12-3 家族
「……」
「ん?どうしたの」
改札口を通り抜けてエスカレーターを下り、さぁ帰ろうと駅の外に出たところで少女は何故か足を止めてしまっていた。來見の問いに顔を上げず、押し黙って俯いている。
來見が助けを求めるように目配せをすると、父親は一つ頷き少女に話し掛けた。
「お家に帰るのが嫌かい?」
「……」
「何か他に、したいことがあるのかな?」
父親の問い掛けを受けて、少女はもどかしげに両手を祈るように絡めては外すことを繰り返す。しかし視線に耐えられなくなったのか、躊躇いを捨てたのか。次の瞬間には來見の足元に飛びつき、願い事を口にしていた。
「お兄ちゃんの家の子になる」
「えっ」
「おやおや」
少女が初めて能動的に発した要望に來見は固まり、父親は驚きながらも呑気に笑っている。どこでそんなに懐かれてしまったのか困惑しながらも、來見は説得を試みようとした。
「……そう言ってくれるのは嬉し……嬉しいけど、お家の人が心配するだろう?君一人の希望で勝手に決められる事じゃない」
少女を傷付けまいとして、口ごもりながらも大袈裟な表現を交えながら、來見は帰宅する旨を言い聞かせようとする。しかし少女の心には響かなかったのか首を大きく横に振り、膨れてしまっていた。
弱った來見が父親を見るも、心底愉快そうに笑うばかりであった。他人事のようにしている父親に思わず半目になりながら睨め付けていると、流石に良くないと思ったのか腕を組みながら口を開く。
「うーん、好かれたもんだな」
「そんなこと言ってる場合かよ……父さんからは、何かねぇの。上手いこと言いくるめてさ……」
「1日くらいなら預かっても良いんじゃない?」
「誰が母さんに説明するんだよ……犬猫じゃあるまいし」
小声で会話をする二人が気になるのか、少女は視線を僅かに上げる。しかし目が合うと慌てて逸らし、抱き着く力を強めていた。その態度からは絶対に譲歩しないという姿勢が見え隠れしており、來見は困り果てため息をついてしまう。
「……とりあえず。とりあえず一旦、家まで送るよ。案内してくれるか?」
(途中で心変わりしてくれると良いんだけど……)
苦渋の決断をするように來見は少女に問い掛ける。少女は暫く共にいられる事に納得したのか、長い沈黙の後提案を受け入れたのだった。
(いや、どうしたもんかな。この状況)
父親は後ろからにこにこと見守り、少女は言及されることを恐れるように頑なに目を合わせようとしない。随分とゆっくり先導する少女の歩調に合わせながら、來見は考えを巡らせていた。
(そもそも、親は家にいるのか?連れ帰ったところで説得してくれる人がいないのは……困るな)
駅前を少し離れると交通量は減り、代わりに住宅街に入る事で子供達の遊ぶ姿が目に映るようになる。この辺りに住んでいるのだろう、自転車で並走したりネットに包まれたボールを蹴り上げながら歩いていた。
(もしかしたら、あの子達の中に知り合いがいたりしないかな。同性の方が可能性は高いのかもしれないけど……いや、子供に説得の手伝いを頼むのもおかしいか?)
