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平成トランスポーター  作者: 夏名
16/54

7-1 香椎 柊

「おーい、生きてるか?」


 テストの解答用紙を回収された來見(くるみ)が前方へ声を掛けると、机にうつ伏せていた香椎(かしい)はゆっくりと頭を持ち上げこちらを振り返る。


「……頭、爆発するかと思ったわ。燃えてねぇよな?」


「心配なら水かけてやろうか」


 來見の言葉に香椎は目を瞑って無言で首を振り、深いため息をつく。その姿を見て、香椎は冗談に反応する元気も無いのだと見当をつけた來見は、声を和らげて言葉を投げ掛けた。


「期末試験も、あと1日で終わりだからさ。今日はもうさっさと帰ろうぜ」


「んー……」


 机の上の問題用紙を折り畳みながら、激励のつもりで呼び掛けるも、香椎は言葉にならない呻き声のような曖昧な返事をするばかりであった。例年に比べても随分参ってしまっているその様子を少々疑問に思っていると、教卓で解答用紙を集め終わった担任が生徒達に連絡事項を伝えていく。


「今日のホームルームはありませんから、皆さん真っ直ぐに帰って下さいね。では日直さん、号令」


「起立、礼」


 さようなら、と言う号令に続いて挨拶をバラバラに口にする生徒達へ担任も挨拶を返すと、足早に立ち去っていく。

 來見はテスト期間中はなるべく多くの勉強時間を確保する為に、教師に促されるまま速やかに帰るようにしていた。それは香椎も同様で、当然今日もそうすると信じて疑わずにいたのだが、どうやら予想通りにはいかないようだった。


「香椎?帰らないのか」


 來見は鞄を掴み立ち上がるが、一方の香椎は座ったまま不自然に動きを止めていた。どこか体調でも悪いのかと顔色を伺おうと近寄った瞬間、突然大きな声が耳に入ってくる。


「あー、俺ちょっと急ぎの用事があるんだった!ごめん、先帰るわ!」


「お、おう……?」


 声の主である香椎は勢いよく鞄を引っ掴むと、初めから來見の返答を聞く気がなかったかのように、走って教室を出ていってしまった。そのあまりにも鮮やかな快足ぶりは妙に印象に残り、來見はどうにも引っ掛かりを感じてしまう。

 特段不自然な事でもなかったのだが、香椎がすぐ近くの階段を使わずに別館である中央棟の方向へと走り去った姿も、何故か目に焼き付いていた。


(いや……でも考えすぎかな)


 一人残された來見は首を傾げながらも、帰宅の為に昇降口へ向かう。言葉通りに香椎が真っ直ぐ帰っていたのなら、自分が余計な事をする必要はないと思っていたのであった。


 昇降口へ着くと、全ての棚に扉が付いている木製のシューズボックスが來見を迎える。

 自分が使用している靴箱と隣接している香椎の棚が目に入ると、來見は出来心でそっと扉を開けてしまう。上部だけ固定された扉は簡単に開き、來見にその全貌を示していた。


「あれ、まだ靴があるな……」


 2段に別れている靴箱の上段には屋外で使用する体育用のスニーカーが置かれ、下段には登下校の際に着用を義務付けられているローファーが鎮座していた。もし直ぐに下校していたのならば、棚の中にはローファーではなく学校指定のサンダル(室内履き)が置かれていなければおかしく、それは香椎が未だ校内に留まっている事を來見に知らせていた。


(嘘をつかれたとか、そういう事を気にしてる訳じゃないけど……何か態度が変だったよな)


 來見はこの違和感を見逃すべきではないと感じていた。それは今まで散々転送装置(トランスポーター)によって送られてきた事態を回避する為、頭を働かせてきた末に培われた直感であったのだろうか。


「……ちょっと探してみようかな」


 來見は引き返し、再び階段を登る事にする。現在來見がいるのは左右に伸びる別館同士を繋ぐ中央棟1階であり、西棟の2階にある自分の教室へ登校する時にはあまり使わない階段であった。


(さっき西棟の階段を使わなかったって事は、中央棟か東棟に用があったんだろうけど……)


