死神 凛
死神
1
「死神ィィィィィー!!」槇草は思わず叫んだ。
「これ、狼狽えるで無い!」横目で槇草を睨んで平助が叱った。
王が台湾へ帰って半年経ったある日、メイメイが一人の女性を伴って妙心館を訪れた。
歳はメイメイと同じくらいだろうか、楚々とした和装の美女が彼女の後ろに立っていた。
「そちらは?」平助が訊いた。
「まず私から説明させて頂きます」メイメイが珍しく慌てた調子で言った。
「ほう、何か事情がありそうじゃな。ならば、まず聞こうか」道場の床で、座布団を勧めながら平助が言う。
「有難うございます。実は今日、兄から手紙が届きました・・・」
メイメイの兄、李子龍からの手紙には、王が妖怪になって王武館に戻って来た事、その事実がやっと受け入れられるようになった事、近々ある女性が訪ねて行くので無門平助先生に引き合わせて欲しい事が、その理由と共に書いてあった。
「私が呆然とその手紙を読み終えて目を上げた所に・・・」
その女性が立っていたと言うのである。
「なに?」平助がメイメイの背後に視線を移す。「して・・・その理由とは?」
「それは私から説明させていただきます」今までメイメイの後ろで俯いていた女性が前に出た。「実は、私は死神なのです」
ここで冒頭の槇草の叫びとなったのでる。
「私は死神局から追放されました」真っ直ぐに平助を見た目には、凛とした潔さがあった。
「死神局?」
「はい、寿命の尽きた人間を、三途の川の奪衣婆の所まで案内するのが私たちの仕事です」
「ほう、そんな役所があるのか?」
「はい、これで中々骨の折れる仕事なのですよ」そう言って、死神はにっこりと微笑んだ。
「どうして追放されたのじゃ?」
「王先生のお蔭で・・・」その声に皮肉の響きは無い。
「そう言えば、死神を騙して妖怪になったとか言っておったが・・・」
「実は、自分が死んだ事を認めたがらない人間が結構いるのです。王先生は十分それを分かっておいでのようでした。なのでつい油断をしてしまって・・・」
「王のやりそうな事じゃな」
「職務を遂行できなかった私は、懲戒免職処分になりました。ですが、王先生を見つけ出し死神局に連れて行く事が出来たら、元の職場に復帰する事ができるのでは無いかと思い、王武館に潜んで王先生の帰りを待っておりました」
「それはまた気の毒な事じゃの・・・」
「王先生もそう言っておられました。そんな事になっていようとは知らなかった、許してくれ・・・と」
「で、王はなんと?」
「もう暫く、自分に時間をくれと。自分にはやり残した事がある、それを果たしたら必ずお主と一緒に死神局に出頭すると仰いました。私はそれを承諾したのです」
「それまでの間・・・」メイメイが話を引き取った。「無門先生に死神さんを預かって貰えないだろうか、自分の他に死神まで居ては兄の身が持たないから、そう先生に頼んでみてはくれないだろうか、と手紙には書いてありました」
「相変わらず虫の良い奴じゃ」平助が呆れ顔で呟く。
「どうかよろしくお願い致します」死神が頭を下げた。
「しかし、ここは狭いぞ」
「いえ、王先生の居られた天井裏で良いのです」死神は天井を見上げた。そこには王の出入りしていた通気孔がある。
「まさかあんたのような女人をあんな汚いところへ・・・」
「いいえ、私達にとっては時間も空間も関係ありません。私が思えばどんな汚いところだって、素敵なリビングに変身します」
「王もそんな風な事を言っておったが・・・」
「私からもお願い致します」メイメイが言った。「このまま行く場所が無かったら、この人可哀想です」
「人ではありませんが・・・」死神が苦笑する。
「師匠、いいじゃありませんか。これからも妖怪と戦うことがあるかも知れません。そんな時大きな力になるのではないですか?・・・僕は賛成です、熊さんだって反対はしないと思いますよ」槇草が口を挟む。
「お前は美形に弱いからのぅ・・・まぁ良いじゃろ、暫くここにおるが良い」
「先生、有難うございます!」メイメイが歓声をあげた。
「よろしくお願い致します」死神も頭を下げた。
その後、平助は所用で出かけ、死神はメイメイとショールームを見に行った。リビングの参考にするらしい。
夕方、熊さんが帰って来たので、早速槇草がその話をした。
「いくら王先生の頼みでん、おいは反対でごわす!」槇草の意に反して熊さんが声を荒げた。「師匠にもしもの事があったら槇草さぁはどうするおつもりでごわすか?」
「し、しかし・・・」思わぬ熊さんの反応に槇草が口籠る。
「よりにもよって死神でごわすか?貧乏神の方がまだマシでごわす!」
「ここじゃ貧乏神も働きがいがないでしょう」
「冗談を言っている場合じゃなかです。師匠が死んだらどげんすっとね!」
「当分死なないと思うけどなぁ・・・」