來見は視界から入ってくる情報で思考が迷走しそうになり、慌てて首を振って切り替えようとする。その妙な動きが気になったのか少女は思わずといった様子で恐々と覗き込んでくるが、來見は笑って誤魔化していた。
結局、何の方策も得られないまま來見達は横断歩道を渡っていた。そのまま広々とした駐車場を持つコンビニの横を通り抜けようとした瞬間、天啓のように引き留める声があったのである。
「降雪華!」
「……寿鶯……」
友人と遊んでいたのか、コンビニの外で集まっていた人の輪から外れ、一人走ってくる姿がある。声を上げた少年――寿鶯は険しい顔をしており、声を掛けられた少女――降雪華は煩わしげな表情を浮かべていた。
「お前、どこ行ってたんだよ!勝手に帽子持ってくし!俺まで探すの手伝わされたんだぞ!」
「サボってる癖に……」
「……今は休憩してただけだし。つーか、何か用があんなら一言言って行けば良かっただろ、そしたらこんな大騒ぎには……」
「少し出掛けただけでしょ……それにそういう事は、あたしよりあの人に言えば……?」
口論する二人は同じくらいの年頃に見えるが、気心の知れた仲なのか物言いに容赦がない。むしろ友人と呼ぶには深入りしたその会話と、外見上よく似た目元から來見は一つの可能性を口走っていた。
「……きょうだい?」
「ん?誰この人。うわ、オッサンもいる!」
「寿鶯!」
來見親子の存在に気付いた寿鶯は目を見開いて後退り、降雪華はその言葉遣いを叱責するようにその日初めて聞いた大声で叫んでいた。
降雪華と同色の髪は癖毛ではなく真っ直ぐに伸びており、たれ目ではないがその形は近似している。眉が八の字を描きがちなきょうだいとは裏腹に、上がっている眉尻が寿鶯の威勢の良さを表しているようであった。
「こんにちは。俺はこの子の出掛けた先で偶然会って……そこで少し騒ぎが起きたから、家まで送ろうと思って来たんだ。君はこの子の家族で合ってるかな」
「……」
「寿鶯、そんな目でこの人を見ないで。全部本当だから……」
誤解されないように経緯を説明するが、寿鶯は押し黙り不審げに來見を見つめていた。降雪華も來見が怪しまれている事を感じ取ったのだろう。思い込みを解こうと口添えするが、少年は益々胡乱な目になるばかりだった。
「俺はこいつの家族なんで……あとは任せてもらえます?もう帰っていいっすよ」
「失礼な言い方しないで……!」
「あー何でもいいから、一回帰ろうぜ」
寿鶯は見知らぬ人間を警戒しているのか、降雪華の腕を取り自分の元に引き寄せる。降雪華は抗議するように手を振り払うが、きょうだいは面倒臭そうに眉をひそめるもその反抗については微塵も気にしていないようだった。
「うん……君が連れて行ってくれるなら、俺達はここで帰るよ。怖い思いをしただろうから、心の整理がつくまでは気を遣ってあげて」
「怖い……?お前、何したんだ」
「……あたしは、何もしてない」
來見の言葉に降雪華は視線を下に落とし、寿鶯はまるできょうだいが問題を起こしたのではないかと疑いの目を向けている。二人の関係は見ている限り険悪という訳ではないが、わだかまりが少しも無く良好であるとは言い難いように思えてならなかった。
(親との時間が取れない上に、きょうだい仲も拗れていたらストレスが凄そうだよな……もしかして家から飛び出して来た理由は、それも関係してるのか?)
