第十九話
ルーカスが起こしたSNSの騒動も、卓也が起こしたSNS騒動も収まり、レストは静けさを取り戻したかと思ったが、取り戻すような静けさはもともと存在していなかった。
今まで調子よく拾っていた回遊電磁波が突然途切れてしまったのだ。
回遊電磁波というのは宇宙船が宇宙空間に残していった特殊な電磁波であり、途切れたり全く繋がらなかったりするのが普通なのだが、急にデータのやり取りが出来なくなってしまったので、ルーカスも卓也も不満が爆発していた。
これは二人だけではなく、デフォルトにも不都合なことだった。怒りの矛先はすべてデフォルトに向かってしまうからだ。
デフォルトも出来ることならばどうにかしたかった。
回遊電磁波は地球や、地球近くの銀河にある惑星と通信出来る可能性があるからだ。回遊電磁波の性質上、遠くの惑星までデータのやり取りをするにはかなりのタイムラグが生まれてしまう。途中で回遊電磁波が途切れてしまうと、別の回遊電磁波に拾われるまで通信されないからだ。
今までは大元のサーバーのようなDドライブが近くにあったということもあり、順調にデータ通信が出来ていたのだが、影響が薄れた場所まで離れてしまった為。以前のように途切れ途切れになってしまったというのがデフォルトの見解だ。
しかし、ルーカスと卓也はそうは思わなかった。
自分達が問題を起こしたせいで、デフォルトが故意に回遊電磁波を遮断したと思っていたのだった。
「もういい加減いいでしょ。僕もルーカスも反省してるって。ほら見て、この手。今なら掃除だってしちゃう」
卓也はテーブルを拭きながら、明らかな媚びた笑みを浮かべていた。
「ですから……何度も言うように、自分がどうこうしたわけじゃないんですよ。回遊電磁波が途切れるのは至極当然のことなのです。今までもそうでしたでしょう? あと……テーブルの汚れは考えて拭かないと、汚れの範囲が広がるだけなのですが……」
デフォルトは卓也が自分でこぼした醤油を四方八方に広げているのを見て、複雑な表情を浮かべた。
「情けない……」とルーカスは卓也の態度に呆れていた。「媚びるのは二流のやることだ。媚びて媚びて手に入れるのは微々たる改善。いいかね? 出来る男はひたすらに押すのだ。押して押して押しまくる。これがどういう意味かわかるかね?」
「崖から突き落とす?」
「違う。私が押せば相手は引くのだ。作用反作用の法則だ」
「違いますよ……」
「デフォルト君。ドアを知らんのかね? 押せば引かれるのだ」
「押すと押し返されるのが、作用反作用の法則ということですよ」
「聞いたかね? 卓也君。やはり我々に反発するらしいぞ」
ルーカスが腰に手を当てて、どうしてやろうかとデフォルトを睨みつけると卓也もそれに続いた。
「これは由々しき事態だね」
「ですから、本当に自分にはどうしようも出来ないことなのですよ。そもそも、お二人はSNSの事件で懲りたんじゃないのですか? 今更回遊電磁波を拾ってなにをするおつもりなのですか?」
「そりゃ、色々あるよ。今度は宇宙一セクシーな体の部分部門があるんだぞ。まだ写真の一枚もダウンロード出来てないのに。どうやって選べばいいのさ。そりゃ、僕が中学生だって言うなら妄想しちゃうよ。でも、現実を知った男は妄想には戻れないの。わかる? 妄想に手を伸ばしてもすり抜けていくけど、現実に手を伸ばせば丁度いい位置におっぱいがあるって知ってるから」
卓也の熱弁にデフォルトはため息をつくと、タブレット端末を持って背を向けた。
「とにかく、回遊電磁波については自分ももう少し調べてみますから、お二人はとにかく少し大人しくしていてください。いいですね? なにか問題を起こせば、それだけ解決も遅くなるということを知ってください」
部屋から出ていくデフォルトを見ながら、卓也は肩をすくめた。
「どう思う?」
「ムカついているに決まっているだろう。私も本を買ったばかりだったのだぞ。代金は支払ったというのに、ダウンロードは終わっていない。これじゃあ詐欺にあったようなものだ」
「違うよ。本当にデフォルトは知らないのかってこと。子供の頃よくあったじゃん。子供が悪いことをしたら、親がどう対処するかってこと」
