第3話 契約と治癒
育輝は改めて、自信が無さそうにアリエーネ提督を見つめた。
ここでの生活の全てと決別して新たにスペースノイドっぽい人生を歩むというのは、例え後で夢オチでしたと言われそうな話の中の事とはいえ、返事をするには彼にとってそれなりの勇気が必要だった。
「アリエーネ提督。現実味の無い話だけど、もし俺でも良いのなら連れていって欲しい。でも何で俺を選んだんだ?」
育輝は不思議に思っていた。彼にはよく考えるという余裕はもうほとんど無い。それでも何故自分なのか、それだけは知っておくべき事だろう。
「これでもちゃんと調べたのよ。性格的な適正があったから、というのでは不充分かしら? 後でわめき散らされたり、余計な野心を持たれると処置が面倒なの」
アリエーネ提督の言葉は、育輝にはいささか判断し難い内容だった。野心は分かるが、わめき散らすというのはどういう意味なのか。
「テルテル、お別れを言いたい人たちは居る? メッセージを送るぐらいなら出来るわよ」
育輝が何とも言いがたい顔をして黙り込んでいる間に、提督の方では彼がこの惑星の人生から消える算段が進んで行っている。
出来ればもう少し詳しく、自分を選んだ理由について知りたいと思った育輝だったが、残された時間も定かでは無いため後で聞くことにした。
「提督、先に|間田さんを治療してそれから文面なり考えていただきましょう。彼の関係者や病院の方もごまかしておく必要があります」
「そうね……。記憶の改竄の方は任せるわ。まずは彼を運んでそれからよね」
それから提督と参謀の2人は育輝に横になるように言った。
「テルテル、取りあえず今から寝てて良いわよ。治ったら起こすから。正式な契約はそれから交わしましょう。今回は事情がアレだから報酬の一部を先払いするわ」
育輝はと言えば、この後目覚めたら病院のベッドの上から動いておらず、全ては元の状態から変わってませんでしたというオチになるのだろうか、と一瞬思ってしまった。
しかし、それならそれで良いかなと思い直した。最後に変わった夢を見られたのも良い思い出になりそうである。
少なくとも提督と参謀は、今までに見たどの作品のキャラクターとも似ていなかった。雰囲気がいかがわしい事だけが難点ではあったが。
提督が彼の顔に手をかざした途端に、育輝は眠りに落ちた。
テルテルこと『間田 育輝』が目を覚ました時、そこは味気ない病院の天井ではなかった。そこは複雑な模様の描かれた壁紙の貼られた天井であり、凝ったシャンデリア風の照明器具がぶら下がっていた。
彼は残念ながら高級ホテルの類いに宿泊した経験がほとんど無かった為、これらの内装の価値については見当もつかなかったが、ベッドなども含めて相当価値の高いものではないかと思った。
「起きたのねテルテル。おはよう! 難病から生還したばかりだから急に動いてはダメよ」
育輝が上体を起こすと丁度アリエーネ提督が部屋に入って来たところだった。彼女は何やら食欲を刺激する臭いを発するワゴンを押しており、これまた改造制服じみた丈のナース服を身にまとっている。
育輝も男であったから、すらりとした足から下腹部辺りまでは当然の様にガン見してしまったし、そこからふくよかな胸を経て充分に美人であると言える人種不明の提督の顔を呆然と眺めてしまった。
「ンふーふーふー。テルテル~、良いわねその顔つき。あなたのソウルはまだ死んだり干からびたりしてないようね。というよりは復活したのかしら。正直に言うと海軍風の制服の方が良かった?」
正直に言えば育輝は、多少年齢がいっていてもブレザーにミニスカで充分に行けた。彼にとって委員長とは一種不滅の女性であるし、女子大でも制服ありの学園を聖域であると考えてすらいる。
しかし彼も年月を経て変わる部分は変わった。彼は「難病に苦しむ弟の面倒を看るために」委員長がナース服を着てしまう可能性について、その相当なる高さに『ある確信』を抱く領域に到達していたのだ。
「おはようございます提督。俺はその……治ったんですか? ちょっとまだ実感が無くて。ここは船の中ですか?」
「そうね、ここは私たちがあなたに話した『艦隊旗艦』の内部よ。であなたのガンが治癒したんで、起こしにきたところというわけなの。ところで普通に話してくれて良いわよ」
割と気さくでやや礼儀知らずな面もある育輝ではあったが、さすがに命の恩人にはそれなりに感謝するべきだろうという意識は持っている。
提督は「普通に話せ」と言ってくれてはいたが、会社組織で言えば彼女たちは重役であり彼は平社員であったから敬語ぐらいは使おうと思ったし、その事はアリエーネ提督に告げた。
「ん~、あたしはねどっちでも良いのよ。言うことさえ聞いてくれたら。テルテルは委員長には逆らわないでしょう? それと同じで良いわよ」
「! それは……いえやっぱり、委員長には……」
「まぁその件は慣れて来れば何とかなるわ。ところで母性本能が股間から流れ出てるようなオンナが好きなテルテルに聞きたいんだけど、残していく皆にお別れを言う件はどうするの?」
「そうですね。皆は今どうしてますか? 俺は急に病院から消えたわけだし」
「そこは関係者全員の記憶をちょっと改竄したの。あなたは亡くなったことになっているし、お葬式も終わって書類手続きについても何の違法性も無いことになってるわ」
そういうことであれば、育輝は何も言い残さないことに決めた。「あの世からのメールとか割と泣ける話だと思うわよ」と提督は言うのだが、彼はそういった泣ける幽霊ネタの主役にはなりたくなかった。
契約書の作成とサインについては、すんなりと片付いた。
条件としては充分だったし、業務中は特別手当てもつくようだ。
最初に言われたような期間にわたって仕事に従事した場合、彼の収入の総額は30億円を超えると予想される。何しろ1000年分だ。途中で昇給もあれば良いななどと、育輝はそんなことを考えた。
「さぁこれでテルテルも我が艦隊の一員というわけね。これからよろしくね。取りあえずは体調を元に戻すところから始めてちょうだい」
彼の上司になったアリエーネ提督から最初の指示が下された。そうなれば従う以外に育輝の選択肢は無い。
ちなみに艦隊での育輝の呼称は、提督の意向もあって『テルテル』に固定されることに決まった。
育輝が特に何も言わなかった理由は、下手な店より艦隊の方がサービスが良かったからである。上司の意向というのは完全によそ行きの理由だった。
「お気になさらないでくださいね。身体機能の回復とは、メンタルや生殖能力も含めた全てにおいて行われなければなりません。つまり一晩はガンバれるレベルまでは戻していただきますよ」
アプデ参謀などはそう言ってテルテルのリハビリに付き添ってくれた。
そんな参謀の服装は、丈の長いセーターをワンピースの様に着て下は何も履いて無い。セーターはタートルネックだが、袖は落とされており背中側はガッツリ開いている。その上で参謀はメガネ装着なものだから、テルテルはまたもガン見してしまったしリハビリに力も入った。
メタリックブルーの光沢のある髪にメガネ……まさにどこぞのエロゲヒロインのようであり、テルテルとしては休日の委員長を幻視してしまうレベルに達していたのは、テルテルの嗜好を考慮してくれての事だろう。
そんな日常を過ごして2週間ほどが過ぎ去ったある日のこと、とうとう艦隊が移動を開始することが提督より告げられた。