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平成トランスポーター  作者: 夏名
18/54

7-3 見るべきもの

「……職員室?でも先生は違うんじゃ……」


 香椎(かしい)の背中を追い掛けた來見(くるみ)橙牙(とうが)は職員室を目前にしていた。香椎は橙牙の疑問に答えることもなくステンレス製のドアハンドルを掴むと、スライド式の扉を開ける。


「……失礼します!」


「あっ、失礼します!」


 深く息を吸い大音声で挨拶をした香椎は、少しの迷いもなく職員室に入っていく。残された二人も慌てて声を上げ入室し、成り行きを見守ることにしたのだった。


圖差(ずさ)先生、いますか!」


 入り口にとどまった香椎は、大きな声で教師の名を呼ぶ。

 職員室の床には期末テストの直後というだけあって、未だ生徒の立ち入りを禁止するテープが何重にも貼られていた。そのため用がある生徒はこうして声を張り上げる方法を取り、数人の教師に一瞥されながらも目的の人物を待つしかなかったのである。


「……圖差先生って?」


「サッカー部の顧問!……なんだけど香椎は何しようとしてるんだ?」


 小声でやり取りをする來見と橙牙は、どこか緊張した様子の香椎に視線を向ける。その背中越しには、遠くからでもはっきりと数字が分かる電波時計が掛けてあるのが見えた。香椎は鍵を返却する際に、それを見て時間を確認したのだろうと來見は現実逃避のように一人考える。


 暫く待つと遠くからパタパタと小走りで駆け寄る音が聞こえてくる。橙牙の疑問が解消される時間も確実に近付いていたのだった。


「はいはい。こんにちは」


「お疲れ様です、サッカー部の香椎です」


 やって来た教師は痩せぎすの男性であった。チョークの汚れを避ける為に羽織った白衣はやや袖を余らせ、口元には笑みが浮かんでいる。

 会釈をした香椎へ鷹揚に頷きつつも、圖差は状況が飲み込めていないようだった。困惑したように眉尻を下げながらも話を促すために口を開く。


「香椎くん……?はいはい、それでどうしましたか。部活の事で何か?」


「この間、新しい備品の購入申請があったと思うんですけど。……あれって先生が壊したんですか」


「……えっ!?」


 香椎の発言に思わず來見と橙牙は声を漏らす。香椎は顔を強張らせており、勇気を振り絞って質問したのだということが手に取るように分かってしまった。

 圖差は目を瞬かせた後、途端に破顔する。その表情には焦りや罪悪感の一切が存在していなかった。


「おや、随分前の話ですね。えぇ、出しっぱなしになっていたのを片付けようとしたら、手が滑りましてね」


「部長さんが申請に来たので皆さんご存知かと思っていましたが……わざわざ確認しにいらしたんですか?」


 悪びれもせずにあっさりと答えた圖差を見て、三人は言葉を失ってしまう。いち早く我に返った來見は浮かんだ疑問を口にせずにはいられなかった。


「先生が壊した事を……部長さんには言いましたか?ただ申請を受け取っただけだったのでは?」


 來見は気付けば圖差の不手際について、部長である船来(ふなき)に説明していないことを非難するような口調になっていた。それは香椎が不当に責められていた現状を知っていた為に産まれた、怒りの感情の発露であったのかもしれない。


「え?あぁ、どうだったかな……なにぶん私もテスト期間で忙しくて。でも実際かなり年季の入った備品でしたからね、経年劣化として処理して、新品の申請をしておきましたよ」


「そう……ですか。ありがとう、ございました」


 笑みを絶やさない圖差に、香椎は一礼してふらふらと職員室から出ていく。圖差はその様子を見て僅かに首を傾げるも、用が済んだと解釈したのか残っていた二人に言葉を投げ掛けた。


「はい。じゃあ、さようなら。君たちも用がないなら退出しなさいね」


「あっ、はい。失礼しました。さようなら」


「……さようなら」


 香椎が出ていった後、自動で滑るように閉まりかけた扉を抑えていた來見は反射的に会釈を返す。呆然としていた橙牙も同様に挨拶を返すと、二人して職員室を出ていくのであった。