「簡単だ。母親はヒステリックに金切り声を上げ、父親は無関心を決め込む。その態度に母親が更に声を上げ、父親はますます口を閉ざしていく」
「そんなの参考にならないよ。もっとなかったの? 怒って隠したゲーム機の隠し場所とかさ」
「ヒステリックだと言っただろ。隠すどころか壊す。まぁ、おかげで私は女性を見る目が養われた。視野が広いということだな」
ルーカスは自分の感性は絶対だとでも言うように、誇らしげに胸を張った。
「むしろ狭まったんだと思うけど。ルーカスのストライクゾーンって、観客が暴動起こすくらい狭いんだもん」
「私のことより。君だ。君の家はどうだったんだ」
「僕も普通の家庭だよ。悪いことをしたら怒られる。その後みんなでご飯を食べに行く」
「意味がわからん……」
「わかるだろう。怒ったのと怒られたのを楽しい思い出で上書きするためさ。でも、僕の家はルーカスの家みたいに壊さずに、ゲーム機は隠したよ。僕の部屋のクローゼットの中にね」
ルーカスは「なんて意味のない話だ……」と肩を落とした。「回遊電磁波がクローゼットの中にでも落ちてるというのかね? わかったのはバカなことだけだ」
「確かに……親バカなのは間違いない。でも、もう一つ手段がある。一回だけ、ゲーム機を本当に隠されたことがあった。その時、僕はどうしたと思う? 隣の家のお姉さんの家で遊ばせてもらったんだ。つまり解決策はお姉さんに頼むこと」
卓也が「さぁ行こう」とルーカスを誘って向かった場所は、ラバドーラがいるエンジンルーム隣の倉庫だ。
入るなり、卓也は「さぁ、アイさんの姿を投影して、話はそれからだよ」とラバドーラにお願いした。
作業中のラバドーラは邪魔されたくないと「話はない。わかったらさっさと出ていけ」と冷たく言い放った。
「私達は回遊電磁波の話をしに来ているのだ。ネット中毒のポンコツアンドロイドも困るのではないかね?」
「……いいか? ネット中毒なのはオマエ達だ。私はバカと交流するようなボランティアには興味がない。ポンコツなのもオマエ達だ。理由は説明するまでもない」
ラバドーラはマイクを遮断して作業に集中した。
ルーカスと卓也から剥がした自動翻訳テープの中のデータに、解読できない部分があったからだ。データの容量は微々たるもので、ラバドーラの性能ならあっという間に解読できるはずだった。しかし、開くことさえ出来ないデータベースがあり、解読してやろうと躍起になっていたのだ。
翻訳テープ自体は既に完成して、ルーカスと卓也の頬に張っているのだが、これは高性能アンドロイドとしての戦いだった。この程度のものを解読できないようではプライドに関わると、勝手に自分の部屋と決めた倉庫を作業場にして籠りがちになっていた。
ラバドーラは音声情報を遮断して手元に集中したはずだったが、ルーカスは目の前で身振り手振りで怒りをあらわにし、卓也はベタベタと体を触ってくるので、とても集中できるような環境ではなくなっていた。
「なんなんだ! カメラに皮脂汚れがつくだろう!!」
ラバドーラはマイクを入れ直し、卓也を引っ剥がすと体の小型カメラのレンズを優しく拭き取った。
「それじゃあダメだよ。一回投影して、本当に綺麗に拭き取れてるか確認しないと」
卓也はウキウキとレンズ用クリーニングクロスを渡しながら言った。
ラバドーラはため息で排熱して冷静になると、一度二人を満足させようと思い直した。とりあえず目先の欲を発散させてやれば、しばらくは大人しくなると思ったからだ。
卓也の要望通り、自身の白いボディにアイの姿を投影すると「それで? 話はなんなの?」と聞いた。
「僕を膝に乗せて抱きしめて、こんな弟が欲しかったの。って頭に頬ずりして」
「頬をヤスリをつけていいなら」
「勘違いしているようだけど、これは大事なプロセスの一つだよ。そうして過去を思い出すことで、僕はゲーム機を取り戻すんだから」
「あのねぇ……もう過去に行く話は終わってるの。どうしても過去に行きたいなら勝手にやって。でも、もし過去に戻ったら、そこのマヌケでバカな男を始末しておいて」
ラバドーラに小馬鹿にした表情で見られたルーカスは、カッと頭に血が上った。
人に悪口を言われるとすぐに頭にくるルーカスだが、ラバドーラがアイの姿を投影している時に言われると、誰に言われるよりもムカつくのだった。
