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死神 凛  作者: 真桑瓜
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天狗


天狗



                    1




「囲炉裏に火ば起こさんね。ちいっと寒うなってきたばい」熊さんが二人に言った。

連休を利用して、熊さんは一郎と洋を椿山にある尼寺、弥勒寺に連れて来た。

尼寺なので、男は庫裡には泊まれない。寺の裏側にある炭焼き小屋が今日の宿坊である。

「うん、分かった。熊先生、そこの炭使っていいの?」一郎が小屋の隅に置いてある炭を指して言った。

「そん炭は、以前此処で修行してござった武術の達人が焼いたもんたい」

「へ〜、その人強かったの?」洋が訊いた。

「強か、天狗のごたったな。おいはそん人と戦いたかったとじゃけど、槇草さぁに先ば越されっしもうた」

「ねぇねぇ熊先生、槇草先生とその人、どっちが勝ったの?」

「引き分けじゃった」

「熊先生なら勝てたかなぁ?」

「分からん、勝負は時の運じゃっで」

「ふ〜ん」

「熊先生は、本物の天狗に会った事ある?」今度は一郎が訊いた。

「あっど、京都の鞍馬山で山籠りばしよった時に会うた」

「本当!牛若丸が天狗に剣術を習ったところだよね。その話聞きた〜い!」洋が言った。

「よかよ。ばってん先に火ば起こさんね、火ば見ながら語って聞かしゅうたい」

二人は大急ぎで火を起こす。熊さんは、妙心館で時々風呂焚きをさせている。その経験が役に立った。

「自在鉤に鉄瓶ば掛けんね。湯気で小屋が温くうなるけん」

ようやく、鉄瓶の口から湯気が上がり始めた頃、熊さんはポツリポツリと語り出した。


「あいは五年ばかり前んこつやった。鞍馬の山は桜が満開でな。じゃっどん、京都の山ん中はそげんか季節でん、ほんなこて寒かった」

「鞍馬山は、昔から修験道の修行する山じゃっで岩場は険しかった」

「そん岩場に岩屋があって、おいがそん中で座禅ば組んどったと思わんね」

「うん」二人はこくんと頷いた。

「あれは、三日目の夜じゃった。半眼に閉じた目の前に烏天狗の現れた」

「おいは、瞑想の中に迷い込んだ雑念じゃち思うて無視しちょった」

「そしたらそん烏天狗がこう言いよった。『おぬし、何をしておるのじゃ?』」

「おいは、これは妄想じゃ、返事しちゃならんち思うてまた無視ばした」

「そしたら今度は後ろから声のした、『烏、どうした?』」

「さすがにびっくりして、おいは振り返った。そこにおったのは鼻の高い天狗じゃった」


「烏天狗が答えた。『鼻高、この人間が儂を無視するのじゃ』」

『何!近頃の人間は傲慢じゃ。牛若はもっと素直じゃったぞ』

「わいどん達ゃなにもんな!」熊さんは前後を振り返りながら訊いた。

『見れば分かろう、天狗じゃよ』烏天狗が言った。

『やっと骨のある人間が来たんで、武術の極意を教えてやろうと思って来てやったら無視しおって、無礼であろう!』鼻高天狗が言う。

「そげん言わはってん、ほんなもんの天狗どんば見たこつは初めてじゃっで・・・」

まさか本当に天狗がいるなんて・・・度肝を抜かれた熊さんが、恐縮して頭を掻いた。

『最近の人間は理屈が多くていかんわい。どうだ、極意を教えて欲しいか?』

「そりゃ、教えてくるっならこげな有難かこつはなか」

『そうか。まぁ、仕方あるまい・・・お主、名はなんという?』

「ま、前田行蔵ちいいもす」

『行蔵か、覚えておこう・・・ところで行蔵、おぬしは今何をやっておったのじゃ?』烏がまた同じ事を訊いた。

「座禅ばしよったとです」

『そんな事は見ればわかる、何の為にじゃ?』

「集中力ば養う為でごわす」

『集中力? はて、何の事だ?』

「目の前んこつに、心ば集めるこっです」