 三人は誰一人言葉を発さずに、黙って帰り道を歩いていた。職員室を出てから教室へ荷物を取りに行き、昇降口を出ても香椎は口を開かず、気まずい沈黙が辺りを支配していたのである。

 自転車を両手で押しながら正門から出たその瞬間、香椎はぴたりと足を止め大きく息を吸い込んだ。


「……あの無駄にギスギスしてた時間は何だったんだよ!俺の時間返してくれ!」


 余程堪えていたのだろう、香椎は思いの丈を吐き出すと自転車に寄り掛かるように顔を伏せ全身を脱力させる。

 どう声を掛けたものか、ひたすらに背中を追うだけだった來見と橙牙は顔を見合わせると、小走りで近付き励ますように話し始める。


「そもそも備品について聞かれなかったら、言うつもりも無かったんじゃないか、あの顧問。絶対部長の話もまともに聞いてなかっただろ」


 香椎の怒号に同調するように、橙牙は滔々と文句を並べる。圖差について詳しく知らないために何も言えず、しかしそのあまりの言われように來見が苦笑を浮かべていると、香椎は声を落として言葉を続けた。


「……先生も忙しかっただろうから、今回は仕方なかったと思うことにする。でも最初から顧問に聞いとけば解決してたとか、分かる訳ねぇよな……」


「灯台もと暗しってやつ?そこは圖差先生の普段の信用のなさが、足を引っ張ったんだな」


「何だかなぁ……」


(圖差先生は部員から事件の報告もされない上に、香椎の名前を聞いても誰だかよく分かってなかったみたいだし……部員と顧問同士、お互いに関心が薄かったのかな)


 その興味のなさ故に今回のような事態が起こり、真相が明らかになるまで無駄に遠回りをしてしまったのだろう。

 話の腰を折ることもなく香椎と橙牙の会話を聞いて考えを巡らせていた來見は、一先ず事態の解決を祝おうと口を開いた。


「とにかく、冤罪を晴らせそうで良かったよ。部長さんにも連絡しないとな」


「あぁ。部長にはさっきメールした。確認の為に圖差先生には自分で直接問い質すとは言ってたけど、概ね解決したってことで良いだろ」


 力業ではあるが自身の進退を天秤に掛け、事態の収拾を図るくらいには責任を感じていた船来は素早く行動に移ったのだろう。遅まきながらも身を以て後輩の無罪の証明に尽力する部長の姿に、來見は内心感銘を受けていた。


 二人が会話をしていると、突如として橙牙は小走りで駆け出す。振り返って二人の方へ向き直ると大きく伸びをしながら口を開いた。


「何はともあれだ!香椎が部活を辞めずに済みそうで良かった!」


 言葉を言い終え腰に手を当てた橙牙は、すっかり浮かれた様子で満面の笑みを浮かべていた。そのまま言葉を続ける橙牙に、二人は穏やかな気持ちで耳を傾ける。


「そりゃあ少しは雰囲気悪くなったけどさ!本当のことが分かった以上、直ぐに元に戻ると思うよ」


「……そうだな。それが一番、嬉しいかも」


 それはできるだけ穏便に事を済ませたかった香椎を気遣った言葉であった。発言を受けた香椎も静かに頷き、來見にはその姿は心の底から安堵しているように見えたのだった。


「無理矢理聞き出したのは悪かったけどさ……今回は首突っ込んで良かったと思ってる。まぁ解決できるかは、分かんなかったんだけどさ」


「謝んなよ、これでも感謝してんだから。……今度何かおごるわ」


「気にしなくていいって」


 謝罪混じりにしみじみと語り始めた來見に、香椎は笑みを浮かべて言葉を返す。顔を向けても決して目が合うことはなかったが、照れ臭さから意固地になって視線を正面に固定していたのだと理解していた。


