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平成トランスポーター  作者: 夏名
13/54

6-1 園渕モール

 6月10日、昼下がり。その日、來見(くるみ)香椎(かしい)は地元の伊斗路(いとみち)市から離れた夕平郷(ゆうひらごう)にある、とある高校の体育館でバスケットボールの試合観戦をしていた。

 観戦席が備えられている訳ではないがギャラリーからは眼下に広がるコートがよく見え、二人が応援する人物を見つけるのは非常に容易い事であった。


「こうやって上から見てると、バスケって滅茶苦茶走らされる競技だって分かるな……」


「攻守がコロコロ代わるからなー。気抜いてるとすぐにボールがコートの反対側に飛んでいくし」


 紺色のユニフォームに身を包んだ(ほおり)がチームメイトにパスを出し、ゴール下まで走り込むのを見ながら二人は言葉を交わしていた。

 香椎は空腹だったのか、事前に立ち寄ったコンビニで購入していた小袋のチョコレートを開封し食べ始める。

 体育館の1階アリーナ内は飲食が禁止されていたものの、來見達のいる2階部分では許可されていた為、特に注意することもなく話を続ける事にした。


「あれだよな、思った以上に身長のハンデが大きい」


「パスが頭上を抜けてったら止められねぇからな。勿論身長が低くても、それはそれで利点はあるけど」


 ファウルとか貰いやすかったりするし、と香椎が呟いた途端示し合わせたようにホイッスルが鳴り響く。

 どうやら祝がシュートの為にジャンプしたところに、相手チームの不当なガードがなされたという判断のようだった。


 フリースローの権利を与えられた祝は落ち着いてシュートを放っていく。2回連続で得点を決めることに成功すると、自陣のゴールを守る為に引き返していくチームメイトと軽く手を叩き合う姿が見えた。

 ディフェンスに転じた祝達のチームは慎重に試合を進めているように思える。失点を防ぎ堅実な勝ちを狙う。見識の浅い來見にも、試合の流れが祝達に来ていることが理解できた。


「……まぁ最終的には個人のテクニックの習熟度と、相手を出し抜く技術力が物を言うんだろうけどなー」


 試合を眺めていた香椎がぽつりと溢す。フリースロー中は観客を含め場内が静まり返るために、空気を読んで切り上げていた会話を続けたくて口を開いたようだった。


「そこはチームプレイがよりできる方が勝つ……とは言わないんだな」


「大前提として大切な事ではあるけどな。ギスギスした中で練習とか、やってらんねーし」


 自身の経験から出る言葉なのだろう。香椎はしみじみとした口調で語り、來見の疑問に答えていた。

 暫くして、耳をつんざくようなブザーの音が辺りに鳴り響く。音の出所であるタイマーは試合の終わりを知らせ、それぞれのチームの獲得点を示していた。


「祝達の勝ちだ」


「うん、良い試合だったな」


 祝の所属するチームが勝利していた事が観客にも伝わり、健闘を称える拍手が送られる。選手達は仲間と喜びや悲しみを分かち合うのもそこそこにコート上へ整列すると、互いに一礼して試合を締め括るのだった。




「ごめんね、お待たせしました!」


 体育館の外で待っていた來見と香椎に祝の声が掛けられる。二人に駆け寄る祝は下半身はユニフォームのまま、上半身には自身の名前と高校名が刺繍されたトレーナーを着込み、リュックとボールバックを背負っていた。

 一方の來見と言えば灰色のパーカーに深緑のアウターを合わせ、黒のデニムにショルダーバッグという私服であった。香椎はオーバーサイズの白いTシャツにジーンズというラフな格好で、要するに三人が並ぶと不思議な集まりに見られそうな装いとも言えたのである。


「お疲れー」


「お疲れ様。そんなに待ってないから平気だよ」


 香椎と來見は気にした様子もなく言葉を返す。祝は安堵したように息を吐き、申し訳なさそうに口を開いた。


「応援に来てくれたのは嬉しかったけど、わざわざ付き合わせちゃってごめんね。伊斗路で待ち合わせでも良かったんだけど……」


「どうせ暇だったし、気にすんなよ。直近で全員の日程合うのも今日くらいしか無かったし」


「むしろこっちが勝手に押し掛けたようなもんだし……試合は見てて面白かったから」


「……そっか!それなら良かった」


 香椎と來見の言葉に祝は頷き、納得を示す相槌を打つ。

 來見達は以前の約束通り、三人でカフェ早味(はやみ)を訪れようとしていた。

 來見は比較的(突然の転送装置(トランスポーター)によるメールが来なければ)時間の融通が利く方だったのだが、香椎と祝は部活の関係上祝日にも予定が入ることがあった。だからと言って先送りにすると次は期末考査と日程が近すぎるという弊害が生じる為、今回は少々無理矢理に都合を付けていたのである。


