9-1 藤打市民球場
「うわーどれも美味しそう!何にしようか迷うなぁ」
「へぇ、結構色々置いてあんだな。通わないと食いきれないじゃん」
「迷ったらおすすめでも頼んでみると良いよ、どれも美味しいと思うから」
その日、來見は祝と香椎を連れ、とうとう三人でカフェ早味を訪れていた。祝の試合を見に集まり園渕モールへ向かってから実に1ヶ月ほど経過してしまっていたが、様々なアクシデントや期末試験を超えて今日という日を迎えられた事に、來見は妙な達成感さえ覚えていたのである。
「じゃあ私はこの……今日のおすすめケーキセットで」
「ピザトーストのセットで」
「俺はオリジナルブレンドとレモンパイのセットで、お願いします」
三人は、いつでも伝票に書き込めるように構えて待機していた周編に注文を伝えていく。周編は暇だったのか、自らテーブルに案内すると傍で静かに話を聞いていたのである。
「かしこまりました。少々お待ちくださいねー」
三人を興味深げに見つめていた様子とは裏腹に、周編は注文を受け取るとあっさりと立ち去っていく。それは遠くからでも観察できる席へと來見達を誘導できていた為に、一時的に引き下がっただけだったのかもしれない。
何にせよ至近距離で突き刺すような視線を向けられなくなったのは、來見にとっては良いことだった。知らず知らずのうちに詰めていた息を吐くと、会話を再開する為に口を開いた。
「……それにしても、文化祭で映画を作ることになるなんてな。候補に上がった時は絶対選ばれないと思ってたのに」
「そこは推薦した月退の根回しが効いてたな。自分で脚本を書いて映像編集もできる上に、林っていうカメラマンも用意してたし」
來見はつい先日行われたクラスでの話し合い――文化祭に向けての出し物をどうするかという議論と、その結果について話していた。
多くのクラスメイトは映像制作という、何にどう関われば良いのか分からない未知の内容に戸惑っていたが、口の上手い月退の洗練された説明によって気付けば納得させられていたのである。
「予め更田くんとかに演技してもらえるって言い切ってたからね。皆が心配するような理由が無くなったから、あっさり票が集まっちゃった」
「まぁ大体の人間は画面に映り込むくらいなら断らないけど、演技をするのは無理だって拒否るだろうからなぁ」
「最初から主演が決まっててくれて安心した部分はあるよな。どうあれ皆、基本的に手伝いは断らないだろうし……ツッキーがやる気になってた時点で選ばれるべくして選ばれたのかも」
祝と香椎の意見に頷きながら來見も言葉を続ける。伊斗路高校の文化祭は中等生はレポートや美術作品の展示が主で、高校1年生は縁日の名前を冠した手製のミニゲームの出し物や、飲食物の出店などの接客を伴う展示を行うのが常だった。
2年生以降は体育館のステージや視聴覚室を利用した演劇に加え、2つ分の教室を使うお化け屋敷のような趣向を凝らした出し物に関われるようになり、あまりにも希望が重なった場合にはくじ引きで決めるのが通例だったのである。
來見達のクラスでもいくつかの候補が上がっていたが、最終的に映像制作が選ばれたのは演劇をするには照れが先に立ち、労力が必要とされる巨大設営よりは楽という、打算にも似た総意があったのかもしれない。
「そういや、お前も色々頼まれてんだろ?台本のアドバイザーだっけ」
「うん、仮脚本が上がったら推敲してくれって。助けになるかは分かんないけど頑張るつもり」
來見はクラスで唯一の読書研究部ということもあり、月退に目をつけられ相談を受けていた。自分の認識では読書家と言える程に大量の本を読み込んでいる訳ではなかったが、できる限りの協力は惜しまないつもりだったのである。
「楽しみだなー面白い話にしてくれよ?」
「まぁ、俺は基本的に話の内容については口出ししないけどな。善処するよ」
香椎の言葉に思わずプレッシャーを感じ、眉尻を下げながらも來見は身を引き締める。手伝いをするうちの一人でしかない自分でさえ緊張してしまうのだから、責任を負う立場の月退の不安は計り知れないものだった。
