの休憩スペースが会議室や作業場として当然のように占拠されている。だからこそ中庭やバルコニー、果ては最上階の踊り場など人気が少なく僅かでも広めの空間が担保できる場所には悉く生徒が詰め掛けていた。学校中で日々熾烈な場所取り合戦が繰り広げられていたのである。
中には特別講義室などの事前の申告がなければ使用できない教室に目を付け、担任を通して予約を入れて場所を確保する要領の良い生徒もいた。しかしそれでも場所によっては道具の持ち込みや作業が制限されてしまう。結局のところ何処で何の作業を進めるのかという割り振りに生徒達は苦心する事になり、誰もがきちんと計画を立てて作業する必要に駆られる事態からは逃れられないのであった。
「お疲れ」
誰かが作業用に流しているのか、覚えのある音楽が何処からともなく聞こえてくる。耳に届くその音に心を惹かれながらも來見はパソコン室の扉を開ける。何の曲だったのかを考えるよりも先に、やるべき事が來見の目の前に積み重なっていた。
入室と共に声を掛けた事で、室内にいた生徒達の多くは來見に目を引かれたようだった。数人が返事をするのを受け取りつつ、來見はクラスメイト達が集まる席へと向かう。
後になって中には別のクラスに在籍している生徒がいた事にも気付き、作業の邪魔をしてしまったかもと申し訳ない気持ちになる。しかしそれは途中で遮られていた。次の瞬間、林が急いた様子で來見に話し掛けていたのである。
「お疲れ様。早速で悪いんだけど、ちょっと見て欲しいところがあってさ」
「全然良いよ。どこが気になる?」
「うん。ここのカットなんだけど……」
林を筆頭に編集技術を持つ生徒達と合流すると、共に映像を確認しながら、より良く仕上げる為の意見を交わしていく。後に遅れてやってきた月退からも助言を求められると素直に思った感想を述べ、時には多数決で効果的な演出を決めたりと來見はクラスの一員としてできる限りの協力をしていった。
「よし、じゃあこの案で行こう」
「うん、よろしく。來見、時間があるならまた編集手伝ってもらいたいんだけど……良いかな」
月退が忙しなくマウスを動かし作業を再開するのを横目に、林は隣でパソコンを覗き込んでいた來見に声を掛けてくる。助けを求めつつも躊躇いが生じていたのは、編集作業に携わるようになってからまだ日が浅い來見を慮ったからだったのであろう。來見は内心、その配慮を嬉しく思いながらも直ぐに首を縦に振ったのだった。
「勿論。どのデータを作業すれば良い?」
「ちょっと待ってね。今、渡すから……」
來見にとってパソコンとは、自宅で調べものをする時や、動画を視聴する際に使用するものという認識であった。学校においても英語や情報の授業などでしか触れる機会がなく、限定的な操作方法しか知り得ていなかった。それは特段の興味を抱いていなかったとも言い換える事ができただろう。
しかし今や來見は様々な情報を吸収できたお陰で、軽い編集技術を習得する事に成功していた。バラバラに撮影されたカットを順番に並び替えて繋げる事で、一つのシーンとして構成したり。予め保存してあった――無料で使用できるフリー素材の効果音を、指定された通りに付けるなど。
その作業は軽く説明を受ければ誰でもできるような、ごくごく簡単なものであった。それでも映像の完成にかかる時間を縮める手伝いは、できたといっても良いのではないだろうか。
(こうやって手伝えるのも、丁寧に教えてくれた皆のお陰だな……)
「はい、コレ。効果音付けるのと画面の色調を整えて欲しくて……やり方が分かんなくなったら呼んで」
直ぐに行くから、と付け加える林に來見は映像データを移したUSBを受け取りながら返事をする。
授業で頭を使った後に、脚本の指示を確認しながら映像とにらみ合う仕事が始まる。最終下校の時間ギリギリになるまで続けられるその作業は、多大な疲労感を來見に抱えさせていた。しかしきっと、それだけではなかったのである。
(皆、こんなに頑張ってるんだから……報われたって良いよな)
文化祭での催し物が決まる前は、装飾を作るなど――言い方は悪いが人数は必要だが誰にでもできるような手伝いにしか、自分は加われないのだと判断していた。
