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惑星迷子  作者: ふん
Season4
97/223

第二十二話

 機械の稼働音が低くうなりをあげる以外の音は聞こえない。レストの中は異常な静寂に包まれていた。かつてこんなに静かだったことはない。あるとすれば、ルーカスと卓也に見つかる前のただの展示物だった頃まで遡るだろう。

 卓也は用心に用心を重ねて、薄く張った氷の上を歩くかのように、まずつま先を床にそっと乗せて、それからゆっくりかかとを落とした。

 足音はない。静寂は保ったまま。今ならネズミの屁の音でさえも聞き取れそうなほどだ。

 一歩、二歩と慎重に。三歩、四歩は更に慎重に。五歩と六歩は倍以上の時間をかけた。

 そうして部屋に入ると、卓也は額に浮かび上がった汗を手で拭いて、緊張で頬に溜め込んでいた空気を一気に放出した。

「戻ってきてどうするのかね……。三十分もかけて、たった数歩だぞ。九十の老人だってもっと早く歩く」

 卓也が入った部屋というのは先程出ていったばかりの部屋で、周囲を目で確認するだけで戻ってきてしまったのだ。理由は一つだけ、ルーカスのうんこが歩き回っているからだ。

「じゃあ、自分で行ったらどう? ルーカスが産み出したものなんだからさ」

「女のためならば何でもするというのが君だろう。……アイデンティティを失ってどうするのかね」

 ルーカスはまだアイの姿でいるラバドーラに手を向けた。

「僕も考えたんだけどさ。ルーカスのうんこまみれになった僕でも、アイさんが抱きしめてくれるなら。僕はうんこに飛び込んだっていい。本当さ」

 卓也に見られたラバドーラは投影を止めた。

「それは嘘でも言えない」

「そうだろう。それなら、四人で仲良く部屋から出るか、四人で仲良くここで餓死するかだ」

「私はアンドロイドだぞ。餓死なんてしない。省電力モードでいれば、何百年後でも動ける」

「その何百年後に、ルーカスのうんこと二人きりでいたいわけ?」

 ラバドーラの動きが止まった。

 その光景を想像したからだ。生体発電シートを取り込んでいるのならば、ルーカスのうんこも半永久的に動く可能性がある。

 自分がスリープモードに入っている間。向こうがレストの実権を握っている可能性が高い。そうなれば、ルーカスのうんこよりも下の立場になってしまうと、ラバドーラは人間でもないのに冷や汗が全身に流れたかのような感覚に襲われた。

「部屋から出ると言っても、いったいどうするつもりだ……」

「レストの外に追い出すんだよ。宇宙の彼方に消えてもらうのさ。まさかスペースワイドに考えてなんて切り出す人はいないと思うけど……」

 卓也は余計なことを言い出すのではないかと心配して視線を送ると、デフォルトは黙って頷いた。

 さすがにデフォルトでも排泄物を生命体と認識するのは不可能だった。

「ルーカスは? まさかお腹を痛めて産んだ子供だとでも言い出さないよね」

「私があんな糞みたいな子供を産むとでも思っているのかね?」

「みたいなじゃなくて糞なの。糞そのもの」

「……それは少しばかり言い過ぎではないかね。いくら糞だと言っても、私がひねり出した糞だぞ。君が垂れる糞とはひと味もふた味も違う」

「じゃあ食べて味わえばいいよ。ちゃんと残さず食べてよ」

 ルーカスと卓也が言い合っている横では、デフォルトとラバドーラが意見を交わし合っていた。

「しかし、いったいどうやって動いているのでしょう。エネルギー源はなんなのか……」

「最初はルーカスの排泄物だろうな。チップと共に生体発電シートを一緒に、細胞へ取り込んだ可能性が高い。そして、奴の体内から出た時に排泄物の熱エネルギーを使って移動したのだろう。オングストローム化の技術などろくなことにならん」

「そんなことがありえるのでしょうか」

 ラバドーラは「ありえない」ときっぱり言った。「だが宿主がルーカスだ。なにが起こるのか予測不可能だ。いくらウイルスと同じようなサイズの電子部品だからと言って、普通は肌から取り込まれ、体の中でAIの自我が芽生えるなんてことはありえないのだがな……」