「佑斗、帰ろうか。あとは家族に任せよう」
「あぁ、うん……」
成り行きを見守っていた父親に話し掛けられ、來見は曖昧な返事をしてしまう。このまま別れても良いのか後ろ髪を引かれる思いもあったが、父親は余計な口出しはすべきではないと判断したのかもしれない。それならば來見から何かをしようという気は起こさない方が良いのだと、年長者の言葉に従うべきだと自分を納得させ歩き始めていた。
「……待って!」
しかし降雪華は寿鶯を振り切り、來見の元へ走ってくる。そのあまりに必死な形相に思わず足を止め、続く言葉を待つことに決めてしまった。
寿鶯は降雪華の暴走に目を剥いていたが、來見と同様にその行動に思うところがあったのだろう。今だけは許してやるというように仁王立ちになり、來見を射るような目付きで眺めながらも少し離れた場所で事態を静観する事にしたようだった。
「お名前。お名前、教えて……漢字で、読み方も」
「ええと……ちょっと待った」
降雪華の要望に驚きながら父親を見ると、頷きを返される。來見は迷いながらもそれを受けて、鞄を探りメモ帳を取り出す事にした。付属しているペンで名前を書き込むと、ページを切り離し降雪華に手渡す。
「はい」
「ありがとう……」
「用事は、もう大丈夫?」
來見からのメモを感動したように受け取る降雪華に、戸惑いながらも念を押す。その言葉に降雪華は我に返ると、慌ただしくポシェットから何かを掴み取り來見へと差し出していた。
「これ……」
「猫のフィギュア?……猫は、君が好きなんだろ?」
それなのに渡してしまって良いのか、そもそもこれを入手する為にカプセルトイを回していたのではないかと暗に尋ねるも、降雪華は期待するようにこちらを見つめている。あれだけお金を注ぎ込んでいたのにも関わらず、譲り受けてしまっていいのか葛藤するも、結局來見は勢いのままに受け取ってしまった。
掌に乗せた剥き出しのフィギュアを観察すると、やや古めかしく塗装が剥げてしまっている箇所がある。元からそういう仕様であった可能性もあるが、もしかすると少女は新品状態の同じフィギュアを新しく手に入れる為に熱心に回していたのかもしれない。これは外出の際に気に入りの靴を選んで出掛けるように、散歩の伴として家から持ち出して来ていたのだろう。
観賞用に保存用。來見の推測では二つのフィギュアが必要だった筈の降雪華の手元には、一つとして残らなくなってしまう。しかし來見がその玩具を手にした姿を、少女は満足げに眺め頬を紅潮させていた。
「あたしは、ヨーヨーをもらったから……交換」
「……あっ、そういえば。直してた途中だったよな」
「割れちゃったけど、大丈夫。嬉しかったから……」
降雪華は続けてポシェットから水風船の残骸を取り出すと、大切そうに手の平の上に乗せて見せる。思い返してみれば、水ヨーヨーを修理している最中に爆発が起こっていた。そして來見が降雪華を爆風から庇った勢いで、割れてしまっていたのだろう。
「……それじゃあ、お礼って事で貰っておくな。水風船とヨーヨーの作り方は覚えたから、今度からは自分で作れるだろ?」
「うん、ありがとう……」
等価交換にしては降雪華の差し出している物の方が価値があるように思えるが、それを言ってしまうと少女から見た楽しい思い出を否定するようで――悲しませるような気がした為に來見は余計な事は言わず、大人しく受け取っておく。
にこりと笑みを浮かべ感謝を述べる降雪華は、寿鶯の前という事もあり來見の家の子になるという机上論は諦めたのだろう。
別れを自覚し寂しげに佇む降雪華を背に來見は今度こそ立ち去ろうとするが、少し逡巡すると思い直し少女に向き直っていた。
「……余計なことかもしれないけど。君の……家族が心配していたのは分かるだろ?」
來見は言葉を選びながら静かに語り始める。それは流されがちな降雪華が能動的に駆け寄ってくる姿を見たからこそ、自分も何かすべき事があるはずだと思っての行動だった。
「君にとっては少し……嫌な喋り方だったのかもしれないけど、それも不安の裏返しだ。あんまり悪いように考えなくても、大丈夫だよ」
「寿鶯はあたしの事……面倒臭いと思ってるから、ああいう言い方をするだけ。別に今更、気にしてない」
「……何でそう思うんだ?」
心の底から、それが真実だと確信しているように降雪華は断言する。しかし伏せられた瞳は澱み、口では無関心を装いつつも腫れ物扱いに深く傷付いている事が分かってしまった。
「聞いたから。あの人が寿鶯にあたしを頼むって言ったら……大声で、嫌がってた」
「なるほど……」
あの人が果たして誰の事かはっきりしないが十中八九、降雪華と寿鶯の保護者を指しているのだろう。何時から降雪華の聴力が弱いのかは不明だが、はっきりと耳に届いたその言葉に傷付いたのは想像に難くなかった。
「それに、あたしの話なんか……どうせ聞いてくれないし」
