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死神 凛  作者: 真桑瓜
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善妙寺の尼僧

善妙寺の尼僧




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目の前の藪がガサガサと揺れた。

「何かおる!」先頭を歩いていた平助が足を止めた。

「なんでしょう?危険な獣かも知れません」慈栄が眉を顰めた。

「私、怖い!」よっちゃんが慈恵の背後に隠れた。

「心配ないさ、無門先生がいる」

突然藪が割れて大きな塊が飛び出して来た。

「わっ!熊だ!」慈恵が叫んだ。

「師匠、お待ちしちょいもした!」藪から飛び出た塊が言った。

「く、熊さんではないか、なぜこんな所に?」平助が驚いた顔で言った。

「師匠の帰りがあんまり遅かけん、凛と一緒に弥勒寺に様子ば見に行ったとです、そしたら・・・」

「なに、ではお主も夢の精霊の術に嵌ったというのか?」

「名は知りもはんが、見窄らしか翁と赤鬼の子供ば見もした。おいはその途端気ば失うて・・・」

「そうか、その赤鬼の子が枕返しじゃな」平助が頷いた。「ところで凛はどうした?」

「さっきそこで会うたとですが・・・」熊さんが言い淀んだ。

「逸れたのか?」

「いや、狐の化けた偽もんやったとです」

「凛さんてどなたです?」慈栄が訊いた。

「うむ、住職にはまだ話していなかったな・・・話せば長くなるが、簡単に言うと妙心館に居候しておる死神じゃ」

「死神ぃぃぃ!」慈恵が絶叫した。

「王から頼まれての」

「なんだ、妖怪先生の代わりですか」

「まぁ、そんなところじゃ」

「王先生お元気なんですか?」よっちゃんが訊ねた。

「台湾に戻って弟子に拳法を教えておる」

「ああ、良かった、元気なのですね!」

「まぁ、妖怪じゃからな。元気というかなんと言うか・・・」

「あの、話を元に戻しますが」慈栄が冷静に言った。「凛さんが死神ならば夢の精霊の妖術は効かなかったのではありませんか?」

「そうか、ならば凛はこちらにはおらんと言う事じゃな」

「凛が現世におっとなら、なんとかしてくるっかも知れん」

「そうじゃの。じゃが凛だけに任せてのんびり待つ訳にはいかん。こちらはこちらで明恵上人をお探ししよう」

「明恵上人とは何者でごわす?」

「そうか熊さんは事情を知らんのか・・・時間がない、歩きながら話そうか」

「そう致しもそ」



                   



                      


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「住職、まだ着かないんでしょうか・・・私もう足が限界で」