しかし予想外なところから助力を請われ、その流れで新しい技術を教わりつつも専門的な協力ができている。それは確かに來見に充足感を与え、学年での優秀賞すら狙えると思わせる程の自信を抱かせていた。そして、もしかしたら。どこか優越感にも似た喜びすら、來見の中に芽吹かせていたのである。
訪問客向けのパンフレットの印刷と配布。それに加えて当日の係の分担や配り歩く広告の作成など、生徒達は着実に準備を進めていく。そしていよいよ文化祭当日まであと3日というところで、午後の授業を免除された全校生徒は校内の清掃と整理を行っていた。
普通教室2つ分のスペースを使用する事になるお化け屋敷など、大規模な催し物の会場として使用される場所は必要な数の机や椅子以外は掃除用具入れなども含めて空にするよう指示される。一方で生徒達の休憩室、あるいは準備室として使用される教室は、清掃を済ませると普段通りの整頓をされていた。
翌日から文化祭準備期間として用意された残りの2日間、生徒達はそれぞれのクラスに割り当てられた会場――普段使用している教室とは別の場所に登校する事になるのである。
來見達が映写室として使用する教室は東棟4階の社会科室であり、控え室として割り当てられたのは隣合っている中央棟の特別講義室であった。
自分達が普段使っている教室の整理を終えた來見達は、事前に用意していた装飾や道具を運ぶ為にダンボールに詰めていく。そして宛がわれた教室へと備品を移動させると、窓からいつもとは違う風景が覗いているのをどこか不思議な感覚に陥りながらその日は解散するのだった。
文化祭当日、伊斗路高校の外壁には色取り取りの垂れ幕が掛かり、その開催を内外に知らしめていた。
校舎内へ一歩足を踏み入れると、天井からは連続旗や光を反射して輝くモールがぶら下がり、見渡す限りの壁には所狭しと宣伝用の広告が貼られている。
移動の際には付き物の階段さえもその例外ではない。特に蹴込み板部分に分割して嵌め込むようにして付けられた装飾は遠目に眺めると一枚の絵画のように仕上げられており、割り当てられたクラスごとの個性が見て取れる圧巻の仕事ぶりだったのである。
平常時であればただのクリーム色の壁が、今は目にも鮮やかな装飾で埋め尽くされている。それを興味深く思いながらも來見は歩を進めていく。
宣伝に使うのだろうか。ダンボールで製作されたと思われる巨大なオブジェは、中に入った人間の視界が確保できるような穴が開いている。道すがら、同じような建造物に何度も足を止めそうになりながらも、來見は目的地へと辿り着く。
関係者以外立ち入り禁止、KEEP OUTというテープが大きく貼られた特別講義室の扉を眺めながらも、躊躇いもなく開くのだった。
「おはよう」
「おはよー!」
室内に入ってすぐ、更田の姿が目に映った為に挨拶をすると、元気よく言葉が返ってくる。來見はそのまま後ろ手にゆっくりと扉を閉めようとするが、何かが挟まって建て付けの悪くなった戸のようにその動きは途中で止まってしまっていた。
「おっと……オハヨー」
「おはよー!」
「あぁごめん、おはよう。……何かあったのか?変な顔して」
閉めようとした扉は差し込まれた香椎の手により塞き止められていた。後続に気付かずにいた來見は謝るが、それよりも香椎の浮かべている表情が引っ掛かる。
不機嫌という訳ではなさそうだが僅かに眉間に皺を寄せ、どこか落ち着きがない。文化祭当日という熱気に当てられている姿とも少し違う、複雑そうな顔をした香椎はため息を一つ吐くと疑問に答える為に口を開いていた。
「……さっき間違えていつもの教室に行っちまったら、すげぇ目で見られてさ。恥ずかしいというか、何というか」
意気揚々と登校してきた先で出鼻を挫かれたような気分になったのだろう。お陰で少し目は冷めたけど、とぼやく香椎に更田は苦笑しながら言葉を返す。
「一昨日からここで作業してたのになぁ。寝惚けてたんだろ?」
「2階まで登ってから西棟行くのが癖になってるから、仕方ねぇじゃん……」