 ふと香椎は立ち止まり、來見や橙牙の足取りから一歩遅れることになる。香椎はそのまま勢いをつけて自転車に乗ると、楽々と二人を追い越していった。

 緩くペダルを漕ぎながら振り向くという危険な乗り方をしながらも、香椎は今度こそ來見に視線を合わせると口を開いた。


「……お前も何かあったら相談しろよ!俺に何ができるかは分かんねーけど!」


「俺も俺も!力になるからな!」


 香椎は言葉を言い切ると片手をふらふらと振りながら走り去り、続く橙牙もおどけたように敬礼をすると脱兎の如く去っていく。どこか楽しげにも見えるその後ろ姿に來見は知らず笑みを浮かべ、できる限りの大声で言葉を返した。


「ありがとな!また明日!」


 昼時というには遅く、夕方にはまだ早い時間。燦々と降り注ぐ陽光の中、三人は清々しい気分でそれぞれの帰路に就くのだった。




 2022年、某所。


「ラザニアできましたー。こっちはシーフードとか色々入ったサラダっす」


「おっ、ありがとう。ほらお前らも飲んでないで机の上どかせ」


 キッチンから皿を持って出てきた香椎に、サッカー部元部長の船来が礼を言い、他の人間と共に片付けを始める。

 今日は両親が旅行に出掛けており人目を気にせず騒げるということで、郊外にある船来の一軒家に元サッカー部の部員達が集まっていた。残念ながら予定が合わない者も中にはいたが、それなりの人数が集まり、思い思いに持ち込んだ食料品を片手に会話に興じていたのである。


「やっぱり現役でやってるだけあって、上手いもんだな。店の為の資金集めと修行は順調なのか?」


「かなり順調っす。店のレイアウトも固まってきましたし……開店したらすぐ招待するんで、絶対来てくださいよ」


「会うたびにそれ言ってるよな。分かってるって」


 香椎は学生時代に抱いた夢の為に、貯金と腕を磨く事に明け暮れる日々を送っていた。人と関わり話すことを楽しみ、サッカーのみならずスポーツ全般を好んでいた香椎は、人々が集まり観戦できる店を開業する事を目指していたのである。


 船来と言葉を交わしながら、香椎は調理のために結んでいた髪をほどく。学生時代は耳の上あたりで切り揃えられていた黒髪はすっかり伸び、センターで分けられた前髪には白いメッシュが入れられていた。


「……前は全部脱色する勢いだったけど、やっと落ち着いたんだな。そういえば何で毎回、白色なんだ?他の色でも良いのに」


「何か、縁起が良いイメージがあるんですよね。白星とかから来てんのかな」


 船来の質問に香椎は瞳に郷愁の色をたたえ、のらりくらりと答えていく。噓は言っていないものの本心を明かさない香椎に、船来は苦笑して手元のグラスを呷った。


 辺りを一瞥すると元部員達が楽しげに飲み食いをし、談笑している姿が目に映る。テレビには集まりの口実であったライブ配信されているサッカーの試合が出力され、野次を飛ばしている者もいた。

 ふとソファーに目を向けると、勢頭(せど)が早くも酔い潰れて寝ているのが見えた。学生時代には無かった貯えられた髭のせいで第一印象はより厳めしさを増していたが、眠っているその顔には安らかな表情が浮かんでいる。


「……卒業して随分経つのに、こうして集まれるのって良いよな。お前達が仲直りできてなかったら、こうはなってなかったよ」


 あの時はごめんな、と謝罪する船来に香椎は首を横に振る。今更過去の出来事を蒸し返すつもりは微塵もなかったのである。


「もう良いんすよ、済んだことなんですから。先生が普段から激務すぎて色々と余裕がなかったことも、今は理解してますし」


「それでも俺が余計なこと言って、火に油を注いでたところもあったからなぁ。あれは良くなかったな、本当」


 それは部の問題は長である自分が取るべきだと、退部しかけたことを指していたのだろう。心構えとしては立派なものだったが、根本的な問題の解決には至らないその宣言のために、余計に拗れた部分があったことは否定できなかった。


「その話、酔うと毎回してますよ。良いじゃないすか、もう解決したんですから」


 香椎はアンバーの目を細め、つり上がりがちな眉を困ったように下げて、先程自分が言われた言葉を返すように話を打ち切ろうとする。しかし制止しようとする態度が伝わらなかったのか、船来はお構いなしに会話を続けた。


