芝天狗
芝天狗(しばてんぐ)
翌朝、明逹が山門まで見送りに来た。
「昨夜は私の愚痴を聞いていただきありがとうございました」
「何を仰います。こちらの方こそ、ひとかたならぬお世話になりました」
「尼寺なのに儂らまで世話になった」
「構いません、ここには私一人しかいないのですから」
「お陰さぁで、ゆっくり休めもした。あいがとさげもす」
「明逹様、どうぞお達者で」
「昨日のふろふき大根、とっても美味しかったです!」
「ありがとう、久しぶりでとっても楽しゅう御座いました。皆様もどうぞお元気で、呉々も妖怪には気をつけてくださいね。守備よく明恵様にお会い出来る事を願っております」
五人は明逹にお辞儀をして山門を後にした。明達は名残惜しそうに、いつ迄もそこに佇んでいた。
山頂を越えると、様相が一変した。
ゴツゴツとした岩肌が目立つ様になり、切り立った崖が林立する風景が目の前に現れた。
「足元ば気を付けんと、落ちたらひとたまりもなかばい!」
「わ、私高い所は苦手です」
「よっちゃん、おいが手ば引いちゃるけん頑張らんね」
「は、はい・・・」
「住職は大丈夫ですか?」慈恵が訊いた。
「私は平気ですよ、小さい頃は散々野山を駆け回っていましたから」
「台湾の十八羅漢山より険しいぞ」
「十八羅漢山ちゅうたら、師匠が王先生と対決した場所たいね」
「そうじゃ、懐かしいのぅ。今度台湾まで会いに行ってみるか」
「王先生も喜ばるっ事でっしょ」
「うむ」
五人は一列になって、崖道を降り始めた。
「やけに喉が渇くんですけど?」よっちゃんが訴えた。
「ここは植物が生えてないからね。それに直射日光に照らされて異常に乾燥している」慈恵が冷静に分析する。
「善妙寺で貰った竹筒の水で水分を補給しなきゃ」
「しかし、飲み過ぎるでないぞ。この先どこに水があるやら分からんからな」
暫く降ると、やっと低い木の生えた場所に辿り着いた。
「ちょっと休むか?」
「そうですね、明逹様に貰ったおにぎりを食べましょう」
「賛成!」
その時、今降りてきた道の上から、小石がコロコロと転がって来た。
「ん、なんね、石の落ちてきたばい?」
次の瞬間、ガラガラと音を立てて、落石が降ってきた。
「いかん崖崩れじゃ、皆木立の中に入れ!」平助が怒鳴った。
平助が木の陰に隠れた途端、ゴツン!と音がして大きな石が軌道を変えて転がっていった。
崖崩れは暫くの間続いた。ようやく最後の石が転がり落ちていった時、あたりは土埃で何も見えなかった。
「皆、大丈夫か!」
「大丈夫です」
「ああ、危なかった!くわばらくわばら・・・」
「良かった、死ぬかと思った」
「じゃっど、じゃっど」
「ここは危険じゃ、道を変えよう」
「師匠、あっちの方に森に続く道のありますばい」
熊さんが東側の斜面を指さした。
「よし、そっちへ行こう」
五人は熊さんの見つけた道の方角へ降りて行った。
「ここまで来れば大丈夫でっしょ」森の中に入ると熊さんが言った。
「うむ、そうじゃな」
「では、お弁当にしましょう」
「やっとご飯にありつける!」
経木に包まれた弁当を開いて、よっちゃんが言った。
「美味しい!ただのおにぎりがこんなに美味しいなんて・・・」
「きっと、命拾いしたからでしょうね」
「じゃっど、じゃっど」
「喉が渇きましたぁ」よっちゃんが言った。「私、竹筒の水はここに来るまでの間に全部飲んじゃったし・・・」
「じゃから、飲み過ぎるなと言ったであろうに」
「すみません・・・」
「いいわ、私の水を分けてあげるから」
「いえ住職、私が悪いんです」
「下の方から水の流れる音がします。きっと川があるんだ」慈恵が言った。
「私、水を汲んできます」
「よか、おいが行くけん待っとかんね。妖怪に出くわしたら危なか」