香椎は肩を落としながらも眠そうに欠伸をする。階も違えば棟も違うのだが、連日の準備で蓄積した疲労も原因なのだろう。染み付いた習慣が香椎の体を普段使用している教室へと向かわせてしまったのは、仕方のない事と言えた。
「お前、低血圧だしなぁ……まぁ、同じようなことしてる人は少なくないだろ。良くある、良くある」
來見は慰めにもならない言葉を掛けながら空いている席に荷物を置く。香椎も倣うように鞄を机に乗せると、終ぞ今日という日まで開封されなかったように見えるクラスTシャツを袋ごと取り出していた。
「チャイム鳴る前にさっさと着替えに行かねぇと」
「社会科室で決起集会……?やるんだっけ」
來見は前日に文化祭実行委員が口にしていた連絡を思い出す。特別講義室の黒板には念を押すようにして集合場所が書かれており、それを音読するかのように來見が言葉を溢すと更田がいち早く反応を返した。
「そうそう!自分は先に行ってるからなー遅れるなよ!」
「おー」
「うん」
先に登校して準備を済ませていた更田は、しっかりとクラスTシャツを着用していた。下半身はいつものように制服であるスラックスを履いており、そのポケットには貴重品を忍ばせているのだろう。外部から人を入れる関係上、面倒な事態を避ける為にも生徒達には大切な物は肌身離さず持つように周知されていた。
宣伝用のビラを配る者もいれば、昼食などの商品を購入する者も当然いる。その為、予め荷物が増える事を想定して取り回しが良い小型の鞄を用意して身に付けている生徒も多い。
すれ違う人々が普段ではまずあり得ない格好をしている姿が散見される事に、來見はいよいよ文化祭当日なのだという実感を強めるのであった。
「席、どこ座っても大丈夫かな」
「後ろ行こうぜ、後ろ」
來見達は出口と表記され閉じられている扉を通り過ぎ、開け放たれている入場口側から社会科室へと入っていく。
室内の前方には映像を投射する為のスクリーンが天井から下げられており、その後ろに見える黒板には映像の題名やその制作者である自分達のクラスが明記されていた。
それに加えて観客に対する言葉も幾つか書き綴られており、特に訪問してくれた事への謝辞が大きく目立つような取り計らいがされていた。スクリーンに隠れて文字が見えない事がないように、注意が払われている形跡が窺えたのである。
観客用の椅子が数列にわたって整然と並べられているが、その中央には生徒が座る場所が取られていた。映像を投影するプロジェクターと、それに接続されたパソコン。スタッフはそれらと共に中央に陣取り、操作する事になるのである。
他にもスタッフ用の場所は取られていた。前後方の窓際、鑑賞の妨げにならないような位置。万が一の際に素早く客への対応ができるように、そこには机と椅子が2つずつ並べられていたのだった。
既に入室していた生徒達は壁に背を預けて談笑していたり思い思いの席に座っていたりと、浮き足立った雰囲気で待機している。当然、同じクラスである祝の姿も既にそこにあり――深緑色のクラスTシャツが驚く程に似合っていた。
「良いよなー」
「うん!?」
密かに考えていた事がバレたのかと思い、來見は思わず大きな声を出してしまう。対する香椎は何ともないような顔で、着用しているTシャツを軽く引っ張り話題を修正しようとしていた。
「いや、クラTのデザイン。緑色になるとは思ってなかったけど、派手すぎなくて格好いいじゃん?」
体育祭においては学年を超えた団ごとで優勝を目指しているところもあり、どのクラスも割り当てられた色からは大きく逸脱しない範疇で制作される事が多かった。しかし文化祭では各々の学年ごとに優秀賞が送られる仕組みになっている為だろうか、より遊びの多いデザインがなされる傾向が強かったのである。
赤ではなく赤紫色、青ではなく水色を基調にしたり。それらと同じように(とは言え、もはや白とは関係の遠い色のようにも思えるが)深緑色を使用することは特に問題なく承認され、來見達はその色を身に纏っていた。
「あ、あぁ。良いよな、渋くて。デザインもシンプルだけど目を惹く感じで」
來見はしどろもどろになりながら返事をするも、嘘を付いている訳ではなかった。胸元に印された上映中の文字はクラスの出し物を分かりやすく示しており、あしらわれた映画フィルムのデザインもそれを強調している。