「よし、じゃあ駅まで出発ー」


「おー!」


 香椎の言葉に祝は元気よく返事をし、目的地へと歩を進め始める。二人の姿を視界に捉え和やかな気持ちになりながら、來見も後に続いたのだった。


「やっぱり出掛けるなら日中の天気が良い休日に限るな。平日の部活終わりだと、こうは行かねぇから」


「学校帰りだと時間が遅くなっちゃうから、ゆっくり出来ないしね。今日は試合が予定通りに終わって良かったよ」


 香椎が軽く伸びをして、昼下がりの爽やかな空気を吸い込みながら話を振る。祝は同意しつつも、何より定刻に試合が終わった事を安堵しているようだった。


「3年生は最後の、引退試合だったよな。……それならこの後に打ち上げとかあったんじゃ?」


 事前に聞いていた話では、祝達のチームは関東大会の予選で敗退した為に、本日の交流戦をもって3年生は引退する事になっていた。そうなれば、これまでの労をねぎらう場が設けられるのが自然だと考えていたのだが、祝の言葉によってそれは否定される。


「ううん、打ち上げは引き継ぎの日にやるから大丈夫!そっちは学校じゃないと出来ないからね」


「そっか。確かに積もる話もあるだろうし、他校とか外でやるもんでもないか」


「……て言うか、それだと夏は3年いない事になるけど、インハイはどうすんの?」


 祝の返答によって疑問が解消された來見が一人納得していると、香椎が言葉を挟んでくる。バスケットボールに詳しくない來見でさえも知っている単語が出てきた事に、思わず興味を持って耳を傾けていた。


「インターハイは申し込んでるよ!3年生抜きで予選を勝ち抜くのは難しいと思うけど、良い経験になるからね」


 インターハイ――高校総体とも呼ばれるそれは三大タイトルにも数えられる、バスケットボールに青春を捧げる高校生達にとって非常に重要な大会であった。

 当然その戦いは予選においても苛烈を極めた物になるのだが、伊斗路高校のチームはそれはそれと割り切っていたのだろう。祝の口振りからもやれるところまでは頑張るが、高望みはしていない事が窺い知れた。


「3年がいたら結構違ってくるのになー勿体ねぇ」


「まぁまぁ。私だって3年生の夏休みは受験勉強に当てたいと思うし……最初からインターハイを目指してる人は、それに相応しい高校を選んでるだろうしね」


 口を尖らせる香椎に、いっそ清々しい程に立場をわきまえた祝が、宥めながら優しく諭す。それは姉が弟を諌めるような微笑ましい状況の筈なのに、來見は何故かその姿に諦観と悲哀を見出だしてしまう。


「それに、もう予選が近いのに、練習しないで今から遊びに行く私が何か言える立場ではないから」


そう続ける祝の姿は必要以上に自責の念に駆られているように見えた。來見は居ても立っても居られない気分になり、思わず口を開いていた。


「…祝は色々気にしすぎだよ。息抜きは悪いことじゃないし、今日だって練習から抜け出して来た訳じゃないだろ?」


「そうそう、試合に勝てなくたって誰か一人のせいにはならないぜ。もっと気楽にやんなよ」


「そうかもね。……ありがとう」


來見と香椎の個人的な意見に、祝は未だどこか浮かない顔で返事をする。口にした容認の言葉は、込められた感謝の思いとは裏腹にこれ以上の追求を拒絶しているようだった。




「……あっ!」


「うわっ何だよ」


 來見が物思いに耽っていると、突然香椎が大声を上げる。何処と無くわざとらしいその声に來見は一瞬体を揺らすと、疑問を呈することにした。


「いやーごめん!急に緊急の予定が入っちまって」


「緊急?」


 自分の携帯電話を持ち上げ、見せ付けるかの如く左右に振りながら香椎は言葉を続ける。祝の質問に対し限界まで眉尻を下げる香椎を見て、來見は既に余計な事を言い出す気配を読み取ってしまっていた。


「家に誰もいなくなるから留守番してろって言われてさー。うちの親、心配性なんだよな」


(……そんな話、今まで聞いたことないけどな!)