険しい山道に、さすがのよっちゃんも弱音を吐いた。

「もう少しよ、よっちゃん頑張って」慈栄がそっと手を差し出す。

「そうだ、私がお尻を押してやるよ!」

「やだ、慈恵さん・・・分かった、分かりました、もう少し頑張ります!」

「そうこなくっちゃ、これも修行だよ」

「私、ただのお手伝いなんですけど・・・」よっちゃんがぶつぶつ文句を言った。

「じゃっどん、ほんに遠かなぁ。日の暮るっ前に着かんと道が見えんごつなりますたい」

熊さんがそう言って顔を上げた時、鬱蒼とした森の木の隙間から僅かに甍が垣間見えた。

「師匠、あいば見ちくだっせ!」

「おお、あれは寺の屋根じゃ。あれが善妙寺か?」

「そうに違いありまっせん、急ぎあんしょう」

「良かった、やっと着いたぁ!」よっちゃんが歓声をあげた。


五人は、さっきまでの疲れも忘れて寺に向かって足を早めた。

寺に近付くにつれ、美しい山門がひっそりと佇むのが見える。

山門の前には小川が流れ丸い石の橋がかかっていた。

「この橋の向こうは聖域ですね」慈栄が言った。

「うむ、なんとも言えぬ清々しい空気が漂っておる」

「さ、渡りましょう」

山門は小さいながら凛とした威厳を保っており、見上げると善妙寺という扁額が掲げられていた。

「ここに間違いないようですね」

山門を潜ると、傍の地蔵堂の前には宝篋印塔が立っており、柔らかい文字で『阿難塔』と記してあった。

苔むした石段を登り切ると、障子の開け放たれた本堂が見え、しめやかな読経の声が聞こえて来た。

「話は私が致します」慈栄が言った。

「うむ、尼僧は尼僧同士。それが良いじゃろう」

読経の声に導かれて本堂に近付くと、ふと声が止んだ。

「どなたです?」

透き通った声で誰何された。慈栄は本堂の前に立つと姿勢を正しお辞儀をした。

「突然失礼致します。私は弥勒寺の住職で慈栄と申します。明逹様にお会いしたいのですが」

須弥壇の前から影が立ち上がり、蝋燭の灯に照らされて一人の尼僧が現れた。

「明達は私ですが?」廊下に跪きながら尼僧が言った。

既に四十路を過ぎているだろう。だが、墨で引いたような細い眉、切れ長の目、通った鼻筋、薄い唇、何よりも透き通った肌が彼女を乙女の様に若々しく見せていた。

「故あって明恵様をお探ししております。もしご存知ならば明恵様の居られる所を教えていただけないでしょうか?」

明達が、慈栄の後ろに立っている者達を見た。

「そちらの方達は?」

「はい、武術の師範、無門平助先生に前田行蔵先生。私の寺の副住職慈恵に、お手伝いの吉田好子です」

「武術の先生にお寺の方、珍しい取り合わせですね」

「怪しいものではありません。ぜひ話を聞いて下さい」慈恵が頭を下げた。

明達がスッと立ち上がった。

「日も落ちて寒くなって参りました。ひとまず庫裡へご案内いたしましょう」

「ああ、助かった、これでやっと休める!」

「よっちゃん、失礼ですよ!」

「ごめんなさい、あんまり嬉しくって、つい・・・」

「いいのですよ、ささ、お上がり下さい」明達がニッコリと微笑んだ。

明達に案内されて庫裏へ向かう時、熊さんがポツリと呟いた。

「よっちゃんが吉田好子ちゅう名前やったとは・・・初めて知ったばい」



「お話を伺いましょう」庫裏の座敷に落ち着いてから明逹が言った。

慈栄は、明達と対峙して座った瞬間、とてつもない緊張感に襲われた。

『この明達という尼僧は私よりもずっと若く見えるけれど、今から八百年前に生きた人なのだ』

そう思うと膝が震えた。

「実は・・・」緊張を押し殺して、慈栄は話し始めた。


「・・・というわけなのです」話し終えた時、慈栄は短い溜息を吐いた。

「それは・・・お気の毒な事です」

「明恵様は、今どちらにおいでなのですか?」

「それが・・・」明達は言い淀んだ。

「構いません、はっきりと仰って下さい」

「兜率天に居られます」思い切った様に明達が言った。

「兜率天!」慈恵が大声を上げた。

「住職、兜率天って?」よっちゃんが訊いた。

「欲善趣地六つの梵天のうちの第四梵天です」慈栄はよっちゃんに答えて、明達に視線を戻した。「そこに明恵様が?」

「貴方は弥勒寺の御住職と言っておいででしたね?」

「はい」

「ご存知でしょうが、兜率天には五十六億七千万年後に仏陀となって生まれ変わられる弥勒菩薩様が、梵天の神々に説法されておられます。明恵様はそこで修行なされているのです」

「では、私達には行く事は叶わないと?」

「残念ながら」

「えっ、じゃあ私達は一生夢の中から出られないんですか!」よっちゃんが悲痛な叫びを上げた。

「方法がない訳ではありません」

「ええっ、どうすれば行けるのですか!」

「人間界も天界と同じ欲善趣地にあります。つまり同じ次元にあるという事です。だから修行を積めばいけぬ事はありませんが・・・」

「そんな暇は無いですよぅ・・・」よっちゃんが泣きそうな顔になった。

「困りましたね・・・その様な事、閻魔様にでもお頼みしなければ無理です」

ふと、平助が顔を上げた。

「閻魔大王に頼めばなんとかなるのじゃな?」

「あるいは・・・」

「閻魔大王ならば一度面識がある。ここからどうやったら行けるのじゃ?」

「この山の向こうに冥界へ通じる洞門があります。そこを抜けて一本道を行けば賽の河原に着く事が出来ます。三途の川の渡し場から船で渡れば、閻魔様のいる彼岸に行く事が出来ます」