「ツッキーだけが大変な事にはならないようにしないとな。勿論、林や演技する人達も含めて」
「私たちもできることを手伝わないとね!」
來見の言葉を受けた祝はキリッとした顔つきで意気込んでいる。香椎はそんな二人を眺めながら、頬杖をついてのんびりと口を開いた。
「例えば……妙に印象に残る通行人A役、とか?」
「もーそういうことじゃなくて他にも色々とやることあるでしょ。教室の装飾作りとか!」
「いやー体力仕事なら役に立てると思うけど、そういうのはなぁ……」
若干、的を外した香椎の発言に祝は困ったように笑いながらも具体的な例を挙げていく。しかし香椎は美術的な方面には苦手意識があるようで、浮かない表情で口ごもっていた。
香椎の言葉を受けて來見はふと、中学生時代に作られた友人の美術作品の数々を思い出す。
勾玉づくりでは下書きを描いているのにも関わらず元となる石を削りすぎて痩せ細らせ、ひもを通す穴を開ける事に失敗しては穴だらけにする。木の彫刻では沈み彫りが行き過ぎて板を貫通して穴を開ける、など。
完成した作品はどれも味があるものの、これまでの経験からして本人が芸術的な活動を不得意だと思い込むのは仕方のない事だったのかもしれない。
「一から物を作るのは苦手でも、説明書のある組み立てとかは普通にできてただろ。分からない事は周りに聞いて、やれそうな作業を探せば良いよ」
「それもそうかぁ。何にせよ、やり残しが無いようにしてぇな」
來見は助言をしながらも、同時に中学生時代の香椎が見せた技術の授業での手際の良さを思い浮かべていた。教材としてのラジオ制作において、來見が頭を悩ませながら作業に注力しているのを横目に、香椎は恐るべき正確さで部品を組み立てていたのである。
ちなみにその時に作られたラジオは電池で動き、時には手回しで発電できるという高機能なものであった。懐中電灯の機能も備えている為に、來見の家では未だに防災グッズとしてリビングの棚の中に鎮座していたりする。
「香椎くんはコミュニケーション能力が高いから、当日のお客さんの呼び込みとかに向いてるかもね」
「そんなのもあったなぁ。着ぐるみでも被ってチラシ配りでもするか!」
「買うならちゃんと許可取ってからにしろよ。クラスで使える予算にも限りがあるんだから」
「分かってる、分かってる。何なら面白いから自腹切ってもいいし」
祝の提案にすっかり乗り気になっている香椎に、來見は念のため釘を刺しておく。香椎は適当な返事をしつつも自分のできそうな手伝いを見つけられたことで、楽しそうに笑い飛ばしていた。
「色々やることはたくさんあるけど後悔のないようにしたいね。皆で一緒に頑張ろう!」
「おー」
祝が満面の笑みで張り切る様子を見せると、香椎は呼応するように、しかしどこか間の抜けた掛け声を上げる。そんな二人の姿を來見は穏やかな気持ちで眺め続けるのだった。
「じゃ、また明日ー」
「おー」
「帰り道、気を付けてね!」
カフェ早味での食事を堪能し、心ゆくまで話し終えた三人は店の前で解散しようとしていた。香椎は残る二人と帰る方向が違う為にいち早く離脱し、(その際に何かを訴えるように親指を立てたのは見なかった事にしたが)來見は自然と、祝をバス停まで送り届ける形になっていたのである。
「……ちょっとした役でも映像に出演するって考えると、緊張しちゃうよね。自意識過剰かもしれないけど、恥ずかしくなっちゃう」
「普通に鑑賞してる人は全然気にしないんだろうけどな。俺も多分、暫く照れ臭くて見返せないと思う」
二人はバス停への道を歩きながら映像制作について語り始める。月退から事前に通知されていたのだが、授業風景を撮影する為にできる限りクラス全員が出演する事を求められていたのである。
「普段通りにしてれば良いって言われてもな……まぁ、まだ先の事だし今から気にしてても仕方ないか」
「演技はもう主演の人たちに任せきりになっちゃうよね……私は美術系を頑張ることにします」
來見は既に先が思いやられる気持ちでいたが、同じような心境の祝はすっかり割り切っておりカフェ早味での宣言通りに、やるべき仕事を見付けていた。