 自分の部屋からチップを一つ盗まれているラバドーラは、うんこが自身を改造していることがわかっていた。まるで自分がそうしてきたように、動きやすい体を作っているのだ。

 自我が芽生えたばかりなのに、進化が早すぎるとラバドーラには疑問が強く残った。まるで自分の培ってきた経験をコピーされたかのようだと。

「銀河間の保護法に引っかかったりしなければよいのですが……」

「あるとすれば宇宙ゴミを不法投棄したくらいの罪だ。これ以上奴が知恵をつける前に、切り離したほうが良いだろう」

 ラバドーラはドアを開けると、ルーカスと卓也の尻を蹴って先に追い出してから、自らも通路へと出た。



 四人はレストの中を一周したが、ルーカスのうんこと出会うことはなかった。そのことで気持ちが楽になったのか、ルーカスにも慎重さがなくなっていた。

「というか、ルーカス……どんだけ大きいうんこをしたのさ。幼稚園児くらいの大きさくらいはあったぞ。あのうんこの大きさは」

「私の肛門をワープゲートと勘違いしてるのではないかね。普通のサイズのうんこだ。そんなに気になるなら、今度からメジャーを使って図りたまえ」

「本当に大きかったんだって。ねぇ、デフォルト」

 あの姿を思い出したくなかったデフォルトは「……はい」と元気なく答えた。

「ほら、見ろ。あんなものが肛門から出てくるなんて、正直同じ人間だと思えないよ。まさか、ルーカスってエイリアンなんじゃないだろうね」

「ならば、今から私がクソをひねり出すから、君が素手で解剖したまえ」

「そんな喧嘩しないでください……排泄物のことなんかで……」デフォルトは情けないと項垂れた。「ですが、なぜ人の姿に改造しないのでしょうか」

「人数が増えたらバレるからじゃないの? コソコソしてるってことは僕らには見られたくないってことだ」

 卓也の言葉を聞いて、ラバドーラは否定に首を横に振った。

「そこまで頭がいいとは思えん。AIとは人間のように、あれもこれもと少しずつ脳の機能が成長するわけではない。まずは自己修復機能を学ぶ。バグによって芽生えた自我では、あちこちに不具合が起きるからな。いらないものはどんどん遮断していく、そして足りない箇所は増やしていく。だから、今奴は自己改造に勤しんでいるわけだ」

「じゃあ、アレだ。ルーカスの体の中で学んだんだよ。ルーカスってうんこにこだわるから、マイナスイメージがないんじゃない? うんこの格好をしていれば、友好的だと思っているとか」

「私がこだわっているのはトイレットペーパーだ」

「うんこを拭くんだから対して変わらないよ。ルーカスのトイレットペーパーのわがままに、僕らがどれだけ苦労したか……」

 ラバドーラは「まずいな……」と足を止めた。

「そりゃあ……美味しくはないだろうね。僕は食べたことないけど。ルーカスに聞いてみれば? 自分のうんこはひと味もふた味も違うって豪語してたから」

「君は言葉の意味も知らんのかね……」

「知った上で煽ってるの」

「いいから聞け」とラバドーラは強い口調で言った。「ルーカスの中で自我が芽生えた。そこまではいいとしよう。問題は卓也が言っていたように、ルーカスの体内で成長をしていたらということだ。つまり、我々の会話を聞いて育っている可能性がある」

「どんな問題があるのさ、僕らは国家機密を知ってる逃亡犯でもなんでもないんだぞ」

「オマエらに話した私の経験も吸収しているということだ。データがあるのならば、知能はどんどん進化していく」

 ラバドーラが率いていた、L型ポシタムという組織のアンドロイドもそうだった。ラバドーラがウイルスを使いデータを書き換えたことにより、自我の芽生えたアンドロイドが大量に産まれ、組織化されたのだった。