 東棟の2階から3階には主に中等生の教室が立ち並び、4階には高校1年生の教室が割り当てられていた。その他にも英語の授業などで時たま利用するパソコン室や、芸術科目で使われる特別教室が間を埋めるように存在しているが香椎にとっては少々縁遠い場所のように思える。


(東棟で後輩と話をする位なら、俺を置いていく必要はないよな。聞かれたくなかったって可能性はあるけど、その為に嘘をつく意味はなさそうだし……)


(無難に職員室とか?……でも下の階に用があるなら、すぐ近くの階段を降りれば良いような気がするけど)


 中央棟1階にある職員室と西棟2階にある自分達の教室の位置関係を思い浮かべ、仮説を保留する。考えすぎだと言われてしまえばそれまでだが、一つひとつ可能性を想像していく事にした。


(香椎の用があるのは2階より上階の中央棟?と言っても、あそこもそんなに目ぼしい所は無いような……)


 中央棟は殆ど廊下のようなもので、各教科の準備室があったりはするが専ら出入りするのは教師ばかりであった。授業に関する事で質問しに行く機会があったとしても、試験期間中は生徒達の立ち入りは禁止されており、香椎が立ち寄る場所としてはやはり関係性が薄い。


(体育棟に繋がる渡り廊下はあるけど、それこそ何も無いよな……)


 中央棟2階に辿り着いた來見は辺りを見回しながら考えを巡らせる。中等生や高校生達が下校の為に通り過ぎるのをぼんやりと眺めていると、何処かから來見を呼ぶ声が聞こえた。


「來見先輩?こんにちは!」


浦部(うらべ)飛織(とおる)


「こんにちは」


 声のした方へ振り返るとそこには中等生の後輩が二人いた。浦部は駆け寄りながら元気に声を上げる一方、飛織はのんびりと歩いて近寄り、挨拶をする。


「こんにちは。今帰りか?」


「はい!早く帰りなさいって先生に急かされまして」


「俺も全く同じこと言われたよ。怒られる前にさっさと下校しないとな」


 どの教師も言うことは同じだなぁという感想を來見が抱いていると、二人の会話を眺めていた飛織が不意に口を開く。


「……浦部。俺らが引き留めてたら、來見さんがいつまで経っても用事済ませらんないよ」


 自分達と同じように帰宅を促されて尚、留まっていた來見には何か急ぎの用があると推察したのだろう。飛織は決して責めるような口調ではなかったが、端的に浦部へ意見を述べていた。


「うっ、確かに……すみません!それじゃあ僕達はここで」


「謝らなくていいよ、全然大丈夫だから。二人とも帰り道は気をつけてな」


 別れの挨拶を口にして会釈する後輩達に、來見は少しも迷惑だと思っていない事を伝えるように笑顔で手を振り見送る。心配性の気がある浦部は終始申し訳なさそうな顔をしていたが、最後に一言添えてから階段を降りていった。


「……また今度の部活で!お疲れ様です!」


「うん、また部活で……部活?」


 來見が疑問を浮かべた最後の言葉は浦部達には聞こえなかったのだろう、二人は階下へ姿を消していく。同時に來見の脳裏には一つ思い浮かぶ事があった。


(……そういえば、中央棟の3階には部室棟への出入り口があるんだっけ)


 部室棟はこれまで片手で数えられる程しか立ち寄った事がない場所だった。しかし來見の記憶が確かならば、中央棟3階にはそれぞれの運動部が使用している個室が立ち並ぶ場所へと、繋がる扉があったはずである。


(テスト期間中は部活は休みのはずだけど……早いところは明日から再開するらしいし、一番可能性がありそうだよな?基本的に部外者は立ち入り禁止になってるから、俺を置いていったとか)


 來見の所属する読書研究部など、多くの部活は試験終了後もその当日まで含めて休止するのが常であったが、精力的な部活においては必ずしもそうではなかった。香椎が参加しているサッカー部は試験終了後、直ぐにでも活動をする為に何か確認すべき事があるのかもしれないと、來見は予測を立てたのである。


(でもそれは嘘をついて説明しない理由にはならないよな。わざわざ隠す事でもないのに……急いでたから、話すのを面倒くさがったのか?)