祝の発言に心当たりのあった來見は、確認するように口を開く。脳裏には祝がよく話している友人の姿が浮かんでおり、彼女達と作業をするのだろうと当たりを付けていたのである。
「垂れ幕作りは美術部の建井に任されてたっけ。その手伝いとか?」
「そうそう!私も美的センスにはあんまり自信ないけど、指定された色を塗ることくらいはできるから」
垂れ幕とは文化祭当日に校舎の外壁に飾られる縦長の旗のことであった。図案などはそれぞれのクラスに一任されており、例年特色豊かなデザインが訪問客のみならず、在校生の目を楽しませていたのである。
話題に上った建井は來見と同じようにクラスで唯一の美術部ということもあり、垂れ幕作りを打診されるのは既定路線だった。祝は建井と仲が良いので当然その制作人数の勘定に入っており、実際に断ることはなかったのである。
「祝達が垂れ幕を作ってくれてる分、俺は内装づくりとかを頑張らないとな。あとはチラシの印刷とかか」
「脚本の相談に乗るだけで十分、月退くんの助けになってると思うよ。それはそれとしてチラシの印刷と裁断をする時は私も手伝うね!」
「そ、そっか……それは頼もしいな」
目線を合わせにこりと微笑む祝に來見は心をときめかせる。まるで自分だけが特別扱いをされていると勘違いしそうになりながら、にやける口許を抑えられずにいたのだった。
「それじゃあ、ここで」
「あぁ、また明日な」
「うん!またね」
気付けばバス停に到着していた二人は別れの言葉を口にして離れていく。いつかと同じように窓越しに手を振る祝に軽く手を振り返すと、來見はゆっくりと自宅へ歩を進めるのだった。
來見が気分よく軽い足取りで帰っていると、不意にポケットに入れていた携帯電話が震えるのを感じ取る。恐る恐る確認すると同然のように、既に自動で文面が表示されていた。届けられた内容は來見の気分を落ち込ませるには十分で、頭を悩ませるものでしかなかったのである。
7月16日――世間で言う海の日の昼過ぎ。來見は颯真と共に藤打市民球場を訪れ入場券の売り場に並んでいた。それは当然、転送装置によって知らされた不幸な未来を防ぐためであり、颯真を連れてきたのはいざという時の助っ人としての役割を期待してのものだった。
「場所の希望は?」
「自由席しかないんだっけ?颯真のオススメとかがあるなら、そこで。あぁでも、先に1塁側からの景色を見て行っても良いか?」
「了解」
ベースボールキャップを深く被った颯真の呼び掛けに、來見は座席に関しては丸投げしつつも然り気無く要求を混ぜた言葉を返す。しかし当の本人は全く気にしていないようで、当日券を購入すると面倒くさがらずに先導していくのだった。
來見達は1塁側の観戦席に通じる1番ゲート内を進んでいく。通路自体が影になっている事もあるが、入場口側から通り抜ける際に上部に設置されたミストシャワーを浴びたせいかゲート内は随分と快適な温度に感じる。
道すがら來見は素早く辺りを一瞥した。崩れ落ちるような物が積み上がっている事もなく、多くの人間が通るのに十分な道幅がある。入場口側には女子トイレが、観戦席側には男子トイレの入り口が存在しているが、今のところ変わった様子は見受けられなかった。
「今日はビジター戦か、高校野球はそういうの無いけど……來見、3塁側の席に行くぞ」
「ん?あぁ、任せるよ」
颯真は独り言を溢しつつも、注意散漫な來見に声を掛け観戦席へと続く階段を上っていく。ゲート内への一通りの観察を終えた來見は返事をして、素直に付いていくことにした。
暗がりから屋外に出たことで一瞬目が眩むが、直ぐに視界は正常に戻る。観戦席は非常に混雑しており、その盛況さを如実に表していた。
「……この辺りでいいか」
「あぁ。それにしても思ったより混んでるな、選べるほど空いてなかったか」
來見は颯真に連れて来られた、中央寄り3塁側のベンチシートに腰を降ろすと、周りを見渡し感想を呟く。観戦しやすそうな位置を選びながらも颯真が一番端の席に座った理由は、その体格の良さが周りの観戦者の邪魔にならないよう配慮をした為なのだろう。
