序章 手紙
初めましての人は初めまして。ご存じの人はこんにちは。
書狂少女と申します。
連載している作品も終わっていませんが、新作投稿致します。
この作品は完結済みで、投稿も完了しております。
読みづらいかもしれませんが、どうぞ最後までお付き合いください。
「どうかしましたか!?」
神官イシルは、神官長夫妻の部屋へと駆け込んだ。
突如響き渡った悲鳴に反応してのことだ。
扉を蹴破る勢いで入った部屋の中では、神官長夫妻が立ち尽くしていた。
その顔色は、紙のよう。例えようもなく、恐怖していた。
「一体何が・・・「イシル。」」
台詞をぶった切って放たれた声に、イシルは慌てて反応する。
「はい、何でしょうか。」
「あなた・・・あの子のこと、覚えているかしら?」
「あの子・・・。」
多くの孤児たちを保護する神殿には、名もなき子供たちはたくさんいる。だが、イシルはすぐさま理解した。
「あいつの、ことですか。忘れられるわけないじゃないですか。」
忘れもしない、3年前。
断頭台の上で微笑む少女の姿。その少女は、神官長夫妻の、たった一人の娘。
殺人の罪で処刑された、イシルの想い人でもあった。
「では。」
思考を重々しい声が遮る。
「では、あの子から、手紙が来たと言ったら? お前はそれを信じるか?」
蒼白の視線の先。窓の外には、あるはずもないものがぽつんと置かれていた。
赤い封蝋鮮やかな、白い便箋。強いはずの風に吹かれて飛ぶこともなく、ただそこに、佇んでいた。
イシルは震える手をもって窓を開き、手紙を取る。そこには、少し跳ねるような癖の文字が記されていた。
確かに、この世界から消えたはずの少女の名が。
手紙を開く。
『拝啓お父様、お母様。
世界の狭間の暗闇より。あなたの娘は元気です。
あのときから3年が経ちました。あなたはまだ、私を覚えてくれていますか?
私はあのとき、闇の女神様に拾われました。
鴉と一緒に向かった先で、女神様に会いました。
そして、私は生まれ変わりました。人としてではなく、神でもない、人でもない。ましてや悪魔でもない。精霊に近い存在に。
私の現在の名は、プリエール。
私は今、闇の女神の3人の娘の侍女をしています。世界のどこでもあってどこでもない、世界の狭間の暗闇で。
また、お便りします。
あなたの娘、祈りの使徒 プリエールより。』
イシルは振り返った。きっと自分も今、神官長夫妻と同じような顔色になっているだろうということを、どこか他人事のように知覚して。
イシルはぎこちなくこの場所に集まりつつある者たちを追い払いにかかった。死んだはずの少女からの手紙など、迂闊に見せられるものではなかったから。
集まってきた神官や修道女たちをなんとか言いくるめて追い返し、半恐慌状態に陥っている女神官長を宥めてからイシルは駆け足で聖堂に向かい、ぴかぴかに磨き上げられた床に膝をつき訴えた。
こんなことがあってよいものなのかと。どうして今さらこんなことを知らなければならないのかと。割り切ったと思ったのに、何故まだ己の心は痛むのかと。
目が痛くなるほどきつくつぶっていた瞼を開くと、床に反転した自分の姿が写りこんでいた。
(ああまるで──今の俺みたいだ。)
こんなことはあり得ない、これは幻だと叫ぶイシルと。
あの子にまた会えるのならば会いたいと願うイシル。
分裂した己の心の有り様にイシルは嘲りの笑みを与え、よろりと立ち上がる。
その行く先は中庭。禊のための水場がある場所。弱い己を律するため、イシルは凍えるほどに冷たい水をひたすらに浴びた。手足の感覚がなくなり唇が青くなっても。自分の体が動かなくなっても。
その後、なかなか帰ってこないイシルを探しにきた修道女の1人が甲高い悲鳴を上げた。
大きな水溜まりの中心。水で緩んだ土の中で倒れ伏す、イシルの姿を見て。
二度も響き渡った悲鳴、しかもそれには高い信頼を得る者たちが関わっているとあって神殿はぼんやりとした不安に包まれた。
その日神殿から灯りが絶えることはなく、ずっと誰かが己が信ずる神に、無垢な祈りを捧げていた。
◇ ◆ ◇ ◆
そこは世界のどこか。誰1人として見るも聞くも叶わぬ場所。
そんな場所に、彼らはいた。
ウォルナットの木目も艶やかな机。同じ色の本棚。詰め込まれた無数の書物。不思議なことに、窓はない。
巨人のように背の高い本棚の隙間を縫って、1人の少女が歩いていた。
その手にはお盆。お盆の上には湯気を立てるティーカップとポットと菓子皿が載っていた。
