6-2 蓮下 陽彩
園渕モールの2階に到着すると少年――飛織はようやく來見と少女の腕を離す。
心の準備もなしに走らされた二人は肩で息をしていたが、暫くすると落ち着いて会話ができるようになっていた。
「……もう、急に何なの!迷子センターで呼び出されたと思ったら飛織はいないし!怖かったんですけど!」
「迷子……?イタズラでもされたんじゃない」
「何それ!悪質ー!」
会話の内容から飛織の姉――蓮下 陽彩と思われる少女は不満を爆発させ、堰を切ったように話し出した。
当然サービスカウンターで陽彩を呼び出したのは來見であり、飛織には何の事かさっぱり分からなかったのだろう。
來見はこのような事態を想定して上着を脱ぎ、サービスカウンターのスタッフと会話をしていた。陽彩に來見の容姿が伝わっていても、上着を着直す事で合致する条件を減らそうとしたのである。
監視カメラで確認されたり、來見が再度サービスカウンターへ行く事になってしまえば不自然な行動が全てが明らかになる。そうなれば姉弟に疑われるのは明白であったが、あまりにも突発的な出来事だった為に來見は手段を選べなかった。
そんな状況もあり、來見は陽彩の恨み言を心苦しい思いで聞きながら、佇む事しかできなかったのである。
「て言うか飛織、具合は?良くなったの」
「何か……治った。多分この人のお陰で」
「えっ?」
姉弟同士の会話から急に來見に話を振られ、思わず声を出して動揺してしまう。陽彩は言及された事で改めて來見の存在を思い出したのか、そそくさと姿勢を正すとこちらに向き直る。
「すみません、弟がお世話になったようで……えっと」
「來見くん!」
人見知りなのだろうか、陽彩が言葉を詰まらせていると間に割って入る声があった。背後を振り返るとパタパタと小走りで駆けて来る祝の姿が目に映る。
「祝!ごめん、放ったらかしにして……」
「ううん、気にしないで。それより体調不良の人は大丈夫だった?」
「多分……?もう大丈夫、かな」
來見は自身の配慮の足りなさを謝罪するも、僅かに息を切らして頬を紅潮させた祝は問題にも思っていないようだった。
飛織の容態を案じる祝に曖昧な返事をしていると、蚊帳の外に置かれた姉弟の会話が途切れ途切れに聞こえてくる。
「リア充だ……!ヤバいよ、直視したら溶ける!死ぬ!」
「……溶けたら冷凍庫に突っ込むか」
「そこで溶けるのを防ぐ事より後始末の方法を考えるところ、ほんとドライだよね!」
「……どうせリア充を見るのは止めないんだから、考えたって無駄だよな」
この効率人間!と罵倒なのか賛辞なのか分からない言葉が聞こえてきたところで、來見と祝は我に返り陽彩に目を向けた。
二人に注目された陽彩は、大きな声を出してしまった事を恥じたように飛織の背中に隠れようとする。
(ここで別れても問題なければ良いんだけど……大丈夫かな)
会話が止まった事で気まずい雰囲気がその場を包むのを感じながら、來見は不安を拭い切れないでいた。メールに記された時間は過ぎていたが、あの怪しげな女性が再び何かするのではないかという考えを否定できなかったのである。
「……あのね。私達買い物に来てるんだけど、良かったら一緒に回らない?洋服の相談とか、乗ってくれたら嬉しいんだけど」
「えっ、あの、私に言ってます?」
「うん!多分歳も近いよね?……ダメかな?」
來見が思い悩んでいると、祝が不意に姉弟達と同行する旨を提案する。話し掛けられた陽彩は勿論、來見も突然の行動に驚いていると祝はそっと耳打ちをする。
「心配なんでしょ?面倒見良いからね、來見くん」
「……そんなに顔に出てたか?」
「そんな事はないけど、何となくね。とは言っても、向こうが了承してくれるかは分からないけど……」
ひそひそと來見と祝が話していると、陽彩と飛織も同じく相談している様子が窺えた。
返答を待つ間に姉弟を観察していると、目元がよく似ている事が分かる。跳ね上がった目尻と緩い曲線を描く下まぶたを共通して持ち、陽彩だけにしかない右眉の下の黒子が、來見には印象的に映っていた。
「ど、どうしようナンパされちゃったよ、どうする?」