『何故そんな事をする?』

「目の前の敵に集中するこっで、遅ればとらんごとすっとです」

『なら、背後の敵は何とする?横は?斜めは?』烏天狗が畳み掛けるように訊いた。

「じゃっどん・・・」

『隙ありじゃ!』背後の鼻高が、いきなり熊さんの頭を殴った。

「イテッ!なんばすっとね?」熊さんが頭を押さえて振り向いた。

『また隙ありじゃ!』今度は前の烏が熊さんの頭をポカリとやった。

「わっ、たまらん!」熊さんは横に跳んだ。

『無駄じゃ!』そこには別の烏天狗がいた。

熊さんは、反対側に跳ぶ。

『遅い!』そこにもまた別の鼻高がいる。天狗は四人に増えていた。

『心を一点に集中するという事は、心が対象にべったりと貼り付いて離れんという事じゃ』

『それは、他の対象を見ることを放棄するということでもある』

『心を回せ!』

『心を拡散させよ!』

四人の天狗は口々に言った。

『お前がその事を会得するまで儂らは此処で見ておるぞ・・・また会おう』

ふと気が付くと、天狗の姿は消えていた。


「おや?えらいおとなしかち思うたら・・・」

洋と一郎は座ったまま目を閉じていた。熊さんは二人を布団に運び、それから暫く昔を懐かしむように囲炉裏の火を見つめていた。




                     2



「頼も〜ぅ!」

大声で訪う声がする。

「頼もぅ!誰もいないのか?頼も〜ぅ!」声の主は苛立っていた。

平助は道場の奥の部屋で昼寝をしていたが、気怠そうに立ち上がって玄関に出た。

にそぐわぬ、きちんとスーツを着た若い男がそこに立って平助を睨んでいた。

「昨晩飲み過ぎてな、ちと寝ておった・・・何用じゃな?」平助が尋ねる。

「ここに前田行蔵という男がいる筈だが?」

「前田?ああ、熊さんのことか」

「その男をここに呼んでもらいたい!」

「何故じゃな?」

「お主に説明している暇は無い。いいから呼べば良いのだ!」男は高飛車に言った。

「さっきからせっかちなお人じゃ。呼んで来るのは吝かではないが、理由が分からねば呼ぶわけにはいかん」

「熊さんは儂の弟子じゃ。訳も分からず、お主のようなものに合わせる訳にはいかん」平助はわざと男を焦らした。

「煩い、これ以上の問答は無用だ。入るぞ!」

男は平助を押し退けて道場へ上がろうとした。

「無礼者!」平助の裏拳が男の顔面目掛けて飛んだ。

「チッ!」男は身を沈めて平助の拳を躱し道場に飛び込んで受け身をとった。

「ほう、その身のこなし、只者ではないな?」

「お主こそ、ただの爺いと思ったが・・・」

「面白くなって来たわい。近頃、儂の活躍の場がめっきり少のうなってのぅ」

「減らず口を叩くな!」

「どうじゃ、儂に勝てば熊さんを呼んで進ぜよう」

「面倒な!」

男はいきなり飛び上がった。頭が天井に届くかと思うほど高い跳躍だった。

ケーッッッッ!化鳥のような叫びと同時に蹴りが飛んできた。

平助は蹴りの下を掻い潜り男の後方に出た。

男は着地と同時に振り返り構えを取った。一部の隙も無い見事な構えだった。

平助が横へ移動すると、男も間合いを保ったまま着いて来る。前へ出れば退がり、後退すれば前に出た。

「それでは拉致があかぬぞ」平助が言った。

「お主が思った以上に出来るからな。ここはじっくり腰を据えてやる事にした」

「ほう、さっきのせっかちはどこへ行ったのじゃ?」

「相手による」

「そうか・・・」

平助が、滑るように間合いを詰めた。

「なにっ!」

男にとっては一瞬の出来事だったに違いない。既に躱すのが不可能な程、平助の拳が迫っていたのだから。

正確な正中線上への攻撃は、どちらに躱しても間に合わない。

ところが、男は実に異様な動きをした。自ら平助の拳に向かって前に出た。

平助の拳が男の鳩尾を貫いた瞬間、目の前の男の躰が二つに分離した。

一人は、確かに目の前に倒れている。もう一人は誰だ?