 それはどう考えても來見を祝と二人きりにしようとする為の方便であった。要らない世話を焼こうとする香椎を見て、嘘を指摘しようと來見は口を開く。


「それは……」


「じゃあ早く帰らないと!駅まで走ろうか?遅かったら置いていって良いよ」


 突如として祝に遮られてしまった來見は反論する隙を失ってしまう。おまけに祝は明らかに今すぐ解散しようとしており、香椎の意見が通ったところで、來見と二人きりでお茶をするという状況は消え失せるだろうという未来が予想できた。


「いやいや!俺だけが走って帰れば良いから!折角なんだから二人は行ってこいよ」


 俺の分も楽しんで!と軌道修正したい焦りからか、香椎は早口で捲し立てる。祝は勢いに呑まれたのか、目を瞬かせ頷いてしまっていた。


「これ詫び!じゃ後日、感想よろしく!」


 香椎は來見と祝の追求が途絶えた今が絶好の機会だと捉えたのか、先程食べていた物と同じ小袋のチョコレートを投げつけ走って行った。

 嵐のように去っていく香椎の後ろ姿を見つめながら、來見が祝へ無言でチョコレートを分けているとポケットの中で携帯が震えるのが分かる。


「ごめん、ちょっと良いか」


「どうぞどうぞ」


(絶対香椎だ……)


 きっとこの状況をおちょくるか、あるいは香椎自身の行動を褒める内容を送ってきたのだろうと予測し、呆れながら携帯を取り出す。

 一言文句でも言ってやろうと思い目に入った画面には、自動的に開かれた未来からのメールが表示されていた。


「2012年6月10日15時20分、夕平郷の園渕(そのぶち)モール1階東出入口、弟が窒息死した事で蓮下(れんげ) 陽彩(ひいろ)は行方不明になる。」


(またこのパターンか……!)


 現在の時刻は14時50分を示している。來見は眉間を揉むと見知らぬ誰かを救う為に、何をすべきか考えを巡らせ始めるのだった。




「いきなりごめん、付き合わせて」


「いいよー全然大丈夫!靴は……2階かな?」


 メールに書かれていた園渕モールは、幸いにも駅近くという進行方向上にあり自然な流れで立ち寄る事ができた。

 祝には幾つか見たいものがあると言って付き合ってもらい、機を見て來見は単身現場に向かうという魂胆だったのである。


「大きいから一杯お店あるね!見てるだけで楽しいかも」


「そうだな、じゃあ最初はここに入るから……」


 トコトコと後から付いてくる祝に胸をときめかせながらも、來見は平静を装って先導する。適当に店内を見て回ると、まるで今まさに思い立ったかのように口を開いた。


「……悪いちょっとトイレ行ってくる。祝も好きなように見てて良いからな」


「はーい、行ってらっしゃい」


 來見は祝に見送られると足早に店を離れる。角度的に店内にいる祝からは見えない事を確認すると、素早くエスカレーターに乗り込み1階を目指すのだった。


(例によって要領を得ない文面だけど、俺の読解力がおかしくなかったら、東出入口で弟の方が窒息死するからそれを回避すれば良いんだよな?)


 弟が窒息死すると蓮下 陽彩という人物が行方不明になるという因果関係は全く理解できなかったが、裏を返せば弟が生存すれば行方不明にならないという事である。少なくとも來見はそのように受け取っていた。


(どうせならその弟が窒息死に至る原因を教えて欲しかったけど……不親切なのはいつもの事か)


 あるいはその原因を書く事よりも、蓮下 陽彩が行方知れずになる深刻さに警鐘を鳴らしていたのか。そうは言っても未だ面識のない人物の末路だけを知らされたところで、來見としては実感が伴わないままであった。


「……何にせよ、俺が何とかできるならやるしかない」


 自分の行動で現状を打破できるのなら、そうするまでである。來見は脱いだ上着を鞄に詰めエスカレーターを降りると、まずはサービスカウンターへと向かうのだった。


「すいません、連れとはぐれてしまったので呼び出してもらえませんか。携帯の充電が切れてしまって」


「はい、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「蓮下 陽彩です、弟が呼んでいるってお願いできますか」


 來見は自分の情報を与える事なく陽彩を呼び出そうとする。それは來見が陽彩に会う訳ではなく、陽彩の足止めをする為の仕込みであった。


(行方不明ってのが自分から失踪したのか、連れ去られたりしたのかは分からないけど、取り敢えず人目の多い店内で留まってもらうのが良いはずだ)