 考えれば考えるほど、少し話せば済むところをあのように一方的に話を打ち切った事が不自然に思えてしまう。気心の知れた仲故のいい加減な態度や遠慮のなさはあっても、來見の意見に聞く耳すら持たないような拒絶的な態度は初めてだったのである。

 來見は神経質になりすぎている自覚がありつつも、思い立ったが吉日と部室棟へと歩を進める足を止める事ができなかった。




 來見は思い浮かべていた場所を目前にしていた。多くの教室に使われている引き戸の扉とは違い、外開きの防火扉のドアノブを回しながら押し開ける。その重たさに來見は思わず顔をしかめるが、ドアの隙間から見えた部室棟へと体を滑り込ませると、ゆっくりと後ろ手に扉を閉めた。


 部室棟は3階建てになっており基本的に壁や天井は付いているものの、(グラウンド)へ続く階段部分は露出しているという半屋外空間になっている。

 各階にいくつかの個室があるが、校舎へ直接出入りできる場所は先程來見が通ってきた扉のみで、外へ出るには当然階段を降りなければならなかった。

 來見の目に映る、ずらりと立ち並んでいる扉の殆どにドアプレートは付けられていない。要するに、どの個室が何の部活に割り当てられているのか、当事者以外は分からないようになっていたのであった。


 廊下の先にある、外へと続く階段の手すりが日の光を反射していた。一瞥した時に目に入ってしまったその眩しさに目を細めていると、扉の向こうから何やら言い争う声が聞こえてくる。

 嫌な予感を覚えながらも、來見は壁に背を預け携帯電話を弄る振りをし始める事にした。それは誰かに見咎められても、友人と待ち合わせをしているのだという言い逃れができるようにする為であった。


(……どんな揉め事かは分からないけど、頼むから暴力沙汰は止めてくれよ)


 今まで学校生活を過ごしてきた中でそんな話は聞いた事がなかったが、來見は少々不安になりながらも耳を澄まして動きを待つ。いざとなれば介入する事も辞さない構えではあったものの、その考えは杞憂に終わるのだった。


「いいか!これ以上、部内の空気を悪くするのは許さないからな!よく覚えていないなんて言い訳で、許されると思うなよ!……退部も考えておくんだな!」


 突然、並んでいる扉の一つが開き、叱責する言葉が辺りに響き渡る。声の主である男子生徒は部室の扉を開けた姿勢のまま室内へ向かってそう言い捨てると、來見の姿など見えていないかのように校舎内へと去っていった。


「で、香椎は?何か言うことないの?」


「……ありません」


「そう。じゃあ部室閉めるからさっさと出なー」


 扉の開け放たれた部室から聞こえてくる会話に耳を傾けながら、來見はじっと佇んでいた。ややあって室内から出てきた香椎の姿を認めると、向こうも來見の存在に気付いたようで目を丸くして此方を見つめてくる。


「あぁ、香椎の友達?じゃ気を付けて、すぐ帰れよ」


 立ち尽くす香椎を横目に部室の施錠をした男子生徒は、どうでも良さそうに別れの挨拶をすると先程の生徒と同様に去っていく。


「……よっ、ちょっと話があって探してたんだ。……帰ろうか」


 携帯電話をしまい、片手を上げて話し掛ける來見に香椎は何も言葉を返さずにいた。恐らく見られたくなかった姿を晒してしまった気まずさもあったのだろう。

 それでも香椎が小さく頷いたのを見て、來見は改めて帰路につく事にしたのだった。


「さっきの聞こえちゃったんだけど、何かあったのか。3年生だったよな、赤いサンダル履いてたし」


 來見の歩みに合わせて自転車に跨がる香椎がのろのろと進むのを見ながら、探りを入れようとする。

 体育祭の時にもそうしたように、來見は香椎と相対していた二人の足元を確認しており、赤色のサンダルを着用していた事――つまり香椎は上級生と揉めていたという現実を理解していた。