足音もなく少女は歩き、中央のテーブルで本の頁を繰る片眼鏡の少女の前にカップを置いた。
「ジャッジメント様。お茶をお持ちしました。」
ふ、と片眼鏡の少女が顔を上げる。その血の深紅の瞳は、どこにも焦点を合わせていなかった。さっきまで読んでいた本にも、お茶を持ってきた少女にも。
「ありがとう、プリエール。今日のお茶菓子は何かしら。」
「レーズンの蒸しケーキです。お茶も、それに合う物にしました。」
「気が利くわね。」
「いえ! それが私の仕事ですから!」
片眼鏡の少女─ジャッジメントの声は、遥か北の国の山より吹き下ろす風のように温度のないものだった。なのに、その口調は小春日和の暖かさ。
その解離と矛盾を、プリエールは全く気にしていなかった。
「オーディアルとエンドは?」
頁を繰りながら人と話すという、本来なら礼儀知らずな行動もこのジャッジメントには許される──そんな雰囲気があった。
「つい今しがた、起きられました。お着替えも済んでおりますので、もうそろそろ来られるかと。」
「そう。」
ジャッジメントはフォークを手に取り、どこか遠くを見つめたまま、薄黄色にレーズンの茶色が透ける蒸しケーキを口に運ぶ。
万年雪の冷たさが、日に照らされて溶ける瞬間。
ふわりと微笑みを知らないような固さの口元が弛み、はっきりと笑みが刻まれる。
「美味しいわ。」
「ありがとうございます。」
焦点の合わない瞳を輝かせ、ジャッジメントは夢中で蒸しケーキを口に運ぶ。それを見るプリエールの顔は、ひどくしあわせそうだった。
突然、後ろから何かに飛び付かれる。
プリエールは、慌てなかった。
「おはようございます、オーディアル様。」
「おはようプリエール。あたしにも姉様が食べてるの、頂戴?」
「かしこまりました。朝食と一緒にお持ちしますね。」
飛び付いてきた少女─オーディアルは冷たくも見える美貌を持っていた。しかし、その顔に浮かぶのは夏の眩い生命の輝き。陽気な笑顔であった。
オーディアルは本の頁を繰るジャッジメントの右隣の席に腰掛け、姉たる彼女に声をかける。
「おはよう、姉様。」
「おはよう、オーディアル。今日も世界は馬鹿げているわ。」
「あたし、行きましょうか?」
「いいわ。人が然るべき罰を与えるでしょう。」
「ふぅん。」
顔に浮かぶ表情とは対称的に、その声に熱はない。驚くほど、どうでもよさげだった。
オーディアルは椅子の上で、くるりと振り返る。
「おはよう、エンド。よく眠れた?」
「おはようございます、オーディアルお姉様。ジャッジメントお姉様。夢すら見ずによく眠れました。」
底無しの黒髪に、翡翠の瞳が鮮やかな。人形のように表情のない少女であった。
「おはようございます、エンド様。朝食をお持ちしました。」
書架の隙間から現れたプリエールは、2人分の朝食が載ったワゴンを押していた。
テーブルクロスがないからランチョンマットを敷き、手早く朝食を並べていく。
かりりと焼かれた黄金色のトースト。瑞々しいサラダ。不透明な白色のポタージュ。
貴族の簡素な朝食と言われても納得の出来る、さりげない贅沢が散りばめられた食事である。
「美味しそうね。エンドもそう思うでしょう?」
「ええ。プリエールのご飯は、毎食楽しみです。」
「そ、そんなに褒めないでください・・・恥ずかしいです・・・。」
頬を桃色に染めて恥じらうプリエールの頭を、オーディアルが手を伸ばして優しく撫でる。
「褒めてるんだから喜んでもいいのよ? 貴女のご飯は本当に美味しいんだから。」
「は、はい・・・。ありがとうございます・・・。」
朝食をいそいそと口に運び、その頬を綻ばせる姉妹を見るプリエールは、やはり、しあわせそうだった。
また、後ろから声がかかる。今度は艶のある男性の声で。
「プリエール。」
「おはようございますセイヴ様。お寝坊ですよ?」
「そうだったか?」
「はい。朝食は今お持ちしますから、座ってお待ち下さい。」
「すまない。ありがとう。」
「いえ。これが私のお仕事ですから!」
「そうだったな。それでも、ありがとう。」
「どういたしまして。」
相貌を崩して笑った青年─セイヴは幼い妹にするように、プリエールの柔らかな銀髪を軽く掻き乱した。
プリエールは少し頬を膨らませ、髪を片手で直しながら本棚の向こうに消えて行く。
エンド、オーディアル、ジャッジメント、セイヴ。そして、プリエール。人ならぬ彼らの時間は、針の音がない世界で穏やかに過ぎて行くのだった。