「その洞門は山のどの辺にあるのじゃ?」

「山を越えて暫く行くと、深い渓谷があり龍神の棲む川があります。洞門はその川の下流に」

「なら、はやか方がよか。早速出発しまっしょ!」

「え〜、今からですかぁ」よっちゃんがまた泣きそうになった。

「こんままじゃ時間の無うなるたい!」

「それは危険です、この山の向こうは妖怪達の棲家です。中には凶暴な妖怪もいますから、夜が開けてからの方が良い、今夜はこの寺の方丈にお泊まりなさい」

「ほぅら熊先生、ここの御住職もこう仰っている事だし、今夜はここに泊まりましょうよ」

「じゃっどん・・・」

「儂らだけならなんとかなろうが、今日は女人がおる。暗闇で襲われたら守り切れん。今夜はお言葉に甘えよう」

「ヤッタァ!さすが無門先生、話がわかる!」

「うむぅ、師匠がそう言わっしゃるとならしょんなか。今夜はお世話になろうたい」

「明達様。それではよろしくお願い致します」慈栄が明達に頭を下げた。

「はい、では方丈の支度を整えて参ります」

「あっ、私たちも手伝います!」慈恵とよっちゃんが立ち上がった。

「助かりますわ、ありがとう」

「どういたしまして。いつもやっている事です、任せてください!」

「まぁ、頼もしい事・・・ホホホ」

二人は明達に付いて庫裏を出ていった。

「私も行って参ります」慈栄が立ち上がって後を追った。

「師匠、おい達は何もせんで良かっですか?」

「儂らが行っても邪魔になるだけじゃ。それに、女同士の方が話も弾むじゃろう」

「それもそうですな」熊さんは慈栄の後ろ姿を目で追った。



方丈の準備が出来ると明逹が言った。

「私、夕餉の支度をして来ますから、皆さんは庫裏で休んでいて下さい」

「何を言われます。夕餉の支度なら我々に手伝わせて下さい」

「しかし、お疲れのご様子ですし・・・」

「料理なら毎日寺でやっております、お気遣いなく」

「そうですか・・・では、お願い致しましょう」

「私、竈門に火を起こします」よっちゃんが言った。

「私は米を研いで来るよ」

「ならば私は大根の皮を剥きましょう」

三人は早速仕事に掛かった。

「あの明逹様、ひとつお伺い致してもよろしいですか?」包丁を動かしながら慈栄が訊いた。

「何なりと」

「このお寺には、明逹様以外誰も居られぬのですか?」

「はい、私一人です」

「それは、どうしてでしょうか?」

「皆、浄土へ旅立ったからです」

「でも、明逹様は・・・」

「・・・」

「失礼いたしました。不躾なことを聞いて・・・」

「いえ、構いません。私が浄土へ行けない理由は、自ら命を絶ったからなのです」

「えっ!」慈栄はまじまじと明逹を見詰めた。「お差し支えなければ、理由をお伺いしてもよろしいですか?」

「はい。ここは、夫を亡くした女達の為に明恵様がお建てになったお寺です」

「それは存じておりました」

「長くなりますが、聞いて頂けますか?」

「はい」

明達は調理の手を休めて訥々と語り始めた。

「私の夫佐々木広綱は、承久の乱の最中に殺されました。そればかりではなく、十四になる息子勢多伽丸も北条泰時の家臣によって六波羅へ引かれていきました。私は半狂乱となり、なり振り構わず飛んで行きましたが、会わせてはもらえず息子は斬罪になりました。いくらやむを得ぬ事情があったとはいえ、まだ元服前の子供を余りにも酷い。私は絶望のあまり桂川へ身を投げましたが、人に救われ高山寺に参じ明恵様の元で剃髪したのです。それから明恵様の亡くなる貞永元年まで同じ境遇の尼僧達と一心不乱に写経に励みました。そして明恵様が浄土へ旅立たれた年、私も命を絶ったのです。しかし、決して世を儚んだわけではありません。私は自分の勤めを果たしたと悟り、心静かに死を決したのですよ」

明逹が話し終えた時、慈栄も慈恵もよっちゃんも泣いていた。


「食事の支度が整いました。先生方あちらの座敷に来て下さい」よっちゃんが呼びに来た。

「どうした、目が赤いが?」

「いえ、何でもありません。さぁ、せっかく作ったお料理が冷めますよ。行きましょう」

「そうか、ならば頂くとしようか」平助はそれ以上何も訊かなかった。





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