「勢頭もな、お前が先に謝ってくれたから、素直に謝れたところもあると思うんだよ。大人の対応だったなぁ、俺は本当に良い後輩を持った!」


「もう勘弁してくださいよ。おーい誰か水持ってこい!船来さんが酔っ払ってる!」


 突然の褒め言葉への照れ隠しに香椎は他の人間へ声を掛け、絡み酒の始まった船来の介抱をし始める。香椎は酒を取り上げながら、ぼんやりと当時の状況を思い出していた。




「……そういうことだから、これ以上備品の話で揉めないように!分かったな」


 部長である船来の発言に、集められたサッカー部員達は声を揃えて返事をする。真相が明らかになったために漂っていた重苦しい雰囲気は消え、皆安堵した表情を浮かべていた。


「……香椎、高橋(たかはし)


「勢頭先輩」


 香椎と橙牙は声を掛けられた事で振り返る。勢頭は呼び止めたは良いものの、なかなか話を切り出せずにいるようだった。我関せずにふらりと席を外そうとした大角(たいかく)を捕まえ、船来は静かに三人を見守っている。


「……すいませんでした!俺がちゃんと覚えてなかったから、無駄に混乱させてしまいました!」


「俺も、二人一組で鍵当番やらなきゃいけなかったのに、帰ってしまってすいません!誰かに代わってもらうべきでした!」


 未だ数人の部員が見守る中、勢いよく頭を下げた香椎と橙牙に勢頭は気圧され後ずさる。しかし直ぐに気を取り直すと、首を横に振り自らの頭を下げた。


「俺こそ頭に血が上っていた。……部の雰囲気を悪くしていたのは俺だ。退部しろなどと圧力をかけるなんて、年長者として相応しくない振る舞いだった」


 本当にすまなかった、と続けた勢頭の姿を見て香椎と橙牙は目を合わせる。二人の考えていることは同じだと互いに理解し、香椎は一つ頷いて口を開いた。


「そう言ってくれただけで俺は十分です。……じゃあこれで手打ちってことで!良いっすよね、部長」


「うん、香椎と高橋がそれで良いなら構わないよ。……で、大角。お前は何か言うことは?」


 部員の前で謝罪することのできた勢頭を満足げに眺めながらも、船来は大角へ謝罪するよう促す。しかし当の本人は不思議そうな顔で首を傾げ、臆面もなく疑問を投げ掛けた。


「え?俺は疑問に思ったことを口にしただけで、悪いことしてなくない?香椎だって言い訳しなかったし、勢頭のことはちゃんと見張ってたじゃん」


「お前は言動が自由すぎる!余計なことは言わなくて良いし、首を突っ込む割に様子見という名の放置をしてただろうが!」


 船来はくどくどと説教をし始めたが、大角はどこ吹く風と聞き流している。意外にもその態度を改めさせたのは先程謝罪していた勢頭であり、気付けば大角の頭を物理的に下げさせていた。


「全面的に悪いのは俺だが、こいつも俺の言葉に乗せられていたところはあった。この通りだ、悪かったな」


「痛ぇよー。……えっ、これ謝る流れ?」


 戸惑う大角に勢頭は無言で頭を掴む手に力を加える。大角は謝罪をしなければこのまま解放されないと理解したのだろう、観念したように声を上げた。


「あぁー悪かった!ごめんね!でも香椎もやってねぇなら、ちゃんと最後まで無実を主張しとけ!」


 雑に謝罪をしつつも最後まで自分の意見を述べる大角に、香椎は思わず吹き出してしまう。彼はひたすらマイペースなだけで悪気はないのだと理解していたのである。


「今度からは気を付けます。誤解させて、すんませんでした」


「全く……それから、高橋」


「えっ!?はい!」


 腕を組み大角の自由ぶりに呆れていた船来は、思い出したように声を掛ける。にこにこと流れを見守っていた橙牙は不意に名前を呼ばれた事に驚き、勢いよく首を部長へと向けていた。


