2.死の影
ソフィアが健やかに育っていくことに反して、マリアンヌは弱っていった。
それに伴い両親の愛情もソフィアへと傾いていった。
マリアンヌを見舞うことが減っていき、ソフィアとの外出が増えていった。
活発で愛らしいソフィアをマリアンヌ以上に可愛がり、病弱なマリアンヌから心が離れていった。
それは仕方のないことではあったが、病床のマリアンヌを想うと、ジョセフィーネはやりきれなかった。
しかし一方で、ジョセフィーネにとってマリアンヌが唯一のように、マリアンヌにとってもジョセフィーネが唯一となるその状況に、心の奥底では幸福を感じてもいた。
「ジョセフィーネだけね、いつも傍にいてくれるのは」
そう、哀しそうに微笑むマリアンヌに、
「お父様も、お母様も、お忙しい のよ」
と、ソフィアの名は口に出さず、慰めた。
ソフィアが生まれて五年、マリアンヌの部屋の中だけが二人の世界になっていた。
「今日は暖かくて、良いお天気ね」
ジョセフィーネが窓を開けると、春風がふわりと流れ込んだ。
以前なら少しは出来た庭への散歩も、この頃にはもう叶わず、ほんの少し窓を開けることでしか外の匂いを感じることが出来なくなっていた。
季節はもう春だというのに、庭の花を愛でることもできない。
あまりにも華奢で儚く、ひどく透明で美しいマリアンヌが、神様に愛されすぎているようで、ジョセフィーネは恐ろしかった。
「今日は海賊の物語を読みましょう」
そんな不安を打ち消すように、努めて明るくジョセフィーネは微笑んだ。
部屋どころかベッドからも出られないマリアンヌのために、ワクワクするような冒険物語を読んで聞かせた。
見たこともない海、乗ったこともない船、壮大な物語の世界を二人で楽しんだ。
マリアンヌに迫る死の影を振り払うように、声を立てて笑った。
(神様どうかマリアンヌを連れていかないで)
ジョセフィーネは祈るばかりだった。
それから日々が過ぎ、 初夏が訪れた。
その日のブルック家はとても賑わっていた。
ソフィアの誕生会が開かれたためであった。
マリアンヌの部屋へも楽しげな様子が聞き取れて、
「ジョセフィーネ、そろそろ行かないと」
マリアンヌがよそ行きのドレスを着たジョセフィーネに言うと、
「行きたくないなあ」
うっすら化粧を施した綺麗な顔を歪めて、本当に面倒臭そうにジョセフィーネは呟いた。
ソフィアの誕生会など出たくはなかった。
ソフィアを嫌っている訳ではない。
ただ、マリアンヌが不憫でならなかった。
生まれて11年、マリアンヌのために誕生会が開かれたことがあるのだろうか。
少なくとも、ジョセフィーネがブルック家に来てからは、一度もない。
綺麗なよそ行きのドレスも着ることもない。
ジョセフィーネは、上質な水色のドレスの生地をギュッと握り締め、顔をしかめた。
「その水色のドレスとってもステキよ。さあ、そんな難しい顔してないで、いってらっしゃい」
マリアンヌに優しく促され、
「仕方ないなあ」
ふう、とため息を付きながら、ジョセフィーネは渋々部屋を出た。
その足取りはドレスと違い、かなり重かった。
誕生会への出席もそうだが、マリアンヌの傍も離れたくはなかった。
マリアンヌの体調があまり良さそうではなく、心配でソフィアを祝うどころではなかったのだ。
マリアンヌの心配かけまいとする笑顔が逆に痛々しくて、切なかった。
ジョセフィーネは、少しでも早くマリアンヌの元へ戻ろうと決めた。
(上手い言い訳を考えなくては)
そんなことを考えながら、中庭の会場へ向かっていった。