「うん、まぁ。ちょっとな」


「……何か困ってるなら――」


「あのさ!」


 顔色も歯切れも悪い香椎に、相談に乗る事を提案しようとした途端、突然大きな声で遮られてしまう。來見に口を挟む余地を与えないためだろうか、捲し立てるように香椎は言葉を続ける。


「試験中にこういう、余計な事は考えたくないんだよな!今は勘弁してくれねぇか……正直キツいんだわ!」


「じゃあ、試験が終わったら聞いて良いんだな?」


「……悪い!先に帰る!」


 あからさまに來見の追求を拒絶し、煙に巻こうとする香椎は逃げるように自転車を走らせる。來見は立ちすくみその後ろ姿を見送りながらも、普段は出さない大音声で呼び掛けていた。


「明日!試験終わったら聞くからな!逃げんなよ!」


 果たしてその声が届いたのかどうか、來見には判断がつかなかった。しかし例え香椎が逃亡したとしても、地の果てまで追い掛けてやろうという気持ちになっていた。決定的な場面に立ち会っておいて、追い詰められている友人を放っておく選択肢は、とうに存在していなかったのである。


 息をついた來見は、ポケットから携帯電話を取り出してその画面を眺め始める。受信されたメールはなくランプも点灯していない、至って平凡な状態であった。


「……何も、来てないんだな」


 いつもなら、ここで未来からのメールが来ていてもおかしくないと來見は思っていた。香椎についての情報が知らされずにいる事が一体何を意味しているのか、今の來見には分かるはずもなかったのである。




 期末試験終了日の当日、7月5日。來見は後ろの席から香椎を監視するかのように見つめ、逃亡を阻止する為に身構えていた。


「おい、話するって言っただろ」


 ホームルームを終え、生徒達が試験から解放された喜びに浮かれている雰囲気を感じ取りながらも、來見は何処かへ行こうとした香椎の腕を掴み足止めをする。


「……逃げねぇって。でも俺だけだと上手く話せる気がしないから、もう一人呼んでこようと思ったんだよ」


「じゃあ、俺もついてく」


「信用ねぇのな。……それなら一緒に3組に行くぞ。話もそっちでするから」


 疲れたような顔で言葉を発する香椎に來見は頷きを返す。例え転送装置(トランスポーター)による介入がなかったとしても、この状況は看過すべきではないと來見は半ば確信していた。


 二人して連れ立って目的の教室まで歩いていると、その道すがらに皆本(みなもと)とすれ違い片手を上げて無言で挨拶を交わす。今から白石(しらいし)と同様に吹奏楽部へ顔を出すのだろうなと思いを巡らせていると、あっという間に3組の教室まで辿り着いていた。


橙牙(とうが)、昨日言ってた話だけど今いいか」


 香椎が教室を覗き込み呼び掛けると、一人の男子生徒が反応を返した。橙牙と呼ばれたその少年は友人に断りを入れ、こちらへと近付いてくる。


「おう!そこのベンチ行こうか。ちょうど空いてるみたいだし」


 栗色の髪にアーモンド型の目を持つ橙牙は香椎と來見を誘導し、廊下の開けたスペースに設置されたテーブル付きのベンチへ腰を落ち着かせる。

 來見の対面に橙牙が座り込む。その隣へ腰掛けた香椎は軽く咳払いをすると、面識のない二人の為に互いの紹介を始めるのであった。


「こいつは高橋(たかはし) 橙牙、同じサッカー部の部員な。そんでこっちは來見 佑斗(ゆうと)、話が聞きたいって言うから連れてきた」


「よろしく。高橋って言いづらいだろ?橙牙で良いから」


「こちらこそよろしく。俺の事は好きに呼んでくれ」


 少し居心地の悪そうな香椎を横目につつがなく挨拶を終えた來見と橙牙は、早速本題に入ろうとする。香椎の気が進まないのは眉間にしわを寄せた表情から容易く察する事ができたが、來見は今回に限っては無視しようと決めていた。