降雪華の口から零れ落ちた自虐からは、彼女の性格形成に家庭環境が大いに関わっている事が理解できた。受動的な態度は元からなのか、自我の強い家族に囲まれていた為に後天的にそうなったのか分からない。
しかしその諦めにも似た悲観的な思考によって、今後もきょうだいとの仲が拗れてしまったままなのは、來見から見るととても勿体無い事のように思えて仕方なかったのである。
「あの子は、一言欲しかったって言ってただろ?それは普段からちゃんと君が断りを入れてて……それを聞いてないと出てこない発言じゃないかな」
來見は寿鶯を庇うように補足していた。あの口振りは常習的に降雪華が無断で出て行ってしまっていたら出てこない、徹頭徹尾きょうだいの安否を心配していたという態度の表れにしか思えなかった。
不安だったからこそ、その原因である降雪華に怒る。そしてきょうだいを連れ去った犯人かもしれない見ず知らずの他人を威嚇している姿に、來見が悪い印象を抱く事はなかったのである。
來見はできる限り優しく語り掛けるのを心掛け、降雪華の言葉は無視されてはいない、きちんと受け止められているのだと諭す。降雪華はいつしか潤んだ瞳で、來見の姿を見上げていた。
「あたしは皆の声も、聞こえなかったりするし……だから、別に……」
降雪華は途切れ途切れに言葉を呟きながら、声を震わせている。必死で虚勢を張り泣かないように努めていたようだが、話しているうちに限界が来てしまったのだろう。降雪華は大粒の涙を溢していた。
「うん、辛いよな。でも言いたい事は相手が聞こえるまで言っても良いし……聞き取れなかった事は、もう一回言って貰えるように頼んだって良いんだよ」
「……」
(無断の外出は、ある種の当てつけで……色々と我慢の限界だったからか。遠出したのは少しでも家から離れたかったんだろうな)
降雪華は両手で顔を覆い、本格的に泣き始めてしまった。声を押し殺し肩を震わせる降雪華に、どう声を掛けるべきか迷いながらも頭の片隅の冷静な思考は事の発端を推測し始める。
収集をどうつけようか來見が父親に助けを求めようとしたところで、割って入る人間がいた。
「おい!降雪華に何やったんだよ!」
「おぉ……」
当然とも言うべきなのか、乱入してきたのは寿鶯であった。怒りの表情も露わに來見に食って掛かり、降雪華の前に立ち塞がろうとしている。思わず驚きと感嘆交じりの声を漏らした來見に、少年は鋭い視線を向けていた。
「ごめん、泣かせるつもりは……」
「うるせー!変態!近寄んな!」
「変……!?」
來見は変態扱いされた事に殊の外、衝撃を受けてしまうが咳き込みながらも何とか仕切り直そうとする。しかし寿鶯の声に反応したのか、今まで様子を窺っていた他の子供達もにわかにざわつき始め、事態は想定外の急展開を迎えようとしていた。
「……父さん!」
「うーん、困ったね」
來見の叫び声にも父親は動じない。はは、と朗らかに笑っては何もしようとしない姿に、來見はいっそ父親に変質者の称号を擦り付け逃げ出すべきなのか本気で考え始めていた。
「あたしが勝手に泣いてるだけ……だから、止めて」
「降雪華……」
しゃくり上げながら言葉を発する降雪華に、寿鶯は弱ったように眉尻を下げる。それでもなお言い募ろうとしたのが分かったのか、きょうだいを黙らせるように降雪華は口を開いていた。
「ごめんなさい……あたしが悪いから」
「……何で降雪華が謝るんだよ」
(きょうだいと言い合いができていた割りに……自罰的な子だな。今のは俺を庇う為かもしれないけど、丸く収まるならって日常的にこうしていたんだろうか)
そう考えると自分からは行動を起こさない理由も分析できるような気がする。家族間で何か揉め事があれば泥を被るつもりではいるが、当然怒られたくはないので消極的になる。そもそも聴力の問題で会話について行けない時もあり、良く分からないままに謝っていたのではないだろうか。
そして、その繰り返しで吐き出せないまま蓄積した鬱憤が今日という日に爆発した。独断の外出とカプセルトイを回すこと――目的の景品はあったであろうが、ギャンブルで気分転換しようとした矢先に爆発事件に巻き込まれてしまったのだろう。
(そもそも、俺が優しくできたのは……ある意味、他人だからできた事であって、本当の兄妹になったらまた違うんだけどな)
來見に懐いたのは遊びに付き合ってくれた嬉しさも関係しているだろうが、降雪華が遠慮していても最終的には甘えさせてくれた事を心地よく感じたからなのかもしれない。
しかしそれは來見に教育や躾をする義務がないからこそできた事であり、降雪華は無責任故の甘やかしを誤解してしまっているのだろう。
(周りに我儘を聞いてくれる人がいなかったのも……勘違いした原因だったりして。でも、この子は憎まれ口を叩いてた割りに庇いに来るあたり、悪く思っていないだろうし……)
「……君はきょうだいの事、大切に思ってるよな」
「ハァ!?」
(不味い、口に出してた……!)