これは刑務所暮らしの時。ラバドーラにいいように利用され、自分の上司という立場にいたことを根に持っているからだ。
「偉そうに言っているがな。君は所詮誰かに作られた存在だ。変態博士とかにな」
「あなたも誰かに作られたのよ。アバズレと醜男にかしら?」
「私もそう思ってるから、まったくダメージにならん」
ルーカスは参ったかと得意げな顔でラバドーラを見下した。
卓也はアイの姿のラバドーラに味方するために「飼ってた犬に箸の使い方を教わったくせにって言ってやんなよ」と助言した。
「……本当なの?」
ラバドーラはそれが本当の話ならば、あまりに情けなくて気の毒だと、哀れな視線をルーカスに向けた。
「何度言ったらわかる。犬ではなく猿だ。猿のカノシロに教わったのだ」
「どっちにしろ哀れよ」
「なにを言っている。実に頭のいい猿なのだぞ。男に媚びて女に姿を変えるようなポンコツアンドロイドにはわからんだろうがな」
「あなたを見てればわかるわよ。その猿が頭がいいことくらい。サル山に落ちてるフンの中から、見事自分のフンを見つけ出して、それを食べるんでしょ?」
卓也はこの言い合いはラバドーラの勝ちだと手を挙げると、ハイタッチを交わした。
「君はどっちの味方をしているんだ……回遊電磁波がどうなってもいいのかね?」
「さっきも言っただろう? 妄想よりも、現実だって。ほら、手を伸ばせばおっぱいが」
卓也が手を伸ばすと、ラバドーラが手の甲を叩いて払い除けた。
「これが現実。次触ろうとしたら、触った瞬間に男の姿に変わるわよ」
三人が騒いでいる間。デフォルトは回遊電磁波について調べていたが、レストにもタブレット端末にも問題はなかった。
やはりDドライブの範囲外に来たのが途切れた原因だろうと、ルーカスと卓也の二人にはしばらく諦めてもらうことにした。
そうと決まれば少しでも機嫌を直してもらうために、夕食に気合を入れて二人の好きなものを作ろうと、保存食を取りに食料棚がある部屋と向かった。
この食料棚は隠し戸になっており、過去の方舟でデフォルトとラバドーラが作ったものであり、戻る時に隠した保存食がしまわれている。いざという時のために隠し持っておいた。正真正銘地球の味だ。
使うならこの場面だと思ったのだ。
二人が喜んでくれるかと考えながら、鼻歌交じりで食料棚からカレーとやきとりの缶詰を取り出そうと戸を開けると、ある違和感に気付いた。食料が減っていたのだ。
食料は死活問題なのでデフォルトが管理している。仮にルーカスと卓也がつまみ食いしたとしても、悪いことだと思っていないのでデフォルトに隠れて食べるようなことはしない。
ラバドーラは食事をする機能がないので食べるはずがない。
これは自分を困らせようと、わざと二人が隠れて食べたのだとデフォルトは怒った。なぜ、そう決定づけたのかと言うと、床についた汚れがルーカスと卓也の寝室に向かって行ったからだ。
その後をつけて部屋に入ると、案の定ゴミが部屋の隅に隠されていた。
さすがにこれは困ると、デフォルトは注意をしに二人の元へ向かった。
「ひどすぎます。命に関わることですよ!」
デフォルトが怒鳴りながら二人がいる倉庫へと入ると、卓也とルーカスはパンダの姿を投影したラバドーラに、二人まとめてヘッドロックをかけられているところだった。
「も……っと……言ってやりたまえ……。このままでは死んでしまう……」とルーカスは息も絶え絶えに言った。
この不思議な光景に、デフォルトの怒りは困惑にかき消されてしまった。
「……なにをやっているのですか?」
「ずっと私の邪魔をするから、お仕置きしてるんだ。二時間も居座ってあーだこーだと……」
「二時間ですか?」とデフォルトはラバドーラの言葉に驚きの声を上げた。
二時間というと、二人と別れてから経った時間がちょうどそれくらいだからだ。
食料はキッチンに立つ度に確認しているので、今日の昼までは問題はなかった。しかし、今なくなっていたということは、二人にそんな時間はないので無実ということになる。
デフォルトは「おかしいですね……」と疑問を抱いた。
「そうだよ……この光景はおかしいんだよ……だから止めて……」
卓也は力なく助けを求めた。