余ったスペースを埋めようとしたのか、謎のキャラクターがカチンコを持つ絵も描かれていたが、それもまた良い味を出していたのだった。
「な!普通に外出る時にも着れそう」
「いや、それは……背中に個人情報がびっしり書いてあるから……どうなんだろう」
香椎は開封したてという事もあり、背面のデザインにまで気が回っていなかったのだろう。デフォルメされたレトロな映画用カメラの絵と、所属クラス。それに加えて在籍する生徒達の名が下の名前だけとはいえ、ずらりと並べられているTシャツは――外出時に着用するには向いていないと言わざるを得なかった。
香椎は指摘されて初めて気付いたように、まじまじと來見の背を覗き込むと一つ頷き納得を示す。
「……ダメだな。家用だ」
「……その方が懸命だろうな」
「ま、お前は服のデザインより着てる人間の方が気になってたみたいだけどな?」
何事もなく会話が終わるのだと油断していた來見だったが、突然香椎が話を蒸し返してくる。祝を観察していた事実を見抜かれていた事に來見は動揺し、二の句が継げない状態となっていた。
來見が押し黙った事で香椎は自身の発言の正確さを確信し、喜色満面の笑みで親指を力強く立てる。あからさまにからかっている事が分かるその鬱陶しさに、何か一言言わずにはいられない。しかしそんな來見の反抗心も虚しく、割って入る声に遮られてしまっていた。
「おはようございまーす」
「事前ミーティング始めますネー」
文化祭実行委員だけで行われる、朝の会議を終えて来たのだろう。元気よくよるかが声を上げ、涅府は淡々とミーティングの開始を宣言する。
來見はニヤついている香椎に一つ肘鉄を食らわせると矛を収め、目の前の事に集中するように気持ちを切り替えたのだった。
室内は未だカーテンが閉めきられることもなく、照明が付いたままになっている。ただしそれらは映像を流す時間を迎えれば、スタッフの手によって整えられる事になるだろう。
現在の技術では電気が付いているような明るい空間において、鮮明な映像を流すことが出来なかった。室内をより暗く保つ必要があったのである。その為、分厚い黒の遮光カーテンが存在しており、南向きの窓が存在していない立地である社会科室が來見達のクラスに割り当てられていたのだった。
「えー、いよいよ文化祭当日を迎えた訳ですが、皆さんはどうでしょうか。私は緊張と楽しみで、ものすごくドキドキしています」
「ボクは今にも心臓が破裂しそうです。なので……あとは望搗がヨロシク!」
「そ、そう?ええっと…何を言うのか忘れちゃったな」
ウインクと共に涅府に丸投げされたよるかであったが、その戸惑う姿を見た生徒達は激励の声を投げ掛ける。それによって幾分か落ち着きを取り戻したようで、よるかは顔を綻ばせながらもクラスメイトを諌めるように軽く手を振っていた。
すると、その光景を目前にした根府が一歩前に進み出る。もしかしたら先ほどの無茶振りは、彼なりに緊張を解そうとした故の行動だったのかもしれない。頷くよるかと目配せを交わしてから、口を開いたのだった。
「そうだなー、まずは……皆さんの努力と協力のお陰で、一人の欠員もなく作品を完成させる事ができました。本当に良かったです、アリガトー!」
「うん。……一人でも楽しんで見てくれる人がいるのなら、作った甲斐があったと思う」
「試写の映像、良かったぞー!」
「自信持って!」
相棒が先んじて口火を切った事で落ち着きを取り戻したよるかが話を引き継ぐと、クラスメイト達は口々に声援を送っていく。それは野次のようにからかいが滲んだものではあったが、決して悪意などは存在せず暖かな言葉に違いなかった。
「……ありがとう。皆で参拝もできたし、私達がやれることは、もうやりきったと思います。だから今日は目一杯、文化祭を楽しもうね!」
「おー!」
よるかが片手を上げて宣言をすると、クラスメイト達はつられるように沸き立っていた。
來見はふと昨日の出来事を思い返す。來見達のクラスは予め計画していた通りに、お祓いと願掛けを兼ねて神社へと向かっていた。