(これでまだ店内にいなかったりしたら、呼び出した意味が無いんだけど……弟と一緒にいたら直ぐにバレる嘘だしな。そもそも年齢だって分からないし)


 思いを巡らせながらも來見はこの姉弟は、少なくとも二人だけで買い物に行ける年齢だと推理していた。幼い子供に親が付いていない状況はおかしい上に、そうであれば窒息する前に対処し、娘を行方不明にはさせない筈だと思っていたのである。


來見が考え込んでいる間にもスタッフは店内放送をしてくれているようだった。一切の疑いもなく速やかに行動に移す姿に感謝の念を抱きながらも、來見は次の手を打っていく。


「すいません。少しトイレ行ってきても良いですか、戻ってくるので」


「構いませんよ。お連れ様がいらっしゃいましたら、こちらからお伝えしておきます」


「ありがとうございます」


 にこやかに応対するスタッフに罪悪感を覚えつつ、來見はその場を立ち去る事にする。勿論、戻る気は一切なく真っ直ぐにメールに記されていた東出入口へと足を向けるのだった。


 フロアガイドを頼りに急ぎ足で目的地へと向かうと、そこは何の変哲もない出入口だった。ショッピングカートが並べられているが、他には特別なものはなく人気もない。


(中にいないなら、外か)


 來見は鞄から上着を取り出し再び羽織ると、そのまま外へ出て該当者を探す事にした。




 屋外に出て辺りを一瞥すると、ベンチに座り込む少年の姿が目に映った。他に人影はなく、体格から推定すると中学生か高校生くらいに見える。


 來見は不意に窒息と聞いて脳裏に浮かんだ考えを思い出していた。カフェ早味(はやみ)での経験を踏まえ、可能性の一つとして火災による窒息死もあり得るのではないかと予想していたのである。

 しかしその考えは直ぐに打ち消される事となる。何故なら実際に東出口店内に人は居らず、少年の存在する屋内という酸素が確保された空間では一酸化炭素中毒になる訳がないと気付いたからであった。


「はぁ……」


 手元に持った紙パックのジュースから口を離し、少年は大きくため息をつく。

 來見はその顔色があまり良くないことに気付き、恐る恐る口を開いた。


「あの……大丈夫?具合悪いんですか?」


「え?あぁ、少し……乗り物酔いしただけです」


 少年は怪訝そうな表情を浮かべたものの、來見を同年代の人間だと思ったのか、警戒を解き言葉を返す。

 飲み干された紙パックが少年の手によって分解され、瞬く間に畳まれていくのを見ながら來見は更に会話を続ける事にした。


「一人ですか?店に入れば救護室で休んだりできますよ」


「姉と来てるんですけど、先に行かせたんです。……時間が勿体ないし俺は外で空気吸ってれば良くなるんで」


「そうでしたか……」


 來見はここまでのやり取りで名前を聞き出す事はできていなかったが、この少年がメールに記されていた弟であると直感していた。そして恐らく姉である陽彩は今頃、サービスカウンターで立ち往生しているだろうという状況も同時に理解する。


「ええ、だから俺の事は気にしなくても大丈夫です」


「いや……俺も勝手に心配になっただけだから」


 会話が途切れてしまった事で、この場に留まる理由が無くなってしまった來見は途方に暮れる。何か上手い言い訳がないか頭を働かせる一方で、少年は微動だにしない來見を意にも介さず懐から飴玉を取り出していた。


「……も、もしかしてお腹空いてる?」


 來見の脳裏には窒息死という単語がよぎっていた。飴玉なんて正に窒息を引き起こしそうな物そのものである。メールの情報がある以上いかにも誤嚥しそうなものを見逃す訳にはいかないと思い、來見は行動を遮るように言葉を発したのだった。


「腹は……それほどでも。ただこういうものを食べると良くなる気がするんで」


 乗り物酔い、と短く付け加えた少年に來見は素早く鞄からあるものを取り出した。そのまま少年に香椎から投げ付けられた未開封のチョコレートを差し出し、飴玉以外の物を食べさせようとする。


「これあげるよ。チョコって頭痛にも効いたりするらしいし、乗り物酔いにも効くかも」


「はぁ……どうも」


 焦りから敬語の崩れた來見を気にも留めず、少年は渡されるままにチョコレートを食べ始める。來見は思った通りに事が進んだ状況に安心すれば良いのか、そのあまりの頓着のなさを心配すべきなのか複雑な気持ちを抱いていた。


(これで回避できたなら良いんだけど……窒息死は偶然起きたものであって絞殺とかではないって思いたいけど、どうなんだろうな)


 すっかり物騒な選択肢を視野に入れる事に抵抗の無くなってしまった來見は、一人考えを巡らせる。

 無心でチョコレートを口に運ぶ少年を横目に時間を確認すると、丁度15時20分を越えようというところだった。


(一人にさせなかったら、誰かに手を出される事も無いはず……店内に連れていくか、祝に連絡してこのまま付き添うか?)


