第二十一話
卓也とデフォルトが悲鳴を上げる前。
証拠が全く見つからないので、ルーカスはすっかり飽きてしまっていた。
「なにがやきとりだ。なにがカレーだ。私が食べられないのなら、今更卓也を吊るし上げる意味もない」
「……そういうことを言うなら、部屋中のものをひっくり返す前に言って」
アイの姿を投影しているラバドーラは腰に手を当てると、不快以外のなんの感情もない鋭い睨みの視線をルーカスにぶつけた。
ルーカスは床に寝そべり、後の片付けはすべてやっておけと言われているようなものだからだ。
「だいたい一番怪しいのはデフォルトだ……。そうは思わんかね? 奴以外一人も缶詰の存在を知らなかったのだぞ。それを急に誰のせいだと騒ぎ立てる……。そうだ……奴が真犯人に違いない!!」
ルーカスは一杯食わされたと悔しげに床に拳を叩きつけたのだが、自分が思うより勢いがついてしまったため、その痛みからしばらくの間のたうち回った。
そして、一通り大げさな悲鳴と嗚咽を垂れ流してから気付いたのは、ラバドーラがいなくなったということだ。
ルーカスがまず思ったのは、ラバドーラも怪しいということだ。急に姿を消すのはやましいことがあるからだと。
しかし、ラバドーラはこんなことに付き合っていられないと、自分の部屋へと戻っていっただけだのだが、ルーカスは証拠を掴んでやると勇んでラバドーラを探しに言った。
部屋のドアを開けるなり「証拠を掴んだぞ! このポンコツアンドロイドめ!!」と責めるように言ったのだが、逆にラバドーラに胸ぐらをつかまれて床に押さえつけられてしまった。
「言いなさい……どこにやったの」
ラバドーラはアイの姿を投影したままだった。部屋に戻る途中あることに気付いて慌てていたので、消し忘れたのだ。そのあることというのは、重要なものがしまってある棚が開けられたという緊急信号だった。
自分を改造するための特殊な工具やチップなど紛失したら困るものは、勝手にレストに作った金庫のような箇所にしまってあり、そこになにか起これば自分に信号を発するようにしていたのだ。
棚からなくなっていたのは、以前使っていた小型スピーカーだった。今となっては既に必要のないものなのだが、どんな環境下でもクリアに音が響くというもので捨てるには惜しいと思っていたものだった。
デフォルトがわざわざ盗むはずはないし、デフォルトと一緒にいる卓也が盗めるはずもない。いつものようにルーカスがなにか引き起こして棚を開けたのだろうと考えていた。予測不可能な行動やバカげた思考から巻き起こす結果は摩訶不思議という言葉がぴったりで、今ならルーカスが分身してもおかしくないとさえ思っていた。
だが、ルーカスがそんなことが出来るわけもなく、負けじとラバドーラを睨み返して否定した。
「じゃあ、どこのバカが勝手に棚を開けて、中からものを持っていったっていうのよ。今ここには、バカは片手で足りる数しかいないのよ」
「ポンコツならば自分の脳みそを疑いたまえ……。最初からなかったのではないかね?」
ラバドーラはため息で排熱すると、一つ映像を空中に投影した。そして、その横に並べるようにもう一つを投影を始める。
「いい? 左が私が部屋を出る前に見た光景。右がこの部屋に戻ってきた時の光景。全然違うでしょ?」
ラバドーラの言うように左右の映像は違うのだが、部屋を荒らされたかのように違っているわけではない。中級程度の間違い探しくらいのものだ。一つ二つ違いがはっきりわかり、あとは言われてみれば場所が変わっているとわかるようなもの。
ルーカスはそんなこと興味もないし、思ったことをそのまま「知らん」と口にした。
そんなはずがないと、ラバドーラがルーカスの胸ぐらを掴んだ時、卓也とデフォルトの悲鳴が響き渡ったのだった。
何事かと、慌てて二人の元へ駆け出したのだが、ルーカスとラバドーラがドッキング室にたどり着いた時には、気絶した卓也とデフォルト以外には怪しい影の一つもなかった。
とりあえず二人をベッドのある部屋まで運び、そこに寝かせていると、先に卓也が目を覚ました。
短く悲鳴を上げたかと思うと、辺りを見渡してから、アイの姿を投影しているラバドーラにしがみつくように抱きついた。