先程確認した通り、観戦席は既に埋まりつつあった。來見達は今から行われる試合に間に合うよう十分な時間を取り、早めに来たつもりであったのだが想像以上の人気振りだったのである。
「地方大会2回戦とはいえ強豪校が出てくるからな。議波には悪いが客観的に見て、うちの高校はまず勝てないだろ」
「始まる前からそういうこと言ってやるなよ。……負けちまったら慰労会でも開催するか」
議波とは、以前照囲市民プールでクグルを助けるために誘おうとした友人の名前でもあった。彼は野球部に所属しており、今日は意図せずその試合に立ち会うことになっていたのである。
ふと3塁側の応援席から楽器の音が鳴り響く。思わずそちらに目を向けると上半身に野球部のユニフォームを、下半身には制服を着用する学生の群れが見えた。メガホンを持つ者もいれば楽器を手にしている者もいる。恐らく伊斗路高校の吹奏楽部が準備をしており、白石や皆本も居合わせていることが窺えたのだった。
「そっか、応援団もいるんだったな。1回戦は平日だったから白石が早退してたっけ、あれ公欠扱いになるから良いよな」
「開催する場所によっては、学校が終わるより早く帰れるからな……授業についていけなくなる心配はあるが」
「そこは困ったら補習があるから……まぁ何にせよどこかで帳尻を合わせなきゃいけないか。大変だなぁ」
議波や白石が合法的に休めることに來見は目を輝かせていたが、颯真の正論によって直ぐに現実に引き戻される。
試合や応援が楽かと言われると決してそうではない。そこに至るまでの準備や練習があり多大な労力が要るのにも関わらず、他の生徒よりも余計に勉学の時間を取られてしまうのは同情すべき点なのかもしれなかった。
「その辺を納得できない奴らはもう辞めてるだろ。好きにやらせてやれば良い……俺らが口出しする事じゃないからな」
「まぁな。確かに、時間の使い方は自分で決めるべきだ」
突き放したような言い方ではあるが、あくまでも個人の意思を尊重する颯真に來見も同意する。來見が転送装置に振り回されつつも行動することを止められない――止めようとは思えない現状も相まって、その意見に妙に感じ入ってしまうのであった。
「ご来場の皆様にお知らせ致します。本日は気温が非常に高くなるため、熱中症が心配されます。水分補給をこまめに行い健康管理に注意してご観戦ください」
席につき、ぼんやりと試合の開始を待っていると不意に球場のアナウンスが耳に入ってくる。前日の段階ではそこまで暑くならないと予報されていたのにも関わらず、今や注意された通りに日光が激しく照り付けていた。
來見は颯真のように帽子を持ってこなかったことに若干の後悔を抱きつつも、鞄から取り出したタオルを頭にかける。颯真はその動きが目に付いたのか、呆れたように口を開いた。
「……ないよりはマシだけど、そんなので日除けできてるのか?」
「大丈夫大丈夫。ほら飲み物もちゃんと持ってきたし、なんと団扇もあります」
「現地の自販機は、まず間違いなく売り切れになってるだろうからな。そういう気は回るのか……体調悪くなったら言えよ」
白石に対して熱中症対策用品を準備したように続々と持参した物を提示すると、颯真は感心したように目を見張るが体調を気遣われてしまう。それは來見が元来運動を苦手としている事と、先日溺れかけた姿を目撃してしまった為に生じた憂慮だったのかもしれなかった。
「さすがに我慢しすぎて倒れたりはしないって。ほら、選手が出てくるぞ」
無用な心配を掛けていることを心苦しく思いながらも、その懸念を払拭するように元気な声で言葉を返す。颯真もその姿に安堵したのか一つ頷くと、持参した双眼鏡でウォーミングアップに出てきた選手達の観察を始めるのだった。
「悪い、ちょっとトイレ行ってくる」
「あぁ……」
強豪校である藤打高校に対して、議波の所属する伊斗路高校はあっさり負けるかと思いきや必死の攻防を繰り広げ、同点のチャンスを迎えようとしていた。