來見がうっかり溢した言葉に、寿鶯は煽られたと思ったのか反発するように声を上げる。自身の不注意に來見は焦り大量の冷や汗を出してしまうが、もはや成るように成れと言葉を続ける事にした。
「彼女が言ってたんだ。君は自分の事を面倒臭いと思っているって……でも本当は違うんじゃないか。何か誤解があるなら、早めに解くべきだと思うよ」
「面倒……?何の話だ、降雪華」
來見はもしも寿鶯に否定されたらどうすべきか決めあぐねていたが、その心配は必要なかったようだった。ただ寿鶯は身に覚えがないようで、ひたすらに困惑を示している。
降雪華は自分から言うつもりは無いらしく、口を固く閉ざしている。來見は余計なお節介だと理解しつつも、代わりに答えることにした。
「この子の世話を頼まれた時に、大声で嫌がったんだって?」
「は?いや、それは……」
詰問しているつもりはなかったのだが、寿鶯は叱られたように気まずげに視線を逸らす。それでも來見の忠告が気に掛かったのか、黙ることはせずに弁明を始めていた。
「確かに面倒とか、言ったかもしんねぇけど……だってベタベタすんの格好悪いだろ。妹ならともかく、同い年なのに」
「ははぁ……思春期だなぁ」
「何だよオッサンまで……馬鹿にしてんのか」
「……父さんはちょっと黙ってて」
今まで静観していた父親に再び大人しくしてもらう為に釘を刺しつつも、來見は内心その意見に同意していた。父親が意見を口に出す事で寿鶯を無駄に刺激してしまったのは否めないが、怒っている訳ではなさそうな姿に安堵する。寿鶯はむしろ、自分が何か致命的に悪い事をしてしまったのかと不安げな様子ですらあった。
(要するに双子って事だな。実年齢は分からないが……確かに丁度、男女で一緒に遊ばなくなる位の年頃に見える。セット扱いでもされて、からかわれるのは気恥ずかしい時期だろうな)
寿鶯の中では異性の降雪華と距離を置きたい――適切な距離を保ちたい理由は沢山あったのだろう。しかしそれを保護者との会話の中では上手く言語化できず、非常に直感的で率直すぎる物言いになってしまったのではないだろうか。
もしかすると躊躇いもあり口篭っていたのかもしれないが、降雪華は運悪く聞き取れずにきょうだいは自分に嫌悪感しか抱いていないと勘違いした。実にあり得そうな話であると來見は一人納得する。
「でも、彼女の事が嫌いな訳じゃないんだな?」
「んなこと最初から言ってねぇだろ!」
「……彼はこう言ってるけど、どうかな」
当たり前だとか、好きだとか明快な表現を避けているところに照れ隠しを感じるが、臍を曲げられてしまうのは困るので指摘はしない。一方、突然引き合いに出された降雪華はすっかり泣くのを止め、目をしきりに瞬かせていた。
「……言う通りにしないと、あの人に叱られるからでしょ。別にあたしが心配とかじゃ……」
「は!?俺は別に怒られんのは怖くねぇし!」
「ホラ、君が心配だから自主的に来たんだって」
「……あんたは、いちいち付け加えんな!何なんだよ!」
憤慨する寿鶯を横目に、來見は降雪華と視線を合わせる。少女は所在なさげに肩を竦めていたが、來見の補足に心が動くところがあったようだった。覚悟を決めるように深呼吸すると寿鶯に向き合い、ゆっくりと口を開く。
「……寿鶯はあたしのこと、嫌いじゃないんだ」
「……まぁ、別に」
「……邪魔だから、いらないと思ってた」
「は?……良く分かんねぇけど、変なこと考えんなよ。誰もお前に直接……悪口なんて言ってねぇだろうが」