「熊先生、お願い致します」慈栄が頭を下げた。
「任せてくだっせ」
熊さんは、水音を頼りに灌木の茂る斜面を降っていった。
「ん、何の音じゃろ?」
熊さんが耳を澄ますと、コーン、コーンと遠くから木を伐るような音が聞こえてきた。
「こん山には樵のおるごたる」
バリバリッ!と木の裂ける音がして、ズンと地響きがした。
「木の倒れたな」
音のした方に注意をしながら道を降りていると、突然目の前に木の枝枝が現れて道を塞いだ。
「な、な、なんな!」熊さんは驚いて飛び退がった。
「相撲取ろ・・・」
「なに?」
見ると目の前に、子供くらいの背丈の妖怪が立っていた。木の枝はその妖怪が手に持っているものだった。
「相撲取ろ?」
その妖怪は、猿のように毛むくじゃらで、蓬髪が絡み合って両肩に垂れていた。よく見ると髪の毛の中に皿様のものが見える。背中に甲羅がある所も河童に似ていた。
「おはん、河童か?」
「河童じゃない、芝天・・・」妖怪はぶっきらぼうに答えた。
「シバテンじゃと?」
「芝天狗。だけど天狗じゃない、夏になったら猿猴になる」
「エンコウ?猿のようなもんか?」
「猿じゃない・・・」
「何じゃ、よう分からん奴じゃな・・・」
「相撲取ろ」
「おいは忙しかとじゃ。また今度な」
「なんで忙しい?」
「水ば汲みに行っとじゃ」
「オラに勝ったら、汲んで来てやる」
「よか、水汲みぐらいおいにもでくる」
「それは、無理」
「なしてな?」
「そこの川には龍神がおって、人間が来ると喰ってしまう」
「なに、龍神じゃと!なら、冥界に通じる洞門もこん近くにあるのか?」
「ある」
「本当か?」
「オラ、嘘言わね。オラに勝ったら教えてやる」
熊さんは迷った、妖怪を信じてよかもんじゃろか?と。しかし、見れば子供の様な体格だ。軽くいなして遊んでやれば気が済むだろう。
「よし、おいが勝ったら場所ば教えちくやい」
「分かった・・・水も汲んで来てやる」
熊さんは四股を踏んで蹲踞の姿勢を取った。
「熊先生、遅くありませんか?」よっちゃんが心配そうに言った。
「本当。水を汲みに行ってから、もう随分と時間が経ちますよね」
「熊さんの事じゃから、心配はないと思うが・・・」
「妖怪に襲われていたりして・・・ほら、明達様が言ってたじゃないか、凶悪な妖怪に気を付けろって」
「ええっ、私の所為で熊先生妖怪に捕まっちゃったんですか!」
「縁起でもない事を言うな。まだ、そうと決まった訳じゃなかろう」
「様子を見に行きましょうか?」
「そうじゃな、しかし全員で行く必要は無い。儂一人で行くからここで待っておるがよい」
「無門先生、大丈夫?」
「老いたりとはいえ、無門平助は武術家じゃ。その辺の妖怪に遅れは取らんよ」
「分かりました。では呉々も気をつけて」
「うむ、行って来る」
平助は、熊さんが降りて行った道を辿って歩き出した。
「うむむむむ・・・こりゃ手強か!」熊さんが呻いた。「じゃっどん、何とかならんか、こん臭い!」
芝天の躰からは何ともいえぬ強烈な異臭が放たれていた。熊さんは、臭いに惑わされて力を出せないでいる。
「ウヒヒヒヒヒヒ・・・」芝天が不気味に笑った。「朝日が昇るまで、相撲取ろ」
「なんてな!そげん暇はなかたい!おいの負けでよかけん、もう止めんな?」
「駄目だ、オラに勝つか朝が来るかしか止める方法は無い。オラに負けたら命は無いよ」
「う〜む、まんまと騙されたばい」
「騙してないよ。オラに勝ったら水汲んで来てやる」
「そうか、なら勝てばいいんじゃな!」
「そう」
「しょんなか、なら全力で行くばい!」
川の近くまで来ると熊さんの背中が見えた。しかし、なんだか様子が変だ。変な格好で力んでいる。
その時、熊さんがよろけて小さな影が見えた。