平助は混乱した。立っていたのは奇怪な姿をした化け物だった。


「それは、天狗憑きです」何処からか凛の声がした。

「凛、おるのか?」平助が道場を見回した。

「武術など一度もやったことの無い人間が、ある日突然武術の達人になる事があります。それを天狗憑きと言うのです」

声のする方を見ると、凛が化け物の後ろに立っていた。

「何者だ!」化け物は驚いたように振り返って凛を見た。

「私は死神。貴方は天狗ですね?」

「ふん・・・恐ろしい爺さんと言い死神と言い、ここは化物屋敷か!」

「何を言う、化け物はお主ではないか」

「儂は烏天狗じゃ、化け物などでは無い!」烏天狗が鼻白む。

「昔、縁あってある事を教えた。そろそろ、それを会得する頃だから確かめに来た!」

「何を教えたのじゃ?」

「お主に教える謂れは無い。早く呼べ!」

「残念じゃが、熊さんは明日にならんと帰ってこんよ」

「なに!それを早く言え。無駄な労力を使ったでは無いか・・・ならば、明日また来る!」

そう言って、烏天狗は煙のように消えて行った。


「むぅぅぅぅん・・・」

「どうやら、気が付いたようじゃな」

目を覚ました若者は、不思議そうに辺りを見回した。「ここは・・・どこですか?」

「何も覚えていないのね・・・ここは妙心館という武術の道場です」凛が答えた。

「武術の・・・僕はなぜこんな所にいるのでしょう?」

「それはこちらが聞きたい」平助が問い返した。

「そう言われても、僕には何が何だか・・・」若者は途方に暮れた。

「ここへ来る前に、何か変わった事はありませんでしたか?」凛が訊いた。

「変わった事・・・う〜ん、変わった事なんて別に・・・あっ、そうだ、思い出した、烏の目だ!」

「烏の目?」

「そうです、その烏の目が人の目みたいで・・・気持ち悪かったな」

「どこでその烏と会うたのじゃ?」

「どこって・・・お得意さんの所に行く途中でした。そしたら電柱の上で烏の鳴き声がして、見上げたらその烏と目が合って・・・あっ!」

「どうしたのじゃ?」

「今何時ですか!」

「もうすぐ三時半じゃ」

「わ!大変だ、約束の時間過ぎてるじゃないか!こんな事してる場合じゃない、失礼します!」

若者は玄関を飛び出し、疾風のように駆けて行った。

「ここがどこか、場所は分かるのかしら?」

「せっかちな若者じゃの・・・」




                     3




「では、鞍馬山で修行されたことがあるのですね?」椿山弥勒寺から戻った熊さんに、凛が尋ねた。

「じゃっど。五年ばかり前のこっじゃが」

「ならば、あの烏天狗は僧正坊の眷属に違いありません」

「僧正坊?」平助が訊き返した。

「はい、鞍馬山護法魔王尊配下の大天狗です」

「その大天狗の眷属が、なぜ熊さんの所へ来た?」

「おいは、鞍馬山の岩屋ん中で天狗に会うた事のあっとです。そん時に集中力はいらんち言われもした」

「集中力はいらんと・・・な。それはどう言う事じゃ?」

「集中力は他の対象を見るこつば放棄すっ事じゃと、心を回転させよ、拡散させよと教えられもした。そしていつか、おいがそのことを会得したかどうか見に来るといっちょいもした」

「つまりそれは、一点に集中するな、周りを見よと言う謎掛けでは無いか。確かに剣術で言う”遠山の目付”とは、対象を集中的に見る事をせず、遠くの山を見るように全体を統一的に観る事じゃからの」

「そいはおいにも分かっとです。じゃっど、心ば回転するとか拡散するとか言う事のよう分からんとです」

「ふむ、確か烏天狗は大天狗の眷属と言うておったな?」

「はい、大天狗は仏教の守護神です」凛が答える。

「と言うことは、仏教的に考えなならん・・・じゃったら」平助は腕を組んで人差し指を額に当てた。「熊さん、心はどこに生まれると思うな?」

「胸、と言いたか所じゃが近頃ん脳科学では、頭ん中でごわっそか?」

「考えることは心では無い。それは”意”と言って仏教では第六感として数えられる」

「普通第六感ち言うと、幽霊が見ゆっとか予知能力とか、なんか不思議な感覚っちゅうふうに思わるっですが」

「仏教はそんな曖昧なことは言わん。本来仏教は顕教であり不思議な事などないと言う立場じゃ。その仏教では心は感覚の生まれる所に生まれるというな。心の速さは光速の七倍、想像もできぬ速さじゃ。その速さで心が全身を駆け巡っていれば、人間の感覚なら心は全身に同時に生まれると言って良い。しかし、心を一点に集めれば、折角の心をひとつ所に留めておく事になる。それでは心の無駄使いじゃ。心を自由にして、全身を心にすれば躰に隙は無い。武人としてはこれで一応の完成じゃ。これが、心を回転させると言う事であろう」