言葉少なに心情を吐露する降雪華に、寿鶯は唇を尖らせてぎこちなく言葉を返していく。二人の真意が互いに伝わり始めたのを見て、來見は念押しとしても一つ言わなければならない事を口にする。
「彼女は少し、聴力が弱いみたいなんだ。だから上手く言葉が聞き取れなくて、誤解したところもあると思うよ」
「聴力って……耳?そうなのか?」
降雪華は自分からは開示していない情報が來見に気付かれていた事を驚くように目を丸くしていたが、ややあって小さく頷く。寿鶯も初耳だったのだろう、表情を曇らせ気遣わしげに少女を見つめていた。
「……引っ越してからか」
寿鶯は心当たりがあったのか断定的な口調で問い掛け、降雪華は細い声で相槌を打ち肯定する。來見は思わぬところで、一部ではあるが推理の答え合わせが行われた事に驚くが、動揺を顔に出さず傾聴していた。
「でも、そんなに困ってないから。学校でも前の席に座れるようにお願いしてるし……」
「学校の事は今はいいだろ。それよりも悪いところがあんなら病院行かねぇと」
「うん……」
(そういえば、耳鼻科検診も聴力検査も学校でするはずだよな……下手すると来年度になるまで隠し通すつもりだったのか)
しかし事実が露呈した以上は秘匿するつもりはないのだろう。身を案じるきょうだいの言葉に降雪華は大人しく従い、保護者にもきちんと伝えるだろうという気がしていた。
「じゃあ……帰ろう。もう良いよな?」
「ん……ごめんね」
「いいよ、別に。……じゃ、そういうことなんで」
躊躇いながらも降雪華の手を引く寿鶯は、忘れることなく來見を一睨みするとその場を後にしようとする。少女は來見親子に向かって深々と頭を下げると、走り出したきょうだいの速度に合わせて去っていくのだった。
(これで少しは改善すると良いけど、どうだろうな。まぁ、何はともあれ……)
「……帰るか」
「うん、帰ろう帰ろう」
子供達の輪に加わっていくきょうだいを遠目に見つめ來見が言葉を溢すと、すかさず父親が同意してくる。一仕事終えた疲労感に包まれながら親子は駅へと引き返すのだった。
「さっき、メモを渡した時に迷ってただろう。電話番号でも渡そうとした?」
「うん、止めたけどな。毎日出られる訳じゃないし、何より絵面が……」
ヤバすぎる、と続く言葉を呑み込んだ來見を見て父親は爽やかに笑い飛ばす。降雪華はそう思わなかったかもしれないが、寿鶯は間違いなく変質者扱いするだろうし、そんなメモが捨てられるのは目に見えていた。來見は様々な面を考慮した結果、名前を渡すだけに留まったのである。
「何か困ったことがあったらっていう、緊急用のつもりだったんだろう。変な意味がないのは分かってるさ」
「……まぁ、あのきょうだいを見る限り必要なさそうだし、やらなくて良かったよ」
「うん、あの子達は大丈夫さ。困ったとしても、いざと言う時は助け合えるよ」
父親は來見の他者を思いやる気持ちを尊重はしても、必要以上に肩入れしそうになったら止めるつもりだったのだろうか。しかしそれは冷酷という訳ではなく、來見よりも人間の底力のようなものを信用しているという事で――つまり年齢相応の見識を持ち、現実が見えていたという事なのだろう。
來見はそんな父親を非情ではないが勇気のある人間だと認識していた。苦境に立たされている人間を信じて手を出さずに遠くから見守る事は、今の來見には少し難しいように思えたのである。
(……結局、メールは来なかったな。あのまま放置してたら、爆発に巻き込まれててもおかしくなかったのに)