「……友達少ない陽彩には良い機会じゃないか?悪い人じゃないと思うし……俺はどっちでも良い」
「ううっ……一言余計だし、また私に丸投げするし……」
初対面の人間に対して早々に打ち解けろと言うのも酷な話ではあったが、陽彩は生来の引っ込み思案さ故に中々答えを出せずにいるようだった。祝も來見と同じように思ったのか、少し混乱している陽彩に向かって助け船を出そうと口を開く。
「ごめんね、困らせるつもりはなかったんだけど……私、友達の女の子とコーディネートし合うのやってみたくて。迷惑だったかな」
「友達!?め、迷惑っていうか。えっと、えっと……じゃあ、よろしくお願いします……?」
「いいの?ありがとう!勿論あなた達の買い物にも、お邪魔でなければ付き合うから!」
祝の悲しげな顔に罪悪感を覚えたのか、陽彩は結局流されるままに頷き承諾していた。陽彩のそんな姿を見て、先程の飛織が來見から渡されたチョコレートを無防備に口にしていた事を思い出す。
(弟の方はこだわりが無さすぎて成すがまま、姉の方は押しが弱いせいで流されるって感じだな)
「よし、じゃあ自己紹介しよう!私は祝 蕗沙、こちらは來見 佑斗くん。二人とも高校2年生です」
來見が姉弟の結果的に取る行動は似ていても、そこに至る思考の違いを見出だしていると祝が名乗り始める。紹介に合わせて軽く会釈をすると、陽彩も同じように返し口を開いた。
「わ、私は蓮下 陽彩です。こっちは弟の飛織。私も高2で、弟は中2です!」
「同い年だ!敬語、いらないからね」
「は……う、うん。それじゃあ、行こうか?」
陽彩は祝の距離の詰め方に戸惑ってはいるものの、嫌がってはいないようだった。その証拠に自分から進んで先導し始め、祝は体を弾ませて楽しそうに付いていく。
取り残された來見と飛織はお互いに視線を交わすと、何かが通じ合ったかの如く足並みを揃えて二人の後を追いかけるのだった。
「飛織、飛織!これどっちが良いと思う?」
すっかり意気投合した祝と陽彩は既に3件目の店に入っていた。そこでこの世で尤も難しい問題に数えられても良い、究極の質問が飛織に飛んでいく状況に遭遇してしまう。
陽彩は両手にそれぞれ色も形も違うトップスを掲げ、期待したような視線を飛織に送っていた。
果たして彼はどう答えるのか來見が固唾を呑んで見守っていると、飛織はゆっくりと口を開く。
「……陽彩から見て右側」
「だよね!ありがと!」
陽彩は自分の体に当てていた左手側の服を戻すと、アッシュグレーのサイドテールを揺らしながら再び祝の元へと駆け寄っていく。二人が何やら楽しげに会話をしているのを見て、來見は飛織に疑問をぶつける事にした。
「今の良く分かったな。俺、ああいう時はどっちも似合うっていう無難な回答しかできないんだけど」
「勘で、なんとなく。陽彩は昔から気に入ってる方を右手に持ってる事が多いんで。本人は無意識みたいですけど」
「それでも当てるんだから凄いよ。姉弟だから分かるのか?」
「まぁそこは長い事、一緒にいますからね……嫌でも分かるというか、分からざるを得ないというか……」
姉弟には姉弟なりの苦労があるのだろうか、飛織は声を落とし渋い表情を浮かべ始めていた。來見は一人感心していたものの、その姿を見て慌てて話題を変えることにする。
「あっ!あのさ、さっきの女の人の事なんだけど……そういえば飛織はどうして俺の渡したチョコは食べたのに、あの人のは断ったんだ?」
それはふと頭に浮かんだ話題ではあったが、疑問に思っていた事であった。実際にあの場で來見は反論を封じられ、上手く切り抜ける言葉が出てこない状況に立たされてしまっていたのである。
「來見さんが来てなかったら貰ってたかもしれないですけど……そもそも善良な人があんな押し売りしませんよね」
「それは……確かに」
「あと、俺達の様子を監視してたみたいな口振りだったじゃないですか。……不審者ですよね、普通に考えて」
來見が言い訳を考えるのに手一杯になっていた間にも、飛織は殊の外冷静に状況を見極めていたようだった。來見が納得できる根拠を――如何に女性が不審だったかを確かめるように順に答えていく。
(こんなに冷静な子なら、俺がいなくても大丈夫だったんじゃ……?)