「とにかく、おいは反対じゃ!死神が出て行くまで、おいは道場には足を踏み入れん!」
熊さんは怒って道場を出て行ってしまった。
「う〜ん、まさか熊さんが反対するとは思わなかった」槇草は頭を抱えてしまった。「師匠が帰って来たら、なんて言おう・・・」
2
「そうか、熊さんがそんなことを言ったか」槇草の報告を聞いて平助が笑った。
「師匠の事を心配しているのは分かるのですが・・・」
「そうじゃのう、じゃが死神に人を殺す力は無い。死神は死ぬ事が決まった人の前に前兆として現れるだけじゃ」
「えっ!そうなのですか?」
「なんじゃ、そんな事も知らんのか?」
「それじゃあ、うちの道場に現れたと言う事は、妙心館の誰かが死ぬと・・・」
「そうじゃ無い。あの死神はクビになったと言っておったであろう?」
「そうか、ただの妖怪に戻っただけか」
「死神と言うくらいじゃから神だったのじゃろう。零落した神じゃな」
「その原因が王先生・・・」
「そう、じゃから無下に断る事はできんのじゃよ」
「う〜ん、でも熊さんが・・・」
「暫く放っておこう。その内、儂が話をするでな」
「そう言う事なら、師匠にお任せします」
槇草は、そう言って帰って行った。
3
「槇草さぁを見損なったでごわす」線路沿いの道を歩きながら、熊さんがぶつぶつ独り言を呟いている。「師匠のこつば一番に考えちょると思うとったのに・・・」
踏切の近くまで来た時、突然甲高い音を立てて警報が鳴り響き、遮断機が降り始めた。
「しまった、ここは開かずの踏切じゃっで、今渡らんと十分は待ち惚けじゃ!」
駆け出そうとしてふと足を止めた。熊さんは目を疑った、あろうことかレールの上を人が歩いている。どうやら女性のようだがその背後に電車が迫っていた。
「危なかっ!」そう叫ぶと同時に躰が動いていた。遮断機を潜り抜け人影に向かって一直線に走る。
プアーン!!!電車の警笛で我に帰った熊さんは、女がいなくなっている事に気付き横っ飛びに飛んだ。
「そうか、それは危うかったのぅ」熊さんの話を聞いて平助が言った。
「おいは確かに見たとです。若っか娘がレールの上ば歩いち来っとば!」
未だ夢から覚めやらぬ様に、熊さんは頭を抱えた。
「それが目の前で消えたのじゃな?」
「じゃっど。もう少しでおいは轢死すっとこじゃった!」
「その女、この世の者とは思えぬ・・・」
平助が腕を組んで考え込んだ。
「それは地縛霊です・・・」背後から女の声がした。
いつの間にか死神が熊さんの後ろに立っていた。熊さんの肩がピクリと跳ねた。
「おはんが死神か!」
「そうです。元、死神ですが・・・」
「おお、戻っておったか・・・紹介しよう、前田・・・」
「師匠、その必要はなか!」熊さんが平助の言葉を遮って死神を睨みつけた。「おいはおはんをここにおく事には反対じゃ!」
「存じております」死神は落ち着いて答えた。
「なら、さっさと出て行かんね。師匠に悪さばすっとおいが許さん!」
「まぁ、待て熊さん。この死神に罪は無いのじゃ・・・」
「宜しいのです、無門先生」死神が熊さんに視線を移す。「私をその踏切に連れて行っていただけませんか?・・・前田先生」
「なんてな?おはんをあそこへ連れて行けちな?」
「はい」
「行ってどげんすっとな?」
「私がその娘と話します」
「話してどげんすっと?」
「成仏させます」
「・・・」
「そうしなければその娘の霊は、永遠にその場所に縛り付けられたままです」
「おはんにそげなこつが・・・」
「出来ます。私は元、死神なのですよ」
死神は、にっこり笑って熊さんを見た。
4
「ここじゃ」熊さんが踏切の前で立ち止まった。「どうやら、居らんようじゃ」
死神は首を振って、そっと周りを見回した。
「います」死神が線路の向こうの竹藪を指さして言う。「あそこに」
その時、警報が鳴り遮断機が降り始めた。いつの間にか若い女がレールの上に立ってこっちを見ている。
「あっ、あいじゃ!」熊さんが叫ぶ。
「動かないで!」死神が熊さんを制した。
電車が凄い勢いで熊さんの目の前を通り過ぎたが、そこには何の異変も起こらなかった。
「出ておいでなさい」死神が優しく言った。
いつの間にか、さっきの女が熊さんの目の前に立っている。OL風の制服を着た女だった。
「貴女、ここで電車に飛び込んだのね?」
「何度飛び込んでも死ねないの・・・」女は朦朧とした声で答える。
「貴女はもう、死んでいるのよ」
「嘘!」
「嘘じゃない、貴女はその事に気がついている筈よ?」
女は苦しげに死神を見た。「でも、ここからどこへも行けないの。行こうとしてもいつの間にか戻ってる」
「それは、貴女が死んだ事を受け入れていないからよ。誰かが貴女を迎えにきたでしょう?」