「それで、どこまで知ってる?先輩と揉めてるのは聞いてるか?」


「昨日、偶然その場面に出くわしただけで、詳しい事は何も」


「なるほど」


 嘘をつく必要もないため至って正直に來見の現状を述べると、橙牙は刈り上げたマッシュヘアに手をやり、香椎へ黒々とした目を向ける。香椎が逃げるようにそっと視線をそらすのを目撃しながらも、來見は黙って成り行きを見守っていた。


「また呼び出されてたのか、無視すれば良かったのに」


「2回目はまたって言うほどじゃねぇよ。……余計なことして騒ぎを大きくしたくなかっただけだ」


「お前だけが嫌な目に遭って、貧乏くじを引く必要はないと思うけどな」


「……」


 黙りこくってしまった香椎に、橙牙は仕方ないものを見るような目を向ける。これ以上追求しても、この件に関しては考えを改める気は無いと判断したのだろう。橙牙は來見に説明をするという本題に戻る為に口を開いた。


「取り敢えず、最初から話してやれば?俺は適当に補足するから」


「こういうの、あんまり言いたくねぇんだよな……」


「良いだろ減るもんじゃないし。何なら俺も納得してないから、お前が話さないなら俺が代わりに言うだけだよ」


「……分かったよ、自分で話す。そうだな、事の発端は今から2週間くらい前になるんだけど……」


 橙牙に説得され、渋々といった様子で香椎は説明をする為に口を開く。來見は水を差さないように余計な反応は控える事を心掛けながらも、一つも漏らさず聞き取れるよう耳を傾けるのであった。




 試験期間を終えた今日、7月5日から遡り6月22日のこと。香椎を含めたサッカー部員達は試験前最後になる朝練を行いに、グラウンドへ集まっていた。

 準備体操を終えた部員達が練習用の備品を運ぶ為に部室や倉庫へ向かっていく最中、その事件は起きてしまった。


「……なぁ。壊れてるよな、これ」


「……うん、支柱が根本からバッキリ折れてるわ。昨日は普通に使ってたよな?」


「あぁ、練習中はどれも壊れてなかったはずだ……おい!昨日の鍵当番いるか!」


 その日、初めて部室の鍵を開けた生徒が異変を察知し、グラウンドへ向けて声を上げる。呼び掛けられた条件に該当する香椎と橙牙は顔を見合わせ、慌てて部室棟へと走っていった。


「自分達が昨日の当番です。何かありました?」


「これに、何か心当たりは?」


 首を傾げる香椎を、部室から呼びつけた強面の生徒――勢頭(せど) 灰里(かいり)は鋭い視線で睨み付ける。上級生の刺々しい態度に動揺しながらも指で示された方向に目をやると、そこには無残に壊れた備品が置かれていた。


「お前が昨日、片付ける時に壊したんじゃないのか」


「え!いやそんな事してないっす。確かに片付けたのは自分達だと思いますけど……」


「どう見ても自然に壊れた形じゃないだろう。練習中は使える状態だったのだから、誰が犯人かは直ぐに分かるぞ。隠そうとするなら……」


「いやいや!だから、違いますって!俺たち二人とも壊してませんよ!」


 端から決めつけるように香椎へ食って掛かる勢頭に、橙牙は思わず割って入る。勢頭は既に香椎か橙牙のどちらかが犯人であると判断していたのだろう。思わぬ反論に驚き、少し気圧されているようだった。


 束の間、静寂が訪れその場の人間は皆一様に口を閉ざしていた。互いの主張を咀嚼する為にも一度解散し、冷静さを取り戻す時間が必要だったのである。

 折よく会話が途切れた事で図らずもその場の収まりはつくかと思われた。しかしその時、もう一人の上級生が混ぜ返すように口を開くのを誰にも止められなかった為に、問題は悪化してしまう。


「へー。でも二人で口裏を合わせてたら、どうとでも言えそうだよな」


 空気を読めなかったのか、読まなかったのか。大角(たいかく) 啓樹(けいじゅ)は柔和な声で火に油を注ぐような発言をし、室内は途端に剣呑な雰囲気に逆戻りする。香椎は冷や汗をかきながらも、誤解を解く為に言葉を発していた。