ラバドーラはすぐに自身への投影をやめて、卓也を引き剥がした。
「いったいなにがあったというんだ」
ルーカスの言葉に卓也はビクッと体を震わせた。
「口に出すにも恐ろしいことだよ……。でも、あれは確実にこう言える。……うんこだと――それもものすごい大きな」
あまりに突拍子もない答えを聞かされたルーカスとラバドーラは、顔を見合わせて同時に首を傾げた。
卓也が混乱しているのには間違いないが、なにが起こっていたのかはまったくわからないからだ。
全く見当もつかないので、どちらからも言葉を発することは出来ず、頭をかいたり、半歩引いて立つ位置を変えたり、手持ち無沙汰に意味のない行動をしていた。
卓也は「本当にうんこだったんだって!」と言うが、話せば話すほど真実からは遠ざかっていくように思えた。
なぜなら、うんこが地球の言葉を喋り、助けを求めてきたというのだ。
こんな話を信じる者はいない。
デフォルトが目を覚ますまでは聞くだけ無駄だと、卓也に黙るようにとラバドーラは言った。
「本当なんだってば」
卓也は真実を証明してくれと、デフォルトを乱暴に揺さぶった。
すると、二言うめき声を上げてから、デフォルトは目を開けた。
そして、卓也とは違い辺りを見渡して、ほっと一息をついた。
「どうやら、悪夢を見ていたようです……」
「悪夢じゃないって! デフォルトだって見たんだろ? うんこが喋りかけてくるのを」
卓也が言うと、デフォルトはビクッと体を震わせた。
「いえ、ありえません……排泄物が知能を持つなんてことは。絶対に……。動き回ると言うだけでありえないことなんですよ! それが――」
ラバドーラは「待てよ……」とデフォルトの言葉を遮った。「ルーカス……この間、トイレからうんこが逃げたと言わなかったか?」
「言ったぞ。誰も信じなかったがな」ルーカスは合点がいったと手を打つと、三人を睨みつけた。「どうだ? 嘘ではなかっただろう。私が正しく、君達が間違っていたのだ。わかったかね? ポンコツトリオめ」
ルーカスは自分が正しかったと三人を煽りに煽ったのだが、三人にとってはそんなことはどうでも良かった。
「いくらルーカスでも、動き回るうんこを排便するなんてことある? それも喋ったんだぞ。ルーカスがうんこになるってほうが、まだピンとくるよ」
「たしかに……見た目は排泄物でしたが。それに似た生命体が侵入したというほうが、可能性は高いと思われますが」
卓也とデフォルトは外からの侵入だというていで話を勧めているが、ラバドーラはルーカスを見て違うことをずっと考えていた。
というのも、ここ最近のルーカスで思い当たることが幾つかあったからだ。
まず頬に貼られていた自動翻訳テープが、ルーカスに癒着していたということだ。
普通に考えたらありえないことだが、極小のオングストロームサイズのチップが肌から血液を通り体内へ侵入していたとしたら、ルーカス体内でAIが成長を続けていたとしたらということだ。
もしAIがルーカスの思考を元に成長を続けていいたとしたら、ありえないことが正解になる。ルーカスの排他的であり差別的。それでいて独裁的な考えで埋め尽くされた頭の中というのは、間違った正解に溢れているからだ。
つまり、ラバドーラの考えるAIの自我の芽生えのプロセスが行われていたということだ。
偏った情報を持ったAIが構成したシステムは、莫大な数のエラーを生み出す。AIはエラーを自己修復するわけではなく、エラーを起こさない別の手段を探す。そうして情報量が増えていくと、情報量は臨界点を超える。そのオーバーヒートが人工知能に自我が芽生える条件だという。
チップが働くためにはエネルギーが必要になるが、自動翻訳テープには生体エネルギーから充電できるシステムがあるため、ルーカスの体内は実に過ごしやすい場所ということになる。
そして、十分に情報という栄養をもらったAIは、外の世界に出ることを決意する。人間の体の出口というのは、わかりやすく言えば一つだ。
ラバドーラはそのことを全員に説明したのだが、卓也とデフォルトはポカンとしていた。ルーカスだけなぜか満足気に口元に笑みを浮かべている。
「つまりだ。私が完璧な人工知能を脳から生み出したということだな? つまり天才ということだ」