「来たわ。でも、どうしても受け入れられなかったの、だから逃げた。何の不自由も無かったのに、なぜ私が死ななければならなかったのかが分からない!」
「貴女、学校は好きだった?」突然死神が訊いた。女は、場違いな質問に戸惑ったようだった。
「え?ええ・・・好きだったわ。でも、なぜそんな事を訊くの?」
「友達は大勢いた?」女の問いを無視して、死神が重ねて訊いた。
「ええ、人並にはいたと思う」女は諦めたように、死神の質問に答えた。
「どんな遊びが好きだったの?」
「とにかく大勢で遊ぶ事。小学校の時はゴム跳びやドッジボール、自転車をたくさん連ねてサイクリングにも行ったわ。中学から短大まではバレーボール部だったから、部活の皆んなでコンサートに行ったり、遊園地に行ったり」
「絶叫マシンは好きだった?」
「ええ大好き!友達とキャーキャー言って、大声を出すとスッキリしたわ」
「就職してからはどうだった?」死神は矢継ぎ早に質問した。
「職場の仲間は良い人ばかりで、仕事が終わると一緒に食事に行ったり飲みに行ったりして楽しかった。新年会、忘年会、社員旅行も楽しみだった」
「ご家族は?」
「父と母と弟が一人」
「仲は良かったのね?」
「絆は強かったと思う。いつも助け合って暮らしていたもの」
「ふ〜ん・・・で、満足だった?」
「え・・・ええ」女は死神の質問に面食らった。
「本当に満足だったの?」
「わ・・・分からない」女は項垂れてしまった。
死神は優しく笑って女を見た。
「優等生のお答えね」
「でも・・・」
「本当に学校は好きだった?」
「学校へ行くのは、当然の事だもの・・・それに、行きたくないと言ったら親に叱られるし・・・」
「友達は優しかった?」
「ええ、いつも優しく誘ってくれた・・・でも、誘いを断ると冷たかったわ。私と仲の良かった子が一度誘いを断った事があるの。そうしたらその後シカトされたり虐められたり・・・私はそれが怖かった」
「躰を使って動く事は?」
「私は元々丈夫な方じゃなかったわ。でも、子供は外で遊ぶものだって言われたし、元気で遊んでいると誰も文句は言わないし・・・」
「何が好きだった?」
「雨の日は好きだったわ。家に居てお手玉したり、絵を描いていても叱られなかったもの」
「絶叫マシンてね・・・」死神は急に話題を変えた。「なぜあんなに騒ぐのかなぁ?」
「それは・・・やっぱり怖いからじゃない?」
「本当に怖い時は、声なんか出ないものよ」
「え?」
「お酒は飲む?」
「飲むけど・・・そんなに好きじゃない」
「でも、飲みには行ったのね?」
「行かなきゃみんなの輪を乱すし、職場の空気が悪くなるから・・・それに」
「それに?」
「時々上司の悪口を言ってガス抜きしなくっちゃストレスが溜まっちゃうって」
「それ、誰に言われたの?」
「職場の先輩に・・・」
「ストレス解消できた?」
「その時はできたと思ったんだけど・・・」
「早く帰りたかったんじゃないの?」
「う〜ん・・・あ、でもね、私あるテレビ番組が大好きだったの」
「どんな番組?」
「それがね・・・笑っちゃうんだけど、おじさんが一人で黙々とご飯を食べるだけの番組なの」
「ヘ〜」
「そのおじさんの顔が、とっても幸せそうで見ているだけで癒されちゃうの・・・飲みに行くとそれが観られない日があって、それがとっても残念だった」
死神は、意味ありげにジッと女を見詰めた。
「あっ!」女が大きく目を見開いた。「私って、結局自分の好きな事を何一つやって来なかったんじゃない。いつも人の顔色を見て、人が楽しいと言う事をやって、楽しいふりをしていたのね!」
「そう、大勢の圧力でそれが楽しい事だと思い込まされてたのね。だから、本当は楽しめてない自分に悩んだ」
「なぜ気が付かなかったんだろう?」
「気が付かない方が幸せかもよ」
「嫌だ!このままじゃ嫌!だって、気がついちゃったんだもん!」
「だったら、もう一度生まれ変わってやり直したら?」
「そうしたいけど・・・どうすればいいの?」
「ちゃんと自分が死んだ事を認めて、私についてきなさい」
「は、はい!」娘は明るく応えた。
死神は熊さんを振り返った。
「と、いう事なので、私は今からこの人を連れて奪衣婆のところに参ります。あそこなら昔のよしみで私にもアルバイトの口を紹介してくれるかも知れませんから。無門先生には、短い間でしたがお世話になりましたとお伝え下さい」
熊さんは死神に訊いた。
「死神・・・おはん名前は?」
「死神は死神よ。名前なんてありませんわ」
「そいなら、『凛』と名乗っがよか」
「・・・」
「名無しの権兵衛じゃ、こいから先不便じゃっで」
「では、妙心館に住む事を許して頂けるのですね?」
「よか・・・待っちょいもんで」
熊さんは踏切に背を向けて歩き出した。