「じゃったら、心ば拡散すっとはどげんな事でごわそ?」

「禅僧はなぜ座禅を組む?」

「精神統一の為じゃと思うとったが・・・」

「禅僧が瞑想をして禅定に入るのは、心を拡散して感覚を越える為じゃ。心を躰という枠に閉じ込めておれば人間技の域を出ぬ。武術が人を越え神業になるには、一度身体を捨てねばならぬ、その為には心を拡散せねばならん。まず自由な心を全身に満たし、躰を超えて自由自在になる。なるほど、仏教の立場から武術を見れば、そのような教え方にはなるのじゃろうの」

「じゃっどん、おいは未だそこまでの境地には立っておらんです」

「仏教では悟りを説くな。じゃがの熊さん、悟りとはなんぞや?儂にはわからぬ。悟ったことのない人間には悟りを語ることなど出来はせぬ。しかし、熊さんよ。武術において悟りは無いのじゃよ。最初から殺生戒を犯しておるでな、人を殺す技を修錬しておるのじゃから当たり前じゃ。武術においては修行こそが悟りなのじゃ。烏天狗の教えも間違いでは無い。しかし、儂らはそれに拘泥すべきでない。どこかに行き着くことなど有りはせんのじゃから」

「分かりあんした。天狗どんの来たら勝ち負けに拘らず全力で立ち向かいまっしょ」

「それが良い。今日はゆっくり休んで英気を養っておく事じゃ」

「はい、師匠。では、こいで失礼致しもす」

熊さんは立ち上がって妙心館の玄関を出て行った。


「ふふふ」熊さんの姿が見えなくなると、平助が悪戯っぽく笑った。

「無門先生・・・?」

「じゃが、ただ黙って天狗の眷属なぞに試されるのも、武術家としていかにも業腹じゃ・・・」

「いったいどうなさるおつもりです?」

「儂に良い考えがある。凛、手を貸してくれるか?」

「はい、喜んで」

「では、ちょいと耳を貸せ・・・」






                      4




「ふ〜ん、それで、熊さんが天狗の教えを会得したかどうか、確かめに来ると言う訳かい?」

朝早く妙心館に姿を表した槇草に、熊さんは一部始終を語った。

「今日はおいが相手ばすっつもりじゃ。おいも師匠の元で修行ば積んで、あん頃のおいとは違うつもりじゃっで」

「しかし、考えてみれば親切な天狗だよな、わざわざ確かめに来るなんて」

「じゃっど、じゃっど。お節介じゃっどん有り難か」

「よし、俺は今日非番なんで見届け役を買って出よう」

「じゃっどん、手出しは無用に願いたか」

「分かった。黙って見ているよ」




「頼もぅ!!」

玄関で訪う声がした。いつ天狗が来るかと待ち兼ねていた熊さんと槇草は、いそいそと玄関へ出て行った。

「待ち兼ねちょった・・・ん?」熊さんは絶句した。そこには場違いな四人の男女が立っていたからである。

「な、何ですあなた方は?」槇草が驚いて尋ねた。

「約束通りにやって来た。前田行蔵、久しぶりじゃな」頭にタオルで鉢巻をした、作業服の男が言った。

「て、天狗どんでごわすか?」

「いかにも、鞍馬の岩屋で会うた烏天狗じゃ!」

「そちらの奥さんも・・・?」槇草が訊いた。

買い物カゴを持った三十代の主婦が、男の横に立っていた。

「そう、私も天狗よ、あの時の鼻高天狗。この格好じゃ分からないわね」

「おい、鼻高。言葉が変じゃぞ」作業員が言った。

「仕方ないじゃない、私、憑いた人間の属性に引っ張られやすいのよ」

「後ろん二人はどういった関係じゃ・・・」

「私たちぃ、付き合ってるのぉ」膝上丈のスカートにルーズソックスを履いた女子高生が言った。「私ぃ、烏二号」

「まじ、うっぜぇ!なんでこんなとここなくちゃなんねぇんだよ!」リーゼント頭に、短い学ランの脇を絞った男子高校生が言った。「俺、鼻高二号、よろしく!」

「そん二人は完全に憑いた人間に乗っ取られておっじゃなかね!」

「そんな事ないわよぉ、やるときゃやるんだから」

「そうだぜ、やるときゃやるよ。なぁ!」

「この時間帯、この辺にはこんな人間しかおらなかったのじゃ・・・」作業員、否、烏天狗が済まなそうに言った。

「なんで人に憑かにゃならんとじゃ?あんときゃ天狗の姿やったやなかね?」

「ここは鞍馬山の結界の外じゃ。人に憑かなければ人間に接触する事が出来ん。それでは、お主を試せんからな」