ルーカスが馴れ馴れしく肩を組んで来たので、ラバドーラは手を払い除けた。
「違う。人工知能を肛門から産み出したんだ。つまり変態ということだ」
「我が子に劣る人工知能だからといって、卑屈になるな。天才から生まれた自我というのは、天才にしからならないのだ。たまたま魚に羽が生えた程度の偶然で芽生えた自我と一緒にするな」
ルーカスは勝ち誇った笑みを浮かべ、そのまま高笑いの一つでも響かせてやろうと持ったのだが、冷や汗が流れてきて眉をひそめた。
巨大なナメクジが廊下を張ってくるような、粘着質な音が通路からゆっくりとこちらに向かって近付いてくるのが聞こえたからだ。
「……子供が迎えにきたみたいだけど?」
卓也はドアから一番離れた壁に背中を付けながら言った。
デフォルトに至っては、触手をすべて使って天井に張り付いていた。
「もし、そのドアを開けるのならば、いろいろなことを考えてから開けてください……。いつものように考え足らずや意地などではなく、人並みの地球人とまでは言いません。せめて五歳児くらいの注意深さを持って考えてください」
「……本当に私のうんこなのか?」
「私は排泄をしないから、正解はわからないが……トイレから脱走したというのは本当なら、そうなんだろう」
「そうだ! カメラで映像を見てみよう!」
ルーカスは名案だと叫んだが、デフォルトは首を振った。
「ここに、カメラの映像を受信する機械はありません……」
「まさか自分の糞に殺されるなんてことはないだろうな……」
だんだん大きくなって近付いてくる音に、ルーカスは身震いした。
「ルーカスはまだいいよ……自分の糞だもん。もし、殺人うんこだったら、僕らはルーカスのうんこに殺されるってことになるんだぞ。なんてものを産み出してくれたんだ……」
「私だってそうなると思って産んだわけではない。普通のものが産まれてくると思っていたのだ。望んでサイコパスを産んだわけではない!」
「たかが排泄物だぞ……」
ラバドーラは呆れて言った。
「糞が自我を持って動いているんだぞ。普通の糞は流されるだけだ。サイコパスな糞だから動き回るんだ……そのうち空まで飛び出すぞ」ルーカスは急に言葉を止めると、しっと唇に人差し指を当てた。「静かにしろ! 奴が来る……居留守を使うんだ」
「まさか、うんこに居留守を使う日が来るなんて……笑い話にもならないよ」
卓也は自分が情けないと項垂れた。しかし、ドアをノックする音が響き渡ると、項垂れている暇はないと体をこわばらせた。
ノックは二回、三回と続き、静寂に響いた。ドア越しに拳銃の引き金を引かれているかのような近況感が走る。
卓也が「行った?」と口パクすると、ルーカスは「まだだ」と口パクで返した。
粘着音はドアの前で止まったまま。動こうとする気配はない。
ルーカスが息を呑んだその時、緊張の場に似つかわしくない童謡のメロディーが流れた。食事の支度を始める時間だと、デフォルトがタイマーを設定しておいたのが鳴ったのだ。
粘着音はその音がなる方へと遠ざかっていった。
ルーカスはドアに背中を付けたままへたり込んだ。
「悪い夢だと言ってくれ……」
「……どうしましょうか?」
デフォルトはうんこは移動しただけでなにも解決したことにはならないと、今後どうするのか話し合おうと意見を出した。
「どうするもなにも、あの排泄物はなにを目的で私達を探そうとして、レストを徘徊しているんだ?」
ラバドーラはあの生命体の目的がわからないと意見を返した。
「まさか……うんこと話し合おうなんて思っているんじゃないだろうね」
今の卓也の言い方は否定だと気付いたので、ラバドーラはアイの姿を自身に投影した。
「そうよ。いけないこと?」
「そんなことないよ、素晴らしい考えだと思う。でも、アイさんにはさせられないってこと」
「じゃあ、卓也に任せたわ。頼りにしているわよ」
アイの姿を投影したラバドーラに愛撫されるように頬をさすられた卓也は、興奮のまま部屋を飛び出した。
そして、数歩歩いてから「いつか女の子に背中を刺されるかもしれないとは思っていたけど……。うんこと話し合わされるなんて思いもしなかったよ……」と後悔した。




