第二十三話
うんこの話は至極当然の内容だった。
自分を追い出したいことはわかっているので、出て行くために協力してほしいということだ。
利害が一致しているのでそこに問題はないのだが、問題はどうやってレストから出て行くかだった。
レストには余計な機能はない。よって予備の小型宇宙船も脱出ポッドもないのだ。
本来は万が一の時のために備え付けられているのだが、レストは博物館の展示物。個人用の脱出ポッドは別の場所に展示されていた。
ラバドーラに代わりになるようなものを作らせる案も出たが、小型ポッドを作れるような部品がレストにはない。
「なぜ……うんこの為にこんなに頭を使わなければならんのだ……。野糞をする場所だってもっと簡単に見つかるぞ」
ルーカスはイライラとつま先で床を何度も叩いた。その横には、卓也が壁に寄りかかって座っていた。
「本当に頭を使う人は、野糞をする場所じゃなくて、トイレのある場所を探すけどね」
「あの勝手に肛門を弄るトイレかね……。私は好かん」
「たかがウォシュレットじゃん。一回病院でお尻の穴を見てもらった方がいいよ。ルーカスのお尻は色々おかしいもん」
「そう簡単に言うな。……あれが出てきたことをどうやって説明しろと言うのだ」
ルーカスは通路の角から影だけを控えめに伸ばしているうんこを指した。
「それを医者に説明してもらうんだよ。まぁ、精神科に回されるだろうけど。……もし、美人の看護師がいたらお見舞いに行くよ」
「何がお見舞いだ。来たらそのまま君も檻の中だ」
「あの……お二人とも……関係のない話をしても事態はまとまりませんよ」
考えることを放棄した二人に、デフォルトは注意をした。二人から妙案が出てくるとは思っていないが、こうも横でぺちゃくちゃと雑談されると、自分の集中力も切れてしまう。
かといって目の届かないところにいられると、また何かしでかすかもしれないので、二人には近くにいてもらうしかない。
二人に何もせず黙っていてもらうというのは、贅沢な注文なのかも知れないと、デフォルトはため息をついた。
「うんこだけに水に流すってのはどう? 体を改造して、見た目がうんこじゃなくなったら、まぁレストにいてもいいかなと僕は思うけど」
「冗談はあの体だけにしたまえ。私の肛門から出たことは間違いないんだぞ。奴を見る度に、私は自分の肛門を心配してしまうではないか。そしたら、今度は下痢のモンスターが生まれるかも知れんぞ」
「申し訳ない。この船にいるのはちょっと……」とうんこが口を挟んだ。「自分はもう少しレベルの高いコミュニティで生きていきたいのだ。園児クラスではなく、最低でも地球の一流大学くらいのレベルは欲しい……。話が通じ合わないのは、とても苦痛なのだ」
うんこの言葉にデフォルトは心の中で頷いた。そして同時に、排泄物に同意した自分に情けなさも感じていた。
卓也は無言でルーカスの背中を強く叩いた。
「なにをするのかね!」
「ムカつくことを言うから」
「言ったのは私ではない。私の声を真似ているうんこだ」
「でも、ルーカスにムカついたの」
「まったく……排泄物にいちいちカッカするな。便秘でもあるまいし」
ルーカスが極めて冷静に言うと、うんこは少し声を大きくして反論した。
「排泄物の名前で呼ぶのはやめてくれないか? ニックネームの低俗さは己の低俗さと直結する。ただ名前を呼ぶだけの行為に、わざわざアホを晒す必要はないと思うのだが」
うんこは怒らせないように諭したはずだったのだが、ルーカスに火をつけてしまった。
怒りの形相で、今にも飛びかかろうとするルーカスを、卓也は慌てて止めた。
「ルーカス! うんこに飛びついてどうするつもりさ! うんこマンなんてニックネームじゃ済まなくなるぞ!!」
「……離したまえ。私は冷静だ……」
ルーカスが深呼吸をして肩の力を抜いたので、卓也は手を離した。
「メタンガスで方舟を爆発させたのを忘れたの? うんこには火気厳禁。怒りに燃えている時は絶対に近づかないこと」
「あれはタコランパ星人が襲撃してきたからだ。つまりこのアホのせいだ」
ルーカスに人差し指を向けられたデフォルトは、とんでもないと触手を二本上げて弁解するように振った。
「違います。自分は襲撃には反対していました。なので、別の宇宙船で逃げようとしたのです。そもそもは地球の宇宙船が我々の支配星域に無断で侵入し、進行を続けたことが原因なのですよ」