運良く席に座れた來見は、電車に揺られながらその理由を考えていた。携帯電話を片手で遊ばせながら、ゆっくりと思考を回転させる。
(今回に限っては本当に、俺が何かする必要はなかったとか?でも、飛ばし記事かもしれないけど……あの広場では2回爆発があったらしいんだよな)
以前にも転送装置にメールが届かなかった事はあった。しかしそれは香椎のサッカー部での個人的な人間関係の問題だった事もあり、深刻化したところで命に関わるような事件には発展しないだろうという、ある種の信頼が根幹にあったように思える。
これまでも散々、強盗に殴り合いなど怪我人が出ている事態に介入させておいて、爆発事件だけ見過ごすという判断は違和感を覚えずにはいられなかった。偶然とはいえ出先で起きている事件だったのにも関わらず、來見に警告をして現場から避難させなかった事、あるいは巻き込まれるであろう人々の救助に向かわせなかった点も疑念に拍車を掛けている。
(何か理由があるはずなんだろうけど……分かんねぇな。俺を関わらせたくないなら、近寄らないように伝言だってできた筈だし)
來見は携帯電話をしまい、腕を組んで目を瞑る。襲い掛かる疲労で眠りそうになりながらも、意識を失うまでは思案に暮れることにした。
(いや、でもそうすると後から事件を知った時に、行けば良かったってなるのか?怪我人を出させないように何かできた筈だって)
そして詳しい内容を教えてくれないメールに怒りを抱くのだろう。どうして肝心なところを曖昧にするのだと。もっと色々行動できたに違いない、別の方法を取っていただろうと――事件の規模によっては強い後悔と、憎しみすら覚えてしまっていたのかもしれない。
(……余計な事をして信用を落としたくなかったから、あえて何も伝えなかった?いや、今の段階でも結構落ちてるような……間違いなく不親切ではあるし)
明確な答えは得られないまま來見は思考に沈んでいく。気付けば電車は伊斗路駅に辿り着いており、父親に肩を叩かれ起こされたことで我に返るのだった。
ふと來見は部屋に鳴り響くアラームの音で目を覚ます。疲労の蓄積した來見は自宅に帰ると直ぐに風呂に入り、夕食を摂ると泥のように眠っていた。
ゆっくりと起き上がると、不意に机の上に置かれた猫のフィギュアが目に映る。後になって気付いた事だが、土台部分の裏面には少女の本名が――散貝 降雪華と書かれており來見はそれによって正式な名前を知る事になるのだった。
少なくとも來見は降雪華がフィギュアに名前を書き込んでいる姿を見ていない。家から持ち出して来たものだという可能性が高まった事に――一点ものを手放させたという事実を申し訳なく思いつつも、せめて埃が被らないように丁重に飾っておく事にしたのだった。
(でも、貰っておいて良かったかもな。お陰で色々、調べる時に便利だし……)
來見は携帯電話を手に取り、昨日の事件について調べ始める。
爆発事件の犯人は來見があいあい公園で見てしまった炎に包まれていたその人であり、日常生活で様々な心労が重なった結果、精神を病んだ末に凶行に及んだらしい。
巻き込めれば誰でも良かった、そして世の中に絶望したから自分も死を選ぶ。そう記された遺書が残され、遺品のパソコンからは爆発物の作り方と殺傷能力を高める方法を調べた形跡が発見されたとの事だった。
何とも自分勝手で後味の悪くなる事件であったが、幸いにも延焼が広範囲にわたる前に火は消し止められていた。素早い避難のお陰で、多少の怪我人は出たものの死亡者は犯人一人だけだったのである。