「……少なくとも橙牙は昨日、俺より先に帰ったんで相談とかできないっす!何も知りません!」


「おい、それは今言うことじゃないだろ……!自分の弁護しろって!」


「そんなのメールすれば良いことだろ?どっちにしろ、アリバイにはなってねぇ気がするけどなー」


 互いに友人を庇おうとする香椎と橙牙に、思った事を口にしているだけといった大角は飄々とした態度を崩さない。援護されたと思ったのか、気を取り直した勢頭まで再び喋り始めようとしていた。

 しかしここで待ったが掛かる。騒ぎを治める為に、新たな第三者が部室へ入ってきたのであった。


「何を言い争ってるんだ!止めろ!」


 揉め事を聞き付けた部員が助けを呼んだのだろう。当事者達が声の方向に視線を向けると、部長である船来(ふなき) 功護(いさね)が腕を組み立っていた。


「こいつらが備品を壊したのを隠そうとしていたんだ!だから……!」


「落ち着け、何でそう決め付けるんだ。二人とも否定してたんだろ」


 仲裁には入れずとも、せめて事態を把握しようと部室の様子を伺っていた他の部員から、先に話を聞いていたのだろう。船来は極めて冷静に収拾をつけようとする。


「ここまで感情的になっているなら、お前達が直接話すのは禁止する。それぞれの言い分は順番に聞くから、一旦解散しろ」


 このままだとサッカー部以外にも迷惑がかかる、と船来の溢した言葉に香椎達は決まりが悪くなり押し黙る。

 勢頭は未だ何か言いたげな顔をしていたものの、少しは頭が冷えたのかその場では矛を収めたのだった。




「その後、俺たちは部長から事情聴取されて……最悪な雰囲気の中で朝練したってわけ。で、その場に居合わせて揉めた二人組が來見の見た上級生な」


「な、なるほど。でもあんな風に言われてたって事は……」


「未だに疑いが晴れてないって事だ。嫌になるよなぁ」


 語り終えた香椎はため息をつき、うんざりとした表情を浮かべる。その様子を見た橙牙は前もって宣言していた通り、補足する為に口を開いた。


「朝練の時は一時的に丸く収まったんだけど……放課後に練習してたら、また勢頭先輩がキレちゃってさ。一緒にいた大角先輩もやっぱり全然止めないし」


「挙げ句の果てに船来先輩がこれ以上揉めるなら、部長として責任をとって自分が辞めるって言い出したから……もう荒れに荒れて」


「あぁ……それで先輩達が余計に犯人捜しに熱を入れた結果、何か知ってそうな香椎にあんな風に詰め寄ったんだな」


 先日見た光景を思い浮かべながら納得したように來見が言葉を溢すと、橙牙は何度も深く頷き同意を示した。そして徐に携帯電話を取り出すと、いくつかの画像を表示して來見に見せてくる。


「これがその備品な。リバウンドネットって名前で、組み立てて使うんだけどさ。ここの支柱が折れてんの」


 異常がない場合の写真と見比べると、破損した備品は支柱部分が根本から折れ、自立できない状態になっていた。地面と接しているフレーム部分は表面が激しく削れ、へこんでしまっている箇所もある。


「あぁ所謂、壁打ち練習で使うのか。確かに何処かにぶつけたような痕もあるし、自然に壊れた感じじゃなさそうだけど……」


「そうそう。向こうの言い分だと朝一番に確認した時に壊れてたから、前日に片付けた俺らが犯人だって言ってるんだ」


「でも二人だけで片付けた訳じゃないだろ?同じ備品が何個かあるみたいだし……他の部員が言い出せなくなってる可能性もあるんじゃないか」


 橙牙の言葉を聞いた上で、來見は過失を打ち明けられずにいる人物が存在する事を推測していた。しかし來見の疑問に耳を傾けていた二人は揃って首を横に振る。深刻そうな顔を見るに確証があったのだろう。來見は黙って二人の言葉を待つことにした。