「あとは……俺一人だったらあのまま無視してましたけど、來見さんが逃げたそうにしてたんで走りました。……いきなりすいませんでした」
來見が今までにも何度か思った自分の必要性を考え始めると、飛織が更に話を続ける。いきなり走り出した理由も分かったところで、來見には脳裏に閃くものがあった。
(あの女の人の強引さから見て、無理矢理食べさせたりとかもあり得そうだよな。それが誤嚥の原因になったか、もしくは……)
「いや、そっか。俺は全然大丈夫。むしろ助かったよ、ありがとう」
飴自体があの時不安に襲われた通り危険な代物だったのか、という思考を振り切り來見は飛織へ言葉を返す。感謝を述べられた飛織は照れたように視線を彷徨わせると静かに頷く。
そのまま年下の友人との会話に興じていると、來見に弾んだ声が掛けられた。
「來見くん、その……どうかな似合ってる?」
試着室から顔を覗かせた祝はそれまで着ていたスポーティーな服装とは一転し、夏らしい涼しげな装いに変わっていた。
青色のフレンチスリーブのノーカラーシャツに合わせた、白のロングスカートをはためかせる祝に、來見は暫し見惚れて言葉を失う。
「う、うんすごい似合ってる。……祝には明るい色がよく似合うな」
「そ、そうかな?ありがとう……」
來見が照れながら絞り出した精一杯の褒め言葉に、祝もはにかみ頬を染め俯いた。忙しなく指を下出に組んだり開いたりと落ち着かない様子を見せる祝に、來見もつられて浮ついた気持ちになる。
「あ、甘酸っぱい……!」
「……酸っぱい部分あるか?」
陽彩は顔を赤くして盛り上がり、飛織は邪魔をしないように静かに指摘しながら來見と祝を盗み見ていた。姉弟は水を差す気はなくとも、熱い眼差しを向けていた為に來見と祝は視線に気付いてしまう。
見つめ合い二人だけの世界を構築しつつあった來見と祝は、姉弟に興味津々に見られていた事に動揺しながらも、慌てて平静を装うのであった。
その後も四人は連れ立って、様々な店を回っていく。姉弟は料理も嗜んでいるようで、特に飛織が熱心に材料の目利きをしては幾つかの品を購入していた。
満足するまで買い物を堪能しているとあっという間に時は過ぎ去り、外を見ると既に日が落ち始めていた。
「わっ、もうこんな時間!ごめんなさい、付き合わせて」
「付き合わせたのはこっちも同じだから、謝らないで」
「二人も電車を使って来たんだよな?駅まで一緒に行こうか」
携帯電話を取り出し時間を確認した陽彩が申し訳なさそうに謝罪するも、祝は直ぐにそれを止めさせる。姉弟が不審者から絡まれないか見守る為にも來見が同行を提案すると、二人に異論は無かったようで快く首肯していた。
四人は園渕モールの正面出入口から外へ出ると、談笑しながら夕平郷駅まで歩を進めるのだった。
「それじゃあここで、今日はありがとう。楽しかったです!」
「あっ待って陽彩ちゃん、メアド交換しよう?これも何かの縁だと思うから」
「えっ、あの……喜んで!」
別れの言葉を告げ、來見達とは別のホームへ向かおうとする陽彩を呼び止め、祝は連絡先を交換しようとする。陽彩も満更ではなかったようで、笑顔を抑えきれず嬉しそうに応じていた。
「……俺達もするか?連絡先の交換」
「……それはまた、再会した時に取って置きませんか。きっとまた会いますよ、俺達」
「何それ、予言か?……良いよ、じゃあそうしようか」
祝と陽彩を眺めながら來見が話を振ると、飛織は預言めいた言葉を口にする。來見は未来からのメールを脳裏に浮かべつつも、飛織の目を見て笑って頷いた。
そうこうしている内に祝達は用を済ませ、改めて別れを惜しんでいるようだった。しかし陽彩達姉弟が乗車する電車が迫っていた事もあり、名残惜しげに手を振り合い別れる。