「お前が先に帰ったのも、まだ小さい弟を家で一人にする訳にはいかなかったからだろう。親の都合とは言え、急にそうなったのなら誰でも良いから当番は代わってもらえ」


 断るやつもいないだろうし俺でも構わないから、と船来が続けると橙牙は困り顔で頷いた。彼もまた周りに迷惑をかけるのを恐れ、上手く人に頼ることができなかったのである。


「はい……今度からは、そうします」


「うん。……よし、練習始めるぞ!準備しろー」


 手を叩いて声を発した船来の言葉を皮切りに、様子を盗み見ていた部員達は慌ただしく動き始める。香椎はその日、久し振りに心地よい疲労と共に深く眠ることができたのだった。




「マネージャーでもいれば少しは違ったのかもなぁ。管理とかしっかりしてそうだし、揉め事が起きても上手いこと間に入ってくれたりさ」


「俺、高校の運動部ならマネージャーの一人や二人、絶対にいるもんだと思ってましたよ。野球部にはいたのになぁ」


「まぁ激務なのは間違いないし、俺達の代にはそんな物好きはいなかったってことだ。部員全員で雑務の諸々を当番制にしてる分、ある意味平等で良かったのかもな」


 話を振られたことで香椎は現実に引き戻され、その内容に苦笑しながら受け答えをする。船来は呂律こそしっかりしているものの先程より酔いが回っているようで、顔を真っ赤にして話し掛けていた。


「そういえば、あの時一緒に解決してくれた友達とは今でも仲良いのか?恩人なんだろ」


「それが、家族関係のごたごたがあったみたいで、引っ越しちまったんですよね。そっから段々連絡取れなくなって」


 今は何してるんだろうな、とぼやく香椎に船来は力の抜けた相槌を返す。内容を理解できているのかも怪しい様子だったが、突然大きな声で言葉を返した。


「便りがないのは良い知らせって言うだろ!他所で一からやってくのに忙しいんだろうな」


「……もう10年くらい経ってるんですけどね。外見変わりすぎてて、会っても分かんねぇかも」


「はは、実は道端で偶然会ってたりしてな!」


 酒が入って上機嫌な船来は香椎が沈んだ面持ちをしている事に気付けなかった。もしもその表情を見ていたのなら、香椎は想像以上に來見を気に掛けている事実を理解できたのかもしれない。

 香椎がすっかり出来上がった船来相手に会話を続けていると、尻ポケットに入れていたスマートフォンが震えるのが分かった。香椎は周りの人間に一言断りを入れ船来を任せると、立ち上がって人の輪を離れ電話に出ることにする。


「もしもし」


「どうもー。今からそっち向かうけどコンビニで買ってくるものあるか?追加の酒とか」


「ちょっと聞いてくる。おーい何か欲しいもんある人ー」


 電話の相手は橙牙であった。遅れて集合するために気を遣ったのだろう、香椎はその言葉に甘えて周りの人間から要望を集めることにする。


「……適当につまみと、辛いもんが欲しいって。酒は自分が飲みたいので良いよ」


「了解!あと20~30分くらいしたら着くわ。じゃあな」


 橙牙が歩きながら電話を切ると、あっという間にコンビニに到着していた。夜も始まったばかりではあったが、駐車場は殆ど埋まっており盛況な様子が窺える。

 パーキングブロックの更に奥まった場所。そこに整然と並べられた車止めのポールの上にはソーラーパネルが取り付けられており、どこか前衛的なオブジェを彷彿とさせた。最近はどこもこんな感じたなぁと呆けていると、橙牙は突然腕を掴まれ引っ張られていた。


「おわっ!」


「ボーッとしてると轢かれんぞー」


 掛けられた言葉の通り、橙牙のすぐ近くをトラックが通り過ぎていく。火山のシンボルマークと白砂(しらさご)運輸というロゴを載せた車は、何事もなかったかのように走り去っていった。