「聞いたかね、卓也君。このタコランパは我々が悪いと言っているぞ」
「まぁ、忠告の交信を無視してたのはこっちだしね」
「なぜわかる」
「通信科の女の子が言ってたから。なんか上で揉めてたらしいよ。横暴な上司だったみたいで、彼女ずっと愚痴ばっか。結局その日の僕は揉めずじまい」
デフォルトはほっとした。卓也に肯定してもらわなければ、一方的に悪者になってしまっていたからだ。
しかし、卓也が「結構ふっかけられたみたいだよ。通行料を」と言うと、ルーカスは再びデフォルトを責め始めた。
「なんて醜い……私はこんな生命体を見本にして進化したのか……」
うんこがため息で排熱すると、ルーカスが「クソ野郎」と罵った。
「それいいじゃん。クソ野郎はどうしたいのさ。出ていくって決めたみたいだけど。余計な船がないのはわかってるんだろう?」
うんこはクソ野郎という呼び名を受け止めた。学習したのだ。何を言っても通じない時は受け入れるしかないと。
「せめて宇宙空間に耐えられるものがあればいい。人間の体が耐えられるくらい頑丈なら、大丈夫だろう」
「そう言われましても……。レストにある余計なものは他に利用していますし……」
デフォルトは困った。レストの改造や修理に、使えそうな機械や部品は全て使ってしまっていたからだ。
方舟にタイムワープした時に、レストを改造して倉庫を作らなければと後悔していた。
「こういう時こそ。ラバドーラに聞けばいいじゃん。ずっと改造を繰り返して生き延びてきたんだろう?」
クソ野郎は「そうだ!」と声を大きくした。「命を与えてくれたのがルーカスならば、知恵を与えてくれたのがラバドーラだ。頼るべきは同じAIしかいない」
「待ちたまえ……もう一度言うんだ」
ルーカスは通路の角に向かって鼻息荒く言った。
「命を与えてくれたのがルーカスならば――」
「聞いたかね? 私が命を与えたのだ」
自慢げなルーカスに、卓也はあくび混じりに返した。
「神様気取りもいいけどさ。……それなら、もうちょっとまともな物に命を与えれば良かったのに」
「気取りではなく神様だと言うことだ。正真正銘私の血肉で育ったのだぞ」
「前に神様気取りした時にどうなったのか忘れたの? 邪神扱いで、惑星を追い出されたんだぞ」
「邪神でも神は神だ。私がてっぺんにいることには変わりない」
「そのてっぺんから転がり落ちただろうって言ってるの。今度はうんこに追いかけられるつもり?」
「いいかね? 彼はうんこではなくクソ野郎だ。私の大事なクソ野郎。悔しかったら、生命の一つでも産んでみたまえ」
「そりゃ僕だって生命を作る行為は好きだよ。……そもそも、人間は肛門から産むなんてそんな特殊な構造してないの。ニワトリじゃないんだから」
「それは私が臆病者だと言いたいのかね? ……チキンだと」
「肛門からAIを産む人間なんていないって言いたいの。名前に門って付いてても、ゲートじゃないんだぞ。もしそうだと思ってるなら、今すぐ腸のどこかにAI通り抜け禁止の看板を取り付けるべきだね。そう思うだろう? デフォルト。……デフォルト?」
卓也とルーカスは同時に辺りを見回すが、デフォルトの姿はなかった。
いつの間にか姿を消していたラバドーラに呼ばれ、クソ野郎と一緒に場所を移動したのだ。
その場所はドッキング室。デフォルトが気絶した場所だ。
「これはどうだ?」と、ラバドーラが壁から外したのは宇宙服だった。
「地球製の宇宙服ですか。確かにこれなら……宇宙塵や宇宙船などから身を守ることが出来ますね。ですが……」
デフォルトは難色を示した。
これはルーカスと卓也が船外活動をする時に使うものだからだ。これがなければ、人間は宇宙に出ることが出来ない。
周囲の恒星や惑星の状況によっては、デフォルトも着る必要があるので、それが一つなくなるのは厳しいのではないだろうかという考えだ。
その事を言うと、ラバドーラは人間がするように鼻で笑った。
「奴らが船外活なんてしてるのを見たことがないぞ」
「ですが、もしもの時はする必要が出てきます。その時に一つと二つでは大きく違います」
「それは違うだろうな。だが、私ならもしもの時に奴らに船外活動なんてことはさせない。仕事が増えるからな」