作法などは見よう見まねで、ぎこちなく行いつつも順番に賽銭箱へ硬貨を投げ入れ、礼をする。複数回に渡りつつも、ある程度の人数が纏まって入れ替わりで行われたそれらは、短い時間で遂行する事ができていた。
すれ違った神主らしき人物は、突然の大所帯に驚いたように目を丸くしていた。しかし制服を見て直ぐに伊斗路高校の学生だと分かると、激励の言葉と共に見送ってくれたのである。
(地元の人も応援してくれたんだ、きっと上手くいく)
思えば、ダンボールを譲ってくれた店先の人々も、皆一様に文化祭の成功を願ってくれていた。それは伊斗路高校に対して良い印象を抱き続けてくれているという事であり――卒業していった先達が積み重ねた信頼によるものなのだろう。來見達もその期待を裏切らないように、心掛けなければいけないのだ。
來見は数人の生徒と同じようによるかに対して拍手を送る。気が早いことかもしれないが、無事に今日という日を迎えられた事に感慨深ささえ抱き始めていたのであった。
「あぁ、係の当番だけは忘れずに。緊急の連絡が繋がるように、携帯に注意を向けておいて下さいネー」
「おぉ……」
確認する頻度は程々で大丈夫だと思うけど、と締めくくる涅府に生徒達は僅かに盛り下がった様子で相槌を打つ。忘れずに釘を刺せた事で満足げに赤いフレームのボストンメガネを押し上げる根府に苦笑しながらも、よるかは再度クラスメイトに声を掛けた。
「それじゃあ、最初の当番の人は所定の位置に着いてね。それ以外の人は邪魔にならないように、教室からは出てって下さーい」
その言葉が言い終わるのとほぼ同時に、校内にチャイムが鳴り響き始める。それは校内生徒へと向けた、文化祭の開催と外部への学校の開放を始める通達でもあった。
合図を聞いた生徒達はその音を皮切りに動き始める。それぞれがやるべき仕事に移る為に、あるいは気になる催し物が提供される場所へと歩を進める為に。校内中が俄に喧騒に包まれていくのを感じながら、來見も行動を始めるのであった。
「お名前のご記入をお願いします。はい、カタカナで……名字だけで大丈夫ですよ」
「5分後に上映が始まりまーす!興味があったら是非どうぞ!」
社会科室のすぐ外の廊下。そこで並べられた机と椅子には祝と建井が受付係として腰を据えていた。建井は訪れた客へ事前に作成していた名簿を提示しては、所属や名前の記入を促す。そして祝はその役目を時々で代わりながらも、道行く人々へ呼び掛けては集客を図っていたのである。
外部からの訪問客には卒業生か入学希望者か、あるいは招待客かなど当てはまる選択肢に印を付けてもらい、名前の記入が終わると室内へと案内する。その段取りは非常にスムーズに行われていたものの、なかなか途切れる事がない。映画の上映という出し物は予想以上に生徒達の関心を集めたようで、廊下には既に小さな列が生じ始めていたのだった。
「席の指定はありますか?前の方が良いとか」
「あっ、何処でも大丈夫です」
「それなら此方の席でお願いします。ご協力、ありがとうございます」
時を同じくして当番となっていた來見は、香椎と共に教室の中に残り訪問客の誘導を行っていた。数分前にクラスメイトが使用していたために乱れた椅子を整頓しながらも、早速入室してきた中等生を席に導いていく。他にもよるかは緊張した様子でパソコンを操作する席へと陣取り、連城は上映前の注意を読み上げるために前方で控えながらも客の案内を手伝っていた。
「あれ……」
順調に席が埋まり、定員まであと少しとなっていたところで、來見の瞳にある人物の姿が映る。
教室の後ろ側、壁際に佇む男子生徒。今回の立役者と言っても良いその人物へと近付くと、來見は声を掛けるために口を開くのだった。
「さすがのツッキーでも、お客さんの反応は気になるか?」
「ん?うーん……クラスの奴らの評価が信じられないって訳じゃないけど……贔屓目ってもんがあるだろ」
月退がいつも浮かべている勝ち気な表情は鳴りを潜め、その視線は下に落ちていた。堂々と適当な事を言い、自分に自信があることを隠しもしない人間が所在無さげに俯いている。その様子を珍しく思いながらも、來見は徐に口を開いた。