 どちらにせよトイレに行っているにしては時間が掛かりすぎている事に変わりない。素早くメールを作成すると、体調不良者の付き添いをしている旨を祝に伝えるのだった。


「……もしかして暇なんですか?」


「えっ、いや何というか、心配で……」


 すっかりチョコレートを食べ終わった少年が、いつの間にか來見を見つめ質問してくる。咄嗟に出てきた來見の言葉に嘘はなく、少年も不思議そうな顔をしているものの反発する様子は見せなかった。


「……体調はどう?少しは良く……」


「こんにちはー」


 世間話でもしようかと來見が口火を切ると、それを掻き消すように割って入る声があった。來見と少年が視線を向けると、そこには20代くらいの女性の姿があった。


「君達、学生さんかな?少しお話ししようよ」


 緩く巻かれたローズピンクの髪を揺らし、どこか茫洋とした眼差しで見つめられると來見は妙に落ち着かず、警戒心を抱いてしまう。


「いえ、僕達急いでるので……」


「嘘だよ。ずっと二人でお話ししてたよねぇ」


 來見は機転を利かせて少年を連れ立ち去ろうとしたものの、見透かされていたのか即座に否定される。

 女性の表情は穏やかで人の心にするりと入り込むような蠱惑的な声をしていたが、來見にはそれが却って恐ろしく感じられた。


「そんなに警戒しないで、ね?私はテスターを探していただけなの。君達くらいの子どもの意見が欲しくて」


「テスター?」


 話を聞いている内に気を許してしまったのだろうか、少年は女性の言葉に反応し発言を促す。女性はパッと顔を輝かせると手慣れた様子でトートバッグから小包を取り出し、目の前で開けて見せた。


「これねぇ、試供品のキャンディ。若者向けの新商品だから味見してくれないかな」


 女性の手の中には簡素な紙箱が鎮座していた。言葉通り試供品だからなのかパッケージには何も描かれておらず、中には個包装されたキャンディが整然と並んでいる。

 確かにたった今開封したのだから、警戒する必要は無かったのかもしれない。しかし來見は未来からもたらされた情報のせいか、一抹の不安を覚えていた。


「……すいません。知らない人から物はいただけないので……」


「ふーん?じゃあ君は?このお兄さんとは面識ないのに、チョコを貰ってたでしょう?」


 來見はごく自然な断り文句を口にし怪しげな誘惑を受け流したのだが、女性は標的を少年に変えただけだった。その発言は來見からすれば耳の痛い話であり、反論を封じられてしまったも同然であった。


「ねぇ?どうかなぁ、純粋なリサーチなんだけど」


「……いや、俺も大丈夫です。すいません」


 グイグイと迫る女性を來見はどう止めるべきか知恵を絞っていると、意外にも少年はやんわりとだが拒否する姿勢を見せる。

 二人に拒絶されたのが気に食わなかったのか、女性は不満げな声を上げると途端に甘く囁いてきた。


「ね、私を助けると思って協力してくれない?あっ、名刺でも見せたら信用してくれる?連絡先も載ってるよ」


 懐から黒い名刺入れを取り出し少年に名刺を渡そうとする女性を、遮るように來見は体ごと割り込んだ。それは全くの考えなしの行動で、後でどう取り繕うのか自分でも分からなかったが、結果的に状況は上手く転がっていくのだった。


「……あえっ!?」


「走りますから」


「うわ、ちょっ首締まる!」


 これまでベンチに座っていた少年が突然立ち上がり、來見が提げていたショルダーバッグの紐を背後から強く引く。そして來見の腕を掴み宣言通り走り出すと、來見も引き摺られるようにしてその場を立ち去るのだった。


 來見が蓮下の弟を探す為に出てきた東出入口にそのまま駆け込むと、丁度外へ出ようとする数人の通行人とぶつかりそうになる。


飛織(とおる)!?」


 二人が人混みを避けて走り去ろうとすると、驚きに満ちた少女の声が上がる。

 飛織と呼ばれた少年は声の主である少女の腕を掴むと、エスカレーターを駆け上がるまで止まる事はなかったのだった。

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