時間を気にするあまり身が入らなかった來見と比べ、颯真は齧り付くように観戦にのめり込んでいる。そのため來見に話し掛けられたところで、適当な返事しかできなかったのである。
來見は生返事をする颯真をその場に残し、静かに席を立つ。ポケットから携帯電話を取り出すと、送られてきた内容を確かめるために文面を表示するのであった。
「2012年7月16日15時、藤打市民球場の1番ゲート、和久本 白梛が誘拐され重傷を負う。」
來見は今まで座っていた3塁側のベンチシートから、1塁側に向かって歩いていく。進むごとに客層が変わり、藤打高校を応援する観客や横断幕が目に映るようになっていた。伊斗路高校には存在しないチアリーディング部の選手も見え、強豪校らしく応援に気合いが入っているのがよく分かる。大衆は試合に夢中で來見を気にも留めていなかった。
來見は黙々と歩を進める。1番ゲートの場所は事前に調べた上、先程通ってきたのだから十分に把握していた。迷いのない足取りで目的の場所へと向かうだけで良かったのである。
(知らない場所に身に覚えのない名前が出てくるのは、もう諦めるとして……和久本を調べたら情報が手に入れられたのは意外だったな)
來見はメールが届いてから、該当する場所のついでに被害者になり得る人名をも検索していた事を思い出す。完全なる思い付きで起こしたその行動は、來見に僅かとはいえ情報をもたらしていた。
(和久本 白梛は和久本 隼成の妹で……恐らく今まさに選手として出場している兄の応援の為に、藤打球場に来ている)
和久本 白梛自身の情報は殆ど存在していなかったが、その兄である隼成については幾つかの記事を見つけることができた。その内容の中には家族構成に触れたものもあり、妹がいると確認できていたのである。外向きのアピールかもしれないが仲は良好なようで、応援に駆け付けるのは不自然な事ではないと推測していた。
(兄が高校球児として有名だから、その人気を妬んで妹に手を出したとか?……いや和久本について詳しくもないのに、勝手な想像をするべきじゃないか)
和久本 隼成は今大会注目の投手として名前が挙げられており、その影響は検索すれば顔写真までもが出てきてしまうほどであった。学年は來見と同様の高校2年生であるにも関わらずエースとして出場しており、思わず邪推してしまうのも仕方のないことだったのである。
(さて、着いたはいいけど降りるべきかな……)
1番ゲートへと通じる階段前に辿り着いた來見は、グラウンドに向き合うように壁に背を預け周囲を一瞥する。目に映る範囲に怪しげな人物は存在しないが、幸い近くにはスタッフらしき大人の姿が見える。
次に、立ったまま観戦している姿を装いながらゲート内を覗き込もうとするが、上手くいかない。今いる場所からは下り階段が視界の大半を占め、全くと言って良いほどに全容が掴めなかったのである。
(さっき見た感じだと人が隠れられそうな所はトイレくらいなもんだけど……誘拐犯が入場口側から来る可能性もあるよな)
兄の応援に来ているのなら白梛は観戦席からやって来るはずである。しかし1番ゲート内にはトイレも併設されており、既にそこにいる可能性もあった。もしも來見の目の届かない場所で拐われてしまえば、助けようにもどうすることもできない。
(……よし、怪しまれませんように!)
覚悟を決めた來見は行動に移ることにする。自然な振る舞いで不審な挙動を控えつつも、見咎められないように祈りながら階段を下っていくのだった。
(……すごく静かだな、球場はあんなに盛り上がってるのに)
ゲート内に移動しながら來見はその静けさに驚く。この空間に限り、騒ぎ立てれば誰しもが異変に気付けそうなほどの静寂が漂っていたが、様々な音に溢れた試合に熱狂する観客には難しいようにも感じる。本来の白梛が助けを呼べなかった不運を思いながら、今は淡々と階下へ足を進めていくのだった。
ゲート内は先程と変わらず、蒸し暑い観戦席と比べひんやりとしていた。汗が引いていくのを感じながら、來見は最後の階段を下りる。
(いざとなったら張り込みかな。また携帯で暇を潰してる振りでもして、危なそうだったら颯真に連絡して応援を……!?)