1番ホームへの階段を昇る姉弟を見送ると、來見と祝は自分達が乗り込む電車が停車する3番ホームへ足を運ぶ。梅雨が近付いているとは言え、未だ湿り気は多くない暖かな風を浴びながら來見は徐に口を開いた。
「ごめん、早味に行く約束だったのに、この時間だと部活帰りに寄るのと変わらないよな」
「いいよ、私は皆で買い物するの楽しかったから」
駅のホームに置かれている時計からも分かる通り、時刻は17時をとっくに過ぎていた。來見の発言は正しく、これから伊斗路駅に行きカフェ早味へ向かうとするには時間的にあまりにも遅かったのである。
「今日はもう帰るよな……どうしようか」
來見は思わず、考えていた事をそのまま口に出してしまっていた。何に対する問題提起なのか急いで取り繕うとして言葉を探していると、意外な事に祝の方から話を持ち掛けられる。
「それじゃあ今度は私から誘うね。……誘ったら一緒に行ってくれる?」
「も、勿論!いつでも行く!」
「……そっか!じゃあ約束ね!」
來見は祝の突然の申し出に呆気に取られ全身の動きを止めたものの、直ぐに我に返ると喜んで引き受ける。返事を聞いた祝は目尻を下げて約束を口にし、早速スケジュール帳を開いて予定を確認し始めていた。
改めて行くのならやはり香椎も連れていこうと言う話になり、後日三人で日程を調整する事を取り決める。二人は伊斗路駅まで電車に揺られるとバス停で別れ、その日を終えたのだった。
「うーん失敗しちゃったねぇ」
來見と飛織に置き去りにされた女性はゆったりとベンチに座っていた。二人に勧めていたキャンディの袋を剥がし、一つ口に放り込む。來見達に差し出した紙箱の中身は既にいくつか減っており、女性は何個口にしたのか自分でも分からなくなっていた。
「ユウラ、失敗したならもう行くぞ。やはりここはもう狩り場としては使えん」
何処から出てきたのかスキンヘッドの男性が女性の名前を口にし、園渕モールから離れようとする。その言葉からは、これまでに何人も同じようにして怪しげなキャンディを押し売りしていたことが窺えた。
「あんまり頭が回るようには見えなかったんだけどなぁ、残念」
「おい、聞こえてないのか。……また頭トンでるな」
ユウラと呼ばれた女性は視線を空に彷徨わせ、うっとりと夢心地な表情で言葉を溢す。その姿は、男性の言う通り尋常ではない状態になっていると言えた。
「……あれ、チカエいつ来てたの?早く声かけてくれれば良かったのに。飴たべる?」
「誰が食うか、そんなヤ……はぁ、もういい。行くぞ」
「はぁい」
おっとりとキャンディを渡そうとするユウラに、チカエと呼ばれた男は嫌悪感も露に撥ね付ける。チカエは呆れつつもユウラを伴い、車に乗る訳でもなく徒歩でその場を去っていくのだった。
「來見先輩、ちょっと良いですか?」
「ん?浦部か、どうした?」
翌日、読書研究部の司書当番としてカウンターに座っていた來見は不意に浦部に声を掛けられる。後輩のどことなく落ち着かない様子に首を傾げていると、浦部は來見を手招く仕草をして呼び寄せようとする。
「すいません先輩、少し席外しても大丈夫ですか?」
「どうぞ~」
來見は同じく当番であった部長に断りを入れ、浦部の元へ歩を進める。そのまま図書室から出るように先導した後輩を追い掛け廊下に出ると、浦部は振り返り困りきった表情を浮かべながら口を開いた。
「いきなりすいません。來見先輩に用事があるって言う人がいて……一応僕の友人なんですけど」
「用事?……友達?俺、中等生に知り合いはあんまりいないけど……」
「こんにちは」
來見と浦部が二人して困惑していると、廊下の影から姿を表した人物が声を掛けてくる。
「飛織……!?」
どう見てもそれは先日出会った、蓮下 飛織その人であった。浦部同様、伊斗路高校中等学部の制服に身を包み、紛れもなく本校の生徒であると認識できる。
來見は突然の出会いに目を丸くし、暫し言葉を失ってしまうのだった。