「それって、ルーカスよりも、うんこのほうが頭いいってこと?」

 卓也の言葉を「違う」と否定したのは二人だった。ルーカスとラバドーラだ。

 ルーカスが調子よく納得顔でうなずくより早く、ラバドーラは否定した。

「ルーカスと卓也より頭がいいということだ。私の言っていることが理解出来ているのだからな」

「でも、いくら急速に知能が発達したからと言って、今すぐ科学者並みになるとかってわけでもないんでしょ」

「それはないが……問題は……私の部屋にあった小型スピーカーが盗まれたことだ」

「スピーカーが欲しいなら、おもちゃのを取り外せばいいじゃん」

 ラバドーラが「いいか?」と説明しようとすると「動くな」と声がした。

 それはラバドーラの声でも、卓也の声でも、デフォルトの声でもない。ルーカスの声そのものだった。だが、ルーカスは唇を一本線のように閉じている。

「なんだ、この傲慢な声は……」

「なにって……ルーカスの声だよ」

「私の声が、こんなブサイクなはずがない。私の声は、声のオタクどもが耳から涙を流す程の良い声だからな」

「じゃあ、耳に目くそが溜まっておかしくなってるんだよ。あれは紛れもなくルーカスの声」

「いいから、黙りたまえ……口汚いのはうんざりだ」

 うんこはルーカスの声で言うが、肝心の姿は現さなかった。

「もしかして……私は今自分のうんこにバカにされたのかね」

「そうだよ、うんこに汚いって言われてるの」

「許せん……うんこというのはカスだということを教えてやらねば」

 ルーカスは怒りに肩を震わせると、ずんずんと通路の角まで歩いていった。

 しかし、角を曲がった瞬間。すぐにふらふらとよろめきながら戻ってきた。

「どうしたのさ」

「強烈だ……。リアル志向の芸術家でも、あそこまでリアルに糞をつくることは出来ん……。イカれてるぞ! あれはうんこ以外なにものでもない!」

「あぁ……そういえば、ルーカスはまだ実際に見てないんだったもんね。そうだよ、アレはうんこなの。だから僕とデフォルトは……そうだよ! うんこがルーカスの声で喋りかけてくるから気絶したんだ!」

「そうでしたね……あまりのことに悪夢かと記憶の片隅にしまっていたようです。そうです、排泄物がルーカス様の声で話しかけてきたので気絶したのでした」

「……私のうんこを弄ぶな」

 ルーカスが二人を睨みつけると、うんこが「待ちたまえ!」と声を荒らげた。

「私が悪い。完全に私の過失だ。排泄物がこんなに嫌われているものだとは思っていなかったのだ。君達にとって優先順位が高い良いものだと思っていたのだ。そして、今はこの姿が恥ずべき姿ということを理解している。どうか、このままの距離で話をさせては貰えないだろうか」

 声がルーカスだとしても、うんこの言うことはルーカスとはまったく違っていた。

「混乱してくるよ……ルーカスの声で至極まっとうなことを言うんだもん……」

 卓也は頭を抱えると、ルーカスが「私はいつもまともだ」と怒気を込めた声で言った。

「自分もです……あんなに綺麗なルーカス様は初めてです」

「相手はうんこだぞ! 百パーセントうんこだ! 純度百だ! たとえ私が母親の肛門から産まれたとしても、糞にはならん!」

「だが、まともだ。いっそ脳みそを取り替えてもらったらどうだ?」

 ラバドーラの皮肉にルーカスは声を荒らげた。

「私の脳みそは糞ではない!」

 ルーカスの怒号後すぐに、うんこが申し訳無さそうに口を挟んだ。

「すまないが、百パーセント排泄物だというのは訂正してもらいたい。最初に熱エネルギーを拝借しただけで、あとはエナジーハーベスティングでエネルギーを得ている。つまり、照明光や振動などを使い、環境発電をしているんだ。この体もほとんどが君達の宇宙船から失敬したパーツで作られている。勝手に失敬したことは、重ねてお詫びを申し上げたい」

「聞いたかね? うんこを食べてエネルギーを得たと言っているようなものだ。私は糞は食べんぞ。つまり、私のほうがまともで清潔で脳みそもしっかりしているということだ!!!」

 ルーカスの叫びとは裏腹に、デフォルトは小さな声で感心していた。

「ずいぶん高度なエナジーハーベストですね……」

 デフォルトの言葉に、ラバドーラは中途半端に頷いた。

「というよりも、エネルギー効率がいいんだろうな。私は動きやすさから、この形を保っているが、限られたエネルギーを使うのならば適した形というものがある。生物も色々な形をしているだろう」

「僕には何のことかさっぱり」

 卓也はまったくわからないなと肩をすくめた。

「卓也さん……エナジーハーベストは宇宙船でも大事な技術ですよ。このレストでも使われています。地球の宇宙船だって、昔から太陽光エネルギーを利用していたと資料に書かれていましたが……」

「ここに太陽なんてないじゃん」

「太陽光というのも環境発電の一つというだけで、他の恒星の光や放射線を利用したり色々されているんですよ。発電機能が発達したり、エネルギー効率やエネルギー量が増えたとしても――」

「あぁー……いいっていいって、そういうのは。だって僕らはこれからうんこと話すんだよ。難しい話をされても混乱しちゃうって。そもそもルーカスの声だっていうだけで混乱してるんだから。もし、どうしてもその話を続けるのなら、カウンセリングの先生を探してきて。美人でセクシーで、怖い夢を見た時に子供を抱きしめるみたいな包容力のある女性で」

 卓也は真面目な顔でデフォルトの目を見ると、その視線を通路の影に伸びるうんこの影へとやった。

「そうですね……。まずは話し合いましょう。気をしっかり持って」






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