「確かに後片付けは皆でやるけど、間違いなくその備品を片付けたのは俺達だ。それははっきり覚えてる」


「備品が欠けてないか数える必要があるから、運びながら確認してたんだよな!結局、施錠前にもう一回チェックするんだけど」


「じゃあその日もちゃんと確認してたから……片付けた時も壊れてはなかったはずだ、と」


 香椎と橙牙の言い分を聞いた來見は、要点をまとめて聞き返す。その意見は間違えていなかったはずだが、香椎は物憂げな表情を浮かべ答えていく。


「そのはずなんだけど……実際のところ疲れてたせいか記憶が曖昧でさ。でも自分で壊してたら、さすがの俺でも正直に言うからな!それだけは分かってくれ」


「最初からその辺は疑ってないよ。要するに香椎としては身の潔白を主張しづらい部分があるから、先輩に言い返さずにいたんだな」


 保身の為に嘘をつく人間だとは思わないで欲しいと念を押すように言い募る香椎に、來見は努めて穏やかに応じる。言われずとも香椎に悪意がない事は承知していた上に、自分は味方だと少しでも安心させたかったのである。

 二人の会話を聞いていた橙牙は、興奮して身を乗り出していた香椎の背を宥めるように軽く叩くと、更に話を続けていく。


「今の事態は、あの日俺が途中で帰ったせいで起きた事でもあるんだ。俺がちゃんと冤罪だって証明できれば良かったんだけど……」


「鍵当番が一人だったりするのはよくある事だろ。別に橙牙のせいじゃねぇ。そもそも俺が帰って良いって言ったんだから、それは俺の責任だ」


 申し訳なさそうに眉尻を下げた橙牙に、香椎は強い口調で否定をする。來見が二人の語った内容を咀嚼し考えを巡らせていると、深いため息をつく音が耳に入ってきた。


「それに……もう良いんだよ。俺はサッカーできなくなる事より、自分が原因で周りがギスギスするのが一番キツいわ」


 それは香椎に以前から備わっている、人間関係に対する鋭敏さ故だろう。周りに迷惑をかけまいとした結果、サッカー部内での身の置きどころを失った上、その状況を受け入れている事が來見には分かってしまった。


「だからって辞める必要はないだろ!先輩だって明らかに言い過ぎだし……」


「あー止め止め。陰口とか百害あって一利なしだぜ、マジで」


 食い下がる橙牙にすっかり諦めた口調で語る香椎を見て、來見は自分のすべき行動を理解していた。誰に対するものでもなく一つ頷くと、二人にある提案をする為に口を開く。


「大体の流れと二人の言い分は分かった。真相は分からないけど……何も香椎が罪を被る必要はないと思う」


「犯人捜しって言い方は不本意だけど、俺は香椎が備品を壊したりしてないって証明したい。それも嫌だって言うなら無理強いはできないけど……」


 そこまで言うと來見は香椎の顔色を窺う。香椎は考え込むように腕を組み瞼を閉じていたが、徐に顔を上げると言葉を返した。


「ここまで時間が経ってると難しいと思うぜ。でもお前がやりたいって言うなら止めはしねぇよ。ただし事を荒立てるのは……」


「うん、分かってる。誰かへ無闇に迷惑をかけたりはしない」


「……おう」


 香椎の懸念を払拭する為に、來見は慎重に立ち回る事を約束する。同意を得る姿を見た橙牙は立ち上がり、やる気に満ち溢れた様子で声を上げた。


「よし!じゃあ証拠集めだな!」


「……の前にもう少し詳しく、当時の状況を教えてくれ。香椎の記憶が曖昧って話とかもな」


 浮き足立つ橙牙を宥めつつ、來見は苦笑して情報を引き出そうとする。無策に動き回るだけでは時間を浪費してしまうため、ある程度の見当を付けようと思ったのである。


「そうだな……じゃあ俺達が鍵当番だったの日の事から話せば良いか?」


「うん、よろしく」


 來見が促すと香椎と橙牙が交互に、当日の行動や状況を話し始める。2週間ほど前の出来事だったために細部には自信が持てない部分もあるようだったが、來見は大まかな流れを把握することができたのであった。

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