來見は腹をくくって白梛を保護するまで粘ろうとする算段を立てていたが、どうやらその必要はないようだった。視線の先で長身の男に立ち塞がられている小柄な少女の姿を認めてしまったのである。
白梛らしき少女は逃げようとはしていない。しかし明るい灰青色の髪を持つ見知らぬ人物に相対し、困惑した様子を見せていた。
「よう。お前、和久本 隼成の妹で合ってるな?」
「は、はい?誰ですか……?」
「大人しく着いてくれば何もしねぇよ。痛い思いはしたくないだろ?お嬢ちゃん」
恐らくトイレから出てきたところを捕まったのだろう。來見が辿り着くよりも先に、観戦席のある方向とは反対側――入場口からやって来た数人の男が徒党を組んで白梛に話し掛けていた。その態度はお世辞にも褒められたものではなく、恫喝に近い響きを帯びている。
学生服の少年達や私服姿の取り巻きに紛れたリーダー格と思われる男は、制服らしきグレーのスラックスとワイシャツを着崩していた。男は半袖の下から覗く筋肉の付いた腕を、首を傾げて状況が飲み込めていない白梛に伸ばす。その手の平に雷のような刺青が入っているのを目視した次の瞬間、來見は走り出していた。
「……すいません!誰か来て下さい!」
來見は大声を上げながら白梛に駆け寄る。幸運にも囲まれていた訳ではなかったために白梛の後ろから腕を取り、観戦席へと逃げるという道が存在していたのである。
「あ?誰だお前……」
「誰かいませんか!不審者、捕まえてください!」
來見は白梛を連れて走り、男の声の上から被せるように叫び続ける。虚を衝かれた集団が判断に迷っている間もその声は通路中に響き渡り、ややあって大人のスタッフが様子を見に駆け降りてきたのだった。
「どうしました!?」
「あそこにいる人たちが……!」
「チッ、おい引き上げるぞ……まだ機会はあるからな」
來見が助けを求め、集団に向けて指を差すと男達は入場口の方向へと立ち去っていく。指揮を執っていた男も悠然とした足取りで姿を消すが、最後まで來見達から目を離す事はなかった。
來見は思わず身震いをする。あのまま睨み付けられていたら、縫い止められたように硬直していただろう。どこか猛禽類を思わせる彼の瞳には、背筋が凍るような執念が宿っていた事を來見は分かってしまったのである。
「おいシド!早くずらかるぞ!」
大半の男達は人を呼ばれた事で逃げるように去っていったものの、出遅れたのか未だに留まっている二人組が目に映る。
急かしている坊主頭の少年は顔の大半を黒マスクで覆った上に、眉毛を全て剃っている為に表情が読みづらい。しかし焦って興奮しているのか、辛うじて見える三白眼を爛々とさせながらもう一人の少年に行動を促していた。
「あぁ……報告が必要だな」
夏だというのに長袖のシャツを着て、手元で携帯電話を操作していた少年は返事をしながら壁から背を離す。何回脱色したのか分からないほど薄い桜色の髪で額を覆った少年は、間から僅かに覗く深みのある金の瞳で來見達に射るような視線を向けていた。
「君たちはこっちに来なさい。後は僕たちが何とかするから」
「あっ、はい。……あの女性のスタッフがいれば、彼女についてあげてください。絡まれて怖い思いをしたと思うので……」
スタッフに声を掛けられた來見は白梛の負担を考え、気を遣うように頼んでいた。白梛は編み込みのシニヨンヘアが崩れていないか気にするように頻りに髪を触っていたのだが、先程から一言も発してはいなかった。視線もなかなか定まらず、來見には不安を紛らわせようとしている仕草にしか見えなかったのである。
「勿論、さぁこちらへ。少し休憩しましょうね」
「は、はい……」
優しく誘導するスタッフの態度に白梛は少し緊張が解けたのか、返事をして大人しく従う。その姿を見送り振り向いた時には二人組の少年は消え、怪しげな集団は影も形もなくなっていたのだった。
スタッフに白梛を任せた來見は軽い事情聴取を終えると解放され、颯真の隣に戻って来ていた。
最終回、同点に追いついていた伊斗路高校は満塁のピンチを迎えていた。選手達は闘志を燃やして勝負に臨むも、あと一歩及ばない。打席が回ってきたエース、和久本 隼成による劇的なサヨナラホームランで試合は締め括られたのである。
友人が関わっている試合なのだから、來見は大なり小なり心を動かされても可笑しくはなかった。しかし今の來見の頭には垂れ目がちの丸い瞳を不思議そうに瞬かせていた白梛の姿と、彼女を粘りつくような視線で見つめ、立ち去った男の姿ばかりが焼きついていた。
問題が解決したようで、その実何も終わってなどいない。來見は次に自分が取るべき行動を考えなければならなかった。