「ほんなこつ、不便じゃのぅ」

「ところで、今日はあの爺いと死神はおらんのか?」作業員が訊いた。

「師匠と凛は今日は用事で出かけちょる」

「そりゃ好都合じゃ、あの二人がいると何かと面倒じゃからの。ところで・・・その男は何者じゃ?」作業員が槇草を見て尋ねた。

「俺はここの師範代で槇草と言う。今日は師匠の代わりに見届け人を買って出た」

「見届け人じゃと?人間界は面倒じゃな」

「ねぇ、烏。いつまでこんな所で突っ立ってるのよ」主婦が焦れたように言った。

「おお、そうじゃった・・・」作業員が熊さんを見た。「入るが、いいか?」

「忘るっとこやった。よか、入らんね」

「かったるいなぁ、やっと私達たちの出番よ」女子高生が言った。

「早いとこ片付けて帰ろうぜ」面倒臭そうに男子高校生も同調した。

「こりゃ、お前達。天狗の品位を落とすでない!」

「チェッ!」

「全くしょうのないやつらだ・・・所で、得物は何にする?」作業員が熊さんに訊いた。

「ほう、おいに選ばせちくるっとね?」

「何でも良いぞ」

「そうね、おいは剣術が得意じゃっで、木剣で良かね?」

「構わん」

「そんなら、そこん壁に掛かっちょる木剣ばとらんね」熊さんは刀掛けを指さした。

「ふむ、では借りるぞ」

四人の天狗は、それぞれに好みの木剣を手に持った。

「おいは、これで良か」最後に熊さんが白樫の木剣を取った。

「ならば、始めよう」作業員が言った。


熊さんの正面に作業員、背後に主婦。右に女子高生、左に男子高校生が立った。

「準備は良いか?」正面の作業員が訊いた。

「いつでん良か」熊さんは右手に木剣を提げたまま、作業員を見据えた。

「では参る!」作業員は木剣を八双に構えた。

熊さんは目を半眼に閉じた。平助に教えられた通り、雑念を消し心を自由に回転させる。

すると、背後の主婦が動く気配が感じられた。

熊さんが右に動くと同時に、上段から剣が落ちてきて床を打った。熊さんは構わず右の女子高生に突進する。右手に提げられた剣が下段から浮き上がり中段に構えた女子高生の剣を跳ね上げる。

カン!と乾いた音がして女子高生の手から剣が弾け飛んだ。転瞬、熊さんの剣が翻って彼女の鎖骨に迫る。息を呑む女子高生の、怯えた顔が熊さんの目に飛び込んできた。

『いかん!』熊さんの剣が骨を打つ直前で止まった。『躰は生身の人間のもんじゃ、打っちゃならん!』

女子高生は大きく飛び退がって息を吐いた。

「何を躊躇しておる!」作業員が叫んだ。「雑念が消え去っておらん!」

「じゃっどん、おいに女を打つこつはでけん!」

「甘い!」作業員が八双の構えのまま飛び込んで来た。熊さんは辛うじてその攻撃を躱し、壁を背にして、剣を青眼に構える。

目の前に並んだ三つの切先が、ジリジリと熊さんに迫った。絶体絶命のピンチである。

「熊さん危ない!」槇草が叫んだ。

その時、熊さんの躰がふわっと宙に浮いた。『な、なんな、こりゃ!』熊さんは驚いた。

熊さんは宙に浮いたまま、下で戦っている自分の姿を俯瞰していた。

上から見ると、三人の動きの遅速が、手に取るように分かった。それに連動するように、熊さんの躰は易々と天狗達の攻撃を躱している。

「なあにこの人、突然動きが良くなったわよ!」主婦の天狗が言った。

「なんだ、どうなってんだよ全く!」男子高校生の天狗が言った。

「この男を囲むのよ、もう一度、四方から一斉に攻めるの!」女子校生の天狗が木剣を拾って戦いに復帰した。

『なんな、どげんなっとうとな?』熊さんは何が何だか分からなくなった。

『私です、熊先生・・・』背後から声がした。

『そ、そん声は!』

『凛です、先生の魂は、今私が抱えて宙に浮いています』

『なに、そげんこつが・・・」

『説明は後です。先生はただ下の戦いを眺めていれば良いのです』

『じゃっどん・・・』

『ほら、右の敵が動きますよ』


眼下の熊さんは、右の敵を牽制したまま正面の作業員に迫った。作業員が大きく退がると背後の主婦が熊さんの背中に剣を叩きつけてきた。熊さんは振り向きざま主婦の剣を跳ね上げ懐に飛び込んだ。