「そうか。なら直ぐに安心するよ、具体的に言うと一回目の上映が終わった後にな」
必ず、観客は満足してくれる。少しの疑問も抱かずに言い切った來見を、月退は呆気に取られたように見上げていた。
暫しの無言の時が流れた後。ずっと目が合っていたのを今更ながらに自覚した様子で瞬きを繰り返した月退は、僅かに口元を緩めて返事をする。
「……お前、将来はカウンセラーにでもなるかぁ?絶対儲かるよ。刺されそうだけど」
「えっ、急に怖いこと言うなよ」
褒められたかと思えば、縁起でもない事をよどみなく口走る月退に來見は微かに狼狽える。しかしその表情は崩れ口からは笑い声が漏れだしていた事で、からかわれただけなのだと直ぐに気付いたのだった。
「というか、それなら弁護士とかの方が良いかな。人の助けになる事には変わりない……と思うし?」
「はーん、堅実な将来設計ですこと」
それは言い返してやろうと考えた末に滑り落ちた適当な言葉ではあったのだが、來見は存外悪くない進路だと頭の片隅で思ってしまう。当の月退は呆れているのか感心しているのか。呑気な相槌の後に慇懃無礼にも思える言い回しで褒めるだけ。それでも談笑する事で緊張が解れたのか、懐から出した扇子で自身を扇ぎ始め調子を取り戻して来ているようだった。
「それでは、時間になりましたので上映前にいくつかの注意事項を読み上げさせていただきます。少々お時間を頂戴致しますが、最後までお付き合い願います……」
月退とのやり取りの間に連城が説明を始めたのを聞き、來見は固く口を閉じる。そして香椎と共に前方に向かい、横で控える事にした。ざわめいていた訪問客も何時しか静まり返り、スタッフの発言に耳を傾けているようだった。
「体調を崩したり何かご用件がある際は前方、又は後方に待機するスタッフまで気軽にお声掛け下さい。黄色の腕章が目印となっております」
連城の言葉に続いて來見と香椎、そしてよるかは手を上げる。
人通りの多い廊下とは違い、閉めきられた教室は冷房が効いている。その為、女性陣は肌寒いのか薄手の上着を羽織っており、クラスTシャツでスタッフを判別するのを僅かながら困難なものにしていた。
しかしその左腕に派手な蛍光色の飾りを身に付ける事で、スタッフかそうでないかの違いをはっきりと示す事ができていたのである。
鑑賞客の視線を集めた3人は一様に礼をする。そして腕章に書かれたSTAFFの文字列をしっかりと見せる事で、自分達が連城の口にした条件の該当者であると知らしめていたのだった。
「上映中は携帯電話を音の鳴らないマナーモードに。またお喋りは他のお客様の迷惑になるのでご遠慮下さい……」
常ならば跳ね上がった睫毛が勝ち気な印象を与え、アーチ型の眉は余裕の表れのようにも受け取れる連城であったが、緊張からか目線は下がり手元のカンニングペーパーに視線が固定されてしまっている。それも無理もない事ではあったが、注意事項を噛まずに読み終える事が出来そうな安堵からか、言葉尻が細く消えかけてしまってもいた。
それでも連城は仕事を遂行する為に視線を教室の扉、入場口へと素早く移す。その先には受付から様子を伺っていた祝の姿があった。
「……それでは消灯致します。最後まで鑑賞をお楽しみ下さい」
祝は連城と目が合ったことを確認すると一つ頷き、言葉の通りに照明を消す。そして静かに扉を閉めて外の受付へと姿を消すと、連城も一礼して持ち場へと引き下がっていく。
何処か緊張感に包まれた室内で、來見は香椎と共に会釈をしてから音もなく後方へと移る。そして、よるかが映像を再生する背中を見守る事にするのだった。
「怪奇!2人の七不思議探検隊」
僅かに震えるよるかの指は、それでも正確に働き映像を再生する事に成功していた。映画の題名が正常に流れ始めたのを視界に収めながら、室内のスタッフ達は揃って息を呑む。
何度かのリハーサルを行い、前日のゲネプロでは問題が起きた際の対応もきちんとできていた。それでも何か、思いもよらない問題が起こるかもしれない。
せめて記念すべき第一回の上映ではそうならないで欲しいと――縁起の悪い始まりにならない事をスタッフ達は祈り始めるのであった。