「何じゃ、子供相手に相撲を取っておるのか?」
平助は熊さんが相撲をとっている所へ降りて行った。
「うっ、臭い!」思わず鼻を摘む。「何じゃこの匂いは、鼻が曲がりそうじゃ!」
「そん声は師匠。助けてつかぁさい!」
首だけを振り向けて熊さんが叫んだ。
「誰じゃ、その子供は?」
「子供じゃあいもはん。妖怪でごわす!」
「なに、妖怪?それでそんなに苦戦しておるのか?」
確かに、背中に甲羅を背負っているし、毛むくじゃらだ。
「そうでごわす!こやつに勝たな水ば汲めんとです!」
「わっ!」熊さんが大きくタタラを踏んだ。
「気を抜くと命が無くなるよ」芝天が言った。
「本当か、熊さん!」
「ほんなこつでごわす!」
「よし、助太刀致す!」
「ダメッ!オラに触るとこの人は消えちゃうよ」
「なにっ!」
「相撲の相手は一人と決まってるんだ。オラに触れたら今度はお爺さんの番だよ」
「むむぅ・・・」平助は立ち竦んだ。
その間にも、熊さんは必死の形相で芝天の攻撃に耐えていた。
「熊さん、武術の原点に帰るのじゃ!」
「ぶ、武術の原点・・・」
熊さんは渾身の力で芝天の躰を揺すった。しかし、芝天の姿勢は崩れない。
「無駄だよ。オラ昔、相撲の大関にも勝ったんだ」
「むむ、万事休すじゃ!」
芝天がニッと笑って力を込めた。
その瞬間、熊さんの躰からスッと力が抜けた。途端に芝天の躰が支えを失って宙を飛んだ。
ドサッ!と音を立てて、芝天が地面に這いつくばった。
「どうやら、おいの勝ちじゃな」熊さんが言った。「洞門の場所ば教えち貰おうか」
芝天は顔を上げて熊さんを見た。
「この川の下流の谷」
「目印は?」
「地蔵の形の大岩」
「師匠、冥界へ通じる洞門の場所が分かりもしたばい!」熊さんが平助を振り返った。
「なにっ、本当か?」
「この川の下流、目印は地蔵の形の大岩」
「でかした、熊さん!」
熊さんは芝天に向き直った。
「さて、水ば汲んで来ち貰おうか」
「お、起こして・・・」
熊さんは、芝天の手を引いて起こしてやった。
「約束は守るよ。どれに汲んで来ればいい?」
「こん竹筒にな」熊さんは懐から竹筒を取り出した。
「分かった・・・」
芝天は竹筒を持って、川に飛び込んだ。
「師匠、お陰で助かりもした」
「なぁに、熊さんはあの匂いに惑わされて、正常な判断が出来なかったのじゃ」
「面目なかこつでごわす」
「うむ、何はともあれ無事で何よりじゃった」
暫く待つと、川の方から水音が聞こえて、芝天がペタペタと足音を立てて戻って来た。
「はい、水・・・」
「ご苦労じゃった」
「この水は龍神の水。いくら飲んでも枯れる事はない」
「有難い。これからの道中、これさえあれば水には困らぬ」
「じゃっどん、おはんな相撲の強かなぁ!」
芝天がはにかんだ表情を見せた。
「縁があったら、また会おうたい」
「うん・・・」
芝天は、振り返る事なく水の中に消えた。
「さ、戻るとしよう。弥勒寺の女人達が首を長くして待っておろう」
「じゃっど・・・」
「住職、今戻ったぞ!」平助が樹間に声をかけた。
「よっっちゃん、待たせたばい。水ば汲んで来たけん飲まんね!」
熊さんも呼び掛けたが応えは無かった。
「おかしい、返事が無い」
「師匠、これは何でごわそうか?」
熊さんが木の枝を指さした。なにやら緑色の粘液が滴っている。
「こっちにもあるぞ!」平助が指さした地面にも、同じような液体が溜まりを作っていた。
「なんかネバネバしちょる、気色ん悪か!」
「見ろ、地面に引きずった痕がある!」
「こりゃ、結構な重量物ですたい!」
「きっと住職達は妖怪に連れ去られたに違いない!」
「しまった!おいが手間取ったばっかりに!」
「この痕跡を尾けてみよう」
「じゃっど、急ぎもそ!」