途端に主婦が蹲る。熊さんの当身が鳩尾に決まったのだ。

右から男子高校生が突いてきた。熊さんは身を沈めてその脛を木剣で払った。

「イテッ!」男子高校生が転倒したところを、熊さんの木剣が頸動脈を打った。

ム〜ンと唸って、男子高校生が気絶した。

「やったわね!」ブン!と横薙ぎの剣が熊さんを襲う。一歩下がってやり過ごし、熊さんは柄頭を返して前に踏み込んだ。女子高校生が鳩尾を押さえて倒れ込んだ。

熊さんは作業員に向き直る。

「よく修行したな、前田行蔵」作業員が言った。

しかし、熊さんの返事は無い。

「無視か、ならば、参る!」作業員はサッと木剣を後ろに引いて構えた。

熊さんは木剣をゆっくりと上段に取った。

作業員の構えからは、剣がどこから来るか分からない。熊さんはただ振り下ろすのみ。

ジリジリと作業員が前に出る。熊さんはジッと動かない。

間合いが詰まった。どちらかが一歩踏み込めば、勝負は一撃で決まる。

チェーィ!!作業員の剣が下から迫り上がって来た。

熊さんの剣は作業員に向かわず、迫り上がってきた剣に向かった。

バキッ!っと木剣の折れる音がした。次の瞬間熊さんの木剣の切先が作業員の喉元に突き付けられていた。

「それまでじゃ!」平助の声がした。

「し、師匠いつの間に!」槇草が驚いて叫んだ。

「最初からおったぞ」

「え、何処に?」

「天井裏じゃ」

「えええっ!気がつかなかった・・・」

平助が作業員の前に立った。「お主の負けじゃ」

作業員は折れた木剣を放った。「儂の負けか・・・」作業員がバッタリと倒れた。

その背後に、昨日の烏天狗が立っていた。

「これで目的は果たしたかの?」平助が訊いた。

「うむ、僧正坊様に良い報告が出来る」烏天狗は熊さんを見た。「また鞍馬山に来い。今度は僧正坊様直々に相手をして貰えるよう頼んでおく」

熊さんは放心したように立ち尽くしていた。

「なんじゃ、また無視か。あの時と一緒じゃな」

いつの間にか天狗達は、借り物の躰から抜け出して道場の板張りに立っていた。

「この女房は運動不足じゃ。もうちっと丈夫な躰なら遅れは取らんかった」

「この娘の握力は弱うていかん。力仕事をせんからじゃろうな」

「このガキは若いくせに軟弱じゃ。昼間っから娘っ子の尻を追いかけているのでは仕方がないが」

「借り物に文句を言うな・・・この職人はまあまあじゃったぞ」烏天狗が仲間を見た。

「引き上げじゃ!」

「応!」

あっという間に、四人の天狗は跡形もなく消えていた。




『凛、もう良か。下ろしちくやい』一部始終を見届けた熊さんは言った。

『はい』凛は熊さんの魂を、元の躰に戻した。


「熊さん、凄かったな。完勝じゃ無いか!」

「槇草さぁ、そうじゃなか。おいが勝てたとは凛のおかげたい」躰に戻った熊さんが言った。

「えっ、凛さんの・・・」

「おいは凛に抱えられて天井に張り付いちょった。上から見りゃ天狗どんの動きは手に取るように分かるたい」

「儂は凛の力を借りて、天狗の言った事を再現してみたのじゃ。多少ズルをしたがな」

「師匠、おいはそいが本当にでくるごつなったら、鞍馬山に行ってみようち思いもす」

「うむ、そして僧正坊と手合わせして来るが良い」

「じゃっど!」


「ところで師匠」槇草が訊いた。

「なんじゃ?」

槇草は倒れている四人を指さして言った。

「この人たち、どうします・・・?」












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