「ありがとうございます、助かりました!……あれ、大角先輩」


「よー、俺も今から行くんだわ。ブランデー買ってこうぜ」


 会釈をして顔を上げると、そこにいたのはかつての先輩である大角その人であった。片手を上げた大角はやたらと毛量の多い睫毛を伏せ、橙牙を見下ろしている。


「大角先輩も今が仕事終わりっすか。警備会社って変則的で大変ですよね」


「身辺警備だけやってる訳じゃないけどなー。まぁ割りと好きに休みは取れるから困ってねぇよ」


 それより早く買い物済ませるぞ、という言葉に橙牙は染み付いた体育会系の仕草で返事をする。そんな二人が店内に消えたのを遠くから観察する人影があった。


「……何だ」


 スーツからスマートフォンを取り出し、柏木(かしわぎ)は応対する。もう片方の手に持っていた旧式の携帯電話は懐にしまい、コンビニに背を向け歩き始めた。


「ちょっと仕事のことで話が、お忙しいとこ悪いんですけどこっち来れます?」


「お前、今日はもう用はないと言っていただろう。どういう了見だ」


 電話の向こう側で合駕嵯(ごうがさ) (じん)が笑う声が聞こえてくる。柏木の詰問に動じることもなく、仁は言葉を続けた。


「いやーそう言わないと、ご自分で確認しに行かないでしょう。俺なりに気を回したつもりだったんですけどねぇ」


「……見るべきものは無かった」


「まぁそんなとこだろうとは思いましたけど。だから今回は來見にメール送らなかったんだもんな?」


 ため息をつく柏木に仁は揶揄するように問い掛けるが、あっさりと黙殺される。無視された事を歯牙にもかけず、仁は会話を止めることがない。


「船来の家に集まってるやつらも、問題はありませんでしたよ。でも折角なら飲食関係にも手を広げとけば良かったかもなぁ。そしたら今頃……」


「……直ぐに戻る。そのまま待っていろ」


「はいはい、ごゆっくり。全く、知り合いが多いと大変だねぇ……」


 仁の言葉に割り込みながら、会話が終わるのも待たずに柏木は電話を切る。待たせていた車に体を滑り込ませ苛立たしげに足を組むと、心を静めるために深呼吸を繰り返した。

 柏木は車が動き始めたのを知覚すると、車内に置いてあったアタッシュケースのダイヤル式の鍵を開け膝の上にパソコンを置く。香椎をはじめとする、元サッカー部員達の個人情報が羅列してある調査結果に目を通すと、考えをまとめるために瞼を閉じた。


「……香椎が髪を白く染めたのは、何時までも高校時代の栄光にすがっているから」


「未だにあの時が一番楽しかったと思い込んでいる……それは恐らく來見のせいで」


 香椎が体育祭で優勝した時のクラスの団の色――白色を気に入っているのは人生の絶頂期がそこだったと勘違いしているから。そしてその思い違いは、來見の失踪という喪失感を歓喜の直後に味わってしまった為に生じていると柏木は推測していた。


「元々近しい存在であったものが消えた事で、余計に空しさを感じてしまっている……その結果が執着か。厄介な事だ」


 その口振りは現在の香椎の状況が、柏木の意図したものではないと言っているも同然であった。

 柏木は車内で一人、人間関係の煩雑さに頭を痛める。こぼれたため息は静寂に吸い込まれるように消えていくだけだった。




伊斗路(いとみち)高校出身のサッカー部員達の身辺に気を配ることをお願いします。範囲は今現在の貴方と交流のある人々。頻度や程度は貴方ができる限りで構いません。」


「報酬は全額前払いで。足りなければ重ねてご相談を。」


 大角はつい最近届けられたその文面をじっくりと眺め、画面を消しスマートフォンをポケットに突っ込む。警護の理由も、どのような脅威が想定されるのかも記されていないそのメールを、大角は少々持て余していた。


「護衛範囲が広すぎるし、結局送り主は誰なんだかなぁ……」


「先輩!これ良くないっすか。オススメされてますし!」


「おぉ、良いんじゃないの。ほら会計行くぞー」


 大角は浮かんだ疑問をひとまず打ち消すことにする。自分の長所は何事も適当に上手くこなし、思い詰めすぎないところだと理解していた。要するに送られてきたメールが不吉極まりない内容であったとしても、金を支払われた以上は職務を遂行するつもりでいたのである。

 橙牙と大角は軽い足取りで船来の家へと向かう。その進路を邪魔するものは今のところは存在していなかった。

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