言われてデフォルトは正論だと納得した。二人が宇宙服を着て出ていってしまったら、自分にはどうすることも出来ない。逆に一人がレストの中に残っていても不安でしょうがない。
自分一人が船外活動をするのが一番身体的にも精神的にも楽なのだ。
それにレストにはプロテクト光線という。ある程度の恒星の光や有毒物質から体を守る器具が備わっているので、未知の惑星に降り立つ時はレーダーで毒性や酸素の量などを確認して、プロテクト光線を浴びればいいので問題はなかった。
宇宙服を着なければならない惑星に、わざわざルーカスと卓也を連れて降りるほうが危険だ。
「ですが大丈夫なのでしょうが」
「問題ない。私のサイズにぴったりだ」
いつの間にかクソ野郎は宇宙服に身を包んでいた。だが、おかげで彼を直視することが出来るようになった。
デフォルトはしっかりクソ野郎の姿を見ながら口を開いた。
「サイズは自分の体の大きさを変えられるからいいのですが、問題はどうやって移動するかです。その宇宙服は宇宙船ではないですから、移動するような機能は備わっていないのですよ」
デフォルトの言葉に驚いたのはクソ野郎ではなくラバドーラだ。
「なに!? ただ身を守るだけのものなのか?」
「はい……。レストに保管されたままの古いものなので……」
「これでどうやって船外活動をするつもりだ」
「命綱を繋いで……」
デフォルトが恥ずかしそうに言うと、ラバドーラはふらっとよろけた。
「初めての経験だ……。まさかめまいが起こるなんて……」
実際にはあまりの衝撃によって熱暴走が起き、セーフモードが働いたことによる瞬間的な電源のオフだったのだが、その一瞬の記録伝達の空白が人間のめまいのような症状になったのだ。
「ラバドーラさんも人間に近付いてきているのではないですか?」
「やめてくれ……ここにいる人間はあの二人だぞ。どちらにも憧れは皆無だ。それに、原因はパーツの老朽化だとわかっている。あちこちガタがきているのは確かだからな」
デフォルトとラバドーラが少しの雑談をしている途中で「出来たぞ」とクソ野郎が声を上げた。
「なにがだ?」
「改造を終えたんだ。この宇宙船にはレーザーを改造した後があった。何かを発射した後だろう。それを利用して推進力を得られるように、宇宙服を改造したんだ。同じ自我が芽生えたAIなのに、そんなこともわからんのかね?」
拳を振り上げるラバドーラをデフォルトが慌てて止めた。
「気持ちはわかりますが、あれはルーカス様ではありません」
「止めるな……デフォルト。あの声で言われると全てが悪態に聞こえてくるんだ」
「その拳を振り下ろしたとしても、私は宇宙服の中だ。破壊することは出来ん。それとも、ただお互いを傷つけ合うのが目的か? もし、少しでも私を追い出したいと思う気持ちが残っているのなら、発射するための準備をするほうが賢明だと思うが」
クソ野郎は無駄な争いをするより事を進めようと言いたかったのだが、ルーカスから引き出した言語回路ではラバドーラの神経を逆なでするばかりだった。
ラバドーラは「このクソ野郎が……」と吐き捨てた。
「それが私の名前らしいからな。さて……私はこれから弾になるわけだが、くれぐれも惑星に向かって発射しないでくれたまえ。狙うのは恒星だ。推進力だけでは届かないが、恒星に近づけば環境発電が出来る。後は他の宇宙船が通りかかるまで、のんびり揺蕩うつもりだ。なぁに、長い時間こそ、AIを進化させるには都合のいい時間だ。思考を重ねる時間がたっぷり取れる」
クソ野郎が宇宙服姿で早く動けと手を払う仕草は、ルーカスそのものにしか見えなかった。。
ラバドーラは「お望み通りにしてやる……」と含んだ言い方をして部屋を出ていったので、デフォルトは慌てて追いかけた。
「ラバドーラさん! 冷静になってください!!」
「ルーカスにAIについて偉そうに語られたんだぞ! この私がだ! 安心しろ。しっかり恒星に向けて飛ばしてやる。燃え尽きる距離まで改造してな!!」
「落ち着いてください! ルーカス様の声をしていますが、ルーカス様ではないのですから! 同じAI仲間ですよ」
「それは違う。自我の芽生えた別のAIだ。仲間などとは呼ばない」
ラバドーラはデフォルトの触手を全て玉結びにすると、通路に投げ捨てた。
結ばれ触手が短くなったデフォルトは、怒りで足早になったラバドーラに追いつくことは出来なかった。