報道された被疑者の実名が降雪華たちの名字と一致していなかった事に安堵すると、來見はそれ以上の情報を収集することを止めた。
あの日、來見が見た燃える人影のようなものは、まごうことなく人間であったという実感と目の前で人が死んだという事実について、嫌でも考えてしまうからだった。
(……仕方なかったんだ、メールも来なかったんだから。大人の抱える精神的な病を、カウンセラーでもない俺が解決できる訳ないんだし)
リビングに向かい歩いていると、無数の言い訳が浮かんでは消えていく。寝過ぎたのか、重い頭がぐらりと揺れて目を回しそうになった瞬間、誰かに腕を引かれていた。
「おはよう!寝惚けてると危ないぞ」
「……おはよう」
「顔洗って来なさい。少しは目が覚める」
「うん」
朝から元気の良い父親に促され、洗面台で冷水を顔に浴びる。何の変哲もない助言ではあったが、言葉通りに來見の目は冴え、鬱屈としていた気持ちは幾分か落ち着きを取り戻していた。
「おはよー冷めるから食べちゃいなさいよ」
「はい……」
寝起きの掠れた声で來見は母親に返事をする。椅子に座る時に僅かに痛んだ左足を見ると痣になっており、今更になって爆発の時に怪我をしていたのだと気付く。
(あの子を庇った時のか……後で湿布でも貼っておくか)
家に備蓄があったかぼんやりと考えながら喉を潤すために水を飲んでいると、テレビから先日の爆発事件について流れ始めるのが聞こえる。來見が音につられて視線を向けそうになると、それを防ぐかのように母親が口を開いていた。
「今日はみんな家にいるんでしょ?後で映画見ましょ」
「昨日、借りてきた奴だね。落ち着いたら見ようか」
母親はチャンネルを取ると別の番組に切り替えながら、注意を自分へと向けるように話題を振る。父親も自然な相槌を打っていたが、それは來見の耳に事件の情報を入れない為だと気付いていた。
來見は自分から何かを口にした訳ではなかったが、二人の間で情報は共有され深く触れずに流すべき問題だと判断されたのだろう。
「……冷凍ピザあったよな。昼にそれ食べながら見ようよ」
両親の優しさに穏やかな気持ちになりながら來見は一つ提案する。二人は乗り気なようで、にこにこと笑いながら頷いていた。
「それなら炭酸も欲しくなるなぁ、野菜も足りないし。……よし、ジャンケンで負けた人が買い出しだな」
「母さんはコーヒーで良いから、二人でやんなさいよ?」
「ええっ母さんだってサラダ食べるだろ?」
「……お金渡すから、よろしくね!」
両親のいつも通りのやり取りを眺めがら、來見は細くため息をつく。やっと日常に帰って来れたような、安堵感に包まれていた。
テレビから流れている番組は今話題のファッションだったり、食事処の紹介をしている。テレビボードの上には父親が展示会で購入したフィギュアが並べられ、既に母親に存在がバレて叱られた事を証明していた。
置き場所として、そこで良いのかという気持ちはあったのだが、後から聞いたところによると暫くテレビを見る度に視界に入れては眺め、満足したら再びケースにしまいこむと父親は話していたのである。
「よし、佑斗。父さんはパーを出す」
「……知ってると思うけど。俺は普段、チョキを出して負けることが多いよ」
買い出しを巡った勝負のために心理戦を仕掛けて来た父親に、呼応するように來見も考えを口にする。直後、声を揃えて行われたジャンケンでは二人とも素直にそれぞれの形を出しており――勝利のピースサインを掲げた來見を横目に、敗北した父親は外出に行くのだった。




